『 Mebius 』(上)(ジョルノ・ジョバァーナ×空条徐倫)
-3-
第六部 ストーンオーシャン


△--- Chapter 5 ---△

☆-7

<こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目
に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさって
いたすべてのわざを休まれた。>


娘が此処に居る。生きている。傷つきながらも、血を流しながらも、生きて
いる。辿り着いたその瞬間に、それが分かった。自分を此処まで運んでくれた
スピードワゴン財団に礼を告げ、「感覚」の方へと顔を向ける。
「血族」の感覚は三つ。一つは紛れも無く、徐倫の。残りの二つは良く分か
らない。うちひとつは、どことなくDIOに似ているが、それにしては「毒」と
いうものを感じない。もしやこの気配は、DIOの息子のものなのだろうか。
すぅっと、呼吸をする。「オラァ!」と気合を入れて、「壁」となっている
「地面」にスタープラチナの拳をめり込ませ、地面に掴み、攀じ登る。
この先に娘が居る。守らねばならない存在が居る。そう思うと、辛苦など、
欠片も感じはしなかった。

ガスリッ!と地面に足の爪先を掛ける。もう片腕を地面に減り込ませる。
徐倫は、と、登りながら、思う。

自分の記憶を取り戻すまで、どれ程の苦しみと、悲しみと、怒りとを娘は越
えて行っただろうか。自分がDIOを葬り、娘はただ、自分の娘だと言うただそれ
だけで、スタンド能力も、何も無い存在であったのに。普通に成長し、友人を、
恋人をつくり、健やかに生きることが出来た筈なのに、なのに、このような運
命に、娘は巻き込まれてしまった。

それは何故か。承太郎には、分かっていた。
『自分(ジョースター)の血を引いている』――ただ、それだけなのだ。

ギリッと奥歯を、噛締める。
妻のことを、愛している。初めて異性で、守りたいと思った存在だ。娘が生
まれたときは戸惑いながらも喜んだ。まだ父親だとも何だとも分かっていない
小さな小さな手で、自分が差し出した手の指を、手の平いっぱいでぎゅっと掴
んだ。こんな、触れたら潰れてしまいそうな生き物が、それでも確かに生きて
いるのだと、自分の娘なのだと感じたあの喜びと感動は、きっと一生忘れない。

子育てと論文に追われながら、ジョセフの隠し子である仗助の事が明らかに
なった時は唖然としながらも、母ホリィの頼みと、祖父の願いを聞き遂げるた
めに代役として杜王町に発った。仗助がどんな状態であろうと、それは、ジョ
セフの子供だ。殴られてでも、相手の満足が行くようにしようと、固く誓った。
自分に子供が出来たからこその、誓いだった。

行かねばならない理由は他にもあった。当時、まだ六つの徐倫が高熱を出し
た。原因は分かっている。自分と共に財団を訪れた徐倫。手に掠った、「矢」。
症状は嫌なくらい覚えがあった。信じられない高熱。昏睡。……かつての母と、
同じ症状だった。まだ六つの、幼い徐倫にスタンドなど、使えよう筈が無い。

DIOは居ない。以前のように、誰かを倒してどうにかすることなど、出来ない。
絶望感が襲った。己の平和ボケに腹が立った。財団の者には罪など無いのに、掴
みかかって問い詰めた。

”ひとつだけ、あります。
――ウィルスは、再度投入する事によって、抗体が作られることが、あります。
ですが、その為には財団にある「矢」だけではデーターが足りません。「矢」
に関するデーターを、集めることです。ミスター空条……”

