藤川一男×冴島はるか
![]() 「本当に医者ですか?もっと期待に応えられるように努力してください」 同年代の看護師にあれだけ言われれば さすがの彼も少しは、現状を認識してくれると思っていた。 いったい彼は一人だけヘリに乗せてもらえないという現状をどう感じているのだろう? もちろん今日もヘリにのれないので、私と入院患者のフォローだ。 「冴島さんはヘリ初めて乗るときどうだったの?」 正直言うと緊張していて覚えていないのだが… 「先生は初めて呼吸をしたときのことを覚えていますか?」 「え???」 「私にとってヘリに乗るということは、そういうことなんです。」 一事か万事こういう調子だ。 はっきり言って彼との相性は悪いと思っている。 黒田先生と 「おはようございます」「お疲れ様です」以外の会話をする所から まずは始めてみたらどうですか? 私はこう吐き捨てると白石先生が呼びに来た。 どうやら来客のようだ…。 妙だ。私に来客なんていったい誰だろう? 胸騒ぎがする。 「私にお客さんですか?」 念のため、白石先生に確認する。 「うん、なんか車椅子に乗った男の人とお母さん?みたいだったよ。」 職場にまで会いに来るなんて、いったい何を考えているんだろうか いや、私のほうが迂闊だったのか。 看護師であるということもあり、家族にも職場のことは話していなかったのだから。 「冴島さんどうしたの?顔色悪いよ?」 白石先生が心配そうに顔を覗き込む 「もしかして彼氏?熱いねぇ。」 「違うよ、藤川君、冴島さんの彼氏は半年前に…」 全くこの人は勘がいいのか・悪いのか。 藤川先生の目は興味津々といった様子だ。 確かに苦手な看護師に車椅子で男が訪ねてきたと聞けば、興味を持つなと言うほうが難しいかもしれない。 (こんなとき藍沢先生なら仕事中だぞ。で済むんだけどねぇ) この熱心さと好奇心が1%でも医学のほうにむけば、 少しは医者らしくなるような気がするのだが今はいうまい。 「私ちょっと行ってきます。藤川先生、ちょっとコーヒーでも飲んでてください」 白石先生の言葉を遮ると私は走り出した。 「ごゆっくり、どーぞ」 藤川先生の声が廊下にこだました。 「藤川君やめようよー」 「白石だって冴島にはこっぴどくやられてんだろ?」 「そうだけどさぁ、こういうの良くないよ」 「ここで冴島の弱みでも握っておけば、少しはしおらしくなるかもしれないじゃないか」 「だけどさぁ・・・」 「大丈夫だよ。コーヒーを飲んでろって言ったのは、他ならぬ冴島だぜ? どこでとは言われてないしな。」 自動販売機からコーヒーを取りながら、藤川がニヤリと笑う。 「でも冴島さんにばれたら、本気で怒ると思うよ?本性出してくるよ?」 白石はどうやら以前の手術室での冴島の変貌ぶりがトラウマになっているようである。 「大丈夫だっていざとなれば、看護師とドクターとは綿密な信頼関係を気付かなければならない。 その第一歩がお互いを知ることだって黒田に言われたことにするから。 あの二人そんなに接点無いからまず大丈夫だ」 「藤川君ってさぁ…。あ・あれじゃない?」 「一応隠れとくか」 白石が何かを言おうとしたが、冴島の姿が見えたので視線をうつした。 一階の待合室では昼時にも関わらず、外来患者がごった返している。 (白石先生の話では確かこの辺にいるはずなんだけど…) 車椅子の患者は数が少ないのですぐわかるのだが… あまり近づくと気がつかれてしまうため、遠くから相手を探しているのだ。 (いた、あれだ。) 相手に気がつかれないよう柱の影から注意深く彼を確認する。 母親お手製のペットボトルで水をもらっているところを見るとため息が出る。 (やっぱり会うのはよそう) ちょうど良いところで、急患の知らせが携帯電話に入ってきた。 (急患が入ったんだから仕方がないよね。) そう自分に言い聞かせるように走り出した。 「おいおい聞いたか?冴島の彼氏がきてるみたいだぞ」 「へぇぇそうなんだ?」 「さっき白石と歩いてたら見かけたんだが、なんか車椅子に乗ってたぞ」 (こうやってこの男は話を広めるのね。) 