神様に乾杯 4話 - 4/7

「おやすみなさい」
「おやすみ」
買い物を済ませてから宿に戻った二人は、部屋の前で挨拶を交わした。
思い出したようにフェザーナートが言う。
「早朝から私は出掛けるが夜には戻る。昼の間好きに王都を見てまわって構わないが、日が沈む頃には部屋に戻っていてくれ」
「あ、はい」
とっさにそう答えたけれど、クアラルは不満だった。少しでも長くこの人といたいのに。出来るなら王都を案内してもらうとか期待していただけに残念だ。
戸を閉めながら、フェザーナートは少し意地悪く笑うと
「迷子にならないでくれよ」
という言葉を残して部屋に入ってしまった。
「なりませんよ!!」
思わず顔を紅潮させて言い返すと扉の向こうから控えめな笑い声が聞こえた。
何か言ってやろうと思ったが、これ以上は回りの部屋に迷惑だし、彼が早朝から用事があるというならよした方が賢明だろう。そう思い直し頬を膨らませたまま自分の部屋に入った。
朝、結構早起きしてみたのだが、彼は既に出掛けたらしい。部屋の戸をノックしても返事はなかった。
「朝ご飯くらいは一緒に食べたかったのになあ」
クアラルは一階のレストランで食事を取っていた。味はかなりのものだが素直に喜ぶ気分にならない。
「~~~~つまらない」
食事を終え、料金を払うとクアラルは外に出た。
こうなったら時間ギリギリまで王都を見学してやろう。
午前中特有の、心地よい日の光と風。編んだ三つ編みが歩を進めるたびに揺れている。
気を取りなおして石畳の上を彼女ははずんだ足取りで歩き回り始めた。
自分の住んでいる町とは随分違う街並みだ。まだ人気の少ない道を、もの珍しげに左右を見渡しながら歩くと大通りに出た。街路樹が並び、見目心地よい。
しばらく街路樹の作る影の下を歩いて、建ち並ぶ店を眺めていたが、建物の間から伸びる道に興味を覚えてクアラルは横道に入った。
そんなことを繰り返しながら、人が増えてきたら人を見比べ、日が高くなったら小さなカフェで昼食を取り、薬屋を見たら中を覗いてみたりして、庶民向けの服屋や小物などを置いている店を色々と見てまわった。
「あれ」
そして、迷った。
大概、先に発展した場所というものは人口が増えたらとりあえず家を作る、などという計画性のない街の作り方をしているため道路の交わる角度も中途半端で慣れない者にとっては迷路に等しい。王都も勿論例外ではなかった。
「え、と、あれ?」
随分道が狭い。多分住宅街なのだろうが、薄汚れた建物が寄り添うように立ち並び、道はとても薄暗い。
ここが華やかな王都が目隠しをしているスラム街だとはクアラルは知る由もないのだが、
「治安悪そう……」
気づくことは容易だった。
とりあえず、もっと大きくて人通りの多い道へ向かいたい。
「けど、それが簡単に出来るんならこんなとこウロウロしてないわよ……」
彼女は確かに迷っていた。脳裏に昨晩のフェザーナートの言葉が浮かぶ。彼もまさか本当にクアラルが迷子になるとは思いもしなかったのだろうが、力いっぱい否定したクアラルは尚更だ。
「やだ、どうしよう……」
道を聞こうにも、辺りの家に人の住んでいる気配はない。空家になって何年もたっているような雰囲気だ。そのくせ、人の気配は何となくある。敵意や、興味の視線。あるいは獲物を狙う視線。
「フェザーナートさん、エリクさん……」
心細くなって助けを呼んでみるが、勿論二人のうちどちらかでも来ることはなかった。
日が沈むまでまだ時間はあるが、このままでは時間内に宿につけるかどうか。
とにかく、助けが来ないなら歩くしかない。そう思って歩き出そうとした時、
「きゃっ!」
物陰から飛び出してきた人影がクアラルにぶつかってきた。
勢いに押されて彼女は転倒する。人影はそのまま建物の角を曲がり、すぐに見えなくなった。
クアラルは立ち上がると慌てて人影を追い始める。財布を盗られた。
「ドロボー!」
たいした額ではないかもしれない。それでも、彼女にとってなけなしの財産だ。そう、クアラルはどちらかというと貧乏人である。
「うわっ!」
角の向こうから聞いたことのない男の声が聞こえた。
少し不思議に思いながらも、男を追ってその角を曲がる。すると、視界に飛ぴこんできたのは、
