エリクは考え込んでいた。
どうにもさっきから不思議なことが多すぎる。
本当に一部の人間しか使わない道でも、壁についた燭台にきちんと灯がともっているのは何故だろう。使わない日だってあるだろうに。だいたい、誰がこの道を掃除するのだ。身分がある程度上のものでなくては存在すら知らない道だ。貴族が掃除をするのか?家にいる時のフェザーナートのように文句を言いながら雑巾がけをするのだろうか。
「文句を言いながらでも、きちんと掃除するから律儀だよなあ」
美貌の吸血鬼の姿を思い出し、口元に笑いが浮かぶ。
だがすぐに表情を曇らせて、手に持っていた紙に視線を落とした。
「やれやれ……。こっちで合ってると思うんだけどなあー……。はぐれちゃったしぃー?」
紙と目の前にのびている道とを見比べながら首を捻る。
現在の彼のもっとも不思議なことはこれだ。
王宮の隠し通路の地図をフェザーナートに描いてもらいながら、自分が迷っていることだ。
「まいったねー、もう」
言っているエリクの顔は全然まいっているようには見えない。それどころか首を傾げつつ人差し指を立て、顎の先に当てていたりする。フェザーナートが見たら「男がそんなポーズをするなこと怒ったことだろう。
「まあいいか、進も」
そう思って彼は歩き出し、聞こえてくる演奏が大きくなるのを「あれぇ?」と疑問に持ちながらもとりあえず歩いた。別れ道を右に曲がる。すると、
「エリク?!」
「エリクさん?!]
二通りの声が彼の名を呼んだ。
「あらま」
表情一つ変えずにエリクはそれだけ言って再び首を傾げる。
不思議なことがまた一つ増えた。
なんだってまたこうタイミングよく助けが現れるのだろう。
「クアラルちゃんその格好かわいーねv」
「どうも……って何でエリクさんこんなとこにいるの?!」
全くいつもと変わらない調子でエリクが言うと、クアラルが心底不思議そうに聞いてきた。
「何でっつーか、一時合流の予定が遅くなっただけだよ。君達が城に入る前に会う予定だったんだ。ねーフェザーナート、この地図間違ってない?迷ったっぽいんだけど」
クアラルにざっと説明をして、フェザーナートに持っていた地図を見せる。
「……どうだろうな。昔の記憶だから間違っているかもな。知らなかった道は勿論描いていないから、描かれていない道に入ったのをどれかだと思って歩いていたんじゃないか?」
「なるほど」
言いながらフェザーナートが現在位置を指で指した。
「今いるのはここで、国王の部屋はこっちだ」そして歩きながら、怪訝そうにエリクに質問する。
「どうやって城に入ったんだ?その地図に描いてあるのはどんなに外側に行ったって城壁の中だぞ。それに、どうして城に入る前に来なかったんだ?」
昨晩の夜中の打ち合わせで決めておいた予定と全く違う。一昨日の夜、王子の屋敷に潜り込むためにエリクは「アムシエル伯爵」の紹介状を持って会いに行ったはずだし、昨晩会った時にだってこんなことは言っていなかった。
「いやぁ、王子様が国王暗殺計画今日だって言うからついて来たの」
「今日?!……今夜、今からか?!」
「うん。そういうこと。で、王子様、王様の部屋に先に行っちゃったと思うよ。俺はぐれちゃったけど」
フェザーナートはわずかに眉を寄せて、
「? まて。王子自ら来たのか?」
「そだよ。彼の家来の誰よりも剣の扱い上手だもん」
「あの王子が?!いやそれより、どうしてただの客が王子について来れる?!」
エリクの役目は、王子の屋敷で王子の国王暗殺計画をあれこれ調べてくることだった。本人から聞き出せればそりゃあ話は早いだろうが、そう簡単に話を聞けるはずはない。
「あー、それね、俺もビックリしたんだけど」
そこでいったん言葉を切って、面白がっている顔でフェザーナートを指差す。
「王子様は君の信者だ」
沈黙の後、フェザーナートが聞き返す。
「……は?」
「いや、だからね」
どう説明したものかとエリクは言葉を捜しながら言い始めた。
「君は一回王子様に会ったことがあるんだろう?彼はその時に君の振るう剣に魅せられたんだってさ。で、それから剣を習って、今や騎士よりも強いくらい。そんな彼のもとに「憧れのアムシエル伯爵」の紹介状を持った人間が現れました。さて彼はどうするでしょう?」
「はいせんせえ」
「どうぞクアラルちゃん」
