喪失 ミニコンサート後編5
千秋真一×野田恵


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「の、のだめちゃんっ!?どうしたのー?その格好っ!!」

一時間以上遅れてやって来た俊彦とのだめを見て、由衣子は開口一番にそう叫んだ。

「なんか…これから三者面談を受ける、息子と若い母親って感じだな。」

竹彦が笑いを堪えながらスーツ姿ののだめを評すると、彼女は真っ赤になって竹彦を睨んだ。

「ボク、こんな母親は勘弁してもらいたいよ……。」
「しかし、ここまで服に着られているのも、ある意味清清しくはあるな。」
「ムキーーーー!!」

のだめが白目で竹彦に抗議する側で、征子が白いジャケットの裾を少し摘んで気がついた。

「あら?でも……コレ、私のお洋服じゃない?」
「そうなんだ……。ごめん、征子ママの服、ちょっと借りたから。のだめさんが持ってたワンピース、
背中が開いてて怪我の痕が見えるから着てこれなくて……。」
「そうだったの……。」
「スミマセン……。お借りしてマス……。」

のだめは征子にペコリと頭を下げた。

「でも若いのだめちゃんには…やっぱりちょっと変よね?私よりのだめちゃん華奢だから、サイズも大き過ぎるみたいだし……。」

征子が苦笑しながら言うと、由衣子がのだめの手を引っ張った。

「のだめちゃん!!由衣子と一緒にお洋服買いに行こう!!今すぐ!!」
「へ!?」
「真兄ちゃまの凱旋コンサートなんだから、やっぱりのだめちゃんは可愛い格好をして、真兄ちゃまを喜ばせなきゃ!!」
「えええっ!?」
「ちょ、由衣子!松田さんのコンサート、40分後だよ?いくらなんでも今から服を買いに行くのは、もう間に合わないよ!」
「俊兄は昨日、予備校で帰っちゃったけど、由衣子はちゃんと松田さんの聴いたもん!!だからイイの!!」
「いいって……。由衣子はそうかもしれないけど、のだめさんだって松田さんの演奏聴きたいんだから……。」
「そんな事より、こっちの方が大事っ!!」

由衣子は俊彦に大きな声でそう言い放つと、のだめの手を取って、ぐいぐいと引っ張りながらホテルのロビーを歩いて行く。

「ゆ、由衣子ちゃん、のだめは別にいいですヨ?この格好でも……。」
「だぁーーめっ!!のだめちゃんが良くても、由衣子が嫌なのっ!!」
「そ、そんな……。ど、どうして?」
「真兄ちゃまの演奏……由衣子、昨日聴いて思ったの。
のだめちゃんに聴かせたかったな…って思いながら、真兄ちゃまは指揮してるって!」
「えっ!?」
「だから今日は、のだめちゃんは絶対可愛い格好をして?……真兄ちゃまの為にも!!」
「はうー……。」

のだめの手をぎゅっと握り締めると、由衣子は駅の方向へズンズンと歩いて行った。

**********

公演二日目、昼の部の松田によるAプログラムも終了し、残りは夜の部、千秋によるBプログラムだけとなった。
千秋はオリバーと共に時間通りに会場入りすると、公演後の慰労パーティーの最終確認をすると言うオリバーと別れ、
自分に割り当てられた控え室で支度を始めた。
彼は着替えは直前に済ませるタイプなので、まず始めは精神集中の為、
荷物の中から総譜や煙草といったアイテムを取り出して綺麗に並べていた。

控え室にあったミネラルウォーターのペットボトルを開けると、それを飲みながら千秋は総譜をチェックし始めた。
その時控え室のドアが控えめに、トントントン…とノックされた。

「はい?」

千秋が声を掛けると、控え室のドアがすっと開いた。

「失礼します。千秋さん、ご家族の方が面会にいらっしゃってますが、お通しして宜しいですか?」
「家族?由衣子達かな……。あ、通して下さって構わないです。すみません。」
「ではお連れ致しますね。」
「申し訳ありません。」
「いえ……。」

そう言うと公演スタッフは、ドアを閉めた。

トントントンッ!

