シチュエーション
![]() 美香は軽くシャワーを浴びて歯磨きし、服を着替えようと思った。 寝室に行き、昨日着ていた服と化粧道具を持って洗面所に戻る。 ワンピースを着て、ガーターではなく普通の黒ストッキングに履き替える。 化粧も昨夜よりは抑えめに、でもいつもの美香よりは気持ち濃いめにする。 そういえば薔薇のイヤリングをしていたのに、いつのまにか外れてしまって いた。 軽く首筋にトワレを吹きかけ、髪をかきあげる。 背後に気配を感じて振り向くと、いつのまにかシャツとスラックスに着替えた 黒澤が戸口に立っていた。 「いやだ…見てたんですか?!」 黒澤はにやにやと笑って美香の狼狽ぶりを見ていた。 「全部じゃないけどな」 美香は彼の脇をすり抜けていこうとするが、当然黒澤に立ち塞がれる。 「待てよ。…キスだけしようぜ。朝のご挨拶、してなかっただろう」 「ほんとに…キスだけ?」 「ああ。ほんとだ」 美香の身体を抱きしめると、黒澤が唇を重ねてくる。 最初は軽く、何度も唇を合わせるだけ。 それを繰り返すと、まるでほんとうの恋人同士のような錯覚に陥ってしまう。 そして唇をこじ開けられ、男の舌が美香の口内に押し入ってくる。 優しく滑らかな動きが、彼女の感じやすい部分…歯茎の裏、上顎のあたりを 幾度も往復する。 美香の舌を黒澤のそれが捉えて、逃げないようにと絡みつくように執拗に 擦りあわされる。 「ん……」 美香の口から、鼻に抜けるような甘い声が漏れる。 こんな風にされると、自分から彼の肩にしがみつくようにしてもたれかかる。 いつもこうして、キスだけで濡らされてしまう。 腰を洗面台に押しつけていなければ、もう立っていられなくなりそうだった。 美香のワンピースの裾に、黒澤の手がかかる。 慌ててその手を押さえようとしても、強引に裾布を捲り上げられてしまう。 唇を外されると、美香は息を弾ませて黒澤を軽く睨んだ。 「いや…キスだけ、って言ったのに……」 「はき替えたんだな。昨日着けていたのと違うじゃないか」 美香は自分が今、きっと赤面していると思った。 「俺とするのを予想して、着替えを用意してたんだな?おまえは、濡れすぎる くらいに濡れるからな……」 替えた総柄のプリントレースのショーツの股間に、確かめるように指が伸びる。 「いやっ……」 「入れないぜ。キスだけ、って約束だ。ここにも、キスだけしてやるよ」 そう言って、黒澤は美香の足元に座り込む。 「ほら…足を開けよ」 美香の足首を持って、左右に開かせるように仕向ける。 朝の光が満ちている中で、淫靡な行為が行われようとしていた。 敏感な内ももに唇をつけると、強く吸い付けられる。 「あっ……」 痛みを感じるくらいにされて、美香は下を向いた。 「ほら。キスマークだ」 「………いや………」 下肢から、異様なほどの熱気と高ぶりが立ちのぼってくるのを美香は感じた。 「この前つけたのも、おっぱいや首のは消えてても、このへんのはまだ薄く 残ってるぜ。柔らかい所だからな」 そう言うと、反対側の太ももまで、同じように強く吸われる。 そしてショーツのクロッチ部分に口をつけられてしまう。 「あ、あっ………」 たまらずに、美香は高い声をあげてしまう。 舌先だけで、そこを執拗に舐められる。 男の唇と舌の熱さと吐息、ぬめぬめとした蠢きが美香の秘所を疼かせる。 朝からこんなふうに、求められるなんて思ってもみなかった。 感じているのも、既に向こうに知られているだろう。 黒澤の手が、美香のショーツを下ろしていった。 すぐに、その濡れた部分に舌が分け入ってくる。 クリトリス周辺を数回舐められただけで、美香は大きく喘いだ。 背後の洗面台の縁に手をかけて、自分の体を支えていなければ、足元から 崩れ落ちていってしまいそうだった。 「い……や……。……あ、ああん……」 口先だけでいやだと言っても、それは男の気持ちを煽り立てるものでしかない。 彼女の秘部は貪欲に快楽を追うために、男の愛撫に応えていく。 昨日のセックスの数々だけで、身も心も黒澤に支配され、惑乱されきって いるのに。 気が狂いそうなほどの快感が、美香をセックスのことだけしか考えられない ような淫らな女に変えていこうとする。 そうならないでいられるのは、時折優しさを垣間見せる黒澤の素顔を見ている せいだった。 「い…き、そう……。あ、ああ……」 美香はすぐに迫ってきた絶頂感を、黒澤に伝えた。 彼はそれに答えず、かわりに舌先の動きが激しくなる。 また昨夜と似たように、立ったまま、いかされる。 「あっ……あ!ああ、あ……ああ〜〜〜んっ………」 美香は上体を大きく弓なりにのけぞらせて、昇りつめていった。 彼女の身体が洗面台に入ってしまわないように、黒澤の手が支える。 艶めかしい半開きの唇に、また情熱的なキスが与えられる。 達したばかりで無防備な美香の股間に、指がぬるりと入り込んできた。 「あっ……」 濡れきっているそこは、簡単に男の指を受け容れてしまう。 「さあ、これでもキスだけでいいのか?」 からかうように言いながら、指で内部をゆっくりとかき回される。 愛液で濡れた指を美香の内ももになすりつけると、黒澤はジッパーに手を かけて下ろしていった。 「こいつにも、お返しにキスしてくれるか?」 そそり立つものを手で示すと、美香の太ももの間に擦りつけてくる。 「あっ……。あ!」 それを聞いて、やっぱり…と美香は思った。 冷凍してあった食パンを持って「パンは何枚焼くの?」と訊く。 「ああ、じゃ二枚頼む」 そう言うと、彼はシャワーを浴びに行った。 まもなく戻ってきた彼と、カウンターキッチンの高いスツールに座って 隣り合って朝食をとる。 なんだかこんなことまでしてしまったのが、今になって気恥ずかしい。 男の部屋で夜明かしするのが慣れているみたいに思われたら、いやだ。 黒澤は、食事のスピードが速い。 それでいて、ちゃんときれいに食べる。 美香も食事の仕方は遅いけれど、彼はその倍以上の早さで平らげる。 「食べるの、早いのね…もう終わりなの?」 美香はあっけにとられてそう言った。 「あ?ああ…やっぱり早いか。職業柄、習性みたいなもんだな。味わってる みたいに見えないって言われるよ」 それを聞くと、美香は胸に小さな棘が刺さったような感触を覚えた。 こうして、女性に手料理を作ってもらって、早食いを指摘されたんだろうか。 この人の年齢からいって、そんな経験なんてあって当たり前なんだろうけど。 「うまかったよ。ありがとう…。 こんなふうな食事は、ほんとに久しぶりだった。…陳腐なセリフだけど、 いい嫁さんになれるよ」 美香の肩を抱いて、笑顔でそう言ってくれる。 「新聞、取ってくる。そのままにしといてくれ」 「いえ、片づけて洗っておきます。私が勝手にやったことなんだし…」 食器を手早く流しに入れて、さっさと洗い始める。 「悪いな…」 美香は髪を振り乱して、首を振った。 「しゃぶるか?朝っぱらから……」 ……そうしても、いい。 一度こうしてイかせてもらったなら、次にこうされても拒みきれない。 美香は黒澤の腰のあたりに顔がくるように、ひざまずいた。 スラックスのジッパーを開けて、そそり立つものの先を、唇に含む。 もうそこは、先走りの液で濡れ光っていた。 ためらいがちにそこに舌を這わせ、ねっとりと舐めて味わう。 こんな淫らな行為をしている自分の乳房を、自分で触ってしまいたい。 彼に、触ってもらいたい。でも、言えない……。 「ああ……」 黒澤の、感じている声がたまらない刺激になる。 気持ちよくさせてあげたい。 今は私が、この人の快感をコントロールしている。 セックスに関してはものすごいほどのテクニシャンのこの人が、私の フェラチオに声をあげるほど感じてくれている。 そんな淫猥な行為に没頭していることに酔いながら、美香は自然と 膣の奥深くが疼き、ひくつき、愛液を溢れさせていくのを感じた。 さすがに朝から口の中に精液を出されるのには抵抗があった。 それでも、彼が望むのなら……。 美香がそんなことを考えている時に、黒澤が自分から腰を引いた。 彼女は思わず深い溜息をつく。 スラックスのポケットから、コンドームを取り出して装着させる彼を視線の 隅で捉えながら、美香は入れやすいように自分からストッキングを脱いだ。 黒のレースのショーツも脱いで、片足にひっかけておく。 はじめから、美香の身支度が整うのを待っていて、敢えてここで抱こうと していたのか……。 「ほら。そこに手を突けよ」 美香は洗面台の縁に手をかけ、黒澤に向かって尻を突き出す形になった。 通常のバックと違って、立ったままでのバックの場合上半身を前に倒して 腰を相当に持ち上げないといけない。 身長180センチの長身の黒澤と、158センチの美香との身長差を 考えても、腰を高くしないとうまく彼を迎え入れられない。 熱いものが、美香の濡れたはざまに当てられた。 すぐには入れないで、上下に擦りつけられる。 「ああ………」 美香の唇から、艶めかしいせつない声が漏れる。 腰を引き寄せられて、先端がゆっくりと入ってくる。 「あっ……。ああ〜〜………」 刺激的な体位をとらされ、洗面所兼脱衣所の狭い室内で背後から犯される。 刺し貫いてくる黒澤の怒張の太さが、固さが美香の感じるGスポットを つついて、こする…… そのあまりにも快美な感覚に、美香は自ら身体を揺らして応じた。 「んっ……。あっ。あっ……。あ……。はあ……。」 気持ち、いい……。 「…こうして立ってると、きついくらいに締まるな……。こんなに、ぐちょぐちょに なるほど濡らしてるのに。くわえ込んで、離れないぜ……」 彼の右手が、美香のクリトリスにそっと触れる。 「ああっ!あんっ!」 悲鳴に近いほどの高い声をあげて、美香は締め付けてしまう。 「……凄い。また、今ので締まってくる……。奥も、締め付けられる。 ……おまえは、ほんとに具合がいいな……。そのうえ、マゾだ。 最高の女だよ……」 掠れた声で美香を誉める黒澤も、快感が切迫しているのがわかる。 少しずつ、男根の抽送が早まってくる。 そのたびに美香も甘い声をあげてよがり、腰を動かした。 「あっ……あん!ああ……ああ、いい!凄い。凄い、あなたの……」 美香の奥深くに突き刺さるものの充実感で、膣内がいっぱいに埋めつくされて いる。 素直に、そのことを口にしようとしている。 「凄いの…いっぱいになってる。ああ……熱い。あ、お願い……もっと……」 淫らなうわごとを口走ってしまう。 「これはどうだ?ほら……ほら!」 黒澤が、一層素早く出し入れを始めた。 膣から出そうになるぎりぎりまで引き戻し、そして深奥まで深く貫く。 「ああっ……あ、あんっ!ああ!ああ、凄い……。ああ……」 膣内全体が男根を包み込むようにして感じようとしている。 もっと深く快感を追おうとして、内部が痺れるようになってきている。 意図的に締めなくとも、黒澤に突かれるたびに彼の熱いものを捉えて 奥へと吸い寄せるようにしてしまう。 「…あ……もう……だめ。いき……そう……」 美香は上半身を突っ伏すようにして、頂点が近づくのを告げる。 「そうか……そんなにいいのか。じゃあ、いかせてやるよ。ほら…いけ! 後ろから犯されてるのが、気持ちいいのか!感じるのか!」 黒澤も息を荒くして、激しく言葉と同時に責め立てる。 Gスポットに何度も当たったその瞬間に、美香は声も出せずに達していった。 快感のあまりに息がつまりそうになる。 大きな快楽の波涛がどっと過ぎていったあとに、遅れて溜息が出る。 「……あ……。ああ………」 膣内が蠕動を繰り返しているその時に、黒澤も声を放った。 「……ああ……イクぞ。出すぞ、美香……。ああっ………」 こらえきれないといった上調子の声が、快感の大きさを示している。 解き放たれた黒澤の欲望が、美香の中で大きく弾けていく。 その衝動が、またしても美香に細波を呼んでいく。 美香は完全に上半身を前に倒し、洗面台の縁に突いている自分の両腕に 預けていた。 そうでもしていないと、倒れ込んでしまいそうになる。 内部を満たしていた怒張が引き抜かれ、その感触に美香は喘いだ。 彼は呼吸を乱している美香の顔を横に向けさせると、軽くキスをしてくる。 そのまま美香は床にへたりこんでしまう。 「また、腰が立たなくなっちまったのか?」 黒澤は呆然としている美香の様子を見下ろして嘲った。 「お嬢さんには、朝から刺激が強すぎたかな。こんな場所だし、余計に興奮 してたんだろう?」 まだ彼は、サディスティックな言葉でのいたぶりをやめようとしない。 美香はどれも否定できない。 冬の陽光の眩しさが、隣接するバスルームの窓から満ちている。 昼日中から、こんな所で、こんなことを……。 身支度も終わったばかりだというのに、またこんなに乱れさせられた。 このまま、この男の部屋に軟禁されていたら…… もしも、こんな風に繰り返し抱かれていったら……。 自分がどうなってしまうのか、自我が崩壊してしまうような恐怖感が 美香を戦かせた。 快楽の強さのあまりに、呆けたようになっている美香の背後から黒澤が 出ていった。 そこで、やっと我に返る。 またしても、下半身だけで、立ってバックからいかされてしまった。 さしずめ、昨夜の再現のようなセックスとでもいうのだろうか。 幾度繰り返し、抱かれたのか…何度イったのか、美香にももう よくわからなくなってしまった。 立ち上がり、もう一度身支度を済ませようとした。 軽くシャワーを浴びると、タオルを使う。 昨夜から何度もシャワーを浴びているので、幾つもタオルを使ってしまって いる。 気になって、それを全部洗濯機に入れて洗うことにする。 美香が帰ったあとで、これらを黒澤が始末するのを想像すると、なんとも 彼にはそぐわなさすぎる。 そういった日常の家事や雑事が、あの男には似合わない。 乾燥機もついているので、終わり次第ここに入れてしまえばいい。 洗濯の最中に、髪を乾かし、落ちた髪の毛を拾い集める。 また念入りに化粧をし直し、これからの外出に備える。 「何をしてるんだ?」 黒澤の声がする。 あまり長いこと美香が出てこないので、気になって様子を見に来たらしい。 「大丈夫か?気分悪くなったりしてないか?……入るぞ」 さっきは無遠慮にしていたくせに、今になって断ってからドアを開ける。 「あ…もう一度、シャワー浴びてたの。」 洗濯機が動いているのを見て、黒澤は驚いた様子だった。 「洗濯まで、してくれたのか……」 「ごめんなさい…勝手にいじっちゃって。だって…気になっちゃって」 「いいよ。よく気がつくんだな。美香、長女だろう。違うか?」 「……どうしてわかるの?……調べてあったの?」 美香は目をぱちくりさせて彼に訊いた。 「調べたというか、おまえから訊いたことを裏付けたのは、あくまでも おまえの個人情報だけだよ。家族のことは調べてない」 美香は黒澤の目を見ていると、多分それが本当なんだろうと思えた。 「世話焼くのが性分なんだろう。年の離れた妹か弟がいるだろう」 「……4歳下の弟と、3つ上の兄がいるけど……」 「やっぱりな。そうだろうと思ったよ。兄貴がいるのは、俺と同じだな」 「お兄さんが、いるの?次男?」 なんだか、この男とこんな身内の話をしているなんて、不思議な感じだった。 「ああ、気楽な次男坊だよ。あっちは海外で活躍中、俺はこっちで 好き勝手やらせてもらってる。」 彼はそこで言葉を切ると、その話を続けたくないのか下を向いてしまう。 「あとは俺がやるから、美香はあっちで休んでろよ。また疲れさせちまったな」 「でも……」 「いいから。まだ出かけるには間がある。盗聴探知は夜しよう。 その方が、おまえも近所に変な邪推されなくて済むだろう」 邪推……男を引っ張り込んでる、とか…そういったことだろうか。 どうせ近所づきあいもろくにないから、別にかまわないんだけど。 「疲れただろうから、横になってろよ。夜から本格的に動くからな」 にっと、意味ありげな笑いを浮かべて美香の顔を見る。 それは探偵としての仕事ぶりを指して言うのだろうけど、セックスのことを 暗示しているようにも受け取れる言葉と表情だった。 美香は暫くベッドに横になった。 いろいろありすぎて、疲れてしまった……。 なのにまだ、これから先にも胸を暗くする原因を探らなくてはならない。 でも黒澤に協力してもらえるのなら、それが最上の手段だと思う。 なによりも、彼の仕事ぶりの一端を間近で窺える絶好のチャンスといえる。 自称・優良探偵の、お手並み拝見というところだ……。 うとうとと浅く眠っているうちに、隣に気配を感じた。 目を開くと、黒澤が美香に寄り添うようにしている。 