神様に乾杯 4話 - 7/7

通路を抜けて、王子の馬車の前でクアラルは下唇を噛んで泣くのを堪えていた。
ああは言ったけれど、どうするという当てはない。このまま逃げ出すか、町に帰って殺されるかだ。
「ここにいてもしょうがないよ。馬車に乗って、クアラルちゃん」
エリクが御者台に飛び乗り、フェザーナートが馬車の戸を開けクアラルに入るよう促す。
「どうも……」
段差を上ろうとして、フェザーナートが出している手に掴まろうと手をのばしかけた時に、アレスタンの言葉が脳裏をよぎった。
「化け物」
同時にフェザーナートを見た時の青ざめたエルクインの顔も。
この男は何者なのだろう?
そう思った時、湧き上がるのは恐怖。
「クアラル?」
のばしかけた手を止めたクアラルに、彼は不思議そうに声をかける。
クアラルは一瞬ビクッと体を震わせて、
「あ、いえ、何でもないです」
彼と目を合わせないまま、一人で馬車に乗り込んだ。
フェザーナートは自嘲するように苦笑を浮かべると、馬車に乗り込みながら心の中で呟く。
「だから嫌なんだ」
自分のことを知られるのは。
「乗ったね?行くよー」
エリクが後ろに声をかけるのと同時に馬車が走り出した。
隠し通路を抜けた時点で、一向は王宮の敷地の外に出ていた。要するにこの通路は脱出用なのだろう。王都内の、でも人のいない街の外れだ。
そこから馬車は門に向かって走り出した。
「エリクさん?宿に戻らないの?荷物置きっぱなしなんだけど。それに今って門閉まってるでしょ?どうするの?」
街の門はどこであってもだいたいは日が沈むと同時に閉められるはずだ。
「この馬車は王子様の馬車。見た目も王族専用。問答無用で通してくれるよ」
振りかえらないでエリクが答える。
「で、宿の荷物は?諦めろってこと?」
大した物が入っているわけでもないが、諦めるのはもったいない。
「ああ大丈夫。ちゃんと戻るから。これから行くのはちょっとした寄り道」
「寄り道なんて……私とりあえず家に早く帰りたいわ。今、母さんの残してくれた菜園に花が咲いているはずなのよ」
「そんなに時間かからないから」
「……ならいいけど……」
しぶしぶ、彼女は黙った。

森を通り山道を登る。馬車が通れる道があるのはどういったわけだろう?空の星もわからないくらい、木々が生い茂っているというのに。
やがて、馬車が止まる。
「ついたよ」
エリクが後ろを振り返り、にっこり笑って告げる。
「何なの?ここに何が……」
言いながら戸を開けて、クアラルは絶句した。
目の前に広がるこの光景は、
「これって……」
闇を照らすように差し込む月の青白い光は花畑に下りていた。
「え?どういうこと?何で……」
この花畑は、
「どうして母さんの菜園と同じものがここにあるの?!」
ずっと何年も、家の側で見ていた光景と同じなのだ。
「何で?全然わかんない」
そう言って馬車から降り、花畑に近寄る。
エリクが彼女の側に歩み寄り、
「王様が鉱山を掘りたくない理由、その答えがこれだよ」
悪戯っぽく微笑んだ。
「え?こ、ここなの?」
「……なるほど」
呟いたのは馬車に背を預けて立ったフェザーナートだ。
「国王はこれを壊したくなかったわけだ。で、さっき登ってきた道は国王がこれを世話するために使っている道だな。そんなところか?エリク」
「うん多分。ねえクアラルちゃん。世話長いことしないでいたら、こんな花畑になる?」
「なるわけないじゃない!」
怒ったようにクアラルが答えた。
「これ、母さんの菜園なの?それであの人が、母さんが去ってからずっと世話してたって言うの?!」
エリクはクアラルを落ち着けるように、優しい声音で質問に答える。
「そういうことだよ。王様は、クアラルちゃんのお母さんを今でも大切に思ってるってこと。そして君のことも、ね」
「じゃあ何で?!」
「え?」
クアラルはエリクに詰め寄る。
「そうだとしたら、何で私のお願いを聞いてくれないの?父親なのに、何で?」
フェザーナートが、自分たちが来た方の道を眺めながら静かに言った。
「父親だからだろう。…………答えは、彼に訊いてみればいい」
「彼?」
すぐに、馬の走る音が聞こえてきた。山を登ってくる誰かがいる。
