3話・ご機嫌なティータイム
「フェザーナート」
呼ばれて彼は振り向いた。長い黒髪が流れるようにふわりと揺れる。切れ長の紫の瞳を不機嫌そうに細めただけで彼は特に何も言わない。修繕作業の他にその他雑用もやらされ、疲れている上にかなりご機嫌斜めなのだ。
声をかけた方の金髪の青年は裏口の戸をパタンと閉めると、フェザーナートのいる庭の柵の方へ近づく。夜目の利くフェザーナートには当たり前のことだが、青年も夜だというのに明かりを持っていない。それほど明るい月夜だ。
いつものお気楽そうな笑顔で空色の瞳を細め、
「あのさ、一階の隅に物置にしている部屋あるじゃん。あそこから使ってないテーブルと椅子持って来てよ。んでここでお茶飲まない?今日凄い晴れてるからさ」
満天の星空を仰いでお気楽そうに言い放った。
フェザーナートは、物置部屋からここまでの細めの廊下と、物置の物の置かれ具合と、テーブルの大きさを考えてから、一瞬殴ってやろうかと思ったのだが、神父の首にかかっている小さな十字架を見てやめた。この神父と会話するには常人の数倍の忍耐力が必要だということはもう思い知っている。
自分を落ち着かせる為か、大きく息を吐いてから、
「……神父、何故私がそれをするんだ?」
訊いてみたが、青年は笑ったまま、あまつさえいつもより楽しそうに、
「だって俺、重いの嫌だから」
言い放った予想通りの答えにフェザーナートは目眩を覚えた。
この教会は町から少し離れている上、多少は修繕したもののまだ廃屋同然なので人が来ることはない。“夜しか出てこない人が住んでいる”よりは“神父が一人で住んでいる”の方が都合が良いわけで、フェザーナートは人目を気にするのだが、こんな状態なら気にする必要はないだろう。
「何様のつもりだお前がやれ!!」
怒鳴りつけたが神父は気にする様子もなくこの教会を囲む木々に背を向け、柵に腰を下ろした。
「だってさ、役割を交換しようにも君がお茶を入れている姿って想像すると面白いよ?あまりの似合わなさに俺、絶対指差して爆笑するね。それって嫌でしょ?」
かなり論点をずらしてのうのうと言ってのける神父を半眼で見つめながら、
「……悪かったな」
彼はテーブルを取るべく教会の裏口に向かって歩き出した。
「人の良い吸血鬼ってこと自体が笑えるんだけどね」
遠ざかる後姿に神父が呟くと、その声が聞こえたのか人の良い吸血鬼はバタンッと力いっぱい扉を閉めた。
用意が整うのに思ったほど時間はかからなかった。吸血鬼の並外れた身体能力の賜物だろう。
盆をテーブルに置いた神父が妙に芝居がかった口調と身振りで、
「聞いた話では、遥か東方の国にはお月見という月を眺めながら酒を楽しむという習慣があるという。さあ、我々もこの美しい星と月を見てお月見といこうじゃないか」
「紅茶だろう?これは……」
冷静なツッコミを入れたフェザーナートの目の前で神父は紅茶にブランデーを注ぎ、そのカップをフェザーナートの前に置いた。
「私は茶会に付き合うと言った覚えはないのだが。聞いているのか神父」
はたしてこれは茶だろうか、という素朴な疑問が頭に浮かんだが余り気にしないことにして口を開いた。
それを聞いて神父は、
「え?!一人でここでお茶飲んでろっての?それ凄い冷たくない?」
自分のカップには大量のミルクと砂糖をボチャンボチャンと入れながら大声を上げる。
「それくらい付き合ってよ。名前で呼んでもくれないし、それでも友達?!」
「はぁ?」
意外な言葉に思わず間の抜けた声が出る。
すぐに「誰がだ」と叫ぼうとしたが、舌の上に乗ったのは別の言葉だった。
「神父様は吸血鬼である私を下僕か何かだと思っていたんじゃないのか?」
滑り出る皮肉。傷つけたいとは思わないが、これが本心でないとは言い切れない。
刺のある言葉を苦笑で受け止めて、
