第六部 ストーンオーシャン
ねぇ、お兄ちゃん、と妹が言った。 家のテラス。ブランコ式の吊り椅子。日曜日にあるミサを終え、自宅に帰っ て聖書を広げていると、隣に座って妹が話し掛けて来た。何だい?と問い返 すと、神学校に行くって、本当?と目線を遠くにやりながら訊いて来た。 「本当だよ。父さんと母さんも良いって。ひょっとして、ペルラは反対なの かい?」 反対じゃあないわ、と妹は言った。お兄ちゃんならきっと素敵な神父さまに 成れると思うし、きっと向いていると思う、と。 「じゃあ、何だい?何か、気になることがあるんだろうペルラ。兄さんに 言って御覧」 んー、と、妹は一寸唇を尖らせて兄に背を向けると、靴を脱ぎ、椅子の上で 膝を抱えた。 「神学校って、お家から離れて、教会で暮らさなくちゃいけないんでしょ? お兄ちゃん、お家に居なくなっちゃうの……?」 「そりゃあ、修道者を目指すなら、ポストラン、修練期も終えて誓願を立て なくちゃあならないから、いずれは家は出なくちゃならないが……でも、それ はまだ先の話だ。暫くは通いながら一般教養を身につけるから、家に居るよ」 答えると、そうなんだ!と声を弾まして応え、よかったぁ!と、ぽすん と背を預けてきた。 「何だ、ひょっとして、僕が家を出るかも知れないのが不安だったのか?」 だぁってぇ!と、頬を膨らませる。背中と一緒に、頭も肩に乗せてくる。 さらさらとした妹の髪が、くすぐったい。 「寂しいじゃない!そりゃあ、お兄ちゃんが望んだことだから、応援はす るけれど、さ!」 お前なぁ、と呆れ声を上げる。妹の頭がずりずりと落ちて、寝転がってこち らを見上げてくる。はしたないぞ、と一言言って、話をした。 「12年生(高校)を卒業したら、もう一緒に居られないんだぞ。そんなに甘 えん坊でどうするんだ」 「でも、あと3年は一緒なんでしょ?その頃には私ももっと大人になって るもの!今だけよ!」 べぇ!と紅い舌を見せてみせる。全く……と溜息を吐きながら、聖書に目 を戻す。そういえばさと起き上がって、妹は再度、話を始める。 「神父さまって、結婚しちゃいけないんでしょ?『愛することは大切』だっ て言うのに、何で駄目なの?」 結婚しちゃ駄目っていうわけじゃあ、無いな。と、返す。聖職位階である司 教、司祭は独身とされるが、終身助祭であれば妻帯は許されているからな、と。 「愛と言っても、人間の愛には大きく三種あるんだ。男女愛、友愛、家族愛。 でも、これらには条件が存在するんだ。男女愛は互いの価値観。友愛は生活… …仕事とか、学校とかいった生活の共有。家族愛は血の繋がりが必要となる。 けれど、神の愛はそれらを超越した、無条件の愛なんだ。罪人である僕らを 無条件に愛する愛だ。 親を愛すること、友を愛すること、伴侶を愛することは、そりゃあ、大切さ。 でも、ヒトの愛は時や境遇によって変わり行くだろ?互いに想い合っていて も、不慮の事故とかで離れ離れにならなきゃいけなくなったりする。 『愛する』ってことは、人間の『生きがい』であり、『幸福』なんだけど、 ヒトには限りがある。でも、神にはそれが無い。だから、神を愛し、それを伝 えるために、伴侶は敢えて持たない……そういう事なんじゃないかな」 ふゥん。と妹は声を上げる。脚を椅子から下ろし、また、ぽて、と自分の肩 に頭を預けてきた。 「……良く分かんない。あたし、お兄ちゃんのこと、好きだわ?それじゃ あ、駄目なの?」 「駄目じゃあ無い。ただ、限界がある、と言っているんだ」 こんな事言ったら、お兄ちゃんは怒る?と小さく前置きをして、妹は言っ た。 「あたし、イエス様は信じている……つもり、よ?でも、あたしたちって、 そんなに罪深いのかしら?生きることって、悪いこと?何かをしたいって 欲求を持って、努力したからこそ芽生えるものだってあるじゃない?