帰城の挨拶もそこそこに、道すがら打ち合わせた通り、爺を王家所蔵庫へ運び込む。かつてはそれなりに宝物の類を収めていたのだが、襲撃の際に中身が綺麗さっぱり持ち去られ、壊れた壁の修繕も程ほどに空いていた部屋だ。居住区から離れているから万一が予想される今回は都合が良い。驚き覚めやらぬ部下に命じてベッドを運び込ませ、空き部屋を即席の救急処置室と成す。
壁の燭代全点灯して尚拭えぬ暗さが部屋を重く閉ざす。実際に光量が抑えめであるのだが、普段こういった暗い雰囲気を誰より嫌い、率先して賑やかしを勤めるエッジが無口でいることが、部屋を実際より暗く思わせる。
「爺やさん、大丈夫ですよね?」
少女の問いに、カインは成す術なく口を閉じる。現状明確な答を返すことができない。対忍者戦の際は治せると請け負ったが、確かな保証があっての言葉ではなかった。
「きっと治す方法あるよ!」
大人の深刻顔を交互に見ながら、パロムが精一杯明るい声で言う。せっかくの励ましを半ば黙殺する形になってしまうことを申し訳なく感じつつ、カインは思考運動を支える右手の内に目を伏せる。
出血に関してだけは血液凝固剤の使用で止めたが、できたのはそこまでだ。その先のステュクス感染に関しては、打つ手なしを認めるしかない。そもそも、治療に取り掛かろうにも、どのように対処すべきか全てが五里霧中にある。分かっているのは、このまま手をこまねいていれば、先刻の忍者達と同じ状態から、飛空艇で遭遇した船員達と同じ状態を経て、およそ一年の後には完全なステュクスへと変じるだろうことのみだ。
賑やかしを買って出たものの、思ったような効果を上げられなかったパロムはしょんぼりと肩を落とす。そんな少年をぽんぽんと慰め、エッジは顔を上げた。思いつきに過ぎない案だが、沈黙を通すよりはるかにマシだろう。
「なぁ、トロイアで貰った聖水、人間に使えねぇもんかな?」
頭の中で朧に形を成しつつあった考えを相棒の口から聞いたカインは、一度頷いた。少女の献身が早速役立つかもしれない。ポロムはぱっと嬉しげに明るい顔を上げる。カインは貰ったアンプルを取り出した。蝋燭の光を反射して水面がきらきらと輝く。
「とはいえ、そいつをそのまま体内に入れるのは多分やばいよな?」
薄まっているとはいえ、神官の皮膚を酷く爛れさせたものが原液だ。カインは頷く。
「エッジ、ミシディアへ連絡を出せるか? 聖水を治療薬として転用可能かどうか、調べてほしいと。」
当座の指針をようやく決定できたところで、第五の気配にさっと緊張が走った。
「じい!」
寝床から浮いた手をエッジがすかさず捕まえる。
『おお、殿下!』
じいやの口は確かに音の形を刻んだ しかし、実際にその口から出てきたのは大量喀血と呼吸音 ※老爺の呼吸を遮り口から溢れる粘性の高い血を、少女のハンケチが受け止める。
「落ち着け、城だよ。」
読唇したエッジがじいやを落ち着かせる カインの脳内に矢継ぎ早芽吹く質問の数々は、咲いた端から潰れていく。翁が質疑応答可能な状態でないことは、光量の限られた中、傍目に見ても明らかだ。
エッジに何事か伝えようと、じいやは口を動かす 蝋燭の明かりの中に見える口の動きを拾う 申し訳ない、申し訳ない――何度も繰り返し形作られていたのはその一言
「黙って寝てろい耄碌爺!」
じいやの頭を布団に押し付けたエッジは、諦めのため息一つで席を立った。扉の向こうから聞こえる騒音がいよいよ無視して会話を続けるわけにいかないレベルに達している。かちゃりと扉を開けた途端、
「イルウードの爺めを叩き起こせ!」
開いた扉から怒声が飛び込んできた。それを契機にざわめきが溢れる。予想を超える人数が廊下に集まっていたようだ。カインは薄く見える扉の意外な防音性能に驚く。
「うるせっつの。病室の前だ、静かにしてくんな。」
