YJ編、独身なのに団地妻なヤン提督と昼下がりの情事シェーンコップの、おバカダダ漏れエロ。

ゆですぎそうめんえれじぃ 23

 「そこにいると危ないよ。」
 団地の駐車場で、白いバンの傍にしゃがみ込み、ヤンが何やら車の下に声を掛けているのに行き合った。
 近づいた足音で、ヤンがまずシェーンコップの足を見て、それから顔の方を見上げて来る。
 「何してるんですか。」
 「猫が車の下にいるんだ。」
 ふたりがそう話し始めたせいか、人間の気配がもうひとつ増えたせいか、ヤンがそう言っている間に、その猫とやらはバンの向こう側から飛び出し、どこかへ駆けて行った。白と黒の、あまりいい毛並みには見えなかったから、ここらに居着いている野良猫だろう。工事中には見たことがなかったなと、シェーンコップはちらりと思う。
 「行っちゃった。」
 ヤンは残念そうに言ってから立ち上がり、
 「今日は何。」
 シェーンコップの手に下げられたビニール袋を見て訊く。
 「先に中に入りましょう。」
 ヤンを促し、上へゆく階段の方へ向かい、狭くて薄暗いコンクリートの段を、シェーンコップはヤンの後ろから上がる。ついヤンの膝裏や腰へ目が行くのに、ヤンが気づきもせずにぽくぽく先へゆくから、シェーンコップはちょっと顔を斜めにして、ヤンの体の線に見入った。
 薄灰色の箱の無数に積み重なった、そのうちのひとつのヤンの部屋へ、吸い込まれるようにふたりで滑り込んでゆく。
 台所にビニール袋を置いて、中身を取り出そうとしたところで、シェーンコップは隣室からのその声を初めて耳にした。
 ひそめたつもりらしい、けれど憚ることに失敗している声。喉を通る時に割れ、そのせいで、どんな手順でどんな風に行われているのか、はっきりと想像できる、他人が秘密を分け合っている声。
 「・・・聞こえる?」
 ヤンが、特に表情もなく訊いて来るのに、シェーンコップはええまあと曖昧にうなずき、
 「金魚の人。」
 そうわざわざ付け加えるのに、そうですねともう一度うなずいて見せた。
 シェーンコップの持って来た副菜の中身をもう問うこともせず、ヤンの手がシェーンコップの腰へ伸びて来る。する?と下から訊くのへ、ええ、と今度ははっきりと首を折って、エアコンのよく利いた居間の方へ、ふたりで足音を乱れさせながら駆けてゆく。
 そうめんもまだ茹でずに、ふたりで先に欲情に茹でられる。別に隣人の秘め事に煽られたわけではなかったけれど、隣りが遠慮がないなら──いや、遠慮はしているに違いない──、こちらも遠慮はいらないだろうと、ヤンとシェーンコップは共犯者の同じ表情で、踏むとところどころきしむたたみの上へ倒れ込んでゆく。
 まず脱いだ──ヤンが脱がせた──シャツを、そこに敷いてからヤンを横たえ、ヤンの肌がたたみでこすれるのをそうして気にするシェーンコップを、ヤンが下からうっすら笑う。
 自分のシャツがまといつくヤンの姿は、タオルにくるまれていた、あの死んだ金魚を思わせる。箱に詰められ、丁寧に葬られて、墓の目印をきちんと残されていたあの金魚。その程度には大切にされていたに違いない、死んだ金魚。もう水の中にはいず、空気と一緒に箱の中に入れられて、それから土に埋められた金魚。
 シェーンコップが触れるとぴちぴち跳ねるヤンは、生きている金魚だ。ヤンは、この部屋を、シェーンコップの下で跳ねながら薄青く染めてゆく。濃密な空気の満ちた、小さな箱みたいな部屋の中でヤンと抱き合って、魚のヤンを恋いながら、そうする自分は陸のけものなのだとシェーンコップは考えている。ここは水の中に違いない。
 魚みたいなヤンを抱いて、同じ水に一緒にひたって、ふたり分の熱にぬくまる水が次第に湯に変わり、そうして、シェーンコップも茹でられるそうめんみたいになる。ヤンと一緒に、熱い湯の中で踊り、回り、互いに白い裸身を貪り合って、水の生き物と陸の生き物は、一緒にいられるはずもないのに、別々の呼吸をしながら、吐き出すのは同じ二酸化炭素だ。
