* リアル獣姦展開含 *
変化たちの森 14
獣のための買い物は、できるだけ手早く済ませるつもりだった。車の中に獣を残したままなのが心配だったし、一刻も早く獣を連れ帰って、ヤンは自分が落ち着きたかった。リードをまず買おうと持って、目指す棚に行き、けれど引き綱はどれも首輪がないと端についた繋ぐための金具が使えないのだと気づいて、では首輪をどうするかと迷う。
あの獣をどうするのか、ヤンはまだ完全に決心はついておらず、たとえ数週間でも一緒にいるなら首輪くらいと思っても、それで情が移って安直にあの獣を飼うと決めるのも無責任だと、獣医のビュコックの言葉を思い出しながら考えた。
結局首輪は一旦置いて、とにかく獣の食べられるものをと、次はドッグフードの棚へ行き、これも袋の巨大さに驚いて、もっと量の少ない方を買うかどうか、ヤンは再びそこで迷った。
動物の世話をすると言うのは思った以上に手間が掛かるものだと初めて知って、自分を5歳までは育ててくれた母親と、その後を引き継いだ父親の、子育ての苦労へ生まれて初めて思い至る。
父親は自分を割りと放っておいた──実のところ、ヤンはそれには感謝している──と思っていたけれど、それでもきちんと食事をさせ、学校で問題にならない程度に躾をし、身綺麗に保って、ヤン自身が困らないようにあれこれ心を砕いていてくれたのだと、ドッグフードの棚の前で、天井近くを見上げながら、自分は両親が自分にそうしてくれたように、あの獣の世話ができるだろうかと、考えてつい唇の端が下がる。
ヤンが大学に行く心配まできちんとして、父親は確かに、ヤンがひとりになっても困らないようにしてくれたのだ。
不安ばかりがつのるけれど、ここまで関わってしまった獣を、今さら放り出す気にはなれず、ヤンは結局いちばん大きな袋──ヤンの体くらいあった──を肩に担ぎ上げ、ふらふらしながらレジまで行った。
野生の動物に構うなよと言う、あの警官たちの言葉は、獣医のビュコックのそれ同様、無責任なことをするなと言う、大人のたちの警告だったのだと今さら思い知って、自分が、歳よりやや幼いと自覚はあっても、その年頃特有に、大人ぶりたい気持ちは当然あるヤンも、さすがに自分以外の命をひとつ抱え込んで、その責任重大さを遅まきながら肩に掛かるドッグフードの袋の重さ以上に感じている。
トランクにドッグフードを放り込み、運転席に戻ると、獣がくうんと甘えた声でヤンの肩へ背中を乗せて来る。
「はいはい、家に帰ろう帰ろう。」
節をつけて歌うように言い、後ろに腕を伸ばして獣の鼻先を撫でてやる。乾いた黒い鼻が熱っぽく、行きよりは少し元気そうだけれど、やはりまだ具合は良くないままらしいのに、ヤンは少し眉を寄せた表情を作った。
家に着くと、獣は今度は飛ぶように車から出て、先にさっさと玄関のドアへ駆け寄る。地面に引きずる引き綱を、ヤンが掴む間さえ与えない。ヤンはまず獣を家の中に入れて、それからドッグフードの巨大な袋をよたよた運び込んだ。
後ろ足を少し引きずっているし、体も熱っぽいのだけれど、ヤンと一緒にいると獣は妙に機嫌が良く、早速ドッグフードを用意してやるヤンの足元へまとわりついて離れない。
大きなボウルを出し、ひとつにドッグフードを、ひとつには水をたっぷり満たして、ヤンはそれをキッチンの隅へ置いた。獣はしばらくヤンとボウルを交互に見て、食べていいのかどうかと迷う素振りを見せていて、
「いいよ、食べろよ。」
ヤンがそう言ってボウルを指差すと、やっと鼻先を突っ込んで、がふがふ音を立てながら、丸い、粒の大きなドックフードを噛み砕く。自分の指先よりずっと大きなその粒が、獣の口元で粉々になってゆくのを眺めて、噛まれたら自分の指なんか跡形もないなと、ヤンはちょっとだけ怖くなった。
まだ引きずったままの、妙に明るい色の引き綱は、食事の後にやっと取ってやり、代わりに朝顔型のカラーを首に付けて、獣がしきりに首をかしげてこれは何だとヤンを見つめて来るのに、
「傷が治るまで我慢してくれ。」
