7.禍きもの
◇2006/07/07
「上杉に続き、北条の瓢箪をお持ちしました」
「ご苦労」
本能寺の本堂。揺らめく蝋燭の炎が照らし出した信長の顔は、以前とはまるで異なるものだった。
飄々とした人なつこい印象はすっかり消え、邪神の如く目だけがぎらりと光っている。
青白い顔に大きな耳を持つ異形の男が、その信長にひよこたん瓢箪を渡した。
信長が受け取った瓢箪を床に叩き付けて割ると、中から黒い霧のようなものが湧き出す。
すうっとそれを吸い込んだ信長の目が、禍々しい光を宿した。
「これで四つ、か」
「ようやく半分まで取り戻せましたな」
「ようやく、ではない、まだ半分だ」
「はっ……」
信長は感触を確かめるように自分の体を撫でる。
「まだ、半分だ……我が復讐の時まではな……だが」
「ザビエル様?」
身体の確認を終えた信長──復活しつつある魔人ザビエルは、忌々しげに吐き捨てた。
「残る四つの瓢箪のうち、三つまでは忌々しい天志教が回収してしまった」
「はい、後は武田の瓢箪を残すのみです」
「上杉、北条を落として後、武田には大きな動きが無いそうだが……さて、どうするかな」
ザビエルはくくっと笑った。
「乗っ取った織田信長の身体の慣らしがてら、我の手で武田の瓢箪を入手するのも良いだろう……
過半数の瓢箪を割り我の力を取り戻さぬと、魔導と戯骸の復活が難しくなるしな」
ザビエルの笑い声が、本能寺本堂に、低く長く響いていた。
◇◇◇
柔らかいお餅にきなこと黒蜜をまぶした信玄考案の菓子、
通称『信玄餅』を食べながら、武田香、シィル、蘭の三人が談笑している。
「……っ!?」
蘭は手にしていた餅を取り落とすと、急に胸を押さえて苦しみ始めた。
「う……ああっ!」
「蘭さん?」
「どうしたのですか?」
別に餅を喉に詰めた風ではない。
「……く、が……」
「えっ?」
「『朱雀』が……っ、外に出ようと……」
その言葉にシィルの顔色が変わり、香は首を傾げた。ザビエルの使徒朱雀の事は、香は聞かされていない。
「すみません香様、ランス様と勝千代さんを呼んできていただけますか?」
「あ、はい!」
「カオスさんも一緒にと……」
香が部屋を出たのを確かめて、シィルは体を二つに折って苦しんでいる蘭を抱き上げた。
「蘭さん……」
「う……私……私どうなっちゃうの……っ?」
「……大丈夫、きっと大丈夫ですよ」
そう言いながらシィルは、懐の小さな包みを取り出した。「異変があったらとりあえず眠らせろ」との
カオスのアドバイスに従って、常に持ち歩いている眠り薬だ。
包みを開けて丸薬を口に入れお茶を含んでから、蘭に口移しで飲ませる。
「……」
ことりと蘭が眠りに落ちた所で、香に連れられたランスと信玄が部屋に入ってきた。
「とりあえず眠らせたか」
「はい」
静かな部屋に床を取り、薬で強制的に眠らされている蘭は、今の所は落ち着いている。
「どうだ?カオス」
「ああ、以前より使徒の臭いが強くなっておるな」
朱雀召喚を封印した事で落ち着きを見せていた蘭が、何故いきなり苦しみだしたのか。
そこに、天志教より急ぎの知らせが入る。
「どうした?」
「禍きものが……復活したとのことです」
漠然と感じていた不安が的中した事を、ランス達は悟った。
◇◇◇
「健太郎くーん」
「どうしたの、美樹ちゃん」
「性眼さんが健太郎君の事、探してたよ」
天志教本部の中庭で竹刀を素振りしていた少年は、ピンク色の長い髪の少女に声をかけられ手を止めた。
魔人復活の報せを受けてぴりぴりと緊張した空気の漂う天志教本部で、どこかそぐわない雰囲気の二人。
素振りをしていた青年の名は、小川健太郎。そしてまだ幼さの残る少女、来水美樹。
健太郎と美樹は、一見日本人に見えるが、この世界の『日本人』ではなかった。
素性のはっきりしない二人を周囲の僧達は訝しんだが、
健太郎が聖刀日光の使い手である事を知った性眼は、魔人復活の時に備えて密かに招聘したのだ。
健太郎の幼なじみだという美樹こそが、魔人たちを統べる魔王リトルプリンセスである事は、性眼も知らない。
「なんだか、すごーく怖い顔してた」
「えっ、僕、何か悪い事したかなあ?」
「……違うと思うなあ」
魔王とはいえ未だ覚醒していない美樹、それでも魔人の気配を感じる事は出来る。
「性眼殿がおっしゃっていた、JAPANの古き魔人ザビエルが復活したのかも知れません」
聖刀日光が美樹に相づちを打つ。カオスと同様、魔人を斬る刀である日光もまた、
魔人の気配を敏感に察知していた。しかも、日光にとっては500年前に対峙した相手だ。
