パラレルコプヤン。天涯孤独のヤン少年の異種同種恋愛譚。ヤンと獣。
* リアル獣姦展開含 *

変化たちの森 24

 「ワルター、お昼だよー。」
 ステンレスの深い皿に、ざらざらと固形のドッグフードを出して、いつもはその音を聞く前に、ヤンがキッチンへ向かった瞬間足元へ小走りにやって来るのに、今はどこにも姿がない。
 ヤンはドッグフードでいっぱいになった皿を、とりあえずワルターの食事の場へ置き、水も入れ替えて、ゆっくりと家の中をワルターを探しに出掛けた。
 そんなはずはないけれど、玄関のドアを開け、ポーチの辺りにいないかと、ワルターを呼ぶ。返事はない。真っ直ぐ裏庭へ出るドアへ行き、裏庭へ向かっても同じ声を掛けた。今日はいい天気だ。何の影も見当たらない。
 バスルームは、浴槽の中まで覗いたけれど空だった。元は父親の寝室だった部屋にもいない。ヤンは自分の部屋へ行き、ベッドの上へ寝そべっているワルターを予想していたけれど、そこも空だった。ベッドの下も一応覗く。ここにもいない。
 ヤンは起きてから、一応手ぐしで整えた──つもり──の髪をぐしゃぐしゃかき回して、裏庭へ続くドアから左へ入る、洗濯室へ行った。
 さっき放り込んだ洗濯物が、ぐるぐる回っている。洗濯機の前開きの扉は透明で、ワルターは床に体を伏せ、それをじっと、いかにも興味深そうに見守っている。中では、ワルターが使っている毛布の、小さいのが洗濯中だ。
 ここに入れられ、出て来る時には自分のお気に入りの匂いがすっかり消えてしまうのをワルターは知っていて、大事な毛布が洗剤入りの湯や乾燥のための熱風責めに遭うのを、心から悲しむように、ワルターは洗濯機や乾燥機が、毛布にそれ以上ひどいことをしないかどうか、見張っているつもりなのかもしれない。
 すぐ隣りに並んだ乾燥機には、手前に開く扉を開けたままにしておくと、夏は金属張りの内側が涼しいのか、時々入り込んでくつろいでいることもある。機械が傷むからやめろとヤンが何度言っても、これだけは言うことを聞かない。
 「ワルター、ゴハンだよ。」
 ヤンを肩越しに振り向いて、言葉には魅かれても、毛布をひとり残して行くのが忍びないらしい。ワルターはそこから動く気配を見せず、ヤンは結局、さっき出したドッグフードの皿を、洗濯室まで運んでやる羽目になった。
 そうして、ヤンも自分のラップトップと紅茶を持って来て、ワルターが洗濯物を見つめるのに付き合う午後になる。
 ぱちぱち薄いキーボードを叩き、うまく言葉が出なくなると隣りで自分の膝に寄り掛かっているワルターを撫で、時々は自分のすでに打ったものを読み上げて、どう思う、とワルターと見つめ合う。ワルターは分からなくて、うまくアドバイスできなくて申し訳ない、と言う風に、悲しげにくうんと鳴く。
 洗濯機が止まり、ブザーが鳴ると、ヤンは中身を隣りの乾燥機へ移した。
 「もうすぐ終わるから。」
 濡れた洗濯物へ鼻先を突っ込み、毛布を奪って行こうとするワルターを制しながら、ヤンは乾燥の時間を1時間にして、またワルターと一緒に床に坐り込む。
 乾燥機は扉が透明ではないから中は見えず、ごうごうとけっこうな音を立てて動いて、近くに寄り過ぎると、中の熱風の熱さが汗をかきそうなほど伝わって来る。
 中の様子が分からずに、くうんと不安げにワルターが鳴く。大丈夫だよと、ヤンが頭を撫でる。
 ワルターと暮らし始めて、もう2年が経ってしまった。再びワクチンを打ち、少しくたびれた首輪を新調し、ワルターはもうあの森へ帰ることなど考えもしないように、玄関や裏のドアを開けっ放しにしておいても、ヤンと一緒でなければ外に出ようともしない。
 長距離でなければ、ヤンと車で出掛けるのにも慣れ、今はアッテンボローも免許を取っていて、ふたりと1頭で一緒に出掛けることもあった。
 高校は無事に卒業したけれど、ヤンは大学へ行く気はなく、アッテンボローの両親は少し驚いて、弁護士のキャゼルヌはもっと驚いて、他にすることもないなら別に大学くらいと、揃って同じことを言ったけれど、ヤンは何となくで大学に行く気にならず、ぎりぎりの成績でぼんやり過ごすくらいなら、すっぱり家にいることにすると、この時初めて、自分がずっとして来た書き物のことを彼らに打ち明けた。
 アッテンボローのおかげで、少額ではあったけれど定期的な収入にはなっていたし、それは確実に増えていたから、それに専念したいと、常にない真剣さで、ヤンは自分の先行きを心配する大人たちへ告げた。
 大人たちにすれば、ヤンの計画には不安しかなく、明日どうなるか分からないそんな当てにならない方法でと、当然反論したけれど、当のヤンはそれ以外もう何もしたくないと頑なに、家族ではない他人──もう、大人ではあるし──に、何を言っても無駄と悟ったのか、数度の話し合いで彼らはヤンに口出しするのを諦めた。
 「まあ、大学なんて、行きたいと思った時にいつでも行けるしな。」
 キャゼルヌは自分に言い聞かせるようにつぶやいた後で、
 「学費分はまだ好きにはさせんぞ。親父さんの言い分は、大学を卒業したら自由にさせろ、だったからな。」
 厳しい顔で念を押すことは忘れない。ヤンは反論せず、素直にうなずいた。
 ヤンが大学に行かないと言った時に、いちばん驚いたのはアッテンボローで、
 「え、そんな、もったいない。」
 そばかすが見えなくなるほど顔を赤くして、反対者の中でいちばん強固にヤンを説得しようと試みて来た。ヤンが一度言い出したことは滅多と翻さないと、いちばんよく知っているくせに。
 「おれが書くのに集中した方が、おまえだっていいんじゃないのか。」
 どうやら図星だったのか、アッテンボローはそれきり黙り込んだ。
 まるでそれが当然と言うように、ヤンは卒業のプロムには最初から参加する気もなく、アッテンボローの両親はそれをひどく不憫がってくれたけれど、一緒に行ってくれる女の子のパートナーに心当たりがないとか、そのせいで参加できないのが格好悪いとか、ヤンに限ってそんなことにはまったく頓着もなく、いつものように、面倒くさいと言うひと言でその件は終わりになった。
 アッテンボローは、ヤン先輩らしいなあと苦笑いして、オレは来年は女の子連れで参加したいですけどねと、決意表明のように薄い胸を張った。
 プロムの夜、ヤンは玄関のポーチで紅茶を手に、ワルターを隣りに、月の空を見上げて、送るように、ジェシカとラップのことを思った。
 淋しさや悲しみは相変わらずそこにとどまったまま、けれどもう泣きたい気持ちにはならずに、今では間違いなく自分の正しいつがいであるワルターの頭を撫でながら、ふたりは今いるところで一緒に幸せだろうかとまた考える。
 自分がワルターとともに、穏やかな時間を過ごしているように、ふたりも安らかに、どこかでお互いだけを見つめているだろうかと、ヤンは考えていた。
 ふたりの間に、もう自分の入る余地はないのだろうと思っても、それを切ないとは感じずに、自分を過不足なく満たしてくれるワルターへ、ヤンは感謝の意味で口づけた。
 それを誘いと思ったのか、ワルターがヤンの肩へ伸び上がって来て、ヤンをそこへ押し倒す。シャツの下へ前足を差し込んで来るのを笑って止めながら、
 「ここじゃダメだよ、ワルター。」
 それでも、自分の上にワルターを抱き寄せて、ヤンはそれから、その灰褐色の瞳を近々と見つめた。
 「おまえと一緒に行けるんだったら、行っても良かったかもなあ。」
 今夜きらきらしく着飾った、プロムの生徒たちのことを想像して、ヤンはぼそりとつぶやく。
 ネットで見掛けた、この街の今朝の新聞で、同性の恋人と一緒にプロムに参加する生徒のことが記事になっていた。
 その生徒のことを直接は知らないけれど、校内でも彼のことはもう冬の頃から噂になっていて、数年前の卒業生のその恋人を、異性同士の組み合わせが当然のプロムに参加させるために、彼が両親や代議士や、同性愛者たちの団体を巻き込んで、学校側の説得に奔走していると言う話は、ヤンの耳にも届いていた。
 校内の生徒たちは、半数は同性同士の参加も構わないと言い、後の半数の半分は無回答、残りの半分はとんでもないと言う態度を示した。めんどくさがりのヤンは──アッテンボローにも──何も言わなかったけれど、好きな人と一緒に参加するのが、何が悪いんだろうと思っていた。
 ヤンはもちろん、その生徒の話を聞いた時に即座にラップのことを思い出し、ラップが生きていて、自分が頼んだら、ラップは自分のパートナーとして一緒にプロムに参加してくれただろうかと考えた。
 ヤンの中のラップはもちろんと即答したけれど、現実はどうだったろう。ジェシカは嫌がらなかったろうか。あるいはいっそ、3人で参加したって良かったかもしれない。
 あるいは、と、またワルターを見つめて思う。数年後には、誰かが、人間ではないパートナーを連れてプロムに参加したいと言い出すかもしれない。
 好きになる相手が、異性とは限らず、人間とは限らず、つがいだろうと恋人同士だろうと、好きになって一緒にいられるならそれでいいじゃないかと、ヤンはまた、先に行ったジェシカとラップのことを思う。
 一緒にいられるなら、それでいいじゃないか。
