神様に乾杯 4話 - 1/7

4話・魔法使いと花と姫君

金貨の入った袋を担ぎ、ホクホク顔でエリクが部屋に入って来た。そこはいつもの地下室ではなく、きちんと整理された台所で、沸かしたてのお湯でフェザーナートが紅茶を入れている。
「前払いでその量か?よほど期待されているな」
膨らんだ金貨の袋を見て、感想を言ったフェザーナートはエリクが妙な顔をしているのを見つけた。
「……どうしたんだ?」
「君、そういう姿似合わないねー」
エリクは袋ごと手をテープルの上に置いて、笑いを堪えていたが、ついに耐えきれなくなって吹き出した。
どうやら美貌の吸血鬼が腕まくりをして紅茶を入れる図と言うのが彼的には面白かったらしい。
「……で?依頼の内容は何だったんだ?」
「ちょっと待った。そのポット、まだお湯入ってんでしょ?人の頭の上で傾けるのやめてくんない?」
表情を変えずに行動したフェザーナートに対して、エリクはやや逃げ腰で薄ら笑いを浮かべる。頬を地味に一筋の汗が伝った。
「さて」
エリクはフェザーナートがポットを元の位置に戻したのを確認してから、自分のカップに紅茶を注ぎ席について話しはじめた。
「昨日言った通り朝イチで出発して町行って話聞いて帰ってきたわけなんだけど……退治しろって言われたものがさ、結構問題だよ」
肩をすくめて首を振る。
「何をしろと言われたんだ?」
向かいに腰を下ろしたフェザーナートはもったいぶった言い方に少し眉を寄せて先を促す。多額の金貨を見て不安を覚えたようだ。
エリクはカーテンの閉められていない窓の向こうの夜空を、どこか遠い日で眺めながら、
「魔女狩り」
一言そう呟いた。
「何でそんな依頼を引き受けて来るんだ!!」
魔女狩りというものは、要するに言いがかり以外の何物でもなく、ただの殺人である。人を魔女に仕立て上げ、理不尽な魔女裁判を行ってその人を処刑するのだ。魔女と呼ばれる人物は大抵の場合普通の人で、ただ少し変わり者であるとか、未婚の老婆だとか、美しすぎて嫉みを買った女性とか、薬に精通している者とか、権力者に喧嘩を売った者などだ。魔女狩りと名はついているが、男性も裁判にかけられることも勿論ある。妙なまねをすれば魔法使いにされてしまうため、誰もが疑心暗鬼になり、自分の安全を買うために隣人を魔女に仕立て上げたりするわけだ。
そんな依頼を、どうして人の好い吸血鬼が出来ようか。
「見損なったぞエリク!!貴様は教会の飼い犬か!」
フェザーナートは立ち上がって激昂した。
「ちい~がうって!落ち着いてよ」
慌ててエリクが手を振る。
「だってホラ、俺らが依頼受けなかったら町の議会とか自治会とかで魔女裁判知らないうちにやっちゃうって!だったら、依頼は受けて、その魔女さん逃がしてあげればオッケーっしょ?」
言い分を聞いて、少し考えてからフェザーナートは再び椅子に腰を下ろす。
「依頼を……引き受けなくても逃がすことは出来るだろう?」
「え?だって前金くれるってんだもん。あった方が良いって」
「その依頼は魔女を捕らえて公開魔女裁判をする、というものじゃないのか?」
「や?そういう依頼だけど?」
「それなら……」
彼は深い溜息をついて、
「逃がしてしまえば契約破棄だろう。すると化け物退治のエリク神父の信用はどうなる?今後依頼が来なくなるぞ?」
呆れたように半眼でいうと、エリクは一瞬きょとんとしたがカップの紅茶を一気に飲み干すとお気楽そうにヘラヘラと笑う。
「だいじょーぶ。何とかするって」
フェザーナートは額に手をあて沈黙した。