「え?」
スリの男が鞘に納められたままの細剣で、首の後ろを打ち据えられて倒れこむ姿だった。
細剣を腰のベルトに戻した人物が、男の手の中にある財布を拾い、こちらを向いた。長い黒髪が鮮やかに広がる。どこか神秘的な、紫の瞳。
「フェザーナートさん……?」
思わず声が漏れる。
その声を聞いた人物は秀麗な顔に驚きを浮かべて、
「貴方、アムシエル伯爵を知っているの?」
意外なほどに女性的な声をした男装の麗人がクアラルに聞き返した。
「……あれ?」
そろそろ誰かに説明を求めたい気分である。
近寄ってきた麗人をよく見ると、なるほど確かに身長は女性としては随分高いだろうが、長身のフェザーナートには及ばない。年齢は二重代半ばほどだろうか、気の強そうな美人だ。
「やっぱり似てる……」
同じような格好をしている分、尚更だろう。ただし、フェザーナートが腰に下げているのは細剣ではなく大剣だったが。
「似てるって、私とアムシエル伯爵が?やっぱり貴方、アムシエル伯爵を知っているのね?」
麗人がクアラルに問い詰める。
「あの、アムシエル伯爵ってフェザーナートさんのことですか?」
そういえばファーストネームしか知らない。
「他に誰がいるのよ!そう、あの馬鹿男」
「バ、バカ……?」
「色気と剣の腕だけで生きてる単細胞!」
酷い言われようだ。フェザーナートの名誉のために何か言い返さなくてはと思うのだが、この美女は一向にロを挟む隙を与えない。
「いきなり音信不通になって人に心配だけかけておいて何?!……最近王都である夜会にかなりの確立で出現してるそうじゃない!生きてるなら生きてるって自分から顔出しに来いってのよ!!」
「出現って……」
他に言い方はないのか。
「で?貴方、お……じゃなかった、アムシエル伯爵に会ったの?見たの?どこで?」
「え、と、宿が隣の部屋で……」
勢いに押されてボソボソ答えてしまう。嘘はついていない。
「宿?ああなんだ安心した。どっかでヒモになってどっかのお嬢さんのお屋敷に寄生しているかと思ったわ」
どんなイメージを持っているのだこの人は。いい加減呆れてきた。
「で?どこの宿?教えてくださるかしら」
そういうセリフをクアラルの財布を見せびらかせながら言うのだから脅迫だろう。
しかしクアラルの方としては、この人に宿に連れていってもらえばいいのだから教えない手はない。クアラルは宿の名を告げると、
「で、道に迷っちゃったんです。その宿の位置をご存知なら連れて行ってくれませんか?」
「わかったわ。連れて行ってあげる」
その美女は男性なら一撃で悩殺されそうな笑顔を浮かべると、ひょいとクアラルの手を取って
「今度は盗られないようにね」
財布をその手に握らせる。そしてクアラルの後ろ頭をぽんと軽く押すと、
「さあて、参りましょうか。私はエルクイン。貴方のお名前は?」
今度はクアラルの手を握って歩き始めた。

「ねえクアラル。ノックしても返事がないんだけど」
「まだ帰ってないみたいですねー……。日が暮れる頃に戻るって言ってたんで」
クアラルは呆れたように、フェザーナートの部屋の戸にへばりついているエルクインに答えた。
エルクインは少し考えてから
「貴方たちって、どんな関係?」
「え?」
「ただ宿の部屋が隣なだけの人に戻る時間を伝えるわけないでしょう」
「あ、それもそっか」
探るように言ったのだが、クアラルは初めて気づいた、と納得する。
「教える気はないってこと?」
「え、そういうわけじゃないんですけど……言って良いのかなあ」
エルクインは嫌いではない。悪人とも思えない。けれど、クアラルはこれから貴族のふりして王宮へ入りこむわけで、バレたら立派な罪人だ。人に話すということは、そのリスクを増やすことと直結する。
「……いいわよもう、言いたくないんでしょ]
エルクインは子供のように唇を尖らせて、拗ねたように早口で言った。近寄りがたい美女かと思えば、ロを開くと印象が一変する。「可愛い人だなあ」とクアラルは思った。
もう少し彼女と話していたいような気がしたが、あまり時間がない。これからドレスなんていう今まで触ったこともなかったようなものを着こまなきゃいけないのだ。
そこまで考えて、ふと気づいた。
あれは、どうやって着るのだ?
