凄い。凄すぎる。そりゃもう凄かった。
なんたって気付いたら、部屋が牧師で埋まっていたのだ。およそ百人くらい。
狭苦しい安ホテルの部屋が、黒服のウルフウッドたちで埋まって、廊下にまで溢れ出している。
その喧騒ときたら、とんでもない騒ぎだった。
やれ腹がへっただの、ぶつかって喧嘩になったり、我先にとヴァッシュの前に出ようとしたり、目立とうとしたり。金をじゃらつかせたり、音痴な歌を歌っているのまで。
「なにこれ……」
ベッドの上で起きたばかりのヴァッシュは、その騒ぎに、ただひたすら目を瞠っていた。
うーん夢かな。夢か。
そうかもう一回寝よう。
ころんとベッドの上に寝転がると、そっと肩を揺り起こされた。
「なんだよ」
顔を向けると、至近距離に男前の顔が迫っていた。
ウルフウッドがのしかかっていた。
とたんヴァッシュに、動悸息切れ眩暈が襲い掛かる。
抜け駆けやーと抗議する他のウルフウッドらを無視して、目の前のウルフウッドは、ふわりと優しげに微笑んだ。
「好きや」
うわー!! 夢だ。
間違いなく夢だ。
「ヴァッシュ……」
顔がさらに迫る。
うわわわ。キスされそう。
ああ、でも。あああ、でもでも。
いい匂いがするし。オーデコロンだろうか。
髪の毛は洗い立てでさらさらだし、シャツは真っ白だしスーツには埃ひとつないし、きっと靴下には穴ひとつ開いてないんだろう。
汗臭くないウルフウッドなんて、絶対に本物ではない。でも、夢だから、まあいいか。
ギャラリーのウルフウッドたちが、ぎょわーとか悲鳴をあげる(けど、邪魔はしないらしい)
中、ヴァッシュは目を閉じて受け入れ態勢を整えた。
しかし、唇が重なろうとするその前に、ひとりの闖入者が飛び込んできた。
「トンガリ! ええ加減にせいよ〜!」
ウルフウッドだった。まあ、どこもかしこもウルフウッドだらけなのだが。
ウルフウッドたちの人垣を越えられず、闖入者のウルフウッドは遠くから苛々と怒鳴った。
「ええから、とっとと起きんかい! どえらい迷惑や」
「えっと……もしかして、君、本物?」
そうヴァッシュが聞くと、その101人目だかのウルフウッドは、顔をしかめた。
「本物やとか偽者やとか、どうでもええから、はよ目ぇ覚まし。現実ではなぁ、お前、病院にいるんやで! 寄生虫に眠り病感染させられたーとかで、治ったはずやのに起きへんから、ワイがこんな目に遭うんや。しっかし、なんでこないな夢……うわっ押さんといてや!」
ぐだぐだ言い続けるウルフウッドは、ほかのウルフウッドたちの人波に押されて、再び廊下へと出されていったようだ。
もう顔も見えないが、手を振り上げて喚いている。
「……トンガリ! はよ目ェ覚まさんかい、こんボケ――――!!」
「夢……病院、だって?」
がんがんと頭の中で警鐘が鳴っていた。
これが夢だとして、どうやってウルフウッドが呼びに来たのかは知らないが、さっきのが本物だとすると――――ヴァッシュがウルフウッドのことを、夢に見るほど執着しているのがバレバレになったということだ。
「うわー! どうしよう……」
羞恥にそこらじゅうを転げまわってしまいたい、とヴァッシュが頭を抱えると、さきほどの色男のウルフウッドが、そっと手をとった。
「安心せい、ワイは本物や。ほかのやつなんぞ、気にせんでええて」
心まで染み入るような笑顔を見せられて、理性もなにもかも、ぐだぐだに蕩けてしまいそうだった。
「ああっ……ウルフウッド……」
でもやっぱり、気になる。
「ゴメン、ちょっと待ってて!」
色男のウルフウッドをベッドに置き去りにして、先ほどのウルフウッドの後を追った。
スポーツカーを乗りつけるウルフウッドや、ボディビルダーのように筋肉を見せ付けているウルフウッド、暇つぶしにポーカーをやり始めるウルフウッドたちを避けて、廊下にまで出た。
廊下もウルフウッドたちで一杯だった。
ヴァッシュが来ると、とたんに沸き立つウルフウッドたちが周囲に群がるので、それを掻き分けて進むのは苦難のわざだった。
行く先々でウルフウッドたちが、手を握ってくれだとか付き合ってくれだとか、差し入れまでくれたりして、なんだかスターに群がるファンのようだ。
「ウルフウッド、さっきのウルフウッド!」
先ほどのウルフウッドは、一目でわかった。
