9.誤算
◇2006/07/07
「さて、人間に対する態度だが」
魔血魂の回収を終えたランスは、再び魔人たちを集めた。
「やっぱ、俺たちが上って事を、思い知らせてやった方がいいんじゃないですかね?」
「人間と争う必要はありません、むしろ積極的に共存していくべきだと」
ケイブリスの発言に、ホーネットが反論する。
かつての対立陣営の長である二人の論戦を、ランスは黙って聞いていた。
だが、次第にヒートアップする舌戦に堪りかね、ハウゼルが口を挟む。
「シィル殿とかなみ殿にお聞きしますが、お二人はどう考えますか?」
つい最近まで人間だった、しかも魔王ランスの考えをよく知っていると思われる二人の意見を、
他の魔人たちも興味深く待った。
腕を組んで考え込むかなみの横で、シィルは言葉を選ぶように自分の考えを述べる。
「あえて人間を襲う必要はないと思いますけれど……」
武闘派のケイブリスやメディウサに睨まれ、縮こまりながらもシィルは続ける。
「人間の方から仕掛けてきたら応戦する、でいいんじゃないでしょうか」
「それは先々代の魔王ガイと同様、と思っていいのかしら」
シィルを味方に引き込めそうだと判断し、シルキィが身を乗り出した。
「それに近いかなあ……でも、聖魔教団の反乱みたいな、
ああいうのは起きて欲しくないな、って思うんですけど」
ガイの不干渉をいいことに、闘神都市を造り、本来の目的である魔人殲滅から、
いつの間にか人類攻撃に目的が変わっていた聖魔教団。
最終的には内部分裂によって終焉を迎えたわけだが、当時の人類にとって、彼らは魔人以上の脅威であった。
「あーアレは生意気だったわねえ、ちょっと魔力が強いからって人間のくせに」
シィルとは違う観点から納得するメディウサ。
「ある程度は魔王の力を示しておいた方が、人類のためにも良いのかも知れませんな」
人間は好きではないが無用な争いは不用だろう、とケッセルリンクは付け加えた。
「俺様はガイにもジルにもなる気はない」
だいたいの意見が出そろったところで、ランスが口を開く。
「まったく自由にしてやるつもりも無いが、かといって完全な監視下に置くのもつまらん」
『人間の方から仕掛けてきたら応戦する』というシィルの案に大筋で同意しながらも、
人間同士の戦争があったら、それに乗じて暴れるのは構わないだろうと、付け加える。
「それと……」
魔人を斬れる武器のひとつ、魔剣カオスはこちらが持っているものの、
もう一つの聖刀日光はいまだ人類圏にあることを、ランスは告げる
「日光所有者とそいつをかばう人間は襲ってもよし」
人間との争いを完全に禁じてしまえば、人間嫌いの魔人たちの鬱憤を溜めてしまう。
日光所有者ならそこそこ腕も立つだろうから、暴れたい魔人の程よいストレス解消にもなるだろう。
「魔王様、勇者はどうします?」
「勇者も日光所有者と同じ扱いでいいんじゃねえか?」
「まあ、ある意味酷い話よね」
当面の方針を決定した後、ランスはホーネットの館に献上品の味見に行ってしまった。
魔王城でお留守番のシィルは、かなみをお茶に誘った。
魔人化して日も経ち、ある程度は他の魔人たちとの交流もあるけれど、
対人類政策というデリケートな話題は、やはり気心の知れたかなみ以外とは語りにくい。
「勇者と日光所有者……まだ健太郎さんが持ってるのかな……を生け贄にしてるようなもんだし」
「でもそれで他の大部分の人間が無事ならしかたないかなあ、って」
旧ホーネット派と旧ケイブリス派の魔人の妥協点、ややホーネット寄りではあるけれど、
ケイブリスも何とか納得出来る程度の落としどころ、という点では、無難な決定だろう。
「ただ私は、ランス様ができるだけ恨まれなければいいなあ、って思ってるだけなんです」
それはシィルの偽らざる本音だ。
「……もうずいぶん恨まれてると思うけど」
「かなみさん、それを言っては……」
◇◇◇
魔王ランスとの密約を経て、一応の落ち着きを取り戻したヘルマン。
しかし、立て続けに起こった戦争の傷跡は深く、混乱はいまだ続いている。
皇帝に即位したパットンと盟友達の獅子奮迅の働きが、ヘルマン国民の唯一の希望の光だった。
そんなヘルマンに、少数のリーザス軍が侵入した。
各都市を制圧するでもなく、ただただ西を目指すリーザス軍。
「リーザスがこっちに戦いを仕掛けてこねえうちはほっとけばいいさ」
国内の混乱を治める事に手一杯で、交戦する余裕がなかったというのが本当のところだが、
悠然としたパットンの態度に、ヘルマン国民は更なる期待を寄せる事になった。
「奴らの目的は一体何なんだ?」
斥候に出した魔物の報告によれば、その中に勇者も日光所有者もいないようだ。
だとすれば、魔王、または魔人を倒すのが目的ではないだろう。
彼らの目的が掴めないだけに、魔人の間に動揺が走る。
「しばらくは様子見だな」
魔人領に入ってこない限りは手を出すなと、ランスは念を押した。
やがて、番裏の砦に、リーザス軍が到着した。