以前ちょっとした嘘をついてヘリに乗ったことが、 何故か初対面の入院患者にまで伝わっていたことを彼女は思い出していた。 そのうち資料をポケットに沢山入れた白石をカンガルー呼ばわりしたこともどこからか聞きつけ、 患者にドクターカンガルーと冷やかされる白石の姿が今から目に浮かぶ。 「噂好きな男って最低〜」 その熱心さを医療に向ければ、天敵黒田もヘリに乗せるはずなのだが… 「お前ら他に話すことないのか?」 緋山はどちらかというと、こういう話題には興味がある方だがこの男は違った。 藍沢はコップを乱暴に置くとこちらを睨みつけている。 藤川はばつ悪そうにサラダを口に含む。 (藍沢のいうことは最もだけど気になるんだよなぁ。 緋山の言うとおりにしてはあまり元気なさそうだ。何かあったんだろうか?) 視線の先には一人窓際の席に陣取り、浮かない顔で食事をしている彼女の姿があった。 (こういう日に限ってヘリ担当じゃないのよね。) 結局彼とは会うことはできなかった。 いや、出来なかったのではない、会わなかったのだ。 後から待合所を見渡すと、そこにはもう彼の姿は無かった。 (諦めて帰ってくれたなら良いのだけど…) 「冴島さん?冴島さん?おーい」 「あ・すみません。何でしたっけ?」 「食事の相談だよ。さっきサラダ食べてて思ったんだけど、 藍沢のお婆さんの食事を思い切って四つ切にしてみたらどうだろう? 箸でつつき易いかもしれないじゃないか。」 私にはヘリナースとしての仕事がある。 彼の世話だけをすることはできない。 「冴島さんさっきから聞いてる?」 「え…ええ」 先程から藤川先生が珍しく医者らしい発言をしていることは分かっているのだが、 私の頭の中は彼のことで頭が一杯だった。 「さっきの男の人、本当に彼氏だったの?」 「そうですよ。私にも彼氏の一人や二人います。藤川先生と一緒にしないでください」 「冴島さんモテそうだもんね。」 思わずペンが止まる。 正直藤川先生がここまで興味津津だとは思わなかった。 前にお母さんが来たときにも感じたのだが、 私にどうして欲しいのだろうか? 「私の彼はALSです。次の質問はどうして病院に来たのかですか? 最近会っていないからです。こんなもんで良いですか?」 「…」 まさかALSを知らないなんてことは無いわよね? 一応医者ですよね? 「はい、藤川です。オペ室?分りました。」 「急患ですか?」 「病院の階段から車いすで転落だって、まったくひどい話だよ。行こう」 半年前にもこんなことがあったような気がする。 どうか別人で会ってほしい。 「遅くなりました。!!」 処置室に入り患者の顔を見て愕然とした。 「どうした?知り合いか?」 黒田先生が治療を続けながら私のほうを見る。 「はい。名前は・・・」 私に視線が集まるのがわかる。 小生意気な看護師の彼氏が病院の階段から転落?痴話喧嘩でもしたのか? 特に女性看護師の視線が突き刺さる。 居たたまれなくなった私が輸血パックに手を伸ばすと、突然自動ドアが開いた。 「ちょっと目を離しただけなの。助けて」 彼の母親だ。 「だれか外に出してくれ」 「お母さん大丈夫です。処置をしています」 「はるかちゃん大丈夫かい?ちょっと目を離しただけなの。」 「外でお待ちください」 私は彼女を処置室の外の椅子に座らせ彼の容体を説明した。 「何で貴方がその事を?」 私は思わず目を丸くした。 初対面の患者が私の失態をなぜか知っているのだ。 前にもこんなことがあった。 卵巣のう腫茎捻転を発症した弁護士・若杉さんのときだ。 この患者もあの時と同じで入院して間もない。 救急センターの人間との接点はそんなにないはずだ。 そもそも私の失態を知っているのは、ごく一部の人間しかいないはず… 気の強いフライトナースか? いや、彼女はそういうタイプではない。 特に親しいわけではないが、職務を淡々とこなすタイプで 世間話をするにしてもそういう患者さんを不安にさせるような話はしないはずだ。 とするとドクターの中に犯人が… シニアドクターはまず除外するとして、 考えられるのは同期3人のうちのだれかだ。 藍沢か? いや、アイツはそういう患者との世間話なんてしないはずだ。 