序章-1 「フォーリンク(後編)」
男は無表情のまま、剣についた血を拭った。
「……三人あわせて六〇ケロ、か……」
三人の死体から無表情で金目のものを抜き取ると、フォーリンク・D・ハイウィンドは、返り血を浴びた顔で空を見上げた。
不快そうな顔で頬についた血を拭い、左手に付けていた小手をはずすと、傷口に布切れを巻いた。
右手に付けていた小手を左手と取り替え、傷ついた左腕を布で固定する。
「くそっ……不快すぎるぜ!」
ポーションを振りかけながら指を動かし、浅くはない傷を確認する。
素人同然の相手にここまでの傷を負わされたことも情けなかったが、フォーリンクが不快な理由は他にあった。
(子供を殺す必要があったのかよ?)
もうひとりのフォーリンクが、そんな疑問を投げかけてきた。
「無法地帯で見かけた奴は、たとえ女子共でも敵だ。違うか?」
(……やつらはただのガキだろう? ムキになって戦う必要はあったのか? おまえはそれが正しい行いだと胸を張って言えるのか?)
フォーリンクは苦渋に満ちた顔で、首を振らざるを得なかった。
「だが、先にかかってきたのあいつらだ! 俺は剣を構えただけで手を出しちゃいなかったんだ……!」
(言い訳だろ、そんなのは!)
「……だったらどうしろって言うんだ? おとなしく斬られろとでも言うのか!?」
(奴等の武器を奪うくらい、わけなかっただろう? 何故そうしなかった?)
「あいつらのやってることが遊びにしか見えなかったからだ! 遊び感覚で武器を振り回す奴は許せない! それに斬りかかってくる奴は斬られる覚悟を持つべきだ。そうだろ!?」
(遊びだと思っていたのなら、尚更だ。遊びの奴らを殺すことはなかった。これ以上罪を重ねるな。おまえはあの世の父に言い訳できるのかッ!?)
フォーリンクはふらふらと足元がおぼつかなくなった。
自分の中の正論に反論しきれなくなっていた。
自分が判断を間違えなければ、より良い結果を導く事ができた――それに気づいたとき、人は後悔の念を抱く。
「…………また、また俺が間違っていたのかよ! 畜生!! なんでいつもこうなるんだ!!」
フォーリンクは再び天を仰いだ。
もう一人の自分が言ってることは、理屈で理解できた。
しかし、フォーリンクはいつもその声には従わず、その場その場で感情に流されてきた。
なぜいつもそうなってしまうのか、フォーリンクにはわからない。
同じ行動をとっても後悔する人間としない人間とがいる。
フォーリンクは常に前者であり、自らの向上を目指しては、傷つき、理想の自分に至らないいまの自分を強く恥じてきた。
それはフォーリンクにとってどうしようもなく不愉快な事だったが、フォーリンクはおのれの向上には後悔と反省が欠かせないものだと思い込んでいた。
ここ一年弱、いや一年強と言った方が適当であろう。
フォーリンクは無法者となり、いままでに数え切れないほどの人間やエスパー、モンスターを殺してきた。
すでにフォーリンクにとって、戦いは日常と化している。
しかし、フォーリンクは全てを割り切って戦っていたわけではない。
常に自問自答を繰り返し、自らの信念に恥じぬ行動を取りたいと願いながら……だが、それが叶わず、戦い終わった後にはなぜかいつも罪悪感しか残らなかった。
(この敵を殺してよかったのか?)
ほぼ毎回、彼はその罪悪感にさいなまれている。
今回はそれが特にひどかった。いままでに例のない相手だった所からかもしれない。幸せそうな……荒んでいないように見える子供を自分は無残に斬ってしまったのだ。
だが、同時に許せない感情もあった。
遊び半分で戦いの場に身を投じる彼らの愚かさはフォーリンクには許しがたいものだった。
「こいつらは殺される覚悟もないくせに、斬りかかってきやがったんだ……」
この怒りだけはいまでもフォーリンクの中にあった。
もうひとりの自分もこの意見には反論を控えている。フォーリンクは本心からそう思っているのだ。
しかし、冷静になれば頭に残るのは罪悪感だけだ。
フォーリンクが許してやりさえすれば、この三人が死ぬことはなかった。
多少の傷と引き換えに、自分たちの愚かさと無謀さを学習して、村へ帰っていたかもしれない。
フォーリンクは心底、自分の不器用さを呪っていた。
『他人を傷付けるために戦うな! 誰かを守るために戦え!』
武術を身につける際に、村の名士であった父はそう教えてくれた。
フォーリンクは父を尊敬していたし、また、誇りにも思っていた。
フォーリンクの父はハイウィンド家の次男で、家を継ぐこともなく辺境の村へ移り住んだ。しかし、ハイウィンドの名に恥じぬ大きな屋敷に住み、村人の尊敬も集めていた。
尊敬する父の存在が、フォーリンクに名門の良家の証である自分の血統について、少なからず誇りを持たせていた。
しかし、今となってはその誇りが自分を苛んでいるように感じられた。
