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* 感想いただいて、調子に乗った蛇足。

* 閲覧注意 *
☆ R18

☆ 軽微に首絞め

戯れ (蛇足)

 ただ冷たい水で髪まで濡らして、それを一切拭いもせずに、ウォッカムは開いたままにしておいたドアを通り抜けた。
 品の良い、灰色にひと色寄ったベージュの絨毯の上を、普段よりもずっと大きな歩幅で進み、荒々しい足音の下へ、脱ぎ捨てたローブを踏みしだいて、切り裂いたように吊り上がった眦の、自分の表情は今出て来たバスルームの鏡の中に確かめもしなかった。
 来たままに戻る。再び入った寝室は出て来た時のまま、放り出されたキリコが、自分を解放しに来てくれた誰かかと、物憂げに気配のした方へ頭を持ち上げた。そうして、視線の先に全裸に水を滴らせたウォッカムを見つけて、寄った眉の間に訝しげな色を浮かべ、酔いの残る瞳の端にだけ、取り戻した意識の鋭さがよぎって行った。
 ウォッカムはほとんど小走りにベッドへ近づくと、唯一自由な左足を胸元へ引き寄せるようにして横たわっていたキリコの髪を掴み、ぐいと顔だけ持ち上げた。
 「──気が変わった。」
 短く言い捨てて、改めてキリコの体を乱れたシーツの上に投げ出し、仰向けのその上に自分の体を乗せてゆく。
 手足の先は背中にまとめられたまま、そうしてウォッカムが体の重みを掛ければ、押し潰されてひどく痛む。残った酔いが意識をまとめることを許さず、キリコは苦痛の声を隠しもせず、そこも革の輪に締められている首を大きくのけ反らせる。
 ウォッカムはキリコの左足の膝裏を乱暴に持ち上げ、ほとんど首に届きそうな胸元近くへ向かって押した。折り畳まれ、無理に引き伸ばされ、不自然な方向へねじれる体が、赤さと青白さに彩られるのを、眼下に、陰湿な愉快さをたたえて、じっと眺めた。
 散々アルコールを塗りつけられた躯は、押し開く努力もさして求めずに、指先よりはそれでも抵抗を示して、ウォッカムを受け入れた。
 翻弄して、引きずり落とす手管など、ウォッカムはまったく見せるつもりもなく──怒りが、実はそれを忘れさせていた──、ただ乱暴に押し入って、ぞんざいな出入りと摩擦を繰り返す。
 酔いの熱さの残る内側は、キリコの意思は置き去りにして、ウォッカムに合わせて勝手にうねるけれど、それでも拒むと言う気持ちはきちんと伝わるものか、次第に反応は間遠になって、ウォッカムの一人相撲の体を見せ始めていた。
 味も素っ気もない、まさしくただの強姦になり果てて、こんなはずではなかったと、キリコの中で力を失いつつある自分に気づいて、背筋を再び這い上がって来る冷たい怒りが、ウォッカムの脳をさらに強く染め、それが躯へ同じ順路で戻って来ると、もう劣情でも何でもないただのどろりと熱いだけの塊まりが下腹へ再び宿る。
 ただの摩擦。ただの挿入と抽送。愉しみは失せ、苦痛すらなく、躯がふたつ、そのような形に繋がれていると言うだけの、何も意味もない動きと形。
 キリコを攻撃する意味合いすら喪失してしまっているとは気づかず、ウォッカムは自分のそれが力を保っていることだけに頼って、キリコを犯し続けている。
 ウォッカムの下で、キリコは死体のようだった。視線の行方は分からず、揺すられる全身に力はなく、ウォッカムに殺されたからではなく、ただそうあることを自分で選んで、キリコは今ウォッカムの下で死んでいた。
 死なないからこそキリコを玩ぶ気になったウォッカムへ、これが強烈な皮肉になると、自覚があってのことかどうか、無反応になった自分を、死体同然の自分を、縛ったまま犯すウォッカムへ、キリコは一度だけ、うっそりと瞳を動かして無表情な視線を投げた。
 ウォッカムは、ぎりっと奥歯を噛み、唇の端で、くそっと普段絶対に口にしない罵りを吐き出した。同時に、指の長い手を伸ばしてキリコの首を覆い、それから、紙1枚入る余裕もなさそうな首輪の内側へ、強引に指先を差し入れようとする。
 整えられた爪の先がキリコの皮膚を裂いて削り取るのにも構わず、ウォッカムは無理矢理に差し込んだ指先で、首輪を横ざまに引き、キリコの首を絞めに掛かった。
 キリコの瞳から、白っぽい幕が瞬時に消え失せ、狭まった瞳孔がすぐに大きく開く。躯の内側の苦痛は感じないとしても、気道の締まる苦痛には、さすがに体が素早く反応する。
 喉が締まると、躯も反応を変え、ようやくウォッカムの望む通りに、キリコの粘膜が熱を上げて引き絞るような動きを伝えて来た。
 取り込める量の減った酸素を求めて、胸の辺りが大きく喘ぎ、肺を動かすためにみぞおちが激しく上下している。もがいて、背中の下の細い鎖の束が、触れ合ってかじゃらじゃらと音を立てている。
 求めていた光景をようやく眼下に眺めて、ウォッカムは満足げな、恐ろしく歪んだ笑みで、薄い唇をねじ曲げた。
 まだ濡れた髪に残る水滴が、時々キリコの体の上に落ちる。落ちてじき乾いて、後には何も残さない。その眺めが、まさしく今の自分を表していることを、ウォッカムはするりと見逃していた。
