祈るような気持ちでヴァッシュはスタジオへと続く扉に手をかける。

中の様子をうかがうと、既に人気が無く照明も落ちて、補助のライトだけが申し訳程度に
いくつか点いていた。

ホッとして大急ぎでその場所に近付く。もう一度周りを見回してからしゃがみこみ、小さな扉を開いた。

「はぁ〜良かった・・・」

目的のものを見つけてヴァッシュは安堵の溜息をつく。それをそっと取り出して、立ち上がった。



一つは、本番前にメリルとミリィに貰ったチョコ。もう一つは・・・問題のギフトバック。



薄明かりの中で、ヴァッシュはそれをキッチンセットの上の空いたスペースに乗せる。

もう一度溜息をつき、ようやくヴァッシュは覚悟を決めてギフトバックの中のものを取り出した。
それを開けてみて、ガックリと頭を垂れる。

そこには昨晩ヴァッシュが作り出してしまった例の『黒い物体X』が入っていた。



「こんなもん、もしアイツに見られたら何言われるか分かったもんじゃないよな」

取り出してみて、その出来具合にますますヴァッシュは落ち込む。

取り敢えずせっかく作ったのだから、とそこら辺にあったタッパーに入れて、これまた近くにあった
手さげ袋(これが意外と可愛らしいギフトバックだった)に放り込み、仕事場まで持ってきたのだが。



「や・・・やっぱり捨てちゃおう!」

そう決意し、そっと足元にあるゴミ箱にタッパーを傾けようとした時、あの男のセリフがふと頭を掠めた。


『一番大切な気持ちをほかすんと同じことやで』


「うっ・・・!」

寸でのところで思いとどまる。

罪悪感で胸が一杯になり、もう一度その黒い塊をじっと見つめた。

やっぱり見れば見るほど酷い出来だ。情けないを通り越して何だか無性に腹が立ってきた。

「そうだよ!これはアイツに食べてもらう為に、作ったもんじゃないんだから、別に捨てたって・・・。
だけど一応、一生懸命作ったんだぞっ!ちょっとだけ、いや大分失敗しちゃったけどさ。
や、そうじゃなくて、あぁ、もう!!」