救命救急センター苦情ランキング連続タイトルホルダーの実力はだてじゃない。 愛想がなさすぎる。機械的。気持ちがこもっていない。等など苦情は様々だ。 まぁ本人は外科医は腕がすべてだと公言しているからさほど気にしていないのだろうけど。 「今日は天気がいいですね。」 なんてアイツから笑顔で患者さんに話しかけたなんて珍事が起きた日には、 黒田先生はハンカチを用意し、看護師陣はケーキを用意することだろう。 天気は無論雪だ。 あの優等生か? う〜ん。彼女とは同性ということもあり良い関係を築いてきたつもりだ。 無論性格的な物でどうしても喧嘩になってしまうこともあるが、 第三者を通じてお互いを乏しめるような回りくどいマネはしないと思う。 彼女の思考回路はそういう気の利いた事はできないようになっている気がする。 とすると残る容疑者は一人だ。 腕も頭も大したことない癖に、 寝ていながら患者の心を治したり髄膜炎を見抜いたりと意外性NO1なアイツ。 他の同期が無口だったり、優等生的な発言を連発するので 多分ドクターの中では一番話しているかもしれない。 私は乱暴に医局のドアを開ける。 「ねぇ、藤川知らない?」 「藤川君なら今さっき冴島さんと一般病棟に行ったよ。」 ドーナツを口に頬張りながら白石がホワイトボードを指さす。 「食べる?美味しいよ。」 「ちょっと用事があるから後にするね。」 あのお調子者逃げたな。 「藤川君どうかしたの?」 「ん…ちょっとね。」 「今出たばかりだから急ぎだと追いかけたほうが早いかもね。」 今日のヘリ担当は藍沢か… 私も早く常時ヘリに乗れるようになりたいなぁ 「それにしても冴島さんの彼氏さん、怪我が大したことなくて良かったな」 午後一番の騒ぎを彼が思い出したように振り返る。 「そんなことより、藤川先生良かったんですか?さっきの患者さんにあんな話して」 「そんなことって一応彼氏なんだろ?相変わらず冷たいなぁ。 医者は傷を治すだけでなく、患者の心もケアするのも仕事なのだよ。はるか君」 「何か今日はご機嫌ですね?心のケアが大事なのはわかりましたけど、 緋山先生の失敗を話すのは何故なんですかね?看護学校では習いませんでしたので 今後のためにも教えておいていただきたいですね。」 「心を掴むにはまずは笑い話からというわけだよ。はるか君もまだまだだねぇ」 この人には嫌味が通用しない。 だから私も思い切って話せる。看護学校にもこういうタイプは居なかったので少し新鮮である。 「あの〜どさくさに紛れて名前呼ぶのやめて貰えません?」 「彼氏さんは冴島さんのことなんて呼んでるの?」 「もうその話はやめてください!!」 私の声が大きかったからか彼の顔色がサッと変わる。 「でも良いんですか?緋山先生怒るんじゃないですか。 人の失敗を笑い話にするってあんまり良い趣味じゃないですよ?」 「藍沢だとなんか人間味が出るだけだし、白石だと泣きそうなんだもんなぁ」 どうやら彼の頭の中には、自分の体験談を話すということはないらしい。 「藤川先生の失敗を話したらどうですか?」 「俺の失敗?そんな面白いのあったかなぁ?」 「除細動に通電する医者なんて初めてみましたよ。 テレビドラマみたいな貴重な体験をありがとうございました。」 私が澄ました顔で皮肉ると流石の彼も苦笑いを浮かべた。 「やっぱりあれで黒田に嫌われたのかなぁ?」 「その前のブラジャーをつけてCT撮るって言い出したときからじゃないですか?」 「え?そんな前からなの?」 「さぁ?」 私が両手を上げる 「まぁそれはともかく、緋山の話なら大丈夫だ。俺とアイツの仲だ笑って許してくれる」 (とても笑ってるようには見えませんけどねぇ〜) 私の視線の先にはエレベーターから出てくる緋山先生の姿があった。 不幸にも彼はまだ気が付いていないようだ。 勝気な彼女のことだからヘリに乗れない欝憤と書類整理のストレスをも合わせて彼で発散しようとしているのだろう。 入院患者が避ける様は、まるでモーゼの十戒のようである。 「お疲れ様です。」 「え・あ・おつかれ」 不意に挨拶されたのに驚いたのか彼女の挨拶が少し遅れた。 