コルセットの紐を一人で結べる自信はない。フェザーナートやエリクはどうしてくれるつもりだったのだろう?一人で着られるものだと思っていたということだろうか。まさか男性が着替えを手伝うなんてするはずないだろうし。
「……あの、話す代わりにお願いがあるんですけど……」
「ん?何?命がけのこととかじゃなかったら別に良いわよ」
エルクインが軽く了解してくれたようなので、クアラルは自分の部屋の戸を開けた。
「入ってください」
クアラルはエルクインが中に入ったのに続いて部屋に入るとパタンと戸を閉める。
部屋に備え付けのクロゼットをバカッと開けて、
「これをこれから着なきやいけないんですけど、手伝ってもらえますか?」
振り返って驚いた顔のエルクインに尋ねた。
中にあったのは若草色の可愛らしいドレス。上半身は飾り気が少なく、胸元に白い花の飾りがついている。スカートの方はフリルが沢山ついた、ふんわりと広がったなんともお姫様らしいドレスだった。
エルクインはしばし驚いていたようだが、面白がるような表情でにっと笑った。
「かっわいー。似合いそうね。いいわよ手伝ったげる」
しばらく後、テキパキとエルクインが着せてくれたおかげで貴婦人が出来あがっていた。
「苦しい……重い……」
ぎゅうぎゅうに絞めつけるコルセット。何十枚も重なったペチコート。華やかな姿がこんなに大変なものだとは思わなかった。
「そう言わないで笑うっ!せっかく可愛いんだから」
椅子に座ったクアラルの後ろで、ベッドに腰掛けクアラルの髪を結いながらエルクインが言った。
「そんなこと言ったって苦しいものは苦しいし、重いものは重いのよ!」
「ちゃんと笑えなきゃばれちゃうわよ。父親に会うんでしよ?」
「………そうだけど……」
エルクインがクアラルの髪を結い上げてくれるというので頼んでいるのだが、向こうにはこっちが見えて、こっちからは向こうが見えないというのは喧嘩腰の話は何だか不利だ。
「私も今晩王宮へいくのよ。アムシエル伯爵に会えるわけね」
「エルは貴族なのね」
されるがままになりながらクアラルは言った。
ドレスを着せてもらった後、化粧もしてもらって、現在に至る。部屋に鏡がないのが痛い。自分の格好の見当がつかないのだ。エルクインは可愛いと言ってくれているが、一体どんな姿なんだろう?本当に似合っているのか?
「言ってなかった?」
「予想はついていたけど。会える……かも知れないけど、時間そんなにないよ?」
「それもそうねー」
言いながら、彼女は手を止めた。
「できたわよ、美人さん」
言われて差し出されたエルクインの手鏡を見て、自分で驚いた。普段の自分と見違えるほど……というよりも別人に思える。これが、自分?何やら不思議な高揚感に包まれた。買ったばかりの服に袖を通す時に少しだけ似ている。
エルクインの方に向き直って、クアラルは頭を下げた。
「本当にありがとう」
「どういたしまして」
にっこりと彼女は微笑む。立ちあがりながら思い出したようにロを開いた。
「私そろそろ帰らなきゃ。私のことはアムシエル伯爵には黙っててね」
「どうして?」
「いきなり会って驚かしたいからよ」
「ふぅん……」
まあ、迷子になったことを黙っていてよくなるならそれもいいかもしれない。
「じゃあね。縁があったらまた会いましょ。裾汚さないようにね」
エルクインは器用に片目だけつぶると、飛ぴきりの笑顔を残して去っていった。
しみじみ美人だと思った。男装している姿が逆に色っぽい。
「最近目が肥えるなあー」
もうよほどの美形じゃない限り美形と思わないんじゃないだろうか。