クアラルは途方にくれていた。
「まだ日は高いもの。逃げようと思えば今からだって逃げられるわよね……」
自分が大切ならそうすべきだ。頭の中でそういう声がする。
「でも、何も悪いことなんてしてないのに、どうして逃げなきゃいけないの?」
さっきよりも強い声でそれを否定する。そう、自分が逃げる理由は何も無いはずだ。
「私だって被害者じゃない」
クアラルは亡き母の跡を継いで、この町で医者をやっている。まだ若いので軽んじられることは多いけれど、町の誰よりも薬草に精通しているし、腕前は確かだ。母の代からの客は彼女が幼い頃から手伝っていたのを知っているため信用されていた。
しかしある日、この町の実力者が病に倒れ、クアラルが呼び出された。彼女は十分に努力をしたが、彼はこの世を去ってしまった。クアラルに言わせれば呼ぱれた時には既に手遅れの重体だったのだが、死んだ実力者の家族がクアラルは魔女であり彼女が彼を殺したのだと騒ぎ出したのだ。
もともと彼女は薬草を採りに行くために危険な森の中ヘー人で入って行くし、何日も野宿することなんてざらにある。そのため町の人から変わり者といわれていた。一応菜園も家の裏にあり、主に必要な薬草はそこで手に入るのだが稀にそうもいかない場合もあるのだ。
「魔女に仕立て上げるにはピッタリってこと?私って」
自宅のベッドに仰向けに寝転がり、天井を見つめながらクアラルは自嘲気味に呟いた。
魔女と言われる理由はさらにもう一つある。彼女は自分の父親を知らない。母は未婚のまま彼女を生んだ。
「……悪魔と魔女の子供だって」
そう、町で言われた。自分を一人で育ててくれた母を悪く言うのも、その母が愛した父親を悪く言うのも許せない。
だがそこで文句を言っても自分の立場が悪くなるだけなのは分っていた。
クアラルは目に悔し涙をためたまま早足で家に帰ったのだ。
「どうすればいいんだろう……」
もちろん死にたくはない。でも、優しかった母を悪く言われたまま、母との思い出でいっぱいの家を残して逃げ出すのは嫌だ。どうしても。
「魔女狩りなんて誰が始めたのよ……」
気丈な少女はとにかくその誰かを呪った。本当に自分が魔女ならば呪い殺してやるところだ。だが実際には何の力も無い。どこにでもいる、普通の少女だ。背中の半ばほどの茶色い髪を三つ編みにし、これと言って特徴のない質素な服を着ている。自分では愛らしい顔ではないかと思うのだが、人に言わせればただの童顔と言う顔。年齢に合わない低い身長。細い全身。
「どこをどうして魔女になるのよ……」
何だかどんどん落ちこんできた。
目線をベッドの脇に向けると、自分でまとめた荷物が見える。一応逃げる準備も出来ている。
最低限の衣類に保存食、お金と町の門を通るための通行証。調合した薬を詰められるだけ詰めて、それから母の形見の首飾り。
突然、扉を叩く音が聞こえた。
「うひゃああ?!」
後ろめたい立場にいるせいか、思わず悲鳴を上げて跳ね起きる。
「どうしました?!」
玄関の前にいるだろう人物が強く扉を叩く。
クアラルは慌てて寝室から飛び出して玄関の戸を開けた。開ける瞬間に「しまった相手は誰だろう」と考えたが、もう誰であろうと後の祭である。
「ど、どなたですか……?」
「怪しい訪問販売です」
わけのわからないことを言ったのは、わけのわからない男だった。
赤毛に近い金髪で青い瞳の青年だ。容姿は決して悪い方ではないのに、顔に浮かべた悪戯者のような笑みが彼の魅力を半減している。手に大きな鞄を下げて、訪問販売に見せようとしているのかもしれないが、彼の服装はどう見ても神父だった。
「は……?」
何が何だかわからない。何故訪問販売員が自ら怪しいと名乗るのだろう。さらに「怪しい」が事実だろうと何だろうと訪問販売員に用はない。もともと間に合っているし、家に旅用の道具を売りに来たりもしないだろう。追い返すべきだ。
だが、人の目にはどう移るだろう。今この光景を見ている人がいるとすれば。目の前の男は神父の格好をしている。
“あの女は神父を追い返した。やはり魔女だ”
「あのっ!」
ニコニコ笑う訪問販売員の腕を掴んで、
「立ち話もなんですからどうぞ中ヘ!」
ぐい、と中へ引きこんだ。
勢いがつきすぎてバランスを崩しかけたところを男の空いている手が支える。
「あ、ありがとうござ……」
「なるほど、貴方は中々頭がよろしいようですね」
「え?」
エリクはにっこりと微笑むと、優雅にお辞儀をしてこう言った。
「貴方をお助けに参りました。クアラル王女殿下」
「は……?」
風に吹かれた扉が、パタンと音を立てて閉まった。