日が沈んだ時、フェザーナートは目を聞いた。
物音を立てないように、そろそろと蓋を少しだけ持ち上げ横にスライドさせる。
蓋を静かに柩の横に置くと、彼は随分と器用な姿勢で――仰向きのまま、身を起こさずに――蓋の反対側に出る。そして小さく息をつきながら、ベッドの下から這い出てきた。
部屋の戸に鍵をかけてはいたが、万が一扉が開かれた時を考えて柩をベッドの下に隠していたのだ。
目撃者はいない。目撃者はいないが、もしいたとしたら当事者同様こう考えたことだろう。
「まぬけ」
自分でそう思って何となく切なくなりながら足音を立てずに窓による。外にもう日光はない。
窓を開ける時にかすかに音がした。その整った顔をわずかにしかめる。
辺りに人目がないのを確認して、彼は窓の外に踊り出た。二階だと言うのに音もなく着地する。闇色の髪が夜に解けて、彼の姿は影のようだ。
フェザーナートは宿の裏から敷地の外に出て、それから表にまわり、再び玄関から宿の中へ入った。
これの逆を早朝にもやったのだが、中々面倒臭い。「旅行は疲れるな」そう思ってから苦笑する。それは自分が人と違うからだ。
階段を上り、自分の部屋の前を過ぎ、クアラルの部屋の戸をノックする。
「誰ですかー?」
「フェザーナートだ。開けても?」
「どうぞ」
どうぞのぞまで言い終わらないうちに、内側から扉が開いた。
思わず彼は目を見張る。
「あの……どうでしょう?」
クアラルが居心地悪そうに、淡い緑のスカートを少し持ち上げて尋ねる。
「綺麗だよ。とても」
極上の笑顔で彼は素直に感想を言った。
簡潔な一言だったけれど、クアラルには十分だった。顔が自然にほころぶ。
「用意が出来ているならすぐ出発しよう。いいかな?」
「はい」
返事をしながら、クアラルは胸元を押さえた。心臓が早鐘を打っている。王宮へ入りこむことへのプレッシャーよりも、この人の隣を歩けることにとにかく緊張していた。
「ばれませんよね?」
「どうだか」
王宮の門の前でクアラルが囁くと、フェザーナートはなんとも心もとない返事をした。
城に入る前にエリクと打ち合わせをするとかで城の側で少しの間待っていたのだが、来る気配がないので入ることにした。
さっきまで乗っていた馬車を、門の前にいる使用人に預け、敷地に入る前にクアラルの肘より少し高い位置に手を差し出す。
「手を?お嬢さん」
「はい」
ガラじゃないなと少し照れながらクアラルは自分の手を重ねる。
綺麗に磨かれた石畳の上を二人は無言で並んで歩いた。周りを老若男女の貴族たちが談笑しつつ歩いていく。
階段を上り、王宮の入りロの前に立つ使用人に、フェザーナートは懐から取り出した招待状を見せ、
「アムシエル伯爵家のフェザーナート。彼女は婚約者だ」
使用人は招待状を確認すると、
「どうぞお通りください」
すんなりと二人を王宮の中へ招き入れた。
会場までの廊下をしばらく歩いてから、
「……助かった。ばれなかったな」
溜息とともにフェザーナートが呟く。
「自信あったんじゃなかったんですか?!」
驚いてクアラルが聞くと
「全然。ハッタリは自信があるように見せかけながら使うものだろう?」
逆に聞き返されてしまった。
「でも、フェザーナートさんの身分は本物でしょう?そんなに不安になることあったんですか?」
「………私は……」
「え?」
小さな声過ぎて、思わず聞き返す。言った内容はかろうじて聞き取れた。聞き取れたが信じられない発言だったのだ。
彼は、何も答えない。
――私は、死んでいるから。
どう言う意味だろう?
不思議に思いながら豪華な廊下を抜け、会場に出る。敷地に入ったときから聞こえていた演奏が大きくなった。
「絢爛豪華……」
呆然と、クアラルが呟く。
会場は、その言葉通りに煌びやかなものだった。大きなシャンデリアをいくつも下げた天井には隙間なく天井画が描かれている。美しい文様の細工の施された柱が立ち並び、壁に下がったタペストリと合わさってとても綺麗だ。豪勢な食事を所狭しと並べたテープルが壁よりに配置され、ダンス用の広いスペースを挟んで反対側には宮廷音楽団がいて、優雅な演奏をしている。会場の壁際には兵士が控え、入りロの正面、ダンス用のスペースの向こう側には近衛兵と、国王。
「あの人が……」
遠くでよく見えない。
自分の、父親。
「そう、君の父、国王陛下だ」
小さな声でフェザーナートが肯定する。そしてすぐに言葉を続けた。
「今はまだ駄目だ。とりあえず中に入らないか?このまま入り口からじっと国王を見ていたら怪しまれてしまう」
「あ、はい」
フェザーナートにエスコートされ、中に入ったのだが、不慣れな格好なのと緊張でつまづいてしまった。転びそうになったところでフェザーナートの手が支える。
「何もないところで転ばないでくれよ」
「すいませんっ」
「大丈夫か?」
慌てて謝ると心配そうに彼は顔を覗きこんで来た。至近距離に顔が熱くなる。
「わ、わたし……」
思わず俯きながらフェザーナートの手から離れる。
「やっぱり不安になりますね」
「緊張してる?」
「そうですね、それもあるけど、でも……」
言いながら、周りを見渡す。優雅で華麗な、貴族たち。
「場違いかなって思って……怖いです。」
被害妄想でしかないのだが、何だかまわりの貴族たちに笑われているような気すらしてくる。
「やっぱり私なんか、こんなドレスなんて似合うはずないし、田舎育ちで礼儀作法も知らないし」
今問題にすることじゃない、それはわかっているのだが気になりだしたら止まらなかった。
フェザーナートに視線を戻す。誰もが目を留めるその美貌。今、彼の隣にいるのが自分?
