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序章-0 「フォーリンク(前編)」

  

「たあああああっ!」
 掛け声むなしく、少年の剣は空を切った。
 晴れた日の午後。
 それほど深くはない森の中で、穏やかな風がそよいでいた。
 だが、ここにはそんな春の日差しに不釣り合いな禍々しい空気……。
 そう、いわば戦いという行為が生成する狂気……とでも言うべきか、湿り気のある陰った気配がこの一帯には充満していた。

「くっ! はずしたか!!」
「ハイン!右へまわれ!!」
 前のめりになった人間の少年に向けて、彼の仲間であるゴブリンの子供が叫んだ。
 彼らの後方には同い年くらいの少女が、木立に隠れるようにして、彼らの戦いを見守っていた。

 三人の年齢は、十二、三だろうか。
 彼らは無法地帯に足を踏み入れたにも関わらず、服装は樹脂をなめした皮製の服で、ハインという少年が装備する古ぼけたブロンズの小手を除けば、防具らしい防具も身につけていなかった。
 ゴブリン属の少年にはするどい爪があるものの、まともな武器を持っているのはハインと呼ばれた少年だけで、その使い方も素人のそれに毛が生えた程度のものでしかなかった。
 そのハインは、体勢を崩しながらも迫り来る敵の攻撃から逃れようと試みる。
 だが、そこへ一足早く相手の剣が飛んできた。ハインは肝を冷やしたが、すんでの所でそれをすり抜ける事ができた。

 敵は、彼らより五つほど年齢が上の、体格の良い青年であった。
 鎖帷子にブロンズを繋ぎあわせた鎧を身に纏い、腕にはこれもブロンズ製の小手を装備している。
 熟練の域に達した剣捌きを見る限り、少年ハインの敵う相手ではない。
 彼は自分の身長ほどもあるロングソード……いや、刃の長さだけで言えば大剣グレートソードにも匹敵するほどの大きな剣を持ち直すと、間髪入れずに横から薙ぎ払いをかけてきた。
「うわあああああ!」
「きゃあああああ!」
 咄嗟に敵の攻撃を防ごうとした少年と、後ろの方で見守っていたエスパーと呼ばれる種族の少女の悲鳴が重なった。
 ハインは本来ならその一撃で真っ二つになっていたかも知れない。
 しかし、本能とも呼べる反射速度で、ハインは自分の剣を相手の長剣の付け根に押し当てることができた。相手の剣を押し戻す事で一撃を相殺したのである。
 それは偶然と呼んだ方が適当であったが、神技にも見て取れるほど見事な防御であった。
 薙ぎ払う寸前に攻撃を止められた相手の剣士は一瞬焦りの表情を浮かべた。
 しかし、すぐに気を取り直すと、素早く間合いを離し、次の一撃を繰り出すべく剣を引き戻した。

「ぐおおおおっ! やめろーーーッ!!!」
「キド!」
 キドと呼ばれたゴブリンの少年が、叫び声を上げつつ背後から剣士へと迫った。
 しかし、声を荒げてしまったため、その攻撃は奇襲にはならず、逆に自分の位置を知らせる結果になってしまった。
「フンッ」
 長剣の剣士は振り向きざまにキドの喉元に剣を突き立てた。ほぼ無意識の反射的な行動に見えた。しかし、その正確な突きによる一撃は偶然のものとは到底思えない。
 一瞬、時間が止まった。
 まるで芸術的な一枚の絵を見ているかのような不思議な感覚が、ハインやエスパーの少女のみならず、首を貫かれたキドの頭にもよぎっていた。
 その時間は一瞬であり、永遠のような時間でもあった。

「(これは夢なのかな……?)」
 キドに恐怖を感じる暇はなかったが、身体を襲う果てしない衝撃と、自分の体から気体のような物が抜けていく様を感じることはできた。
 脱力とも違う、魂が抜けるとでも言うべき不可思議な感覚がキドの全身を覆い、やがてキドの体は崩れ落ちてゆく。。

 声も出せず倒れゆくキドを、ハインはただ見つめるのみだった。
 目の前の現実を理解するには、脳の処理がまるで追いつかない。
「きゃああああああ!!!! キド〜〜!!!」
 ハインより先にエスパーの少女が叫んでいた。
 ハインはその声で現実に引き戻される。
 だが、頭の中は空白に近い。
 キドとの思い出がその真っ白い空間に映し出されるのがわかった。