「おい。こないなトコで、なに一人漫才してんねん」

「えっ・・・?」

激情に任せて力説していたヴァッシュの背後から、今この世で一番顔を合わせたくない男の声がした。

一瞬にしてヴァッシュが凍りつく。

ゴトリ、と持っていたタッパーが手から滑り落ちた。

恐る恐る後ろを振り返ると、男は丁度身体を屈めてヴァッシュが落としたものを拾い上げているところだった。


運良く(ある意味運悪く)それは地面に向かって真っ直ぐに落下し、奇跡的に中身は無事だったようだ。

「コレ、おんどれが作ったんか」

しばらく手にしたものを眺めていたウルフウッドが、低い声で確認する。

ヴァッシュの顔からザーッと血の気が引いていった。

しかしその直後、頬を真っ赤に染める。男が手を伸ばして、中身の一つを口元へ運んだからだ。

ガリッという、およそカップケーキを口にした時にするはずが無い音が聞こえて、
ヴァッシュはもう一度青ざめる。

男が無言でそれを咀嚼する様子を、ヴァッシュはまるで死刑台に登った罪人のような気持ちで見つめていた。





「・・・・・・おい」

「は、は、は、はいっっっ!!」

長い長い沈黙の後、ウルフウッドがようやく口を開く。ヴァッシュは思わず背筋をピンと伸ばして返事をした。

「味見は、したんか?」

「え?・・・あ、あの・・・いや、そのぅ・・・」

しどろもどろになるヴァッシュにウルフウッドは近付く。

恐ろしさのあまり、まるで蛇に睨まれた蛙のように、ヴァッシュはその場から動けなくなっていた。
心臓の激しい音だけが響く。

「ま、そうやろうなぁ」

「!!」

俯いて、まるで見せ付けるように自分の親指をべろりと舐める男の姿に、
ヴァッシュの背筋がぞわりと粟立った。



目が・・・離せない。



「・・・ワイの舌ぁ、駄目にする気か?」

男がゆっくりと視線をあげ、ヴァッシュの瞳を真正面から捉えて、笑った。



それは、先ほどまでの穏やかさや優しさに満ちたものとは程遠く。


今までに何度か見たことがある表情に似ていたが、その中でも一際凶悪で・・・最高に淫猥な貌だった。



ドクリ、と身体中の細胞が大きく脈打ったような気がした。本能的な恐れから、身体が後ろへ下がろうとする。

「あっ!」

背後にあったシステムキッチンのセットに腰がぶつかり、ヴァッシュがそこへ気をやった途端、
両頬を熱い感触が覆った。

ウルフウッドの節くれだった指が、ヴァッシュを捉える。



「『味見』・・・させたるわ」



吐息が触れるほど間近で囁かれた後、奪うような口付けが与えられた。

唇の薄い皮膚を通して感じる熱の甘さに驚き、思わずヴァッシュは目をきつく閉じてしまう。

男は喉元で低く笑い、角度を変えて更に唇を重ねる。と、同時に指を軽く曲げて、
ヴァッシュの耳たぶの後ろ側を軽く爪で引っ掻いた。


ビクリ、と身体を震わせヴァッシュの唇が緩む。

「んっ!・・・んん〜〜〜〜〜っっっ!?」

そこから忍び込んだ男の舌が、ヴァッシュのそれに絡みついた瞬間、くぐもった呻き声をあげて
ヴァッシュが身じろいだ。

口内に一気に広がった物凄い苦味、鼻腔にまで伝わる焦げ臭い香り。

ヴァッシュの目許に、じんわりと涙が滲む。


それは間違いなく例の『物体X』の味であろう。


『ま、まずぅぅ・・・・』

何とかしてそれから逃れようとするものの、両頬を男に固定されている。

背後にはシステムキッチン。


今のヴァッシュには、目の前の男が与えるものを受け止めることしかできなかった。





「・・・っ・・・う・・・・」

怯えるように逃げる舌を、男のそれはあっさりと追い詰め、強引に絡めとっていく。
そうかと思えば、戯れる様に表面を軽く撫で付けてはするりと離れ、歯列の裏や口内の粘膜をくすぐる。


永すぎる口付けに眩暈すら覚える。


しかし・・・いつの間にかヴァッシュは、無意識にウルフウッドの動きに応え始めていた。
相手の舌から水分を奪う事が、口内の酷い味を薄める唯一の方法だということが分かったのだ。

自分から深く舌を絡め、次第に甘く変化していくその感覚にヴァッシュは溺れ込んでいく。
頭の芯がぼぅっと痺れて何も考えられなくなっていった。



「・・・ッ、あ・・・んんっ・・・」

『えっ!!』

しかし、角度を変えるために僅かに離れた口から漏れた嬌声が、理性を手放す直前で自身の耳を打ち、
ヴァッシュは愕然とする。

『お、俺・・・は、何を?・・・嘘、だろ!?』

一気に体温が急上昇する。思わず目を開けると、滲むような距離に深く澄んだ蒼があった。

そのあまりの美しさに見惚れたのも一瞬、ずっと見られていたのだということに気付き、
羞恥のあまり気が遠くなる。そんな様子を見抜いたかのようにウルフウッドの瞳が静かに閉じられた。