杜王町に生まれながらでないスタンド使いが居る。時期と情報が重なったのは、
「運命」と呼ぶには、余りにも癪な話だった。

帰って来たとき、娘と妻の目は冷たかった。当然だろう、理由も告げず、娘
の危機に顔も見せなかったのだ。憎まれて、当然だと思った。ただ、娘が生き
ていてくれた。それだけで、幸いだった。
高校を卒業し、子供を得るようになってから、時々、先立った友の事を考え
るのだ。もし、彼らが生きていれば、どうしただろうか、と。アヴドゥルや花
京院、イギー……中には、誰かと結ばれ、子供をつくった者も居ただろうか。
その子供は、どんな感じだろうか。子供が慕ってくれないと、お互いに愚痴を
零すことはあっただろうか。生まれた子供と、自分の子供は、ひょっとしたら、
良い友人になれただろうか……。
そんな、ありもしない想像を、した。
失うのは、もう、たくさんだった。生きていて欲しい。憎まれても、恨まれ
ても、別に良い。この世界で、どこかで、生きている。それだけで、希望が持
てた。だから、DIOの残党がいると知れたその時に――妻と、離縁した。

自分が居れば、スタンド使いを引き付ける。妻や、娘を、巻き込んでしまう。
それだけは避けたかった。取り分け娘は、この世を去って行く自分とは異なり、
次代を紡ぐ立場にある。愛しく想うその分だけ、離れることしか出来ない、こ
の身が恨めしかった。

(――だが!!)

ガスッと、拳を打ち付ける。登る。己の手で、足で、娘のもとへと。

離してはならなかったのだ。娘と、妻を。結局娘を巻き込んでしまった。妻
をこれ以上ない程悲しませてしまった。娘は耐えた。そして越え、逆に、父親
である自分を救ってくれた。
ずっと側にいて、守ってやれば良かったのだ。当初誓った、その通りに。今
はもう、生まれたままの赤子ではなく、想えば応える、存在なのだから。

そう思いながら目標地点まで登って行くと、女が銛を手に、投げている姿が
眼に映った。眺めていると驚いた。女の手には銛が二本ある。それを片方上へ
と投げて突き刺すと、もう片方、手にした銛のシールを剥がす。すると、瞬時
に投げた方向の銛へと移動する。ぱっと、財団から聞いていたデーターとが、
結びついた。

「エルメェス・コステロ!!」

呼ばれた人物は直ぐに、こちらを振り向いた。始めは怪訝そうな顔をしてい
たものの、近寄るにつれ、表情が和らいでいった。

「ひょっとして、アンタが徐倫のオヤジ……っと、『承太郎』さん?」

エルメェスの言葉に、そうだと頷く。やっぱり!とエルメェスは破顔する。

「アンタたち、そっくりだもの!そうだと思ったぜ!徐倫は今、上に居
る。アナスイとエンポリオ、ジョルノも一緒だッ!」

エルメェスの言葉に承太郎は頷き、ああ、分かって……と言ったところで、
エルメェスの顔を見た。

「――ジョルノ?」
「そッ!ジョルノ・ジョバァーナ。あたしらも知り合ったのはついさっきだ
けどよ。DIOの息子なんだけど、徐倫の事気に入っちまって、一緒に着いて来
てんだ。アナスイはまだ疑っているみてーだけどな!」

あたしはこうなった以上、腹括るだけだと思うけどねッ!と、笑ってみせ
た。エルメェスの言葉に、やや、眼を見開き、一呼吸置いてから、やれやれだ、
と帽子を目深に被り直した。

「色々と話を聞きたいところだが、そうしている暇はなさそうだな。……この
銛の近くに君が居て、君が拾っていたことは、運命か何なのかは知らないが、
幸いだったな。
エルメェス、君のスタンド能力『キッス』について、話は聞いている。その
銛を投げるのは私がやろう。徐倫の所まで、急ぐぞッ!」

言うと、シールを貼らせて銛を『壁』に投げつける。娘が傷ついているのが
分かった。必死に闘っているのが分かった。もう二度と手を離すものかと思っ
た。銛を刻み込む。空を上がる。気配が近づく。娘の。神父の。
――銃声と同時に、時を、止めた。

娘の身体を受け止めた。手放さぬようにと手を掴んだ。流血が酷いもの
の、身体はまだ、温かい。良かったと安堵し、同時に娘の成長に誇らしさを感
じた。
神父に止めを刺すために、徐倫の身を離し、エルメェスに支持し、時を止め、
銛を投げた。これで終わりだと、そう思った。これで、滅茶苦茶になった引力
も、元に戻る。皆、きっと、あるべき姿に戻るのだと、そう、思っていた。

