9.織田陥落
◇2006/07/07
信長──もう既にザビエルに乗っ取られてしまってはいたが──を失った織田軍は、
徐々に統制を失っていった。客将アリオスが陣頭指揮を取るも、織田の旧臣以外は戦意を失っている。
はなはなだしきは、合戦中、武将が部隊を引き連れて武田に寝返る事さえあった。
「織田を制圧するのも時間の問題だな」
急激に弱体化した織田軍。
ランスが紅の大鎧を着て合戦の場に立つ事も減り、本陣で指揮を取るだけとなっていた。
「美人武将は殺すなよ、俺様がお持ち帰りするのだー」
「……信玄のまま、そういう事は言わんでくれ」
そんな、ランス扮する信玄の指示に従い、一人の女性武将が本陣に連れてこられた。
身の丈よりも大きな弓を持った、旧足利臣下の山本五十六だ。
超神と一休の策略により、山本家の跡取りである山本太郎以下一族郎党を人質に取られ、
心ならずも足利の下で戦っていた五十六。その足利も織田に敗れ、
太郎が既にこの世の者でなかった事を知った五十六は、抜け殻のような状態で織田軍の一員として戦っていた。
「弓使い山本五十六……山本家最後の生き残りか」
合戦後入れ替わりを済ませた信玄の前に、五十六が引き出される。
「織田は滅びる、詳しくは話せないが、武田が成敗した信長は既に別人だった」
「……」
五十六は信玄の言葉を上の空で聞いている。
「武田のために働くなら首は取らぬ、どうする?五十六」
「……私の……」
ようやく五十六が顔を上げた。
「私の首など、何の価値もありませぬ……山本はもう、終わってしまったのだから……」
そう言って、髪をかき上げうなじを晒す。己を斬首しろとの意思表示だ。
「……そうか」
信玄は刀を抜いた。覚悟を決めたもののふに情をかけるのはかえって失礼というものだ。
その刃が白い首筋に振り落とされようとした瞬間、ランスが飛び出して信玄の刀を奪い取った。
「こんな美人を殺すなど、もったいない事をするな!」
「ランス、それは武人である五十六にとって、最悪の侮辱だ」
「信玄公のおっしゃる通りです」
五十六は体を震わせ、目に涙を溜めている。
「異人である貴方には解らないでしょう、全てを失い戦いに敗れた者の悔しさなど……」
「全てを失っただと?」
五十六が足利に騙されていた事は、ランスも聞いている。
「まだお前が居るではないか、山本家は終わっていないだろう?」
「私は女です……山本の家訓で、女が当主になる事は認められていません」
「だったらお前が男子を産んで次の当主にすればいい、お前が死んだら山本の血は完全に絶えるのだぞ」
「……!」
ランスの言葉に五十六の顔色が変わった。更にランスがたたみ掛ける。
「お前は山本家最後の一人なんだろう?家が大事なら命を粗末にするな」
ランスの言葉で考えを改めた五十六は、武田に下る事を承知した。
「……まあ、ランスにしてはいい事を言ったと思うよ」
「『にしては』て、どういう意味だ!」
「いや、これでも感心してるんだけど?」
城に戻ったランスと信玄は、シィルが淹れたお茶を飲んでいる。
「良い奴なんだが何故か女っ気がない、ってのが家中に何人もいるから、そのうち五十六に紹介してやろう」
「ならーん!」
信玄の言葉にランスが吼えた。
「五十六ちゃんは俺様が頂くのだ、他の男になぞやるな!」
ランスが吼えるのを聞きながら、信玄はちらりとシィルを見る。シィルはほんの少し哀しそうな顔をしたが、
いつもの事と諦めているのかすぐに無難な表情に戻った。
「いいのか?ランス、それはお前が、山本の入り婿になるって事だぞ」
シィルの肩が、ぴくりと動く。
「結婚などせんわ、子作りを名目にすれば、あの美人といつでもウハウハだ」
「結婚はせずタネだけ提供か……それで彼女が納得すればいいけどな」
「ぐふふ、作戦はもう考えてある」
ランスは信玄をびしっと指さした。
「作戦名は『信玄のふりして五十六ちゃんゲットだぜ!』」
「……?」
「信玄は武田の当主だから山本の婿にはなれん、だが子作りには協力してやる、と持ちかけるのだ」
信玄は呆れたように肩をすくめた。
「いいけどさ……産まれた子供は武田とは無関係だと、念書は取っておいてくれよ」
◇◇◇
そして宣言通り、ランスが五十六に与えた私室に通うようになってしばらく経った。
「五十六はなかなか妊娠せんな」
ランスが居なくて暇を持て余しているシィルを、信玄は部屋に呼んだ。
「もうお酒はいやです」と言うシィルのために、お茶と新作の菓子を用意してある。
「そういえばシィルも全くだし、ひょっとしてランスは種なしか?」
「あ、違うんですよ、ランス様には避妊魔法を掛けているんです」
「避妊魔法?」
大陸の魔法に相当する陰陽にも、そんな系統の術があると聞いた事はある。
「……ランスは、五十六に跡取りを作ってやる気はないのか?」
「……その方が、私にとってはいいんですけど……」
そこまで言ってシィルは一度言葉を切った。
「でも……それでは五十六さんが気の毒です」
「……ごめん」
シィルの気持ちを計算に入れていなかった事にようやく気付き、信玄は頭を下げた。
「勝千代さんが謝られる事じゃないですよ」
無理に作ったシィルの笑顔に、信玄の胸が痛む。
「……しかし、まあ五十六が妊娠しないのは、いろいろ問題だな」
子作りを条件に部下にしたのだから、子供を作る気がないというのは、約束を反故にする事になってしまう。
「俺が……武田の当主が種なしだと思われるのも困るし」
「……」
信玄は、黙って俯くシィルの肩を軽く叩いた。
「シィルには悪いが……一度ランスと話し合う必要がある」
そして。
シィルを連れたランス──五十六は信玄だと信じている──が、五十六の部屋を訪れた。
「シィル殿……?」
「失礼します、五十六さん」
ぺこりと頭を下げるシィルに、五十六は不思議そうな顔をした。
「あの……五十六さんに懐妊魔法を掛けさせていただこうと思って」
シィルの言葉に五十六の表情が明るくなる。
なかなか妊娠しないのは自分のせいではないかと、五十六も悩んでいたのだ。
神社で子宝祈願をしたり各種の民間療法を試してみたりと、五十六なりに努力をしていたが、
避妊魔法が有効なままのランスの子を孕む事は当然出来なかった。
「信玄様にも魔法はかけてあります、より懐妊を確実にするために五十六さんにも……」
「シィル殿、ありがとうございます!」
はらはらと涙を流しながらシィルを拝む五十六に、シィルはばつの悪さを感じている。
「……いえ……私にお手伝いできることは、これくらいしかありませんから……」
渋るランスに、最終兵器「だったら五十六に別の男を紹介するぞ」を出した信玄。
ランスがシィルの顔色を窺いながら避妊魔法解除を承諾するまでは、たっぷり一時間を要した。
「ちぇっ、五十六ちゃんとウハウハもこれで最後か」
残念そうに嘆息するランスを見て、信玄はふと気が付く。
(ああ、一応こいつなりにシィルに気を使っているのか……)
五十六に懐妊魔法を掛け、部屋を出たシィルを待っていたのは信玄だった。
「……良かったのか?」
笑顔を貼り付けたまま肯くシィルの肩を、信玄はそっと抱いた。
「シィルには辛い事をさせてしまったな」
虚ろな笑顔のまま、シィルは首を横に振る。信玄はシィルを連れて天守閣に上がった。
「シィル、ここなら誰にも聞かれないから」
「……っ」
信玄が木戸を閉めると、シィルは床に伏して静かに泣き始めた。
「ごめんなシィル、ランスが他の女を妊娠させるなんて、本当はいやだよな」
JAPAN、それも有力大名であれば、正室以外に側室を何人も持つ事も珍しくはない。
もちろん大陸でも似たような風習はあるが、ランスは一介の冒険者、そしてシィルは貴族ではない普通の娘だ。
愛する男性が他の女性との間に子を設ける、それがどれだけシィルの負担になるのか。
戦国に生きる信玄にはその程は解らなかったが、今のシィルが酷く傷付いている事だけは解る。
「……いいんです、ランス様はああいう方だから……覚悟はしてました……いえ」
ゆっくりと頭を振りながら、シィルは顔を上げた。
「してたつもり、だったんですけど……やっぱり……いざとなると……」
笑顔を作って見せながらも、シィルの双眸からは後から後から涙が溢れる。
シィルを抱き寄せようとした信玄は、すんでのところで思いとどまった。
シィルに向かって伸ばした手で、抱きしめる代わりにシィルの頭を軽く撫でる。
シィルが愛しているのはランス、そしてランスも本心ではシィルを大切に思っている事に気付いてしまった以上、
そこに信玄が割り込む事は出来ない。気付かなければ、躊躇する事もなかった。
(俺は……シィルを泣かせるようなことはしない)
両手で顔を覆って泣いているシィルからほんの少し距離を取ったまま、信玄はシィルの頭をずっと撫でていた。
◇◇◇
織田の同盟国を制圧し、尾張での最終決戦。
久しぶりにてばさきに跨ったランスは、難なく勝利を収めた。
「アリオスは見つからんのか!」
足軽として戦場に出ていた織田香以下、織田の重臣は全て捕縛したが、
指揮を取っていたはずのアリオスは姿を消していた。過去の因縁から、アリオスだけは自分で討ち取ろうと
執念を燃やしていたランスだったが、必死の探索にもかかわらず、アリオスを見つける事は出来なかった。
「大将のくせにしっぽ巻いて逃げ出しやがったか」
「もう諦めろランス、それより織田の香姫のケアをしてやるほうが重要だ」
「兄が……兄ではなかったというのですか?」
兄を失い国を失った織田香。織田陥落までは幼いながらも国主代理として気を張っていたが、
さすがに今はすっかり意気消沈してしまっている。
「織田香、君には真実を知らせておくべきだろう」
信玄は、ようやく往来が可能になった天志教領から性眼を招き、
魔人ザビエル復活までの経緯を、香に全て話して聞かせた。
最初は疑いの表情で聞いていた香も、話が終わる頃にはどうにか納得したようだ。
「織田のひよこたん瓢箪が割れたあの日から、確かに兄は人が変わってしまいました」
香もまた、信長の身に起きた異変を、信玄達に打ち明ける。
「信玄公は兄の仇などではなく、むしろ、兄を魔人から解放してくださったのですね」
「……だが、信長公を取り戻す事は出来なかった……済まない」
「お顔をお上げください信玄公、責められるべきは、
兄が魔人に乗っ取られてしまった事に気付かなかった、私達織田なのですから」
気丈に笑ってみせる香に、信玄はもう一度頭を下げる。
まだ、信長の仇討ち、すなわち魔人ザビエル討伐は終わっていないのだ。
「ザビエルはまだ生きている可能性がある」
本能寺で追いつめたザビエルを取り逃がしてしまった事。
さすがに魔王リトルプリンセスの話は伏せたものの、魔人を斬る事が出来るカオスと日光の事。
さらに、天志教の秘法である月餅の法で魔人の再封印が可能な事を香に告げ、協力を仰ぐ。
「判りました、我ら旧織田家中、信長の仇……いえ、JAPANに仇なす魔人ザビエル討伐のため、
全力を尽くしましょう」
織田香の説得、そして天志教大僧正性眼の口添えで、旧織田軍は武田に吸収される事になった。
それでも納得せず抵抗を続けていた織田の残党を完全に掃討した頃、五十六の妊娠が発覚する。
「この子は父親不詳で育てますのでご安心ください」
生まれてくる子が男か女かはまだ解らない。だが、山本の血が繋がった事で、五十六はほっとしていた。
「シィル殿には、本当にお世話になりました」
「え、いえ……」
胸中まだ複雑なシィルは曖昧な笑顔で応えるが、五十六は気付いていないようだ。
ただ、申し訳なさそうにシィルに頭を下げる。
「信玄公の種を頂くのに、正室たるシィル殿の手を煩わせてしまって……」
相変わらずランスを信玄だと思いこんでいる事は明白だが、五十六の言葉は偶然にも真実を突いていた。
勘違いから来たものとはいえ、五十六の誠意はシィルの心を少しだけ楽にする。
久しぶりに晴れやかな気持ちになったシィルは、ようやく否定すべき部分に気付いた。
「せ、正室?」
「違うのですか?武田の香様に伺ったのですが」
「ち、違います、全然違いますっ!」
「そこまで否定されるとちょっと傷付くなあ」
「うわーん、勝千代さん、そこは否定してくださいよう」