それを合図に、ウルフウッドの口付けがより一層深くなった。

延々と解放されない唇に喘ぎ声さえも吸い取られる。

今までのキスは一体何だったのか、と問いたくなるような容赦ない蹂躙にヴァッシュは翻弄され続けた。





『・・・も・・・ぅ、ダメ、だっ・・・』

じんじんと疼くような熱が全身を侵し、心までも絡め取られるような感覚に、ヴァッシュが意識を
飛ばしそうになった頃、ようやく頬を拘束する男の指が緩められた。



「・・・っふ・・・」



ちゅく、といやらしい音を立てて、ヴァッシュの口内からゆっくりと濡れた軟体が出て行く。


熱い感触があと少しで離れる、その開放感に戸惑いながらもホッとして力を抜いた瞬間、

ウルフウッドはヴァッシュの舌先を噛んだ。


「・・・んんっ!!・・・ぁっ・・・」


強烈すぎる刺激に脳髄が痺れ、ヴァッシュの視界を一瞬にして白く灼いた。


ウルフウッドの身体が離れると同時に、力を失ったヴァッシュの身体はずるずると崩れ落ちていく。

ペタリ、とヴァッシュが床にへたり込んだ。







その数秒後、バターンという豪快な音をたてて、スタジオと廊下を結ぶ扉が開かれた。
そこから大小の塊がヒョコっと覗く。

「あーっ!こんなトコにいたんですね、ウルフウッドさん!!」

「もう、探したんですのよ。お二人していきなりスタジオからいなくなったって、スタッフも
大慌てしていたんですから」

キッチンセットの中に佇むウルフウッドに向かって、メリルとミリィは、ほぼ同時に叫んだ。


「おう、ちょっとヤボ用があってなぁ、スマンスマン」

何事も無かったように、しゃあしゃあとウルフウッドは答える。

「実はこれから、キャストの方々やスタッフの皆さんと一緒に反省会を兼ねて飲みに行こうっていう
話なんですけれど」

「ウルフウッドさんもいかがですかぁ?是非っ!」

満面の笑みをたたえて二人は言う。

この特番の成功を心の底から喜び、そして分かち合いたいと思っているのだ。

普段は収録が終わればすぐにスタジオを後にするウルフウッドも、今回ばかりは
この誘いを受けることにする。



「・・・分かった。ここ片してから行くさかい、先に始めといてもらえるか?」

その返事に二人は瞳を輝かせた。

「あらっ?ところでヴァッシュさんは・・・ご一緒じゃなかったんですの?」

きょろきょろとスタジオ内を見回したメリルがウルフウッドに尋ねる。

「ああ、さっきまでおったんやけどなぁ。用足しにでも行ったんちゃうか?」

「あー、そうなんですかぁ」

「じゃあ、私達先に行っていますので、ヴァッシュさんにもこの事、お伝え願えますか?」

そう言って簡単に店の場所をウルフウッドに伝え、二人は嬉しそうにスタジオを出て行った。









「・・・ちうことやねんて。聞いとったか?」

扉が完全に閉まるのを見送って、ウルフウッドは下方に向かって喋りかける。

そこからは、ようやく我に返ったヴァッシュの、ひたすら恨みがましい視線が送られていた。

丁度システムキッチンの陰になって、メリルとミリィの位置からは見えない位置にヴァッシュはいたのだ。



「何や、立たれへんのかい。ほな、お姫様抱っこでもして運んだろか?おっ・・・と、
このお姫さんは乱暴やなぁ」

ヴァッシュの怒りを込めた渾身の蹴りをヒョイと避けて、ウルフウッドは言う。

「くそぅ!オマエ信じらんない!誰がお姫さんだよ、ムカツク!!」

地面をバタバタと蹴りながら、ヴァッシュは悔しがる。その様子を見て、ウルフウッドは楽しそうに笑った。


その笑顔にすら一瞬見惚れてしまい、ますますヴァッシュは悔しくなる。


男は手際よく自分の仕事道具だけを片付けた。

「じゃあ、後はよろしゅう。ワイは先に行くで」

そう言ってヴァッシュを置いたままキッチンセットを出て行こうとする。
未だ立ち上がることが出来ないヴァッシュは、それを悔しそうに見つめていた。


二、三歩進んだところで、ふいに男が立ち止まる。


「あー・・・。そういえば、バレンタイン・デーの後には、確か『お返しの日』っちうのがあったなぁ」

そしてくるりと振り返り、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。男の口元から犬歯がちらりと覗く。
何となく嫌な予感がして、ヴァッシュがギクリと身体を強張らせた。

「ワイの料理人生命を断ち切りかけた、あのとんでもない『ブツ』のお返しは何がええかなぁ?」

「!!」

「一ヶ月も先のことやさかい、じ〜っくり考えさせてもらうわ。ま、楽しみにしとけや」

「え、ちょっ・・・えぇ〜〜〜っっ!?」

そんな言葉を心底楽しそうに言う男の表情を見て、もしこの世に悪魔がいたら、
きっとこんな風に笑うに違いない、とヴァッシュは思う。

そしてショックのあまり、ウルフウッドがスタジオを出て行った後もしばらくその場から動けずにいた。



たった一人、ポツンと残されたヴァッシュの頭の中は、一ヵ月後に迫る人生最大の厄日のことで一杯になり、
すでに大混乱している。


「ホワイトデーなんてモン、一体何処の誰が考えたんだ!うわ〜ん、どうすりゃいいんだぁぁぁぁ!!!!」


行き場の無い怒りと悲しみの矛先を、どこぞのお菓子会社の偉いさんにでも向けなければ、
どうにもやりきれないヴァッシュであった。





さて、ヴァッシュの悲痛な叫びとは裏腹に、今回のバレンタイン特番は、過去最高の視聴率をとったらしい。


このことで局の上層部が気をよくし、早速次のホワイトデー特集についての案を練り始めた



というのは、また別のお話。



↑ ウルフさん、『黒い物体X』味見中・・・(笑) ↑





End.


よ・・・ようやく終わりましたか。今何月だ!?
『バレンタイン・デーにちゅう
vする二人』が
書きたかっただけなのになぁ・・・
(苦笑)