3.救出
◇2006/07/07
貴族の館に潜入したかなみは、地下室に繋がれていたシィルを見つけ、言葉を失ってしまった。
全裸で拘束されたシィルの肌には、数え切れないほどの鞭の跡が見て取れる。
その内のいくつかは肉まで裂かれ、血と体液を滲ませていた。
鈍器もしくは拳で殴られたと思しき跡は、青黒く腫れ上がっている。性的な拷問を受けた形跡も生々しい。
「……かなみさん……?」
シィルの声に、かなみは我に返った。
「シィルちゃん、すぐ鎖を解くから、待っててね」
かなみは慌ててシィルの縛めを外した。
相当衰弱しているのだろう、鎖から解かれたシィルは、自分の足で立つ事さえ出来ないようだ。
「助けに来てくれて……ありがとうございます」
かなみに体を預けながら、シィルは弱々しい声で礼を述べる。
かなみは手持ちの救急キットでシィルの手当をしながら、何度も頭を下げていた。
「ごめんね、遅くなってごめんね、シィルちゃん」
礼を言われる筋合いはない。元々、自分がランスへの報告を遅らせた結果がこれなのだから。
かなみは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……様は……」
譫言のようにシィルが呟く。
「えっ?」
「ランス様はどうされているか……かなみさんはご存じですか?」
こんな状態でありながらランスの身を案じているシィルに、かなみはとっさに答える事が出来なかった。
「ごめん、長くなるから……まずはこの館から脱出しよう、ね?」
満足に動けないシィルをかばいながら密やかに脱出するのは不可能と見て、
かなみは強行突破を選択した。手にした刀で、行く手を塞ぐ人間を、老若男女問わずに斬り捨てる。
その中に、館の主でありシィルを痛めつけた張本人であるマダムゴルチがいたことに、
かなみは気付いていない。途中、若いメイドから服を奪い、全裸のシィルに着せてやる。
時間の経過と共に、シィルも僅かではあるが回復しているようだ。
時に反撃を受けてダメージを受けるかなみに、弱いながらもシィルがヒーリングを施す。
「シィルちゃん、あんまりムリはしないで……」
「大丈夫、ですよ、ランス様にお会いするまでは……倒れるわけにはいきません」
「シィルちゃん……」
無理に作った笑顔が痛々しい。ランスが魔王になったと知ったら、シィルはどうなってしまうのだろう。
シィルが事実を知ってなおランスに会いたがるようだったら、命令を無視しても、
今度こそ二人を会わせるべきだろうか。揺れる気持ちを振り払うように、かなみは大きくかぶりを振った。
今重要なのは、館を脱出し、シィルを安全な場所に連れて行くこと。かなみは再び刀を強く握りしめた。
◇◇◇
少し前までシィルがそこに収監されていたという情報を受け、
ランスは魔軍を率いて、監獄都市ボルゴZに向かった。
所長以下全ての看守を集め、シィルの行方を問う。
「お捜しの少女なら、マダムゴルチに引き取られました」
「ゴルチ……聞いた事があるような名だな……まあいい、何のために囚人を引き取っているのだ?」
看守達は、マダムゴルチの目的を知ったうえで、言われるままに若い女囚を引き渡している。
だが、それをこの魔王に伝えて良いものかどうか。
「……答えないのなら」
ランスは、一人の看守の頭に手を乗せそのまま軽く握りつぶす。
あっけなく絶命した看守を、ランスは無造作に投げ捨てた。
それを見ていた他の看守達は、一人残らず蒼白になる。
「一人潰したくらいではまだ答える気にならないか?」
「そっそれは……その……慰み者にするため……」
絞り出すように答えた看守を、ランスは無表情のまま瞳にだけ怒りを宿して見ている。
「ゴルチの館はどこにある?」
命乞いかごますりのつもりか、案内を申し出た看守を連れ、ランスは監獄を出た。
趣味の悪い豪華な館の扉を開けると、血まみれの死体がごろごろと転がっている。
「……どういうことだ?」
手近な死体をひっくり返してみると、刃物で喉を掻き切られた跡が残っていた。
しばらく頭を捻っていたランスは、柱の影でぶるぶる震えている下着姿の若い女性に気付く。
ヘッドドレスを付けている所を見ると、どうやらこの館のメイドらしい。
怖がらせないよう穏やかさを装って、ランスはメイドに近づいた。
「お前、何か知っているのか?」
魔王とは気付いていないのだろう、魔物達の中で唯一の人間に見えるランスに声を掛けられ、
メイドは少しほっとしたように答えた。
