深宮
細い体躯には酷にも思える程の質量を収めきったエリウッドは、蕩けきった顔で吐息を漏らした。
短くはない時間をかけて慣らした肉は剛直を歓迎するようにうねり、甘えるように収縮する。
組み敷いたその身体は時折ひくりと震えるが、その反応は明らかに快楽に由来するものだと恍惚とした瞳が示している。痛みや苦しさなどかけらもなさそうな様子にヘクトルは安堵した。
これならば動き出しても平気だろうと白い太股を掴んだその時、はっとしたようなエリウッドが、待ってくれ、と少しうわずった声を上げた。
「? どうした」
「ん……く…、ふぅ…っ、……その、まだ…しばらくの間、動か、ないで、くれないか……」
予想だにしなかった言葉に、思わず眉を寄せる。エリウッドの様子を見てもう大丈夫だろうと判断したのだが、性急だっただろうか。負担を強いていたのか。
顔をしかめるヘクトルを見て、機嫌を損ねさせたとでも勘違いしたのか、「……すまない、だめならいいんだ」とエリウッドは控えめに続ける。
「駄目じゃねえけど、きついんだったらはやく言えって。俺はおまえに無理させる気は」
「ち、違うんだ。どこも辛くなんてない」
ヘクトルの危惧は慌てた声で遮られた。
その上「身体は平気だ。君がこんなに大事に、してくれているから」なんてはっきりと、真摯なまでに言い募る。真剣な表情だが頬も耳も真っ赤だ。そんなエリウッドの姿に、なんだかこっちにまで照れがうつってしまったので、おう、とだけ短く返した。
受け入れるのが苦痛という訳ではないならば、よかった。
ではさっきの言葉は一体どういった意図なのかと思った矢先、エリウッドが口を開く。
「しばらくこうして抱き合っていたいと望んだら……、君は許してくれるかい?」
どうやらそれがエリウッドが言いたかったことのようだ。
しかし。
「……そりゃつまり、ここに来て俺はおあずけ食らうって訳か?」
「え?」
挿れる前に言ってくれるのならまだしも、どうして今、よりによってこのタイミングで言い出すのか。
もしエリウッドがその身体を苦痛に強張らせていたのなら、落ち着くまで抱き締めて、いくらでも待ってやれただろう。しかし、目の前のしなやかな肢体は全身でヘクトルを受け入れ、その吐息は熱く、瞳は快楽に潤みきっている。柔らかく湿った肉にみっちりと食まれて、限界まで育った怒張の脈打ちがどくどくと痛いぐらいに響いている。こんなエリウッドを前にして、こんな淫らな肉に包まれて、動かずに抱き合ったままだなんて、生殺し以外の何だというんだ。
今すぐにでも本能のまま、その中をぐちゃぐちゃに突いて味わい尽くしてやりたいぐらいなのに。
「おあずけ……?いや、僕はそんなつもりじゃなくて、君に……、ひゃ、ッ!なっ、ヘクトル!まだ動くなと言って、あ、やぁあっ!」
「へえ?じゃあどういうつもりなんだ、よっ」
「ひぅ、んんんっ!!」
わかっているのかいないのか、素知らぬような事ばかりを言う仕返しに、ぐりぐりと奥を責め立てた。それだけで、呼応するように身体が跳ね、甲高い鳴き声が上がる。
交合を重ねるうちにヘクトルの形を覚えて拡がった柔肉は、奥まで突き入れただけで悦ぶようになっていて、硬い熱にすがりつくようにきゅうきゅうと蠢く。蕩けた肉壁がまとわりつくのを感じながら、ぐりゅぐりゅっと奥を捏ね回してやる。ヘクトルにとっては児戯にすらならないような動き。なのにそれはエリウッドからすると全身を粟立てて善がらずにはいられないくらいに、たまらないらしい。
「ふぁあああっ!んんっ、ぁッ!あッ!」
「『しばらくの間』?こんな身体でよく言えたもんだぜ、おまえの方が耐えられないんじゃねえのか、エリウッド?」
「ひぁっ、やあぁっ、ちがっ…………ぁ、あ、んぁ!」
のしかかるヘクトルの胸板を押し返そうとするが、力の入らないエリウッドの腕ではまるでびくともしない。叶いはしなかったその抵抗をも咎めるように先っぽで擦ってやれば、身体をがくがく痙攣させて、エリウッドの足が爪先までぴんと伸ばされる。奥への刺激に悦んで、もっとほしいといわんばかりに引き込もうとする柔肉とは裏腹に、エリウッドはそれでもまだ拒むように首を振った。真っ白なシーツの上で、ふるふると紅い髪が揺れる。
「やあぁ、ぁ、待て、たのむ、……ぁあ、っんぁ……!