 それは、村にキドがやってきた時の記憶。二人でよくケンカをしていた頃の思い出。
 そして、「英雄の像」をひと目見ようと、村を抜け出し無法地帯へ飛び出していった昨日の記憶……。

「許さない! あなたは絶対に許さない!!」
 ハインが我に返るよりも早く、木陰に隠れていた少女が動いていた。
「セシル!」
 セシルと言う名のエスパーの少女が、手に持った書物を開いている。
 書物は彼女の手を離れても無重量状態のようにその場に漂っていた。
 それは少女の思念波がこの書物に込められているためである。
 思念波の影響か、彼女の長く伸びる蒼い髪も、重力に逆らい舞い上がっていた。
 高度に集中された思念波のため、その姿にはえもいわれぬ迫力があった。

 そして、彼女の思念波は、ただ書物を浮かせるために使われているのではない。その書物、「ファイアの書」と呼ばれるそれに秘められた炎の力を解放するために使われているのだ。
 思念波――魔力とも呼ばれるそれは、強ければ強いほど書物から召喚される炎もまた威力を増す。
 エスパーの特性によっては、そのような書物の力を用いずとも強力な魔法の力を繰り出すことは可能だという。
 しかし、平和な村で生活していた彼女にはそういった力がエスパー特有の"突然変異"によって引き出される機会はなかった。
 それゆえに彼女はハイン達について行く際、もしものことを考えて両親の唯一の形見である「ファイアの書」を持ち出していた。

 だが、争いが嫌いな彼女は、村の子供達にいじめられた時もこの魔法を使うことはしなかったし、昨日出会ったモンスターに対してもこの書物を用いることはなかった。
 彼女は、今日出会ったこの剣士に対してさえ、この禁断の力を使うつもりはなかった。そう、幼なじみのキドが殺されるまでは……。
「ファイア!」
 セシルの一声で、「ファイアの書」がパラパラとめくれあがり、本の中から炎が召喚された。
 炎は一本の柱となり、投擲された槍のように、剣士に襲いかかった。
「ぐ、ぐおおおお!!」
 火の槍は剣士に命中すると、彼の全身に燃え広がった。
 少女の視界いっぱいに広がるほどの強烈な火炎が剣士の全身を焼きはじめた。
 術者であるセシルは熱を感じることはない。幻と現実の境目に存在するその炎は、あくまで剣士の身体のみに注がれているのだ。

 ハインは、そんな二人を横から眺めながら、炎を召喚し、舞い上がった髪をなびかせるセシルを美しいと感じていた。
 また、初めてみる魔法の業火に、自分が焼かれる想像をして、密かに恐怖も感じていた。
 だが偶然にも、その恐怖が彼を現実へと引き戻してくれた。
「セシル! 下がって!!」
 ハインは彼女に駆け寄ると、彼女をかばうようにして、目の前の男から引き剥がした。
 数歩先には、身体中から焦げた匂いを放ち、ひざを落としているこの剣士がいる。
 ハインは剣士に対して仁王立ちになり、身構えた。
 いくら、ファイアの魔法が強力であったとしても、この強大な敵が、この程度でやられるはずはないと思った。
 ハインの予想通り、剣士は立ち上がってきた。その瞳にはいままでとは違う、憎悪のような迫力があった。

「(本気になった…?)」
 ハインは恐怖した。
 同時に、親の言いつけを破り、勝手に村を抜け出したことを後悔しはじめていた。
 昨日会ったサンショウウオというモンスターと、この男は格が違う……自分達はなぜ、こんな相手に戦いを挑んでしまっただろう……と。

 大陸世界の大半を占める無法地帯では、殺られる前に殺れ――という無言の掟がある。
 騙しあいの末に行き着いたルールで、そうでしなければ無法地帯ではいずれ自分が殺されてしまう事を意味している。

 不意打ちはこの世界で自分が生き残る為の知恵である。
 もちろん、相手が恐ろしければ、身を潜めてやり過ごすことも不可能ではない。しかし、それも獣の嗅覚を有する獣人タイプのモンスターには通用しないし、エスパーという種族には予知能力という能力を持つ者もあり、事前に敵の位置を察することができる。
 野獣よりも恐ろしい力を持ったモンスターと、鍛えた体と技を持つ人間の戦士。そして異能の力を操るエスパー。
 先手を取らなければ先手を取られる。
 自分が奪いに行かなければ相手が奪いに来る。
 無法地帯はそんな生き残りをかけた厳しい戦場であった。
 だが、そんな無法地帯に暮らす者たちも、大半はさして力のない者達であった。
 村や街を追い出された者がそのほとんどで、難民から無法者へならざるを得なかった者たちは互いに奪い合いこそすれ、結束する機会に乏しかった。