今度はさっきよりも大きな音で、控え室のドアがノックされた。
千秋はドアまで立って行き、ガチャリとドアのノブを内側に引く。

「真兄ちゃまーーーー!!」

ドアを開けた途端、由衣子が千秋の胸に飛び込んできて、彼はそれをしっかりと受け止めた。

「由衣子!?どうしたんだ?みんなして……。」

由衣子を抱きかかえながら千秋が訊ねると、後ろから控え室に入ってきた竹彦が、申し訳なさそうに口を開いた。

「演奏前に楽屋訪問するのは、控えた方が良い…と由衣子には言ったのだが……。
どうしても、といって聞かなくてな……。すまんな、真一。」
「いや……まだ時間があるから別にいいけど。」
「真兄!調子はどう?」
「え?ああ、いつも通りだけど……。みんなの方が二日間コンサート漬けで、疲れているんじゃないか?」
「ふふふ。でも、今夜の真一のでそれも終わりだから……。素敵な時間は過ぎるのが早いのよね。」

征子が微笑すると、由衣子が千秋の胸元から身体を起して言った。

「真兄ちゃま!!今日は由衣子、真兄ちゃまにプレゼントがあるの!!」
「え?プレゼント?何だ?」

千秋が不思議そうに首を傾げると、由衣子は嬉しそうに控え室から出て行く。

「ほら!のだめちゃん!!」
「えーー……でもー……。」
「大丈夫!!今日ののだめちゃん、すっごく可愛いから!!」
「でもなんか…のだめじゃないみたいで……。」

控え室のドアのすぐ外にはのだめがいて、何故だか控え室に入るのを渋っているようだ。

「じゃーーーーん!真兄ちゃま!!見て見て!!」

ようやく話し声が終わったと思ったら、由衣子がポーズを取ってのだめを控え室に迎え入れた。

「千秋先輩、こ、こんばんわ……。」

おずおずとドアから入ってきたのだめの姿に、千秋は絶句した。

「なっ、何だぁー?おまえ…その…格好っ!!」

のだめはふんわりと優しい印象の、サーモンピンクのロマンティックなワンピースを身に纏っていた。
手元には、それとお揃いのボレロを持っている。

ワンピースの一面には薔薇の花模様が描かれており、一つ一つ色や大きさも違くて目を惹くデザインだった。
また、ネックライン、袖、胸元には濃いピンクのパイピング、そして肩には同系色のリボンが可愛らしくあしらってある。
裾の切り替えには贅沢にフリルがあり、胸元は上品にV字に開いていた。
そこからちょうど、のだめの豊かな胸の膨らみの上部が僅かに浮き出ていて、谷間がハッキリと見えるよりずっと艶っぽかった。

「真兄ちゃまどう?由衣子が選んだドレスなの!!のだめちゃん、すっごく可愛いでしょ?」
「あ、ああ……。」
「お化粧と髪は、私がしたのよ?」

征子がそう言うと、のだめは耳まで真っ赤にして、困ったように俯いた。
よく見るとのだめは、服に合うようにピンク系の化粧を綺麗にしており、栗色の髪は可愛らしく、くるくると巻いてあった。

「のだめちゃん、肌も綺麗だし色がとっても白いから、お化粧栄えするのよね。」
「確かに、最初に見た三者面談の格好と比べれば、別人のようだ……。」
「のだめさん、黙っていればどっかのお嬢様みたいだよねー。」
「……。」

千秋は未だにあっけに取られた様子で、無言で固まっていた。しかしその頬は、燃えるように真っ赤だ。

「……変ですよネ。」

どこか拗ねた様子でのだめがそう言うと、千秋は慌てて声を掛けた。

「いやっ!……そんな事は、ない……。」
「もぉー!真兄ちゃま!照れてないで、素直にのだめちゃんに“可愛い”って言ってあげなきゃ!」
「あ、ああ……。いいんじゃ……ないか?」

由衣子に促されて、千秋はどもりながらのだめを褒めた。それを聞いてのだめはふてくされた。

「別に…思ってもいない事を言ってくれなくても、いいですヨ……。」
「真一……。あなた、相変わらずね。そういう所……。」

息子の不器用な姿を見て、征子が呆れた様に溜め息をついた。

「さぁ、そろそろ行かないと……。真一だけでなく、オケの関係者にも迷惑がかかるから……。」

竹彦の言葉で三善家の面々とのだめは、千秋に激励の言葉を掛けながら次々と控え室から出て行く。

「真兄、頑張って!」
「ありがとう、俊彦。」
「真一、もう最終日だし、余り難しい事は考えないで、公演を楽しみなさいね。」
「分かったよ、母さん。」
「真兄ちゃまーー!また後でねーー!!」
「うん、由衣子、また後でな。」
「今夜の公演で真価が問われる……。しっかりな!真一。」
「はい、竹叔父さん。」
「千秋先輩、頑張って下さい。のだめ、先輩の音楽、楽しみにしてマス。」
「あ、ああ……。」

これから着替えると言う千秋を控え室に残し、のだめ達はロビーの方へ向かって歩き出した。

「どうする?まだ少し時間があるけど…一階のガーデンカフェでお茶でもする?」
「そうだな……。公演の時間が時間だけに、何か軽めに食事でもしておいた方がいいだろう……。」
「公演後のパーティーまで結構時間があるし…確かにその方がいいかもしれないわね。」

竹彦と征子が話しているのを後ろで聞きながら、のだめと由衣子は手を繋いで歩いていた。

「由衣子ちゃん…千秋先輩、さっき困っていましたネ……。」

のだめは小さな声で、ぼそぼそと由衣子に呟いた。

「えっ!?何で?」
「コレ、のだめが似合っていなかったから……。せっかく由衣子ちゃんに選んで貰ったのに……。ごめんなサイ。」

のだめのその言葉を聞いた由衣子は繋いでいた手を外すと、彼女の前に立って後ろ向きに歩きながら嬉しそうに笑った。

「ふふふ!のだめちゃん!今日の由衣子の作戦は大成功だよーー!!」
「……え?どこが大成功…なんデスか?」
「だって……!」

由衣子は小走りに走っていって少し前を歩く俊彦に腕を絡めると、甘える様にその腕を引っ張った。

「ねーー!俊兄もそう思ったでしょ?」
「うーん。確かに……。真兄ってそういう所、スマートなタイプかと思ったけど、実は照れ屋だったんだねー。」

のだめは二人の会話がよく理解できなくて、怪訝な表情をした。

「のだめ…よく分からないんですケド……。」
「んもぅ!のだめちゃん!のだめちゃんまでそんな鈍感でどうするのっ!」
「鈍感……。」
「だって、ねーーー?俊兄も見たでしょ?真兄ちゃまの頬っぺた、ずっと紅いまんまだったよね!
よっぽど今日ののだめちゃんが可愛いかったんだね!」
「うん…由衣子の言う通りだとボクも思うよ。真兄、よっぽどびっくりしたんだね、のだめさんの変身ぶりに……。
だって、のだめさんを見てから楽屋から出る時まで、真兄の頬の紅潮が残っていたし……。」
「え、そ…でしたカ……?」
「今日の真兄ちゃまの演奏は、きっと大成功だよっ!のだめちゃんのおかげで!」

由衣子が全開の笑顔でのだめに振り返った。

「そ、そですかネ……。」

のだめは頬をピンク色に染めて、はにかんだように俯いた。

「みんなー!始まるまで少し時間があるから、カフェで少し休憩しましょう!」

征子が前方にいる三人に声を掛ける。

「あ、ハイ!」
「今、行くよ!」
「行こう!のだめちゃん!」

由衣子は再びのだめの手を取ると、ぎゅっと握り締めた。
小さな彼女に引っ張られるようにして、のだめはカフェへと向かう竹彦と征子の背中を追いかけて行った。








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