ミシディア市の正中心に聳える巨大な古代遺跡――祈りの塔。有史以来煉瓦一枚も欠ける事なく威容を誇り続けるこの塔は、魔導国家ミシディアの象徴でもある。
塔前広場で群れをなす市民にもみくちゃにされやっとの思いで塔に辿り着いた四人は、彼らの到着を待ち侘びていた書官の案内で、最上階へ向かった。
「かなり混乱してるみてぇだな。」
両脇に扉が並ぶ大廊下を魔導士たちがせわしなく行き交う。エッジの言葉に、先頭を行く書官は暗い表情を見せた。
「皆セシル殿を信頼していますが、先の大戦の傷が癒えたわけではありませんから……。」
すれ違う魔導士たちは皆、張りつめた表情の奥底に恐怖を隠し、忙しさに自分を駆り立てているように見える。
「……すまない。」
ふと、頭上から降りてきた呟きにポロムは顔を上げた。声の主と思われる人物は、険しい眼差しで真っ直ぐ行き先を見つめている。
彼の言葉は真横を歩いていた少女にしか聞き取れなかったらしい。その後何の会話もなく、一行は塔の最上階、長老の待つ祈りの間に通された。
「それでは、私はここで……」
案内を終えた書官が一礼して踵を返す。
「頑張んな、おねェちゃん。」
長い焦色の髪をなびかせ去っていく後ろ姿に、エッジは励ましを投げる。書官は振り返らず、その場で再び一礼して足早に階段を駆け降りていく。
「何してんのさ、もう時間無いんだってば!」
「へぇへぇ。」
パロムに気の抜けた返事を返したエッジは、カインと共に扉を押し開けた。
重厚な扉が左右に分かれ開く。室内の様子を目にした一行は、驚きのあまり言葉を失った。
石像然とした不思議な余裕の笑みを頌える長老――の背後に据えられた大砲。壁の無い北に砲口を向けるそれは、軍事国家出身であるカインですら見た事が無い程巨大且つ長大だ。
「よくぞ参られた、大使殿、エブラーナ王。ご苦労であったな、パロム、ポロム。」
長老の言葉が右から左へ突き抜ける。
「本来ならば礼を尽くさねばならぬところじゃが、今は一刻を争うゆえ用件のみを簡潔に申す。バロンの船の件じゃが、先ほどから幾度も警告を発しておるのに何も応答がないのじゃ。そこで塔の上空を通過する折に――」
「おいおいおいおい! もしかしなくてもその大砲で船までぶっ飛んでけってか!?」
皆に先駆けて正気を取り戻したエッジは、話の腰に飛び蹴り喰らわせた。恐るべき陰謀を見抜かれた長老は、曇一つない晴れやかな笑顔を浮かべる。
「おお、さすがはエブラーナ王殿! では、善は急げじゃ早速準備を――」
「じゃっ、じゃあー、頑張ってな、ニィちゃん達……」
「ご武運をお祈りいたしますわぁ……」
聡明な双子は素早く防御線を張った。だが。
「何を言うておる。お前達も一緒じゃよ。」
「「やっぱりーーー!?」」
不気味なほど喜々とした長老は、一行に粗末な鉄兜を支給した。
「もう時間はあまりないのでな、早速準備を。」
※長老は大砲の発射準備に取り掛かる。もはや何を言っても非人道的移動手段行使を思いとどまらせる事は不可能に違いない。命を預けるにはあまりにも安い安全装置を頭に乗せ、エッジは隣の仏頂面に話しかける。
「よぉ、カイン。」
「何だ。」
もはや覚悟を決めたらしいカインは、全ての思考を停止させたような無表情の顎下で紐を結ぶ。
「あのじいさん、この非常時になぁ~んで明るいんか考えてみたんだけどよー、」
「何も考えるな。疲れるだけだ……。」
相棒の邪推を遮り、カインはため息をついた。手に下げていた背嚢から武具帯を取り出し、筒状の固定具を右肩の真後ろにくるようにして斜めに掛け留める。
「達観しちゃってんのな……」