 そんな無法地帯に足を踏み入れるには、相応の覚悟がいる。
 ハインはまだ若かった。
 村の人々のように、集落に閉じこもってビクビクしながら暮らすのが嫌だったのだ。
 ハインは剣の腕には多少の自信があったし、そこいらの無法者には負ける気がしなかった。
 現に昨日のサンショウウオというモンスターに対しては、キドの助けもあり、ほとんど無傷で勝つことができていた。だから調子に乗っていたのだ。

 相手の剣士はゆっくり立ち上がると、長剣を構えていた。
 その剣にはすでにキドの返り血は残っていない。ファイアの魔法によって全て蒸発してしまったのだ。
「あ……っ! ああ……っ!!」
 ハインには、自分の後ろでセシルが震えているのがわかった。
 『男なら、彼女を守らなければならない!』そんな考えがハインの脳裏に自然と浮かんでいた。

「大丈夫、僕が守るから……」
 ハインは後ろのセシルに声をかける。しかし最後の方は、声がかすれ気味になった。
 そのまま小声でハインはセシルに指示を出した。
「……僕が切りかかるから、魔法で援護して……」
 コクリと彼女がうなずいたのが気配でわかった。

 剣士の男は無言のまま、間合いをつめて来た。
「うわああ!!」
 恐怖にかられ、ハインが切りかかった。
 それと同時に、セシルは再びファイアを繰り出すために意識を集中しはじめる。
 剣のぶつかり合う音が響くと、ハインの剣は彼の手から飛んでいった。
 その直後、ハインの右肩を剣士の刃が襲った。相手の剣士は、ハインが突き出した剣を下からすくい上げ、その勢いのまま、ハインの右肩を斬り上げたのだ。
 相手を攻撃しにいったハインの剣ごと、相手の剣士はハインを斬り上げていた。
 ハインは敵の間合いに入ることさえ適わなかったのだ。
「ぐあああああっ!」
 手のしびれと、肩へのダメージが同時にハインの身体を駆け巡っていた。
「(痛い……痛いよぉ!)」
 これまで経験したことのない強烈な痛みに、ハインの目から涙があふれてくる。

 剣士は休む事なく、ハインをまわし蹴りで吹き飛ばすと、そのままセシルに向かって飛びこんだ。
 そして、長い銀色の剣、がファイアの書ごと、意識を集中しているセシルの胸を貫いた。
 その時、ハインの身体は動かなかった。いや、動けなかったのだ。

 鎧など着ていないセシルである。瞬間身体をひねっていなければ、心の臓を貫かれていただろう。
 だが、心臓への直撃は免れたとしても、胸を貫かれたダメージはあまりにも大きい。
 剣が引き抜かれると同時に、セシルの胸から大量に血を噴出した。それは既に、致命傷と呼べるものだった。
 セシルは、自分の肉がぐにゃりと貫かれる感覚を不快に思い、倒れる瞬間がスローモーションのようにゆっくりと時が流れていくのが不思議だった。
 目の前にいる厳しい顔をした剣士と、涙を流しながらなにか言いかけているハインを見比べ、どこか似ているなぁ……と思った。
 姿形はまったく似ていないが、この二人に通じ合う何かを感じていた。

 そして、エスパーの予知能力なのか、セシルにはこの男とハインが戦う姿が見えていた。そして、その結末も……。
 セシルは、背中から後ろへ倒れると、静かに目を閉じた。長い髪が冷たい地面に広がっていた。
「セシルーーー!!!」
 ハインは剣士の横を駆け抜けてセシルに覆い被さるようにして話しかけた。
「セシル! セシル! 目を覚まして! セシル……!」
 ハインは、彼女の身体を軽く揺さぶった。
 胸からは泉のように血が湧き出ていたが、どうすることもできなかった。