そう思 うのは、あたしが女で、エバの娘だから?……だったらあたし、男の子に生 まれて来たかったわ……」 溜息を吐く。ぱたんと聖書を閉じ、妹の頭をニ、三度、優しく撫ぜた。 「マリア様がいらっしゃらなければ、イエス様だってお生まれにならなかっ た。『罪深い』っていうのは、己の無力さ……謙虚さを認識するのに、必要な 事なんだ。別にイエス様は僕らを責めているわけじゃないよ。ただ、忘れない 為に、己の身をもって示してくれたんだ。 ……ほら、髪がぐちゃぐちゃだ。直してやるから、後ろを向けよ」 ん。と、妹は素直に頷いて、背中を向ける。髪留めを丁寧に外し、髪を梳い てやる。 「髪留め、使ってくれているんだな」 だって、お兄ちゃんがくれたものじゃない。と、声を返す。 「13歳の間の、お守りにって。悪い数字だから、今年がちょっと嫌だったし、 お兄ちゃんが神学校行くって聞いて、やっぱりチョット嫌な歳だなって思った けど、今日、お話し出来てほっとしたわ。これってやっぱりお守りの効果かし らね、神父様?」 くすくす、と鈴を鳴らしたような小気味良い笑い声に、バカ。と髪を結わえ 直してから、ぺん、と軽く頭を叩く。 「それに、13はキリスト教だからこそ悪いとされる数だが、別の宗教じゃあ、 そうじゃないんだぞ。東洋の国では三、五、七という数は割れる事の無い聖な る数とされているんだ。十三だって、割り切れない聖なる数だ。そう思ってい れば、問題無いさ」 「ありがとう、お兄ちゃん。……でも、イエス様、そんな事を言って怒らな いかしら?」 こきゅ、と小首を傾げて訊ねて来る妹に、大丈夫だ。と笑い返す。 「己の運命すら、イエス様は『覚悟』されたからこそ、ゴルゴタの丘に登ら れたのだろうから――」 -----------『 Mebius 』----------- (上) △--- Chapter 1 ---△ 北緯28度24分、西経80度36分。フロリダ半島大西洋に突き出した敷地、ケー プ・カナベラルを目指し、車は一路、風を切っていた。運転をしているのはま だ幼い少年で、どう考えても無免許であることは明白だった。だが、それを咎 める者は居なかった。否――少年の運転する車とすれ違う車も、民家も、其処 には存在して居なかった。 妙だな、と、少年は運転をしながら思った。後部座席ではDIOの息子達と戦 闘を終え、疲労し切った徐倫やアナスイ、助手席ではエルメェスが、束の間の 休息を取っている。 車の運転は、せめて自分がやれそうなことを、と少年が自ら願い出たことだ った。 ずっと刑務所で生きて来たこの少年は、車で外を走った事なぞあるわけが無 かった。だが、『運転をした事』はあった。刑務所の敷地内を『幽霊の車』 で走る。夜、車を走らせるそれは、少年にとっては貴重な『遊びの時間』だっ た。アナスイ曰く、怪談話になったらしいが、実際走っているのは車の幽霊な のだからあながち間違いではない。暗視カメラにも映らない、夜のレースは快 適で、広い道路の上でなら、外界での運転にだって自信があった。 ただ、不安なのは後ろから来る車や、他の車にぶつからないようにする事だ った。後、睡魔に襲われないようにすること。それだけだ。 アメリカは国土の広い国だ。悠々とした道路に、対向車や後ろからの車が一 切無いという事も、確かにある。だが、もう、走り出してかなりの時間が経つ。 これは何だか、変だぞ、と少年は強い警戒心から眉を寄せ、取り合えず助手席 で眠るエルメェスを起こそうと、声を掛けた。そうして次の瞬間、目の前に見 えた物体に、ブレーキを、かけた。 「な、何だなぁ?エンポリオ。何が……?」 高い音が響き、車体が揺れた。皆が各々、目を覚ましてくる。あ、あれ……! と、エンポリオは窓ガラスの向こうに在るモノに向かって、指した。 「何よ……アレ……」 後部座席から身を起こした徐倫が、声を、上げた。 