片手を挙げながら言うクアラルにエリクは手を向けて発言の許可を出す。
「王子様はその人によってって、あれこれとアムシエル伯爵のことを聞くんだと思いまあす」
「よくできました」
にっこり笑って軽く拍手をする。それから何やら考え込んでいるフェザーナートの方に向き直り、
「他に質問は?」
「……王子は私のことを覚えていたのか?」
「そりゃもうしっかりと」
「…………」
フェザーナートは黙り込んでしまった。
しばらく黙々と歩いていたのだが急にフェザーナートが立ち止まった。
「……声……?」
訝しげに呟く。
「どうしたの?」
エリクが怪訝そうに聞いたのだが、彼はクアラルの方を向き、
「クアラル、私達が会場を出る時、国王はあの座席にいたか?」
「え?……さあ、わかりません」
言い終わらないうちにフェザーナートは走り出した。
「どーしたわけ?吸血鬼(きみ)の聴覚が優れているのは知ってるけど、何が聞こえたのさ」
置いて行かれないように走り出したエリクが言う。後ろに見えるクアラルも走っている。
「……王子と国王は既に接触している」
「あー……修羅場ってんのか……」
「国王が殺されたら今やってることが全部無駄になるぞ!それに……王子に親殺しなんてして欲しくない」
彼らの計画では、国王がすんなりクアラルのことを受け入れない場合は王子の情報と交換するつもりだった。そうすれば王子の計画は失敗するし、国王も罰を与えはするだろうが、自分の一人息子の命を奪いはしないだろう。
やがて、突き当たりにつく。壁を押すと、その壁が回転した。開いた穴を三人は通る。すると、
「こんのクソ親父!!遺言状はすでに書いただぁ?!言えよ!それどこにあんだよ!!」
「言うか馬鹿者め!わしが死んだところで遺言状を託した者が名乗りだし、お前にやる遺産はこれっぽっちもないことを告げるだろうよ!もちろん国王の椅子もお前にはやらん!」
「だーっもう!テメェこないだ寝たきりになるまで遺言状は書かねえっつってただろーが!」
「ふん甘いな未熟者が!敵を欺くにはまず家族からだ!」
「一人息子くらい信じろよ!」
「暗殺しに来たくせに何を言っとるか!」
元気のいい親子喧嘩が見えた。
「…………」
……どうしよう……。
喧嘩中の親子は不法侵入者に気づかない。
「……あのさ、王子様?」
三人の中で最も早く我に帰ったエリクが茶色い髪の青年に声をかける。どんな不測の事態にもすぐに対応できるのが自慢だった。
呼ぱれて青年は顔をこちらに向けた。二十前後の中肉中背の男だ。手に抜き身の剣さえぶら下げていなければ本当にただの親子喧嘩なのに。
「ああエリク。ワリィな、置いて行って。……?後ろのは誰だ?」
そこまで言ってからフェザーナートの顔を凝視して、呆然としたまま手に待った剣を取り落とす。
「アムシエル伯爵フェザーナート……?」
「顔を覚えてらしたとは光栄ですね。お会いした時は確か貴方は七歳だったと思いましたが」
心底嫌そうに目を合わさず、フェザーナートは答えた。どう見たって同い年くらいの人物が言うセリフだろうか。
「……そうだ。俺は七歳だったよ。そして今はこうだ。背も伸びたし剣だって上手くなった」
言いながら、彼は拳を握り締める。震え出した体を押さえるために。
「なのに何でだ?どうしてあんたは変わらない!!」
恐怖に顔を歪めながら、それでも精一杯虚勢を張って叫ぶ。
この時やっとクアラルは、パーティー会場でのフェザーナートを見たエルクインの表情の意味がわかった。彼女は恐怖していたのだ。
「老けないんですよ」
つまらなそうに彼は言う。その表情が「だから覚えていて欲しくなかったんだ」と語っていた。
「……化け物め。信じないぞそんなこと」
王子はフェザーナートを睨み付けたまま、油断なく足元の剣を拾う。
「十二年だ!十二年もあれからたったんだ!少しも変わらないなんてあるはずがない!あんたは何者だ?!悪魔か?!魔法使いかっ?!」
「うるさいぞアレスタン」
みしっ。
ないがしろにされていた国王が手近にあった壷を王子の後頭部に力一杯叩きつけた。何やらきしむ音がする。
王子――アレスタンは前方に傾き、国王が、アレスタンが構えている剣で彼自身を傷つけないようにとその剣を取り上げると、彼はそのまま倒れて床にキスをする。
「やれやれ。静かになったな」
国王はわざとらしく額の汗をぬぐうふりをした。
