瀬文焚流×当麻紗綾
これまでの現実がすべて悪い夢のようなものであったとして、 そこから先はどう生きればいいんだろうか。 「ちーっす」 とは言っても自分のことではない。目の前のこいつのことだ。 事件からしばらくしてある寒い夜、快復した目はいつもの餃子女を捉えていて、瀬文はこのごろ当然のようにやってくるその存在にげんなりと目を上げた。 「何でまた、来る」 もう消灯を過ぎている夜中、いくら個室とはいえ、こっそりスタンドを点けているだけで怒られそうなものなのに、堂々と忍び込んでくる神経が瀬文にはまるでわからない。今日こそは来なさそうだ、と安心していたところだったというのに。 「またじゃないっすよ毎日っすよ。瀬文さん、もしかしてまた記憶飛ばされたんすか?」 あの事件の後、瀬文と当麻は、軽傷で済んだ美鈴に助けられながら、なんとか病院に戻ることに成功した。 「飛ばされて、ねえ。お前の頭はぶっ飛ばしてやりてぇけどな」 「やだぁ、こわぁーい。添い寝しにきただけじゃないですかぁ」 「そ、れ。が、迷惑なんだよ」 『逃がされている』という感覚の許の、非常に不快なものではあったが、三人とも生きて帰れたということに、たとえようもない安堵を感じたのも事実だった。 忘れられないのは、乗り込んだパトカーの中で、当麻がふと、『疲れた』と言わんばかりに瀬文の肩へ、ぺたりと寄りかかってきたこと。 当然そんなことをされたのは初めてで、瀬文はひどく驚いたが、それ以上にその時は腕が動かないせいで何もしてやれないことを、ひどくもどかしく思ったのを覚えている。 もつれた髪、血まみれになった右手、しわだらけのスーツ。 クシャクシャな格好なのはいつものことだが、瀬文は、もし自分の手が動くのであれば、少しはマシに見えるよう髪の毛は梳いてやって、手は拭いてやり、ひどい服装を自分の上着で隠してやりたいと思った。 美鈴も同じことを考えていたのだろう。実際にそれを行ったのは瀬文ではなく彼女となったが、願いは程なく叶い、瀬文はひどくほっとした。 おそらく、当麻を女として見たのはその時が初めてだと思う。 瀬文は当麻に、そんな格好で目の前に居てほしくなかったのだ。 そうだ、こんなやつでも女なのだ。 言えば当麻が薄気味悪くにやつくさまが容易に浮かぶので絶対に言わないが、 身体に傷が残りそうなことはさせたくないし、今後もそのような目には出来る限り遭わせたくない。 こんな思いをさせるのは、今回だけで充分だ。 ゆえに、ここしばらくは当麻の悪行にも目を瞑り、腹が立っても手を出さず、できるだけ平和的に暮らすと瀬文は決めていた。 が、そうやって大目に見てやっていたら、三週間後にはこの有様だ。当麻は毎日やってきては瀬文の睡眠妨害にいそしみ、夜はいつまでも帰ろうとしないどころか、平気で同じベッドで寝る。 個室という特権を、どこまでも不正に生かす気らしかった。 「しょうがないじゃないすか。こっちの方が、なーんか落ち着くんすから」 「何がしょうがないん、だ」 「おっと」 耐えかねて、その何が詰まっているのかよくわからない頭へいつもの一撃を食らわそうとしても、 すんなりとかわされてしまう。 「ダメですね軌道が読めます。頭ここです。瀬文さん、手、早く治してください」 しかも、当麻は自分からかわしたくせに、妙に残念そうな顔をするものだから、さらに腹立たしい。 「これでも限界まで努力してんだよ」 「そうっすよね。気合でそこまで動くんだからあたしマジ感動です」 バカにしているのか、こいつは。 そしてこの調子だと、今日も追い払えないのか。 「寝るぞ」 「あい」 もう相手にするのも嫌になり、瀬文は諦めて『スタンド消せ』と振り返ろうしたが、 当麻は、今度は目を閉じて唇をとがらせている。