神様に乾杯 8話 - 1/4

8話・大嘘つきの懺悔室

彼女は思わず眉をひそめた。
目の前にあるのは一つの墓標。そこには二人の名前が刻まれている。ある夫婦が、もうこの世にはいないという証明だ。
「おかしいわよ、こんなの……」
五年前、死んだ日付は五年も前だと刻まれている。
「そんなはずないわ」
だって見たのだから。つい最近、彼が生きているのを。
死んだと思っていた。会うことはもう諦めていたのに、なのに、彼はいたのだ。
だから彼の足跡を追ってみることにした。納得いかないことが多々ある。だから調べだしたのに、しかし謎は増えるばかりだった。
聞きたいことがあるのだ。言いたいことがあるのだ。
「会いたいな……」
それだけの想いだけど。
探す理由には十分なはずだった。

「……砂糖って高いんだよなぁ」
買い物した食料を両手で抱えて、軽くなった財布のことを考えながらエリクは帰路についていた。
一番近い町ではあるが、散歩すら面倒だと思ってしまうとたいした距離に感じる。日向に出ることが好きなエリクは特に問題にしていないが、このタイミングで教会に来訪者が来たらと思うと問題だ。
だが、今日の問題はそのことではない。
「……砂糖~……!」
唸るように呟く。
甘いものが大好きな彼としては結構辛い価格なのだ。
作るのも食べるのも新しいレシピを考えるのも得意で好きなのだが現実問題毎日ケーキを作るわけには財布が許さない。
だが今日はケーキを作る大義名分がある。今日作るケーキのことを考えて足取りを軽くすると、後ろから馬の蹄の音が近づいてきた。
道をあけるつもりで端により、立ち止まってやってくる人物をぼんやりと眺めた。
「……わお」
呆然となり自然にため息が出た。それくらいにその人物は魅力的だったのだ。馬に乗っているから勝手に男性を想像していたが、そこにいたのは男装の麗人だった。
「貴方……神父よね?」
エリクのほうを見て、彼女は馬の足を止めた。
「そうですが……」
話しかけられるとは思っていなかったので、何だろうと思いつつ返事を返す。
外出時は制服を着るという決まりをエリクは例外はあるけれど基本的に守っているため、外見は一目で神父とわかる。
「この先の教会の?」
「はい」
黒い髪を緩めに編んで、腰までたらした美女の大きめのサイズの男装は、豊かな胸のふくらみを隠しはしないため、むしろかなり色っぽい。それより何より気になるのは整った眉目も、細い顎も、切れ長の目の長い睦毛もその下の紫の瞳も、スラリとした長身から服装まで、現在柩で寝ているだろうフェザーナートにそっくりなことだった。
「私、教会に用があるのよ。行き先は一緒だし、二人乗りする?」
「は?え……?……ええっと、ミサですか懺悔ですか?それとも御依頼……?」
「それは教会に着いてから言うわよ。二人乗りが嫌なら荷物だけでも乗せようか?大変でしょ?」
「あー……っと……じゃあ荷物だけ」
二人乗りで、彼女と密着するのを一瞬だけ想像して、慌てて想像を切り捨てる。未熟すぎる考えが頭に浮かぶ限り二人乗りはできない。聖職者として。
エリクが荷物を馬に乗せると、彼女は慣れた手つきで鞍に縛った。
「じゃ、行きますか」
彼女はそう言うと、エリクの歩調に合うようにゆっくりと馬を進ませる。
「……あの」
しばらく歩いて、エリクは首を傾げて彼女を見上げた。
「何かこの状況は微妙に釈然としないのですが。教会に用があるというなら私にも用があるということでしょう?せめて名前くらいお聞きしても良いですか?私はエリクといいます」
「あら。ごめんなさい。確かに用件先延ぱしって苛つくわよね。別に悪気があったんじゃないんだけど。私はエルクイン。用というのはね、教会で友達に会うことになっているのよ」
「……何でまたそんな場所で待ち合わせを……」
怪訝そうなエリクの声を聞いて、エルクインは少し楽しそうに、
「クアラルからの手紙にはなんて書いてあった?」
にっこりと笑って言った。
「っあ」
エリクは先日クアラルから届いた手紙の内容を思い出し手を叩く。
「友達を会わせたいって……。貴方ですか?」
久しぶりに会いたい、友達を連れて行くと、以前助けたことのある少女からの手紙にはあった。
「そうそう。クアラルに紹介してもらった方がわかりやすいと思ったんだけど。まあ先に会っちゃったわけだし。よろしくね。だからもっと普通に話して欲しいな。私、友達になりに来たんだから」
「あ、うん」
ニコニコと、楽しそうに笑顔を向けるエルクインに対して、エリクも笑って返事を返した。