「あ、あのっ、JAPAN風の女忍者が、地下室で拷問を受けていた女性を連れ出す時に、
館の人達を切り捨てていったんです」
「拷問を受けていた女性というのは、ピンクのもこもこ頭だったか?」
「は、はい、そうです」
ふむ、とランスは頭を捻る。となると、女忍者はかなみだろうか。
確かシィルを探しに行くといってリーザスを発ったはずだ。
口先だけでなく、本当にシィルを助け出したかと、かなみの妙な律儀さに思わず笑みがこぼれる。
『拷問を受けていた』というのは気になるところだが、かなみと一緒なら、取り敢えずシィルは無事だろう。
ほんの少しではあるが心にゆとりの出来たランスは、メイドの不審な格好にようやく気が付く。
「ところで何故お前はそんな格好をしている?」
「その女性に着せるため、女忍者に服を奪われて……」
「という事は現在シィルはメイド服を着ているという訳か……よし、お前達、ピンク髪のメイドを捜せ、
おそらく女忍者も一緒のはずだ、どちらも絶対傷を付けるんじゃないぞ」
ランスの指示に、魔物達は三々五々散っていった。
◇◇◇
「なんなの、この魔物達は!」
館を脱出したシィルとかなみは、町に溢れる魔物の群れに目を剥いた。
かなみがボルゴZに入った時は、魔物の影など無かったはずだ。
「かなみさん……」
「大丈夫、行きましょシィルちゃん」
シィルと自分を励ますように、かなみは明るい声で答えた。
シィルもいくらか動けるようになっているし、魔物に見つからないよう町を出る事は、さして難しい事ではない。
見慣れぬ魔物達に右往左往する住民に紛れ、二人は人も魔物もいない街道へ出る。
「とりあえず……リーザス城に戻るかな……」
マリスからの伝令を思い出し、リーザスに通じる街道へ向かおうとしたかなみに、シィルが尋ねる。
「ランス様はリーザス城にいらっしゃるのですか?」
「え……ううん、今はたぶん……いないと思う」
魔王化したランスがリーザス城を離れた、という情報はかなみにも伝わっている。
その後、おそらく西方の魔人領に向かったと思われるが、今現在、ランスがどこにいるかは不明だ。
どう説明しようか迷っているかなみに、シィルが珍しく強い調子で詰め寄る。
「かなみさん、そろそろランス様の事を教えていただけませんか?」
「う、うん……」
ヘルマンから命からがら逃げ出したランスをかなみが保護し、リーザス城へ連れて行った事。
ヘルマンに攻め込むというランスに、リーザス軍と引き替えに結婚を迫ったリア。
それを受け入れリーザス王に即位したものの、いつまでもシィルが取り戻せず苛立っていたランス。
「それで、私がシィルちゃんを救出しにヘルマンに来たのだけれど」
マリスの命でシィルの居場所をランスに伏せていた事も、かなみは隠さずシィルに伝え詫びる。
その告白を、シィルは黙って聞いていた。
「私がこっちに来ている間に、リトルプリンセスを殺害して、ランスが……魔王になったらしいの」
「……」
魔王ランス。さすがにシィルも身を強張らせるが、やはり何も言わない。
「いくら鍛え上げられたリーザス軍でも、魔王ランス率いる魔軍に対抗するのは無理だと思う、
でも、ここにいるよりは安全だから、一度リーザスに……」
「私は行きません」
シィルはかなみの言葉を遮った。
「危険かも知れないけれど……ランス様がいらっしゃると思われる魔人領に向かいます」
「シィルちゃん!?」
「途中で倒れてしまったら、それは……ランス様との縁が無かっただけの事です」
慌てるかなみに、シィルは無理して微笑んでみせる。
「かなみさんまで危ない目にあって欲しくないですから、かなみさんはリーザスへ戻ってください」
きっぱりと言いきるシィルに、かなみの心も決まる。
「……一人より、二人の方がまだ、魔人領にたどり着ける可能性が高いわ」
かなみも強がって笑った。
「だから私も一緒に行かせて……だって私、ランスにまだ謝ってないから」
◇◇◇
魔軍の包囲を逃れたシィルとかなみは、魔人領のある大陸の西方へと向かっていた。
ボルゴZを脱出してから数日、まともに回復魔法が使えるようになったシィルの躰の傷は、
ほとんど目立たなくなっている。拷問されていた夢を見て夜中に飛び起きる回数も減ってきた。
完全に元気になったとは言い難いが、明るく振る舞うシィルにあわせて、かなみも努めて明るく接する。
どうしても物事を悲観的に考えてしまうかなみだったが、シィルの態度に救われるような気がする。
