三人は教会からも町からも離れた場所に向かっていた。星明りを遮る木々と草の影が作る闇をなるべく早く疾走する。
最初はフェザーナートだけで行こうとしていたのだが、エルクインが「私も行くわ」と言い張った。危険だと言っても聞こうとしない。「その危険な場所にクアラルがいるんでしょ?」
その様子を見て、諦めたようにフェザーナートが同行を許したのには驚いた。エリクはまさか彼が女性の同行を許すとは思っても見なかったのだ。
「……じゃあ俺も行こうかな」
「はあ?」
フェザーナートが声をあげたが聞き入れず、自分も行くことにした。足手まといにしかならないだろうというのはわかっているし、教会に捕らえている悪党どもの見張りがいた方がいいのもわかっている。
ただ、女性が戦地に赴くのに自分だけ安全な場所にいるのが嫌だったのだ。ただ、それだけの理由。
やがて、少し開けた場所に今にも崩れそうな小さな屋敷があるのが目に入った。そこが悪党どものアジトらしい。
「隠れ家が一つとは限らないけど……嘘は言われてないみたいだね」
捕らえたごろつきの一人から奪った棒を握り締めながらエリクが呟く。
「そうだな……」
言いながらフェザーナートは屋敷の中に多数の気配があるのを感じ取っていた。教会を襲撃したのも含めると、なかなか大きな賊の部隊だ。
「お前たちはここで帰った方がいい……と言っても無駄か」
前半は警告するように、後半は諦めたように言った。エルクインはもとより、エリクも言って聞くような目をしていない。
音を立てないように警戒しつつ、三人は廃屋との距離を詰めていった。近づくと、人口と、その前に見張りが二人いるのが見える。教会を襲撃した部隊が戻ってこないからか、多少警戒しているようだ。
フェザーナートは小さく「静かに」と呟き、エリクが頷くのを見ると入りロに向かって疾走した。
音はなかった。ただ黒い影が見張りの一人に近づき首の後ろに手刀を浴びせると見張りは膝を突いてその場に崩れる。異変を察したもう一人は、声を上げる前に後ろに回りこまれ、やはり手刀で昏倒させられた。
それから他に近くに人がいないのを確認し、フェザーナートがエリクたちに手招きする。
エリクたちはそれに習って彼のところまで走った。「今何をしたのよ?」フェザーナートの尋常じゃない動きにエルクインは眉をひそめる。
「見た通りだ。……夜は私の味方だ」
フェザーナートは彼女を見ないまま返事を返した。そして入り口を見て顎をしゃくる。
「私はここから入る」
「正面から?」
思わずエリクは聞き返した。
「ああ。入ってすぐホールがあるはずだし、気配がそこに集中しているからな。お前たちはクアラルがいる部屋の近くの窓からでも入ってくれ。なるべく派手に引き付けてみせる」
「わかった」
答えて、不満を言いそうなエルクインを引っ張ってエリクがごろつきに教えられたとおりの部屋を目指して歩き出したのを確認すると、フェザーナートは上を向いて一息ついた後、扉を派手な音をたてて蹴破った。
「誰だ!」
突然の侵入者に、中にいた男たちは様々な得物を手に立ち上がった。
「正義の味方」
我ながらくだらないと思いつつ問いかけに答えながら迫ってくる剣をかわす。鞘から剣を抜くと同時に飛び上がり、吹き抜けになっている玄関ホールから二階の手すりへ飛んだ。
ギョッとして一瞬戦意を喪失した男たちに、今度は上から踊りかかる。
闇が降りてくる--男たちは今合間見えているのが人ではないことを本能が察知したのか肌があわ立った。背筋を悪寒が走る。
「ふざけやがって!」
自らを奮い立たせるために叫んで剣を振るうがそこには最初から標的はいなかったかのように難なくかわされ逆に見事な膝蹴りが顎に入った。
「一人」
円月刀が彼の首を狙うがその刃が肌に届く前に刃の腹に打ち据えた拳が刀身を砕いた。その腕をそのまま相手に打ちつける。
「二人」
男は大ぶりの剣を袈裟懸けに薙ぎ払うがフェザーナートの剣に受け止められた。そのまま押し切ろうとするが軽く力負けし、後方へ吹き飛ばされる。「うあぁああああ!」吹き飛ばされた男の体はフェザーナートに迫ろうとしていた男にぶつかった。
「三人、四人」
足をすくうように振るわれた棒を飛んで軽くかわしながら、フェザーナートはこの部屋の敵の人数を数えた。
およそ二十五。
ここへ来る前に聴いた話では確かこの廃屋には三十のごろつきがいるはずだ。
「残りはクアラルの見張りか……?」
何事かと音を聞きつけて通路や部屋から顔を出しだのは二人。
エリクとエルクインの二人は残る人数を相手にするわけだ。
「やられるなよ、二人とも」
四面楚歌の中、彼は二人の無事を折った。
遠くに正面ホールの喧騒が聞こえる。
「この部屋の隣りが階段のはずだよ」
小声で言いながら、エリクは雨戸のしまった窓を見た。まるで嵐の前かのように板が打ち据えられそう簡単には開きそうにない。
聞いた話ではクアラルが捕まっているのは二階だ。ここで大きな音を立てた後、クアラルのいる部屋まで人が来ないのを願うしかない。
「その棒で貴方が窓を割って。すぐに私が飛び込むわ」
細剣を抜いて、エルクインが指示する。
「了解。いくよっ」
バリィイインッ
カを込めて棒を窓に叩きつけると、派手な音をたてて雨戸とガラスが割れる。開いた隙間に、エルクインが飛び込んだ。
「何者だ!」
男の声がする。見張りがいたらしい。続いてエリクも屋内へと入ると、
キィインッ
すでに一人いた見張りはエルクインの細剣で短刀を弾き飛ばされていた。そこヘエリクが棒を振るい、相手を昏倒させる。
二人は無言で頷くとクアラルのもとへ走りだした。
部屋を出て右へ曲がる。すぐに階段が見えた。途中の踊り場で折り返し上へと向かう。
「はっ」
掛け声とともにおそらくクアラルのいる部屋の前にいた男が剣を唸らせて襲い掛かってきた。
エルクインは二階へ上がりきり、男と細剣で結び合う。
キィイィンッ
素早い動きで位置を男と取り替えると、
「ごきげんよう」
細剣を男の喉もとに向かって突き出した。
男は身をそらしその攻撃をかわすが、それだけで十分だった。
バランスを崩した男はそのまま階段へと仰向けに倒れこみ踊り場へと頭から転がり落ちる。
ちなみにエリクは踊り場の角に避けている。
エルクインがクアラルのいるであろう扉を蹴破った。エリクも後に続く。
「クアラル!」
部屋の中には椅子に座らされた状態でロープで縛られたクアラルがいた。猿ぐつわをはめられていたが、飛び込んできた二人を見て眼を輝かせた。
「すぐに助けるからね!」
言いながらクアラルに駆け寄りエルクインはまず猿ぐつわをはずそうとしゃがみ込む。
しかしクアラルは訴えるような視線を彼女とエリクの背後に移すと首を横に振った。
エルクインは気付かない。エリクが視線を追って振り返ると、斧がエルクインの頭上に追っていた。
エリクは驚きに包まれたまま、思うより早く、
ギイイィインッ
棒を両手で構えるとエルクインに振り下ろされる斧を棒で受け止めていた。
がら空きになった胴に、思いの外素早く斧が振るわれる。
「うあああああああぁ!」
痛みがわき腹から全身へ走りぬけた。思わず彼は棒を落として膝をつく。
男が第二撃に入ろうとしたとき、動きがぴたりと止まった。
首の後ろに冷たいものが触れている。
「動かないで」
細剣を突きつけたエルクインは冷たい声で告げた。
「斧を下ろしなさい。床に置いて」
ゴトンッ
男は言うとおりに斧を下ろし、手を離した。
手から離れた斧が床に倒れる。
「エリク、動けそう?」
「……多分」
荒い息でエリクが答える。額に脂汗が上がり、傷を抑えた手はすでに真っ赤に染まっている。
細剣を男の首筋に当てたまま、エルクインはもう片方の手で教会から持ってきたロープを取り出した。「エリクは動かしちゃいけない……」男を縛ろうと近づく。その時、
男がぐるりとエルクインの方へ勢い良く振り返った。その勢いで彼女の手を裏拳で殴り細剣を弾き飛ばす。そして彼女の首へ両手を当てると締め上げながら体を押し倒した。
「んんっ……!」
首に男の体重をかけられて苦しげにエルクインがうめき声をあげる。
骨が折れるか窒息するか、その二択が頭に浮かぶ。
「当たれぇ!」
エリクは手元に弾け飛んできていた細剣を男に向かって投げつけた。
刃は一直線に、男の首の後ろから喉へと突き刺さった。
「ぐ、ぐは、がはぁっ!」
叫びのけぞり、血を吐くと、男はエルクインの上に倒れこんだ。呼吸音は苦しげに「……ヒュー……ヒュー」と断続的に聞こえてくる。
エルクインは男の下から這い出てきながら
「ふはっ……。ゴホッ、あ、ありがとう……」
絶え絶えな息でエリクに向かって礼を言い、それからエリクに駆け寄った。
「出血が凄いだけ……傷は深くはないと思う……」
痛みに耐えて歯を食いしばりながら、無理に笑ってエリクは言った。彼には自分の傷より気になることがあった。
エルクインは大慌てでクアラルの猿ぐつわを解き、彼女を戒めていたロープを切った。
「クアラルは医者よね?!」
「うん!」
返事とともにエリクに駆け寄ろうとするが、長時間同じ姿勢で縛られてたこともありバランスを崩してよろける。エルクインがクアラルを支えた。
「大丈夫、傷は内臓まで達してないよ、エリクさん」
エリクの服をはだけさせて、傷口を見てクアラルが言う。
クアラルはビッっと自分のエプロンドレスを引き裂くとエリクの止血に使う。あっという間に包帯かのようにくるくるとエリクの体に撒きつけた。
その手際のよさに一瞬エリクもエルクインも見とれてしまった。
「激しく動かなければ一ヵ月もしないで治ると思うわ」
乱れてしまった彼の着衣を直しながらクアラルは冷静に安堵の息をついた。
それを聞いてエルクインも安堵の吐息を漏らした。
「無事だった?クアラルちゃん」
深呼吸をしながら微笑してエリクがクアラルに問う。
「はい!ごめんなさい巻き込んでしまって……。それにこんな傷……」
「謝らないで。むしろ、俺たちに協力を求めてくれて有難う」
王女に信頼されている。これほど誇らしいことがあるだろうか。
それでもクアラルは申し訳なさそうに少し泣きそうな顔で何度も何度も頭を下げた。
耳を澄ましてみると、正面ホールの喧騒も、もう聞こえない。フェザーナートが全て片付けたに違いない。まだ敵が残っていたとしても、もう、逃げるしかしないだろう。
「貴方はここで休んでいて。あの男と一緒に、こいつらを役所に突き出せるように縛り上げるわ」
「甘えていいなら、そうしようかな」
エリクが答えると、クアラルとエルクインは部屋の外に出て行った。
それを確認すると、痛みをこらえて立ち上がり、倒れている男の側へ移動した。
不規則な呼吸音はもう聞こえない。
エリクは眉をしかめて、倒した男に近づく。屈んで首筋に手をやって、脈がないことを確認した。
彼が武器として棒を選んだのは、素人の自分でも鈍器なら人を殺さずにすむと思ったからだ。現に、今までの戦いで死者は出ていなかった。
エリクはどっと力が抜けてその場の床に倒れむ。小刻みに震える手で、口元を抑えた。
吐き気がする。
頭痛がする。
目眩がする。
耳鳴りがうるさい。
「……はは……」
ロから漏れるのは何故か乾いた笑い声。
潤んだ目から、涙が零れた。
「俺……殺しちゃったんだ」
自嘲するように呟くと、顔が歪む。
「……殺し……」
倒れている男。二度と目を覚まさない。
「……殺し……た……」
気が遠くなりそうだ。
「エリク……?」
声がして顔を上げると、入りロに人影が見えた。
「大丈夫?」
エルクインだった。一人で戻ってきたらしい。
「何のこと?」
エリクは、涙をぬぐって、無理やり笑ったが、
「強がらなくていいわよ」
エルクインはエリクに歩み寄り、しゃがみ込み視線を合わせると、彼の両肩を掴んだ。
「私の話、聞いてくれる?」
困ったような顔で、エリクはエルクインを見たが、彼女は返事を待たなかった。
「私も人を殺めたことがあるわ。そのときは、こう思うことにしているの」
肩を掴む手に力がこもる。
「泣いてる暇があったら、その名前も知らない彼の為に祈りなさい。彼のことを何も知らなくても、彼の家族、友人、彼自身のために、謝って、そして、彼が楽園へ導かれるように祈りなさい。後悔するのは、それからよ」
しばらく二人は無言で見詰め合った。やがて、エリクがエルクインの手をほどくと、
「……強いね」
「貴方もよ。それができるなら、ちゃんと休んでいられるでしょう?」
止めどもなくあふれる涙を押さえ込むように手を顔に当てながら、エリクは静かに頷いた。
それを確認して、エルクインはエリクに笑いかけ、
「助けてくれて有難う」
そして部屋を出て行った。
こっちのセリフだ……。
「助けてくれて、有難う」
エリクは苦笑してポツリと呟いた。