「今日もヘリ担当じゃないんですね。」 今更な事をあえて言うあたり、私もかなり性格が悪いのかもしれない。 「ええ…藍沢先生に譲ったの」 「現場でフリーズしちゃったら燃料費もばかにならないこのご時世、勿体ないですもんねぇ。」 「そうねぇ、医者一家で優秀な冴島さんと違ってそういうこともたまにはあるわ」 「緋山どうしたんだよ?冴島さんもどうしたの?二人とも何かあったの?」 彼はオロオロしながら私と彼女の顔を見ている。 「ところで緋山先生こんなところで何してるんですか?」 「え・ああ・・・藤川先生が患者さんと打ち解けてるみたいだから秘訣を聞きにね。」 「失敗話をすると人は共感を持ってくれるみたいですよ。三井先生も仰ってました。」 彼女はどうやら三井先生を尊敬しているようなので、これでもう何も言えない。 「用事が済みましたら、私達先を急ぎますので。藤川先生次は504号室です。」 「あ…ああ」 エレベータのボタンを押しながら小声で彼がお礼をいう。 (貴方に意地悪していいのは私だけです。) 「緋山と冴島さんって仲悪かったんだねぇ」 彼はブツブツとつぶやいている。 「相っ変わらず勘に触るわね!!!」 誰かがコップをゴミ箱に乱暴に叩き込む音がする。 自動販売機の陰に隠れていて、私に気がつかないのか話声が聞こえてきた。 「どうしたの?」 白石先生の声がする。 「冴島よ!冴島!…く〜思い出しただけで腹が立つ!」 「ご愁傷様」 「何よ?同期ならもっとこう。どうしたの?とか生意気だよね!とか言えないの?」 ようやくわかった。 声の主は緋山先生だ。 どうやら先程の事を根に持っているようだ。 「冴島さんとは私接点無いから…」 「何言ってんのよ。大学教授の娘同士仲良くしなさいよ!」 どうやら白石先生を通じて私に探りを入れようとしているようだ。 「え?無理だよ。無理。話題無いし。お願いそれだけは許して」 はて?白石先生に嫌われるような事しただろうか? 今度藤川先生に聞いてみよう。 「だいたい藤川もなんなのよ!看護師の肩なんて持っちゃって! 恥ずかしくないの?アイツ医者でしょ?こっち側の人間じゃない!」 「こっちとかあっちとか良くわかんないけど、職場の仲間だと思うけど」 「こんなときまで綺麗ごと言わないでよ!」 緋山先生のヒステリックな声が響き渡る。 「だいたい藤川君のことになるとどうしてそんな真剣になるの? ブラ付けてCTとる時も黒田先生に行く前に止めてたよね?」 「藤川見てると何かイライラするのよ。」 「たまに私にも言うけどそれとは違うの?」 何となく私も分かるな。 私は白石先生の問診に聞き入っていた。 「アンタのは単純にまたか!って感じなんだけど・・・」 「けど・・・?藤川君の場合は?」 「ほっとけないと言うか・助けてあげたいというか」 「なるほど、ちょっと熱と脈を図りましょうか。」 聴診器を耳に当てると白石先生は、彼女の診察を始めた。 (リアルお医者さんごっこって言うのかしら) 「ちょっと真剣に聞いてくれる?真面目な話なんだよ? 他に相談できる人も居ないし、私アンタくらいしか・・・」 医者に限らず病院という職場は、シフト制なこともあり思った以上に人間関係が狭く希薄である。 私も相談事なんてもう何年もしていない。 そもそも私はここで彼女の話を聞いてどうするのだろうか? 「心配しなくても大丈夫。 私はどんなときでも味方だよ。同期で女同士じゃない。 医者としても一生切磋琢磨して行きたいと思ってる。 だから恋愛も頑張ろう。冴島さん何かに負けちゃ駄目だよ」 「ありがとう。アンタやっぱり良い奴だね。でも私まだ恋愛ってわけじゃないよ?」 「素直になりなよ。それは恋の病だよ。お薬倍だしとくね。」 白石先生は彼女の頭を撫でている。 私も村田さんに同じように相談してみようかな。 それにしても、女医二人が協力するとなると厄介だ。 何故なら彼らフェローは日夜机を並べ仕事をし、一緒に食事をし濃密な時間をすごしている。 特に彼女は藤川先生の隣の席だ。 少し情報を収集しておいた方がいいかもしれない。 「あら、お邪魔だったかしら?」 