密約の事もあり、現在番裏の砦に駐留するヘルマン軍はいない。
「早く、早くそこを越えてこい」
暴れたくて仕方ないケイブリスとレッドアイが、魔人領側で手ぐすね引いて待ちかまえている。
「ケイブリス……」
「わ、わかってますよう、魔王様、今はまだ手を出しませんって」
ケイブリスの背後には、シィルを従えたランスが睨みを効かせている。
「あっ、ランス様、あれ……リア様とマリス様じゃありません?」
「ほう……リックとレイラさんも一緒だな、バレスは城で留守番か」
砦の高い防御壁、その上に、ごく少数の兵に護られた人影が見える。
リアと思わしき人影が、魔法拡声器を手にした。
そして。
「ダーリン、リアがダーリンに会いに来たよー!」
「……帰るか、シィル」
砦に背を向けて歩き出そうとするランスのマントを、シィルが慌てて引っ張った。
「ランス様っ、お待ちください!」
「不愉快だ、顔も見たくない」
「魔王様、あいつら攻撃してもいいですかね?」
心底不愉快そうなランスを見て、ケイブリスが恐る恐るお伺いを立てる。
それに肯こうとしたランスの腰に、シィルはぎゅっとしがみついた。
「だ、ダメですよ、ランス様、話くらいはお聞きになった方が……」
涙目で頭をぶんぶん振っているシィルには勝てない。
仕方なくランスはリア達との話し合いを持つことにした。
リア、マリス、リック、レイラの4人だけを、砦のこちら側に来させる。
ケイブリスとレッドアイは不満そうだったが、ランスの決定とあらば従わざるを得ない。
◇◇◇
「で、今更何の用だ?」
用意させた輿にふんぞり返ったランスが、尊大な態度で話しかけた。
突っ立ったままのリア達4人を、ケイブリス達が取り囲んでいる。
恐怖を覚えつつも、マリスが口を開いた。
「ランス殿がリーザスにおいでになった時、私を魔人にしてやるとおっしゃってましたよね?」
「ああ、あの時は、そんなことを言ったっけな、で?」
興味なさ気に答えるランス。
「ランス殿のお言葉に甘えて、魔人にしていただきたく参りました」
きっぱりと言いきるマリス。その口調と厳しい表情は、人間であれば抗えないほどの強さを持っていた。
しかし、この場にいるのは、リーザス側の4人を除けば、人間は一人もいない。
「そうだなあ……どうする?シィル」
「へっ?私ですか?」
冷めた目でマリスを見ていたシィルが、いきなりの指名に慌てた。
「マリスは俺様を騙し、お前が酷い目にあった原因を作った張本人だ、
お前が許すなら魔人にしてやってもいいが」
「シィル殿、あの時のことは謝ります、どうかランス殿に取りなしていただけないでしょうか」
言葉こそ丁寧なものの、表面だけ取り繕った言葉であることは、お人好しのシィルにも解る。
「う、うーん……」
嫌だと言ってしまいたい、でも、ランスはどう考えているのだろう、と、シィルはそっとランスを伺う。
答え倦ねていることでシィルの本心が拒絶であることを悟ったランスは、
上目遣いで自分を見上げているシィルを抱き寄せ、もこもこ頭をぽふぽふと叩いた。
「魔血魂も数に限りがあるからな、魔人にするのはやめだ」
ランスが告げた瞬間、マリスの顔色が変わった。
物凄い形相で睨み付けるマリスを見せないように、ランスはシィルの頭に腕を回して胸に抱き入れる。
ランスの意図を察したシィルは、おとなしく目を閉じた。
そんなシィルの様子を見て、無意識に微笑むランス。しかし、次の瞬間ふたたび無表情に戻り、
ケイブリスに視線を向けた。
「そうだなあ……ケイブリス、お前、新しい使徒は欲しくないか?」
「え、あ、魔王様のご命令とあらば、人間を使徒にしても構いませんが」
「ランス殿!」
マリスが叫ぶ。魔人ならリアを使徒にして不老不死を与えることが出来るが、使徒ではそれも叶わない。
「マリス、お前の考えなど解ってる、魔人になったらリアを使徒にして、
俺様に押しつけようって魂胆だろう?」
図星を指されてマリスは黙り込む。
「ダーリン、リアのこと……嫌いなの?」
魔物達に脅えながら、リアが呟く。
「前はそんなに嫌いじゃなかったけどな」
シィルに向けたものとは違う冷たい微笑みを向けられ、リアは泣きそうになるのをぐっと堪えた。
おそらく、今までで最も健気であっただろうリアには心を動かさず、ランスは鷹揚にケイブリスの方を見た。
そして、最も残酷な決定を下す。
「ケイブリス、こいつも使徒にしてやれ、ただし、絶対俺様に近づけるんじゃないぞ」
◇◇◇
ケイブリスの使徒となったリアとマリスを、ランスはリーザスに帰すよう命じる。
「目に入るところにいられては適わんからな」
そもそも、魔王の命令でなければ人間の使徒などいらないケイブリスは、喜んでそれに応じた。
リーザスに戻ったリアとマリスが魔人の使徒と化した事は、公には伏せられていた。
しかし、年月を経ても変化しない容姿に、いつかリーザス国民も気付くだろう。
かつては権勢を誇った大国リーザス、その迷走はまだ始まったばかりであった。