 セシルは目を開けない。だが、フー、フーという呼吸している音だけはまだ聞こえていた。
「セシル! セシルってば! 起きてよ、ねぇ! 起きてよ、セシル……!」
 セシルの目がわずかに開いた。
「ハイン……。ごめん……ね……。いっしょに…………英雄の……像……見に行けなくて……」
 小声でくぐもっていたが、ハインにはセシルの声がはっきりと聞き取れた。

「もういいよ! もうやめて村へかえろう!! ね、だから……セシル……」
「また……いっ……」
 何かを言いかけたまま、セシルは目を閉じた。
「セシルッ……!!」
 ハインの体を稲妻のようなものが駆け巡った。
 今度は、キドが殺された時のような非現実な感じはない。
 これは紛れもない現実なのだと、血の匂いとセシルの生気を失った顔が物語っていた。

 ハインの胸には、ただただ怒りが込み上げて来るばかりだった。
 肩口はまだ痛んでいたが、既にその痛みを苦に感じなっていた。
 ハインは立ち上がると、後ろにいる剣士を睨みつける。ハインは相手を目の前にあるその物体をひたすらに破壊したい――という純粋なまでの破壊衝動にかられていた。

「まだ……やるつもりか……?」
 剣士が渋い顔をしながら言った。
 その見下したような態度に、ハインの怒りが沸点に達した。
 ハインはすぐさま剣を拾うと、両手に持ち替え、必死の思いで剣を振るう。
「がぁあああ!!」
 動きのスピードは大分落ちてはいるものの、剣捌きに迫力があった。
 剣術――という意味ではもはや素人以下まで落ちこんでいたが、技術を気迫でカバーできていた。
 一撃一撃の重みが、さっきまでとはまるで違っている。放ってくる剣撃は、実に正確に急所をねらっていた。これはハインの本能のなせる業かも知れない。
 相手の剣士はそれをなぎ払うことは出来たが、反撃はしてこなかった。
 もしもという事がある。必死の相手を前にして、剣士は隙を作る行動を避けていたのだ。
「んぐおおおおおおっ!」
 ハインは上段に振りかぶると、「トドメ」とばかりに全身の力を込めて打ち出した。
 間合いに入られた剣士はロングソードでの捌きが間に合わず、咄嗟に左腕の小手で受け止めた。
 だが、ハインの剣はその小手を破壊し、剣士の左腕に食い込んでいた。
 骨まで届いているわけではない。しかし、剣士の利き腕は左だ。これはかなりのダメージとなった。

「クッ!!」
 剣士は声にださなかったものの、かなりの痛みが走ったことは隠し切れなかった。ハインにも相手の動揺が見て取れた。
「(やった……!)」
 ハインは一瞬心の中で喜んだ。その瞬間、
「この野郎がッ!」
 利き腕の左をやられた剣士は、すばやく長剣を両手でもちなおすと、左足を踏み込み、右下から振り上げるようにハインの胴を貫いた。
 ほぼ長剣による体当たりのような一撃だった。
「あっ……」
 ハインはそのスピードの速さに驚いていた。
 相手が迫るのがわかり、気がついたら斬られていたという感じだ。
 剣が来るのが見えなかった。器用にも骨を避け、背骨の関節と内蔵のみが斬られている。
 しかし、剣士の左腕に力が入らなかったためか、ハインの体がまっぷたつになることはなかった
 ハインは痛みを越えた何かを感じ、身体から力が抜けていくのがわかった。
 不思議とすでに痛みは感じず、ただ、これが自分の運命なのかなと考えていた。

 ハインは昨日の事を思い出した。 
 冒険心に駆られ、周囲の言うことを聞かず、無謀にも村を飛び出した結果がこれだった……。
 キドもセシルも死んだ……。
 こんなことなら、言うことを聞いて村の中でいつものように父の手伝いをしていればよかった……。
 そうしていれば、みんな死ぬ事はなかったのに……。

 ハインの体は地面に崩れ落ちた。
 近くにセシルの身体があった。最後にセシルの顔がみたい……・
 そう思って、ハインは首を動かした。
 しかし、セシルの顔は見えない。

 ハインは涙を流しながら目を閉じた。
 セシルの顔は間近にあるだけど、届かない。それが悔しくて悲しかった。

 目をつぶると、セシルの笑った顔が見えた。
 後ろからキドの呼ぶ声も聞こえた……。
「また、三人いっしょだね」
 最後にセシルが微笑んだ。