鉄壁の冷め顔で黙々と武装を済ませる相棒の姿には言い様の無い悲哀が滲む。
※ 長老は大砲のつるつると磨かれた筒を頼もしげに撫でる。
※「この大砲は急拵えではなく、ずっと昔にきちんと研究して作られたもので当時ちゃんと試験済みじゃ。試験の結果、着地に難があることが判明しての。だが、試練の山より炎を纏いて舞い降りても五体無事であった火の玉大使殿ならば、きっと大丈夫じゃとも」
※思いもよらないところから因果が巡ってきた。 カインは悔いる ここへ来る前・街へ降りる前の会話・あの時きちんと蒸し返して首の一つも絞めておくべきだった。最も、今回はエッジも同じ目に遭う点については、いくらか溜飲の下がる思いだが。
※言外に剣呑な気配を感じたエッジは、準備に取りかかった。獣皮を幾重にも重ねた巾着袋から苦無に代わる投擲具を五本取り出す。
「変わった武器だな。」
一足先に装備を終えたカインは、異国の武器に興味を引かれ覗き込んだ。エッジが手にするそれは細い円錐の刃部分と朱糸を巻いた柄から成っており、刃と柄の繋ぎ目に節足を模した装飾が施されている。
「点討(てんとう)ってんだ。持って見っか?」
初公開の武器を矯めつ眇つするカインの様子に気を良くしたエッジは、手振りを加えて講釈を始めた。
「そいつをほら、何たっけ、『打圧』だっけ? あれみたいにして構えてよ、こう、でけぇ血管の通ってそうなトコに向けて投げる。」
「ふむ?」
「すっと、その足みてぇなとっからエブラーナ秘伝の猛毒がだな――」
「エッジさん、カインさん! おしゃべりしている時間はありませんわ!」
既に準備完了したポロムが武具講談を遮る。
「す、すまん。」
「いっけね。」
非常事態である事をうっかり失念していた二人は、中断していた準備を再開した。
「俺とした事がエッジの口車に乗せられるとは……不覚。」
失態を悔やみながらカインは手持ちの薬類を確認する。薬用酒の小瓶が三本、血清が二本、固形血止め剤が一つ、気付け薬が二包……一通り揃っている。
「おいおいー? 話しかけてきたのはそっちだろがぁ。」
謂れの無い非難にきっちり報復し、エッジも武装を済ませた。飛蟲針を五本左上腕に巻いた武具帯に差し、予備の小刀を腰に留める。
「準備オッケィ!」
「こちらも完了だ。」
「では、参りましょうか。」
青白い光を放つ宝玉を先端に飾った杖を一振りし、ポロムは唇を固く結んだ。
「じっちゃん、出発だー!」
白金の短剣を勇ましく腰に差したパロムは、射角調整する長老に準備完了を告げる。入念な点検を終え、長老は一行に向き直った。※エヴァック用の特別仕様(噴水前広場にバインドしてある)「ひじょうぐち」をそれぞれに配りながら
「大使殿、エブラーナ王、子供達を頼みますぞ。パロム、ポロム、わがままを言って迷惑をかけんようにな。」
「じっちゃーん、遠足に行くんじゃないんだからさあ……」
緊迫感を著しく殺ぐ長老の言葉に、パロムが唇を尖らせる。
「では、どなたから参るのじゃな?」
口元を覆う絹糸のような髭を揺らし、長老は大砲の弾込口を開いた。運命の選択を前に、四人は顔を見合わせる。
「……俺が行こう。」
示し合わせたかのような視線の一斉掃射を浴びたカインは、泥沼議論に陥る前に自ら進み出た。どうせ結果が同じならば無駄な時間を費やす必要はない。
ミシディアで暮らすようになって以来どんどん潔くなってゆくカインの姿に僅かな良心の呵責を感じたエッジは、傍らにいたパロムの手を捕まえ、大砲の前へ歩み出た。
「よっしゃ、天下無敵の俺様とパロムが先陣を務めんぜ。」
「えっ……た、隊長、勝手に決めんなよ!」
了解無く先発隊に加えられ、パロムは頓狂な声を上げる。エッジはじたばたともがくパロムの手をぐいと引き、挑発的な笑みを浮かべてみせた。
「へぇぇ~、ほぉぉ~、もしかしてパロム君……いや、まっさかねぇ~、怖いわけねぇよなぁ~、天才黒魔導師だもんなぁ~。」
「ばっ……そんな、怖いわけないじゃん!」
「んじゃ、異存はねぇよなぁ~?」
「うっ……。」
ませているとはいえ、およそ五分の一ばかりの人生しか持たない子供に、修羅場をかいくぐってきた歴戦の悪知恵が負けるわけがない。子供心を手玉に取った元悪ガキは、パロムを抱いて射出席に着いた。着地の関係で砲口に足を向けなければならないため、しばしの逆立ちを強いられる。
直射日光を反射する砲口の先を、無数のプロペラで空を駆ける飛空艇が差し掛かった。
念入りに最終チェックを行った長老は、分厚い鋼鉄製の蓋が閉める。余裕の笑みでひらひらと手を振るエッジの逆さまになった姿が見えなくなった。
砲身が僅かに上を向く。
「では、行きますぞ!」
号令一喝、筒の脇に取り付けられた発射棹が勢い良く手前に倒された。
「うっ ひょおぉぉーーーーーーーー……」
「うっ ひゃあぁぁーーーーーーーー……」
連続する爆発音が愉快な悲鳴を凪ぎ払う。砲口から飛び出した一塊の光は風を切って遠ざかり、飛空艇にかかる放物線を描いて消えた。
先発の様子を見守っていた後続は、これから訪れる運命の前に息を呑む。
「さぁ、早う乗りなされ。」
長老に急かされ、ポロムは傍らに立つ竜騎士を見上げた。
「ふつつか者ですが……宜しくお願いいたします。」
ポロムは幾分青ざめた表情を深々と垂れる。
「不安か?」
小さな体を抱き上げたカインは、幼なじみと良く似た瞳の白魔導師に問うた。
「へ……平気ですわ。カインさんはいかがですの?」
精いっぱい強がる言葉に、カインは思案顔で答える。
「俺は不安だ――行き先より移動手段に不安を感じるのは初めてだがな。」
「えっ……。」
思いがけない言葉に、ポロムは迷った。この非常時に冗談を言うような人物ではないが、かといって徒に暗澹を顕にする人物でもない。笑うべきか、頷くべきか――。
軽い冗談で元気付けてやるつもりが大困惑を招いたカインは、鼻先の羽を吹くように嘆息する。人当たりの良いセシルや、無条件で子供に好かれるエッジのように、明るく振る舞ってみたつもりなのだが、何処か何かが決定的に違うのだろう。
無理はよくないと気を改めたカインは、ポロムの体をしっかり固定し狭い射出席に着いた。薬類を詰めた背嚢はポロムの尻に敷くようにして腹に抱える。
「では、行きますぞ!」
長老の隠声が響き、頭上から差していた光が消えた。足元へ目をやると、遥か下に小さな白い輝きが見える。
部品の噛み合う音が響き、体が揺れた。足元から押しつぶされるような感覚がし、体中の血液が頬の辺りに溜まる。有り難いことに爆発音は全く聞こえなかった。音が外へのみ向かうよう何らかの仕掛が施されているらしい。
金属の擦れ合う甲高い音が耳を叩く。足元にあった小さな光の点が大きさを増しながら近付き、視界の全てを呑み込んだ。
肩を押さえていたハーネスが外れ、四肢が自由になる。回りの景色が緩やかに流れ、目的の船の甲板が見えてきた。
慣れ親しんだ感覚の中で、カインは素早く計算する。射出速度と射出角度からみて、着地するのは甲板の――
「足り――」
少女を抱く腕に力を込め、船尾の張り出し部に爪先を噛ませる。再び空に舞ったカインは、宙で蜻蛉を切った体をどうにか甲板に降ろすことに成功した。安堵を少女と共に腕から下ろし、遠ざかってゆく射出元を見遣る。わざわざ一歩手前で落ちるよう仕組んだのかと思われるほど、見事な角度調整ミスだ。
「大丈夫か? しばらく気持ちを落ち着けるといい。」
息も付かせぬ空中曲芸を味わったポロムは、目を見開いて硬直している。背嚢をたすきに掛けたカインは少女をその場に座らせ、先発隊の姿を探した。何があるのか分からない以上、迂闊に声を出すのは危険であると一度は判断したが、相当派手な到着をした今更声を出す事を躊躇う必要もないと思い直す。
「エッジ、パロム、何処だ!」
声を掛けて待つこと暫し。
「ニィちゃーん! ポロー!」
「よぉー! 遅かったじゃねーかっ」
陽気な挨拶と共に、船室へ降りる扉の向こうから二人が姿を現した。パロムの方に怪我はないようだが、少年と歩幅を合わせて駆けてくるエッジは右肩を押さえている。
「ったく散々だぜあのじっさまよりにもよって計算ミスしやがんの。」
「脱臼か。」
どうやら先発も同じく――否、以上の不運に見舞われたらしい。カインは顔をあわせた早々文句を並べ立てるエッジの右腕を持ち上げた。エッジはあからさまに顔をしかめる。
「災難だったな。」
「ホント焦ったぜぇ~とっさに旗掴んだがバロンの旗っちゃ弱ぇのなぁ俺様じゃなきゃ落ちてたねきっと。」
※背後ではためく赤い翼の隊旗 エッジの言うとおり1.5人分の荷重を受け止めたポールは曲がっている。
「エッジさん、肩をこちらへ。応急処置いたしますわ。」
自慢話に移行しそうな雰囲気を察し、ショック状態から立ち直ったポロムが治療を申し出た。
「いや、温存しておいてくれ。」
詠唱を始めたポロムを制し、カインはエッジの腕を掴む。
「こんなもの、魔法に頼るまでもない。」
「なっ……ちょい待っ……ちょい待っ……」
優しい看護を受けられるものと期待し、わざわざ後続の到着を待っていたエッジは、予想外の成り行きに待ったをかけた。が、腕を握る竜騎士は患者の懇願を聞き流す。
「ゥギャワァーーー!!」
何とも形容しがたい鈍い音と、それを追いかける悲鳴。いささか強引すぎる治療を施したカインは、豪快に痛がるエッジを呆れ顔で見下ろす。
「ニンジャーなら少しは我慢しろ。」
「お前なぁーーーっ! 忍者関係ねぇだろ忍者は!」
「いや、ある。ニンジャーなら我慢すべきだ。」
「何で依怙地になんだよ!」
口先の鍔迫り合いかたわら、前衛を担うための戦闘準備に余念はない。
小剣を鞘から抜いたエッジは、右腕の運動も兼ねて左右に風を切った。カインも利き腕に携えた槍を振り、携行用に収めていたそれを使用の長さに戻す。
甲板に降り立った瞬間から感じる妙な気配。俗にモンスターと呼ばれる凶暴化した原生生物とは明らかに異なり、気配そのものは人のそれだが、何故か生を感じられない――試練の山に時折現れる鬼火屍に似た、しかし非なる何物か。
「さて行きますかぁ。」
軽い屈伸を準備運動に設え、エッジは明るく突入を告げた。
本来ならば前衛の直掩を担うカインが”盾”の不在により押し出し式に先頭を務め、黒、白と魔導師二人を挟んでエッジが殿に立つ。
カインは居住層へと降りる扉を四つに切り払った。なんとも乱暴な挨拶だが、それを咎める者はいない。周囲を警戒しつつ、慎重に階段を下る。奇襲に備えるまでもなく、船員フロアの廊下からはまるで人の気配が感じられない。高速航行中という事を差し引いても異常と言える静けさだ。
人員の行き来に支障がないよう、互い違いに取り付けられた船員室の扉は左右ともに二つ。カインは最も手前にある一号船室の扉をノックした。
