湯川学×内海薫
クリスマスの予定は?と、女二人で質問し合っていたのは、もう一週間程前になる。 大きなクリスマスツリーの下、薫は期待に胸を膨らませながら、そんな日のことを思い出してい た。 ――城ノ内さん、今頃何してるんだろ。 街の空を見上げ、薫はふと思う。 お洒落にディナーかな、恋人と。 それとも、意外に遊園地とかでデートしてたりして。 そんな想像をしながら薫が見上げた空は、晴れてはいるが星はまるで見えない。 街だもんな、と彼女は妙に寂しく納得して、視線を足元に落とした。 排気ガスの所為で、星が見えにくいんだ――小難しい言葉を交えながらも、彼がそう説明してく れたのは、いつのことだっただろう。 「……先生、まだかな」 そろそろ、約束の時間だ。 薫は盛んに時計を気にし、辺りをきょろきょろと見渡す。 「あっ」 見えた。 マフラーを巻いて、両手をコートのポケットに入れて歩く、長身の男性。 すれ違う女性たちが、彼を見るために振り返る。 それに気付いているのか、いないのか――本人は寒そうにしながらも、颯爽と歩く。 「先生っ」 薫は目を輝かせ、手を大きく振った。 視線が合う。 彼が近づいてくる。 「君は子供か、内海君」 開口一番にそう言われ、薫はぷうっと膨れてみせた。 失礼な、と彼女は思った。 今日のために髪も巻いたし、もっと女性らしい一面を見せてあげようと、意気込んできたのに。 寒いけど、頑張ってセクシーな服も着てきたのに。 見てみれば彼――湯川は普段通りの背広姿で、自分のように、特別に意識していそうもない。 鈍感! 変人! 折角のクリスマスなのに! 薫は湯川を、きっ、と睨んだ。 「何だ」 「……いーえっ、何でもありませんっ!」 薫はわざとらしく、そっぽを向いてみせる。 彼女にそんな態度を取られても、湯川は動じない――また、動じる気配もない。 「そうか。では、行こう」 「えっ、ちょっと、先生?」 「寒い。早く中に入るぞ」 ぐい、と薫の手を引く。 鈍感でマイペース。ああ私、厄介なタイプの人に振り回されてる――薫は、頭の痛くなる心地さ えした。 でも、そんな彼に薫が随分と惹かれているのは、紛れも無い事実で。 「もう、そんなに引っ張らないでください!」 文句を言いながらも、湯川に手を引かれたまま、薫は素直に従った。 インターコンチネンタル――薫が命の危機に晒されたあの事件も、記憶に新しい。 そんな場所で、二人は静かに夕食を取る。 「ふふ、美味しー」 料理を口に運ぶ度、薫はそんな、飾り気のない感想を漏らす。 新しい料理が運ばれてくると輝いて、一口食べれば即座に笑顔。 彼女の表情は、そんな風にころころと変わる。 ずっと見ていても飽きないな、と湯川は思った。 「随分と幸せそうだな」 「へ?そうですか?」 「ああ、とても幸せそうだ。これまで、君のそんな表情は見たことがない」 「どうも……って、それ、何だか私が食いしん坊みたいじゃないですか」 「違うのか」 「……完全に否定はしませんけど」 だって美味しいんだもん、と薫は呟いて、再び料理を口に入れた。 また、彼女の表情が変わる。 そして湯川は、目が離せなくなる。 「湯川先生?」 目が合った。 湯川は何事もなかったかのように、視線を逸らす。 同時に、これまであまり使っていなかった手を、忙しなく動かしはじめた。 「先生、今、私のこと見てました?」 「……気の所為じゃないか?」 「気の所為、かな」 「気の所為だ」 もし素直に認めてしまったら、当分彼女に揶揄われるに違いない。 そして、かつて大学の同期であった草薙も、それに便乗してくるだろう。 湯川の脳裏に、その情景がはっきりと浮かぶ。 可能性が十分にありすぎて、嫌だ。 「ふあー、美味しかったあ。ご馳走様でした」 控えめに手を合わせ、ぺこっと小さく頭を下げる薫。 デザートまでしっかり平らげ、ワインも飲んで――よくそんなに華奢な体でいられるな、と湯川は思った。 だが、そんな彼女を心地良いと感じる。 本人には言わないが。 「では内海君、行こうか」 「行こうか、って先生、何処に?」 湯川は、きょとんとしている薫を連れて、レストランを後にする。 