まって、おねが……っから、ヘクトル、ヘクトル……っ!」
あまりに切羽詰まった様子で訴えるので、動くのをやめてエリウッドを見つめる。
ヘクトルの動きが止まってもエリウッドは快楽の余韻に襲われ続けているようで、身体も内部もひくひくと震えていたが、必死に呼吸を重ねて強張りを解き、落ち着きを取り戻そうとしている。
「っ…うぅ…ぁぁ、…はー…っ……はぁっ………は……」
そんな懸命な姿に、エリウッドの話をよく聞きもせず、知らず知らずむきになってしまったことへの罪悪感が芽生えた。
エリウッドがなんとか口を開こうとすると、口内に留めておけなくなってしまった涎が溢れて、くちびるの端からつうっとこぼれる。ヘクトルはその口元に顔を寄せ、糸を引くしずくを舐めとった。そのまま唇へ、宥めるように軽く口付ける。
「……ん」
「ぁ、……ふっ……あ……ん、んぅ……」
額や目元にも口付けを落として頬を撫でていると、エリウッドの呼吸が落ち着いてきた。視線を合わせて、先程言いかけていた言葉の続きを促してやる。しばらくこちらを見返していたエリウッドは、恥じ入るように目を伏せた。
「…………君に揺さぶられるといつも……、僕はまともではいられなくなってしまう。逆らえない、熱い奔流の中にいるみたいだ。
理性を保っていたいと思うのに、すぐに考えることもできなくなる……」
本当に、今日のこいつは予測がつかないことばかり言い出す。
確かに、中を穿ってかき回してやると、いつもエリウッドの意識はたやすくどろどろに溶けていく。うつくしい顔を涙と涎に汚し、はくはくと開閉する口からこぼれる甘い声の中で、意味を持つ単語と言えばヘクトルの名前くらいだった。
抱いている側としては、愛しく思う相手がそこまで乱れてくれるのは願ったり叶ったりなのだが。交わる時には理性なんて手放した方が楽だとばかり思っていたし、エリウッドも同じなのだろうと勝手に捉えていた。
しかしそれは、エリウッドの本意ではなかったのか。
「そうなっちまうのは嫌か」
頬に手を添えたまま訊ねた。伏せられていた空色の目がまっすぐにこちらを見返す。
「我を忘れると……言いたい言葉もしてあげたいことも、全部吹き飛んでしまう。
ヘクトルに愛されるばかりで、僕は何も返してあげられない。それが嫌だ」
淀みのない、静かな熱が込められたいらえが返る。頬に添えられたヘクトルの手にエリウッドは自分の手を重ね、柔らかく包み込んだ。
「だからヘクトル、こうして君を感じていたい。君に伝えたい、君に触れたい──僕も君を愛したい」
いとしさを音にして紡いだような声が、その響きだけで魂の一番深くを揺さぶってくる。
「嬉しいんだ……僕の真芯に、君がいるのが」
うっとりと夢のように甘やかなその笑みに、呼吸することすら忘れ見惚れて、
──言葉の意味を真に理解した瞬間沸き上がる、自分でも全容の分からない衝動を、ぎっ、と軋むくらいに奥歯を噛み締めてこらえた。こらえたと思った。全身どこもかしこも血が沸騰しているようだった。頬は火に炙られたかのように熱を持ち、耳なんて熱すぎて千切れそうだ。心臓が忙しないほど激しく脈打つ。
エリウッドがひゃ、と息を呑む。恥じらいに頬を染めて、戸惑ったように眉根を寄せるのを見て、自分がすべてをこらえきれてはいなかったことを痛感する。エリウッドは文字通りに直結している分、むしろヘクトル本人よりも、身をもって思い知らされる羽目になっているはずだ。本当に格好がつかない。だが取り繕いようがない。
「んうぅ、ふ、ぁくっ……き、君って男は……さっきから、大人しくしていられないのか?僕はまじめに話をしているのに……」
「ッッッ、この状況で無茶言うな今のは不可抗力だ!っつうか俺の身にもなりやがれこれでも相ッ当我慢してんだぞ!」
互いの腹に響くのも気にせずに捲し立てた。なかば逆上ではあったが、そんな言い草をされて黙ってられる訳がない。いやそもそもの原因はこいつだ。
「我慢してんのに、なのにおまえは……、おまえ、が」
言葉が続けられない。先程のエリウッドの笑みと声が頭に焼き付いて離れない。至上の幸福を享受しているかのような姿が。
そんなヘクトルの様子をしばらく黙って見ていたエリウッドだったが、やがて笑って口を開いた。
「なら折角だから、もうしばらく僕のために耐えてくれ」
今度ははっきりとしたおあずけ宣言だった。
