神様に乾杯 10話 - 3/6

出かけ際に言った父の言葉が気にならないでもない。
「あの地方は吸血鬼が出るって噂があるんだ。くれぐれも気をつけるんだよ」
気をつけてどうなるものでもない気はする。まぁ、夜外出することもないと思うが、そんな機会がもしあっても控えるようにしようか。
馬車に揺られながら、婚約者から届いた手紙を開く。もう何度目を通したかわからない。人に聞いた情報ではなく、唯一彼女が自分で知った、彼。
「……病気だったんだ」
あまり外に出ないのは病気だから。日の光すら彼の体には毒なのだと、そう書いてあった。今まで自分のほうから訪ねようとしなかった無礼を許してほしいと。
「いい人かもね?」
外見は細い病的な人物しか想像できなくなったが、手紙はメイレンファナに悪い印象は与えなかった。父に見せることなく彼女が書いた手紙は喧嘩腰であったにも関わらずだ。
やがて、馬車が止まる。御者が振り返って言った。
「つきましたよ、お嬢様」
「ありがとう」
荷物を持って降りようとすると、隣にいた召使が
「私が持ちますっ」
と慌てて言ったのだが
「いいえ、貴女はここまででいいのよ。ここまで一緒に来てくれて有難う。私は最初から一人で行くつもりだったから、ここまで一緒に来てくれただけでとても感謝しているのよ。ありがとう」
本当は家の御者も使うつもりもなかった。乗り合い馬車を乗り継いで行くつもりだったのだ。「こんな余計なことにお金使われてもねー。心配しすぎよ、お母様」ありがたいとは思うが、一人でできることは一人でやりたい。それは我が侭だろうか?
「え、あー、お嬢様。お一人で…よろしいんですか?じゃあ私らすぐ帰ってしまいますよ?」
御者の男が言う。
「ええ、ここで潰されるはずだった時間は休暇にして?」
これ異常ないくらいの笑顔でそういうと、召使たちは礼を言って帰って行った。
「……さて」
見送り終わって、くるりと屋敷に向き直る。
先祖から受け継いだ自分の屋敷はかなり立派なものだと思っているが、それに負けない気品のある屋敷だ。中の……住人に関してはこれから。
門を通り、手入れの行き届いた庭を眺めて、大きな扉の前に立つ。扉を叩くと感じのいい初老の執事が出迎えた。たった一人で大きなバッグを両手で下げただけの少女を見て、少し目を丸くしたが、すぐににっこり笑ってメイレンファナの荷物を持ち、屋敷の中へ招き入れてくれる。
ざっとした屋敷の案内を済ますと、一人の召使を呼び、
「メイレンファナ様、ここに居られる間は彼女が貴女の世話をします。セリアです」
老執事の紹介を受けてお辞儀をする黒髪の、二十代を越えたばかりだろう娘だ。
「セリアです。よろしくお願いします、メイレンファナ様」
「こちらこそよろしくお願いします。セリア」
花のような笑顔でメイレンファナもお辞儀を返した。
「では、メイレンファナ様、お部屋にご案内しますわ。長旅でお疲れでしょう」
老執事が持っていたメイレンファナの荷物を受け取り、セリアは歩き出した。
「荷物を置いたら、フェザーナート様にお会いできますか?」
セリアの後を歩きながらメイレンファナが尋ねる。
「申し訳ありません。旦那様はこの時間はお休みになっていると思います」
「お休み?何故ですか?」
まだ日没まで時間があるというのに……。
「その、旦那様はご病気で日の光は体に毒なのです。ですから、主に夜に起きてらっしゃるのですよ」
「……そうなんですか。あれ?でもそれって寝てる時間多すぎじゃないですか?」
少し首を傾げてメイレンファナが言うと
「いえ、お部屋に居られるからといって寝ていらっしゃるとは限らないわけで……お仕事をしているかもしれませんし、本当に寝ていらっしゃるかもしれません。ですが日没後からしかお部屋から出てらっしゃらないのです。申し訳ありません」
部屋についたらしく、セリアは足を止めて戸を開ける。
そこにひょいとメイレンファナは入りながら
「あなたは謝らなくていいのよ。今の流れで謝るとしたらここの旦那様でしょう?」
いたずらっぽく笑った。セリアも笑いながら返事を返す。
「じゃあどう言ったらいいんですか?メイレンファナ様?」
「メイファで良いわ。そうね、そういわれると難しいわ」
言っておいて真剣に悩んでいるメイレンファナを見て、セリアはなんだか可笑しくなって吹き出した。
「な、何で笑うのよぅー!」
赤面して抗議するメイレンファナに
「だってメイファ様おかしいんですもの…っ」
やっぱり笑いながら応える。
「おかしいって…!」
なおも抗議しようとするメイレンファナに構わず、セリアも部屋の中へ入り、荷物を置いた。
「可愛いってことですよ、メイファ様」
言われて彼女はきょとんとしてセリアを見上げた後、てれたのか目を逸らしながら
「……ありがと」
とだけポソっと返した。