神様に乾杯 10話 - 6/6

昨日は、さすがにやりすぎた。
反省しながらフェザーナートは自室から出る。
「だが、あれで出て行ってくれる気になっていてくれれば良いが……」
あんなことをしたのだ。もしかするともう彼女はこの屋敷には居ないかもしれない。
「夕食は、一人かな」
いつも通り、食事のために食堂に向かい歩いていると
「メイファ様ー?どちらに居られますかー?」
メイドの一人が心配そうにきょろきょろしている。
「セリア?どうかしたのか?」
フェザーナートが声をかけるとセリアは心配で堪らないといった表情で
「旦那様、あの、メイファ様が居られないんです。お屋敷にも、お庭にも……」
おろおろと話す。
「……帰ったんじゃないか?」
「そんなわけありません!!」
ぽつんと言ったフェザーナートの発言にセリアは大声で反発した。
「今朝メイファ様は仰いました。旦那様がメイファ様に謝るまで帰らないって。絶対に負けないって!だから、帰るはずがないんです!」
思わずフェザーナートは目を丸くした。
「……そう言ったのか?」
目に涙をためながらこくりと頷くセリア。
「探してくる」
言って、足早に玄関に向かう。
「旦那様、私も…」
後を追ったセリアに構わず
「メイレンファナ嬢が行方不明になった!男は全員外に出ろ!女性は屋敷の中を、男は外を探すぞ!」
玄関ホールにて大声で叫んだ。召使たちの部屋はすべてここよりそう遠くない所にある。声を聞きつけわらわらと召使たちが部屋から出てくるのを確認し
「今の言葉を全員に伝えろ。カルアス、分担して効率的に探すよう指示してくれ」
初老の執事に指揮を任すと返事も待たずに外へ出た。

寒い。
肩を両手で抱こうとして、左手首に激痛が走った。
「…痛っ」
目を開ける。どこだ、ここは。自分はどこに寝ている?痛みのないほうの右手を付いて身を起こす。ハラハラと髪に絡まった葉や枝が落ちた。
「あそこから、下り出して……どこから落ちたのかしら」
目の前の斜面を見上げる。既にあたりは暗い。ずいぶん暖かくなってきた初夏とは言え夜はまだ気温が下がる。
「よく生きてるわね私……」
自分の体を見下ろす。いろいろ引っかけたのか破れた服。引っかき傷だらけだ。見えはしないが顔もひりひりしている。大きな怪我は、動かすと痛い左手と……ぴくりとも動かない右足。いや、もしかすると動くのかもしれないが、動かすなんて考えられないほど痛くてしょうがない。
「間抜け、私」
痛みに涙が滲んでくる。心細さと自分の情けなさに涙を堪えることもできなかった。
助けを待つしかない。屋敷の人間が探しに来てくれるのを待つしかない。
「最悪…っ」
自分の愚かさが情けなくて情けなくて涙がどんどん溢れてくる。
きつく目を閉じてふるふると首を振ると、何とか足を引きずりつつ体の向きを変える。斜面の方に背を向け、顔を上げた。
少し離れた所から、湖面が始まっている。風が吹いて静かにゆらゆら揺れるのは、上に浮かぶ満月。
「湖だ…」
一瞬、全て忘れてその景色に見入っていた。それは、とても美しい景色だった。
カサッ
物音が、意識を呼び戻す。
獣の音?風が葉を揺らす音?前者の可能性は充分ありうる。だってここは人の手なんて入っている場所じゃない。もしも肉食の獣がきたら…。
メイレンファナは思わず身震いした。堪えたはずの涙が再び溢れてくる。
父の言葉を思い出した。「吸血鬼が出るって?」夜に外に出ないようにしようと思っていたのに。
物音がするたびに見がすくむ。歯がカタカタと噛み合わないのは寒さのせいだけじゃないだろう。
「怖くない。怖くないったら。もう泣かないんだからっ…」
歯を食いしばりながら、無事な右手で涙をぬぐう。
自分が悪いんだ。泣いたって仕方ない。できるのは助けを待つことだけ。
もし、助けに来てくれなかったら……?