「来たか、健太郎殿」
「はい、性眼さん、えっと、ザビエルが復活したって本当ですか?」
健太郎の一言に、性眼は僅かに動揺する。魔人の事は極限られた上層部にしか漏らしていないのだ。
「日光さんがそう言ってたんだけど、違うのかなあ」
「……ああ、聖刀日光殿か、その通り、魔人ザビエルが復活したようなのだ」
性眼は500年前のザビエル封印について、簡単に健太郎に説明した。
その場に立ち会っていた日光が、性眼の説明に補足を入れる。
「『月餅の法』にて封印するため、ザビエルを弱らせていただきたい」
「倒さなくても良いんですか?」
「奴が動けない程度まで弱らせれば、後はこちらで対処出来る」
「わかりました、頑張ります」
少々自信なさげに応える健太郎に、性眼は不安を覚える。
「間に合えばもう一人……魔剣カオスを扱う男が、加勢に来てくれるはずだ」
◇◇◇
「武田に宣戦布告……?それは本当に兄の……当主信長の意向なのですか?」
本能寺より訪れた信長直属の部下三笠衆と名乗る男に、香はもう一度問うた。
「もちろん信長様のご意向です、お疑いならこちらに書状も……」
「殿様は、これ以上領地を拡大する必要はない、といっていたぞ」
信長の不在を預かるアリオスも、三笠衆に疑問をぶつける。
「上杉、北条を滅ぼした武田が、いつ織田に牙を剥くか……信長様はそれを恐れているのです」
これは参謀でもある煉獄の入れ知恵だ。
ザビエルの復活は完全ではない上に、四使徒も全員揃っていない。
ザビエル自ら魔軍を組織して武田に向かうより、ザビエルの器である信長の立場を利用して、
織田軍を操り武田を滅ぼさせるべきだと、煉獄は進言した。
「……我が力に、不安があると……?」
「滅相もございません、ただ、日本人同士に殺し合いをさせ、ザビエル様はそれを見物されるのも一興かと」
「……なるほど、悪くない案だ」
三度にわたって封印された事で、ザビエルは日本人を異常なまでに憎んでいる。
「我の完全復活までの余興に良かろう」
原家足利家の残党に加え豊富な在野武将を吸収した織田軍による、武田大攻勢が始まった。
精鋭とはいえない少数の部隊が、武田領各地で波状に合戦を仕掛けてくる。他に敵対している勢力もなく、
織田との戦闘に全力を傾けられるので一つ一つの合戦に勝つ事は容易だが、合戦回数の多さには辟易する。
「強いわけではないが、鬱陶しいなあ」
上杉家と北条家を吸収している武田の方が、単純な武力では上回っている。
しかし、まるで死を恐れないかのような無謀とも言える織田の攻撃に、さすがの武田も手を焼いていた。
「兵法を心得ぬかのような織田の戦法、確かにやっかいですな」
軍師透琳も頭を抱える。
「各部隊を撃破しつつ、弱体化した所を一気に攻めるしか……」
重苦しい軍議の席に、天志教の使者が現れた。
「信玄様、性眼大僧正が『禍きものの居場所がわかった』と」
魔人ザビエルの件は、武田家天志教ともにごく一部の者にしか知らされてない。
そもそも魔人に詳しい者も少ないし、いたずらに不安を煽らない方がよいだろうとの判断からだ。
なので、天志教から連絡が来る時は、「魔人」とは言わず「禍きもの」と表される。
「……こんな時に」
「禍き者は本能寺にあるとの事です」
「本能寺……!」
信長が本能寺で静養しているという情報は、義風配下の忍びによって既にもたらされている。
信玄は使者を下がらせると、残った風林火山そしてランスとシィルに向き直った。
「……このたびの織田の攻撃、どうやらザビエルの画策らしいな」
信長がザビエルに利用されているのか、あるいは信長自身がザビエルの器になってしまっているのか。
どちらにせよ、このたびの武田攻めがザビエルの意向であるのは間違いない。
「復活までの時間稼ぎ、あわよくば武田の瓢箪入手、ってところだろう」
天志教からの文書には、ランスとカオスの協力要請も記されていた。
「……どうする?ランス」
「儂はザビエルを斬りたいぞ」
自分より先に応えるカオスを投げ捨ててから、ランスはあらためて腕を組んで考える。
強敵相手ならば、ランスが信玄に扮して陣頭に立たなくてはならないが、この度の織田軍は強敵とは言えない。
カオスを喜ばせるのは気に入らないが、まずは魔人討伐を優先するべきだろう。
「武田の防戦は風林火山に任せりゃなんとかなるか?」
「防戦に徹するのでしたら問題ありません」
透琳の頼もしい答えに、ランスも腹をくくる。
「ならば俺様は本能寺に行く、シィル、付いてこい!」