落ちぶれた自分に対する劣等感は、すさまじいものがある。
武術を人殺しのために使う罪悪感も大きい。
ハイウィンド家の子孫でありながら、『無法者』『お尋ね者』となってしまった自分は、一族の恥であり、ハイウィンドの名を汚す愚か者に思えてならなかった。
フォーリンクは、本来優しすぎるほど優しい人物であり、自分にも他人にも厳しさを持てる男である。
だが今はそれらすべてがマイナスの方向に作用していると感じられていた。
この無法地帯で生き残るためには、戦闘を必要悪と割り切るか、弱者から搾取する無法者として生きるかしかなかった。
もし、それが嫌なのであれば、このような生活をやめて未開の地へ行くという手もある。
そこには無法に縛られた弱肉強食の世界とは異なる別のルールがあるかも知れない。
だが、絶望し、疲れ果てていたフォーリンクには、未開の地に対して希望を見出すことができなかった。
その一歩を踏み出せない理由はわからない。
ただ、絶望を経験したこの地をさまよいながら、希望の欠片を探し求めていた。
フォーリンクには、時には敵を見逃す事で、無法地帯に優しさをもたらせなかと考えた事があった。
しかし、それらはすべて裏切られる結果となっている。
フォーリンクが剣を収めた途端、隙ありと見て襲い掛かってくる輩もいたし、後日になって復讐されたこともあった。「仲間の仇だ」……と。
相手に戦う意志が残ってる限り、見逃してはいけない。
全ての敵を殲滅し終わるまで、戦闘は終わらないのだ。
それは、フォーリンクが迷いを断ち切るため、自らが被る仮面の信条となった。
フォーリンクが無法者に身を落としたのには理由がある。
簡単に言えば、戦争の所為だ。
以前、大陸世界の西南に位置する剣の王の命が狙われた事があった。
その刺客が逃げ込んだのがフォーリンクの村であった。
呑気な村人は、旅人を歓迎した。それが悲劇のはじまりとなった。
村が焼かれる中、命からがら逃げ延びたフォーリンクはある街に身を寄せた。
しかし、その街はフォーリンクの人柄には合わなかった。
その街では、自警団と称する自治組織があった。
彼ら善人の皮を被った人々が、自らの正義を振りかざし、無法者に対して公然と暴力の限りを尽くしていた。
建前としては街に入り込んだ無法者の浄化であるが、彼らのやってることは、いわば法で承認された暴力だ。
フォーリンクはその街で、そういった輩に囲まれ、袋叩きにあった挙げ句、彼らの正義観を延々と聞かされ、見逃してやる代わりに仲間へ入れと誘われた。
抵抗した際に見せたフォーリンクの腕前は本物であったし、彼の態度は育ちの良さをうかがわせたからだ。
実際には外面を認められただけなのだが、フォーリンクはその時、市民権のない無法者だから虐待されるのはおかしいと主張した自分の意見をわかってもらえたのだと勘違いした。
悪意のない顔に彼は従った。むしろ感謝さえした。誤解は解けた。彼等はいい人なのだ……と。
なにより、当時追われる身であったフォーリンクは助けを求めていた。誰かにすがりたい状態だった。
しかし、フォーリンクに課せられた役目は皮肉にも無法狩りであった。
フォーリンクは無法者を狩る仕事に耐えられなかった。
明らかに無法者とは見えない者であっても、証書を持たぬよそ者は全て無法者とされる。その中には何の罪もない多くの難民の姿があった。
自警団の者たちに虐待に対する罪の意識はない。逆に言えば、罪の意識をもってはいけなかったのだ。
潔癖主義者にとって、汚れたものは憎むべき対象でしかなく、事実、その街では無法者による犯罪は多かったが、すべてがすべて彼らの仕業ではなかった。
実際には、自警団によるでっち上げ……のみならず、自分らの罪を彼らに擦り付けることさえ横行していたのだ。
力を持てば、人は狂ってしまう。
成果を上げられなければ、彼ら自警団は不要な存在にもなってしまう。彼らが街を治める力を維持するには、目に見える仕事が必要だった。
もちろん組織を維持するための悪行に内部から反発する者もいるのだが、そういった者は排除されていく。組織の方針にそぐわない者は組織には不要だった。
過激に排除されれば人は反発するが、柔らかく排除されれば、人は逆らえない。
歪んだ組織は歪んだまま、その地位に固執していた。
そのうち、自警団に対する悪い噂は絶えなくなった。
歪みをごまかすために、自警団は自らをより白く塗ろうとした。
つまり、より精力的に活動することにしたのだ。
でっち上げる犯罪も、擦り付ける犯罪も大きければ大きい方が良い。
こうなったきっかけは自然の流れであるが、こうなるともはや誰にも止められない。
彼らが街で一番力があるのだから尚更だった。
フォーリンクは、彼らの所業を間近で見ながら、自分の立ち位置に疑問を持ち始めた。
自らの行いに反発はあったが、全てにおいて彼ら自警団が悪者だとは言い切れない側面があることも理解していた。