 キリコに繋がる感覚以外は遮断されてしまっている。切れ者と評判の情報次官は、怒りに我を忘れて、キリコを殺し掛ける──死にはしない。死ぬはずがない──愚を犯しながら、どこにもたどり着かない無意味な攻撃を、キリコへ向かって叩きつけ続けている。
 いつもは一分の隙もなく後ろへ撫でつけている髪が、今はばらばらと額を覆って揺れ、それ越しに半死で喘ぐキリコを眺め、自分の姿がどれほど取り乱したそれか、ウォッカムは愚鈍のように気づかない。
 時々、まるで優しさのように、首輪に掛けた指先の力をゆるめ、キリコへ呼吸を許してやり、そうしてキリコを犯す動きは続けながら、ふと一瞬、憑き物の落ちたようにペールゼンの涼やかな口調を思い出す。
 キリコを語る時の、押し隠した熱のそれでも過ぎるほどこもる、あのどこか楽しげな、あの男の口調。選ぶ語彙は学者らしく冷静で無味乾燥なくせに、声音はまるで少年のように、浮かれてさえいるように感じさせる、ペールゼンの口調。
 同じ声でキリコと呼ぶ。自分のものだと言いたげに、声の底に、恐ろしいほど深い、あれは愛情なのか単なる興味なのか、そんなものをたたえて、ペールゼンがキリコと呼ぶ。
 あんな声で、誰かに名を呼ばれたことはない。呼んだこともない。呼ぼうとも呼びたいとも、思ったことはない。
 そしてキリコが、ペールゼンをヨランと呼んだ。元帥にと望まれさえした男を、恐れも知らずにファーストネームで親しげに呼べるこの下級の兵士を、それでも今踏みにじって犯しているのはこのウォッカムだ。
 ペールゼンも、同じようにキリコを抱いたろう。そうして互いに、あの声で互いを呼び合ったろう。
 それはもう叶わない。ウォッカムがそうはさせないからだ。何もかも、自分の意のままだ。ウォッカムは強く自分の中で思った。
 ペールゼンは死ぬだろう。ウォッカムが手を下すかどうかはともかく、ペールゼンはもう長くはない。そして残されたキリコは、どれほど傷ついても死ぬことはなく、兵士として使い捨てにされながら生き続けるだろう。
 何もかも、自分がそう導いたのだ。そう言い聞かせながら、ウォッカムはキリコの首から手を離し、再びキリコの呼吸を甦らせて、キリコが自分の思うまま反応するのにようやく満足すると、ふと両腕で抱きしめてやろうかと、そんな感傷めいた気分すら味わった。
 もちろんそうはせず、そんな気持ちの湧いた自分の余裕にいつもの冷笑を口元に刷き、二度とまともな姿では会えないだろう想い人たちの哀しさに、憐憫の情を冗談のように胸の中で弄びながら、自分を追って来ようとしたキリコの躯から、そのタイミングを見計らったようにするりと全身を外して、押さえていたキリコの左足をシーツの上に投げ出した。
 そのキリコの爪先が、ウォッカムが放っておいたシャンペングラスに辺り、突然勢いを得たそれはころころと転がって、鈍い音を立てて床に落ちる。
 柔らかな絨毯の上で、割れもせずに転がり続けるそれに、死ぬことのないキリコの運命を見て、だがペールゼンはどうかなと、ウォッカムは意地悪く考えた。
 一切触れられもせず、果てもしないままただ萎え切ったキリコのそれを、ウォッカムは鼻先で笑ってベッドを降りる。
 キリコに背を向けて、今度こそ振り返るつもりもなく歩き出すと、ふと突然、キリコが死なないと言うのはペールゼンの願望なのではないかと、埒もない考えにとらわれた。異能生存体とは、その死によってキリコを喪うことに耐えられないペールゼンの、逃避によって生み出された馬鹿げた考えなのではないか。
 足を止め、ベッドの上に無様に転がるキリコをちらりと見て、この兵士が生き延びて来たのは、単なるペールゼンのお膳立ての結果だったのかもしれないと、案外それが異能生存体とやらの真実ではないかと、一瞬にせよウォッカムは真剣に考えすらした。
 様々に凝らした、ペールゼン失墜のための策謀と、そのペールゼンをより絶望させるために拾い上げたこの薄汚い兵士への責め苦と、それらがすべて無駄だったのかもしれないと言う、痛みにも似た考えがちらりと胸をよぎる。そしてすぐに、そんなはずはないと、ウォッカムはかすかに頭を振った。
 情報次官フェドク・ウォッカムに、失敗や間違いがあるはずがなかった。キリコから屈服を引き出したのがその証拠だ。その正しさをより強めるためには、やはりペールゼンの死が必要だと、ウォッカムは再び考える。
 おまえの望む通り、おまえを先に殺してやろう、ヨラン・ペールゼン。キリコは、永遠におまえの後は追えはしまいが──。
 ペールゼンのその首に、自分の手を掛ける感触を想像すらせずに、ウォッカムは冷笑を唇に浮かべてその場を立ち去る。
 苦しげな呼吸の合間に、ヨランとつぶやいたキリコの声は、ウォッカムの背中には届かなかった。

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