――感じたぞ、と、神父が、叫んだ。

「『位置』が来るッ!!
今、承太郎が銛を打ち込んで来た、あの位置で感じたッ!
わたしを押し上げてくれたのはジョースターの血統だったッ!
――完成だッ!重力のパワーがッ!」

光が、破裂した。


△--- Chapter 6 ---△

祈りが通じた。神は自分を見捨てなかった。自分の道が正しいことを認めて
くれた。神よ、あなたの導(しるべ)の通り、魂を捧げましょう。承太郎たち
を、ひれ伏せさせましょう。
歓喜で胸を打ち震えさせる。徐倫たちは能力の前に混乱しているようだった。
『メイド・イン・ヘブン』と名を与えた己のスタンドは、『時を加速』させる
力を持った。巨大な力だ。だが、相手はジョースターだ。神の試練は終わって
いない。自分が彼らの位置を感覚で掴み取れるように、彼らもまた、自分の位
置を感覚で分かる筈だった。

徐倫たちは状況を飲み込み。屋上へと出た。離れぬようにと互いの身を、ま
るで寒さに震える猿のように近づかせている。その中にはジョルノの姿もあっ
た。異端が。と、舌打ちする。

結局、あの青年はDIOの血を引きながらもDIOよりもジョースターに引かれた
異端だったのだ。だが、それも、我が『メイド・イン・ヘブン』を呼び起こす
ための存在だったのだと納得する。
スタンドが完成した以上は、もう、いらない。自分の世界はもうじき完成す
る。それは、人類の幸いが約束された未来だ。完璧な世界に、異端はいらない。

猿たちはこそこそと無い知恵を集めあっているようだった。愚かなことだ。
憐憫の情が湧き上がって来るが、これも人類のためだ、と唇を引き締める。
彼等は尊い、未来のための、犠牲なのだ。丁重に、だが、全力で葬ってやらね
ばならない。
頭の中で、全員のスタンドの能力を整理する。
時を止めるスター・プラチナ。身体を糸に出来「メビウスの環」を象れるス
トーン・フリー。物に潜行し、形を変えることが出来るダイバー・ダウン。物
を二つにし、シールを剥がすことによって二つにした物を引き寄せるキッス。
生命や身体の部品が創れるゴールド・エクスペリエンス。そして物の幽霊を扱
える、バーニング・ダウン・ザ・ハウス。
これで全てだ。他にも、徐倫たちはウェザー・リポートのDISCを持っている
が、あれはウェザーだからこそ使いこなせる能力だ。
気をつけなければならない。徐倫が土壇場で「メビウスの環」を編み出した
ように、他の者達も何かを生み出すかもしれない。
と、すると、危険度も高い承太郎を初めに殺すのが最も良いだろう。彼を潰
せば少なくとも「時」に干渉するものは無くなる。「時」の支配が出来るもの
が、他には居なくなる。

「時」とは絶対なものだ。どんな物質も、生命も、時の加速には無縁で居ら
れない。無縁で居られるのはただ一つ、死者である幽霊、それくらいだろう。

「聴けッ!!天使がラッパを吹き鳴らすッ!今こそ『審判』の時なのだッツ!!」
高らかに叫び、神父は時を加速して、屋上へと高く跳躍した。
そして、世界が、変わった。


△--- Chapter 7 ---△

瞬きを、した。其処は今までは異なる世界だった。空は薄暗く、足元には茫
々とした枯れ草と、朽ち果てた物が敷き詰められている。壁に縦横走っている
のは植物の蔦だろうか。既に朽ちているのか、変色して色褪せた黄土色をして
いた。だが、しっかりと編みこまれているのか、噛み合った蔦たちは時の経過
さえもものともせず、編みあって、壁を作っていた。蔦の間には、風が運んだ
らしい土が埋まり、そこから、また新たな草が生え、その草が、枯れていた。