どうやら、薫にとっては「二人で食事をする」のが今日のプランだったようだ。 「このホテルに泊まるんだ。最上階の、景色の良い部屋が取れた」 そう言いながら、湯川は薫に部屋のカードキーを見せた。 ほぼ同時に、眼前のエレベーターが到着し、扉が開く。 それでもまだ、薫は訳の分からなさそうな顔をしていた。 「うっわあ、凄い!」 部屋の扉を開くなり、薫は張り付かんばかりの勢いで、窓の方へと駆けていく。 きらきらと輝く、幾筋もの金の糸――道路だ。 色鮮やかな観覧車も見える。 冬の張り詰めた暗闇によく映えて、どれも美しい。 「凄いな……こんな景色、普段じゃ見られない」 自分の息で曇る窓硝子を何度も拭きながら、薫はその夜景に釘付けになっていた。 まるで、それを目に焼き付けようとするかのように。 「じゃあ先生、私はこれで……」 そう言って振り返った薫を、湯川は強く抱きしめる。 そして、腕の中に収まっている彼女に、口づけた。 「帰さない」 唇を離し、自分を見上げる薫をより強く抱きしめると、その耳元で囁く。 彼女の体の力が抜けるのが、分かった。 再び、しかし今度は深く、息もつかせぬほどのキスをする。 ん、と時折薫から漏れる吐息は、とてつもなく淫らだ。 湯川の劣情に、火が着いていく。 「せんせぇ……」 頬を赤く染め、薫が切なげに呟いた。 その声すら掠れ、瞳は潤んで。 より湯川の本能を掻き立て、煽る。 「やっ」 どさっ、という音と共に、二人はダブルベッドに倒れ込んだ。 無論それは、湯川が押し倒した、というのに等しい。 「湯川先生、どうして……」 「君が悪いんだ」 「え?」 荒い呼吸を整えながら、薫は思わず訊き返した。 悪者扱いされる心当たりなど、彼女にはなかったのだから。 「……意味が分かりません。先生らしくないです」 そうだ。湯川らしくない。 目の前にいて、しかも自分に覆い被さっている男性は、見た目こそ湯川だが、何かが違う。 ここまで感情や欲望を露にした彼を、見たことがない。 「――この服装、その髪型に化粧。君は何のつもりだ」 「つもりも何も、内海ですけど」 「そういう事を訊いているんじゃない」 横たわった薫を、湯川は頭のてっぺんから爪先まで、舐めるように見下ろした。 その瞳には怒りが渦巻いている――ようにも、見える。 「こんな寒い夜に肌を露出させて、君は馬鹿か。それとも娼婦か」 「なっ……!」 准教授からの思いがけないお言葉に、薫は憤り、その激しさ故に凍り付いた。 鈍感にも程がある、そして親しき仲にも礼儀はある。 「馬鹿はどっちよ!」 薫は、思わず声を張り上げた。 先程までのムードは、今やもうそこには無い。 「内海君」 目尻から涙を伝わせる薫を見て、湯川は内心、ぎょっとした。 これは本格的に怒らせてしまった――狼狽して、上手く声が掛けられない。 「何で、どうして、そんな事言われなくちゃいけないの?折角のクリスマスなのに、だから、目 一杯お洒落してきたのに!」 涙を拭い、とうとう手で顔を覆い隠す。 指の隙間から漏れる薫の声は、震えていた。 憤りか涙か、それとも両方か、はっきりとは分からないけれども。 「先生も、女らしくてセクシーなのが好きなのかな、って思って、頑張ったのに!私……」 薫は涙に詰まって、言葉を続けられなかった。 努力は報われないし、更には馬鹿だなんて言われてしまうし。薫にとっては、散々である。 どうして涙が溢れてくるのか、理由は何なのか。 最早、薫自身にも分からない。 「待て、内海君。それは“僕のために”ということか?」 「……そーですよっ、私は先生のためにお洒落して、結局空回りしたんですっ」 放っといてください、と薫が体を捩る。 そんな彼女は、安堵したような微笑みを浮かべている湯川に、気付くはずもないだろう。 「――待ち合わせの場所で、そして一階のレストランで」 「……」 「君は、注目を浴びていた」 「……?」 「多くの、しかも男の注目を、だ」 「え?」 未だ顔を覆っている手の向こうで、薫の怪訝そうな声がした。 その手を外すよう、湯川がそっと促す。 眼前に、物言いたげな薫の顔が現れた。 