エッジが外野に声を掛ける。カインは背を伸ばし声の先を覗く。 細身の衝立越しに、先の怒声の主と思しき者が衛兵を掻き分け進み出てくる様が見えた。年はじいやとそう変わらず、体躯は全盛期よりも縮み、年齢によるものか歩行介助の杖を付いているが、それでも十分にがっしりとした体格の矍鑠とした老爺だ。
「ジェラルダインの……貴様、エディックをよくもあのような!」
「そう怒りなさんな、腱は切っちゃいねぇ。」
怒りを突きつけられたエッジは肩を竦める。
「ああ、豪族の頭でな、家族想いの良いオヤジなんだ。ただまぁちっと、声がでけえのが玉に瑕。」
室内で気を揉む部外者に、エッジが小声で人物紹介を入れる。
「一体今度はどこで何の油を売っているのか、今この場ではっきりさせよ!」
「応、説明すっから場所変えようぜ。」
「吾は、今この場で、と云ったのだ!」
エッジの提案に対し、豪族は頑として逃げ水の一滴たりと洩らさぬ構えだ。
「……分かった。じゃあ、手短にな。」
皆も聞いてくれ、とエッジは手を打ち人を集める。
「イルウード達を襲ったのはステュクスってぇ化け物だ。俺は、ここにいるミシディアの者らの調査に協力してる。」
豪族はふんと居丈高に鼻を鳴らした。
「郷を放って他国の小間使いか。」
「天下の学術都市に恩を売って損は無ぇ。」
だろ?とエッジは顎を向け同意を促す。淀みない応答に豪族の頭苦虫噛みつぶし顔。孫息子に怪我を負わせた若き君主にあやを付けてやりたいが、肝心の付け入る隙が無いといった風情だ。
「解決にはいましばらく時間を要するが、何とか耐えてくれ。あいつらにゃぁ蟲毒が覿面、仕留めた後ァ瓦斯燐で必ず灰にしろ。後は……よぅカイン、他に――」
エッジの口から滑り出た名が、聴衆の面を緊張に塗り替えた。迂闊を悔いるエッジを押し退け、豪族はカインの前に立ちはだかる。
「貴様、バロンのカイン・ハイウィンドか……ミシディアの遣使だなどと偽りおって、化生の手下が!」
何と言われても仕方ない――カインは項垂れる。憤怒の相となった老爺の掌中で歩行杖がぎりりと鳴った。
「かような下司を、誰がこの郷に招いた!!」
「俺の連れを下司呼ばわりたぁ恐れ入った。」
扉の脇から放たれた城主の一声が、杖を振り上げる腕の動きを止める。
「病室ではご静粛に願いますってんだ。悪ィな、続き頼む。」
エッジの用意した静寂の水面に新たな波風を立たせぬよう、カインはゆっくりと歩み出た。見渡す顔には様々な感情が浮かんでいる。カインは慎重に口を開く。
「ステュクスは、幼生体はプリン類、成体はサンドワームに似た姿をしている。体色は特徴的な赤で、容易に判別が付く。発見した場合は確実な処理を期してくれ。一体たりと所在不明とするのは危険だ。万一、犠牲が出た場合は……――」
しばし声を切った眼に触れ、双子が頷き後押す。
「ミシディアより魔導師の派遣を約束する。直ちに石化させてくれ。」
ミシディアの民の動揺を考えると、被害国への魔導師派遣は現状難しいかもしれない。必ず治療方法を確立しなければならない。
「さ、備えだ。――ガラハルド侯!」
拍手を打ち人散らしを命じたエッジは、去り足の豪族をふと呼び止める。
「よろしく頼む。」
両腕を脇腹に引いたエッジは深々と頭を下げる。豪族はウグッと喉を詰まらせた。
※「……さっさと帰って来い、郷がどうなっても知らんぞ!」
豪族は盛大に鼻を鳴らし、踵を返す。
「吾に太刀を振るう以外の仕事をさせるな!……数字の並んだ帖面を見ると目眩がするのだ!」
内政は苦手!と大きく苦顔に貼りつけた豪族は、文句を並べながら出ていく。
足音が遠ざかり、ようやく病室に相応しい静寂が戻った。
カインは緊迫した空気を吐き出し、エッジの窺い顔に応える。
「ああ、考え事をな……エブラーナに種子が辿り着いた経路なんだが。」