「は?」 緋山先生は白石先生の胸から顔をパッと顔を離す。 「もしかして話し聞いてた?」 白石先生が珍しく眉を顰めながら尋ねる。 「何のですか?切磋琢磨していきたいとかって声は聞こえた気がしますが 仕事中ですので特に聞いておりませんが?」 「そうよね、彼氏と会う時間も無いほどお忙しいんですものね。」 「ハッキリ言っておきますが、元彼ですからね。誤解しないで下さい」 「ええ、元彼が職場に親と一緒に来たりする?白石先生聞いたことある?: 「え?私?ええっと」 突然会話に巻き込まれた白石先生は、呂律が回っていない。 「流石史上最年少ヘリナース様よね」 元彼(とはいっても別れたのは5時間前でそれ一方的)の話をされると、 私としては何も言い返せない。 ここは下手に言い返せず、甘んじて非難を受け入れるとしよう 「その上、階段から転落までされた日には余計な仕事増やしちゃってさぁ。」 私は思わずユニフォームのズボンの裾を握る。 「お手数をお掛けして申し訳ありませんでした。 先程退院しましてもう二度と彼と会うことはないと思います。 本当に申し訳ありませんでした。」 迷惑を掛けた事は事実だし、素直に私は謝ることにした。 「そろそろ私達は行こうか?カルテの整理終わってないし。」 白石先生が恐る恐る切り出す。 「藍沢仕事早いし終わってたりして。まぁいいわ、行きましょう」 彼女はすれ違いざまに私の耳元で小声で囁くとクスリと笑う。 「病気になった彼氏を捨てて もう次の男なんてアンタも綺麗な顔してやるわねぇ。」 グシャっという音を立てて、私の右手にあったカップジュースが潰れた。 「どうかしたの?」 「さぁ?行こう」 驚いた白石先生が振り向いたが、彼女はそのまま背中を押して部屋の方へ消えていった。 彼女の性格から言って同じことを何度もネチネチというタイプではない。 一度はどうしても避けては通れなかったことだ。 むしろ公衆の面前やナースステーションで言われなかっただけ良しとすべきだ。 気分転換にヘリの装備チェックでもしに行こう。 「黒田先生からO.Kでたからよろしく頼むな。」 藤川先生と回診を終えてエレベータを待っていると、背後から藍沢先生の声がする。 「どうかしたんですか?」 いつもだと藤川先生が藍沢先生に話しかけて、クールにスルーされているだけに新鮮な光景だ。 ちなみにそのクールさが、他の看護師には絶大なる人気を誇っている。 「そろそろお盆だろ、でウチの実家に骨折に効能のある温泉があってね。 折角だから、藍沢のおばあちゃんを連れて行こうって話になったんだ」 「それってお二人で行かれるんですか?」 「流石にフェロー全員休むわけには、行かないからねぇ。」 たまに非常識な発言するので一瞬心配したが、流石にそれは大丈夫だったようだ。 「冴島さんはどうするの?」 私は実家との折り合いが悪いので、こういうときは一人でいつも過ごしている。 「私はその〜あの〜えーと」 「その温泉、美容の効果もあるらしいよ。」 「私も行っても良いですか?」 「助かるよ。実は骨折した老人ってどうやって温泉に入れたら良いか困ってたんだ」 相変わらず計画性が無いみたい。 「まさか混浴じゃないですよね?」 「まさか〜」 ん?これって何か良い感じじゃない? 看護師やってて良かったと久しぶりに思った瞬間だった。 「温泉かぁ、良いなぁ〜」 恵は論文にしおりを挟むと、羨ましそうにつぶやく私を小突いてくる。 「良いの?このままで?」 「ちょっと職権乱用な気がするけど、看護師としての腕は確かだし」 「あのメンツだと夜は冴島さんと藤川君が同じ部屋で、 藍沢君とお婆ちゃんが同じ部屋だよね」 「そ・そうかな…」 「どうしましょう?夜のヘリ要請でちゃったら。」 恵もやっぱり女の子である。 こういう人の恋話は楽しくてしょうがない様子である。 「さ・冴島一人じゃ、女の子一人でかわいそうよね。まぁ行ってあげてもいいかな」 「素直じゃないなぁ」 「じゃちょっと藤川君とこ行ってみよう」 恵のこの積極性…何故現場では発揮できない? 私が思うに恵はある種藤川と同じタイプ。 