「何だ……これは……。此処、はッ」

呟く。唇がからからに乾いていた。嫌な汗が、背中を伝った。どういうことだ、
と声が掠れる。

「私が、創った『世界』じゃあないッ!何なのだ、此処はッ!!」

ちらちらと、空からは朽ちた蔓が塵となって、少しずつ落ちていた。今まで
とは異なる『世界』の中で神父は叫び、自分を取り囲む状況を確認しようと、
『世界』を駆けた。

其処は、時々響く、塵が落ちる音さえ除くと、静寂に支配された空間だった。
音を立てているのは、枯れ草を踏みしめている自分のみで、どこかしら、持つ
空気が教会の納骨堂に似ていた。踏みしめる床は石造りではなく、朽ちた草だっ
たが、ともに、生きてはいないと言うことは、共通だった。

「ジョースター!お前かッ!?承太郎ッ!徐倫ッ!いや、それとも……
ジョルノッ!お前かッ!?お前が、この『世界』を創ったのかッ!!?」

長い裾を引きずり、駆ける。と、その時、裾が蔦の何処かに絡まったらしい。
足を取られ、体制が、崩れた。妙なことに、身体が鈍く、躓き、転ぶことを、
堪えることは出来なかった。ドッサァアァアアアと身体が滑り、その衝動で倒
れて来た「蔦壁」の一部を、手で支える。

――どこかで、と、神父は、思った。
自分は、どこかで、これと似たようなことを、したことが、あると、そう思
った。

「ジョルノッ!!ジョルノ・ジョバァーナッ!!お前だッ!!お前だろ
うッ!?この、『世界』の主はッ!!」

叫んだ。返事は無かった。ぜぇぜぇと、肩から呼吸が零れた。疲労感があった。
おかしい、と思った。
目眩がする。この程度駆けただけでは、呼吸など上がらない筈なのに、息が
荒い。手足が重い。身体が、まるで、何者かに取り憑かれたかのように、だる
く、重い。頭痛がする。息が上手く出来ない。これ、は。この、状態、は――

「高山病にかかったみたいだね、神父」

子供特有の高い声が、積み重なった幽霊の物陰から、響いた。

「エン……ポリオッ……!!」

少年の傍らには、ウェザーのスタンドが浮かんでた。コントロールは出来て
いないらしい。ふわふわ、と幽霊のように浮かび、少年の傍らに佇んでいる。

「どういう、ことだッ!この世界、はッ……!!」

ジョルノお兄ちゃんが言ったんだ。と、エンポリオは倒れ付す神父に、話を
した。

「全てが加速する世界で、束縛されないのは『幽霊』それだけだって。だか
ら、僕に全てを託すって。どんな結果になっても、後悔はしないから、僕さえ
良ければやって欲しいって、そう言ったんだ」

貴方がこの『世界』に飛び込んだ時、と、エンポリオは言った。

「一瞬だったでしょう?貴方が屋上に飛び上がった時に、『罠』は既に張
られていたんだ。ジョルノお兄ちゃんが屋上それ自体を蔦に変え、徐倫お姉ちゃ
んが糸となってそれを受け取り、蔦どうしを結わえあった。『入り口』となる
場所にはエルメェスのシールを貼った。承太郎さんが時を止めて貴方をこの中
に放り込み、潜伏していたアナスイがシールを剥がして貴方をこの中に閉じ込
めた。
……この、『朽ちた繭』の中にね……。
ジョルノお兄ちゃんと、徐倫お姉ちゃんは、もう二つ、貴方の影響を受けな
いものを、僕に渡してくれた。
そのひとつが、この、ウェザーのDISCだ。僕に全ては使いこなせないけれど、
酸素を薄くすることは出来たよ。
……『高山病』にかかると、呼吸困難、目眩、脱力、頭痛に襲われるんだ。
子供の僕であればともかく、大人である貴方があれだけ叫んで、動き回ったん
だ。身体を補うだけの酸素が足りなくて、当分、動けないと思うよ……。
そして、もうひとつは、既に発動している……」

そう言って、エンポリオは神父を見た。言葉を受けて神父は首だけで辺りを
見回した。奇妙な空間だが、スタンドの気配は少年と、ウェザーのもの以外、
他には何も感じなかった。