そう言って笑ってはいるもののエリウッドは首筋まで赤くなっている。流石のこいつも先程の言葉を言ってのけるのに、まったくの羞恥を伴わなかった訳ではないようだ。
そしてきっと自分も同じくらい真っ赤になっているだろうことは、見なくたって分かる。
「……言っとくけど、俺の我慢が保つとこまでだからな」
そう宣言はしたものの、一度こうと決めてしまえば、ことエリウッドに関するヘクトルの辛抱強さは自他ともに驚くほどのものだ。
このまま抱き合うことがエリウッドの"お願い"だと言うのなら、自分はきっと彼が満足するまで聞き入れてやるだろう。
エリウッドが瞠目したあと、ヘクトル、と花が綻ぶように笑うのを見て、はなから俺がこいつに敵う訳がなかったな、と思い知る。
結局のところ、この親友に対して、自分はすこぶる甘いのだ。
エリウッドが身じろぎする。ん、んん、と鼻にかかった甘い声を漏らしながら腰を揺らめかせ、もぞもぞとしている。
肌と肌がよりぴったりとくっつくように、いちばん心地よい場所、いちばん気持ちのよい角度を探り当てている様子だった。
親猫の懐で、寝心地の一等いいところに落ち着いてまどろむ仔猫のような、素直なあどけなさでそんなことをされるのだから、こちらとしてはたまったものではない。
ヘクトルの頭に意趣返しが閃く。散々心をかき乱されておあずけを食らっているのだから、これくらいの仕返しならいいだろう、と勝手に決めた。仰向けに伏せているエリウッドの上体を、ぐいっと引っ張り起こした。もちろん繋がったままだ。
「ひゃ、ぁ!?な、なにを…!」
嬌声混じりの抗議を無視して、自分の膝の上に乗り上げさせる。
「っ、ぁああっ!?」
鋭い角度で内部を抉られ、エリウッドはびくびくと天を仰いだ。対面で抱き合うような繋がり方で、入り込む度合いは否が応にも深くなる。
うごかないっていったのに、と息も絶え絶えに潤んだ目で睨んでくるエリウッドに、動いてねーよ体勢変えただけだ、としれっと返す。手をとって、自分の肩に回させた。
「くっつきてえんなら、こっちのがおまえの希望にかなってるし」
それに、と続ける。
「ハメられっぱなしでいたいんだろ?」
きみはひどい、と涙声でなじる響きはあまりにも甘く、睦言以外の何物でもない。
ひでぇのは一体どっちだか、とヘクトルは内心で一人ごちた。
───
少し硬くてくせのある蒼い髪に手をやって撫でると、面映ゆそうな表情を浮かべる。もう大人の男と言っても差し支えないくらいに精悍な顔立ちをしているヘクトルだが、そんな表情をすると一気に子どもじみた印象になる。たまらずに額に口付けた。
先ほど不埒なちょっかいは出されたものの、ヘクトルは願いを聞き入れて、大人しくしてくれている。
「……ふ、……ぁ……ヘクトル……すきだ、好き、ヘクトル……」
「……エリウッド」
愛しさのままに気持ちを伝える。
「君に満たされるのは気持ちが良くって…、こわいくらいにしあわせなんだ」
ヘクトルのかたちで拡げられている、この上ない充足感に酔いしれる。
いつもは繋がってしまえば理性がどろどろに溶けてしまうせいで言えなくなる思いを、こうして言葉で告げることが出来る。その、嬉しさと言ったら。
真っ向から告げられたヘクトルは、唇を引き結んで赤くなっている。その反応も何一つこぼさずに見ていたいと思う。照れている彼は返答を探しあぐねているらしい。口を開くまで待てずに訊いた。
「ヘクトル、ヘクトルは?君は?」
「…………言わなくったって分かってんだろうが」
「いやだ、君の言葉で聞きたい」
「おまえな…」
ほとほと参ったような声音に負けずに、重ねて問う。
「僕の中は、きもちいい?」
今日の自分はやはりどこか箍が外れてしまっているようだ。気付いた時には思ったことを滑らかに口にしている。
ヘクトルがぐっと眉間にしわを寄せ何かをこらえるように息を吐く。それから目を細めた。凶猛な肉食獣めいて見える貌。
「よすぎて、たまんねえ」
息を呑んだのはどちらだったのだろう。両方かもしれない。ヘクトルの言葉に、柔肉が分かりやすいほど悦んできゅうきゅう食いついたせいだ。
「───っあ、えっ?」
ぞく、と何かが背筋をかけ上る。
身体の奥の奥に未知の感覚があった。
もうこれ以上は入らない、と思っていた場所が蠢いて、肉棒の先端の存在を強く認識するような錯覚をおぼえる。
「な、に?や、やぁ、待って、へく、へくとる…」