何となく対応に困って、フェザーナートが
「……お久しぶりです。国王陛下」
「久しぶりだね。アムシエル伯爵」
言うと国王は特にどうということもない様子で返事を返す。寝室に無断で入って来た者に対してだというのに、咎めたりする様子はまるでない。さらに、先程の会話を聞いてなかった筈はないだろうが、恐れてもいないようだ。
ただ静かに彼は言う。
「君は生きていたんだな」
「…………どのような報告を受けていられたのですか?」
困った顔でフェザーナートが問いかけると、
「別に?五年前に君の治める土地で暴動があった。……それだけだ。その後何もないようだから監査の役人も送っていない。怠慢かな。……ただ、わしは暴動の時に君は死んだと思っていた」
国王は肩をすくめて答えた。「何故?」と尋ねたくなるのを堪える。多分、尋ねるべき相手は国王ではない。それを彼はわかっていた。
「わしは基本的に人の顔というのはあまり覚えないんだがね。君ほど稀有な外見になると自然と頭に残るものだな」
そこまで言って、今度はクアラルの方に視線を移す。
クアラルも、国王を見つめた。四十代後半の、やや小太りな中年だ。茶色い髪に白いものが混じり始めている。アレスタンを見た時にも思ったが、顔を見るとやはり「血縁」といった感じがした。
「顔を覚えていないというなら、この娘の顔も見覚えないんですかねー?」
エリクがクアラルの方に手をまわしながら言う。
彼女はギョッとしてエリクの方を見た。覚悟はしているが、そんな聞き方をして「全くない」と答えられてはさすがにショックだろう。
だが国王は静かに首を横に振って
「わしの愛した人の娘だろう?わかるよそれは。わしは毎日数え切れないような人数と会い、そのほとんどの顔を覚えられないが、あの女性は別だ」
それまでエリクに向かって言ってから、クアラルに
「君の名前を教えて欲しい」
尋ねられて一瞬彼女は呆然とした。自分のことを国王がわかるとは思ってなかったし、まさか名前を尋ねられるとも思っていなかった。
エリクに小突かれて我に返る。
「クアラル……」
「そうか、ではクアラル。あの人は……君の母は亡くなったのかね?」
「何故……そう思うんですか?」
聞き返されて、国王は悲しそうに
「そうじゃない限り、君がここに来る理由がないだろう?君の母はわしに言ったんだ。生まれてくる子供を権力争いなんかに巻き込みたくないとな」
衝撃を受けた。クアラルは王が母を捨てたのだと思っていた。でも実際は?
「そうか……死んでしまったのか」
悲しそうに、寂しそうに彼は呟く。
「……私……。私、貴方に謝らなくちゃ……!」
クアラルは、感情と衝動に動かされて国王に駆け寄った。
「ぐえ」
足元に変な感触があるが、彼女は構わず言葉を続ける。
「誤解しててごめんなさい。憎んでてごめんなさい……!」
「踏んづけてごめんなさいって言ぇえ!!」
足元で叫び声がした。見下ろすとアレスタンが彼女の足の下でうつ伏せにのびている。
「ひゃあ!ごめんなさい!!」
慌ててクアラルは飛びのいた。その際にもう一度体重がかかり、彼はうめき声を上げる。
「アレスタン、お前はクアラルの足の下で何をやっていたんだ」
「この女が踏んづけたんだろーが!だいたいテメェが壷なんつー非常識なモンで殴るから悪ぃんだろぉー?!」
言うやいなや、彼は国王が自分から取り上げた剣を奪い返し、
「この腹黒でぶペテン師!!テメェぜってー殺す!」
頭に血が上ったまま、アレスタンは国王に剣を振り下ろした。
「やめて!!」
キンッ
クアラルが悲鳴を上げるのとほぼ同時に、鋼のぶつかり合う乾いた音が響いた。
「俺を止めるのか化け物……!」
いつの間に剣を抜き、いつの間にアレスタンと国王の間に入ったのか、アレスタンの剣を止めたのはフェザーナートだった。
彼は無表情に
「ありふれた説教になりますが、剣は人を傷つけるものではありません」
「うるさい!」
静かにロを開くのをアレスタンは怒声を上げて制する。
彼は一度剣を引くと、横からフェザーナートの胴めがけて薙ぎ払う。それより速くフェザーナートは一歩下がって斬撃をかわし、アレスタンの空いた体の前に踏み込み剣の柄を彼のみぞおちに叩きつけた。
「うあっ」
アレスタンはわずかに体をくの時に曲げたがそれだけで、後ろに下がって距離を取り再びフェザーナートに切りかかる。