(シィルちゃんって……ランスが手放したがらないのもわかる気がするわ)
「どちらに行かれるのですか?」
ヘルマン中部のマイクログラードに差し掛かろうかという時、
いやに影の薄いそれでいて眼光だけが鋭い男に、シィルとかなみは呼び止められた。
「何故リーザスに戻らず西へ向かっているのです?」
男の正体に気付いたかなみが、注意深く答える。
「……あなたもリーザスの忍者ね」
いつまでも戻ってこないかなみに業を煮やして、マリスが掛けた追っ手だろう。
「見当殿、マリス様の指示を無視するおつもりですか」
「……」
沈黙するかなみ。それは、男の言葉を肯定する返事に他ならない。
男は懐に手を入れ、シィルとかなみに近づいてくる。従わないのならば力ずくで、ということか。
かなみと男が対峙するのを、はらはらしながらシィルは見つめている。
一触即発、その時。
「あーっ、ピンク髪見っけー!」
頭上から脳天気な声が響いた。シィルとかなみ、そして男は慌てて空を見上げる。
そこにいたのは羽根と角を持った女魔人、リーザス城に直接攻め込んだ事もあるサイゼルだった。
「んー、ピンク髪のメイドさんと女忍者はいいとして、どうして男の忍者もいるのかしら?」
緊張を削ぎつつふわふわ空に漂っているサイゼルを見て、シィルはかなみの袖を引っ張る。
「かなみさん、あの人、魔人ですよね?」
「ええ、リーザス城で見た事があるわ」
「……あの人に頼んで、ランス様に会わせてもらえないでしょうか」
「あら?あなたやっぱり魔王様が探している人間なの?」
シィルの言葉を耳ざとく聞きつけ、サイゼルは地に降りた。
「魔王って……ランス様なんですよね?」
恐怖を振り払ってシィルはサイゼルに声を掛ける。
「うん、そう、えっと、あなたがシィルでいいのかしら?」
この魔人に聞きたい事は山ほどある。シィルが口を開こうとした時、男が動いた。
「その女を魔王に渡す訳にはいかない、リーザスが貰うぞ!」
刀を振りかざす男とシィルの間に、かなみが割り込もうとした瞬間。
「あんた、邪魔だからいらない」
サイゼルが手にした武器から氷の欠片が放たれ、男の全身を貫いた。
痛みを感じる間もなく息を引き取った男には目もくれず、サイゼルは笑顔でシィルとかなみの手を取った。
「魔王様はシィルと女忍者を無傷で連れて来いって言ってたから、さ、行こ!」
シィルとかなみを連れたサイゼルは、マイクログラードで一番の高級ホテルに来ていた。
魔軍の襲撃を受けていないこの町は、表面上は以前と変わらない様子で人々が生活している。
ホテルの支配人が用意した高級料理を、他に人のいないレストランで、三人は悠々と食べる。
「ずいぶんとサービスのいいホテルねー」
予想以上の好待遇に、サイゼルはご機嫌だ。しかしその好待遇が、
魔人であるサイゼルを恐れてのものであることは、シィルとかなみしか気付いていない。
食事を終えた三人を、支配人自ら最上級の部屋に案内する。
サイゼルは自分の部屋の扉を閉める前に、シィルとかなみにウィンクをした。
「魔王様は明日にでも来るらしいから、二人とも今晩はゆっくり休んでね」
「うーん、いいのかなあ……」
豪華なベッドの真ん中にちんまりと座り、シィルは何とも言えない顔をしていた。
止む事のない拷問から解放された後は路銀を節約するためほとんど野宿の強行軍だったから、
ちゃんとした部屋で休めるのはありがたい。しかし、こんな豪華な部屋をただで使うのは気が引ける。
「いいか、いいよね……明日はランス様にお会い出来るかも知れないのだから、
少しでも疲れを取らなくちゃ」
自分自身に言い聞かせるようにそう呟いて、シィルはもそもそとベッドに潜り込んだ。
◇◇◇
ホテルの最上階にあるシィルが眠る部屋。バルコニーに通じる大きなガラス窓が音もなく開く。
微かな風でカーテンが煽られ、真っ暗な部屋の中に月明かりが差し込んだ。
よっぽど疲れているのだろうか、シィルは起きる気配もない。
窓から忍び込んだ影がベッドに近づき、シィルの顔をじっと見る。
よく眠っているのを確かめると、着ていた鎧を脱ぎ捨ててシィルの横に滑り込んだ。
「ん……?」
さすがに気が付いて薄く瞼を開くが、疲れと眠さのせいで、シィルはまだぼんやりしている。
「まだ朝まで時間がある、ゆっくり眠っておけ」
「はい、おやすみなさい……ランス様」
聞き慣れた声に安心して、シィルは再び眠りに落ちる。
寝息を立てているシィルの腰に腕を回し、記憶にあるよりも細い体を、ランスはそっと抱きしめた。