 金魚も、あのひらひらの尾を振って、水槽の外から自分を眺める人間に懐く仕草を見せるのだろうか。シェーンコップはあるはずもない尾を振ってヤンにむしゃぶりつき、つるりとした魚の腹みたいなヤンの膚に自分の毛むくじゃらの全身をこすりつけて、貪っているつもりで貪られている。 
 ヤンの立てる声は、今ではしっかりと閉められた窓のガラスに隔てられて、けれど壁のどこかを伝わって、きっと隣室に届いている。向こうには聞こえているのかどうか、相変わらず聞こえて来る声は、けれどどうやら終わりが近いとシェーンコップに悟らせていた。
 まだ伸び始めたばかりのヤンの声をそそのかし、シェーンコップは自分の躯をヤンに押し付け、そうすると、合わせるようにヤンが下から揺すり上げて来るのに、まったくリズムの合わないのに苦笑する余裕もない。
 この男には、きっと音楽の素養と言うものはない。ごく自然に動いてそうなるのか、音で言うなら不協和音もいいところの、ヤンの動きにシェーンコップも特別合わせようともせず、それなのにある瞬間、ずれにずれまくった動きがふと、完璧に重なる瞬間は確かにあって、それを期待して、シェーンコップはヤンに自分の波を送り続ける。
 寄せて、返す波。繰り返し繰り返し、ヤンの中に送る律動に、ヤンの返して来る揺れが重なって、その揺れとは関係なく震えるヤンの膚の下で、ヤンの薄い筋肉と骨に、確かに吸収されている自分の波を感じて、シェーンコップはねじれるヤンの肋骨の辺りに生まれる強烈な陰影から目が離せずに、自分はこれが見たくてこの男の許へ来るのだと、もう何度思ったか知れないことをまた思った。
 隣りの声はいつの間にかやんでいる。代わりのように、ヤンの声が高くなり、シェーンコップも少々騒がしく、ヤンの躯の中と外を駆けてゆく。
 シェーンコップの重みで、たたみに押し付けられたヤンの、シャツからはみ出した肩先が赤くなり、ここにあるヤンのひとり用のベッドはシェーンコップに狭過ぎるから、それに対するかすかな不満に、だからと言って口出しする権利もない自分の、まだ曖昧な立場にちょっと舌打ちしたい気分になる。
 そうして、八つ当たりみたいに、ヤンの片足を自分の肩へ持ち上げ、痛めないぎりぎりでヤンの中へいっそう深く押し入り、ヤンの喉を裂いたその声の響きで、少し遠いヤンの奥へ、自分が届いたのだと知った。
 終わって、ヤンは風呂場へ消え、10分足らずで戻って来た時には、例のシェーンコップから取り上げたままのシャツを着ていた。
 今では、かすかに胸元に薄茶の染みが見え、台所洗剤でつまみ洗いしてから洗うときれいになりますよと、まるでそれが最初からヤンのシャツだったみたいに、言ってしまいたくなるシェーンコップだった。
 「そうめん茹でる?」
 もう身支度を済ませたシェーンコップにしなだれ掛かりながら、ヤンがそう訊く。ええとうなずいて、けれどふたりともまだ立ち上がろうはせず、坐ったままで互いの体に両腕を巻いて、ヤンが短い接吻を繰り返し仕掛けて来るのを、シェーンコップはひとつ残らず受け止めている。
 皮膚はぬくまった。現実の胃は、これから現実のそうめんで満たしてゆく。ヤンのそうめんの木箱はすでに空になり、今ここの台所のテーブルにあるのは、シェーンコップに渡された方のだ。ひとりで茹でて食べるそうめんは味気なくて、同じに茹でてもヤンとふたりで食べる時と同じ味わいにならずに、シェーンコップがここにまた持って来たものだった。
 くるくる、熱い湯の中で回るそうめん。それはシェーンコップの目の中ではっきりとヤンに重なり、自分ひとりでそうめんを茹でると、途中で火を止めてここに来たくなってしまうのだと、ヤンに正直に告げたことはなかった。犬みたいに、舌を垂らして息を吐いて、尻尾を上げて発情期を隠しもせず、みっともないと自分を罵りながら、この箱みたいな部屋に駆けって来るのをやめられない。
 自分が作っためんつゆに、自分が茹でたそうめんをひたして、ヤンがつるつるそれをすする。開いた唇の中に消えてゆくそうめん。ヤンの唇に触れる時、そのそうめんは、今度はシェーンコップになり、シェーンコップはヤンの口の中でふるふる震えるそうめんを想像して、ヤンにすすり上げられる感触を思い出さずにはいられなくなる。