それは巨大な『繭』だった。植物の蔦や葉、花々が絡み合い、家ひとつ分は あろうかという楕円形を作っている。それが、道路を塞ぐかのようなかたちで、 ぽん、とあるのだ。奇妙な事この上無い。 どうしよう、とエンポリオは言った。 「この道を進めば、順調にケープ・カナベラルには着く。幸いにも塞がって いるのは道路部分だけだし、……横を擦り抜けて行く?お姉ちゃん」 後ろで『繭』を凝視している、徐倫に声を掛ける。いや、と、徐倫は返し、 ガチャリとドアを開き、車から降りた。 「徐倫ッ!」 同じく後部座席に座っていたアナスイが、慌てて降り、後に続く。徐倫はス タスタと『繭』に歩み寄ってゆく。隣に座っていたエルメェスも急いで降り、 エンポリオは危ないよ!と車上から声を上げた。 「お姉ちゃん!止めようよ!!霧も出て来たし……こんなに車が無いだ なんて、変だよココッ!!無視して先を急ごうよ!!」 「駄目よ、エンポリオ。それは出来ないわ。ココに来るまでにどれ程妙な物 事を経験して来た?それらは全てDIOに……プッチに関する事だったわ。だ とすれば、『コレ』も、その可能性が高い……。時間はまだある筈だわ。少な くとも、『コレ』が何か調べてから、神父を追い駆けても間に合う筈よ。それ に何より、此の儘何も分からず放置だなんて、そんな事、父さんならきっとし ないわ。 エンポリオ、アンタは下がっていなさい」 でも、と呟く。エンポリオはきゅっと、僅かに唇を噛締めると、エンジンを 切り、たっと、車から降り、あとに続いた。 「おいおい徐倫。まさかまた、命綱渡して潜り込んでみるとか言うなよ? マジであれピンチだったんだから」 「そうね。でも、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』って言わない?」 エルメェスの言葉にそう返しながら、徐倫は『繭』に触れる。不思議ね、と 呟いた。 「これ、本物だわ……ちゃんと、『植物』として『生きて』いる……。どう して、こうなったのかしら?」 言いながら、そっと手を触れていた植物から離そうとしたその瞬間、だった。 『繭』から伸びた黄色い『手』が、徐倫の右手を、掴んだ。 「え?」 徐倫が声を上げた。皆が目を丸くした。次の瞬間徐倫の身は『繭』の中に、 吸い込まれた。 △--- Chapter 2 ---△ そこは、緑の世界だった。一面に草木が茂り、並ぶ木々にはは林檎だろうか。 果実が身を揺らしている。見上げると天井までも、まるでジャングルのように 茂っているのに、何故か明るい。チチチチ……と、鳥達の鳴いている声が聞こ えた。 きょろきょろと辺りを見回す。自分を引っ張りこんだ『手』――恐らく、あ れはスタンドの『手』だ――は、見当たらない。暫く辺りを見回した後、腰に 手をやってから、フゥ、と徐倫は溜息を吐いた。 「やれやれだわ……こちらとら、一度はカタツムリにまでなったんだから、 今更何が起ころーと、驚かないわよ……」 そう呟くと、徐倫はカサカサと茂る緑の中を、歩き出した。 『繭』の中は、生命で溢れていた。囀りの方へ顔を向けると鳥が居た。草の 間には虫が居た。宙にはフワフワと蝶が舞っていた。 「エンポリオも来れば良かったわ。あの子、本物見たこと無いから、きっと 大喜びしたでしょうに……あたッ!」 道に迷わないように『糸』を張りながら、『繭』の中を歩む。尖った葉で、 右手を僅かに切り、顔を顰める。滲み出た血をペロリと舐めて、それにしても、 と、独り思う。 それにしても、随分とメルヘンな能力だ。未確認生命体を操る能力といい、 キャラクターを現実化する能力といい、過去の記録を発掘する能力といい、DI Oの息子というのは軒並みファンタジーな能力なのだろうか。 「しかし、『カリスマ』って言うのには縁遠かったわよね、あいつら……」 繁みを掻き分け、奥へと進む。