神様に乾杯 9話 - 3/5

「火を放て!」
号令とともに、火矢が一斉に屋敷に放たれた。夜空に火の粉が閃く。
弓に松明に農具、手に手に狂気になり得る物を携えた町人が屋敷を取り囲んでいる。人数は百を越え、この暴動が計画的なものであると物語っていた。
「何事だ!」
煙が渦巻きだした広間に、駆けつけて叫ぶ。
老執事が応じた。
「町の男どもです。数は百五十ほど。事前の呼びかけは一切ありませんでした」
「とにかく避難しろ!階上の者は窓から降りようとは考えるな、慌てなければ皆一階から出られる!」
大声を張り上げて、広間からちらほら見える使用人たちに告げると、今度は身を翻して正面入り口へと向かった。
事前の呼び掛けがなくとも首謀者はそこにいるだろう。こちらまで問答無用になる必要はない。
「この無礼は何の目的だ!」
バンと扉を開け、人の詰め掛けている門まで堂々と歩く。
「私はアムシエル伯爵フェザーナート。用件を今すぐ述べよ!」
門の前の男たちがざわつく。リーダー格らしき男が進み出てきた。
「伯爵様……。よくも俺たちを騙してくれたな」
「……騙す?」
瞳には恐怖の色をと狂気を湛えて。
「吸血鬼なんて化け物のくせに伯爵だなんてふざけんじゃねぇえええええ!」
ナイフが振り下ろされた。刃の腹を裏手で弾く。
びりびりと緊張があたりに走った。
「ナイフを物ともしなかったぞ」
「化け物だ」
「イカレた強さだ」
「化け物だ!」
今の動作は兵役や自らの特訓で会得したもので、間違っても化け物じみた動きではなかった。しかし、先に吸血鬼と教えられた者たちから見れば、どんな強さも見せる強さは全て吸血鬼へと繋がる。
「化け物を俺達の町から追い出せぇえエエエ!」
狂気の波が押し寄せた。
フェザーナートは何とか身をかわしながら後ろへ下がる。
ちらりと振り返り、屋敷の中を見やるが、まだ全員が逃げ切るのはとても無理だ。
「旦那様!奥様がいません!」
「なっ?!」
メイレンファナと仲のいいメイドが悲壮な叫びを上げて、玄関から出てきた。
そちらに駆け出しそうになるが、今、自分は多くの相手をひきつけている。
ドスッ
横から棒が男たちの腹や手を次々と突いた。
「お任せを」
「カルアス……!」
棒を振るうのは老執事。隙のない身のこなしで男たちを寄せ付けない。
「任せたぞっ!」
「死者を出さずにまたまみえましょうぞ!」
門前から庭にかけてをカルアスに任せて、メイドの傍に走り寄る。
「セリア!メイファは…」
「お部屋にいなくて……!旦那様のへ屋にも…!」
メイレンファナが屋敷に来て一番にしたことが屋敷内の散歩だった。長年住んでいる自分よりも、屋敷の構造に詳しい。メイレンファナしか知らない道があるんじゃないかと疑うほどだ。
もし、その、彼女しか使わないような場所で病気の発作が起きていたら……。
返事をするのももどかしく、無言で屋敷に飛び込んだ。逃げ出す使用人をすり抜けて奥へ。
「メイファッ!」
耳を澄ます。
火のはぜる音、ばたばたと走る足音。悲鳴、怒声、様々な音に中に、かすかに、弱々しい自分を呼ぶ声。
「そっちかっ!」
紅に染まりだした廊下を走り抜ける。
「メイファ!」
倒れこんでいる人影はやはり妻だった。
発作が起きたのだろう、嘔吐した汚れが床にある。
「すぐに外へ出るからな」
抱き上げながら声をかけた。彼女はぐったりとしたままかすかに頷く。
煙はもうかなりの量だ。呼吸をしない自分には関係ないがメイレンファナはそうはいかない。ハンカチを彼女の鼻に当て、出口の方向へ向おうとしたが、
ごうっ
何派目かわからない火矢が再び放たれた。炎が勢いを増す。
自分一人ならまだ出るのは容易いが……。
目に付いた通風孔に思い当たる。そしてすぐ様思いついた最善の場所へ駆け出した。
扉を開ければ地下へ続く階段。ここはワイン蔵だ。後から外へ出られるのならば、地下はどこよりも安全である。
息をつく。やはり段違いに涼しいし、空気も綺麗だ。
「メイファ、夜が明けるまでここで待とう」
外に出たところで、この妻を休ませることができたかどうか。この選択がやはり良かったのだと思った。
「おや、こんな所にいたのですか?」
場違いな、涼しげな声が響いた。
ワイン蔵の入り口を見ると、赤毛の青年が立っている。
「ザディル?お前も逃げ遅れ……」
「だめ…」
言いかけた言葉をメイレンファナがぎゅっと服を握って止めさせた。
「やはり、潮時でしたね……」
その様子を見て、ザディルが薄く笑う。
「何を言っている?」
「獣と会話する口は持ち合わせてはいません。獣が人間を統べるなど神を冒涜するにも程がある」
ばしゃんっ
横の樽から酒が溢れた。見ると投剣が刺さっている。
「貴様がっ!」
「ご存知でしょう?塵は塵に灰は灰に」
腰の剣で切り捨てたいが、妻を抱えていてはそうもいかない。逡巡しているうちに、今度は火種が投げ込まれた。
「ごきげんよう、旦那様」
視界が、炎に包まれた。