そのことか、とエッジは表情を緩めた。
「海から来たんじゃねぇかね?」
「如何せん遠すぎるだろう。」
答えつつ、カインは呟きを足元に落とす。
「海か……。」
陸上を制し空さえも越え、遥か彼方月までも行ったが、足下の海に未踏破の領域を広く残している状態だ。
「もし異変の根元が海ン中にあったとしたら、ややもすりゃ月へ行くより厄介だな……。」
同じ懸念に至ったらしいエッジが口を曲げる。
「だが、逆も然りだ。こちらから出向く困難は、あちらからしても同様だろう。」
エッジの指がご名答!って感じでピッとこちらを指す
騒ぎの一段落にふぅと置かれた溜息が蝋燭を揺らす。首を捻ったエッジはじいを見た。※じい寝てるように見える
「とりあえず、こっちはミシディアの結果待ちだな。起きたら石化させて時間稼ぎ――」
「あのう、エッジさん……」
目まぐるしく展開する諸事の一段落に、おずおずと差し込まれた小さな声
「とっても申し上げにくいのですが、その……あの、……お腹が空いて……」
ポロムが消え入りそうな声で申し出る。その隣では、少年が空腹を抱えてつんのめっている。
「うぉお!? すまねぇ、すぐ飯持ってくら。カイン、手ぇ貸してくれ!」
「ああ!」
カインは腰を上げた。
保護者二人が去った病室に、空腹虫の鳴き声がこだまする。ベッドに突っ伏したパロムは、盛んに髪を触れる手を振り除けた。
「ううー……ポロだってお腹空いてんだろー……」
「えっ?」
想定外の方向から聞こえた姉の声に、パロムは顔を上げる。
頭を優しく撫でる腕を辿るとじいやに行き着く
「じっちゃん! ダイジョブか?」
パロム慌ててじいやの口元に耳を寄せる このじっちゃんはステュクスと戦ってて、今は声が出せない
『このジジイは、駄目なジジイ』
唇の動きはそう読めた パロム目ぱちくりじいやの顔見 じいや苦笑
『ごめんね』
さっきエッジに謝っていたのと同じ口の動きをする 双子顔見合わせ こんな時、カインかエッジがいれば、上手く説明できるのに じっちゃんが謝る必要なんか無いことをちゃんと説明できるのに
『このジジイを石にするとき、若にあいさつしたい』
そう頼まれても、行動の決定権を持つ二人がいない 悩むポロムの横で、パロム強く頷き 姉の手をつついて目を合わせる
「オイラが石化させるんだもん、オイラが決めていいよね?」
ポロムこっくり頷き、弟の決定を支持 パロム、じいやと真正面から顔合わせ
「じっちゃん、分かった。石にするのは、隊ちょ……エッジ兄ちゃんが、一緒にいる時にする。約束な!」
パロム、じいやの手をぎゅっと握る じいや笑い
『このジジイは、魔物になる』
じいや、ふーっ長く息つき
『その前に、石にして壊す』
じいや、つないだ手を揺らし パロムをじっと見る
『石にして壊す、おねがい』
「魔物になんかならない!」
パロム、ベッドの端をばんと叩き声荒げ
「じっちゃんは絶対治る!」
「そうですわ、きっと治ります!」
ポロムもすかさず弟に続く
「私では力が足りませんけれど、もしかして長老様なら……! それに――」
ポロム、じいやが寝入ったことに気付き声顰め言葉切り上げ パロム、じいやの手外し毛布にそっとしまい
「ニイちゃんたちに、ホウコクしなきゃ……。」
パロムぽつり呟き ポロム、うん、頷き
ポロム部屋飛出 たら、二人が廊下でケンカ中
「――少しでも利口だと思った俺がバカだった!」
カインの怒鳴り声 ポロム目ぱちぱち 目の前の光景が急激に薄らいで現実感を失う まるで夢の中のよう 取っ組み合って殴りあうエッジとカイン 普段の二人はもっと大人なのに、今の二人はまるで自分とパロムと大差ない
普段の洗練された戦いの動きからは想像も付かない。純粋な暴力で互いを傷付けあう姿 これは本当に、現実の光景なのか?