「まぁ確かに脅して酷い条件飲ませてこき使ってる自覚はあるけどね」
カップを持ち上げながらつまらなそうに言う。
「でもさ、そうでもしないと話せないでしょ?君ってば知らない聖職者に話しかけられたらどうする?」
「逃げるな」
「ほらー……」
即答すると神父は得意げに胸を張った。
「ただ話してみたかったんだ。君のような人と」
「何故だ?」
「俺は多分子供なんだよ。だから、禁止されたことほどやってみたくなるわけ。信者以外はみんな悪魔?みんな悪者ですか?……冗談じゃない。みんなそれぞれの考えを持って生きているんだ。そんなこと言い切れるわけがない。じゃあ、この世ならざる命はどうなんだろう」
そこまで言って、手に持ったカップの中身である物凄く甘いであろうそれを平然と二口飲む。それを見てフェザーナートは発言がどうこうと言うよりとにかく彼に新しい生き物でも見るような視線を送った。
「何を考えて、どうやってここにいるのか、それを知りたいと思った。何かおかしいかな?」
軽く肩をすくめて訊いてくる。質問で返されてフェザーナートは一瞬戸惑ったが、
「まあ、いいんじゃないか」
頬杖をつきながらそう答えた。
そういえば、先日教会へ届いた、町を襲う人狼を退治してほしいという嘆願書を受けて人狼と戦うことになったわけだが、結局その人狼の命は取らなかったらしい。フェザーナートが意識を失った後、人狼に人を二度と襲わないと約束させた上、隠れ場所に良い所まで紹介したそうだ。
その行為は、その考えの表れなのだろう。そう思い迂闊にも多少感心してしまったが、一応口にはしないでおく。その代わり、質問を続けた。
「それで?実際に会ってみてどうだったんだ?」
「そぉだなー……」
少しフェザーナートから目をそらし、空の方を見上げてから、
「今の所はイカした奴隷?よく働いてくれます」
「殺すぞクソ坊主」
神父の言った言葉を受けてフェザーナートの手元でひっそりテーブルにひびが入った。
「うんっと、俺は楽しいけど?君はどう?」
気にすることもなくニコニコ笑顔に戻った神父が尋ねると、
「…………楽しいわけないだろう……」
彼は眉間にしわを刻みながら答えたが、それを聞いているのかいないのか、神父は言葉を続けた。
「一人でずっといたんでしょ?血を飲む為だけに町へ行って、誰にも自分のことを知られないように人と話して。孤独だったでしょ?」
それは事実。思わず言葉に詰まる。
「安心していいよ。俺は君を知っている。フェザーナートをちゃんと知っているから」
そろそろ見慣れたニコニコ笑顔が、こういう時には胡散臭く見えないから不思議だ。「やはり神父なのかな」ふとそう感じながら顔の横の髪を耳にかけて見つめなおす。
「お前は?不安じゃないのか?神父としてずいぶん間違った行為をしているだろう」
「不安だねぇ」
てっきり否定すると思っていたのにあっさりと肯定され、意外な気持ちで神父の顔を見る。
神父は自嘲するように苦笑し、目を伏せた。
「俺は罪を犯している」
その顔はいつもの彼の顔とは全く違うようだった。
「フェザーナートを消さないのは罪だ。でも、罪悪感はないよ。ただ……少し不安なだけだ」
母親とはぐれた子供のような、そんな表情。
対してフェザーナートはまだ手をつけていない自分のカップの紅茶(多分)に映る月を少しの間見つめ、それから少々意地悪そうな笑みを浮かべて神父に言った。
「誰かに大丈夫と一言でいいから言って貰えれば安心するのにな」
「わかってんなら大丈夫って言ってくれれば良いのに」
神父は苦笑するが、フェザーナートはカップを口元に運びながら、
「私は性格が悪いんだ。お前と同じでな、エリク」
神父の名前を言った。
エリクは少し驚いたようだったが、すぐに笑って、
「その程度じゃまだまだだよ!」
フェザーナートのついている頬杖を素早く払ったのだった。