自分のためではなく、人のために何かしようとすると力を発揮するタイプなのだ。 執刀医ではなく、第一助手として優秀なタイプだ。 それはヘリドクターとしてはどうなのだろうかというのは、 また今度考えるとしよう。 「とりあえず藤川君探そう。多分部屋に戻ってる気がする。 ついでに帰り道だしナースステーションで冴島さんに参加するって宣言してみよ」 「え?ちょっとまって…」 恵はユニフォームの裾をつかむと、私を引きづりだした。 ふふふ…温泉か。 早速図書館で早速高齢者介護の本を数冊借りてきた。 「あれ、はるかどうしたの?」 香織が私の右肩に顎を乗せ手元を覗き込んだため、一瞬景色が暗くなる。 ちなみに院内で私が唯一心を許して話せる女性だ。 「うん…ちょっとお勉強」 「頑張れ〜若手看護師の期待の星〜フレフレ〜♪」 この力の抜け具合とても気持ちが良い。 「ところで若手看護師の期待の星はるか先生に質問してもいい?」 「どうしたの?」 「最近綺麗になった?お化粧変えたの?」 「え?そう?気のせいじゃない?」 「うん…大原婦長も言ってたよ。 最近藤川先生とも仲良さそうに話してるって」 ふ・婦長まで話が及んでいるのか。 これは温泉に行くことは絶対に内緒にせねば… 私と違って香織の周りには、いつも誰かが居て笑い声が絶えない。 本人にそのつもりが無くても、いつの間にか言いふらしてしまう事になりかねない。 「はるかは藤川先生のことどう思ってるの? 私はどっちかというと、藍沢先生の方が好きかなぁ。 藤川先生は良い人だけど、やっぱり農家の長男って減点よね。 私一人娘だしなぁ」 「って香織…藍沢先生のこと好きなの?」 「うん。好きだよ」 私と藤川先生と藍沢先生で旅行に行って果たして話題があるだろうか? 趣味は?好きな歌手は?実はお互いのこと何も知らない。 藍沢先生と仕事の以外の話を出来るだろうか? 自信が全く無い。 これは香織にも来てもらった方が得策かもしれない。 後で藤川先生に相談してみよう。 香織なら看護師としての腕も確かだし、性格的に強く言えば反対はしないだろう。 「ちょっと聞きましたフェローが旅行行くらしいんですよ。それも温泉。」 「旅行って行っても、藍沢先生のおばあちゃんを温泉に連れて行くんでしょ?」 「でもさぁ、フェロー全員が同時にどう思うよ?」 「その割を森本先生が食ったんですか?」 轟木は屈伸をしながら森本の方を見る。 「黒田先生に勝手にしろとは言ったが、どうしたもんかなぁ。って耳元で言われてごらん」 「そりゃ怖いな」 梶は愛妻弁当をつつきながら呟く。 「三井先生は年頃の女ですもの。共感しますわとか言ってるし」 「僕達の若い頃はね、年末年始も夏休みも・・・・」 森本が愚痴りかけたのを察したのか 轟木が言葉を遮る。 「そもそもフェローの人間関係、私今一面識ないので掴めてないんですけど どんな感じなんですか?」 「そうなんだよ。僕も良くわかんないんですよ。 白石と冴島と緋山が旅行に一緒に行く程仲が良いなんて、藤川からも聞いてませんでしたよ。 全く、何のための森本派だと思ってるんだ」 「なんです?その森本派ってのは?」 梶は爪楊枝をいじりながら、森本に尋ねた。 「平和を愛する人達を称するんですよ。どうです轟木さんも?」 「遠慮しておきます」 「そもそも最初白石は残ってるはずだったんですよ。 でも何故かいつの間にか全員と看護師何人かでいくらしいんですよ」 「考えてみると黒田先生よく許可しましたね。」 「藍沢に患者ともっと向き合えって言ったのが、効果か出てきたとか勘違いしてるんですよ。そのせいで何で僕が…」 「まぁ若いうちに恋愛しておこうと、人間としても成長するんじゃないですかね?」 「え?梶さん何か知ってるんですか?」 「轟木さんと違って私はたまにヘリであってますからねぇ」 「私は更衣室ですれ違うくらいかなぁ。」 「藤川もこういうときこそ、一人残ってればヘリに乗れたのになぁ。」 「そういうところが良い所であり、悪いところでもあるんですよね。」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |