3.開戦
◇2006/07/07
「てばさき、ひけぇい!」
武田領信濃と上杉領佐渡の国境。そこに、武田上杉両軍が集結している。
「北条方は真田、馬場、高坂の三部隊で睨みを効かせております」
強国である武田がこれまで国盗りに手を出せなかったのは、
領地を挟む位置にある上杉家と北条家が手を結び、互いに補い合って武田を牽制していた故だ。
いかに強力な武田軍であろうと、同じく軍事大国上杉と陰陽師の総本山北条の二国相手では分が悪い。
これまでは、風林火山を二部隊ずつに分けて防戦するので手一杯であった。
そして今、武田軍本陣。武将用の青いてばさきに、紅の大鎧を付けた信玄が跨っている。
彼の武者に、昌景は静かに語りかけた。
「さて……信玄公、参りましょうか」
「がはははははは、俺様に任せておけ!」
「おおおおおおー!」
信玄の豪快な笑い声に、武田兵が気勢を上げた。
「討ち果たすは敵の大将、上杉謙信ちゃんだー!」
「おおおおおおー!」
「ああ、心配です……」
信玄隊、昌景隊を中心とした騎馬隊が上杉の陣に突入していくのを、
本陣に残ったシィルは心配そうに見送っていた。
「大丈夫だろう、昌景も付いているし」
大陸の鎧を付けた男に肩を抱き寄せられ、シィルは不安そうに男の顔を見上げた。
「勝千代さん……」
「しっ、今の俺はランスだ、いいな?シィル」
「あっ……はい、ランス……様」
シィルは肩に乗せられた信玄の手に自分の手を重ね深呼吸しながら、昨夜の軍議を思い出していた。
「ランス殿の力をお借りすれば、上杉北条同盟と我ら武田の均衡を破る事が出来るかも知れません」
透琳の言葉に、昌景、彰炎、義風の三人は深く肯く。
「ですが、我が軍は信玄公の威光をもって結束した軍、いかに強力であろうとも、
異人たるランス殿の手で天下統一を為すわけにはいかないのです」
「つまり俺様は、信玄のふりをして戦わにゃならんという事だな?」
「ランス殿の武功にならないのが申し訳ないのですが……」
JAPAN、ことに武田軍において、武勲は全てに優先される。このような申し出を、
異人とはいえランスが受け入れてくれるのかどうか透琳には自信がなかったし、
また、それを押し通すほど卑怯な事も出来なかった。
「構わん、俺様は日本人ではないからな、功績など欲しい者が手にすればいい」
「別に俺も、功績が欲しい訳じゃないんだけどね」
ランスの言葉に、信玄が苦笑いする。
「俺が欲しいのは武田の……ひいてはJAPANの民の平穏だけだ、
平和を手に入れるために武力をもって天下を統一する事に迷いはない……ただ、
そのためにランスを利用する形になるのは済まないが」
「いいってことよ、つまり俺様が欲しいのは」
ランスは左手を突き出し、びしっと中指を立ててみせる。
「ランス様、その指は違います」
シィルはランスの手を取って、中指を折り、代わりに小指を立ててやる。
「意味合いはあまり変わらないような気もするが……」
「えっ、あう、でもこっちのほうがいくらかソフトな表現かと」
「……まあいい、とにかく女だ、そして金、それさえ貰えるなら、お前達の期待に応えてやる」
◇◇◇
「信玄が出陣したと?」
斥候からの報告を受けた上杉軍軍師の直江愛は、表情こそ変えぬものの内心非常に動揺していた。
(先代と違って現当主の信玄は戦は好きではなかったはず……何故急に)
「信玄だろうが風林火山だろうが、我が上杉領を侵す者は叩きつぶすのみ」
愛の動揺など気が付きもせず、上杉家の当主上杉謙信はいつもと変わらぬ口調で答えた。
白銀の鎧に流れる長い黒髪をさらりと払い、謙信は刀を抜く。
「ゆくぞ!」
「えっ、ああもう、謙信ったら……仕方ないわね」
いきなり武田の陣に向かって走り出した謙信の後ろ姿に、愛はため息を投げつけながらも、
その頭脳をフル回転させる。頭の中にインプットされている幾通りもの作戦から、
現在最もふさわしいものを瞬時に選択し、周囲の軍勢に伝令を飛ばす。
「私達も行きますよ、謙信を援護します!」
武田軍と上杉軍が激しくぶつかり合う中を、一陣の風が走り抜ける。
「謙信だ!謙信が斬り込んできたぞ!」
風の中央に見える白銀の鎧と長い黒髪。軍神と呼ばれ恐れられる上杉謙信に相違ない。
ちらりと見えた凛とした面に、ランスのテンションは上がる。
「よっしゃー、謙信ちゃんカモーン!」
「ら……いや信玄公、油断めさるな」
「解っておるわ、謙信ちゃんを倒してお持ち帰りだー!」
昌景の意見に耳を貸さず、ランスはてばさきを器用に操り、突進してくる謙信に向かっていった。
「……」
向かってくる青いてばさきと紅の大鎧。信玄を見定めた謙信は、阻止しようと集まってくる武田の兵を
刀の峰で打ち払いつつ、信玄に更に迫る。さすがの謙信も、騎上の信玄を打ち倒す事は不可能と、
まずはてばさきを薙ぎ払う。回避のため、てばさきは大きく体を反らせる。
「わっ?」
急なてばさきの動きに騎乗歴の浅いランスは付いていけず、バランスを崩した。
落鳥だけをかろうじて避け、すぐにでも剣を抜ける体勢で、ランスは着地する。
「行くぞ、謙信ちゃん!」
「気を付けろ心の友、あの女、出来るぞ!」
「……?」
ランスが抜いた黒い剣、魔剣カオスが言葉を発した事に、謙信はふと疑問を覚える。
その隙を逃さず、ランスはカオスを謙信にたたき込んだ。
「もーらい……て、あれ?」
軽やかなステップでカオスをかわし、謙信はくるくるとワルツを踊るように回る。
そして、一瞬謙信を見失ったランスの懐に、飛び込んだ。
「……!」
回転の勢いを殺さぬまま、ランスの胴を刀で薙ぐ。
「っと」
謙信の一撃を避けようと、ランスが後ろに飛ぶ。しかし、普段着慣れた鎧とは違う重さの紅の大鎧に、
ランスは思ったような動きが出来ない。
「どわ!」
もんどり打って仰向けに倒れこんだランスに、謙信は馬乗りになり、その首を落とそうと小刀を抜いた。
「……!?」
倒れた拍子に兜が外れ、ランスの顔が露わになる。その顔を見た謙信の動きが止まった。
「?」
固まったまま動かない謙信の顔が、かあっと赤くなる。
「……お前が信玄だったのか……」
「へっ?」
突然の謙信の変化に、ランスは訳が解らず、間抜けな返事を返してしまう。
「どうしたのだ、謙信ちゃん?」
更に耳まで赤くなった謙信は、慌ててランスの上から飛び退くと、
ものすごい勢いで自陣へと駆け去ってしまった。
「えっ……あの……おーい、謙信ちゃーん?」
◇◇◇
大将謙信の敗走により上杉軍は総崩れし、そのまま武田軍の佐渡への侵入を許してしまう事になった。
「さすが信玄公、代替わりされても無敗神話は消えぬ!」
すぐ近くにいた武士達は謙信の峰打ちによって気絶させられていたため、
その他の者には、信玄に扮したランスと謙信が一騎打ちをし、謙信が逃げ出したようにしか見えていない。
昌景だけは、謙信の不可解な行動にかろうじて気付いてはいたが、訂正する事も無かろうとランスをねぎらう。
「信玄公の初陣を快勝で飾ってくれた事、感謝する」
「がはははははは、俺様の実力が解ったか!」
「アレは実力というより運が良かっただけだと思うのじゃが……」
疑問を差し挟むカオスを、ランスは怒鳴りつける。
「黙れ馬鹿剣、運も実力の内だ!」
「かっはっはっ、まこと合戦においては、運も実力の内よ」
「ら……信玄様っ!」
本陣に戻ったランスに、シィルがすかさず飛びつく。
「お怪我は……」
「無い、しかしてばさきに長く乗っていたから腰が痛い」
「はい、ではマッサージを」
本陣に張られた天幕に入っていくランスを、シィルは追いかけていった。
「……ランス殿」
「ああ」
昌景に促され、ランスの鎧を付けた信玄も、その後を付いて行く。
この天幕は、ランスと信玄が入れ替わるために設置されたものなのだ。
「入るぞ……って、お前ら……」
「うむ、もう入っている」
「ひんひん……」
という会話があった事が天幕の外には漏れなかったのは、幸いだったろう。
「一体どうしたってのよ、謙信、あんたらしくもない」
上杉の城謙信の私室、幼なじみ口調に戻った愛が、今日の合戦での謙信の行動に疑問をぶつける。
「うむ……」
どんぶり山盛りのほかほか御飯をかき込みながら、謙信は恥ずかしそうに頬を染める。