森を抜けて、現れたのはクアラルと同じ茶色い髪の青年。
「……王子様……?」
アレスタンは馬を止め、ひょいと降りるとクアラルとエリクの方に近づいて行った。
「エリクは最初から、こうなるってわかってたわけだ?」
「そうでもないよ。これから城にもう一度王様に会いに行こうと思っていたところ。君が来たからその必要もなくなったみたいだけど」
「……まぁ、いいけどさ。えーっと、クアラルだっけ?親父からこれ」
そう言って、彼はクアラルに一枚の紙と、首飾りを手渡した。
認知したという書類と、彼女が国王に投げつけた首飾り。
「好きなようにしろっつってたぜ」
呆然と、クアラルは手渡されたものを見つめていた。
「何で……?だって王様、さっきは……」
「あれも本音だし、これも本音」
「どういうこと?」
顔を上げて、アレスタンの方を見る。彼はつまらなそうに、
「あんたと一緒に暮らしたかったんだろ。利用されないように、何てのは建て前だ。で、あんたが自分の好きなように生きてくれればいいってのは本音さ。ま、一応あいつも何か考えてるってことだな」
そこまで言ってから花畑の方を眺めやり、静かに呟いた。
「……確かに綺麗だよな。壊したくないってのは認めてやるか」
「あなたはこれでいいの?」
聞かれてアレスタンはぶっきらぼうに
「あんた女王になる気ないんだろ?なら別にいーさ。金は……諦めたかねーけど、国王の命令は絶対だろ」
「? だから暗殺しようとしたんでしょ?」
「そうなんだけどさ。俺、あいつと国と選べって言われたら間違いなく国を取るけど、でも……」
照れたように早口で、目をそらして言う。
「別にあいつ嫌いじゃねーんだ」
王侯貴族なんて大っ嫌い。そう言ったのは自分。自分だけど。
「あんたは?」
問われてクアラルはくすっと笑い、
「私も、嫌いじゃないわ」
何だか大笑いしたい気持ちだった。
アレスタンも、少年のように歯を見せて笑う。
「なあ、そのうちクアラルの家に遊びに行ってもいいか?」
「うん、来て来て。王子様の話って聞いてみたい」
「アレスタンでいいよ」
二人にエリクが声をかける。
「ほら、そろそろ帰らないと、間に合わなくなっちゃうよ」
「うん。……またね、アレスタン」
エリクに向かって返事をしてから、クアラルはアレスタンに手を差し出す。
アレスタンもその手を握り、
「おう、またなクアラル」
「王様に、有難うお父さんって言っといて」
「……わかった」
ゆっくりと手を離す。彼は今度はフェザーナートの方に向き直って声をかけた。
「あんたさ、何者なわけ?」
「化け物ですよ。貴方がそう言ったでしょう?」
無愛想に疑問系で返す。
アレスタンは顔に少し怒りを浮かべて彼に近づいた。
「言ったよ。言ったけど、そんな傷ついた顔するなんて思わなかったんだ」
言われてフェザーナートは明らかに驚いた顔で、
「…………そんな顔してましたか?」
「してた」
即答。
何やら考え込むフェザーナートに構わず、アレスタンは言葉を続けた。
「何か違うんだよな、俺の知ってたあんたと今のあんた。雰囲気とかがさ。でも同一人物だってのはわかる。ただ、なんか違和感があるんだ。年をとってないとかそれだけじゃなくて。あんた本当に何者なんだ?」
一瞬、彼は言葉に詰まる。言えばきっとまた傷つくような気がして。
それでもフェザーナートはロを開いた。アレスタンを信じたくて、自分が人間だったことを信じたくて。
「人の血を吸う化け物です……。夜に住み、闇に囚われ、時間に呪われた……人間です」
しばらく、アレスタンは彼の目を見たまま黙っていた。そして、
「ふうん」
それだけ言うと、何もなかったように自分の馬の方へ歩き出す。
これにはフェザーナートの方が驚いた。
「あ、あの、それだけですか?」
尋ねられて初めて気づいたようにアレスタンが振り返る。
「あんた今どこに住んでんの」
「は?」
「剣、教えてもらいに行っていっか?」
「は?いや、それは構いませんが……」
「そっか」
簡潔に答え、エリクの方に何も書かれていない紙を差し出して、
「あいつ状況飲みこめてないから、あんたがあいつの住所書いてよ」
「へいへい」
サラサラと、どこからか取り出されたペンで住所が記入される。
「あの、王子……?」