 そうめんを食べているのに、食べているのは互いになって、しまいには、現実の食事などどうでもいいじゃないかと、シェーンコップはほとんど白昼夢みたいに、ガラスの器に盛り付けられたそうめんの1本1本が、すべてヤンなのだと考え始めてしまうのだった。
 冷たく金の話をする同じ声が、シェーンコップを気遣う風にも響き、そうして、シェーンコップの携えて来た副菜に、素直に喜びの表情を浮かべる。
 その表情のために、次第に持ち込む副菜は手の掛かるそれへ変わり、作っためんつゆも出汁を取った後のかつおぶしの佃煮も、ことこと煮込んだ豚の角煮も、変わり映えはしない冷奴とごまだれも、食べてくれる誰かのことを考えながら、何を作ろうかとその味を舌の上に考える楽しさを、最後に味わったのはいつだったろうか。
 まだ自分の冷蔵庫にはひじきの煮物があって、それはもう1日置いた方が美味いだろうと、今日は持って来なかったものだけれど、ヤンは好きだろうかと、シェーンコップはもうそんなことを考えている。
 いつものように、自分が猫のように、シェーンコップの膝の中に入り込んだヤンへ、シェーンコップは駐車場で見た猫のことを訊いた。
 「知ってる猫ですか。」
 ゆらゆら、シェーンコップの膝でかすかに体を揺すりながら、ヤンが答えた。
 「たまに見る猫だよ。誰かがゴハンをあげてるから居着いてるんだと思うけどね。」
 「あんた、自分で猫は飼わないんですか。」
 「ここ、ペット禁止なんだよね。鳥とかハムスターくらいならいいらしいけど。」
 「なるほど。」
 ヤンがちょっと残念そうな顔をして、とんとんと意味なくシェーンコップの肩を叩いて来る。
 「飼えるところに引っ越そうかなって思ったこともあったんだけどさ・・・。」
 唇を尖らせてそう言うのに、なぜそうしなかったと、目色でシェーンコップは訊く。ヤンはぐるりと黒い瞳を上に動かして、シェーンコップの肩の向こうへ向かってあごを振って見せた。
 「あの部屋、全部本なんだ。」
 まるで重大な秘密でも打ち明けるように、奇妙にひそめたヤンの声だった。
 ヤンの言う方には閉まった襖があって、シェーンコップはまだそこを覗いたことがない。卓袱台の上に、必ず本が数冊乗っているけれど、まさか本の数がそれどころではないとは思わなかった。部屋いっぱいの本棚など、もう長いこと図書館に足を運んでいないシェーンコップには、ちょっと想像もできなかった。
 「全部箱に詰めると思ったらうんざりしちゃってさ・・・新しい部屋に、本を全部置けるスペースがあるとも限らないし。」
 そうすると、自分はずっとここに通うことになるのだなと、シェーンコップはごく自然に思って、それならいつか、ベッドをもっと大きいのに買い替えないかと言い出せるかもしれないと、ちらりと頭の隅で考えた。
 部屋が涼しいと、ずっと抱き合ったままでいられる。そろそろそうめんをと思うのに、ふたりともまだ動かず、空腹に耐えきれなくなったらしいヤンが、いつものようにシェーンコップのあごを撫でながらやっと言った。
 「そろそろ、そうめん茹でる?」
 そうですねと、シェーンコップがあまり気乗りしない風に言うと、さらに声を低くして、
 「食べ終わったら、またする?」
 多分それを、誘いなどとは自覚していないのだろう。そんな、底なしの黒い瞳で、奇妙な無邪気さで言われれば、シェーンコップはまた現実の空腹と現実のそうめんのことなど、どうでもよくなってしまうのだった。
 それでもヤンの空腹の方を気にして、シェーンコップはやっと立ち上がるためにヤンの体を軽く押した。
 持ち歩く、財布の中のコンドームの数がいつの間にか2つになっている。いっそ箱ごと持ち込んで置いておけと、自分の中で聞こえる声に従うには、ヤンのベッドが狭過ぎるのだと、言い訳しながらシェーンコップはついにそこから立ち上がった。

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