「信玄……あれは私が知っている者であった」
「えっ?」
「愛に会う前だったかな、幼き日、剣術に磨きをかけようと山に入ったときのことだった」
幼い頃より剣の腕に自信があった謙信は、武者修行をしようと単身山に入った。
しかし、いくら腕が立つといっても子供の事、数十人はいようかという山賊に囲まれてしまったのだという。
「その時、私を助けてくれた少年がいたのだ」
「少年?」
「私と同世代で異人のような風貌の少年……後にも先にも、
私が敵わないと思ったのはあの少年だけだった」
謙信は遠い目をする。あの少年に再会したらあらためて剣の仕合を申し込みたい、
そのためにはもっと腕を磨かなくては、そう思った謙信は、その後も傲ることなく自らを鍛え続けたのだった。
しかし回想の間も、手だけは機械的に御飯を口に運んでいる。
「その少年が信玄だったというの?」
「このあたりで異人を見かける事はめったにない、だとすればあの異人風の男が
その少年の成長した姿だと見るのは間違っているだろうか?」
「……そうね、あんたの考えは正しいと思うわ」
愛はため息をついた。
「で、命の恩人に再会して、一目惚れしちゃったって事ね?」
「一目惚れ……?」
愛の言葉に、謙信は不思議そうに答える。
「確かに命の恩人ではあるが、あの男は我が上杉の敵、武田信玄だぞ?」
「でも殺せなかったんでしょ?」
「それは……何故なのだろうな」
謙信の手が止まり、目からひとしずくの涙が流れる。愛はハンカチを取り出すと、その涙を拭ってやった。
「む、おべんとついてたか?」
「ちがうわよ、もう、まったく、あんたったら自覚がないのね」
◇◇◇
勢い付いた武田軍が佐渡を完全制圧するには、ひと月とかからなかった。
上杉家の同盟国である北条家は、幾度か援軍を送ろうとしたが、
今までなら武田風林火山のうち二部隊しか北条に向かってこないところを三部隊で攻め込まれ、
佐渡に隣接する北条領さいたまを死守するので手一杯だった。
残された領地MAZOに追い込まれた上杉軍は、武田軍に対抗するため夜な夜な軍議を開いたが、
これといった解決法は見つからない。
「私の……責任だな」
その夜の軍議を終え、愛と二人きりになった謙信は、ふと弱音を吐く。
「謙信……」
「たとえ命の恩人であろうとも、信玄は我が敵、なのに私と来たら……」
佐渡に攻め込んできた武田軍は、決して大軍ではなかった。しかし、先陣には必ず紅の大鎧がある。
国主武田信玄を奉じる武田軍は士気も高く、どうしても弱腰になってしまう謙信率いる部隊を蹴散らしていた。
『軍神』謙信の度重なる敗退に、上杉軍の志気は、いやがおうにも下がっていく。
それから更に数日後、上杉軍は、武田軍のMAZOへの侵入を許してしまう。
「ふん、軍神が聞いて呆れるな」
謙信の叔父に当たる上杉県政は、蔑んだ目で謙信を見下ろした。
「少々腕が立つとはいえ所詮は女、国よりも色恋が大切か」
「……っ」
結果がこのざまでは、弁の立つ愛ですら県政には何も言い返せない。
「いっそのこと、上杉の家督を儂に譲って、お主は信玄の側室にでもなったらどうだ?」
「……」
無言で立ち上がった謙信に、県政が怯む。
「な、何だ?」
「……ひとまず、MAZOの武田軍を追い返してくる」
その夜、愛の作戦に基づく夜襲により不意打ちを食らった武田軍は、仕方なく戦線を後退した。
「やったわね、謙信」
「うむ……」
夜という事で、本陣には信玄の姿はなかった。だからこそ謙信も、持てる力を発揮する事が出来たのだ。
(あの方に会えない事に……私は気落ちしているのか?)
陣地を奪回したというのに謙信の表情は冴えない。
今宵の勝利も、謙信の落胆も、共に信玄不在が原因である事に、愛は気付いていたが。
(信玄が出陣しない時を見計らって攻めれば勝てるのだろうけれど……)
上杉の軍師としては、武田の侵攻を許すわけにはいかない。
例えば、卑劣な手段ではあるが、信玄を暗殺して上杉を勝利に導くという選択もあるのだ。
しかし、謙信の幼なじみとしての立場に立ってみれば、謙信の初恋とも言えるこの感情を応援してやりたい。
(困った事になったわね……)