「分からない?貴方自身が『重力』を扱えていて、『加速』もスタンドと
共に行っていたから、ひょっとして『スタンドと本体は別』という概念からし
て忘れてしまった?
――貴方のスタンド、『メイド・イン・ヘブン』は一体、何処に行った?」

言われて、はっと神父は眼を瞬いた。この『世界』に来てから、己のスタン
ドをずっと、目にしていなかった。

「貴方を此処に呼び込んでも、それでもやっぱり、時の加速は何か、影響を
与えるかもしれない。だから、『メイド・イン・ヘブン』は抑えさせて貰ったよ。
ジョルノお兄ちゃんの、もうひとつの能力で……」

ぽろん、と音が流れた。ピアノだ。ピアノの、鍵盤の音だ。見ると、少年の
向こう側で、ピアノが鳴っている。演奏者は誰も居ない。なのに、ひとりでに
ピアノが鳴っていた。古いピアノだ。古びて、くすみ、年代を感じる、黒いピ
アノ。それがひとりでに演奏をしていた。
この、どこか物悲しい旋律は聴き覚えがあった。
……モォツァルトの、「レクイエム」だ……

「『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』……そう、ジョルノお兄ちゃ
んは言っていた。これは、完全にお兄ちゃんが支配し切れるモードでは無いから、
本当に奥の手だと言っていたよ。
これは想像だけど、ジョルノお兄ちゃんから聞いた能力からするに、『世界』
は今、僕とあなた、二人だけだ。
この『朽ちた繭』の外に居る人々は、きっと何が起こっているのかも知らず、
『世界』はきっと、『何も起こっていない』状態にある」

ぼくは、と、少年は呟いた。

「ずっと、貴方に訊きたかった。
教えてよ、神父。……何故貴方は、ぼくのお母さんを、殺したの……?」

曲調が変わった。不安を掻き立てる迫り来る音の波。高く、低い……
"Confutatis"(呪われし者)に。

「ぼくのお母さんの能力が必要だった?母さんは貴方の言う事に逆らった?
……スポーツ・マックスの能力のように、僕のお母さんが、人の魂も扱えると、
そう思った?」

凡そ、と、神父は掠れた声で、応えた。荒い呼吸で。這いつくばりながら。

「……凡そ、そんなところだ……。
私は彼女に訊いた。『魂は何処に行くのか』と、幽霊を扱える君ならば、そ
れが分かるのではないかと、彼女は答えた。
『お言葉ですが、神父様。生物の魂は一定です。増え続けることも、減り続
けることも、ありません。わたくしは、人の魂は扱えませんが、それだけは言
えます。魂が何処に行くのかは、分かりません。天国に行くのか、地獄に行く
のか。ただ、一定である。それだけは、分かります』
では、と、私は言った。『では、その魂を所有することは可能か?』と。
『たったひとりの人間が、何個も、何万個も、所有する方法があるとすれば、
何か、世界が変わるのではないか?』とね……」

ピアノは神父の言葉を消さないように、小さな音で流れている。隔離された
空間の中で、殺害者である神父と、母を殺された少年と、少年の扱う「物の幽
霊」たちだけが、二人の言葉を聞いていた。

「彼女は、私の言葉に蒼白になった。『そのようなことはしてはなりません』
と。『何という事を仰るのですかッ!』と。
『失われた人の魂は、けして現世には戻らない。彼等は神の御許で、安息な
る眠りにあるはずです。それを目覚めさせるのは、罪深き行為です。神父様、
そのような事をしても、喪われた魂は、決して喜びはしませんでしょうッ!』
とね……。
彼女は私に逆らった……。だから、殺した……。
君の母親は、実に、敬虔なクリスチャンだったよ……。生まれながらにスタ
ンド能力を持ち、その故に迫害された……。記憶を抜き取り、意のままにしよ
うとしたが、最期まで拒み、溶け行く中、能力をDISCにして、幼い君に託した。
スタンドはその人間特有の才能。その様子だと、完全に母親の力を受け継いだ
ようだな……」

僕は、と、少年は、呟いた。

「見ていたんだ。ママが貴方に『溶かされて』行くところを……。ママは最
期に僕を呼んだよ。唇だけの動きだったけど、それが分かった。ママは僕に能
力と、骨とを、『幽霊の音楽室』に滑り落とした。僕はそれを受け取った。そ
れがママから僕に遺された、唯一のものだったんだ……」