その時、「誰だ」と声が、掛かった。 手を止める。眼前の奥、繁みの持つ暗闇の方から、声がした。声は低く、同 時に不思議な甘味があった。父の記憶の、DIOの声に似ているなと、少しだけ 思った。最もアレはもっと、こう、いやらしい感じがしていたが。 「アンタこそ誰?あたしをココに引き込んだヒト?」 ……何のことだ?と、声が返って来た。掠れた。呻くような、疲労感を感 じさせる声だった。 「出て行ってくれ……僕に、構うな……」 「……ねぇ、アンタ、ひょっとして、怪我しているの?声、苦しそうよ? 兎に角此処に連れて来られた以上、ハイそうですかって、帰るわけには行かな いの。そっち行くわよ?」 言い、繁みを掻き分けて行く。止せ、やめろと、声が掛かる。虫をして歩み を進める。 「ひとりに、して……ください」 繁みの奥、まるで手負いの獣のように身を縮めて、青年は居た。金髪の青年 だ。髪は背中まであり、結わえる事無く後ろに流している。髪に、草の葉が絡 まっている姿が、傍目から見て痛々しい。服は特注のスーツだろうか、ハート をあしらった風変わりなスーツを着ている。体格は、うずくまっているから良 く分からない。リキエルと同じくらいだろうかと、ふと思った。 「……どうしたの?見たところ、怪我は無いみたいだけど……。頭、痛い の?」 ゆっくりと、警戒させないように、歩み寄る。其処で、ぱっと青年は、顔を 上げた。ヒクヒクと、鼻を動かす。 「君こそ、どうしたんです……手を、怪我したんですか?」 ああ。と言われて気づいたと、徐倫は先ほど葉で切ってしまった、己の手を 見た。どうこうする程のものではないが、血が滴っている。 「さっき、其処の葉っぱで切ったのよ。大したこと無いわ」 「此処の草木で切ったと言うなら、僕のせいですね、傷を、見せて下さい」 とにかくここは大人しくしておこうと、言われるがままに血が薄く流れる手 を、差し出した。青年はそれを己の手に、乗せる。そこで、顔を寄せ、舌を、 伸ばした。 「何してんのよッ!てめェーーッ!」 ”――2人とも、腕から血が出てるわ” 青年に向かって蹴り上げようと思った脚を、瞬時に、自制した。そのまま、 ゆっくりと脚を下ろす。青年はぺろり……ぺろり、と徐倫の血を舐めている。 美味しそうに。求めるように。 ”ああ〜〜〜「水」〜〜「水」だァァァァ〜〜。「水」が必要だァァァ〜〜 のどが乾いてきたァァァーーーーッ” ……こきゅん、と、唾を、飲み込む。どうして、と思った。 どうして、こんな時に。あの子の事を、思い出しちゃうんだろう。あの子と、 FFと、この青年とは、似ても似つかないのに。FFは、もう居ないのに。あの時 別れを告げた彼女が全てなのに。 プッチから命を授けられて、勝手に命令されて、争って、友達になって、一 緒にキャッチボールして、笑って。あたしのために助けに来てくれて、命の危 険に晒されて、騙されて、自分の身を犠牲にして、笑顔で、逝って……。 「血が、欲しいの?……」 掠れた声で、呟くと、青年はぴたりと、動きを止めた。凍りついたように固 まり、静かに、項垂れる。徐倫はそっと、青年の前に膝を下ろすと、すっと髪 を掻き上げ、うなじを露わにして、青年の前に、屈んだ。 「あげるわ」 「……ッ!?」 正気か?と、蚊の鳴くような声が、響いた。 「僕が……吸い殺してしまうかも、知れないんだぞ……」 「そうしたら、抵抗するわ。全力で。それでも吸われたら、あたしが弱かっ たって言う、それだけのことよ。貴方が気にすることは無いわ。 ……ホラ、早くしなさいよ。あたし、せっかちなの。こうと決めたら、グズ グズするのって、嫌いなのよね」 そう告げて、にやりと笑むと、青年は一度目を丸くしてから、コクリと頷き、 徐倫の柔肌に、牙を、立てた。 「ぁ……ァっ!!」 ぞくり、と肌が粟立つ。