うろたえているフェザーナートに、今度こそ馬に跨ったアレスタンは軽く片手を上げて、
「じゃ、またな」
そう言うとフェザーナートに背を向けて、クアラルに笑顔で手を振りながら、彼は帰って行った。その背中にクアラルが「絶対来てねー」と呼びかけている。
その光景を見ていたフェザーナートに、エリクが
「マジでそろそろ戻らないと。日、昇っちゃうよー」
「……ああ」
「嬉しそうだね」
笑いながら声をかけた。
「ああ」
馬車に乗りこみながら、アレスタンの言葉を反芻する。自然に顔が笑うのを別に止めようとも思わない。
彼は、「またな」と言ったのだ。

「本当に、ありがとうございました」
クアラルが二人に深々と頭を下げた。
彼女の後ろには一面の花畑。
「こちらこそ?大金貰ってるから。成功報酬もふんだくってみせるよ。国王を敵に回さずにすんだんだぞって」
エリクがけらけらと笑って答える。
「まー、明日はお互い頑張ろうね。俺、一応裁判官やらされることになってるから」
「あ、そうだったんだ?なら心強い」
王都からクアラルの住む街まで二日かけて戻ってきて、彼女の家の裏にある、彼女が世話している菜園の前に三人はいた。
花畑は、王都のものと全く同じで、風が吹くたびにそよそよと揺れている。
「でも、フェザーナートさんとはここでお別れですね」
「ああ、すぐに帰るよ。魔女の部屋に柩があるのはまずいだろう?」
クアラルがフェザーナートの目を見て言ったのに対して、彼は気まずそうに目をそらして答える。彼の正体を彼女が知ってから、彼女から彼に話しかけたことは一度もなかったので戸惑ったのだろう。
そんな彼を見て、クアラルはふっと微笑んで、
「私、お姫様になりたかったんです」
唐突に、そんなことを言った。
驚いて目を見開くフェザーナートに構わず、彼女は言葉を続ける。
「王侯貴族なんて、何もしないでふんぞり返っている馬鹿たちばっかりだろうって思ってたけど、それでもお姫様には憧れてました。……で、今は成り行きでお姫様になっちゃったけど、でもこれは憧れていたのとは違うでしょう?私はここで暮らし続けるわけだし。でも」
夢見るように、彼に笑いかける。
「あなたが一緒にいてくれた時は、私、お姫様になれた気がしました。すごい……嬉しかったです。ありがとう」
少しの間を置いて、フェザーナートは複雑そうな表情を浮かべる。
「私が怖くないのか?」
「……少しだけ」
小さく答えてから、彼女は首を横に振って、
「でも、エリクさんが言ったんです。自分は魔法使いで、私を本物の魔女にしに来たんだって。なら、それと同じでしょう?私はお伽話の召使いで、フェザーナートさんは魔法使い。それなら怖くありません」
今の気持ちを懸命に伝えようと、まっすぐ彼の瞳を見つめて言った。
フェザーナートはどこか困ったような、それでいてとても嬉しそうな笑顔を浮かべて、クアラルの前に脆く。
「では姫君。祝福のキスを。貴方の明日の健闘を祈らせてください」
言葉に従い、クアラルが手を出すと、彼はその手を取って手の甲に口付けした。
そして彼が立ちあがるのと同時くらいに、
「ね、私もキスしていいですか?ありがとうのキス」
声をかけると、一瞬驚いた顔をしてからにっこりと微笑んで、
「どうぞ、光栄です」
少し屈むと、髪を耳にかけて頬を出す。
その頬にクアラルはキスをして、にこっと笑った。
「本当は唇にしたかったけど、奥さんに悪いからやめておくわ」
「……クアラル?」
驚いて聞き返すが彼女はエリクに声をかけ、
「エリクさん、今晩うちに泊まる?いい宿ないわよこの町」
「いいの?だったらそうする」
もうクアラルの家に向かう雰囲気だ。
無視されて何だかちょっと寂しげなフェザーナートにクアラルはくすくす笑いながら
「さようなら。よかったら今度遊びに来てね」
あなたが好きでした、と言いかけてやめる。
家に向かって歩きながら、ちょっと振り返って花畑を眺めやり、それからまた歩き出す。
自分にしか聞こえない声で、小さく呟いた。
「兄と、父と、二人の魔法使いと、どうかまた会えますように」

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