「だから先生、私に“君が悪いんだ”とか“君は何のつもりだ”とか、言ったんですか?」 「……」 「それって、」 やきもちですよね、と言おうとした薫の唇を、湯川は自分のそれで塞いだ。 熱く重なる唇、絡み合う舌。 再び、息が上がっていく。 暫くして、ふっと離れた唇は、薫の首筋を熱っぽく這う。 艶めいた声が、切なげに小さく漏れた。 「んっ、湯川せ……んせ、誤魔化さないで、くださ……」 「煩いぞ、集中出来ない」 「集中って、あ……っ」 湯川先生って狡い、と薫は思った。 ――そんな風にはぐらかされたら、余計に深く知りたくなるじゃない。 そうして惹かれ、嵌まっていくのは、もうお約束の螺旋。 「ん、っ」 湯川の掌が、薫の胸を包んだ。 薄い布越しに伝わってくる、僅かな冷たさ。 薫の火照った肌と、湯川の冷えた掌。 そのコントラストが、何だか艶かしい。 「ゆ……湯川、先生……っあ……」 「何だ内海君、そんなに物欲しげな顔をして」 「ああ、ん、も……もうっ」 服の上からじゃなくて、直接触ってください――だなんて、薫は恥ずかしくて、言えそうになかった。 でも、焦れったい。 体の中心で、触ってもらいたい欲求が疼く。 「その……そういう風じゃなくって、ち、直接……」 「直接?ああ、触ってほしいのか」 湯川は薫の背中に手を回し、服のファスナーをゆっくりと下げた。 布を噛んでしまわないように、という配慮だったのだが、薫にとっては、焦らしでしかない。 露になった背中の肌を撫でながら、湯川の指が、ブラジャーのホックを外す。 薫は、服とブラジャーの肩紐から腕を抜いた。 上気した美しい胸が、湯川の眼前で揺れる。 「こんな風に?」 そっ、と湯川が優しく触れた。 冷たい指先に、薫は体を震わせたが、それはほんの微弱な電流に過ぎない。 「もっと……あ、揉んだ、り……」 「ほう」 「ぁあっ、そう……摘んだり……とか」 「こうか」 湯川が薫の胸の頂を摘むと、彼女の体は大きく跳ねた。 眉根を寄せ、小さな声を上げ続ける薫が、愛おしく思える。 「何が今夜の君を、ここまで大胆にさせるのか」 「は、あっ……!」 「実に――興味深い」 艶やかに色付いた頂を舌先で転がしながら、湯川は薫の秘部に手を伸ばした。 撫であげる指先に、確かな湿り気が伝わる。 「ほら、腰を上げたまえ」 薫を促し、そっと下着を下ろしていく。 両脚が抜かれ、とうとう薫が身に付けている物は、中途半端に脱げかけた服のみになった。 「さて内海君、君はどうしたい。無論、僕はそのままでも構わないし、寧ろそそられるのだが」 「……脱ぎます」 「そうか」 それは残念だ、と呟く湯川を一瞥してから、薫は躊躇いがちに服を脱いだ。 何か、またムード台無しになっちゃった。先生の所為で――薫は湯川を、少々憎たらしく思う。 しかしその分、彼を驚かせたくなってしまうのも事実で。 「先生は」 一糸纏わぬ姿で、薫は湯川に迫る。 零れた髪が、彼女の胸の辺りでふわりと揺れた。 「脱がないんですか?」 大胆だ、と言われたのだ。これくらいの発言は構うまい。 白く細い指先が、湯川の背広に触れる。 「私だけ裸だなんて、狡い」 正直、どんな風に男性の衣服を脱がせていけばいいのか、薫は分からなかった。 しかし、それでも彼女は、やってみたかった。 慣れない手つきで湯川の背広を、そしてベストとワイシャツを脱がせていく。 露になった湯川の胸に頬を寄せ、そっと口づける。 手も唇も、徐々に下へと這わせていく。 まるで、自身が湯川から受けた愛撫のように。 自分が大胆な行為に及んでいることに、不思議と薫の興奮が高まっていった。 「湯川先生……気持ち良い、ですか?」 「悪くはないな」 冷静な表情で、湯川は答える。 薫は内心「何その遠回しな言い方。素直じゃないんだから」と思った。 けれど今夜に限っては、そんな彼を挑発したくなる――何故だろう。 「しかし、一つ一つの動作が遅く、ぎこちないのは戴けない」 「や……っ!」 湯川は再び、体を起こしていた薫をベッドに押し倒した。 薫の表情はと言えば、随分と不服そうである。 湯川のスラックスを脱がせられなかったことが、不満なのだろう。 SS一覧に戻る メインページに戻る |