「・・・あれ?」

買い出しから帰ってきたヴァッシュは、室内にいると思っていたつれあいの気配が
感じられない事に首を傾げた。

『アイツ、出掛けちゃったんだ』

ドアノブに手をかけながら、少し残念そうに胸元に抱え込んだ袋の中を見る。

そこには遅すぎる朝食用にと、あの男がよく好んで食べるホットドックが入っていた。





ずっと長い間一人きりでいた自分が、こんな風に誰かと一緒に旅をすることになるなんて
思いも寄らなかった。

ひっそりと隠居暮らしをしていた自分を見つけ出し、再び戦いの場へと導いたのは、
神に仕えながら自ら懺悔の十字架を背負い、暗黒の衣をその身に纏った男。


そう、初めて会ったときから、この男は得体が知れなかった。


づかづかと自分の中に入ってきたと思ったら、隠していた心の奥底まで暴きだし、
散々かき乱してはスルリと出て行く。

それなのに、こちらからは全く踏み込ませようとしない。

だから分からないことが多かった。


知りたい、と思って何度か尋ねたことがあったが、いつものらりくらりとかわされ、
一度として明確な答えは返ってこない。


そのうち、こちらから聞くことはなくなった。

きっと言いたくなれば自分から言うだろう。

もしかしたら今は、その時ではないのかもしれない。





それに聞かないほうがいい。

できれば・・・聞きたくない。



そんな気も、何故かしていた。





確かに一人きりなら、食事の買い出し一つにとっても自由気ままだ。

誰かがいれば、その者の事を嫌でも思考の中に入れてしまう。だが、それが全て
受け入れられるとは限らない。


余計なお世話、になることだって少なくないのだ。

現にこのホットドックは受け取ってくれる相手がいない。それでも、今のこの状態を
ヴァッシュは嫌だと思わなかった。

むしろ自分が他人を受け入れ、傍にいることが当たり前になっていることに驚いていた。





美味しそうな香りを漂わせているものを見つめながら、まぁ自分の昼食にすればいいか、
と小さくため息をついて笑う。

僅かに錆び付いた音を立てるノブを回し、ドアを開けたところでヴァッシュの身体は固まった。


「・・・ぇ・・・」


思わず声を出してしまった口元を、慌ててあいている右手で押さえる。



暖かな日差しが差し込む室内。

その窓際に置かれているソファで、

ヴァッシュの連れあいの男、ニコラス・D・ウルフウッドは


うたた寝をしていた。





後ろ手でそっとドアを閉める。

ほんの僅かの音を立てることも恐れるように、慎重にテーブルの上に紙袋を置いた。

その瞬間、カサリという小さな音がしてしまい、ビクリと肩を竦める。


恐る恐る男に目をやるが、どうやら大丈夫だったらしい。

ヴァッシュは安堵の溜息をついた。

静かに窓際へと近付く。

男が目覚めないように、そーっとそーっと気配を消して。





明るい光が降り注ぎ、日差しに傷んだ黒髪と意外に長い睫毛が目元に淡い影を落としている。

きつい深蒼の双眸が今は瞼の下に隠れ、男は普段より大分幼く見えた。

二人で旅をし始めて結構経つが、こんな風に無防備な表情をして眠っている姿は、
初めて見たような気がする。



そして、ふと思った。

もしかしたらこれがこの男の本来の顔なのかもしれない、と。



決して他人を寄せつけようとしない背中も。

全てを射ぬくような鋭い眼差しも。

時折見せる何もかも諦めたような笑みも。



その奥に隠された・・・・・・深い、闇も。





この穏やかな貌の上に塗り込められたものだとしたら・・・。

ツキリ、と胸の奥が軋むように痛んだ。





『もしかしたら・・・ちょっとだけ似ているのかもしれないねぇ、俺達』

そんなことを言えば即座に否定されそうだけどな、とヴァッシュは苦笑を浮かべながら、
穏やかな顔を見つめる。



何かに後押しされるように、そろそろと右手を伸ばして男の前髪に触れてみた。

硬く冷たい感触しか伝えないと思っていたものが、柔らかく温かく感じられてとても嬉しくなる。

そのままそれを掻き揚げると、引き寄せられるようにそっと口付けた。



じわりと胸の奥からあたたかいものが染み出してくる。

優しい熱はゆっくりと広がり、ヴァッシュの全身を甘く痺れさせていった。



「!?」

しかしその次の瞬間ハッと我に返り、弾かれたようにその場を飛び退く。


『ち、ち、ち・・・ちょっと待てーーー!!!』

口元を押さえて後ずさりながら、ヴァッシュは大パニックを起こしていた。



オレハ

イマ

コノオトコニ

ナニヲ

シタ・・・?



一気に顔に血がのぼって頬が焼けるほど熱くなる。

激しく脈打つ音が耳元でガンガン響き、全身からはドッと汗が噴き出した。





その後どうやって部屋を出たか、ヴァッシュは全く覚えていない。


大混乱している脳内で、僅かばかり残された思考回路では、

『もう何でもいいから、どうにかしてその場を離れろ!!!』

などという、頼りない指示しか出すことが出来なかったからだ。









扉が閉まった後、たっぷり3呼吸はおいて黒い塊が身じろいだ。

不機嫌そうに寄せられた眉の下、瞼がゆっくりと開き濃紺の眸が現れる。

「・・・・・・・あんボケが」

浅黒い手がゆっくりと持ち上げられた。

わずかな温もりが残された額が、堪らなくこそばゆい。



「気付かんわけないやろが」

思わずそこを掻き毟ってしまいたい衝動に駆られるが、何とかそれを押さえ込む。

行き場を失った手をそのまま頭へ持って行き、バリバリとそこを掻くことでどうにか紛らわせた。



まぁ、あの博愛主義の男がすることだ。

そこら辺の犬猫子どもと同じ扱いを自分は受けたのだろうと思うことにする。

そうでなければ・・・一体、アレは、何だというのだ。



「・・・?」

深く考えてしまいそうなったのを、先ほど以上に頭を掻いて中断しようとしている男の鼻腔を
ふわりと香辛料の香りがくすぐった。

頭を巡らすとテーブルの上に置かれた袋からそれは漂ってくる。
のそりと立ち上がり中を覗き込むと、そこにはマスタードたっぷりのホットドック。

「ま、これはワイのやろうなぁ」

朝っぱらから、ホットケーキに山ほどメープルシロップをぶっかけるつれあいが食べるものとは
到底思えなかった。

目覚めたばかりでまだ食欲は無かったが、袋の中からそれを取り出して大口を開けガブリと
喰らいつく。



「・・・・・・足りひん」

溢れそうなくらいにかけられたマスタード。

いつもなら鼻を突くその刺激が心地よいのだが、何故だか今日はそれをほとんど感じられない。

「あー・・・くそっ、何やっちうねん!」

腹の底のむず痒さを何とかしたくて、男は残りのホットドックを口の中に無理やり押し込んだ。









ある町の珍しく平和な午後のひととき。

しかしヴァッシュとウルフウッドの心中は、少しも穏やかではなかった。





そんな二人が自分の気持ちに気付き、戸惑い、向き合い、葛藤し、それでも・・・と。

覚悟を決めるのは、もう少し先のこと。





赤コートの男と黒スーツの男の二人旅が、始まってまだ間もない頃のお話。

                            

50−24 『な、な、何を・・・?!』  END

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