「結局、貴様はいつまで経っても甘ちゃん王子というわけだ!」
「言えた義理かよ、尻尾巻いて山へ逃げたヘッポコ竜騎士が!」
双方兵士に抑えつけられて尚口喧嘩を止めない。
「のヤロウ、口利けねぇようにしてやる!」
「あのバカを黙らせる!」
「やめろーーーーー!!」
背後からパロム渾身の叫び声。場の空気が一瞬でしんと沈む。
「隊長っ、喧嘩なんかしてる場合じゃないだろ!」
カインを睨み付けるエッジ。パロムと警備兵を押しのけ背を向ける。
エッジを睨み付けるカイン。警備兵払いのけエッジと反対方向に歩き出す。
「ニィちゃんも! らしくないぜ!」
パロム、カインの後を追いかける。
病室の扉乱暴に半ば蹴り開け、荷袋を引っ掴み、荷造り始めるカイン ポロムびっくり
「カインさん……?」
「すぐに城を出る。準備しろ。」
双子にも荷袋を投げ渡す。
「ニィちゃん……?」
「出発って、エッジさんは……?」
カインは答えない。
「置いて行くおつもりですか!?」
「喧嘩したからって仕返しかよ!」
「喧嘩をしていなくてもだ。」
双子の声をきっぱりと切り捨てる ポロムが信じられないと言いたげに首を振る
「カインさん、どうして……!」
「お前達もここに残りたいなら、それでも構わんぞ。」
荷造りを進めながら淡々と答える 双子揃って息を呑む
「……ニィちゃんは、ホントはオイラたちも置いてけぼりしたいんだよね。」
パロムのいつになく暗い声。カインの手が止まった。五体に満ちていた怒りが薄れるのを感じる。
「すまない、言葉が過ぎた。本当にお前達を置いていくつもりでは――」
「分かってます。私たちが邪魔とか嫌いとかではなくて……でも――」
「――ニィちゃんは、一人がいいって思ってるんだ。」
弟の言葉がカインの動きを完全に止める。
※ポロムは拳を握りしめた 弟の言葉に続けて言いたいのに、うまい言葉が出てこない 思考だけがぐるぐる廻る カインは大人だから一人で何でもできる 何でも一人でできると思ってる でも、大人だって一人じゃできないことがたくさんあるのに
パロムがちらっとこっちを見る そして一歩前へ進み出る
「オイラ、じっちゃんと約束したんだ。じっちゃんを石にするのは、隊長が一緒の時にするって。……だからニィちゃん、ほんとに出発したいなら、隊長連れてきてくれよ!」
腕組みをしたパロム 約束を果たすまで梃子でも動かないという不動の構え
カインはやれやれと顔に貼り付け、荷袋を手放した
「……戻るまでに、準備を済ませておけよ。」
カイン渋々エッジ連れに行き
カイン道すがら考える 子供たちときたら事情も知らずに勝手なことを言う エッジに懐いていたパロムの反発は当然予想していたが、ポロムまであんな強硬な態度を取るとは予想外だった
大体、喧嘩の意趣返しに置いていくのではなく、置いていくと言ったら喧嘩になった、が正しい因果関係だ。生意気双子といい、エッジといい、全くどいつもこいつも人の言うこと聞きゃしない
溜息一つ 廊下を通りかかった女官つかまえてエッジの行方聞き
「すまない、エッ……ドワード殿下の所在を、ご存知ないか?」
「エッジでよろしゅうございますよ、カイン殿。」
女官から水に浸した布をどうぞ、と差し出される。カイン、自分が今どういう顔をしているのか把握 そういえば頬が随分腫れてる感覚がある 好意に甘えて頬に布を当てる
遠慮なしにぶん殴りやがってエッジあんにゃろ 歯の芯をじくじくと炙るような鈍痛 モンスターとの戦闘で食らう傷とはまるで異なる、人の拳によってもたらされた痛み
「殿下はご自分のお部屋におられます。翠の燭台を辿ってゆかれませ。」
女官、手早く氷嚢作り差し出し。
「これを殿下に。」
「……どうも。」
にこりと穏やかに一礼して女官はそのまま行き過ぎる。さっきまで殿下と大喧嘩してた相手を咎めたりとかしないのか? 城主を殴り付けた自分に対し、敵愾心はない様子 良き王と敬愛していればこその、穏和で寛容な気質を感じられる
やはり、エブラーナの若き主君は、想像以上に権威ある存在として仰がれているようだ・国の権力構造はほぼ一枚岩と思って差し支えないようだ。豪族のエッジに対する口調は激しかったが、完全にやり込めるような気配は無かった。その言い分は、体裁こそ苦言のそれだが、内容は「王が国にいてくれなければ困る(国に居て内政をやってくれ)」という陳情。(豪族に僅かでも背信があるなら、国に居着かない王は好都合だ。そして、不審に思われるような行動例えばまさに、衆人環視の元真っ向から王に楯突いたりはすまい)
ずっと気に掛ける振りをしつつ、エッジの目眩ましに甘んじ逃れていた懸念が目の前に立ち塞がる。
そもそもが、クリスタル戦役時あれほどの戦災に遭いながら、エブラーナの人々の瞳から希望が失せなかったのは、王の権威を正統に受け継ぐエッジの存在が大きい。※エッジの両腕は民をしっかり抱え、纏めている。エッジは良き王だ。良き王は柱だ――つまり、彼が自分たちの仲間として共に歩んでいる間、この国は主柱が抜かれた状態にある。
父親の死にまつわる記憶が被る。規模こそ違えど、王と同じく集団の統率だった父の突然の死と、その系統を継ぐ者――自分だ――がまだ幼く、一族の纏まる力を欠いたことにより招かれた竜騎士団の衰退。※父の埋葬を終えた日の光景 配下を率い去っていく大叔父の背中 机に伏して声無く嘆く母の姿 大叔父言葉「我々は山へ戻る そもそも里に下りたことが間違いだった」 大叔父は以前から、軍行動に組み込まれたこと・飛行管制によるストレスが、竜の繁殖の困難化の主因ではないかと疑っており、バロンから離れる旨を望んでいた。
※※何の前触れもない、あまりに突然の死。少なからぬ動揺を温床として生じた流言・まことしやかにささやかれた暗殺陰謀説。名高い勇士がほんの些細なミスで命を落としたとは誰も信じたくなかったからだろう。
※そして、この暗殺陰謀論が大叔父に連なる一派の背を大きく押す形になってしまった。王に忠誠を誓い臣下として生きることを望んでいた父を、暗殺という許されざる不誠実で報いた疑いのある国に、これ以上残ることはできない、と。
※まやかしの陰謀論に惑わされバロン軍の結束に皹が入ることこそ、父が最も避けたかったことだったろう。あの時、自分には引き止める言葉も力もなかった。幼い自分の訴えに、大叔父は耳を貸してくれなかった。唯一信じてくれた母も、程なく心労に臥してしまった。そして訪れた竜騎士団・ハイウィンド一族の大分裂――自分がもっと大人であれば、避けられたかもしれない。抜けない刺のように今でも忘れられない。
柱を失えば結束はあまりに脆い。同じ家名を持つ者たちでさえそうだった。異なる血を引く者ならば尚のこと。
エッジをこの国に残すというのは正しい判断 俺は正しいことをした 確かに先にぶん殴ったのは悪かったが、それはエッジがあんな心にもないこと――「ただでさえ棺に両足突っ込んでるようなジジイだ、どうせそう長くないから気にしない」などと――を言うからだ
エッジの部屋遠い あーもうめんどくせえ、適当な嘘ついて誤魔化しちまうか――いや、それはダメだ。嘘をついても、あの賢しい子供たちはすぐ見抜く。信頼を失えば、彼らはついてきてくれない
懸念を鼻で笑い飛ばす 子供たちがついてきてくれないから何だっていうんだ? 一人で行ける 何も問題ない
ニィちゃんは一人がいいって思ってる――パロムの言葉がよみがえる ああその通り、自分は一人で大丈夫だ しかし、勇ましい思考とは裏腹に、心もとなく廊下に響く一つきりの足音
喧嘩の発端となった怒りは、冷めてしまうと頗るバツが悪いことこの上ない。どんなに奮い立たせてみても、あのイライラは戻ってこない
いい加減、潮時か――溜息一つで覚悟を決め、心の奥底に空いた奈落を覗き込む
この先一人で旅するとか笑えない冗談すぎる 無理だ
自分は皆を当てにしている 口ではなんだかんだいいつつ、これまで彼らが本当に帰ってしまうことなど思いもしなかったし、だから頻りに帰れ帰れと軽口を叩いていられた 無意識のうちに、自分は仲間たちに頼り切っていた――って、あれ??? 目を背けていた心の裏側にはとんでもない悪しき邪念が潜んでいるとばかり思っていたのに、いざ引き上げてみたら全然大したことない 奈落に思えた心の暗がりは、実際に足を踏み入れてみれば納屋の片隅程度でしかなかった そこに潜んでいたのは牙を剥いた魔物などではなく、舌出してあかんべーしてる意地っ張りな子供だった。
※一生後悔を背負うことに比べたら、言を翻す恥が何ほどのものだろう。 改めてエッジの部屋へ向かう 謝って、もし許してもらえるならまた旅に同行してくれるよう頼むために
自室に着くと扉開きっぱなし 窓の桟に腰掛けてぼんやりと部屋の暗闇を見ている様子のエッジ ノックをすると漸くこちらに気付いた様子
いざとなると改まった言葉が出てこない ※そういえば自分は話下手だった このところすっかり忘れていた
「明朝、ここを発つ」
「そうかよ」
素っ気ない返答 沈黙が会話の先を塞ぐ だが、乗り越えられない距離ではない。
「「なぁ」」
二人同時に どちらも先に言えと促す 仕方なし、カインは口を開く
「この先も一緒に来てくれ」
「置いてくなんて言うなよ」
またほぼ同時 お互い顔を見合わせる 耐え切れず吹き出す がしっと握手組んで肩に寄せる エッジ笑いながらカインの頭がしっ抱えヘッドロック
「まっ、俺様がいねぇと始まんねぇってこったな!」
「抜かせ。見張っておかんと禄な事をせんからだ。」
一頻り笑い合い ふと、何か大事なことを忘れてるような…… 二人同時にハッと気付き
「おい、ガキどもにメシ!」
「しまった!」
慌てて駆け出す
「目ぇ回しちまってんじゃねえか!?」
「急ごう!」
心配させた上に飢えさせるとは、何と酷い仕打ちがあったものだろう 大急ぎで食堂へ超特急
翌朝 じいやを石化させる
「先行っててくれ、すぐ行く」
仲間を先に行かせ 石像と向き合う 石像に語りかけるエッジ
※「……残った方がいいのは、百も承知だ。」
成人と共に継いだエッジの名と、先王の逝去によって継承が前倒しになった首長の座 当然、身の自由を保ったまま背負い切れるものではない。カインに甘ちゃんだと言われても仕方がないことは自覚している 実際に、本来成すべき、主に首長として成すべき務めの一部を長く放り出している状態 それでもこれまでこうしていられたのは、自分に代わり国の鎮を果たしてくれる内政手腕に秀でたじいやがいたからこそ そのじいやが動けない状態となった今、旅に同行する選択肢を取れる大義は、無い。
※今回は前回・クリスタル戦役の時のような身内ばかりの面子ではない 戦力面も自分が抜けても不備は特にないだろう 全ての環境条件が残ることが正しい選択だと告げている 分かってはいるが……
※「付いて行きたいのは本当に単なる我儘・彼らを気に入っているから力を貸したいというそれだけ 許してくんな。」
こちらこそ、そんなことは百も承知――呵々笑うじいやの声が聞こえた気がした。
「じゃ、行ってくらぁ。」
部屋の外で一行待機
「待たせたな、行こうぜ。」
皆に見送られて城を発つ。
「留守を頼むぜ!」
「ご武運を!」
振り返りはしない。