官能と恐怖と、酩酊とが一気に、襲って来て、くら くらする。腕に力が入らず、崩れ落ちまいと、きゅっと、己の首筋に牙を立て ている青年の背中に、縋り付く。ふわふわ、する。 ちぅ、ちぅと、まるでキスをするかのうな甘い音が首筋から響く。足の力が、 抜ける。ぺたり、と、太腿が、地に、着く。 「は……ァあ……!!」 零れ出る、吐息が甘い。嫌だ、まる、で、セックスをしているかのような、 感覚だった。まだ、経験だって、無いというのに。 脳が熱い。胸が、熱い。目眩がする。何だ、これ。何。血が。 脈打っている。相手と、自分と。一緒になって。自分のものが、彼のものに。 彼の吐息も、熱い。一緒になる。ぁ!と声が洩れた。 「――気分は、如何ですか?」 目が覚めると、青色の双眸が見えた。ぱちくり、と目を瞬く。身を起こそう として、支えられる。どうやら気を失って、男の膝上で寝かされていたらしい。 「全く、無茶をするひとですね。……血は造って、補っておきました」 つくったって、と鸚鵡返しに応える。造れるんです。と頷かれる。ああそう か造れるのか、と納得して頷いた。多分そういう事が出来る能力なんだろう。 「欠片も抵抗なんて、出来なかったわね」 苦笑いを浮かべる。笑い事じゃあ、無いですよと、男は言った。 「もしも僕がそのまま殺すつもりだったらどうするんです!警戒心が足り ないって良く言われませんか?……どうして僕を、助けたんですか……」 「そこんところだけれど、あたしにも良く分からないわ。良いじゃない。結 果的にお互い無事だったんだから」 言い、にっと笑ってみせると、青年はやや呆気に取られた顔を浮かべた。徐 倫はひょい、と肩を竦めて、隣に座る。 「あたしは、空条徐倫。あんたは?」 「僕は――ジョルノ・ジョバァーナと、言います――」 ジョルノってさ、と徐倫は言った。二十代中頃か、後半くらいだろうか? 血を吸ったせいなのか、当初目にした時の印象よりも、青年はずっと落ち着い て頼もしく見えた。父さんにちょっと似ているな、と思った。 「もしかしなくても『DIOの息子』?」 「そういう君はもしかしなくても、空条承太郎のご息女ですね」 暫く、沈黙が落ちた。……闘う?と、徐倫がちらりと覗き込みながら、訊 いて来る。 「君がそうしたいなら、お相手しますが……自ら血を差し出した相手と闘う なんて、ナンセンスですね」 「そうね、あたしもそう思うわ」 また、沈黙が落ちた。少し、歩きましょうか。と言うジョルノの申し出に、 良いわよ、と徐倫は腰を浮かした。 「ねぇ、アンタもさ……神父の手下なの?」 それは一寸、違いますね。と歩きながら、ジョルノは答えた。宙にはふわふ わと多種多様な蝶が舞っている。不思議な光景だわ、と徐倫は改めて思った。 「エンリコ・プッチは知っています。父……ディオの親友だったようですか らね。ですが、会った事はありません。僕が勝手に調べた事です」 ふぅん、と徐倫は返す。 「あたし、貴方の兄弟を、殺したわ。三人居た」 「それを僕に言って、どうするんです?」 「言い訳はしないわ。あたしは、負けるわけにはいかなかった。ただ、アン タの兄弟だって言うなら、黙っているのもヤダなって思っただけよ」 君は……と、ジョルノは足を止め、徐倫の方を見つめた。暫く瞳を見た後に、 フゥ、と溜息を吐く。 「『良い人』ですね。その上、正直者だ……」 「ねぇ、どうしてアンタはこんな所で、こんな『繭』に入っていたの?」 頭痛がしたんです。と、ジョルノは答えた。 「とりわけ酷くなったのはここ数日。あと、数週間前位から誰かに呼ばれて いるような感覚がしたんです。シゴトが忙しいし、ここに来るのも抑えていた のですけどね、同僚から行って来いと後押しされたので、行くことにしたんです。 そうしたらもう、今度は飢餓感まで覚えるじゃあないですか。血液を造って それを摂り入れても無駄。