 ヤンはまたワルターに口づけ、それから、ワルターの長い耳を噛んだ。きゅんとワルターが小さく吠えたのに、ごめんと慌てて放し、体を起こして紅茶のカップを取り上げる。
 「中に入ろう。」
 ドアを開け、閉め、夏の始まりの、すでに湿ってかすかに重い空気をそこで断ち切り、プロムのダンスの代わりに、ヤンはワルターと交尾した。
 もう、自分を舐めるたびにワルターの首輪につけた名札の金属片が、皮膚に冷たく触れるのにも、ワルターが舐めるせいで全身がべたべたになるのにも、終わった後にはベッドだけではなく、自分もワルターの毛まみれになるのにも、ワルターに耳を舐められた途端勃起が始まるのも、自分の勃起に、ワルターの後ろ足の肉球を直に添えて射精するのも、何もかもにすっかり馴れてしまっている。
 コンドームを着ける前に、ワルターの勃起へ唇と舌を滑らせて、ワルターが悦ぶやり方も覚えてしまった。
 必ずではなくても、ワルターが中へ入ると、その先端がヤンのどこかへ触れて、耐え切れない声が漏れることがある。そこへ、当てずっぽうに見当をつけて自分で動くこともあった。
 ワルターとの交尾に、痛みは相変わらずつきものだったけれど、ヤンがむやみに痛がればそれはワルターにも言葉ではなくても伝わるのか、じっと動きを止めて、ヤンの声が治まるのを待つこともした。
 少し無理をして、正面から抱き合って、ワルターに合わせて始終腰を浮かせているその姿勢にひどく疲れても、ヤンは自分の腹を汚した自分の精液に、コンドームにたまったワルターの精液を注いで混ぜ、色は似ていても何となく質感の違うそれに自分の指をひたして、これが受精ではないことを何となく残念に思った。
 メスが生んだ卵に、オスが精液を掛けると言う魚の生殖のやり方に、漠然と心魅かれて、四つ足ではない生きものの、まったく違うその方法を、ヤンは混ぜた精液の感触に思い出していた。
 アッテンボローの家族、キャゼルヌの家族、ラップの家族、ジェシカの家族、ふたりから始まって、増えて行くその人数。
 ヤンとワルターはつがいで、家族だけれど、これ以上誰かが増えることはない。それを淋しいとか切ないとか、そんな風には思わないでも、こうして精液を混ぜたところで何も起こらないと言うのが、ヤンにはほんの少しだけ物足りない気がした。
 たとえ、ヤンかワルターのどちらかが雌だったとしても、異種の間では生殖はないと言うことに、なぜかヤンは思い至らず、自分の子どもは想像もしないくせに、ワルターの仔なら何となく欲しい気になる、それは明らかに、まだ様々想像力の足りないヤンの幼さだった。
 まあいいや。いつものめんどくさがりで、深くは考えずに、ヤンはそこでストップを掛け、体を洗うためにベッドから体を起こす。
 体から垂れ落ちる精液を掌で受け止めて、わざとべたべたに自分の手を汚して、ああ自分たちはつがいなのだと、ヤンは改めて思う。
 ワルターのことを、誰にも言えなくても、プロムに一緒に行けなくても、誰に認めてもらう必要もなく、このひとりと1頭は間違いなく深く結ばれている。その証拠のような、自分の腹と掌を見下ろして、ヤンは淡くワルターに笑い掛けた。
 乾燥機が、仕事が終わったと、けたたましくブザーを鳴らす。ヤンはキーボードを打つ手は止めずに、ぼんやりとふけっていた物思いから急に引き戻され、急いで立ち上がって乾燥機の扉を開ける。真っ先にワルターの毛布を取り出して、ワルターへ放ってやった。
 ワルターはそれを器用に口で受け止め、ヤンを待たずに、前足の間に引きずるようにしながら居間へ戻ってゆく。
 ヤンは残りの衣類を取り出して、とりあえず寝室に運んでから、たたんで片付けるのは後にして、毛布をさらって行ったワルターの後を追った。
 ワルターは床に毛布を広げ、その上でごろごろ体を転がして匂いを元通りにしながら、ヤンの姿が見えると、奪われまいとまた口で掴んで逃げる姿勢を取る。
 「取らないよ。」
 どうせ後で、ヤンにもそこに寝転べと言い出すのだ。自分のだけではなく、ヤンの匂いもつけ直すために。
 洗濯室に置いたままの、ワルターの皿や自分のラップトップを片付けに行くために、背中を回そうとして、ヤンは体の動きを止めた。
 再び毛布の上に寝そべり、ごしごしあごの辺りをこすりつけているワルターへ向かって、ヤンは少し声を張って、そしてごく自然に微笑んで、ゆっくりと言った。
 「大好きだよ、ワルター。」
 聞き慣れないヤンの声音に、ワルターが首を傾げる。もう一度言うのはやめて、ヤンは微笑みはそのまま、くるりと肩を回した。

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