ひとりだけ、砂埃で白く汚れたスーツを着て、髪もぼさぼさ、よれよれのシャツによれよれのズボンをはいているからだ。
人波に押され押されて、ここまで流れついたらしい。
どうにか話のできる距離まで近づくと、ヴァッシュは話を切り出した。
「君はどうやって、ここまで来たんだよ」
「どうって。保険屋の嬢ちゃんらが、民間伝承で同じ夢を見る方法があるっちゅうて、いきなりハンマーで殴られたんや。せやけど、どうにか成功したようやな」
物思わしげに周囲を眺めて、嘆息した。
「……ここでのことは、忘れたる。はよ、戻ってき」
「で、で、でも」
ヴァッシュは、おろおろと言葉を探した。
「どうやって目を覚ませばいいのか、分からないんだ」
「……たく、しゃあないなぁ」
ウルフウッドは、ばりばりと頭を掻き毟ると、ほれと手を差し出した。
ヴァッシュが何の気もなしに握り返すと、ぐいと引かれて、相手の胸板に鼻をぶつけた。
「あいたっ」
煙草と汗のかすかな匂いがした。ぎゅうと抱きしめられて、ふわりと体が浮いた。
ウルフウッドが、ヴァッシュもろとも窓の外に身投げしたのだ。
「おわ――――――――――――!!!」
たまらず、相手にしがみついた。
耳元で、びょうびょうと風が鳴る。このホテルは、何階建てだったのだろう。かなりの時間落ちても、下に着く気配がなかった。
ウルフウッドは、風に声が飛ばされないよう、ヴァッシュの耳元で囁いた。
「せやから。夢や、いうとんねん。お前が下に着くのを拒否してるから、着かへん。お前が夢を見ていたいと思うから、醒めへんのや」
「でも! 君が本物だってのは、認めてるよ。何がいけないんだ!?」
「……好きやて、認めたくないんやろ、ワイのこと。お前、現実ではワイのこと、気にするそぶりもなかったしな」
胸を突かれる答えだった。
「でも……だって、そんなの許されるわけがないし。俺はいつだって皆、同じように好きで……愛しているんだ。そうでないと……」
叩きつける風のせいか、じわりと視界がかすんだ。相手の目から隠したくて、胸元に顔を埋めた。
「そうでないと。誰かが特別だなんて、そんなの間違っているんだ。やっちゃいけない事なんだ。俺は……」
「全てを平等に愛するちゅうのは、聖人でないと無理や。おんどれは、生きて動いてる生身のイキモンやろ」
ふぅ、と息をついて、ウルフウッドが続けた。目を伏せているヴァッシュには、その表情は見えなかった。
「好き嫌いがあって当然や。それに、生き物なんざ、どうせすぐ死んでまうんやし、悩むだけ無駄や。気になるんなら、ぐだぐだ悩まんで言えばええんや。好きです、って。そしたらワイも考えるわ」
そして相手の唇が、そっとこめかみに触れた。ような気がした。
気のせいかもしれない。強風にあおられた髪のいたずらかも。
しかし、ヴァッシュは狼狽して、ほぎゃあと叫んだ。
世界が真っ白になった。
気が付くと、ヴァッシュは病院のベッドの上にいた。
右腕に点滴の針が刺さっていた。
「保険屋さん……」
見ると、ベッドの足元に大きい保険屋が、枕元に小さな保険屋が、上体をベッドに突っ伏すように預けて寝入っていた。
物音に気付いたのか、ミリィが目を覚ました。
「ほえー。あ、ヴァッシュさん! おはようございますー。作戦成功したみたいですね、よかったですー」
目をこすりこすり、朗らかに笑うのに、ヴァッシュは何も言い返せなかった。
ベッドのそばの床の上に、ウルフウッドが寝転がっているのを見てしまったからだ。
そばには、金色のハンマーが転がっている。金属製らしかったが、よくも無事だったものだ。
よほどの石頭なのだろう。
しかし、今ヴァッシュが考えているのは、そんなことではなかった。
「あ。あ。あ」
ヴァッシュは、夢の中の出来事を逐一覚えていた。
記憶力を呪いたいくらいだ。とくに最後のほうとか。
「うううう。うわ――――!! ゴメンちょっと旅に出るから。探さないでくれ!」
「ああっヴァッシュさん!」
ミリィの驚いた声にも振り向かず、ヴァッシュは点滴の管を抜くと、床に伸びたウルフウッドを踏みつけて、廊下へと走り出た。
たとえスーツが砂塗れでも、靴下に穴が開いていても、髪がぼさぼさでシャツがよれよれで、パンツなんか3日にいっぺんしか替えてなくっても好きです。
と、ヴァッシュが言えるようになるまでは、かなりの時間がかかるのであった。
END