生憎まだ人間辞めるほど生きていないので、ココに 籠もっていたら君が来た。そういう事です」 「ふーん。そう言えば、ジョルノ、仕事って何やってんの?」 「ギャング・スターです」 「……飛んでるわ……」 無表情でさらりと言われた言葉に、徐倫は感想を零す。驚きましたね、とジ ョルノが首を曲げて言う。 「信じるんですね、僕の話」 「信じるわよ。だってアンタ、嘘言っているように見えないもの。嘘なの?」 嘘じゃあないですけど……。言い、首を傾げる。 「あたし、プランクトンの友達が居たの。そう言ったら、信じる?」 きゅ?と小首を傾げてジョルノの方を見上げて見せる。じっと、ジョルノ は徐倫を見つめる。目を逸らさずに、見返す。 「……嘘は吐いていませんね」 「スゴイわ。目を見ただけで分かるのね」 「『目は口ほどに物を言う』と言いますからね。昔の仲間には、汗を舐めて 嘘を見抜くという特技を持っている者もいましたよ」 「ウッソ!何それ!超飛んでるッ!!」 現実は空想よりも奇なり、とは良くいったものですね。と、返す。 暫く、無言で二人は歩いた。さくさく、と、二人分の足音が響く。 「あたしさ、神父を追ってるの。その途中でこの『繭』に差し掛かった。そ れで、アンタと出逢った。アンタが特に何もするつもりが無いって言うなら、 ここを出て、神父を追うわ。そしてきっと、神父を倒す」 同じ事を二度言うのは嫌いなのですが、と前置きをして、ジョルノは言った。 「それを僕に言って、どうするんです?」 「ここの出口を教えて。あと、あたし達の邪魔をしないでくれると助かるわ。 邪魔をするなら、この場で闘う」 ざ、と。風が吹いた。前を進んでいたジョルノが振り向く。金色の髪が、さ らさらと靡いている。見詰め合う。やっぱりコイツ、何となく父さんと似てい るな、と徐倫は思う。父に比べるとずっと多弁だし、取っ付き易いが。 すっと、ジョルノの手が伸びた。身構える事もなく見つめていると、手が徐 倫の髪にかかる。何かと思っていると、花弁が付いていますよ、と告げられ、 取られた花弁が、宙を舞った。 「此処から出さないと言ったら、どうします?」 無表情で、ジョルノが告げる。ぴくりと、徐倫が震えた。僅かに顎を上げ、 上目で睨む。 「……足止めって事?」 まさか。と、ジョルノは打ち笑う。そんなんじゃあ、無いですよ、と。 「じゃあ何よ?あたしとお茶でもしようとでも言ってんの?」 「そうですね。アダムとイブにでもならないかと言うのはどうですか?徐倫」 言ってる意味が分からないわ、と無表情に答える。 「……イカレてんの?この状況で」 悪い話では無いと思うんですけれどね。と、ジョルノは真顔で返す。 「この『世界』は広げられるし、外界の喧騒とも無縁です。しがらみも襲っ て来ない。悪くない話だと思いませんか?」 「あたしは仲間と、父を見捨てることは出来ない。……これが答えよ。フザ けた問答を続けるって言うなら、力づくでも此処を出るわよッ! ……アンタだって、『同僚』とやらは良いの?」 「良くないですよ。済みません、貴方にこういった話は逆効果でしたね。 でも僕が君を気に入ってきているのは本当ですよ。 ……きちんと、君は外に返してあげます。ですからもう少し僕と、話をして はくれませんか?空条徐倫」 言い、徐倫の手を取りながら、ジョルノはそっと腰を下ろした。 父と、承太郎さんとの確執については、僕の仲間の、ポルナレフさんから聞 きました。……ああ、訊くと言うよりも、僕が調べて、しつこく訊いて口を割 らせたって方が正しいのかも知れませんね。ポルナレフさんって、知っていま すか?貴女のお父さんの、戦友です。とある闘いで自分の肉体を失くし、今 は霊となって亀の身体を乗っ取っていますが、気さくで勇敢で、とても頼りに なる方です。 ポルナレフさんは僕の事を想ってくれたのでしょう。