かわいそうとは、と、神父は言った。

「可哀想とは思わないし、詫びるつもりもない。私にとって、それは必要な
事だったッ!人類の、幸いのためにッ!!」
「神父、あんたは何も、分かっていないッ!!」

互いの咆哮と同時に、エンポリオの方から風が吹いた。ウェザーの能力だ。
「物の幽霊」が飛んで来た。テレビや野球ボール、ゴミ箱が神父の方へと飛ん
で行き、それらがぶつかる事無く素通りする。幾つもの「物の幽霊」が飛来す
る中、神父の眼にキラリと光って飛び込んで来る物があった。思わず、それが
何か分からないまま、眼を庇おうと、手を伸ばした。
パチっと、小さな、冷たい感触が、手の平からした。

「……?」

幽霊ではない「物」の存在に、怪訝に思う。掴んだ手を、ゆっくりと開いた。

”これってやっぱりお守りの効果かしらね、神父様?”

くすくす、と鈴を鳴らしたような小気味良い笑い声が、耳の中に、甦った。

”だって、お兄ちゃんがくれたものじゃない。”

髪留めだ。見覚えがある。昔、妹に買ってやった、髪留めだ。13歳という数
字を気にしていた妹に、不安を無くしてやろうと買ってやった物だ。

”お帰りなさいお兄ちゃん……ボーイフレンドが出来たの……”

冷たい水から引き上げられる。レスキュー隊の、報道陣の、車の音。人々の
ざわめき。祈りの声。十字を切る救出隊員。
妹を奪い返す。薄紅色の血色良い両頬からは、血の気が抜け、身体は酷く冷
たかった。両の瞼は重く閉じられ、細い首筋が、上下する気配は無かった。
髪留めが、しっかりとあった。自分の与えたものだ。

そういえば、と、神父は思った。
あれは一体どうなったのだろうか。妹と一緒に埋められたのだろうか。それ
とも、誰か他の人の手に渡ったのだろうか。だとすればこの手にあるのは何な
のだろうか。全く同じ種類の物が、偶然、此処に、あるのだろうか。
物とは何なのだろうか、「物の幽霊」とは。
初めから命があり、意志を持つ生命体ならば、分かる。だが、物の魂とは何
なのだろうか。今、この場で、響いているピアノの音色は。
一体、何なのだろうか……。

教えてくれ、と、神父は言った。

「教えてくれ、エンポリオ……『魂』とは何だ。『物の魂』とは。
何故、そのピアノは、音を鳴らしている……」

ピアノの奏でる音は、"Lacrimosa"(涙の日)に変わっていた。
物は、と、少年は言った。

「記憶なんだ。人々の。彼ら自身に自分の意志は無い。ただ、『かつてあっ
たそのままに、在ろう』とする。それが、彼らの宿命と言うか、『業』なんだ。
このピアノだって、そうだよ。この子はピアノであろうとしている。刑務所で
は音を出せなかったけれど、此処では出せる。それまでは僕が音を出せないよ
うにしていたけれど、外に出る時に戻したんだ。だから、こんなにも喜んで歌っ
てる。
曲はこの子の自由だよ。でも、多分、僕らは今、相応しいと言うものを思い
浮かべている。それを感じて、弾いてくれているんだ。弾いて、聴いて貰う。
その為に、生まれた存在だから……」

物においては、僕ら人間が創造主なんだ、と少年は言った。

「ピアノは弾くために、絵は見るために、本は、おはなしは、読んで貰うた
めに、生まれたんだ。僕らは聴き、見、或いは触れて、感動したり、怒ったり
する。そうして、色々な感情を覚える。それを、彼等は少しずつ蓄積してゆく。
そうやって『想い』が注がれた物は、魂を持つ。魂を得た物は、自分を扱って
くれる人に、場所に、呼び寄せられる。
……『想い』が近いと、僕みたいに『物の幽霊』を扱えなくとも、触れたり
する。今の、貴方みたいにね。それは、髪留め……?」

