5話・歌おう秘密の約束
「……これは夢だ」
彼はそれを自覚していた。
夢でなければ良い。ずっとこのままでいて欲しいのに。
彼の目の前のベッドで、少女が規則正しい寝息をたてている。十代の半ばほど、小柄で、ウェーブのかかった淡い色の金髪の、まるで人形のように愛らしい少女だ。
「……メイファ」
このまま目を覚まさないんじゃないかという不安を覚えて、彼は彼女の名を呼んだ。愛らしい寝顔を見ているのも悪くはないのだが、せっかくなら、
「メイファ」
笑顔が見たい。
反応を少女が示さないので、顔にかかっている髪を撫で付けながらもう一度呼んでみる。
「ん……」
反応があったかと思いきや、毛布を引き寄せてごろんと彼と反対方向を向いて丸くなってしまった。
彼は思わず苦笑を浮かべる。
これはこれで、確かに彼女だ。笑って欲しい、話して欲しい、自分の名を呼んで欲しい、色々願いはあるのだが寝ているままではどうにもならない。
「本当に意地悪だな……。夢でくらい、言うことをきいてくれたって良いじゃないか」
夢でしか会えないのだから。
少女の顔の横に手をついて、少女の頬にロ付ける。もう少し、勝手が許されてしかるべきだ。
少女が薄く目を開く。鮮やかな夕陽色の瞳。
「フェザ……?」
彼が身を起こすと、どこか寝ぼけたままの声で、少女は彼の愛称を呟いた。
彼のことをそう呼ぶのは彼女だけだ。彼女だけなのに。
上半身だけ起き上がった少女の横に腰掛けると、彼は彼女の頭を撫でた。
「……馬鹿にしてるでしょ?」
「いいや?可愛いなと思って」
彼女が不満そうに華奢な手で彼の手を掴んでやめさせる。
くすくす笑いながら、彼が面白がってもっと撫でようとすると、彼女も笑いながら必死の抵抗を試みた。少しの間そうやってじゃれあっていたのだが、ふと、彼が泣き笑いのような表情を浮かべる。
「……君がいなくなったら、俺はどうしたらいいんだろうな」
聞きたかった。答えは多分わかっているけれど。もしも違う答えを言ってくれたら、もしかしたら、救われるかもしれない。
「約束、守ってね」
少女は変わらない笑顔で彼を見上げている。
「……守ってるよ」
言われるまでもない。守っている。彼女としたたくさんの約束を守っている。
彼女がいないという理由で守りようのない約束もたくさんあるけれど、それでも可能な限り、彼は約束を守っているつもりだ。
「人を殺すなと言うのだって、あの時以外破っていないよ」
静かに言うと、少女は彼の目を覗きこむように顔を近づけた。
「破りたい?」
その質問に、まるで射抜かれたように胸が痛くなる。
「……一つだけ」
正直に答えると少女は苦笑した。
「お願いよ……」
「……言わないでくれ……」
俯いて、続く言葉を遮る。
次に言うことの予想がついた。やはり、違う答えはありえなかったのだ。
「約束して」
両手を彼の頬にあて、顔を上げさせる。
「絶対に、自分から死のうとなんてしないで」
階段を降りて扉を開けると、すでにフェザーナートは起きていた。
「はよーん。今日は早いね。せっかく柩に放りこもうと思ってこんなの捕まえてきたのに」
エリクは手に乗せたカエルをさも残念そうに眺めやってからフェザーナートに視線を戻し、
「……どしたの?」
「? 何がだ?」
質問をすると柩の縁に腰掛けていたフェザーナートが不思議そうに顔を上げる。
エリクは手の上でカエルを弄びながら、視線はフェザーナートから外さずに、
「何か泣きそうな顔してる」
言うと彼は一瞬きょとんとしてから苦笑を浮かべた。
「……それは、困ったな……」
「どしたの?」
フェザーナートは目を伏せて、小さく嘆息する。
「夢を見ただけだ。たいしたことじゃない」
「そう?」
言いながらエリクはカエルを頭に載せつつ、
「近いうちにさ、ここの改装終わりそうだよね。近隣の町に知らせに行こうと思うんだ。だから二、三日俺いないから]
