「へえ、あの位置に教会ができるんですか。それは良いですね。町中に張り紙を出して知らせますよ」
老人に足を一歩突っ込んだオッサン(初老の町長)は中年太りの(恰幅の良い)腹を揺らして嬉しそうに笑った。
(一文だけエリクビジョンでお送りしました。)
「はい。この町からあの町の教会まで行くのは大変でしょうから……。喜んでいただけて自分も嬉しいです」
こちらもニコニコとエリク。
気づかれない程度に今いる応接間を眺め、「……中の上ってトコかね。金を自分の家だけに使うほど馬鹿じゃないか。貯め込んでいるタイプには見えないし、結構良い町長なんじゃないの」内装から適当に目の前の人物を評価した。
「このまま帰っても良いのですが、子供達の聖歌隊があると聞きまして。是非その練習を見たいと思うのですが、どこか良い宿を教えていただけますか?」
「それでしたら神父様。ここに泊まって下さい。わざわざ来ていただいたのですから、それくらいのおもてなしはさせていただかなくては」
町長の予想通りの反応に、エリクは目を細めて頷く。
「そうですか?ではお言葉に甘えさせてもらいます」
「何であんたがここにいるの?!」
声は後ろからした。
振り返ると廃屋で会った栗色の髪の少女が、部屋の入りロに立っている。
「こらクーキー!何のつもりだノックもしないで!神父様に失礼だろう?!謝りなさい!」
町長が叱ると、クーキーと呼ぱれた少女はあきらかに不服そうに、
「ごめんなさいねーっ!」
エリクの方を見ようともせずに走り去ってしまう。
「クーキー!!」
町長が名を呼んだが効果はないようだ。
「あの子は?」
エリクが町長の方に向き直り、尋ねると町長は申し訳なさそうに頭を下げる。
「私の娘です。済みません、本当に。後できつく言って聞かせますから……」
「いや別にいいんですけど」
言いながら「年の離れた親子だなあ」とあまり関係ないことを考える。それからふと思いついて、
「……そうですね。台所を貸してもらえますか?」
いきなりの質問に、町長は目を丸くしながらそれでもなんとか頷いた。
二階の突き当たりの部屋だ。扉の前に立って二回軽くノックする。
「……だれ?」
警戒のこもったクーキーの声。
「お菓子いらない?」
「どっかに行って!」
質問するのと同時にクーキーの怒鳴り声がした。
「一日泊まるのはパパが許したからしょうがないとしても、私の部屋の方には来ないでよ!近よんないで!」
言われてエリクは底意地悪く笑みを浮かべると
「このお菓子、君のママが持ってってくれって言ったから俺が持ってきたんだけど……いらないの?美味しくできたって言ってたよ?」
中の反応を待つ。少し間をあけてから、感情を噛み殺した声で小さく返事が聞こえた。
「…………いらない」
「じゃ、俺が貰うね」
「まって!後で食べる!だからそうママに言っといて!」
時間的には午後のティータイム。ちょうどお腹が空く頃だ。
彼女の母から聞いた話では、どうやらクーキーは母の作るお菓子が大好きらしいので釣るにはもってこいだろう。
「出来立てが一番美味しいのにねえ。もったいないよ」
また少しの沈黙。
「ドアの前において。あんたが行ってからとるから」
「それは駄目」
「何で?!」
声を荒げるクーキーに、エリクは可笑しくて仕方ない、といった様子で理由を告げた。
「これには俺の分も入ってて、切り分けなきゃいけないから」
結局、渋々ながらもクーキーはエリクを自分の部屋に入れることにしたのだった。
「やっぱり一人で食べるんじゃ美味しくないもんね」
「あんたといることで美味しくなくなるよ」
不機嫌そうに、ドライフルーツの入ったパウンドケーキを口に運びながらクーキーが言い捨てる。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「何かいつもと……」
噛みながら不思議そうに呟く。
「これも美味しいんだけど、いつもと味が違うなって思って……」
「いいじゃん、美味しいなら」
「……そうだけど」
軽く言うエリクを、上目遣いに睨みつける。
「あんたさ、あそこで何してたの」
答えによってはただじゃおかない、そんな迫力があったのだがエリクは瓢々とケーキを食べつつ
「べっつにー?あ、何か廃屋があるな、入ってみよーとか思って入っただけ」