「我々はミシディアの者だ。貴船は領空を侵犯している、直ちに停船せよ。」
お約束の台詞をかけて出方を待つが、何の反応もない。返事はともかくとして、動いた気配すらない。念のためマントの裾でノブを掴み、カインは扉を押し開けた。
「!」
室内の惨状を目にしたカインは、マントを広げ後続の魔導師二人の視界を遮る。見物禁止を喰ったお子様二人を押し退け、エッジは室内に足を踏み入れた。
「こりゃ……何だ……?」
茶化しが商売の楽天家ですら言葉を失う。
※死体 頭頂の骨が外れて、中から脳がほどけて太ももの上にこぼれ出ている(繋がってる状態) まるで中途半端に掻き出したような
室内には船員が二人、壁に背を預けて座っていた。項垂れた二人の表情は分からないが、確実に生きてはいないだろう。両耳を結ぶ線で頭蓋骨がきれいに割られ、脳が神経を引きずったまま、投げ出された足の上に解けている。
今まで無惨な死体をいくつか目にしたが、これほど異常な死体は初めてだ。検証へと移る前に、カインはしばらく目を閉じ黙祷する。
「何なんだよ! ニィちゃん達だけズルイぞ!」
「馬ぁ鹿野郎。ズルイって問題じゃねぇや。」
真剣な瞳で室内を観察するエッジは、騒ぐパロムの頭をこづいた。
「見てぇんなら見ても構わねーけどな……覚悟しろよ。」
エッジの脅しに、双子は揃って生唾を呑む。
「おいエッジ――」
「こいつらだって遊びに来てんじゃねえよ。」
行き過ぎをとがめるカインに、エッジは過保護を指摘した。
「……エッジさんの仰る通りです。見せて下さい。」
しばし逡巡のち、ポロムは保護者二人に決意を示す。
「お、おい、ポロっ……もー少し考えようぜ……」
「情けない顔しないのっ!」
弱気な弟を叱咤し、二人は同時に目隠しを外した。惨状を目の当たりにした小さな手と手が、互いを固く繋ぎ止める。
「ぜ、ぜん、ぜ、ぜんっぜん平気じゃん……こんなの……」
「ほ、本当、へ、平気ですわ……」
強がりながらも震える小さな肩を廊下に戻し、カインは改めて現場検証にかかった。
「よぅ、一応他の部屋の様子も見てくら。」
「気を付けろよ。」
すすんで分担を申し出た相棒に偵察を任せ、カインはまず右の死体に近付く。
「ニィちゃん、オイラ達は?」
一時的な言語障害から立ち直ったパロムは、自分達にも役割を充ててくれるよう申し出た。正直なところエッジと同じ他部屋の偵察は避けたいのだが、そうも言っていられない。
「廊下の見張りを頼む。何か変わった事があったらすぐ知らせてくれ。」
「「りょーかい!」」
周囲警戒を任された双子は、ようやく動悸の鎮まった背中を合わせ廊下を見渡す。
全員に仕事を割り当てたカインは、船員の顔を傾け、襟元の記章を確かめた。バロンの国旗と同じ紋の下に三本の横ラインが引かれ、それを打ち消す斜めのライン。これは準位空士、軍学校を出て一巡年に充たない見習い身分であることを示す。カインは首を傾げた。”赤い翼”を編成する大型正規軍艇に何故准士官が乗船しているのか――新政権樹立後の情勢は詳しく分からないものの、一般から徴用可能で、なおかつ最も人気が高く志願者の多い空軍に於いて、人手不足は考えられない。
疑問はひとまず胸にしまい、恐らくは一撃の元に命を断ったであろう傷の検証に取り掛かる。人体の中でも群を抜いて切断が困難な頭蓋骨なのだが、骨の継ぎ目に沿って、見事に滑らかな切断面だ。※どれほど切れ味の良い銘刀で、どれほどの達人がこんな仕業を行ったのか。
切り離された頭部の片割れは膝の脇に落ちていた。骨椀に湛えられた忌紅を零さないよう、慎重に取り上げる。上下移動に伴い、浸血を免れた毛髪が掌に落ちた。目線の高さに上げた断面部を見れば、赤糸が幾条も椀内部へと垂れ落ち、その縁を篝っている。