手紙を見返してみると、来る日時、二泊の予定、それから、紹介したい友人は吸血鬼の事を知らないと書いてあった。
「微妙……」
とりあえず、かなり早めについたエルクインにお茶を出して、歓迎用のケーキ作りに取り掛かる。ケーキの生地の素をかき混ぜながら、フェザーナートをどう紹介すべきか考えていた。クアラルは彼に会いたいだろうが、エルクインがいる前の場合、いきなり地下から出てこられるとかなり怪しい。
「クアラルちやんてばどうする気なんだろう?」
紹介する当人は流石に何か考えてあるとは思うのだが。
手紙の内容はフェザーナートも知っている。こちらから呼ばない限りは地下から出てきたりはしないだろう。
「でも、もし妹とかそんなだった場合ってどうするんだろう……?」
エルクインの容姿を思い出し、考え込んでしまう。
「家族の話なんて聞いたことないしなあ……」
教会で吸血鬼を匿っているなんて話、世間に知れたら大事だ。すぐに焼き討ちにでもあうだろう。仮に家族だからといって安心はできない。
まあ、似ているだけで他人の空似の場合もあるのだが。逆に、本当の兄弟でも言われなければ気付かないなんてよくある話だ。
考え事をしながらでも、すでに体が覚えたケーキ作りは着々と進む。
「ケーキだけじゃ困るけど……料理はどうしよっかなー?クアラルちゃんは作りたいって書いてたけど……」
以前、彼女の家に泊めてもらったときに出された料理の味を思い出して、エリクは眉間に深いしわを寄せた。
「……あれは悪いけど嫌だな……」
味とか言う問題ではなかった。あの破壊力は凄まじかった。
「……俺が作っとこう」
女性に対して悪いかもしれない。しかし、ことは命に関わる。そう判断し、エリクは自分で作ることを決意した。