……見ただけで目眩がした。 「貴様。何だそれは」 「何って、ちゅーですよ。おやすみのちゅー。ちゅー」 「誰が魚とキスするか。寝ろ。魚ちゃん」 「魚と寝る趣味はあるのにねぇー?」 「ふざけんな追い出すぞ」 聞くんじゃなかった。できることなら今すぐ記憶から消したい。 瀬文は、今殴れば今度こそ当たりそうだ、と思ったが、こんなやつに治りかけの手を使っては手が可哀想だと思った。 再び身を背けると、瀬文はしっしと手を振って電気を消すよう促す。当麻はそれを、黙認されたサインとして、従順に、こなす。 「はぁーい。今日もお疲れやまです。おやすみ瀬文さん」 何がおやすみだ、こいつは。 そうは思っても手元のスタンドは消え、瀬文は不本意にも、今日も当麻と眠ることになってしまった。 ただ、その右手は軽快にスイッチを押したので、奇跡的に軽症で済んだそれに、『手、たいしたことなくて良かったな』と一瞬声をかけそうになるが、 図に乗りそうなので結局やめておく。 そして案の定、当麻は隣に居るのが男だということも一切気にすることもなく、 さっそく寝息を立て始めた。しかし、その真似が瀬文にもできるはずがない。 ――まったく。 瀬文はうんざりした気分でベッドの右側を向きながら、ここ数日の状況を整理する。 毎日繰り返していることだ。自分は無事で、当麻も、無事(頭はますますおかしくなった気がするが)。 そしてこの三週間、特に命を脅かされるような事件は起きていない。 美鈴は入院せずに済む程度の怪我しか負わなかったし、地居は死に、ニノマエのことは――わからない。 そんな風にして何もかもが不可思議な一連の出来事を思い出す時、 瀬文にとっては、記憶だけが確かで、頼りだと改めて感じていた。 記録のないことの多い体験の中で、一度記憶を剥奪されそうになった瀬文だったが、 そのために、今はなおさら記憶の大切さを実感するのだ。 だから毎日復唱するように現状を整理するし、 それによって、精度を高めようとしている。 なのに当麻は、あの男に記憶をいじられていたという。 当麻の方から語ることはないので(当麻はいつもそうだ。自分からは何も喋ろうとしない) 会話や行動の断片から読み取るしかなかったが、状況的証拠から見て、 それは間違いなさそうだった。 本来最も憎むべき相手を、元とはいえ恋人として認識する記憶を植えつけられて 一年以上暮らしていただなんて、考えただけでゾッとする。 過去を改竄されるだなんて、陵辱されるのとなんら変わりない。 もし自分が同じ目に遭ったのなら、当麻と同じようにしていられる自信がない。 それでも当麻は事件後も何事もなかったかのように振る舞い、 今も気丈に生きているのだ。尊敬こそすれ、前のようにぞんざいに扱うなどできるはずがなかった。 だからこうして、『安心する』なんてよくわけのわからない理由で毎晩転がり込んでくる当麻を、 瀬文は渋々見逃してやっているのだが……。 「うぅ……ん」 当麻が、基本的に絶望的に空気の読めない奴であることは変わらない。 ベッドの上を転がる上に腕を振り回す、おまけに、時には不気味な寝言まで言う。 人にぶつかってもこちらが押し返さないことをいいことにいつまでもめり込もうとしてくるし、 これを迷惑以外の何かと呼べたら、そいつは天才かひどいマゾだと瀬文は思っている。 ちなみにあいにく自分はどちらでもないので、迷惑だ。 「ん、」 暗い病室のベッドの上で、当麻はさも自分しかないかのように、顔を背中に寄せ、髪の毛をこすりつけてくる。 それでもこの程度で済む分、今日なんて、まだマシな方だ。三日前なんて――と、 ここ数日の当麻の行いを思い出すと、瀬文はどんどん腹が立ってきて、 さっきまでの考えを撤回してどつき回してやりたくなった。 が、大分治ってきたとはいえ、骨折から立ち直り始めたばかりの腕を振り回すのは やはり億劫だ。だから仕方なく放っておいているし、不本意ながら、 人肌に癒されている自分がいるのもまた事実だった。 それに。当麻の傷ついた心身をフォローしてやりたいという気持ちもまた、 瀬文にはあったのだ。 一連の事件の中で瀬文や美鈴たちは実にひどい目に遭ったが、 その中でも、当麻の負った痛みは計り知れないものであったはずだ。 機会があるのであれば、可能な限りのことをしてやりたいと思っているし、 些細なことであっても、何らかのカバーができたらと思っている。 ただそれは性的な発想を伴うものではなく、あくまで、人として、 仲間としての純粋な気持ちだ。いくら共に死線をくぐり抜け、 互いにかけがえのない存在となったとして、男は男とやらないだろう。 いや中には男同士でそうなる奴もいるが、ともかく、瀬文にとっては そういう気持ちだったのだ。 特に当麻とは、性とは別のところに絆があると感じていた。 当麻もおそらく、同じように思っている。 だからこうして、瀬文は今夜も隣に女が居るという事実に見えない振りをする。 まるでこんなやつなど最初からいないかのように、普通に振る舞って、寝る。 そして、毎晩のように、当麻を犯す夢を見てしまうのだ。 『……あ、ぁっ、あ、瀬文さ、ぁあっ』 毎日のように見る夢の中で、瀬文と当麻はおかしなことになっている。 瀬文は当然のように当麻とセックスしているし、 当麻もまたそれを当然のように受け入れている。 夢はいつも唐突に始まるので、前脈はまるでわからない。 今日は、いきなり挿れるところから始まっていた。 瀬文は未詳の自らのデスクに当麻を座らせ、両脚を抱え上げていきなり挿入する。 当麻の靴は脱げ、打ちっぱなしのコンクリートへ女子高生みたいなローファーが 落ちる音と、見慣れた白い靴下が、瀬文の肩でひらひら揺れるさまが、 ひどく性的だと思った。 『あ、……ぁ。ん、ぁっ』 夢の中の当麻は見た目どおり軽く、足を担いでも、不安になるほど重みがない。 瀬文はその身体を抱きかかえて折り曲げると、最奥まで突き挿し、 がくがく動かしながらその膣内を堪能した。 『あ、あぁ、ぁ。あ……』 スカートを乱雑にめくりあげられ、ブラウスの前がはだけている当麻からは、 赤く色づき、ふくらんだ乳首が見える。 その姿は単純に可愛くて、瀬文はいつまでも見ていたいと思うのと同時に 他の誰にも見せたくないと思い、他の誰かに見られそうな場所でこんなことをしている のは自分だというのに、当麻を隠すようにして抱いた。 乳首をいじられている夢の中の当麻は理性を失うほど感じていて、 夢の中らしく都合よく、素直に乳を吸われ瀬文のものにされていた。 可愛いのでもっと感じるよう軽く噛んでやると、あっ、と甘い声を出して 瀬文の背広をつかんでくる。 『……瀬文さん。ぁ、瀬文さん……っ』 無防備に声を漏らして喘ぐ姿も、瀬文のモノを受け入れようと腰を揺する姿も、 目に涙を滲ませてすがりついてくる姿も、ぞくぞくするほど蠱惑的で、 離しがたく可愛かった。 こんな場所で酷いことをして犯している最中なのに頭を撫でてやりたくなり、 きつく足を絡められてはそれを忘れ、さらに激しく当麻を抱きしめる。 夢の中で、瀬文は当麻に思うまま狼藉を働いて滅茶苦茶に扱うくせに、 最後は必ず愛おしくなって抱いて眠った。 未詳の仮眠スペース――いつも当麻が書をやる場所だ――で押し倒し屈曲位で、 コンクリートの壁に押し付けて駅弁で、男子トイレの一室で、しゃぶらせたあとに背後から。 夢は見る度に場所と行為を変え、それはもろに自分の欲望を表している気がして、 瀬文は目覚めた時、決まってうんざりした。 できる限りのことをしてやりたい、と思った次の瞬間にはぶん殴って追い出したいと思い、性を超えた大切な仲間だと思っている、と思った直後に犯している夢を見る。 脳内で真摯に繰り広げたはずの論理は次の瞬間平気で矛盾して、その揺り返しに、 瀬文はますます自分がわからなくなる。それはまるで、 自分という存在の稚拙さを表しているかのようですらあった。 しかし、現実はある意味、夢より安心だと言えた。 現実には、自分が毎晩繰り返してきた夢想のようなことが起こりうるはずもない。 実際問題当麻に激しい罪悪感を覚えているのは確かで、 もしもバレたらえらいことになる、いくらなんでも考えていいようなことじゃない。 サトリが居なくて本当に良かった、と思うのも事実だったが、 そもそも現実の当麻があんなまともなリアクションをするとは思えないし、それ以前に。 「お。起きた」 ――だってこいつ、処女だろ。 目を覚ますと、当麻がじいっと覗き込むように自分の顔を見ていて、 ぴらぴらと手を振っていた。寝ても覚めても当麻とは、実に気分が悪い。 そしてそれに慣れつつある自分もまた、気分が悪い。 「何してる……」 「何って、瀬文さんの顔見てました」 「それは見りゃわかる」 「瀬文さん、眉間にめちゃくちゃシワ寄ってましたよ。こーんな風に」 当麻は眉間と言っているくせになぜか自分の目尻を引っ張り出し、 瀬文はそれじゃ眉間関係ねえだろ、と思ったが、眠気と、 隣にぴったり寄り添われているというこの妙な近さに芳しくないものを感じ、思わず顔を背けた。 それにしても、またあの夢。当麻を抱くなんて、つくづくありえない。 冷静になってくると、むしろそんな夢を見させられて、自分が被害者になった気分だ。 ありえない。そもそも好みの顔でも好みの性格でも、好みの身体でもないというのに。 自分の願望が詰まったような女ならいざ知らず、相手は当麻だ。 しかもあいにく、何かの間違いでそれに肉薄する事態が起きたとして、 我慢とか忍耐とか、そういうものは得意中の得意なのだ。 たとえば裸の女が迫ってきても無視してやり過ごせる程度には 自分をコントロールできる自信はあるし、それはこの枯れ枝みたいな手をした なまっちょろい女が、どんなに頑張ったとしても同じだ。 「うるせえ。寝ろ」 当麻に背を向けたまま、瀬文は言った。 「目ぇ、覚めちゃいました。瀬文さん唸ってるし」 「唸ってねえ。寝ろ」 「やぁだーやぁだー」 「うるっせえ……見つかるだろうが」 今日は暴れないと思ったら、やっぱり暴れるのか。 当麻は転がりながらベッドを揺らすので、うるさくてたまらない。 しかし、制止しようとした瀬文は誤って服の裾を掴んでしまい、 当麻の方もさすがにまずいと思ったのか、二人はそのとき顔を見合わせた。 直後にくしゃっ、という紙か何かのような音を聞き、瀬文は、 当麻がポケットに何か入れているのだろうか、と思った。 するとその途端、手を離した弾みで、正体を自ら現したいかのように、 当麻のポケットから、正方形の薄いビニールのようなものが、シーツの上にころんと落ちた。 ……瀬文はそれを拾ってやって、見て、絶句した。 「お前、何て物持ってんだ」 「コンドームっすよ。見りゃわかるっしょ」 何だと? あっけらかんと告げる当麻の口ぶりに、瀬文はますます気を失いそうになる。 前々から頭がおかしい、最近はとみにおかしい、もう完治のしようがないと 思っていたら、本当におかしかったのか。 頭を殴られたように視界がぐらぐらとし、瀬文は目眩がした。 我慢や忍耐が得意で、たとえ裸で迫られたところで微動だにしない、と言ったはずの 自分の鋼の精神は何処へ行ったのか。