美香の唇を塞ぐと、優しく幾度もキスを繰り返す。 愛おしむように、美香の艶やかな黒髪を撫でてくれる。 美香は黒澤の首に腕を回して、自分から彼の懐に入り込む。 まだ夢心地で、身体がふわふわと頼りなく浮いているような気分だった。 とてもいい夢を見ているような気がしてくる。 美香の首筋に、男の唇が這う。 ネッキングを繰り返しながら、やわやわと乳房を揉みしだきにくる。 「い……や……」 まだ眠気が残っているけれど、懸命に両手で黒澤の胸を押しのける。 もう、セックスはいや……。 これ以上されたら、どうにかなってしまう。 壊されてしまう。心も、そして身体も……。 「目が覚めたか?」 黒澤は、美香の顔を見つめて笑った。 「今ので、覚めたわ……」 美香は気だるげに髪をかき上げて身を起こした。 再びキスされると、また美香は黒澤から逃れようとした。 「もう、やめて…!これ以上されたら、おかしくなっちゃう……」 「今はもう、しないよ。“今は”な……」 どこまで、この人は底知れない欲望を持っているんだろう。 30歳で、一晩に3回も4回も女を抱くことができるなんて。 それに、ただ入れて射精するだけのことじゃない。 じっくりと時間をかけて感じさせられたあげくの、濃密すぎるセックスを 繰り返される。 脱出不可能な、迷宮にひきずり込まれてしまった気がする。 もう、この男を知る前の自分には、戻れない……。 彼に攻められる快楽を知ってしまった今は、以前までのようなおとなしい 性行為で満足できるとは、自分でも思えない。 黒澤は美香から離れると、クローゼットを開けて着替え始めた。 「新宿にでも行こうか。食事して、着替えを買ってやるよ。昨日からずっと その格好のままだろ。」 言いながら、手早くネクタイを結ぶ。 「今日…お仕事の方はいいんですか?」 「ああ、さっき八巻に電話しといたからな。俺は今日、美香の専従だ」 そう言うと、書斎らしきたたずまいの部屋に入る。 事務所の私室のような部屋と体裁は似ているが、壁面を埋め尽くすような 圧倒的な書物の数に美香は面食らった。 壁一面が書棚で覆われ、そこに様々なジャンルの本がある。 心理学、社会学、生物学や多数の警察関係、法律関係の書籍。 大小の六法全書があるところを見ると、学部は法学部だろうと推察できる。 相当な読書家の書棚の片隅に、いわゆるハードボイルド系小説もあるのは ご愛敬といったところか。 美香がテレビや小説で見たような、「探偵7つ道具」らしきものが入っている 黒いトランクを手にする。 本当に、こういう道具を使うんだ……。 美香はまじまじと、それらと黒澤の顔を見比べた。 「使うときに見せてやるからな」 それから彼は紺色のダブルスーツに着替えた。 思わず美香も見惚れてしまうほどの男っぷりのよさで、すっきりと着こなす。 「行こう。下に車を停めてあるから、それで移動だ」 美香を外へ出るよう促し、二人で彼の部屋を後にする。 エレベーターを下りると、マンションの地下駐車場に降り立つ。 彼がどんな車に乗っているのか、とても興味がある……。 黒澤は美香の肩を抱くと、さまざまな高級車が居並ぶ場内を早足で歩く。 美香は車には詳しくないが、その車のフロントを見ただけですぐにわかった。 濃紺の、スポーティタイプのボルボ。 安全設計と快適性を重視していることくらいは、いくら美香でも知っている。 「意外に堅実だろう?」 美香の顔を見て黒澤は言った。 「もっと派手な車だと思ってたんじゃないか?」 左ハンドルなので、美香は右側の助手席に乗らなければならないことに 気づいて、戸惑う。 「免許は持ってるのか?」 エンジンをかけると、黒澤は訊いてくる。 「いえ…持ってません。私の他は、父や、兄と弟が持ってるから。 私は、取ることないって言われて…」 「まあ、都内じゃさほど必要ないからな。…もしかして、運転に不安が あるからか?」 「……そういうことです」 美香は図星を突かれて、肩をすくめて見せた。 ははは、と黒澤は笑った。 マンションを出て、新宿へ走り出す。 黒澤の運転はスムーズで、もっと荒れた運転をするのかと思いきや 安全運転のお手本のように上手い。 