切断部付近の頭髪がこれだけ残っているとは何とも奇妙なことだ。無論、この無残な遺骸は、所謂通常の方法で作られたのではないだろう。それにしても、どのようにして、何故――目まぐるしく様々な方法で殺害の瞬間を作り出す思案の隙間から、うんざりと淀む吐き気が滲み出し、溢れる。※致命傷が斬撃によるものとしたら出血が不自然に少ない・拭った跡も見当たらない それに、骨を割られただけでは死に至らない しかし、抵抗した後が無い 少し想像 今しも己の脳を掴み出されているとして、果たして満足に抵抗などできるだろうか
――とても正気の沙汰ではない
※追証を一語の元に切り捨てる。このような凶行に及んだ者の考えは理解できようもない
損傷部の検分を終えたカインは、足の上に広げられた頭蓋の中身を見やった。脳の破損箇所を調べるために顔を近付け、己が目の正常を疑う。
だらしなく形を崩した脳の襞一畝一畝が、僅かずつだが四方に延びている。※床板を目安とすることによって、幻覚は事実となる。蚯蚓が這うごとく非常にゆっくりと、だが確実に、延びるほど太さを増す赤黒い触手。
「カイン、生きてんぞこれ!」
壁越しに鋭い警告が上がる。カインは持ち場を離れ廊下の二人と合流した。ほぼ同時に、エッジも最奥の部屋から飛び出してくる。
「ニィちゃん! 隊長!」
「船員さん達、生きているんですか!?」
「ンな筈はねぇ……んだが、動いてんだよ、中身が……。」
戦慄の証言にポロムは青ざめた。
「どうする大将?」
エッジは後ろ手に薄気味悪い光景を閉ざす。カインは暫し考えを巡らせた後、一つの提案を述べた。
「……石化させよう。」
「うっ……!」
大役を仰せつかったパロムは思わず呻いた。カインとしても、幼い目に酷いものをこれ以上見せたくはないのだが、他に良い案が思い浮かばない。
「ほらパロ! 私も一緒にやるから。」
「へ、平気だい! ポロはニィちゃんと一緒に待ってろよ。……な、なあ? た、隊長……」
「おうよ。」
エッジをお供にしたパロムは、船室を回り一体ずつ確実に石化させる。幼いながらに天才と謳われるだけあり、一度も失敗する事無く八体の不気味な彫刻が完成した。
「さて、どうすっかねェ。」
想定外事態の発生に、エッジは当座指揮官の意向を問う。
「生存者を捜そう。一体何が起こったのか、原因を突き止めなければ――」
なし崩しに一行の行動を決定しかけ、カインは付け足した。
「お前達はミシディアに戻るか?」
「止せやい、首突っ込んだからにゃあ手ぶらで戻るつもりは毛頭ねぇよ。」
「報告書を書かなければなりませんので、一緒に参りますわ。」
「早く次行こ、次!」
一蓮托生を決め、船室層を後にした一行は、続く船長室に於いても同様の死体を三体発見した。船長と補佐官二人の死体も、パロムの魔法によって石化する。
残るは上下二層。操舵室と機関室はどちらが停止しても船の航行に支障を来す。ということは、どちらにも生存者がいる可能性があると言う事だ。
カインはここで二手に別れる事を提案した。
「俺とパロムで操舵室、エッジとポロムで機関室を当たろう。もし何らかの支障が生じたら各自の判断で脱出し、ミシディアへ戻る。異存は?」
飛空艇の知識に長けた者の指示に、一同異存なしを示す。
「じゃ、塔前広場でな!」
「待たせるなよ。」
拳を打ち合わせ互いの武運を願った二人は、それぞれの背にした方向へと歩き出す。二人の年長者を真似て挨拶を交わした双子も、それぞれ保護者の後を追った。