否、もはや自分のせいではない。 当麻といると自分はおかしくなる。こいつの存在自体が、異常を誘発しているのだ。 「一応聞くが。そんなモンを何に使う気だ」 「主に身体の準備っすよね。さすがに今妊娠しちゃまずいんで」 「こんなとこで妊娠の可能性なんてねえ。捨ててこい、アホらしい。寝るぞ」 「でも、瀬文さん」 「あ?」 「……ぎんぎんに勃ってるっすよ」 平然と有り得ない下種なこと言うな、お前処女だろ。今度こそ殴るぞ。 そう言われて瀬文は、そのように返すつもりだった。 当麻はいつもの真顔で可愛くもないくせに首を傾げていて、いつものあの平熱のトーンで言う。 仮にそうだとして布団の上から見えるはずもないから、おおむね当麻は、 瀬文が焦る姿が見たくて、あてずっぽうに言ったのだろう。 ……なのにそれが当たって、この有様。 有り得ないと思った故に、自ら思い切り布団を剥いだ瞬間露になった入院着ごしの 瀬文のソレは、当麻に指摘された通り、自分でも隠しようのないほど大きくそそり立っていた。 「うわ。こんー、な、なるんすね。高まる。ねえ瀬文さん、触ってもいいっすか」 最悪だ。 さっきまで、あんな夢を見るから――。 「触ったらぶっ殺す」 「えぇーっ、瀬文さん、紗綾、さーわーりーたーいー」 「気色悪りぃ声出してんじゃねえ」 その目にはっきりと見られたせいで、たとえあの夢の内容を見られずとも、 当麻のせいでそうなったということは、もはや隠しようがなかった。 あまりにもきゃあきゃあ騒がれたおかげで、当麻への申し訳なさは すぐに当麻への腹立たしさへ変わったが、恋人でもない女にこんな姿を見られたことで、 瀬文は個人的にもどうしようもない気分になった。 ただでさえ人に見られたいものじゃないのに、見たのがよりによって当麻。 「ねえ瀬文さん。あたし、手伝ってあげないこともないですよ?」 「ふざけたこと抜かしてんじゃねえ」 「だってこれあたしのせいっすよね、明らかに」 「うるせえ」 「わ、」 払っても払ってもいつまでも伸びてくるその手から逃れたくて、気づくと瀬文は、 慌ててその身体ごとつかんでいた。ただでさえ軽い当麻の身体は簡単に思い通りになり、 瀬文はそのたやすさに改めて驚いた。 「おい、当麻。……帰れ。自分の部屋に戻れ」 触れられないように、ぐるんとひっくり返したので、 瀬文は当麻を、後ろから抱きすくめるような形になってしまう。 耳元で低く言ってやると、当麻の身体が初めて震えた。 単に驚いたのか、それとも脅えたのか。まあ、どうせおそらく前者だろう。 「……なんでっすか」 「ここにいると犯すぞ。いいのか」 しかし、ここまで来ると、どうにかして脅かして帰すしかなかった。 いくら当麻といえど、相手は処女(と思われる女)だ。 自分を乱雑に扱う人間に身を任せるのは怖いだろうし、第一そんなことは はなから望まないだろう。いつもの売り言葉に買い言葉で、 引っ込みがつかなくなっているだけだ。 「……っ」 露骨なことを言われたおかげで、当麻は一瞬むっとしたように静かになったが、 すぐに、頭を、どこかの映画の化け物のようにブリッジさせて言った。 ……やっぱりこの女は、どこか頭がおかしい。 「別に、いいっすよ。半分そのつもりでしたから」 「半分って何だ半分って」 「自分でもよくわかりません」 「俺はもっと意味がわからねえ。帰れっつってるだろ」 「いいから、していいですよ。できるもんなら。ていうかしたいんすよね?カッチカチなんすけど」 「ふざけんな。……いいのか、本当に犯すぞ」 再び指摘されたことで、怒りと羞恥心で全身の血がぐるぐると熱く巡り、 瀬文は自らのモノの熱さを、嫌でも意識してしまう。 「いいっすよ。正直結構驚いてます。