が、
「私は化け物ですから、王子、貴方より随分速く動けるんですよ」
フェザーナートの剣の切っ先は、既にアレスタンの喉もとに当てられていた。
「ちっくしょ……!」
「はいコレ没収」
後ろからアレスタンに近づいたエリクが彼の剣を取り上げる。
「ねえフェザーナート?剣は人を傷つけるものじゃないんなら、どういうものだと君は考えてんの?」
その剣を弄びながらエリクが問うと、フェザーナートはぶっきらぼうに答えた。
「自分を偽るためのものだ」
「……わけわかんないや」
エリクはどうやら、ありふれた説教同様のありふれた答えを期待していたらしい。
時折、フェザーナートはわからない。
「では王様? それなら、俺達がここに来た理由もわかってらっしゃるんですね?」
エリクが確認するように尋ねると国王は頷いて、
「何があったか知らないが、クアラルを認知しろということだろう?」
「そう。書類書いてくれるだけでいいんで」
「ちょっと待てよ!」
勝手に話が進みそうな雰囲気をどうにかしようとアレスタンが声を上げた。
「この女誰?!」
「君の妹」
「あ、初めまして」
間いにエリクが答え、クアラルが先程踏んづけた相手にお辞儀をする。
「妹ぉ?!ってことは王位継承権あるわけ?!クソ親父の書いた遺言状にこの女の名前書いてあんのか?」
国王は首を横に振って、
「それはない。わしは名前を知らなかったからな」
答えたのを聞いてアレスタンは安堵の息を吐く。
「住んでいる町と母親の名は書いてあるが」
「同じじゃねーか!!」
「全然違うだろう。母親と本人は別人だ。クアラルと書くのとティアトラの娘と書くのでは……」
「同じだアホ!お前そんなに俺が嫌いなのか!」
「父親を暗殺しに来た息子に言われるとは心外だ」
「俺は親父より国が好きだ!」
「ああ何てことだ!セレサーラ、君の息子は鬼のような男に成長してしまった!君が死んで男手一つで育ててきたのにその恩も何も関係なしだ!ふがいないわしを許しておくれ。そしてティアトラ!君が自分の子のように世話をしてくれたアレスタンはもう駄目だ!こんな酷い男になるなんて思いもしなかった。やはり王位は君の娘クアラルに……」
「とにかく黙れ!」
アレスタンが上げた怒声に、この時は国王を除くその場にいる全員が賛同した。
フェザーナートがアレスタンの首に突きつけていた剣を、疲れたのかどうにでもできるという自信からか腰に下げている鞘に戻す。
「お聞きしてよろしいでしょうか王子。何故貴方は暗殺などなさろうとしたのですか?」
聞かれてアレスタンは不機嫌そうに
「この親父が馬鹿だからだ」
「馬鹿って?」
クアラルが聞き返す。
「今っつーか、昔からさあ、この国隣国に狙われてんの知ってっか?この国弱いしさあ。今まではこのペテン師の」
そう言って国王を指して、
「こいつの口車で丸め込んでだまくらかして来たけど、それもそろそろ限界だって俺は思うわけ。そしたらいきなり…………」
「アレスタン、部外者に話していいと思っているのか?」
ロを挟んだ国王に、アレスタンは舌を出して答える。
「思ってねえよ。こいつらを部外者だって思うんならさっさと警備兵呼ベアホ」
言われて国王はしぶしぶ黙った。娘に嫌われたくはないらしい。
気を取りなおしてアレスタンは続ける。
「金が出てきたんだよな。この国の土地から。俺は大喜びしたね。これで武力整えて隣国に対抗できる」
「戦争はあまり感心しませんが……」
「戦争なんかするかよ。ただ力があると思わせることは必要だ。でも、それで充分。なのにこの腰抜け親父、そこからは金が出るってのに全く掘り出そうとはしねえ。俺は一応我慢の限界まで鉱山掘れっつったんだ。でも嫌だっつーから……」
彼はフェザーナートに怒ったように告げる。
そこにクアラルが不思議そうに声を上げた。
「でも何で?」
「何が?」
「何で王様は金を掘ろうとしないの?」
王がロを開く前に王子が答える。
「金が出るならそれこそ隣が攻めて来るからだ。だから何とか秘密裏に掘る必要があるってわけ」
「それもあるけど……本当は違うのですよね?王様?」
「エリク?」
全員の視線が異論を唱えたエリクに集まった。
彼は底意地悪そうな笑みを浮かべると、国王に向かって、
「役者も揃ってますし、ばらして良いんじゃないですか?それとも実際に行ってみます?馬ならそんなに時間かかりませんよ」