「わかった」
フェザーナートの答えを聞いて、エリクは満足そうに頷く。
「俺が戻ってくる前に改装終わらせちやってよ」
「……いい身分だなクソ坊主」
怒りのこもったフェザーナートの声に、彼はわざとらしく傷ついた顔をして
「そんなっ!『手伝って』って言ったにも関わらず全部君一人に任せていることなんか今更気にするようなことじゃないじゃないか!!」
「いっぺん本気で殴らせろ」
叫ぶのを聞いて握った拳を震わせながらフェザーナートは立ち上がった。
エリクは不思議そうな表情を浮かべてこともなげに言い放つ。
「一回でいいんだ?」
「……殺す」
フェザーナートは近くの壁に立てかけられていた自分の剣を取り、素早く引き抜いた。
「うわーん、フェザーナートが怒ったよーぅ。短気ー」
「子供かお前は!」
「君よりか子供だよー」
銀色の刀身を突きつけられようとも、ヘラヘラと笑いながらエリクが言うと、彼は剣を下ろし、低い声ではっきりと
「それ以上私を怒らせてみろ。……お前の部屋のタンスの中で、亀を飼うぞ」
「……………………それは嫌だなぁ」
当たり前に嫌だろう。フェザーナートは攻撃の方法を変えたらしい。
エリクは何とも言えない敗北感を感じながら、
「……うん……。じゃー俺、明日早いから寝るわ」
そそくさと扉に向かう。
「十字架は自分でつけろよ」
「へ?」
不意にかかった声に振り返ると、フェザーナートはこちらを見てはいなかったが、その瞳には何か決意のようなものが見えた。
エリクは恐怖に近いものを覚えつつ、部屋から出る。
「めちゃめちゃやる気だ」
多分、彼がこの教会に戻る時には十字架以外の全ての物が完璧の状態になって待ち構えていることだろう。
時折、フェザーナートはわからない。
彼らが住んでいる教会は、昔は近隣の教会のない町が協力して等距離の場所に建てた物だった。しかしそのうちの一つの町に教会ができ、わざわざ山奥に行くこともないと皆そこに行くようになったために、ここの昔の住人は去り、ここは廃屋になったのだ。
が、その教会のできた町から遠い町の住人としては、どうしてわざわざそこまで行かねばならないのか、前の方が良かった、となるわけである。
それでエリクは前の教会の位置に教会が復活したことを知らせに近くの町にやってきたのだった。
彼は目を細めながら青空を見上げ、それからとりあえず町長の家を目指して歩き出した。
靴の裏にあたるのは土の感触。王都のような石畳は綺麗だと思うが、彼はどちらかと言うとこの方が好きだった。
「田舎者なんだよね、基本的に」
心の中で苦笑して、それらしき家を探す。大きくて小奇麗で、でも古そうな家。
比較的すぐにそれは見つかったが、それよりも先に気になるものを見つけてしまった。
好奇心に誘われて、そっちの方に足を向ける。
彼の位置からはそれなりの距離があり、町の外れのため木々に半ば隠されている。余程目が良くて、意識して見ようとしない限り見つけられないのではないだろうか。
しかしエリクは宇を読む時には眼鏡をかけるし、今は町長の家を探していたはずだ。どうして目についたのやら。
そんな不思議な自分が、彼は大好きである。
何だかうきうきして無意識に歩調を速め、しばし歩いたところで足を止める。
目の前には目的の建物。
「なかなか立派な廃屋で」
それは、それなりに大きな家だっただろう、人が住まなくなって十年は絶対にたっている廃屋だった。まあそれだけなら別に気になるものでもないだろうが、
「人影が気になったんだよねー」
壊れた雨戸の奥に見えた白い人影に興味を覚えてしまったのだ。もはや目が良いとかそんな問題でもない。
エリクは無遠慮に、内側に倒れた入りロの扉を踏みつけながら中に入る。