「遅いわねぇ……」
「遅いねぇ……」
何となく窓の外を見ながらぼんやりとエルクインが言うので、エリクもエルクインのカップにお茶を注ぎながら同様に感想を漏らした。
「そろそろ日が暮れそうだよ。心配だな。何かあったのかな」
「迎えに行くから一緒に行こうって言ったんだけど、最近馬の練習しているからいいって言って……。どこかで落馬して怪我でもしたんじゃ……」
二人で顔を見合わせて、心配そうに眉を寄せる。
「ちょっとその辺見てくるよ」
言いながらエリクは立ち上がり、正面玄関へ向かう。扉を開けて、外へ出た途端、
ヒュッ
「い……?」
首の横を、一本の矢がかすめて過ぎた。壁に突き刺さった矢は、まだ細かい振動を続けている。
「な……」
何だ、ともロが動く前に、慌てて教会内へ身を隠す。
すぐに続けて、野太い声があたり一面に響いた。
「見た通り、この教会は完全に包囲した!死にたくなければ隠している王女の宝を出せ!」
教会を覆う木々の中に多分大勢が隠れているのだろう、時折光るものが見える。その中の親分格の発言だとは思うが……
「はぁ?」
さっぱり何のことだかわからない。
異常を察して隣にやって来たエルクインが
「王女ってクアラルのこと?何の話よ宝って」
「さあ?」
尋ねるがエリクに答えようがあるはずない。
「少しだけ時間をくれてやる!」
声は続けた。
「王女はわれわれの手の内にある!そのことをよく考えて結論を出せよ!王女が隠している宝がここにあることは知っている!百数えるうちに出てこねえようだとこの教会に火をつける!わかったな!」
言うと声は大声で数を数え始めた。
「……どうするの?」
困った顔でエルクインが聞いてくる。
「王女……はクアラルちゃんのことだと思う。この国に他に王女はいないから。クアラルちゃんが誘拐されたってのは事実なんじゃないかな。それで、クアラルちゃんは俺たちに助けを求めて……宝なんて嘘をついたんだと思う」
本来ならこの国には王女はいないはずなのに、そう思いながらエリクが推測をロにすると、
「じゃあ逆らったらクアラルが危ないじゃない!」
エルクインは悲鳴に近い声を上げた。その彼女に向かって、「静かに」と人差し指を立てる。
「仮にも王族を相手にしようというんだ、めったなことがない限りクアラルちゃんが殺されることはないよ、切り札なんだから。……で、教会に火をつけるって方だけど」
言葉の途中でエリクは顔を外へ向けて
「もしここに火をつけたなら王女の宝は決して手に入らないと思え!」
よく通る声で外の全員に告げる。
それを聞いてエルクインはため息をつきながら
「ここに攻め入ってくるわよあいつら。多勢に無勢。どうなるかしら。武器か何かある?」
「ここをどこだと思ってんの。あるわけないでしょ?」
「じゃ、これ一本ね」
腰に差してあった細剣をスラリと抜いた。
それを見ながらエリクは祭壇の祭事用の杖を持つ。
「戦えるの?」
「お言葉ね、見てなさい」
「勇ましいね」
剣を構えるエルクインを見てエリクはやけっぱちに苦笑する。
二人の予想通り二人が大人しく出てこないが、宝のために火をつけることもできない外の人間たちは教会に攻め込んでくるようだ。走りよってくる足音が聞こえる。
ガシャアァァン
ステンドグラスを割って、石が投げ込まれた。「あああ幾らしたと思ってるんだよ!」注意がそちらへ行きそうになるが
----敵が入ってくるのは、
バンッ
入り口。
キィンッ
高い音は入ってきた男の繰り出すナイフをエルクインの細剣が受け止めた音。
「かあっこいい」
言いながら、扉のすぐ横に壁に背をつけて立っていたエリクが、エルクインの剣を避けた男の頭に杖を振り下ろす。
「この調子で一人ずつ来てくれたら楽勝だと思わない?」
壁の陰に引っ込みながらエルクイン。杖で殴られた男は床に倒れた。
「全くだね、ありえないけど」
同じく壁に隠れて入りロに次々打ち込まれてくる矢を横目で見ながらエリクは同意する。
ただでさえ聖火の灯りとステンドグラスを通した薄暗い明かりしかない礼拝堂。一箇所穴が開いたし入りロは開けっ放しなものの外も暗くなってきた。少し目を凝らすように細めながらエリクがエルクインに
「俺は裏口行くから!エルクインは入りロ頼むよ!」
告げながら教会の奥へ走り出す。
一瞬だけ言葉に詰まってからエルクインが返事を返す。
「わかったけど!ねぇ、コレいくらなんでも多勢に無勢なんじゃない?!」
言葉の最後は泣きそうな声だった。
「最初からわかってるでしょ?!」
駆け出しながら、振り返りもせずにエリクが答える。祭壇の両脇にある通路の片方の扉へ手を伸ばした時、
バンッ
「げ」
扉はほぼ二つ同時に聞かれた。エリクの反対側から。
突きつけられた剣を何とかかわし、杖を横に振るうが身を低くしてかわされる。侵入者は低くした姿勢のまま、エリクにタックルをかけた。
「わわっ」
後ろにそのまま倒され、上を見ると別の侵入者がエリクの顔面に棒を振り下ろそうとしている。
自分の上に乗っかっている方を何とか蹴り上げ、体を横に転がすと顔のすぐ横に棒が落ちた。
身を起こそうとしている間に、二人の侵入者が剣を、棒を、エリクに向ける。エリクは祭壇にかかっている布を力いっぱい引っ張って、相手に向けて祭具を吹き飛ばし時間を稼いだ。
「きゃあ!」
何とか攻撃を受ける前に体制を立て直し杖を構えなおすと、エルクインの悲鳴が聞こえた。左肩を切られたらしく血が滲んでいる。彼女もまた、一人で数名を相手に奮闘しているようだ。
助けに行きたくともエリクの方もエルクインよりは敵の数が少ないとはいえ一対二。しかもエリクは武術の心得なんて持ってはいないのだ。どうしたって防戦一方になる。
エルクインは敵の繰り出す剣に細剣を軽く当てて進路をそらし、身をかわすと別の敵に攻撃をかける。
「ぐあっ」
鮮やかな攻撃なのだが女性の力と細剣では致命傷にはなりにくい。確かに傷を負わすものの、敵の数はなかなか減らなかった。
それでも何とか数名と切り結び、倒していっている様は見事としか言いようがない。
ふいに、入りロを背に彼女に襲い掛かっていた敵が横にすっと動いた。
「危ないっ!」
すでに日の暮れた外から、黄昏を切り裂いて真っ直ぐに彼女に矢が迫る。
キィンッ
その矢を剣で叩き落したのは
「何がどうなっているんだ」
言うまでもなく美貌の吸血鬼。
突然の乱入者に驚きを隠せない敵を一人打ち倒すと、エリクは少し笑いながらフェザーナートに答えた。
「落ち着いてから話すよ」