父の事をなかなか話そ うとしませんでした。それはそうですよね。子供を前に、親の悪評なんてどう 考えても良いものじゃありません。 本当は、僕も父の事なんて、どうでも良いかなと思っていたんです。だって、 僕の事を見ていたわけでも、何をしたわけでもない。ただ、僕をつくった。そ れだけなんですから。 でも、ある日を境に僕の髪の色や、容姿が変わってしまった。僕の母は日本 人だから、僕のこれは父の容姿だ。そうすると、どうあっても意識する。自分 に何が起こったんだろうと思う。父親は何者なんだろうと思う。どんなひとな んだろうと、想像する。……知らないからこそ、とでも言うのですかね。父親 に対して理想を抱いてしまう。期待を抱いてしまう。理性は「そんなウマイ話 があるわけない」って分かりながらも、心のどこかで思ってしまうんです。 ポルナレフさんは「彼は悪人だった。だが、悪にとっては救世主だった」と 言ってくれました。優しい人です。ご自身の妹を、父の部下から殺されている のに、友も父との闘いで喪っているのに、そう言ってくれました。 ある時、僕はポルナレフさんに訊きました。「僕が憎くないのですか?」と、 すると、ポルナレフさんは「確かに、お前はDIOの息子らしいな。だが、俺の 信頼する、誇り高き友人に良く似ていると、俺は思うよ。俺はそう思う自分を 信じる。だから、お前を信じるよ」……そう言ってくれました。 「信頼」というのは、心地好いものですね。僕は昔、人を「能力」で見てい たけれど、仲間達から「信頼」と、それから生まれる「覚悟」や「希望」を教 わりました。 僕はその「信頼」を改めて感じた。だから、もう、父に関してはもう良いか なと思った。完全に心から切り捨てようと思った。けれども、切れなかったん です。 そこまで語ったところで、ジョルノは同じように草原で腰を下ろす徐倫の眼 を除きこんで、言葉を紡いだ。 「『誰か』が僕を呼んでいるような気がしてならなかった。不思議な感覚だ った。仲間に心配をかけまいと平静を装っていたのですが、ある日呼び出され て訊かれました。話をしたところ、仲間の……トリッシュという女性から、 『あたしも似たような感覚を覚えたことがある。血の繋がりという、感覚だわ』 と言われました。 ……その時の僕の感情が、分かりますか? トリッシュは、行かなくては駄目だと言いました。それが良いものであれ、 悪いものであれ、自分の目で見定めるべきだと。そうでなくては、先に進めな いとね。……彼女も似たような境遇を経験していたから、とても、説得力に満 ちた言葉でしたよ。ねぇ、徐倫」 顔を寄せる。すぐ、唇が届くのではないかと距離まで、互いの顔が、近づい た。 「僕と君は、遠いながらも血が繋がっている。だから、こんなにも愛しさを 感じるのでしょうか。それとも、君が僕に血を分け与え、僕を君の生命の糸で もって、引き上げてくれたからなのでしょうか?」 すっと、ジョルノの手が徐倫の身を倒した。抵抗も無く、徐倫はあっさりと 背を地に着ける。草のさわさわという音が流れる。ゆっくりとジョルノが、覆 い被さる。あたしには、と徐倫が言った。 「ご飯をあげたら懐かれた獣、って感じだわ」 「獣ですか?僕が?」 そうよ。と、覆い被さっているジョルノに、臆する事無く徐倫は応えた。す、 と手を伸ばし、頬に触れる。 「ひもじくて、苦しくて、仕方が無いって感じだったわ」 ぱちぱち、とジョルノはニ三、瞬きをした。ざ、と、風が鳴き、花が舞った。 そうですね。と、応えて徐倫の手を、そっと取る。 「そうなのかも、知れません。 徐倫、君の血と、魂で、僕の魂を結び、繋ぎ止めていてはくれませんか……?」 「なに、それ?愛の告白?」 ふっと、言葉に軽く吹き出した徐倫に、そう受け止めてくれて構いません。 とジョルノは答えた。 「事実、僕には君が必要だ。僕が僕であるためにも」 言い、ゆっくりと唇を徐倫へと降ろしてゆく。互いの唇が触れ合うのではい う直前で、すっと徐倫の人差し指が、ジョルノの唇を、遮った。 「悪いけれど、あたしはそういう事をしている暇は無いの。あたしのことを 求めてくれて有難う。でも、あたしは神父を追わなくちゃいけないの。このお 話はまたにしましょう?」 にっこりと笑んで軽くジョルノの胸を押すと、徐倫は身を起こした。立ち上 がり、ぴん、と背筋を伸ばす。 「徐倫。僕も行きますよ。いえ、行かせて貰います」 「……何故?神父に協力するため?それとも、本気で愛の告白をするた め?言っておくけれど、どちらにせよ、あたしの邪魔をするなら容赦しない わよ?」 構いません。とジョルノは答えた。 「僕の事が気に入らないなら、殺してくれて結構です。どうせ、君がさっき 僕に血を与えてくれていなかったら、僕は僕では無くなっていたかも知れない。 僕は、『良いものであれ、悪いものであれ、自分の目で見定め』たいんです。 僕が僕であり、先に進むためにも。どうか同行を許して下さい、徐倫……」 沈黙が落ちた。互いの目が絡み合った。やがて徐倫はくるりとジョルノに背 を向けると一言、好きにすると良いわと告げた。そうしてポケットの中を弄っ て、ヘアゴムを一本取り出すと、コレあげるから髪結わえなさい。鬱陶しいわ。 と、そう言った。 △--- Chapter 3 ---△ 結わえられた金色の髪が、風に靡く。ナルシソ・アナスイは運転席でハンド ルを握る男を見、チッ、と舌打ちする。 「眠っていてくれても構いませんよ、アナスイさん」 「誰が寝るかよ。オメーが妙な事をしねェか、見張ってねェとな」 言って、横目で睨んだ。 金髪の、妙な三連コロネのこの男……ジョルノ・ジョバァーナを連れて徐倫が 出て来た時、皆は驚き、そしてDIOの息子と言う紹介から警戒した。それまでの 相手が相手で、散々な目に遭っているのだから当然だ。だが、徐倫は彼を連れ て行くと言う。怪しい動きをしたら殺してくれても良いそうよ、と言う割に、 徐倫の態度は柔らかかった。アナスイからしてみれば、DIOの息子云々以前に、 先ずその点からして気に食わない。そして何よりも、先程から風を受けて流れ ている、男の三つ編みを括った、ヘアゴム。 (徐倫と『御揃い』ったァ、どう言う了見だコノ野郎……) 『繭』の中で何があったかを、徐倫は語らない。だが、徐倫の優しさが、彼 女の父親を除き、自分以外の異性に向けられるのは不愉快だ。どういった理由 があるにしろ、彼女と同一のものを身に纏う辺りも許せない。 ナルシソ・アナスイにとって、ジョルノ・ジョバァーナという人物は、会って 正しく数分足らずで「目の敵」に決定した。 アナスイさんは、と、ジョルノが言った。 「どうして徐倫と一緒に?」 運転席からの言葉に、アナスイはちらっと助手席からミラーを見、徐倫たち が寝入っているのを確認した。後部座席には徐倫・エンポリオ・エルメェスが 居るが、皆、走り出して数時間が経過して、休み始めていた。 「彼女を愛しているからだ」 さらり、とジョルノに対して、アナスイは答えた。そうですか、と、ジョル ノはほんの少しだけ唇を綻ばして、応えた。笑みがムカつくと、アナスイは思 った。 「何故、彼女を?」 アァ?と声を上げる。ちらり、とミラーで徐倫を見る。眠っている。無視 しようかと思ったが、自分に眠気が訪れるのも癪なので、応える。 「気に入ったからさ、彼女のルックスも、魂も。何よりも物を真っ直ぐに見 つめるあの眼差しが良い。俺を、あるべき道に『引き戻してくれる』感覚がす る……」 ジョルノは、『引き戻してくれる』と言った瞬間、僅かに手を震わせたよう だった。沈黙が下り、お前には、俺がどう見える?と問いかける。 SS一覧に戻る メインページに戻る |