2.地固め
◇2006/07/07
武田の城、その大広間では、定例の評定が始まる所だった。
「俺、この鎧重くて嫌いなんだよなあ」
勝千代──信玄は、紅の大鎧を着せ付けられながら、ぶつぶつと文句を言っている。
「そうおっしゃいますな、この大鎧こそが武田の当主すなわち信玄公の証なのですから」
鎧を着せ付けているのは銀髪隻眼の男、武田軍の軍師真田透琳だ。
「いっそ俺抜きでさ、空の鎧だけ置いて評定を……」
「信玄公、戯れはやめていただこう」
静かに信玄を諫めるのは、禿頭に髭を蓄えた山県昌景。
「しかしまあ、この異人は信玄公にそっくりだのう」
「異人、異人言うな!俺様にはランスという立派な名がある」
「これは失敬」
赤毛の大男、馬場彰炎が、物珍しそうにランスとシィルを見ている。
「私も最初にお会いした時は驚きましたよー」
彰炎に相づちを打っているのは、信玄を迎えに来た男、風魔の忍び高坂義風。この四人こそが、
『風林火山』と称され他国から恐れられている、JAPAN最強の呼び名も高い武田軍の要であった。
さすがにランス達を評定の場に出す事は出来ず、その間二人は別室で茶を出され待たされていた。
「あー疲れた、ランス、シィル、待たせたな」
評定を終え、既に鎧を外した信玄が、首をごきごきと鳴らしながら部屋に入ってくる。
「しっかしあの大鎧、お前には似合わなかったなあ」
「ら、ランス様!」
周りの従者達が眉を顰める気配に、シィルは慌ててランスを制しようとするが、信玄が笑ってそれを止める。
「いいよシィル、俺自身もそう思ってるから」
「うっ、でも……」
「俺は軍事はからっきしなんだよ、貝細工や料理などの手先仕事の方が性に合っている」
信玄はシィルの頭をぽんぽんと撫でる。その髪には、昨日信玄が選んだかんざしが飾られている。
まんざらでも無さそうなシィルの態度に、ランスが怒りを露わにしようとした時だった。
「兄様」
ふすまを開け、赤を基調とした着物の女性が部屋に入ってくる。
「来たか香、昨日仲良くなった異人達をお前に紹介しよう」
「義風から聞いてますよ、そちらの男性は本当に兄様そっくりですね」
香は、ランス達に向かって優雅に頭を下げた。
「始めまして、武田香と申します、不肖の兄と仲良くして頂けてありがとうございます」
武田の香姫、すなわち今回の旅の目的である。美女名鑑の似姿絵よりも美しく愛らしい容姿に、
ランスはシィルを咎める事を忘れて、ついつい見とれてしまう。
「俺様は大陸の英雄、ランス様だ、君を迎えに来たのだ、香ちゃん」
「えっ……?」
「ランス、ランス」
戸惑う香とランスの間に、信玄が不機嫌そうに割り込む。
「確かに香に会わせると約束したが、口説いていいとは言ってないぞ」
「えっ、私、ランスさんに口説かれていたのですか?」
香は不思議そうに首を傾げる。
「だってそちらの女性……えっと」
「シィルと申します」
「シィルさんですね、シィルさんがランスさんの奥様なのではありませんか?」
香ににっこりと微笑みかけられ、シィルは何故か頬を赤らめてしまう。
「違う、シィルは俺様の奴隷だ!妻ではなーい!」
「奴隷……?良くわかりません、どのような関係なのですか?」
JAPANには『奴隷』という概念がないという事は、シィルも本で読んだ事がある。
ランスにきっぱりと否定され軽く落ち込んだものの、シィルは香の疑問に答えた。
「えっとその、主人と使用人みたいなものです」
「そうなのですか、てっきりお二人は新婚旅行でJAPANに来たのだと」
「違うわ!俺様は香ちゃんと」
きょとんとしている香をちらりと見て、ランスはあからさまな単語を引っ込める。いきなり「やらせろ」と言うより、
まずは心を許させる事が先だ。ランスにも、その程度の駆け引きは出来るようになったのだ。
「仲良くなるためにJAPANに来たのだ!」
「ふふ、兄様のお友達なら私とも仲良くしていただけると嬉しいです」
ランスの野望に気付かない香は、笑顔でランスとシィルに手を差しだした。
「よろしくお願いしますね、ランスさん、シィルさん」
◇◇◇
「織田家に怪しい動きがあると?」
評定を終え信玄が退出した後、風林火山が天守閣で額を寄せ合っていた。
義風配下の忍びが収集してきた情報を元に、今後の方針を定めるためだ。
「ええ、原家に宣戦布告したようです」
「だが、織田の信長公は、領地拡大には興味が無かったはずだが……」
「先日、赤毛の異人を客将として招いたらしいんですよねー」
足利の差し金と目される信長の実弟信行の反乱を治めたのも、その赤毛の異人だという。
「原は足利の姫を娶ってから重税を課し民を圧していたでしょう?