ぎゅっと、神父はペルラの髪留めを握り締めた。私は、と、呟いた。

「私は間違っていたのか……?何故私は、妹にこんな髪留めを与えてしま
ったんだ?なんで私は神父になんてなろうとしたのだッ!?なぜ人と人は
出会うのだ!?出会わなければ、こんな事にならなかったのに……!!」

子供の様に、神父は身を丸め、握った髪留めを己の胸に押し当てた。僕は、
と、少年の声がした。

「お姉ちゃんと出逢えて、良かったよ。それは、僕が刑務所で生まれたから
だ。そうして、スタンド能力を持っていたからだ。そうでなければ出逢えなか
ったよ。
お母さんを喪ったのはとても悲しいよ。刑務所の中だって、とても、良いも
のじゃなかった。僕はずっと一人きりだったし、生きるので毎日精一杯だった
し、ネットや図書室にある本で、知識を得ることが僕に出来ることだったよ。
でもね、良かったこともあるんだ。僕、お姉ちゃんと一緒に外に出て、初め
て太陽が昇って、沈むところを見たよ。本物の空はとても綺麗だった。貴方の
刺客で、怖い思いも沢山したけれど、その、どれもが僕には新鮮だったよ。
あの、灰色の建物の中じゃあ、味わえないことだって、貴方は、分かる?
僕は、お姉ちゃんと出逢えて、幸せだったんだ」

ならば、と、神父は吐き出した。告白しよう、と、前置きして。
曲が変わった。"Dies irae"(怒りの日)へ。

「妹であるペルラは弟であるウェザーと恋に落ちた。弟は生まれたその日に、
同じ病院で命を落とした赤子とすり替えられ、育てられた。二人はその事を知
らなかった。私は礼拝堂で、その母親から告白を受けた。その頃私は神父では
なかった。彼女は礼拝堂で掃除をしていた私を、神父と勘違いした。
聖職に携わる者として、彼女の告白を守秘することは当然だった。私は二人
が傷つき合うその前に別れさせようと思った。近親者どうしが結ばれることは
禁忌だ。宗教的理由でなくとも、近親婚は生まれる子に影響を及ぼす……。
私は『なんでも屋』をやっている私立探偵に、二人を別れさすように頼んだ。
これなら、妹が覚えるのは誰もが経験するであろう失恋で済むと、そう思った。
まさか、Ku Klux Klan(クー・クラックス・クラン)のメンバーだとは、思
わなかった……。彼等はウェザーの育ての親が、黒人であることに憤った。
ウェザーは私刑にあった。妹は木に吊るされたウェザーを見、絶望から身を
投げた。まだ、ほんの少し脈があることに気付かずにな……。
あとは、お前らも知る通りだッ!!教えてくれッ!私の何がいけなかっ
たッ!?私はどうすれば良かったんだッ!?どうすれば、ペルラを、妹を
傷つけずに済んだ!?どうすれば、妹を救えたんだッ!!?」

神父の告白に、洗礼さえ受けていない少年は、言った。

「神父、あなたは、臆病だったんだ。傷つける事も、傷つけられる事にも。
信者の告白を守ること、そうだね、聖職者からしてみれば、それは必須なんだ
ろう。でも、貴方は一体『何のため』に、聖職者になろうと思ったの?それ
は、秘密を守り、守るかわりに誰かを傷つけるため?違うでしょう?
僕には、『宗教』ってヤツが、良く分からない。貴方や、徐倫お姉ちゃんが
十字架に向かって頭を下げる意味も、ピンと来ない。
貴方が何で『人類の幸福』に拘るのかも、その、KKKもさっぱり分からないん
だ。ヒトは生き物だよ。生まれて、そして、死んでいく。
そうだね、ヒトは他の生き物と異なり、言語を解すかもしれない。物を創り、
音楽を創り、文明を創った。でも、それはどこのヒトだって、皆やっているこ
とだ。どんな細工だって、歌だって、どんな文明でも素敵だし、貴賎なんて、
本当は無いんだ」

エゴイズムって、何だろう。と、少年は呟いた。








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