「嘘ついてない?」
「どうして?」
聞き返すとクーキーは一瞬言葉に詰まってから
「だって……あんたが神父だから……」
小さな声でモゴモゴ言いながら自分の分のケーキを食べ終わった。
「美味しかった?」
「え?」
「それ俺が作ったの」
きょとんとしてからクーキーはたちまち赤面し、近くにあったクッションを投げつける。
「だ、だましたなあ!」
「やだー人聞きの悪い。嘘は言ってないよー」
軽くクッションをかわしながらエリクが大笑いした。
「信じらんない!出てけ馬鹿!」
何を言われても構わずげらげら笑いながらエリクが尋ねる。
「ねぇねぇ、俺が神父だったら何か駄目なことでもあるの?」
「大有り!あんた、チェシリーナが目的なんでしょ?!」
クーキーのその声を聞いてエリクは笑うのを止め、それでも顔だけは満面に笑みを浮かべたまま、
「ああやっぱり見間違いじゃなかったんだ。最初は見間違いだと思ったんだけどね、チェシリーナちゃんの体が透き通っていたことなんてさ」
言うとクーキーは顔を強張らせて
「……引っ掛けられた……」
エリクを睨みつける。
エリクは肩をすくめると
「そんな怖い顔しないで。別に俺チェシリーナちゃんを消そうとなんて全然思わないから」
「ほんとに?チェルは……幽霊だよ?」
小さく溜息をついてから彼は優しく微笑んだ。
「疑り深いな。約束する。絶対にチェシリーナちゃんを消そうとしない」
クーキーは少しの間、じっとエリクを見ていたがふいっと目をそらして
「変わってるね、あんた」
「そう?そう言われたのは初めてだよ」
「えー?」
「胡散臭いだの馬鹿だの子供だのとはよく言われるけど」
「……あんた、ろくなことしてないんじゃない?」
不安げに見上げるクーキーに、エリクはパタパタと手を振りながら
「そうかもね。俺はこの世ならざる者であっても本人が希望してない限りは消そうと思わないから」
そう言うとクーキーは眉を寄せる。
「本人が、……消えたいって思ってたら?」
「願いを叶えてあげるさ。……もしかしてチェシリーナちゃんって消えたがってるの?」
「そんなことない!!」
大声をあげてクーキーが立ちあがった。
「……そんなにムキになると逆に怪しいよ」
「だって……!」
「ふぅん、図星なわけね」
「うるさい!」
クーキーは怒って、でも泣きそうな顔で言葉を続けた。
「約束したんだもの!ずっと友達でいようねって約束したんだからっ。勝手にいなくなるなんて許さない!」
自分の分のパウンドケーキをやっと食べ終わったエリクが皿を盆にのせる。クーキーを一瞥すると、それからおもむろに立ち上がる。
「どこ行くの?!チェルに何かしたら許さないから!チェルは私が守るの!!」
「とりあえず、この皿を洗いに行くんだけど」
言いながら彼は部屋の扉を開けて
「大丈夫。約束したじゃん。チェシリーナちゃんを消そうとなんてしないよ。俺はね」
振り返ってそう言うと、部屋から出て静かに扉を閉めた。
それから彼は空いている方の手で首の後ろを掻きながら
「これはチェシリーナちゃんの話も聞いてみなくちゃねえ」
とりあえずは皿を洗いに歩き出した。
満月の晩は化け物が出る。
実際に見た者はそうはいないだろうに、どういうわけか昔からそう言われていた。月光は化け物の力を強くする。化け物の性格を狂暴にする。……全てがそうなのかは知らない。ただ、以前見た人狼は満月の晩だけ獣になった。
幽霊は、どうなのだろう。
そんなことを考えながらエリクは満月の下を歩いていた。
こっそりと町長の家を抜け出し、昼間行った廃屋を目指す。抜け出したことをクーキーに気づかれていないようにと折りながら。
やがて、目的地に着いた。踏みつけた扉がきしむ音を立てる。
「誰?」
昼間見た少女が、壁の影から少しだけ顔を出してこっちを見ている。
「今晩は」
にっこり笑ってエリクはお辞儀をした。
「昼間の……神父様?」
「そう、話を聞きたくて、君に会いに来たんだ」
少女の体はかすかに発光して、そしてその体の向こう側は透き通って見えた。
「近くに行ってもいいかな。何もしないから]
少女は何も言わず、かすかに頷く。それを見てエリクはやっと入りロの前から中へ入った。
少女の前に立ち、視線の高さを合わせるために屈む。
「話って、何ですか」
