「私がそんなに嫌いですか?」
夕食の時、話し掛けても無反応な婚約者に、メイレンファナは思い切ってそう聞いた。
言われた彼の方は少し彼女を見つめた後に
「君も私が嫌いだろう?」
遠回り名言い方で、質問に対してイエスと答える。
カチンときてメイレンファナは思わず声を荒げて抗議した。
「貴女がそんなだから苛立たしいだけよ!別に嫌ってるわけじゃないわ!」
対してフェザナートはすましたまま
「ならじきに嫌いになるな」
それだけ言うと席を立って部屋から出てしまう。
「なっ?!何よそれー?!」
怒りに任せてメイレンファナも席を立ち、彼の後を追った。
振り向きもせずにすたすたと歩いていくフェザーナートの背中を睨みつけながらメイレンファナは文句をつらつら述べながら走っていた。ただでさえメイレンファナは小柄な方なおにこの男の背の高さといったら。メイレンファナの頭のてっぺんは彼の肩にも届かないのだ。あまりの歩幅の差に、ついて進むには走るより他なかった。
やがて、彼の部屋の前、窓のない一画へくると彼はくるりと振り返った。
ぜいぜいと肩で息をする彼女に対してただ一言。
「他に言いたいことは?」
自分の頭に血が上るのを、メイレンファナは自覚した。
「私、あなたに何かしたーっ?!」
怒りと悔しさで涙が滲んだ顔を隠そうと下を向きながら、どんどんと彼の胸を叩く。
「何よっ私のこと嫌いなら貴方の方から言えば良いじゃないっ。出てけって言われたらすぐ出てってやったわよ!」
「……私は……」
言いながら、彼がメイレンファナの手首を掴んで叩くのをやめさせる。
「私はこれでも君のためを思っている」
意外すぎる言葉に思わず彼女は顔を上げて彼を見上げた。
彼はつまらなそうに、長い前髪を頭の後ろになでつけながら続ける。
「私が君を追い出したのなら、世間の君という女性に対しての評価は下がるだろう。逆に、君が自分から出て言った方が、これから結婚相手を探すのにも困らないと思うが?君の世間体は守られるだろう?」
何を言っているのだこの男は。世間体?そんな事は問題にした覚えがない。
ふと思いついたように彼が再び口を開いた。
「ああ、私が君を追い出した場合の方が慰謝料を請求できる分都合がいいのかな」
「馬鹿にしないで!!」
乾いた音がした。
涙を堪えるように歯を食いしばったメイレンファナが、たった今目の前の男を引っ叩いた右手を下ろす。
「世間体なんて気にするほど、器の小さい女じゃないわ。それに何より、私は貴女の仕打ちに何か根負けしてあげない。私が出て行くこと前提で話をしないで」
叩かれた頬が熱を持ったのか、手の甲で触れながらフェザーナートは皮肉る。
「出てけと言ったら出てってくれるんじゃなかったのか?」
「気が変わったの。絶対負けてないわ。あなたが誠意を込めて頭を下げるまで出てってあげないから」
きっと睨みつけてくる少女を値踏みするように眺め、彼は「ふん」と小さく鼻を鳴らした。
「……何よ……」
何となく威圧されてメイレンファナが数歩後ろに下がると
「そのためならどうなっても構わない?」
彼は彼女の顔のすぐ横の壁に手を突いて、目の高さを彼女に合わせる。
「近寄らないで……」
強張りながらもメイレンファナはすぐ傍まで近づいた彼の目を見て言った。
「気丈なことだ」
一瞬、ほんの一瞬だけフェザーナートは優しそうに紫水晶の瞳を細めた。
驚いて、そして、見惚れて……彼女の頭の中が空白になったときに
「っ!!」
メイレンファナの唇に、彼の唇が押し当てられた。すぐに彼女の口の中に進入してきて彼女の舌を彼の舌が絡め取る。
「…んっ…」
恥辱に顔を歪めながら彼から逃れようとするが凄い力で壁に押さえつけられていて満足に動くことなどできない。
片手で彼女の頭を押さえたまま、もう片方の手は彼女の胸をまさぐり、彼の片膝は彼女の脚を開かせるように両足の間に割り込んでくる。
「いや…っ」
何とか顔ををずらし、夢中でもがきながらそう言うと、彼の体がパッと彼女から離れた。
突然すぎてバランスを崩し、力も抜けてその場にへたり込んだメイレンファナに彼は冷ややかな声で
「嫌なら出て行けばいい」
とだけ言ってくるりと自分の部屋の扉に向き直る。
「ひ……卑怯者っ!!」
その背中にメイレンファナは涙声で叫んだが、彼は振り向きもせずに
「何とでも」
部屋に入っていってしまった。
枕をぎゅうと抱締めながらメイレンファナはベッドの上で泣いていた。ポロポロといくらでも涙が溢れてくる。
怖かった。怖いと感じた。あの時、怖くて怖くて仕方なかった。
彼の感触が嫌でも思い出される。
「……気持ち悪い……」
外の空気を吸おうと、彼女は立ち上がって窓を開けた。
涼しい夜風が流れ込んでくる。
「負けないって決めたの……だって悔しいもの」
涙をぬぐって、目を閉じて深呼吸。軽く首を振ってから目を開けて、外を見た。
星空の下にはよく手入れされた庭。素敵だと、そう思った庭。
誰が作った庭だって――……?
ぱっと、彼女は机に向かった。上に置いておいたのだ、彼からの彼女への手紙を。
開いて、読み返してみる。
優しい字。優しい文面。
彼に会うため短いが旅に出る彼女を気遣っている。心配してくれている。
会えるのを楽しみにしていると、そう書いてある。
だから、優しい彼を思い描いた。
恋をするかもしれないと、少しだけ思っていた。
それなのに、彼は予想と全く違った。聞いた話と、彼女に対する彼は全く違った。同じところなんて一つだってない。一つも――……。
――……彼に見惚れたのは何故?
彼が格好良かった?美しかった?彼に見惚れたりしなければあんなことされずにすんだかもしれないのに。
「だって優しそうだったのよ」
一つだけ、一致した。いとおしむように、優しそうに彼女を見た彼。
「……あれが本当?」
もしあの時の彼が本当の彼なのだとしたら、手紙の彼と一致する。話に聞いた彼と一致する。
もし彼女に対する彼こそが作り物なのだとしたら、そしたら、
本当の彼を、凄く知りたい。