見かけは大人しそうでも、運転は途端に荒くなる男は割にいる。 友達の彼氏などに乗せてもらうと、何人かに一人は荒っぽい運転の 男に当たる。 30年来のゴールド免許を持っている、自分の父親に勝るほどの運転技術に 美香は感心した。 「運転、上手なんですね…びっくりしたわ」 「町中を走るのは好きなんだよ。こいつは図体がでかいから、細い道とかは 苦労するけどな。仕事柄あちこち走ってるから、ナビもそれほど頼らない」 週末の高速にしてはあまり混雑していない。 中央自動車道を通り、初台で下りる。 新宿の大手デパートの駐車場へ向かい、まずは食事をすることになった。 時間は午後1時半、やや遅い昼食時だった。 話し合った結果、今度は和食の店に入る。 二人とも鰻を頼んだ後、暫く雑談をする。 「凄い数の本だったから、びっくりしちゃった…。読書家なんですね」 「俺は乱読派だよ。なんでも興味を持った本は読んでみる。 手許に置いておきたいタイプだからな、置き場所に困ってるんだ」 「どうして探偵になろうと思ったんですか?やっぱり探偵小説とかに憧れて?」 美香はこのことを訊いてみたかった。 「小林少年か?…ジュブナイルから成人向けの文庫本見たら、落差に がっかりしたよ。あっちには明智しか出ないからな。 言っておくけど、明智探偵に憧れてた訳じゃないぞ」 声をひそめて、美香に囁く。 「町中で、あまり俺が探偵だなんてこと言うなよ。壁に耳あり、だ」 「……はい」 「怒った訳じゃない。二人きりでいる場所ならいいけどな」 「ところで、普通はどのくらいの料金がかかるんですか?」 「……見つかれば、10万単位になるところが多いな。 うちは7万に設定してる。部屋が広ければ広いほど高くするところが多い」 「そんなに……」 美香は愕然とした。 「ピンキリだよ。簡易な探知作業だけなら一万もいかない所とか… あとはもう、個々の業者のモラルに拠るしかない」 現実問題として、金銭のことを言われると痛い。 美香は決して無駄遣いをするタイプではないが、まさかそんな高額な 調査だとは思わなかった。 「料金のことなら、気にするな。個人的なもので、依頼されたわけじゃない。 俺が自分から買って出たことだからな。プライベートなことで、金は取らない」 「取らないって…そんな。そんなわけには……」 さすがに躊躇している美香の言葉を遮る。 「昨日から、もう充分尽くしてもらったからな。どうしても、っていうなら…… 身体で返してくれてもいいんだぜ」 にやにやと笑いながら、美香に好色な視線を向ける。 黒澤が、何を考えているのかが手に取るようにわかる。 服の上から美香を視姦して、さらに裸に剥いているのに違いない。 その視線の意味を察すると、顔から火が出るような思いがする。 「それじゃ、ここは私が……」 美香はそう言うと、会計書を持って行こうとした。 「ばか。女に払わせるなんて真似ができるか」 黒澤は美香の手からそれを取ると、レジに向かっていった。 結局、ここも彼に支払ってもらうことになった。 「すみません…ごちそうさまでした」 黒澤は美香の頭に手を置いて言った。 「すみません、よりもありがとう、の方が気分いいだろ。謝るようなことじゃ ないときに、無闇にすみませんて言うなよ。便利な言葉だけどな」 美香はそんなことを言う黒澤の言葉にはっとした。 そういえば、いつも気がつくと「すみません」と言っている気がする…… 「ありがとう」 素直にそう言ってみる。 「どういたしまして」 笑って寄り添う二人は、仲のいい恋人同士そのものだった。 それから美香は、黒澤に言われた通りに服を買いに行くことにした。 確かに着衣のままセックスしていたこともあって、着替えたい気持ちもある。 これも黒澤が支払うと言ってくれたけれど、「そこまで甘えられない」と 美香は断った。 妙に生真面目なところがある美香を、これ以上押すわけにはいかないと 思ったのか、黒澤もそれ以上は言わなかった。 美香の好きな可愛いめの、それでいて清楚な雰囲気の服装を選ぶ。 それに合わせるため、下着も白いものを新調する。 ちょうどお気に入りのブランドランジェリーがバーゲンセール中だった。 自然と、セクシーなものを手にとってしまう。 黒澤は、休憩所で座って待ってもらっている。 どんな下着が好きなんだろう……。 透けてたりするようなのを喜んでいたから、その手のものが好きなのか。 美香はレースを使っているものをまとめて数点買った。 お揃いのブラもスリップも、ピンク色と白のものを買う。 つ白の下着をその場で着替え、ストッキングも肌色に替える。 目をつけておいた白のセーターと淡いオレンジのタイトスカートを買い、 それらに着替える。 そうこうしているうちに3・40分は経ったか…… 美香は小走りで黒澤のいる場所へ戻った。 「ごめんなさい……待たせちゃって」 コートは手に抱えて、美香のがらりと変わった服装を見つめる。 「ああ…さっきまでのもよかったけど、こういう方が似合うな。 いかにも清楚なお嬢さん、って感じだな」 髪も後ろで、リボンバレッタで留めている。 清純ぶっていると言われることもあるけれど、美香はやっぱりこういう 格好の方がしっくりくる。 「そういう方が、乱れさせるとまた、いいんだよ」 美香の耳元で小さく言われる。 「もう……。なんでもそっちに結びつけないで!」 さすがに呆れて、美香は手を振り上げる真似をした。 ほんとの恋人同士のデートみたい……。 こんな風に、買い物に男性につきあってもらうのも久しぶりだった。 恋人とは、ホテルで睦み合うことばかりが多かった。 それでもそれなりの濃さがあったと思ったが、黒澤とのセックスと比較すると 子供じみた稚拙さでしかない。 どうしてこんなにも、身体は忘れっぽいんだろう。 以前の男性経験など霞の向こうに追いやられてしまったようだ。 今はもう、この男との行為しか感じられない。 いつも思い出すのも、黒澤の巧みすぎるテクニックだった。 身体を重ねているうちに、いつしか心までも奪われていく。 ときおり黒澤に言われる言葉が胸に深く突き刺さる。 さっきの、なにげない話…すみませんより、ありがとうという話にも 美香の過去の男性にはない含蓄と知性を感じさせる。 そして、セックスで激しく責め立てる時以外に見せる優しさ。 磁力に吸い寄せられるかのように、美香は彼に惹きつけられていく。 ちょうど、S極にN極が向かっていくかのように…… 黒澤と書店に寄っていき、見たい本を探す。 美香も読書好きでもあるから、黒澤と本の話をしていて退屈しない。 彼は意外に饒舌で話し上手だとも思った。 結局彼は海外ミステリーを数冊買っていき、美香は好きな画家の本を 買った。 黒澤は、オメガの腕時計を見た。 「もう4時過ぎか…。そろそろ行くか」 ドキッ、と瞬間的に胸が強く拍動する。 怖いけど……この人が、いてくれる。 帰って着信記録を見るのが怖い。また多く入っていると思うから……。 車に乗り込み、外へ出ると早くも夕闇が迫りつつあった。 もう薄暗くなりかけている。 黒澤は明らかに落ち着きをなくしている美香に、いろいろな注意事項を 告げる。 「よくテレビとかで見るだろう、部屋に入ったら必要なことはすべて筆談で 指示するから。もし盗聴器が見つかったとしても、驚くと思うが騒ぐなよ」 「……ええ、見たことあります。黒澤さん、テレビとかには?」 とりとめのないことを喋ってでもいないと、やっぱり不安感が強くなって いってしまう。 「出るわけないだろう?俺みたいな三文探偵。テレビに出るなんて、ほんの ひと握りだよ。あとは地道にやってるだけだ。うちは広告も出してない。 電話帳やインターネットで住所と電話くらいは出てるけどな」 そういえば、そのことを言われて美香は思い出した。 「私、インターネットで検索してきたんです、昨日。大体の位置を探して あとは下から、看板を一軒ずつ探して……」 「ああ、同じような雑居ビルが多いからな、ちょっとわかりにくいだろう」 「意外にきれいなんで、ちょっとびっくりしちゃった。もっと古そうで、あまり きれいじゃないのを勝手に想像してたから……」 「よく、そういう風にも言われるよ」 黒澤は苦笑して言った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |