喪失 ミニコンサート後編22
千秋真一×野田恵


「早く真兄ちゃまのこと、思い出してあげてね…って由衣子、のだめちゃんにお願いしたんだ……。」
「そだったんですか……。」

のだめは俯いたままの由衣子の前にひざまずくと、両手を柔らかく包み込んで顔を覗き込んだ。

「のだめ、由衣子ちゃんにも色々心配をかけちゃって……。ごめんなサイ。」
「ううん!元はと言えば、由衣子がいけないんだもん!のだめちゃんが木から落ちたのは、由衣子のせいだから!」
「違いますヨ〜?のだめもいけなかったんですから。ね、由衣子ちゃん、この話は終わったコトですから、もうやめましょう!」

由衣子のふわふわな頬を、のだめがむにっと押すと、ようやく彼女は顔を綻ばせた。

「由衣子は学校だし、のだめちゃんは朝早いから……。明日、挨拶できないと思うから今しておくね!
気をつけてね、のだめちゃん!パリでピアノの勉強、頑張ってね!」
「ハイ!のだめ、頑張りマス!ありがとうございマス!由衣子ちゃんもお休みになったら、パリに遊びに来てくださいネ〜。」
「きゃー!本当?夏休みになったら、パリに行ってもいい?のだめちゃん、一緒に遊んでくれる?」
「もちろんですヨ〜!一緒に遊びましょうネ!」

由衣子が嬉しそうに抱きついてきたので、のだめはその華奢な身体を優しく抱きしめた。
どこか甘い香りのする小さな彼女を抱きしめながら、のだめは幸福な気分になっていた。

「ねーのだめちゃん!お願いがあるんだけど!」
「ハイ?何ですか?」

のだめの胸から身体を起しながら由衣子は言った。

「あの机の上にある、トイピアノ。由衣子にくれない?」
「えっ?あのおもちゃのピアノですか?」
「うん!」
「あれ、のだめのだったんデスかー!てっきり三善さんちのアンティークだとばかり……。」
「あのトイピアノ、入院中ののだめちゃんが退屈しないようにって、真兄ちゃまが買ってきたの。
でも由衣子も、ずっとアレ可愛いなーって思ってて……ダメ?」
「いいですヨ!由衣子ちゃんに可愛がってもらえるなら、ピアノも喜びマス!」

のだめは机からトイピアノを持ってくると、由衣子に手渡した。

「ハイ!どぞ〜!」
「わぁぁ〜!本当にありがとう!のだめちゃん!」
「いえ〜!ソレ、パリにもって帰るのはチョト大変そうですしね。由衣子ちゃんが貰ってくれるなら、のだめも助かりマス。」

トイピアノを小さな両腕で大事そうに抱きかかえた由衣子を見て、のだめは嬉しそうに目を細めた。

「もうそろそろ……。由衣子部屋に戻るね?」
「あ、そですか〜?」
「のだめちゃん、本当にトイピアノありがとう!大事にするね!それじゃあーおやすみなさい!」
「おやすみなさい〜由衣子ちゃん!」

のだめは客間のドアまで由衣子を見送った。

由衣子は再び二階の廊下をスタスタと歩いていた。
先程と違うのは、胸にはのだめから貰った、アンティークのトイピアノを抱えている事だ。

「……のだめちゃんを譲ってあげたんだから、これくらいはイイよね!真兄ちゃま!」

由衣子はそう一人ごちると、自分の部屋へ戻っていった。

**********

高速道路で事故があった影響で、思った以上に三善家に帰り着くのが遅くなってしまった。

「ただいまー。」

いつもより少し大きい声で自分の帰宅を知らせると、リビングからのだめが飛び出してきた。

「おかえりなさーーーい!!」

のだめは昨日と同じ、鈴木姉妹が選んだと思われる、あのリネンの夜着を身に纏っていた。

「た、ただいま……。おまえ、まだ起きてたのか?」
「起きてマスよ!んもー!ちゃんと起きて待ってろ、ってさっき言ったのは誰ですか!」
「あ…そっか。」

オレがそのまま二階に向かって階段を上り始めると、のだめも後ろからついてくる。

「打ち上げはどうでしたか?」
「うん。楽しかったよ。」
「峰くん達、淋しがってませんでしたかー?」
「いや、明日帰国なんだから早く帰れ、って帰らされた。」
「え、そうだったんデスか?」
「うん……。」

そうして二階の階段を上りきった所で、オレ達はいったん立ち止まった。

「オレ、風呂入って寝るよ。疲れたし。」
「のだめももう寝ます。」
「明日早いからな。寝坊するなよ?」
「わかってマス!」
「じゃあな。また明日。おやすみ。」
「ハイ!おやすみなさい!」

のだめは右の客間へつながる廊下を、オレは自室のある左側の廊下を、それぞれ歩き出した。

部屋に戻って荷物を置くと、オレはすぐに風呂に入った。
昨日はシャワーで済ませたから、オレは久しぶりにゆっくりと湯船に浸かって、のんびりと長風呂を満喫した。
風呂からあがると、いつも通り缶ビールを片手に、再び自室へ戻る。

―――そういえばオレも荷造り…まだだった。

三善家にあるものも多かったので、オレの荷物は大した量ではなかった。
ビールを飲みながら、手際よく荷物をパッキングし、さっさと荷造りを済ませた。
2缶目のビールを取りに行こうかと思うが、明日のフライトの事を考えてやめておいた。
そしてオレは素直にベットにもぐりこむ。時間は深夜0時をちょっとすぎた頃―――いつもより早めの就寝だった。


…………

―――ね、寝むれねぇっ!!

オレはベットの中で、ぐるぐると悶絶していた。
よく考えたら、昨夜このベッドで、オレはあんなに激しくのだめを抱いたのだ。
目を瞑れば昨夜の…この場所で可愛く乱れるのだめの痴態がまざまざと思い浮かんできて、オレはすぐにハッと目を開けた。

―――オレは…発情期のガキかよっ……。

シーツもカバーも、洗っているはずだからそんな訳はないのだが……
何故かベッドの中にあいつの甘い残り香が漂っているような気がして、とてもじゃないけど眠れない。
かといって、ソファで眠る気もしなくて、まさに自分で自分の精神状態がよくわからない。
とにかく壁に頭を打ち付けたくなるような、そんな煩悩にオレは悩まされていた。

―――くそっ!こうなったら……。

オレはベッドを抜け出すと、自分の部屋を出た。
客間はオレの部屋からだと一番遠くにあるから、オレは足音を立てないように静かに廊下を辿っていく。
しかし中程まで来た所で、ある事に思い当たり、ピタリと足を止めた。

―――待てよ……。あいつ、いつも由衣子と寝てたよな……?もしかして、今行ったら……。

由衣子と鉢合わせ…それだけは絶対に避けたい…避けたいが、このまま自分の部屋に引き返せるか…というとそれもできない。
オレは廊下の真ん中で、一人で悶々とした結果、意を決して再び客間へ歩みを進めた。

―――もういい!由衣子がいてもいなくても……オレはのだめの顔が見たいんだ!

よく分からない開き直りをして、オレはのだめの部屋へ向かった。

*****

「ふぅー!荷造りも何とか終わったし、かおりちゃんへのお詫びのお手紙も書いたし、そろそろ寝ますか!」

便箋を封筒の中に入れ、プリごろ太のシールを貼ると、ライティングデスクをパタンと閉じ、私は椅子の上で大きく伸びをした。
時計を見ると、もう12時を過ぎている。

「あっ!もうこんな時間デス!明日早いのに、のだめ寝なくちゃ!」

私は慌ててベッドサイドのランプをつけると、部屋の照明を落とそうと、客間の入り口のスイッチまで歩いていった。

トントントン…

まさにスイッチを消そうとしたその瞬間、控えめに小さくドアをノックする音がした。

―――え?誰だろう……?由衣子ちゃん?

すぐにドアを内側に引いて廊下を見ると、そこには千秋先輩が吃驚した顔で立っていた。

「わっ……!何でそんなに早い……!」
「あれー?千秋先輩?どしたんですか〜?」
「いや…その……。なぁ、ちょっといいか?」
「……?いいですケド?どぞ〜!」

先輩は真っ赤な顔をして部屋の中に入ってくると、辺りをキョロキョロ見回していた。

「のだめの部屋が、どうかしましたか?」
「い、いや!おまえ…一人?」
「当たり前じゃないですか!のだめ以外に、誰がいるっていうんデスか!」
「あ、そ、そうだよな……。」

そうどもりながら先輩は、ソファに腰をかけた。

「おまえ、荷造りとかは終わったのか?」
「ハイ!さっきようやく全部終わって、今から寝る所でしタ。」
「そっか……。」

そう言うと千秋先輩は、何故か黙り込んでしまった。

「先輩?どうしたんですか?何かのだめに話があるんじゃないんデスかー?」
「え、あ…うん。」

先輩は私から気まずそうに顔を逸らしている。どうやらそれは先輩にとって、何か話しにくい事の様だ。

「先輩?」
「あー、うん。その…だな。」
「はい?」
「今夜オレここで…おまえと一緒に寝てもいいか?」
「ぎゃぼっ!?」

先輩は真っ赤な顔をして、潤んだ瞳で私をじっと見つめていた。

「ダメです!そんなのダメに決まってるじゃないデスかっ!」
「何で?」
「だ、だ、だって……!!ここは先輩のお母さんの実家ですヨ?俊彦くんや由衣子ちゃんだっているのに!!」
「別にオレ、そういう事はしないよ。……ただ、一緒に寝たいだけ。」
「えっちな真一くんが、えっちなしで同じベッドで寝る訳ないじゃないですかーーー!!
「……おい、それは言い過ぎだろ。」