上目遺いにエリクを見て、脅えた様子でロを開いた。
「うん、俺ね、今クーキーちゃんの家に泊まってるんだ。で、クーキーちゃんが君のことをちょっと話してくれてさ」
事実が歪曲されている。
「で、君が消えたがっているって……そんなことを言っていたから、話を聞いてみようと思ったんだ」
「クーキーが?そうですか……」
安心したのか、少女の緊張が緩む。
少女は小さく息を吐いて、それから正面からエリクの目を見た。
「私、クーキーのことが大好きなんです」
「うん」
エリクも少女の目を見ながら相槌を打つ。
「私、生きてた時のことほとんど覚えていなくて、気がついたら一人で、……何で私ここにいるんだろうっていつも考えてました」
「うん」
「でも、そんな時にクーキーと会って、友達になってくれて、楽しくて。……初めて生きてるような気がしたんです。変な話ですけど。でも、とても幸せでした」
「うん」
ふと、フェザーナートのことを思い出す。彼は人間だった頃のことをはっきりと覚えているけれど、今は、どういう気持ちでいるんだろう。生きているという感覚、実感はあるんだろうか?生前と違いはあるんだろうか?ぼんやりと、そんなことを考えた。
突然チェシリーナは目を伏せて、悲しそうに続きを話し出す。
「そのオルゴール……」
「ああ、これ」
言われてエリクは、近くにあったのでそれを手に取った。
「そのオルゴール、クーキーがくれたんです。綺麗な音がするよって。今習っている歌と同じ曲だから、上手く歌えるようになったら聞かせてくれるって。そう言ったんです」
「…………うん」
「……神父様はわかるんですね、この曲で私を消すことができること」
チェシリーナが視線をオルゴールに移すと、エリクの手の中のそれはふわりと浮かび上がり、彼女が胸の前で広げた両手の上で止まった。
その様子を、変に落ち着いた気持ちで見つめながら
「……賛美歌だからね。そういうものなんだと思う」
エリクは答える。
「私……私は、それに気づいた時にやっと、私がここにいることを神様は許していないんだってわかったんです。私がここにいることは罪で、それで、私をここに匿っているクーキーも罪を犯してるんだって、わかったんです」
少女の目から、涙が零れた。
「……それで、消えたいと思ったの?」
エリクの間いに、チェシリーナは小さく頷く。
「じゃあ何で、自分からは消えようとしないの?」
「だって、クーキーに何も言わないのって酷いし……でもクーキーに言ったら、怒ったんです。私、クーキーに嫌われたくなくて。それでそのことそれきり言ったことありません」
「そう」
エリクは一度頷いてから
「で、俺に君を消せって言うわけだ?」
「え……?」
戸惑うチェシリーナに構わず、エリクは言葉を続けた。
「だってそうだよね?クーキーちゃんの名前が出ただけで君は安心した。相手が神父ならもっと警戒したっておかしくないのに。それは、クーキーちゃんを知っている俺になら消されても構わないって思ったからでしょ?」
「…………そう、です」
俯いて、チェシリーナが肯定する。
「ねえ、チェシリーナちゃん。クーキーちゃんを納得させるのは君の役目だよ。俺じゃない。君はここで消えてしまって、後は俺に任せるって言うのは駄目だ。わかるよね?」
「だって……!」
泣きながら、少女は顔を上げた。
「だって、クーキーがこのオルゴールをくれたのに、歌ってくれるって言ったのにっ!それなのにそのせいで私が消えたいなんて思ったなんて、どうしたら言えるの?!クーキーを傷つけたくないのに!」
そして両手で顔を多い、消えそうな声で呟く。
「私が消えたいって思ったの、自分のせいだって知ったらきっとクーキー傷つくわ……」
そんな少女を見ながらエリクは、厳しくもなく、けれど優しくもなく、ただ静かに話しかけた。
「チェシリーナちゃん、君が言ったんだよ。クーキーに何も言わないなんてできないって。それは、クーキーちゃんに君の気持ちをわかって欲しいからでしょ?だから君が言わなくちゃいけない。……もし、俺が君の言う通りにしたら、それこそクーキーちゃんは傷つくよ。きっと君を許さない」
「………………私……」
チェシリーナが何かを言おうとロを開いた時、
「やっぱりここにいた!」
声の主は入りロに立っていた。