ヤンはあごを力いっぱい撫でて、獣の機嫌を取った。
空になったボウルは片付け、水は新しいのを入れ替えて同じ場所へ置き、それからヤンは、獣の場所を作ろうと、父親が使っていた部屋へ行き、すでに片付けられているベッドから、たたんで積み上げておいた毛布を1枚取って来る。4つ折りにしたそれをソファの前の床に敷いて、おいでと獣に声を掛けた。
カラーが邪魔らしく、しきりに前足でそれを引っかいていた獣は、ヤンに手招かれて傍へやって来ると、柔らかくてあたたかい感触を踏んで、慣れないそれに明らかに不審の表情を浮かべる。ヤンが抱きかかえるようにして無理矢理上に乗せると、やたらとヤンを何度も見つめて来てから、ようやく渋々と言う風にそこに寝そべった。
ヤンはしばらく、獣と一緒に毛布の上にいて、ずっと獣の頭を撫でていた。
「おまえ、心配してる仲間はいないのか。」
答えるはずもないのに、時折そんな風に話し掛けながら、どこかにいるかもしれない獣の、例えば母親や、子どもや、群れて一緒にいる姿を想像して、獣はいつかそこへ帰るのだとヤンは考えている。
ここにいるのは、傷が治るまでだ。傷が治れば、獣はきっと外の世界へ戻ってゆくのだろう。獣の気まぐれとヤンの気まぐれがたまたま一致して、今だけ獣はヤンに付き合い、ヤンは獣に付き合っている。
そう思うくせに、ヤンは獣につける首輪のことをぼんやり考えていて、色は何がいいだろか、外で目立つなら赤だろうかと、店で手に取ってみた首輪のことを思い出しているのだった。
獣は毛布の上に落ち着くと、何となくだるげに体を伸ばし、ヤンに撫でられるままあごを上向かせ、何度も何度も鼻を鳴らした。
ヤンが腹を触っても、足の先を触ってもされるまま、頭を持ち上げもしない。ヤンがもう、獣に噛みつかれたり引っかかれたりすることを思いもしないと同じに、獣もヤンが自分を傷つけるとは思いもせず、自分に触れるヤンの手へ気持ち良さげに時々灰褐色の目を細め、鋭い牙の間から長い舌を差し出して、ヤンの指先を舐めた。
相変わらず尖った鼻先は乾いていて、大きく立った耳も指先に熱い。明日には少しは熱が下がっているといいなと、ヤンはアンテナみたいなカラーの中に手を差し入れて、獣の耳をくすぐるようにいじった。
獣のことばかり考えていて、自分の夕食へは気が回らず、ヤンは缶詰のパスタを温めてそれだけで腹を満たし、紅茶を淹れた後はまたキッチンのテーブルでコンピューターに向き合って、打ち直しの作業に掛かる。モニターからちらちらと視線を獣に走らせ、その間に、獣が体の向きを変えてヤンが見える位置に頭を動かしたのに、ついうっかり微笑んでしまった。
獣は、ヤンがすぐ傍に来てくれないのが心細いのか、立ち上がってキッチンへやって来ると、坐っているヤンの膝へあごを乗せ、腹の方へ頭をすり寄せて来る。カラーが邪魔でヤンがよく見えないのが不満なのか、くうんと甘えた声を出し、ヤンの膝を前足で軽く引っかき始めた。
「おまえ、思ったより甘ったれだな。」
ヤンは呆れたように、けれど口元はゆるませて思わず言う。
見た目はいかにも恐ろしげで、犬と言われれば犬に見えるけれど、写真で見る狼の方に外見はより近い。胴回りの大きさも普通の犬の比ではなく、それなのに子犬のように自分にまとわりついて来るのに、ヤンはついキーボードを打つ手を止めて、獣の頭を撫でる方へ心が寄ってしまうのだった。
これでは作業ができないと、獣のあごの下から体を引きずり出すようにしてヤンはついに椅子から立ち上がると、ソファの前から毛布を取って来て、それを自分の椅子のすぐ傍へ敷いた。獣は今度はすぐに毛布の上へ上がると、再び椅子に坐ったヤンの足へ届く位置へカラーに包まれた頭を置き、前足はヤンの足に触れさせて、大きくはない声で、礼でも言うように一度吠えた。
「分かった分かった、一緒にいるから。」
そう言った自分の言葉が、ふと、今だけのことではなくて、これからずっとそうだと言う意味のように響いたことに、ヤンは胸がとどろくほど驚き、知らず呼吸を止めて、けれど静かにまたタイプの作業へ戻る。