先輩はハァと溜め息をつくと、急に立ち上がった。

「な、何デスか?」
「昨日の夜、オレ達一緒に過ごしただろ?だからもう……今夜も離れたくない。」
「へ!?」

そう思う間もなく、私は先輩にお姫様抱っこされた。

「ぎゃ、ぎゃぼ!千秋先輩!チョト!」
「だから何もしないって……。本当に……。」

先輩はベッドまでそのままお姫様抱っこで私を運ぶと、ゆっくりとベッドの上に降ろした。
そして、ベットカバーと上掛けのお布団を剥がすと、自分も横になり、私を抱き寄せるようにして、それですっぽりとくるんだ。

「あー…すっげー眠い……。」
「んもう!だったら自分の部屋のベッドで寝ればいいじゃないデスか!」
「そうしたかったけど……。昨夜のおまえのあられもない姿が思い浮かんで、あそこじゃ眠れないんだよ……。」
「ムキャーーーー!!先輩のムッツリスケベ!!」
「そんなの、とっくに知ってるだろ……。」

そう言うと先輩は、私の夜着のボタンを外し始めた。

「チョ、チョト!!何してるんデスか!!」
「え……?ボタンを外してる。」
「さっき、何もしないって言ったじゃないデスかーーーー!!」
「何もしないよ…何もしない。気分だよ、気分。」
「はぁっ!?気分?」

先輩はそう言って、私の夜着のボタンを全部外してしまうと、合わせ目を開いて私の胸元にもぐり込んだ。

「あー……。やっぱ、落ち着く……。」
「……おっぱい星人。」
「何とでも言え……!」

先輩は私の胸の谷間に顔を埋めて、幸せそうに瞼を瞑っていた。

「先輩ソレ好きですよね……。」
「……え?」
「のだめ、知ってるんですヨ。先輩、のだめのおっぱいで、二度寝するの好きでショ!」
「はぁっ!?」
「最初は偶然かと思ったんですけど……。先輩って眠りが浅いタイプだから、絶対明け方に一度起きますよね?
すると必ずのだめを抱っこするのをやめて、今度はのだめのおっぱいを枕代わりにしてもう一度寝るんデス!」
「うっ……。」
「別にいいんですけど、のだめは!でも先輩のあの時の顔は、モノスゴク締りがなくて、ゆるゆるですヨ?」
「え…そう……か?」
「鼻の下伸び切っちゃって〜!目じりも下がりっぱなしだし〜!口はいやらしく開きっ放しで〜!ホント情けないですヨ?」
「うっ……。」

先輩は私の胸の中で、呻いていた。

「大丈夫。のだめ、誰にも言いまセン!だから、のだめ以外にしちゃダメですヨ?」
「バカっ!ンなの、当たり前だろ……。」
「うぷぷ……。」

私達はそうやって眠りの前の一時を、ベッドの中でいちゃいちゃして過ごしていた。

「なー今朝の話だけど。」
「話?」
「その……おまえの初めてのキスの相手…誰なんだ?」
「へ?」
「大学時代?……それとも、高校時代?」
「チョト千秋先輩!な、何言ってるんですか?」

先輩は顔を真っ赤にさせたまま、言い訳するようにぶつぶつと呟いていた。

「べ、別に気にしてるわけじゃないぞ!ただ…その…誰なのか…知りたいっていうか……。」
「先輩、ヤキモチやいてるんですか?その人に。」
「うるせーー!男だったら気になンだよ!そーゆーのっ!」
「うきゅきゅ♪先輩はまだまだデスね!」
「何だ……そのまだまだって……。」

不審げな視線で先輩は私を見上げていた。

「女の子のファーストキスは、大概お父さんに奪われるものなんですヨ?」
「あ……。」
「安心しました……?」
「うん……。」

本当に安堵したのか、先輩は私の胸元に、より深く甘えるようにもぐり込んできた。

「あーでも……。のだめ今回の事で学びました。」
「……学んだ?」
「千秋先輩のムッツリスケベ度は、のだめが想像してた以上に高かったという事デス!」
「はぁっ!?」
「だって先輩は、18歳のまだまだ初心なのだめを、知り合って1週間そこそこで手篭めにしたんデスからねっ!」
「なっ……!」
「見て下さい!このキスマーク!!まだ全然消えませんヨ!!」

そういって私は胸元をはだいて、先輩にそのあとを見せつけた。

「おかげでのだめ、せっかく誘ってもらったのに、由衣子ちゃんと一緒にお風呂に入れませんでしタ!」
「あー……。」
「由衣子ちゃんにこんな所を見られたら、困るのは先輩ですヨ?」
「ご、ごめん。」
「昨夜よっぽど、ねちっこ〜いえっちしたんでショ!先輩!」
「うっ。」
「先輩、いつも公演の後ってシたがりますよね?後、酔っ払った時も!」
「え!?そ、そうか……?」
「そうデスよ!何か興奮が冷めやらないのか、公演の後はいつもよりえっちが、ねちっこいんです!
だからって、“初めて”ののだめにまで、そうするなんて……真一くんはムッツリスケベ大王です!!」
「はぁ……。わかったから、もう寝ろ。」

先輩は疲れきった様にそうぼやくと、私にちゅ!と軽くキスをして、再び胸に顔を埋めてしまった。








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