止まらないマイナス思考で、そんな不安が頭を掠めたとき、突然、人影が目の前に着地した。何が起こったのかわからなかった。一体どこから降ってきたのか。
「良かった。生きてるな」
背の高い男は安堵の溜め息をついた。暗い上に逆光で、顔は良く見えないが声は確かに
「……フェザーナートさん?」
あの男のものだった。
彼はメイレンファナの前にしゃがみ込むと
「屋敷へ戻ろう。立てるか?」
彼女の顔を覗き込んで尋ねてくる。
メイレンファナが首を横に振ると彼は心配そうに
「どこが痛い?」
「左手と……右足」
怪我をした左手を優しく持つ。「手首の方はひび……だな、多分」次は右足を見て
「失礼、触るぞ」
「痛いっ!」
「ああ、見事に折れているな。これじゃ暫らく歩けないだろう」
指先を右足から離して立ち上がると、適当な枝を拾い上げ、取り出したハンカチと解いたネクタイとで脚に結び付けて固定する。
「あとでもっとちゃんとザディルにやってもらうが……今はこの程度で我慢してくれ」
言いながら、上着を脱いでメイレンファナの肩にかけた。
「あ…」
メイレンファナが「ありがとう」を言いかけたとき、突然視界が高くなる。フェザーナートが彼女を抱き上げたのだ。
「……あ、あの、」
礼を言わなければ、そう思って口を開いたのだが
「ん?」
彼が小さい子にするように顔を寄せて目を覗き込んできたものだから、思わず俯いてしまった。赤面しているのが自分でもわかる。少し間を置いて、口をついて出た言葉は
「貴方の事だから探しになんて来てくれないと思ったわ」
ちっとも感謝の言葉ではなかった。
「そこまで嫌な奴じゃないよ」
俯いているので顔は見えないが、彼は多分苦笑したのだろう。
湖畔を歩きながら彼は斜面の上のほうを見上げ聞いてくる。
「足を踏み外したにしては妙なところに居たものだな?あそこから落ちたんだろう?」
「あ……えと……」
目を逸らしながら気まずそうにことの顛末を正直に話すと、彼は心底呆れた顔で
「頭が悪いのか君は」
ざっくりと言葉で切りつけた。
「信じられないな。木登りするレディの時点でどうかと思ったが、まさかあの急斜面を下ろうと思うか?迂回するだろう普通」
気にしていることをぽんぽんと言われ、メイレンファナは泣きそうな顔でフェザーナートを睨みつける。
「私は貴方より身分の高い侯爵家なのよ。口を慎みなさいっ!」
心にもない身分に関することを言うと、言われた伯爵は平然と返す。
「では、この身分の高い女性に触れている無礼な手を離そうか」
「っもー!どこまで憎たらしい人なの貴方は!」
口でも力でも、どうしたって勝てない。勝てるものがあるとすれば
「貴方のそのねじくれた性格を私が矯正してあげるわ!何年かかったって構わない。あなたが私に感謝して有難うって言うまで、貴方の傍を離れてあげない!」
諦めの悪さくらいしか思い当たらなかった。
きょとんとしてフェザーナートは彼女を見ていたが、ふいっと顔を彼女から見えない方向へ向けると
「ありがとう」
とポソと呟いた。
「あ……あのねぇ、そんないきなり言ったって納得しないんだから」
メイレンファナの抗議に耳を貸す様子もなく、フェザーナートは彼女の方に向き直ると同時に聞いてくる。
「近くまで来たついでに墓参りをしたいんだが、構わないか?そこまで元気なら平気かと思うんだが」
「…え?」
唐突過ぎて何を言われてるのかわからなかった。お墓?誰の?