……だって」 その続きは、聞かなくても嫌というほどにわかる。 なぜなら、瀬文自身が驚いていたからだ。 いくらあんな夢を見た直後とはいえ、こんなことになるとは正直不覚だった。 当麻も当麻だ。処女なら処女らしく嫌悪したり逃げ出したりすれば瀬文も楽なのに、 案の定煽ってくるとは。まあ、わかってはいたことだが。 こいつが最初から女らしいまともな反応を、するはずもない。 瀬文に抱きすくめられている当麻の顔は長い前髪のせいで見えなかったが、声は明らかに余裕そうで、目の前の生意気な女を、瀬文は脅かしてやりたいような気分にもなる。 めずらしく洗髪されている髪の匂いに迫られて、瀬文は、無理やりその服の中へ手を突っ込んだ。 「おい、なん、でつけてねえんだ、下着」 するとその手は意外な感触を手に入れ、震えた。当麻は服の下に、下着をつけていなかったのだ。 「寝るときは外す派なんで。……あ。ぁ、」 それでは、今までも、この三週間ずっとそうだったというのか。 驚いて鷲?みにしてやると、はっ、と息を呑む音がして、鼻で笑ってしまった。 強がってはいるが、結局怖いのだろう。少し触って脅かしてやれば、 今度こそ震えて逃げ出す当麻が見れるかも知れなかった。 そして、できればそうして欲しいと瀬文は思った。 「ん、」 しかし当麻は暴れるどころか微動だにせず、黙って瀬文に愛撫されている。 身から出た錆だ、後に引けなくなっているのだろう。 それは瀬文も同じで、すでにそのささやかな膨らみから手が離せなくなっていた。 女の胸に触れたのなんか、いつ振りだろうか。 「しょぼい乳だな」 「うっ……さいです」 当麻の胸は、その痩せぎすの身体にふさわしく小さなものだったが、 小さいなりに、揉みしだくとふにふにと甘い弾力が返ってきて、 いつしか自然と夢中になっている自分に気づく。 「あ、」 真ん中に寄せるようにして揉めば楽しくなってきて、 飽き足らなくなり今度は乳首をつまんでやる。 「あ……っ」 すると、当麻の声が急に高くなり、瀬文はそれを聞いて、 脳天に抜けるような自分の欲動を感じていた。 ……やばい、欲情している。と、嫌でも実感せざるを得ない。 当麻のことになると、自分は矛盾している。 胸を張って『こうだ』と示せる回答が見当たらず、いつも場当たり的な感情で行動してしまう。 容赦なくぶん殴ってやったり、魚だのなんだのと小バカにしている一方で、 その知性や度胸を尊敬していることがあるのに、そこから引き摺り下ろすような 夢を見て、こんなことをしている。自分が何をしたいのか、 自分でもよくわからないのだ。 「……ふ。ぁ、」 くにくにと引っ張って困らせてやったり、軽く爪でひっかいて刺激してやったり、 コリコリと親指で転がしてやったり。 瀬文にさんざん好きなように乳首を攻められて、当麻はびくんと身体を反らし、 その肩に頭を押しつけることで行為に耐えていた。 地居との記憶が偽物であった以上、こいつは処女で、恋人が居たことは ないのではないかと瀬文は思っていたが、本当にそうなのかもしれなかった。 別にそれはおかしなことではないが、いつも飄々としている当麻に、 そんな弱みがあったと知るのは少し可笑しくもあった。 「感じてんのか」 だから思わずそう問うたとき、別段意地悪く言ったつもりはなかったのだが、 言葉はずいぶんと冷たく聞こえた。一瞬悪いことをしたなと思ったが、 相手は当麻だ、別にかまわない。その先端は弛緩と収縮を繰り返し、 当麻が感じていることは聞かなくてもわかっている。聞くのは単に、なんと返すのか、興味があるからだ。 「や……違……」 「感じてねえなら、やめて寝る」 「……あ!」 そうやっていたぶってやって、それで満足して終わりにするはずだった。 だから、しばしの間をすぎて待ちかねた回答がこぼれたとき、瀬文はとうとう頭が真っ白になった。 まさか、そんなことを言うとは少しも思わなかったからだ。 「感じて……ますよ。気持ち、いいです……」 当麻は照れ隠しのつもりなのか、言ったとたん、 ちっ、と舌打ちをするとうつむいてしまい、瀬文は耳を疑った次の瞬間に記憶を疑い、 疑わしいところしかないのにたまらなくなって、無理にこちらを向かせて当麻にキスをした。 「んく、」 それから、こうするよりも先に乳を揉んでしまったことを後悔した。 こいつは本当に初めての癖に、自分と本気でやろうとしている。 今まで半信半疑だったことが急に実感を伴ってきて、 それが次の瞬間当麻をいたわる気持ちに変わっていた。 なぜなのかはわからないが、当麻は自分がいいらしい。 両腕にずっしりと覚悟が備わってきて、最終的に未遂に終わるとしても、 嫌な思い出にはさせたくないと思った。記憶というのはそういうものだ。 生きていくために、必要な蓄積なのだ。記憶がそのまま人間関係を構築し、 それが生きていくためのしるべになる。 だから今、瀬文は当麻の記憶に、不快なものを入れたくなかった。 「瀬文さん、くちびるカッサカサっすね」 素直に求め合ってるのか、それとも先に離したら負けのような気がして 続けているのかわからないほど長くキスをして、ようやく唇を離すと、当麻が、 ふふ、と笑った。いつも通り不気味な笑い方だったが、なぜだか、 いつもよりは可愛らしく感じる。 「うるせえ」 「でも、嬉しいっす。やっとちゅうできました。もっかいしてください。ちゅー」 ふざけてまた唇を突き出してくるので、もういいかと思い、瀬文は顎をつかんだ後 また重ねてやった。目を見開いて驚いた当麻などその時初めて見たが、 この行為自体、単なる気まぐれなので深い意味などはない。 「な……んか、これでも」 離しがたくなり、瀬文は今度は正面から当麻を抱きしめた。 それからその胸に顔をうずめ、件のカサカサの唇を押し当てて吸ってやる。 乳首を吸われ、両胸をまさぐられながら、当麻は言った。 「逃げ、るとことか、隠れられ、るよ、うなとこ、ぁ……、ん、探したんすけど」 「おう」 乳首を吸われ、ひねられながらなので、声が震えている。 小さいなりに堪能してやろうと胸全体を持ち上げるたびに、肩がこわばる。 下から上へなめあげてやってからぎゅっと引き寄せると、一度言葉が止まった。 「探し、たんすけど。でも、他には思いつかなかった……。 ぁ、っ、ここしか行くとこ、なかったんです」 「そいつは不幸だな」 当麻の言わんとするところが、現実に身を隠す場所の話でないことは瀬文にもわかっていた。 だから行くところがなかったと言われて、ふいに泣きたくなる。 確かに共に様々な事件と関わってきたのは自分で、当麻とは、 協力者の野々村係長や美鈴にも話せないようなことを、いくつも共に受け止めてきた。 しかし当麻との関係の中で、瀬文は褒められるようなことをした覚えなど殆どない。 どう見ても優しくしなかったし、当麻がやりたい放題するからといって、 自分も同じように当麻には好き勝手してきた。 なのにそのくせ、謎を解くのも、協力するのも、いつも当麻だった気がする。 その知性にまるでついていけず、いつも後手に回っているような 居心地の悪さがあったくらいだ。それでも当麻は、自分がいいのだと言う。 消去法の果てでも、一人より自分がいる方がいいと言うのだ。 そう思うと、今まで得体の知れない不可解な女だと思っていた当麻のことが、 急にいじらしく感じられ、いとおしくなった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |