神様に乾杯 8話 - 4/4

「痛い痛い痛いッ!」
アルコールが傷口に染みて、思わずエリクは悲鳴をあげた。
「もうっ。動かないでよエリクさん。傷、化膿しちゃうよー?」
「や、だって痛いものは痛い……!」
あの後、悪党どもを縛り上げると、四人は役人に突き出すのは夜が明けてからにしようということで、置き去りにして教会に戻ってきていた。
何より先に怪我人の治療ということでソファの上でエリクが悲鳴をあげている。
その様子を見ながら机を挟んで正面のソファに座ったフェザーナートはいつものお返しとばかりにニヤニヤ笑った。
「いいざまだなエリク」
「怪我人に対してそゆこと言うわけー?」
「大した傷じゃないんだろ?大人しくお医者様の言うことを聞いていろよ」
フェザーナートの隣りに腰掛けたエルクインはその様子を全くの他人事として、エリクが作っておいた夕食を勝手に台所から運び出し、「おいしー」ロに運びながら横目でフェザーナートを見ている。
その視線に気付いて、フェザーナートは問い掛けた。
「何だ?」
「…………お兄様に似てるなと思って」
「……そうか」
どう答えたものか。迷いながらフェザーナートが頷くと、エルクインは言葉を続けた。
「歳をとらない方法でもあるの?」
「人間がか?不可能だろう」
「そうよね……」
言いながら、また夕食をロヘ運ぶ。
「私、兄と本当長いこと会っていないのよね」
「私も妹と長いこと会っていないな」
「実は十年以上……二十年近く、会っていないの」
「それはそれは」
声をかけながらもこちらを見ようとしないエルクインに、フェザーナートもやはり彼女を見ないまま相槌を打つ。
「私には兄が三人いるんだけど、一番近い兄ともハつも歳が離れているの。それでも彼は私を一番気にかけてくれていつだって優しかったから、私は彼の後をいつも追いかけていたわ」
「その格好はその兄の影響?」
「そうね。剣を習いだしたのも彼の剣術があまりにも達者だったから。練習している姿は本当に格好よかったわ。今でも良く覚えている」
言いながら、彼女は話に没頭しだした。ナイフとフォークを置いて、じっと皿のふちを見ている。
「でも何を調子に乗ったのかしら。彼は騎士でも兵士でもないのに戦場に行ったのよ、自分から。前から思ってたけど本当馬鹿なんだから。心底頭がおかしいのかと思ったわ」
「……自分の剣の腕が、誰かの役に立てるかと思ったんじゃないか?」
フェザーナートはフォローを入れたが、彼女は聞く耳待たないようだ。
「そして彼が家に帰ってくる前に、私は行儀見習に出されてしまうの」
「おてんばが過ぎるようだからな」
「そのまま……その間に彼は遠縁の伯爵家に養子に入ってしまって。ずっと会っていないの。ね?本当に長い間会っていないでしょう?」
「確かに、それは長いな」
頷いたフェザーナートをちらりと見てから、エルクインは嘆息した。
「最初は手紙を出したら返事がきたのに、養父が亡くなって伯爵になったって聞いて……。その後いくら手紙を出しても返事は来なくて……。そのまま音信不通なの。そして、結婚式にも招待されなくて、音信普通のまま五年前に死亡。勝手な奴よね」
「………」
言葉に詰まったようなフェザーナートを、彼女は頬杖をついて横目でじっと見ている。
「……その後、君の方はどうだったんだ」
その居心地悪い視線に耐えかねたのかフェザーナートがロを開いた。
「私?そうね、絶世の淑女となって求婚を申し込まれ来月には結婚するの」
「……へえ」
驚いた顔をした後、一瞬寂しげな表情を浮かべて、彼は感想ともいえない感想をもらす。
「聞いてもいいかしら?」
今度は体ごとフェザーナートの方を向いて、エルクインは尋ねた。
「なんなりと」
「貴方がさっき言った、その長いこと会っていない妹とまた会えたら……貴方は、……嬉しい?その妹が結婚するとしたら、貴方は祝福をする?」
真摯に、瞳を覗き込みながら彼女は緊張したように慎重に言葉を紡ぎ出した。
フェザーナートは一瞬目を見張ったあと、この上なく優しい笑みを浮かべ、
「嬉しいさ、当たり前だろう」
彼女の頭を優しくなでた。
エルクインの顔がくしゃっと歪む。紫の瞳から大粒の涙が零れた。
「私も……私も、お兄様に会えて嬉しい」
答えながら、彼女はフェザーナートの首にしがみつく。
声をあげて泣く妹の体を、フェザーナートは静かに抱きしめた。
「おめでとう、エル。幸せになれよ」
「ええ……。私、幸せになるわ……」
兄妹の再会を、エリクとクアラルはほっとしたような、少し羨ましいような、そんな表情で、自分のことのように嬉しく思いながら見守っていた。
泣き止んで、エルクインがフェザーナートから離れながら、眉根を寄せて尋ねた。
「お兄様は、何者なの?最初に会ったとき、死亡したと言ったのはただの嘘?」
しぱらくの沈黙を置いて、意を決して彼は答えた。
「私は今は吸血鬼なんだ……。だから、人間としての生を終えたときの姿のままここにいる」
「……吸血鬼」
その言葉を反芻する。それならば、歳をとらないことも、王都に帰って来たときに実家に顔を出さなかったのも、あの早業も、さっき触れた時体温を感じなかったことも、つじつまが合う。そうか、兄は、吸血鬼になっていたのか……。
「怖いか?」
複雑な表情で、フェザーナートが尋ねた。しかし、自信を持ってこう言える。
「いいえ、怖くなんかないわ、お兄様はお兄様だもの」
探していた兄にやっと会えた。もうそれだけで、エルクインの胸は温かかった。
「ありがとう」
「お礼を言うことなんかじゃないでしょう?まだ馬鹿なままなの?」
言うと彼は吹き出して、
「エルこそ、相変わらずロが悪いな。婚約者も大変だ」
悪態をついた。
二人が微笑ましくて、一緒になって笑いながら、クアラルがエリクの方から二人の方へ椅子を向きなおして、
「私もご飯食べていいかな」
と入ってきた。
「俺も食べるよ?誰が作ったと思ってるのさ」
治療のすんだエリクが笑いかける。
ゆっくりと、夜がふけていく。四人で食事をとりながら談笑し、静かに過ぎていった。

二日日の朝、怪我をしているエリクの代わりにエルクインとクアラルが悪党たちを役人に引渡しに町へ出かけた。と言っても、悪党たちを連れて行くわけではなく、教会と廃屋ヘ引き取りに来てもらえるように話しただけだ。実際教会には引き取りに来てくれたし、廃屋の方にも多分行ってくれただろう。
「悪いね代わりに行ってもらって。ありがとう」
引き取りに来た役人を見送った二人を、エリクと甘い香りが出迎えた。
「何動いてるのよエリクさん!」
「お礼にクッキー作ったんだけど……」
クアラルの怒りの形相に、エリクは戸惑いながら焼きたてのクッキーが乗った火皿を差し出す。
「そんな気を使わなくてもいいのに」
言いながら、エルクインはちゃっかりとクッキーを頬張る。それを苛立たしげにに見ながらクアラルは、なおもエリクに注意する。
「確かに多少動くくらいなら平気だけど……でも、今日の昼食と夕食は私が作らせて貰うからね」
「「それはやめて」」
エリクとエルクインの声が見事に重なった。どうやらエルクインもクアラルの料理の味を知っているらしい。
「な、二人揃って何なのよソレ」
思わず不満に唇を尖らせてクアラルが抗議すると、
「クアラル、一緒に作りましょ。私も作りたいわ」
慌ててエルクインがフォローした。
「いいけど……」
何やら不思議に思っているようだがクアラルが納得する。
これにて一大事は平和的解決を迎えたようだ。二人は笑いながら台所へ入って行った。
「二人とも有難う」
言いながら、エリクはダイニングのソファに横になった。なんだかんだ言っても寝転んでいる姿勢のほうが楽だ。
しばらくすると、二人が三人分の昼食を作って持ってきた。
「ご飯ですよー」
テーブルに並べるのを見ながら、エリクは身を起こす。
「おいしそう」
「でしょー」
得意げにクアラルが言ったが、その後ろのエルクインはなお得意げだった。
三人で食事をとりながら、エリクはクアラルに言った。
「クアラルちゃん、今後のことなんだけど……。しばらく王都に行っていた方がいいと思うんだ」
「こんなことがあったから……?」
「うん、悪党退治はすんだから、芋づる的に黒幕の司祭も捕まると思うんだけど。司祭が捕まるまでの間必ずしも安全とは言えないから……。王子様や王様のところにいた方がいいと思うんだ」
するとクアラルは少し間を空けて、
「エリクさん、あのね、私、王都に引っ越そうかと思っているの」
神妙な顔をして告げた。