中は埃が積もっていたが、不思議と蜘蛛の巣はなかった。ただ、埃の積もり方はまばらで、誰かが確かに出入りしているようだ。昔住んでいた人が持って行ったのか、または誰かが持ち去ったのか、家具は何一つ残っておらず、中には何もない。居間だっただろう部屋に暖炉が寂しげにありはしたが、やはり使われている形跡はなかった。
「れ?」
暖炉の上に、人形が置かれている。天使をかたどった陶器製の人形だ。古い物のようだが埃は積もっていない。
手にとってみると、大きさに比べて少々重かった。後ろから見ると螺子がついていて、どうやらこれはオルゴールのようだ。
何となく少しだけ螺子を回してみる。手を放すと綺麗な音色が流れ出した。
「賛美歌だ」
天使の形をしているわけだから、納得する。
音はすぐに遅くなり、やがて止まった。
エリクはオルゴールを元の位置にもどすと、奥へ行こうと歩き出そうとした時、
「誰?」
子供の声がした。
驚いて足を止めると、行こうとしていた奥のほうから声が続く。
「クーキーでしょ?そろそろ来る頃だと思ってたの。今日何か……」
壁の陰から声の主が姿をあらわした。と同時に、
「きゃあああああっ!!」
悲鳴を上げて隠れてしまう。
「え?ねぇ、待って……」
言いながら、相手が姿を隠した壁の裏にまわったが、そこには誰もいない。辺りを見渡してみても家具がないのだから隠れられる場所があるわけはなかった。
「何だぁ?」
お手上げだと、肩をすくめて振り返ると
「何してるの?!」
別の子供の声がした。
入り口の所に、十歳くらいだろうか、ふわふわした栗色の髪を肩より少し長いくらいに伸ばした少女が立っている。
少女は眉を吊り上げて、ずんずんとエリクの方へ近づいてきたかと思うと
「あんた誰?!ここで何してたの?!」
精一杯の背伸びをしてエリクに詰め寄った。
エリクはにっこり笑うと、
「流浪の聖職者だよ♪」
何か妖しげな妙に可愛らしいポーズをとって答える。
少女はかなり引いたようだったが、すぐに気を取り直して再び声を張り上げた。
「ここで何してたの?チェシリーナに何かしたら許さないから!」
「ああ、あの子チェシリーナちゃんて言うの?綺麗な子だったねえ」
とっさすぎて少ししか見れなかったが、消えた少女も目の前の少女と同じくらいの年齢だったように思う。透き通るような長い銀の髪の、驚くほど整った顔立ちの少女。だが、外見よりも雰囲気のような何かが、彼女を美しいと思わせた気がする。
「とにかく出てってよ!帰って!どこかに行って!!」
目の前の少女はエリクの後ろに回りこむと出口に向かって彼を押した。
「わ、と。いきなり酷いな。君たちの遊び場に勝手に入ったのは謝るよ。自分で出てくから押さないでって」
言いながらエリクが外に出ると、少女はカー杯心をこめて
「さよなら!!」
別れの挨拶を叫んで奥に入ってしまった。
「……参った」
エリクは頭を掻きながら廃屋を一瞥し、溜息を一つつくと町長の家と思われる方向へ歩き始めた。
途中、さっきまではあまり見かけなかった子供達の姿を多く見かけた。不思議に思いながら歩いていると、集会場らしき大きめの平屋建ての建物から子供達が出てくるのが見えた。建物の入りロで一人の男がそれを見送っている。
「ここで何をしていたんですか?」
エリクは近寄ってその男に質問してみた。
「ああ、子供達に歌を教えているんですよ。合唱団を作って、感謝祭に教会で歌えるようにね」
「へー」
「貴方、神父様ですか?聞きたかったら明日来てみて下さい」
「それじゃ、明日また来ます。森にできた、新しい教会でも歌ってくださると幸いです」
笑って会釈をして、エリクは歩き出した。男は「新しく教会ができたんですか?便利になりますねぇ」嬉しそうに手を振ってくれる。やはり確実に利用者はいるようだ。
はずむ足取りで町長の家(仮定)の前につく。
「しまった。さっきの人にここが本当にそうなのか確認しとけば良かったなぁ」
後悔先に立たず。
「まあいいか」
一瞬で気にしないことにして、エリクは大きな扉のノッカーに手を伸ばした。