「いい……けど」
別に痛みがなくなったわけではない。けれど、恐怖も寒さも心細さも、もうなくなっていた。それは全部、今自分を抱き抱えていてくれている彼のおかげ。
今の彼は、いつもと違う。きっと、これが本当の彼。このまま屋敷へ帰っては、元の彼に戻ってしまう気がして、メイレンファナは頷いた。
湖畔から上へ上がれそうな場所があったがそこは無視して湖畔を彼は歩きつづける。
やがて、一つの墓標が見えてきた。
「ここに、私の養父と養母が眠っている。前アムシエル伯夫妻だ。同じ柩にと言う遺言だったから墓標は一つだけだが…」
「え?そんな、亡くなっていたの?だって隠居して静かに暮らしているって聞いたわよ?」
彼は寂しげに微笑すると、静かに囁いた。
「それは、私の希望なんだ。そうしてほしかった。……生きていてほしかった。俺を、一人にしないでほしかった」
「…………?」
メイレンファナをそっと地面に座らすと、彼は墓標に向き直る。
「養子になってすぐに亡くなったとあれば俺が殺したと言われかねないからな。発表を控えていたんだが……そろそろ言うさ。その時には別の場所にもっと立派な墓を作る」
「貴方が、殺したんじゃないの?」
メイレンファナは彼を見上げて尋ねた。彼は苦笑し
「違うよ。二人は……自害したんだ。心中したんだよ。殺したなんて思われたくないな。愛しているし、愛されていた。俺たちは確かに家族であったと思うよ」
いとおしむように墓標に触れた。
「……貴方も、そんな顔するのね」
「おかしいか?」
少し考えてから、メイレンファナはやっと合点がいった。
「貴方は、ずっと感情を隠していたのね。私に対しては表情も何もかも変えないようにして……。本当は、嫌っていたんじゃなかった。だって、嫌悪という感情もなかったもの」
フェザーナートが困ったように眉をよせる。構わずメイレンファナは続けた。
「貴方は私を嫌いだから追い出したかったんじゃないわ。追い出したいから嫌うふりをしていた。そうでしょう?」
言うと彼は諦めたように嘆息した。
「そこまで気付かれたのならもう違うと言ってもしょうがないな。正解だよ」
「何故?どうしてそんな事を?」
メイレンファナは思わず身を乗り出して質問する。
「自分に関わる人を増やしたくない。死ねなくなる」
「何を言っているの…?」
彼はどこか辛そうに違う話をしだした。
「まず最初に告げておこう。君と俺の婚約は、養父と養母と君の両親が決めたことで当事者である俺たちは一切関与していない。俺と君は同じ立場だ」
「……そうかしら。うちはお金がほしくて私が嫁ぐのよ?」
「同じだよ。こっちは侯爵の位ほしさだ」
「なるほど」
頷くメイレンファナの方へフェザーナートは歩み寄る。
「だが俺としては位なんかいらない。そんなものより早く安息がほしい。……永遠の、安息が」
「……死にたいの?」
理解できない。
「ああ、死にたい。本当は彼らのようにすぐにでも自害してしまいたい。でもできないんだ。彼らが、苦痛の他に責任を置いて行ったから」
そこで彼は言葉を切って空を仰いだ。
「長く行き過ぎた老夫妻は、疲れていた。もう生きていたくないと、そう思った。けれど自分たちは土地の領主。責任ある立場だ。仕事は全て継続していくもので、終わることなどない。死んでしまっては、一体この土地がどうなるか。だから、彼らは自分たちが死ぬための準備をすることにした」
月明りの下、彼は詠うように告げていく。それは何か、芝居でも見ているような心地だった。
「老夫妻は養子を取ることにした。彼らはもう子供は作れなかったから。古くから付き合いのある貴族に話を持ちかけ、三男を養子に貰うことで話をつけた。そして俺は、彼らの息子になった。政治を学び、この土地を治める上での様々なことを学び、爵位を継いで今に至る」
「おかしいわよ。だって、貴方たちが死にたがる理由がわからない」
メイレンファナが文句を言うと、彼は足元の石を摘み上げた。
「アムシエル家は呪われている」
そう言って軽々と人差し指と親指だけで石を粉砕してみせる。
「凄い力……」
呆然と、メイレンファナが言うと、フェザーナートは破片を払いながら
「さっき俺は、君の目の前にいきなり現われたように見えたと思うが、実は君が下ろうとした斜面、あそこの上から飛び降りたんだよ」
「そんなの、できるわけないじゃないっ」
「できる。アムシエルの血は人のものじゃないから」
悲しそうに目を伏せた。
「この血の始祖が何者だったのか知らない。確実なのは、始祖は永遠の若さと人を越えた力を持った……吸血鬼だったということだ」
「吸血鬼?!」
突拍子もない単語が出てきた。思わず聞き返してしまう。
「そう、吸血鬼だ。さっき言っただろう?『老夫妻は長く生き過ぎた』と」
「それが苦痛?」
「もう一つ」
言いながら、どう説明するか少し考えたようだが、小さな物音がした方へ手を伸ばすと、ねずみを掴み上げる。
「吸血衝動だ。人間が食物を糧とするように吸血鬼はその呼び名通り血を糧にする。……忌まわしい生き物だよ」
そして彼は逃げようともがくねずみに、その歯を突き立てた。
「っ!!」
メイレンファナは声にならない悲鳴を上げる。ねずみはたちまち動かなくなった。
フェザーナートは口からねずみを離し、地面に置いた。血の色の唇をぬぐい、話を再開する。
「普段は、動物の血で何とかなる。不味いけれど、我慢できる。ただ、時々人の血が欲しくて欲しくて堪らなくなる。少し血を飲むくらいなら人間は死んだりしない。けれど、飲まれた事を忘れない。化け物は……殺される。自分を守るには相手が死ぬまで血を飲むことだ……」
「人を、殺すの?」
そこに横たわるねずみのように。
「そうしたくない。だから衝動を堪える。……発狂しそうになる。駄目なんだ。どうしても人の血がないと。それが、苦痛だ」
脅えた表情で、メイレンファナはさらに質問する。
「貴方が吸血鬼なのは何故?」
「……養子を取るのは前例がなかったわけじゃない。それでも、継ぐ者を吸血鬼にするのは常に行われてきた儀式のようなものだ。……始祖が今どこで何をしているのか、生きているのかさえわからないが、始祖の力はとても強大なものだったという。だからアムシエル家は始祖を常に恐れている。どこかで見ている気がする。望まぬ行動を取ったなら何か災いがあるんじゃないかと」
「くだらない!」
聞いてメイレンファナは思わず大声を上げた。
「そんなで人間やめちゃうの?それ、その時の貴方には全く関係ない話じゃない!お養父さんとお養母さんを安心させたかったから吸血鬼になったって言うの?!」
「……容赦ないな。本当に強迫観念はあるんだぞ?」
苦笑して、フェザーナートは頭をかいた。
「次兄が病気で家の外に出た事がなかったんだ。長くない命だったから、この血の力で助けられないものかと思ったんだ。それを話す前に死んでしまったけれど……」
「聞いていて腹が立つわ。貴方の行動は全て人のためなの?自己犠牲が全て人の為になると思ったら大間違いよ。ただの自己満足じゃない」
怒りを隠そうともせずにメイレンファナが言うと、彼は押し黙った。
暫らくの沈黙。
俯き、片手で顔を押さえてフェザーナートは口を開いた。
「わかってるさ、そんなこと…。わかってるんだ。命がけで、助けてもらったことがある。戦場にいたときだ。助けてくれた友人は死んでしまった。……けれど、人を助けたいと思うことが何故悪い?別に人を助けられると思い上がっているわけじゃない。ただ、できることをしたいだけだ。俺は、決して死んだ友人を責められない。助けてもらったからだ。養父も養母も責めたくない。愛してくれたからだ」
徐々に、口調に込める感情が激しくなり
「それが、何故悪い!」
最後にはとうとう叫んだ。
メイレンファナは困ったように彼を見上げていたが
「お人好しねー…」
溜め息とともにそう言った。
「誰かのためになりたいって、その考え方は素敵よ?でも、したくないことは嫌と言っていいと思うの。貴方は誰かのものじゃないんだから。それにね、貴方の友達も、両親も別に貴方に何かして欲しくて助けたり愛したりしたんじゃないと思うわ。貴方が見返りを期待してないのと同じでね?」
フェザーナートはただメイレンファナをじっと見ている。
「……俺は……」
何か言いかけるが、言葉が続かない。
悲しいほどに優しい吸血鬼に、メイレンファナは静かに続けた。
「だからね?大丈夫よ、そんな風に義務みたいに思わなくて。だれも貴方を責めたりしない。貴方がやりたい事を、気持ちよくやれるように、みんな願ってるわ」
彼は奥歯を噛締めて目頭を抑えた。泣いているのかもしれない。
「貴方のことだから、死ねない理由って言うのも自分の家族や友人たちに迷惑をかけるのが嫌だからなのね。誰も、貴方の愛する人たちがいなくなったら、そうしたら、死ぬつもりでしょう?」
こくりと、小さく頷いた。表情は手で隠れて見えない。
「夢も希望もない話ね……。貴方生きてて嬉しいことってあるの?」
わざと軽薄な調子で言うと、言われた彼は目を抑えていた手を額まで上げ、顔を上げて彼女に言う。
「そんな言い方ってあるか」
少しだけ、その顔は笑っていた。
「さすがにあるよ。嬉しいことくらい。自分がした行為によって、誰かが笑ってくれたら嬉しい。使用人や臣民が俺を慕ってくれることが嬉しい。それから……さっき、嬉しかった」
「さっき?」
首を傾げて問い返すと、フェザーナートは彼女の隣に腰を下ろした。
「さっき言っただろう?君が。俺の傍を離れてあげないって。俺はこんな忌まわしい生き物だから、誰かがずっと傍にいてくれるなんて思っていない。だから、嬉しかったんだ。勢いでの発言でも、傍にいてくれると言ってくれたことが、凄く嬉しかった。たとえ……君が俺の正体を知らなくて言った言葉でも、嬉しかったよ」
寂しげに微笑する。
誰が吸血鬼の傍にいたいと思うだろう。忌まわしい化け物なんか、誰が相手にするだろう。彼はそう思っている。メイレンファナは彼から離れていくだろうと。
「君に、俺を知って欲しくなった。だから話したんだ……」
下を見ながら、彼は呟いた。
メイレンファナは右手で彼の頬に触れる。彼は驚いて顔を上げた。
「泣かないのー。男の子でしょ?」
「っあ、あのなぁ……」
あんまりと言えばあんまりなその発言に、フェザーナートは拍子抜けしたようだ。メイレンファナは意地悪く笑う。
「何か期待しちゃった?」
「…………したよ」
むすっと答えたフェザーナートをくすくすと笑い、
「貴方とこうして話してみたかった。本当の貴方はどんな人か知りたかったの」
優しく、子供をあやすような声音で続ける。
「言った通りよ。変わらないわ。私が貴方の性格を直してあげる。貴方の後ろ向きーな性格をね」
それは、とても衝撃的な言葉だったのだろう。彼は目を見開いて呆然となった。
「だから、まず初めに約束して」
キリッと表情を引き締めてメイレンファナは彼を睨むように見上げる。
「絶対に、自分から死のうとなんてしないで」
少し、その言葉を反芻するように間を置いてから
「それを約束すれば、君は俺を愛してくれるか?」
「え?」
メイレンファナを見返すと、彼は体ごと彼女に向き直り、彼女の前に跪いた。
「知らない間に決められた婚約なんていらない。だから、今、自分の為に言うよ」
一点の迷いもなく、真摯に彼女の目を見つめて彼は口を開いた。
「明日が始まる前に、俺の妻になってください」
言われてメイレンファナは幸せそうに微笑んだ。そうするのが当然だと、もうわかっていたから。
「喜んで」
答えを聞いて、彼もまた幸せそうに微笑むと彼女の右手を取り、手の甲に口付けた。

帰り道、メイレンファナを抱き抱えて坂道を上るフェザーナートが、彼女の顔を覗き込んで言った。
「君の瞳、綺麗だな夕陽色。太陽なんて暫らく見ていないから、凄く懐かしい気がするよ」
その顔が、なんだか悲しげだったので、メイレンファナは天使みたいな笑顔を向けると
「日の光の下で生き生きと蕾を開く花を見られない分、月の下で静かに休む生命の息吹を、胎児の鼓動にも似た一日が始まる前の姿を、貴方は誰よりも良く知っているのでしょう?」
そう言って右手で彼の頭を小突く。
早々に『メイレンファナによるポジティブ移行計画』が開始されていることを知り、彼は楽しそうに笑いながら「そうだな」と答えた。

私は幸せでした。
愛する人に会えたから。
だから、
私たちは幸せでした。

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