「どうしたらいいんだろうな・・・。」
自分に向かってのように、あるいは足元にいる獣に向かってのように、ヤンはひとりごちて、今奇妙に浮き立っている自分の気持ちを現実に引き戻して、できるだけ冷静になろうとする。
おれに、おまえの世話なんかできるのかな。
自分の面倒すら、きちんと見ているとは言い難いと言うのに、別の生き物と一緒に暮らすと言うことが自分にできるのだろうかと、ヤンは頭の隅で考えている。
金も掛かる、時間も取られる。今日現実に、ほとんど空になってしまった銀行口座の中身を何とかする必要があったし、残りの夏を、どこかでアルバイトでもしようかと思って、そうすると獣に構う時間も、この打ち直しの作業の時間も取れなくなってしまうと、あれこれ先が見えずに考え続けた。
どうしようと思う気持ちと、何とかなるさと楽観する気持ちと、どちらも同じくらいの量でヤンの頭の中を満たし、そうやって気づけば、もう獣と一緒にいると決め込んでいる自分がいるのだった。
おれ、大丈夫かな。
獣のことに必死で、今日は半日ジェシカとラップの面影を追う暇もなかった自分の薄情さは、獣が自分の足に重ねた前足のぬくもりで消し飛ばされ、時々自分をちらりと見る獣の灰褐色の瞳へ、ヤンはそのたび微笑み返している。
深夜にならずに、ヤンは打ち直しの作業を切り上げ、コンピューターの電源を切った。獣のことで大騒ぎして疲れていたし、この様子では明日は家から出ないだろうから、それなら1日中作業をすればいいと思ったからだ。
ヤンが立ち上がると獣も体を起こし、ヤンがシャワーを浴びるために浴室へ行くと獣もついて来て、ヤンがドアを閉めるとシャワーの間中、ドアをずっと前足で引っかき続けていた。
ヤンの姿が見えないのが不安なのか、ヤンが自分の部屋に行こうとするとうろうろついて来る。さすがに最初の晩に同じベッドで寝る気にはならず、けれど部屋に入れなければ、ひと晩中ドアを引っかいてヤンを寝かせてくれないに違いなかった。
どうしようと考えてから、ヤンは結局ソファの前へ再び獣の毛布──もう父親の毛布ではない──を敷き直し、そこへ自分の枕と自分の毛布を持って来て、獣と一緒に寝ることにした。
自分は一体何をしているんだろうとヤンが思うのと同じに、獣も、そこに横たわるヤンを見て何をしているんだと見つめて来て、
「ここで寝るんだよ。おいで。」
自分の隣りを叩くと、獣は不思議そうに何度か首をかしげた後、ヤンがそこから動かないと理解してから、のそのそと寝そべって来る。
図々しいと言うべきなのか、ヤンの枕の端へ一緒に頭を乗せて来て、カラーの端がヤンの鼻先に当たるのも一向に介さず、
「ちょっと動いてくれよ。」
ヤンに押し返されて、獣はもぞもぞと体の位置をもうちょっと下へ下げた。
ふたり──1人と1頭──は寝やすい形に姿勢を定めて、ヤンの腹に獣の背が重なって、木の床は固くても、互いに触れた体は柔らかく、ヤンはこの形にラップを思い出して、思わず獣の体を自分の方へもっと近く抱き寄せた。
投げ出された獣の前足へ掌を滑らせて、ヤンは泥に汚れた爪の先の見えるそこを手の中にくるみ込むようにしながら、ラップと触れ合ったまま眠った、短い眠りのことを思い、人間のそれとはまったく違う獣の前足の形を、これはラップではないのだと自分に言い聞かせるように、指の先でそっとたどる。
くうんと、獣が鼻を鳴らした。
熱のある獣の体が熱く、ヤンは獣の、今は無防備な腹を毛並みに逆らって撫で、長い毛の下にある素肌を探ろうとする。指先からそれは遠く、ヤンは諦めてただ獣の腹へ掌を当て、自分へすっかり体を預けている獣の息の音を聞きながら、腹から手の位置をずらし、今度は抱けばぶ厚い胸に、心臓の音を探した。
とくとく、思ったよりも速いそれが掌に伝わって来る。
獣は生きている。生きようとしている。
人は簡単に消えてしまうんだ。そう言った自分の声を思い出して、それはどんな生き物もそうなのだと思いながら、ヤンは獣を抱いたまま、眠りの中へやるせなく落ちて行こうとした。