「身長差すっごいあるし……。不釣合い過ぎですよね」
誇りに思えば良い。彼の隣にいることをそう思えれば良いのに逆に気持ちは惨めにしぽんでいく。
「クアラル」
フェザーナートがどこか呆れたようにロを開いた。
「何故そんなことを言うんだ。礼儀作法だって?そんなもの教えられもせずに最初から出来てたまるか。見よう見真似で構わない、私がエスコートするのだから」
そこまで言ってから彼は彼女の耳元に顔を近づけて、彼女にしか聞こえないように告げる。
「胸を張って心の中で叫ぶんだ。ここにいるのはお姫様だってな」
クアラルが彼の目を見上げると、彼は満足げに微笑んで、
「大丈夫。君は可愛いし、ドレスもとてもよく似合っている。私は君がとても好きだし誰に見られても恥ずかしいなんて思うことはない」
恥ずかしいと少しは思う必要があるのではないかと疑いたくなるようなセリフを真顔でさらりと言ってのけた。
あまりのことに赤面するよりもむしろ唖然としてしまうクアラルだった。
「それに、身長差のことは全く気にしなくていい」
続けて彼は言った。
「私の妻も君と同じくらいだ」
………………………………
クアラルの頭の中は真っ白になった。
ワンスモア。
「今……何て?」
「ん?君と妻の身長が同じくらいだと言ったんだが?」
決定的。
その場に崩れそうになるのを何とか踏みとどまる。もし崩れそうになったら間違いなくこの男は抱きとめるだろう。そんなのは嫌だ。もう。
「……………………………………ご結婚なさってたんですね……」
「ああ、言ってなかったか?」
言っていない。
「顔色が優れないが、大丈夫か?」
「……大丈夫です……」
凹んでいる場合ではない。延期に出来るものではないのだから。
結い上げた髪が乱れない程度に頭を軽く左右に降って、気分を切り替える。少なくともそう思う。
「いつ、国王にこれを見せるんですか?」
声を潜めてクアラルは自分の首を指した。形見の首飾りは今身につけている。
「こんなに多くの人がいる前で見せたら、君は本当の意味でのお姫様になってしまうよ。君の願いは君の育った町で暮らすことだろう?」
「そうですけど……じゃあどうするんですか?」
「曲が変わるときには、今は規則的に踊っている人たちの動きが変わるだろう。その時に王宮の奥へ入ろう」
フェザーナートは音楽家たちの方を目で示しながら言う。クアラルが目で追うと、同時にダンスをしている貴族たちが目に入った。彼らが動きを変える時にまぎれるということか。
「えー、でも見張りの兵士、いっぱいいますよ?」
クアラルの言葉通り、一定の距離を置いて壁際に兵士が立っているし、通路の前には二人も両脇に控えている。
聞いてフェザーナートは笑いを堪えるような顔になる。
「馬鹿正直にあんな道使わないさ。一部の人間しか知らない道を使わせてもらうよ」
「そんな道知ってんですか?」
「昔、王子に付き合わされて王宮を探検した」
「え……?王子様とお友達……ですか?」
そこまで身分の高い貴族だとは思いもしなかった。
「さあ?向こうは私のことを忘れているんじゃないか?会ったのはその一日だけだからな」
そういうわけでもないらしい。
「はあ……」
目の前の男がわからなくなって曖昧な変事をする。
フェザーナートは近くのテープルを指して
「曲が変わるまで食事でもしたらどうだ?冷めていて不味いだろうけどな」
「いえ、緊張してお腹なんか空いてないです」
「そうか?まあ別に無理には勧めないが」
彼自身は別に食事をとろうとはしない。
「フェザーナートさんは?食べないんですか?」
言われて彼は肩をすくめて答える。
「少食なんだ」
「ふうん?」
彼はいつも身なりをきちんとしているので、少食と答えた彼の体が細いのかどうかは見た目では全くわからない。
食事を取らないとなると特にすることもないので、クアラルは何となく踊っている貴族たちを見た。
「……?」
見た顔がいる。気になって、目を凝らしてよく見てみると、昼間会った美女、エルクインだ。胸元の大きく開いた、深い青のドレスを着ている。見たことのない男と優雅にダンスを踊っていて、こちらには気づいていない。
彼女が会いたいと言っていたフェザーナートがここにいるのだ、何とかして知らせたいような気がしたが時間がそうあるわけでもない。もどかしい気持ちで彼女を見ているとエルクインがこちらを向いた。こっちに気づいたらしく、じっとこっちを見つめている。正確には、フェザーナートだけを凝視していた。
昼間の様子から考えると、すぐさま近寄ってくるかと思ったのだが、エルクインは青ざめ、死人でも見ているような表情のまま動かない。ダンスの相手が顔に疑問符を浮かべた時、曲が止まった。
彼女の視線に気づいていないフェザーナートが静かにクアラルに言う。
「急ごう」