現実の過酷さを納得し、社会の歪みを受け入れ、組織の腐敗を容認し、自分の思いを閉じ込めていた。
フォーリンクは、自分の暮らしと恩人のために、自分自身の心の声を封じ込め、他人の正義を信じて生きる事にした。
それは当時のフォーリンクの弱さ、自信を喪失していたこと……に原因があった。
フォーリンクはそれが生きる上での処世術であると思い込んでいたし、組織の一員として、自分のエゴを主張するのは間違いだと思った。
しかし、生きるために罪を犯す者達が、力を持つものに侮辱される光景は、フォーリンクにとって到底割り切れるものではなかった。
ある日、彼はまだ盗みを働いたというまだ十一歳の少女を庇った。
しかし、その少女の罪は窃盗だけではなく、食堂の店員まで殺していたのである。
フォーリンクは全てを知りながら、それでも少女を庇った。これ以上、弱いものを相手に集団で行う暴力に耐えられなかっただけであった。他意などない。降り積もった不満、その少女の涙が最後の一滴となって降り注がれたのだ。溜まっていたストレスが、ここで爆発してしまったのである。
フォーリンクにとって不幸だったのは、その少女が言い訳の余地がないほどのクロであった事だ。
自警団による汚職や捏造ではない。
不幸な少女が追い詰められて犯罪を犯したわけでもない。無法地帯で育ったその少女は、盗みや殺人がこの世界において当たり前のルールだと思っていたのだ。
いわば、自警団にとって初歩的な理念である、"人々が安心して暮らせる街にするため、邪悪な無法者を排除する"に沿った相手であった。
当然、自警団にフォーリンクの行動が理解されるはずもなかった。
フォーリンクの暴発は、集団で行う少女への暴行に対する反発であったが、その少女は窃盗に加え殺人を行い、それが悪い事だという認識さえ持っていないのである。
仕方なくフォーリンクはその少女を連れて逃げた。
庇った相手が別の者であれば、自警団も理解を示したかも知れないし、また、フォーリンクに対する評価も異なっていたかもしれない。
しかしフォーリンクは自警団から『バカな奴』『所詮は元無法者』と蔑まれ、『お尋ね者』とされてしまったのである。
彼らの言うようにフォーリンクの取った行動は愚かだっただろう。
だが、それでもフォーリンクは後悔はしないつもりでいた。
これでその少女が助かるならば……と。
しかし、その少女はフォーリンクを裏切った。夜中にフォーリンクの金を盗み、逃げようとしたのである。
フォーリンクは目を覚ました。そのため、少女はフォーリンクを殺しにかかった。
だが寝起きとはいえ、フォーリンクの腕前に敵うはずもなく、結果、少女はフォーリンクに斬られることとなった。
その瞬間、フォーリンクは絶望した。
その後しばらく、なにも信じられなくなった。死ぬ事さえ考えた。
だが、無法地帯で無意味に野垂れ死ぬなど、彼のプライドが許さなかった。
どうせ死ぬのであれば、大儀のために死にたい。フォーリンクはそういう信条を美徳としていたし、自分が死ぬために命を賭けるに値するものを求める事にした。
情けない死は最大の恥辱であると考え、生きる汚名は死で挽回できると考えた。
もしくは、生きるための理由があれば、なにをしてでも生きてやろう。
愛する者を守るためならば、笑いながらだって人を斬れる。そうも考えはじめていた。
殺しに馴れてしまっていたし、自分自身はあまりにも空虚になっていた。自分に足りないのは『生きる理由』であるとさえ思えた。
だが、二度目の無法地帯の暮らしは、フォーリンクになにももたらさなかった。
今日のように、ハイン達を切り殺した時のような不快感を味わうだけだ。
答えが欲しい。
フォーリンクはひたすら理由を求めていた。
自分が生きる理由。そして、死ぬ理由。
自らの感情を捨てる理由さえあれば、自分は鬼にでも成れる。だがその理由がなかった。
いまのフォーリンクにはなんでもよかった。ただ理由のない戦いにだけはもう嫌気がさしていた。
「父さん……俺はどうすればいい?」
暗くなりかけた空に向かってフォーリンクは尋ねた。
空には星が浮かび、空をも突き抜けるほど高い塔が夕日に照らされていた。
画家であれば、一生に一度はこの風景を描きたいと思うであろう。夕焼けに映える美しい塔が目に入った。
「あの塔……あれは、なんだ?」
西の空を見れば、いつでもどこでもその塔を目にする事ができた。
だが、いままでは特に興味を持つ対象ではなかった。
ただ大きく高い塔があそこにある。道標になりそうだなという程度の認識でしかなかった。
しかし、深く傷ついた時に美しい物を見れば、人は惹かれるものだ。
フォーリンクはその塔に初めて興味を持った。
「行ってみるか……」
この時、フォーリンクはまだ、塔の伝説を知らなかった。
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