「エリウッド……?」
エリウッドの言葉に不思議そうな顔をするヘクトルは、まったく身体を動かしてはいない。
ならばこれは?これは……、
唐突に訪れた衝撃により、エリウッドの思考はそこから続かなかった。
ぐぷん、と最も深い場所を通り抜ける感覚。
「────ッッッ!!!!」
あまりの衝撃に息が吸えない。最奥だと思っていた肉壁のさらに奥。そこへ侵入され押し広げられて──、いや、柔らかくなったそこが自分からヘクトルを迎え入れて飲み込んでいた。視界が一瞬真っ白になる。過ぎた快楽に全身から汗が吹き出し鳥肌が立った。結腸の入り口へと受け入れた亀頭が嵌まり込んで、それだけで頭がおかしくなりそうなのに、痙攣する肉は剛直を勝手に激しく揉み混む。
「ッぁあ"あ"あ"あ"!!!う"あ、あ、ぅあ!は、…あ"ぁ、は、ぐっ……!?」
「ッ、エリウッド、おまえ、これっ……」
結腸からの愛撫とキツい締め付けに思わず呻いたヘクトルが困惑したような声を上げたが、圧倒的な快楽の前にエリウッドは返事もできなかった。勝手に腰が跳ねて、その動きが刺激になり自分を追い込む。止まらない快感に、がむしゃらに目の前の身体にすがりついてしまう。
「やあ"ぁ"っ、なに、なん、でぇっ…ぁ、おく、おくっ、こんな、きもち、い、っあぁあ、ひぁ!ッ!!」
初めて知る桁違いの快楽よりも、身体の奥の奥を開いてまで彼を求める、目眩がするほどの浅ましさが恐ろしかった。ヘクトルの目にはこんなにも貪欲ではしたない自分がどう映っているのか。
ヘクトルがとてもやさしい男だということを、誰より一番知っている。けれど、彼も、自分でさえも、こんなにあさましい本性が潜んでいるなんてなんて知らなかった。
やさしい彼でさえ、呆れるかもしれない。幻滅するかもしれない。こんな風になってしまった、色狂いのような自分のことを。そう思うとすうっと肝が冷えた。
ヘクトルの心が遠ざかっていってしまうのが、一番怖い。
どうにかしたいのに、絶え間ない快楽に浸されているせいでどこにも力が入らなかった。身体がまるで言うことを聞いてくれない。そのくせいちばん恥知らずな最奥は、大好きなヘクトルの硬い肉を悦んで食い締めている。自分ではもう何をすることもできずに、臓腑から生じるすさまじい快楽に身を焦がされる姿を、ただ彼の前にさらすしかない。
「……や、ぁ!!…ふ、ぁ…あぁ、……は、ぁあ、ぁ……っ…!!……っっ!!」
感情の制御が利かない。どこかが壊れてしまったように、涙が溢れ出す。いくらまばたきして涙をこぼしても、水分がみるみるうちにまた溢れて、たまっていった。薄い膜を隔てたようにぼんやり霞んで、輪郭を失っていく視界。彼が一体今どんな顔をしているのか確かめるのは怖いけれど、彼の姿がぼやけるのは嫌だ。
不意に、目元にキスを落とされる。唇で涙をぬぐわれたのだと気付いたとき、視界は一気に明瞭になっていた。
「泣くなよ、大丈夫だから」
はっきりとした視界で、ヘクトルは愛しげにこちらを見つめている。その表情で、自分の不安はすべて杞憂だったと悟る。
宥めるような、安心させるようなその声を聞いただけで強張りが解けた。緊張がなくなった身体に、信じられないくらい快感が増す。
「へくと、る……ヘクトル……、ぁ……」
「……おまえの全部、許してくれてるんだな」
感慨すら感じられるような声でヘクトルは言う。
いきなり、ぐっ、と意思を持って腰を進められて、肉茎が更に深くに入り込む。一瞬、何が起こったのか分からず、思考が出来なくなる。自身の感極まったような嬌声も、自分が吐精していることも、エリウッドは認識できなかった。ただただ快楽の波にさらわれて、全身が蕩けるようだった。
ぼんやりした思考の中で、ずっと耐えてくれていたヘクトルが動いたんだ、と気付いた。
腰を甘い震えが襲う。最奥に受け入れていただけで、身も世もなくよがり狂っていた自分は、このままヘクトルに突かれたらどうなってしまうのだろう?
獰猛な──ありったけの欲と深い熱が燃えたぎる蒼い瞳に射抜かれる。その瞳には期待に震える自分の姿が映っていた。
「もう我慢できねえ。……エリウッド」
熱く濡れたような低い声で耳元に吹き込まれる。狂おしいほどに求められているその響き。全身が歓喜の予感にわなないた。
「うん、……いい、よ。ヘクトル……」
くちびるを笑みの形にほころばせ、エリウッドはいとしい腕にその身を委ねた。