「……君は知っているのかね?」
「いやもうバッチリ。鉱山の場所はフェザーナートが調べてくれたし、今日実際行ってみました」
目を見開いて尋ねる国王に、エリクは面白そうに答える。
「ちょお待て!なんでフェザーナートが鉱山の場所知ってんだよ?!」
アレスタンがフェザーナートに掴みかかった。
「一部の大臣しか知らないことだぜ?!」
「……その一部の方の奥様に三日前の晩社交界でお会いしました」
何となく気まずそうにフェザーナートが答える。
「うっわ誰だよ家族に話した奴!そいつぜってークビ!っつーか、身分剥奪!」
拳を握り締めて叫ぶアレスタンの横から、エリクの冷たい声がフェザーナートに向けられた。
「色々便利だよね、色男は。たらしこんで情報聞き出すのも余裕ですか」
「……どうしてそういう言い方をするんだ……」
エリクはにっこり微笑むと、フェザーナートの側により、彼にしか聞こえないような声で
「でも血は飲んだんでしょ?」
「………………黙れ」
問いに対して否定はしなかった。心なしか赤面しているように見えなくもない。
正直者の吸血鬼をからかうのを一先ずここまでにして、エリクは視線を国王に戻す。
「実際に見せれば納得すると思う。王様が言わないんなら皆をつれて行くよ」
国王は、黙ったままだ。
「まあ、その前に解決しなきゃいけない問題があるけどね。クアラルちゃんを王女って認知する書類を書いて下さいな」
「それは俺、ぜってー認めねえ!」
ロを挟んだのは当然のごとくアレスタン。クアラルは彼の方に向き直り、眉を吊り上げて反論する。
「何でよ?!」
「だって、俺は王になるべくして、分けわかんねーこと色々教え込まれて育ったんだぜ?俺はこの国が好きだし王になりたいと思ってる。なのにあんたがいきなり女王様とかになっちまったら勉強だらけだった幼少の俺と王になりたいと思う今の俺はどうしたら良いっての?」
「私は別に王様なんかなりたくないわ。王位なんて欲しくない。ただ死にたくないだけよ」
言われてアレスタンはきょとんとして
「死にたく……って何?ナニソレ」
「三日後に魔女裁判にかけられるのよ私」
その発言に王と王子は目を丸くする。構わずクアラルは続けた。
「でも無実の罪で殺されるなんてまっぴら。絶対に嫌だわ。だから裁判で無実にしてみせる。そのためには王家の血筋が欲しいの。お願い、私をあなたの妹って認めて」
「あ……でも、誰かがあんたの後見人とかになって、あんたを女王様に仕立て上げる可能性だってあるわけだろ?そんで、あんたが女だとか、そーゆーことでその誰かが政治に口出しまくるとかさ」
「じゃああなたは私が殺されることなんてどうだって良いって言うのね?!」
「そうは言ってな……」
アレスタンが言い終わるより早く、彼女は今度は国王の前に膝をついた。
「お願いします。私をあなたの娘として認知して下さい。私は母の家と母の菜園を手放したくないし、死にたくもありません」
「菜園……?」
国王はそう呟いてから少し左右に首を振って答える。
「……君が……あの町で暮らしているところに、誰かが君を利用しようと近づくかもしれない。そうならないように、君がこの王宮で王女として暮らしてくれるなら、認知をしよう」
その言葉を聞いてクアラルは怒りに頬を紅潮させて立ち上がった。
「そうじゃないって言ってるじゃないっ。私はここで暮らす気はないの!わがままなお願いだってわかってるけど、父親ならきいてくれたって良いでしょ?!顔も見たことない父親に頼ろうとした私が馬鹿だったわよ!」
そして入って来た方向に大股で歩き出し
「戻りましょ、エリクさん!」
エリクとすれ違いざまに乱暴に言うと
「王侯貴族なんて大っ嫌いよ!」
首飾りを外し、王の足元に投げつけた。そのまま部屋の外へと出て行ってしまう。
仕方なしにフェザーナートとエリクも後に続く。エリクがふと思い出したように、
「あ、王子様、ここに来る時使った馬車貰うから」
「お前それ平然と言うなよ」
言ったのを呆れたようにアレスタンが言葉を返す。どうやら口調から判断して、了解ということらしい。
そして、三人のいなくなった部屋で、遠ざかる足音を聞きながらアレスタンが国王に尋ねた。
「オッサン、あんたこれで良いわけ?」
「……」
王は、何も言おうとしなかった。