「前にあんなにエリクさんたちにあのまま住んでいられるように気を使ってもらって申し訳ない気がするんだけど、前にアレスタンが来たときにね、少しずつだけど、王女の噂は広まっているって聞いて……。そりゃそうよね、人のロなんてふさぎようがないわ。今住んでいる町にも私の勝訴をいぶかしんでいる人はいっぱいいるし……。母さんの菜園は今も本当に大切だけど、こんなことがあった後だし、きっと母さんもそうした方がいいって言ってくれると思ったの」
話を聞いて、エリクは微笑んで頷いた。
「クアラルちゃんがそうしたいって思うなら、俺たちに気を使う必要なんかないよ。じゃあ、王女様に?」
「なる気なんてないわよ。私は王都に行ったって街医者。それでもアレスタンが時々こっそり直属の部下を監視に送ってくれるって」
「じゃあ、何も問題ないじゃないか。俺も、そうした方がいいと思うよ」
笑顔で答えられて安心したらしく、クアラルも笑った。そこヘエルクインが、
「私も遊びに行きやすくなるしね」
「それただのエルの都合じゃない」
やはり笑いながら言うと、クアラルも笑って返した。
「でもエル、フェザーナートさんのこと、これでいいの?」
ふと思い出したようにクアラルがエルクインに尋ねる。
「これでいいって……何が?」
「昨日の話だけだったら、まだまだ聞きたいことありそうに感じたんだけど……」
少し遠慮がちに言うと、エルクインはふっと笑って
「うん、聞きたいことはまだまだあるんだけど。でもね。お兄様、言葉に詰まってたみたいだったから。だから、言いたくないんならいいんじゃないかと思って」
何故死亡したことになったのかなんて、同様に死んだことになっている妻はどうしたのかなんて、辛い記憶に違いないから。
「……音信不通になった理由も、今ならわかる気がするの」
自分は人間ではなくなったなんて。誰が家族に打ち明けたいと思う?
「今、こうしてまた会えたんだから、せっついて話を聞くより、お兄様が話したいと思ったときに話してくれればいいなと思うのよ」
再会の仕方は、きっとこれで良かったのだと思う。彼を困らせたくなんかないし、すぐに事情を聞かなけれぱと焦る必要もなくなったのだから。
「エルは大人だなあ。私なら好奇心であれこれ聞いちやいそう。あ、それともただのブラコン?」
「ブ……!ちょっとクアラル?貴方ねぇ」
「抱き合ってたしね」
済ました顔で、エリクも茶々を入れる。
「やめてよもう!そんなんじゃないったら」
エルクインが二人に叫んで、三人で笑った。

夕食の頃にはフェザーナートも起きてきて、また四人で歓談した。
「実は昨日エルを初めて見た時一瞬母かと思ったんだ」
「ちょっとお兄様何よソレ!」
「最後に会った時お前少し茶っ毛だったろう?」
「お兄様だって小さい頃は少し髪の色明るかったじゃない!」
「フェザーナートさんの小さい頃ってすっごい見たいー!」
「あ、エルクインと八つも離れてんでしょ?上二人のお兄さんとは年近いの?」
「まぁそうだが……なんだ?」
「もしかして今度こそ女の子って期待されててなのに男で小さいころ女物の服着せられたりしなかった?」
「……っ!」
「そうなのよ!その頃の肖像画が数点あってすっごい可愛いんだから!」
「エルッ!!」
「ますます見たーい!!エル今度それ見せてよ」
「いいわよ。クアラル今度いらっしゃい」
「エ ル ク イ ンッ!!」
そんなこんなで。夜がふけていった。

冷えた風が髪をなでて過ぎた。明け方の、昼と夜が逆転する時間。
教会の裏にある柵に腰をおろして、エルクインは大きく息を吐いた。薄布の寝巻きの上に上着を羽織っただけの格好では少し寒かったかもしれない。
ずいぶん早く目が覚めたものだ。今日帰るということを無意識に気にして、寝ることを惜しんだのだろうか。
「こんな時間に起きたって誰もいないのに」
エリクもクアラルも夢の中で、フェザーナートは柩に戻った。
目が覚めて再び眠ろうとしたのだが、どうにも寝れそうにない。じっとしているのは性に合わないので、同室のクアラルを起こさないように外へ出た。
風を感じるのが好きだった。
少しずつ形を変える雲を眺めるのが好きだった。
日が昇るときの、赤く染まっていく景色を見るのが好きだった。
いつまでたっても、自分はそう思っていられるだろうか。それが何故か気になった。
自分は怯えているのだ。環境が変化することに。だいぶ前からそれには気がついていた。だからこそ、時間が全て惜しく感じられる。
「ずいぶん早起きだね」
エリクの声がして、エルクインは振り返った。
「貴方もずいぶん早起きね」
上着の前を寄せて、声を返した。
エリクも寝巻きに上着を着ただけ格好だ。寝巻き姿だからか、いつも後ろに撫で付けられている髪が下ろされている。
「今日だけだよ。……眠れなくて」
そういうエリクの表情は随分と沈んでいる。
「あのこと……気にして?」
人を殺めてしまったことを。
「うん……」
素直に、エリクは頷いた。
「君が言ったこと実践してるよ。一晩中祈ってた]
エリクが近寄って、今度はエルクインの顔を覗き込む。
「エルクインも、随分沈んでいるようだけど大丈夫?」
言われてはっとして、そして顔を伏せてから、寂しげに微笑して首を振った。
「ええ、大丈夫。なんでもないのよ。なんでもないの」
その様子がまるで自分に言い聞かせているようで、エリクはかえって心配したようだ。
「せっかく教会に来たんだし、隠し事は無しにしようよ」
「え?」
「懺悔室。別にここでもいいでしょ?」
両手を広げて、エリクは教会の裏庭を指した。
「エルクインが昼間言ったみたいにしたくない話ってのもあるだろうけど、逆に話したほうが、すっとすることってのも沢山あるはずだから」
息をついて、エルクインが顔を上げる。
「……そうかもしれないわね」
二人の間を、風が吹き抜ける。
「……今、シルバーストン家は没落しててね。お金が必要なのよ。私の結婚相手は、会ったこともない大商人。結婚する相手なのに、顔も声も、考え方も趣味も何も、私は知らないの」
さわさわと木々や草の葉をこすりあう音が心地いい。
「私結婚なんてしたくない。……本当は、怖くて仕方がない。でも仕方ないのよ。私には家のためにそれしかできることがないの。ねえ、自分の意志のない結婚なんてして、一年後の私は、私でいられるかしら?」
そう問い掛けると、エリクはまるで自分のことかのように辛そうな表情になっていた。
「クアラルちゃんも知らないの?」
「ええ。貴方が初めてよ。家族の誰にも、私は何も言っていないわ。結婚を待つ婚約者として、とても幸せそうに生きているの。私は大嘘吐きよ、神父様」
開き直った、無理に笑ったその顔が余りに寂しくて。
「お兄様にも嘘をついちゃったわ。……幸せになるって言ったのに」
しぱらくの沈黙の後、
「気休めに過ぎないかもしれないけど」
エリクは寂しげに微笑する。
「でも、望んだ結果が全て仕合わせになれるとは限らないのと同じように、望まない結果が全て、不仕合わせになるなんて誰にも言い切れはしないよ」
おろしている長い前髪を手で後ろに撫で付けて、エルクインに歩み寄った。
「何が始まりになるかなんて誰にもわからないよ。いつだって何もないところから、何かが始まるんだ。そうして始まる恋があるかもしれない。そうして始まる家族があるかもしれない。そうして始まる愛だって、ほら、あるかもしれない」
にこっと微笑を向け「ね?」空色の瞳で同意を求めた。
「今から始まる朝焼けが、誰かが望んだものだって言い切れる?」
「……できないわ」
エルクインも、一歩エリクに近寄って呟くように答える。
「不安なのはわかるよ。今までの生き方全てが否定されるかもしれないんだから。それでもね、」
エリクはエルクインにまた一歩近寄って、彼女の手を握りしめた。
「希望はいつだって絶対に持っていて。それは決して無くなることはないから。それは決して無くなることはない君自身の心の形だから」
そう言うエリクの瞳が余りに澄んでいて、吸い込まれそうだとエルクインは思った。握られた手を握り返す。
「ありがとう」
言うと、すぐにぱっと手を離した。
「……貴方とは、別な形で会いたかったな。貴方は神父ではなくてただの男で、私は、ただの女なの。そうだったら……」
苦笑して、俯く。
「でも、望んだ結果が全て幸せになれるとは限らないんだっけ?」
「いや……」
エリクが手を伸ばして、彼女の細い顎に手をかけた。少し上を向かせると、彼女もまた、うっとりしたように目を閉じる。
「俺たちは、きっと幸せになれたよ……」
朝日が昇る。
長く伸びた二人の影が重なった。

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