それをよしとせず、戦いを挑んだらしいのですがね」
「まあ理由など、この戦国の世では後付に過ぎませんな」
「織田が国盗りに色気を出したという事実のみが、我々にとっては重要だ」
「ここはひとつ、信玄公にも立ち上がって頂かねば……」
◇◇◇
「兄様は決して弱くはありませんよ」
ランスと香が、武田の城の中庭を散歩している。
「軍事は苦手だと、勝千代は言ってたぞ」
「あれでも兄様は、人並み以上に剣術をこなすんです」
そこまで言って、香はふうっとため息をついた。
「ですがここ、武田は強力な軍をもって天下に知られていますから、
人外の強さでないと認められない風潮があって……」
「人外の強さ、なあ……」
「風林火山にはお会いになりましたか?彼らのように飛び抜けた力が必要とされるんですよ」
「そりゃあさ、俺だって父のようになりたいと、武芸に励んだ頃もあったさ」
ランスと香が庭を散策している間、シィルは座敷で信玄の愚痴に付き合っていた。
「でも人間には持って生まれた才能ってものがあるからな」
自分の才能は武芸よりも内政だという事に気付くまで、信玄は劣等感に悩まされたのだという。
「あっ……じゃあ貝細工や名物料理を広めているのは……」
「武力とは違うやり方で武田の民を豊かにしたかったんだ、でも、
風林火山をはじめとした武を持って尊しとする臣下達には、なかなか受け入れてもらえないのさ」
自嘲気味に笑う信玄に、シィルは同情の念を禁じ得ない。
ランス、そして彼を取り巻く主に美しい女性達は、高い才能を誇る者が多い。
その中でシィルは、こと戦闘方面に置いては一段劣る。もちろんそれ以外の部分、
ランスの日常生活においてはそれなりに役にたっているつもりだったが、
いつまで経っても『奴隷』でしかないランスの扱いを見るに、
自分はランスにとって本当に必要な人間なのだろうかという疑問が、常にシィルを苛んでいる。
「信玄様……」
「勝千代でいいよ、シィルには……外の人には、そう呼んでもらいたい」
「……はい、勝千代さん」
完璧を自称するランス、自分にはあり得ないその自惚れの高さは羨ましくも好ましいものであったが、
信玄には自分に近いものをシィルは感じている。
「武田以外の家に生まれていれば、こんな思いをせずに済んだのかも知れないけどなあ……」
◇◇◇
ランスとシィルが、なし崩しに武田の城に居候するようになって数日。
時折武田の家臣達がランスに剣術の仕合を申し込む以外は、これといってする事もなく日々が過ぎる。
……合間を縫ってランスが下働きの女性達に手を付ける事もあったが。
「ランス殿は剣の腕が立つようですな」
ランスと部下の仕合を観戦していた昌景が、隣に座っているシィルに話しかける。
「大陸の情報に通じている透琳によれば、ランス殿とシィル殿は『冒険者』という職に就いているとか」
「そうです、ギルド……えっと組合みたいな所から依頼を受けて、魔物退治をしたり」
「傭兵といったところか、シィル殿も戦うのか?」
「一応……弱いですけど、私は剣ではなくて魔法で戦います」
「魔法……陰陽術のようなものだな」
「はい、それと回復魔法が使えるので、JAPANだと巫女さんみたいな役どころになるかと」
「なるほど」
「こらそこ!ひげだるまのくせに、俺様の奴隷に気安く話しかけるなー!」
いつの間にか仕合を済ませた(当然勝った)ランスが、シィルと昌景の会話に割り込む。
「そう怒るな、ランス殿の強さについて話を聞かせてもらっていたのだ」
「俺様の強さ?そんなの、わざわざシィルに聞かなくても、俺様を見れば解るだろう」
腰に手を当て、ふんっと鼻を鳴らすランス。昌景は愉快そうに笑った。
「かっはっはっ、確かに、のう」
武を持って尊しとする武田において、ランスの強さは好意を持って迎えられている。
尊大さはもとより女好きな所までも、男らしさの具現化として捉えられているようだ。
その日の午後、昌景はランスをてばさき牧場に案内した。
「珍しいイキモノがいるな」
「軍用のてばさきだ、儂ら武田騎馬軍団は、アレに乗って戦場を駆ける」
柵の外側からてばさきを眺めている二人に、てばさきの耳を模した髪飾りを付けた女性が声をかけた。
「ご視察ですか?山県様はともかく、信玄様までお珍しい」
「俺様は信玄ではないぞ」
「あら、信玄様じゃないんだ……そういえば鎧も剣も、JAPANのものではないですね」
「うむ、大陸の英雄、ランス様だ……ところでこのかわい子ちゃんは何者だ?」
とりあえず自分をアピールしてから、あらためて女性の容姿をじろりと見るランス。
「てばさき調教師のもっこです、はじめまして、ランスさん」
もっこが頭を下げると、てばさき耳もぴょこりと動く。
「もっこ、ランス殿にてばさきを見繕ってやってくれ」
「はい山県様、ランスさんはてばさきに乗った事はありますか?」
「いや、見たのも初めてだ」
「じゃあ、初心者用のおとなしい子を連れてきますね」
もっこはくるりと踵を返すと、てばさきが三々五々集まっている方へと走っていった。
「調教師……淫靡で非常によろしい響きだ」
「もっこはまだ若いが素質がある、少々てばさきに情をかけすぎるきらいはあるがな」
「情の深い調教師か……ふむふむグッドだ」
ランスが何か都合良く勘違いしている間に、もっこが一羽のてばさきを連れて戻ってきた。
「この子なら初心者でも乗れると思いますよ」
「俺様はてばさきよりももっこちゃんに乗りたいぞ」
「もー、信玄様と同じ顔で親父臭い事言わないでくださいよー」
最初は何度か振り落とされたものの「騎馬隊の男性ってかっこいいですよねー」とのもっこの言葉に、
一時間と経たない内にランスはどうにかてばさきを乗りこなせるようになっていた。
女が絡むと万能なところは、JAPANに来ても変わらない。
「わあ、ランスさん、様になってますよ」
「ふふん、俺様は天才だからな、さて次は……」
「もっこ、武将用のてばさきを連れてきなさい」
「はーい」
「いや、俺様、てばさきよりももっこちゃんに……」
「もっこはてばさきマニアだ」
この数日でランスの操縦法は心得ているのだろう。昌景は含みのある表情でランスに耳打ちする。
「騎馬隊を率いる武将になら、信頼を寄せるかもしれんのう」
◇◇◇
「うう、さすがに体中痛い……」
「お疲れさまです、ランス様」
ヒーリングにマッサージとランスの世話を焼いているシィルを、信玄が複雑そうな顔で見ている。
「しかし半日で武将用のてばさきに乗れるようになるとは、ランスはすごいなあ」
「まあなー」
自慢げなランスとは対照的に、信玄は更に複雑な表情に変わる。
「……風林火山は、俺の代わりにランスを『信玄』に仕立てようとしているのかな」
「?」
「個人戦くらいならどうにかなるが、てばさきに乗って騎馬隊を率いて戦うのは俺には向いていない」
「勝千代さん……」
「かといってJAPANに観光に来ただけのランスを戦場に立たせるなど、危険な事はさせたくないが……」
「俺様は別に構わないぞ」
「ランス?」
「ランス様!」
ようやく体の痛みが取れたのか、ランスは起きあがって、信玄と向かい合った。
「ひげだるまも、俺様に合戦に出て欲しいような事を言っていた」
「ひげだるま……昌景か」
「合戦に勝てば、敵の女武将を好きにしていいともな」
ニヤリと笑うランスに、シィルは頭を抱え、信玄は苦笑する。
「とりあえずは上杉だ、大将の謙信は若くて美人だそうじゃないか」
「まあ上杉は武田と敵対してるからなあ……しかしあの女は強いぞ?」
「がははははは、山は高ければ高いほど登り甲斐がある、戦いもまた然り、だ」
腰に手を当てて高笑いするランス。信玄はぽつりと呟いた。
「なるほどな、ランスが風林火山に好かれるわけだ」