3章-1 

5階:海洋世界 

 男に導かれるように、フォーリンクは、その扉を開けた。

 重い扉がきしむ音が響くと、まぶゆいばかりの白い光が差しこみ、かすかに漂う潮の香りが鼻腔をくすぐる。
 空は、大陸世界では見たことがないような青水晶のような青さをしており、雲は白いかすみのような薄い雲が空に張り付くかのように広がっていた。

 世界はどこまでも青かった。
 フォーリンクもムァーミルも、今まで見たことのないような色彩に面食らったが、目の前に広がる世界は、三階で見た小さな楽園や四階で見た地獄とは違う、生きた人々の活気を感じる世界だった。
 塔の出口から続いた階段を下り、彼らが降り立ったその場所は、海に囲まれた半島のような場所だった。
 北と西はすぐ近くに崖があり、大きな波が絶え間なく岸壁に打ち付けられている。

 崖から見渡した向こうには、青く澄んだ海がどこまでも広がっている。南方を見渡すと、対岸に広がる海も見る事ができた。
 海の青さは空の青さと雲の白さを反射し、美しい輝きを放っていた。

「わあ、海ー」
 崖の向こう、果てしなく広がる大海にムァミールが感嘆の声を上げる。前の世界でも遠目から海を見る機会はあったが、近くで海を見るのはこれが初めてだった。
「ねえ、この海の向こうには何があるの?」
 どこまでも青く広がった水平線を指差して言う。
「さあな」
 ぶっきらぼうに答えたフォーリンクだったが、彼でも海を見れば高揚感を覚えるものだ。
 ただ、彼が求めるものは、眼前に広がった海には見出せない。
 失意を癒すには、時間が必要だった。心の闇が晴れなければ、崖に打ち付ける波の音も無機質な衝突音に聞こえてしまう。
 心が癒されれば、どこまでも広がるこの海に何かを感じることが出来るのだろうか。フォーリンクはそんな疑問を抱いた。

 三方を海に囲まれているため、フォーリンク達が歩いていける場所は東の内陸部しかなかった。二人はヤシの木の下をくぐり抜け、東に進む事にした。
 彼らが降り立った地は、大陸の半島ではなく、二、三日もあれば横断が可能なひょうたん型の島だった。
 中ほどのややくびれた地域と、島の北東地域は丘になっており、そこは木々の生い茂る森になっている。
 それ以外は平地で、植物はヤシの木が点在するぐらいで、見渡す限りでは人やモンスターの姿も見えなかった。

 南方には海が広がっていたが、海岸線沿いに港のような場所があるのが見えた。港町だ。

  

 その港町は、彼らが遠目から見た時の印象とは裏腹に、思いのほか寂れていた。
 人は多いが活気はなく、皆どこか諦めた表情をしている。
 町の住人から聞いた話では、海賊が頻繁に出没するが為に他の街との交流が途絶えてしまったのだと言う。

 世界の九割以上を海が占めているこの海洋世界では、古来より、竜王が絶対なる海の支配者として、世界の秩序を保っていた。
 竜王の守る海は穏やかで、人々は船を作り、大型船を使った交易により各地の港町は発展していった。

 しかし、新参者の青龍が竜王に取って代わり、竜王を宮殿から追い出してからは、世界は徐々に変わっていった。
 海は、かつての穏やかさを失い、大きな時化(しけ)が度々起こるようになった。

 さらには、いたるところに海賊が出没し、行き交う交易船は次々に襲われ、沈められていった。
 竜王に代わり、新たに世界の統治者となった青龍は、暴力に対して肯定的で、海賊を取り締まるような事はしなかった。
 青龍にとっての唯一の秩序は、この世界の全ての者が青龍に服従する事――それのみであった。

 青龍の支配が始まって数十年。いつからか、交易船も途絶えがちになり、町の人々は細々と暮らすようになった。
 世界の九割を占める海に閉ざされた人々の世界。それが現在の海洋世界の姿である。

  

「北東の島の街に兄弟がいるんだが…」

 話を聞かせてくれた、そのガーゴイルの男は嘆いた。
 彼は、交易船が途絶えたために、兄弟と生き別れになったのだという。平穏な暮らしをしている者には同情を禁じえない境遇だ。

 ガーゴイルの男のほか、話を聞いた街の人からは、青い封印を解く為の情報は得られなかった。
 だが、得られた情報は少ないものではなかった。

 竜王に代わり、新しく海の支配者となった青龍のこと。海賊が多くて交易船が途絶えてしまったこと。北東の島にも大きな街があること。
 それから、この島の森には洞窟があり、そこは地下トンネルを通じて色んな島に通じているということ。そして、この世界には、船のように走る浮き島があるということ。

 どうやら、この島からの移動手段は、地下トンネルを使うか、あるいは、船のように走る浮島を見つけるしかなさそうだ。
 船を調達するのを諦めた二人は、そういう結論にたどりついた。