シチュエーション
![]() 暖房で火照った頬を冷やすために窓を開けると、冷たい風になぶられた前髪が 目にかかった。直しながら、年末に切れば大丈夫だろうと思っていた自分の 迂闊さを責めた。ほんのわずか伸びただけの筈なのに、うつむいていると、 前髪は目にかかろうと垂れ下がってくる。頬にかかる髪も、余計な思索を促してくる。 ヘアピンとゴムを取り、髪をまとめようとするけれど、どこかがほつれてしまって、 こちらの思う通りに収まろうとしない。 資料を積み上げてみても、卒論の完成はまだ見えていなかった。その苦しさは 友達と分かち合うことで、どうにか乗り越えつつある。 ただ、作成の合間に、別の件が頭をかすめることは止めようもない。 髪をどうにか押さえようとしながら外へ目を向ける。街道沿いの並木は今、 葉が枯れ落ちた姿で、春を待っている。あのすべての木々が薄紅に染まる日を思う。 あるいは、花が散り生い茂った葉が、紅に変貌する頃を。 夏期休暇が終わると、ゼミの人間で飲む話が出た。というのも宴会好きが 揃っているからで、私も多分、そこに含まれる。 無事飲み会も開きとなって、最寄りの駅で解散となるのだけれど、私はこの時、 既に困っていた。 他の皆は西方面へ去るのに、中里先生と私だけ東方面へ去るのである。 そういう時に限って次の電車が来ず、他の客が周囲にいない状態で二人きりで ベンチに座っていたりする。 話すことも特になく、並んで座っていた。こういう時、反対側のホームに 酔っ払いでもいたら和むのに、スーパーの空き袋が風に煽られて飛んでいるだけだ。 まあ、それはそれでぼんやりとした思索ともいえぬものの素になるもので、 どこから飛んできたんだろう、と思っていると、 「瀬田さん、あの袋のスーパーマーケット、この辺りにないよね」 と先生が言ったので笑ってしまった。 「私も、どこから飛んできたんだろうと思っていたところでしたから」 先生は頷いて、黙った。その横顔を少し見てから、また反対側のホームに顔を向けた。 高い背の上の方から、睨むように細い目が辺りを見張っている。その目の端に よく笑う人にあるしわがあるのを見たり、見張っているように見えるのは 近眼だからだという話を聞いたりしてもなお、その目線はこちらを圧迫するようだ。 年を重ねているので少ししわが目立ってきているけれど、まだ男臭さが残る顔から くしゃみが漏れ、女とは違う作りの手で口を押さえている。二十年も経てば ステッキが似合うだろう。十年先かもしれない。 私は酔っ払っていた。酔った、いい気分のまま、続けて口を滑らせた。 「提案があるんですが」 「何だろう」 「途中の駅で降りて、休みませんか」 「いいね」 とんでもないことを口にしたのはこちらなのに、私の方が飛び上がるようにして 立ち上がっていた。先生も私も、何か声を発しようと口を開きかけたところで ホームに電車が入ってきて、お互いに、言いたかったことは永遠に封じられた。 中里先生は私が入った女子大の先生で、それ以前は必修授業を除けば接点の 全くない先生だった。私が見た目だけで、先生に苦手意識を持ったからだ。実際、 周囲には高くても170cmだいしかいなかった私にとって、180cmを楽に 超えているだろう先生の背丈は、恐怖だった。 とはいえ、先生を中心とする半径50m以内に近寄りたくないほど恐れた訳でも ないので、卒論で扱いたい分野を研究しているのが先生だったのが判明しても、 ゼミを選択するのに特にためらいはなかった。 ゼミに出て近くで接してみると、やはり私の苦手意識は第一印象から来る 一方的なものだったことを証明するように、先生に対する印象は変わった。私に まで和やかに親身になって接してくれる人を、見たことがなかった。 恐怖が欲情に変わったことに気付くまで、時間はかからなかった。 ゼミにちょっとしたお菓子を買って持っていったり、年賀状や暑中見舞いに 筆を走らせながら、どうして先生なのか、私は分かりすぎるぐらい分かっていた。 きっと、他の先生のゼミにいたら、私はその先生に欲情している。 やはりこういう所のバスは広く作ってあるのだな、と思いながらシャワーを 切り上げると、先生は上着を脱いだシャツ姿になっていて、それで同じような 格好で戻った私の気分は多少、和らいだ。 「じゃあ、入ってくる」 先生の心理はさっぱり分からない。駅を出る時からホテルを選んで入るまでの間、 どのホテルにするか考えていた私の手を引いて、一つの所を指し示したときを 除いたら、ろくに触ってきてすらいない。腕を取ろうとすらしなかった私に 言われる筋合いはないかもしれないが。 「どうしてこんな事になったんでしょう」 「それを今、君が言うかな」 そして先生は先生の口調で、体を冷やすからシーツを被ってなさい、と服を 着込んでいるに等しい私にベッドを指差して、浴室へ消えていった。 先生は決然としているな、と感心する。そういえば、駅から降りた後で、 「念の為に買ってくるから」 そう言って、コンビニに入って行ったのも先生だ。危険だからと私も入ったところで 待っていたけれど、何を買うつもりなのかに気付くと、急に私の心が慌てだして、 コンビニを飛び出して、駐車場を一周してまた元の位置に戻った。 今すぐ駅に駆け込んで、いや電車はもう来る間隔が開いていて、先生が 探し出してしまうからタクシーの方がいいかもしれなくて、でもここから家は まだ遠いから、歩くのは危ないし遠すぎて、というより何で誘った方が逃げ出そうと しているんだ。 そんなことを何度も考えている内に先生が会計を済ませてしまい、師弟は、 いやもうそう書いていいのなら私達は、並んでしかるべき所の門をくぐったのである。 気分を落ち着けるために部屋の内装に目を向けた。硬貨を入れて見るテレビの 向かいにあるソファーからしても、以前、女友達との二人旅行で入った ビジネスホテルより余程綺麗だ。しかも広い。壁に額縁に入った絵も掛けてあったりする。 「瀬田さん、何をしているんだ?」 先生が戻ってきたのは、額縁の裏を覗き込んでいたときだった。先生も、 入っていった時と全く同じ格好だ。 「お札が隠されているのかな、と」 本当は、隠しカメラやスイッチを押すと開く隠し金庫の可能性も考えていたけれど、 言わないでおいた。 「あったら怖いし、なくても失礼だからやめなさい」 「まったくです」 「・・・落ち着かないか」 「実はそうです」 先生と私は、ベッドを間に置いて、というよりベッドを壁のようにして 向かい合っている。どちらも座ればいいものを、立ったままだ。 「こういう所、初めてか」 「こういう所は初めてです」 「は」にアクセントを少しつけた返事をすると、先生は息を吐いた。呆れたような、 困ったような表情をしている。どちらだったとしても、私は続けて何と言えば いいか分からなかった。 先生が、完全にではなくても、私よりは場慣れしていることも感じていた。 独身でなかった頃があったのは聞いている。否定が過去形になった原因は知らない。 学生に手を出したことも、出されかけている人間としては可能性として否定しない。 今は、どうなんだろう。 自分の襟元に手を伸ばした。一つボタンを外したところで止める。体にあたった 自分の手がひどく熱い。息を吐いて、外したボタンをはめ直した。 目の前にいる男が、先生以外の男なら良かったと思っている。 末期だった。 「瀬田さん、このまま睨み合っているのも何だから、横になろうか」 先生自身は素早くベッドに入って、手を伸ばしてくる。私が手を取ると、側の スイッチを押して灯りを消し、私をベッドの上へと引きずりあげた。 男の人の、胸の横にいた。大きな手が、私の頭を抱えている。微かに鼻から 入ってくるのはよく分からない匂いで、戸惑った。顔を上げて、先生の顔がある 辺りを見た。灯りを消したばかりの目では、それらしい物体があるのを確認できるだけだった。 「服、脱ぎましょう」 手探りでYシャツのボタンを探り当てて、外し始めても先生は黙っていた。 暗がりで人の服を脱がせるのは、例え無抵抗でも大変だと思っていると、突然、 首筋に固い何かがすうっとなぞってきた。 「ひゃ、何っ!」 首筋に駆け上る、不快と一体になった怯えを覚えてからしばらくして、固い 何かとは虫ではなく先生の手の爪だと気付いたのは、部屋中に響くほどの音で 叩き落としてからだった。 「・・・ごめんなさい、やっぱりやめます」 ベッドの端へ移り、目をつむる。何をしているのだか。声を発するのはいい。 思わず払ってしまったのも、多分いい。 手刀で凄い音を立てることはないだろう。 私は情けなくなった。やはり無理なのだ、すべてが。 先生が横でどんな顔をしているかは分かるはずがない。眠気は一時に押し寄せていて、 意識も遠くなっている。ひょっとしたら今までのは夢で、目覚めたら冷たい路上に一人、 横になっているのかもしれない。 そんなことを考えていると、体に何かが巻きついてきた。体をすくめても、 暖かいそれは肩から背へ来て、私の体を動かす。 「そう言ってないのに、止めるんじゃない」 動いた横から、先生の体があたるのが分かった。固くも柔らかくもない。 擦り合わさる布を通して、温かさも伝わる。その体の端の一つが、私の喉を 探り当てて、ブラウスのボタンを一つ、外した。 「君がそう言えば止める」 言いません、と返せる心臓はまだないので、今度は私が黙った。 動きは緩慢で、一つ一つを外しながら手の平でブラウスの上から体を探ってきたりする。 指が、ブラと服の上からなのに胸の先を探り当てて擦られただけで、反応してしまった。 脱がしているのに、脱がすことだけを目的としていない。それが嬉しい。 一つごとにボタンを外すまでの時間は延び、体の熱さと眠気が混ざりきる。 そろそろ私も断ってまた先生の服を脱がそうか、と思った頃、最後の一つが外れ、 合わせ目から思いの外、熱い手が入ってきた。動いているのか動いていないのか 分からないぐらいにゆっくりと、腹に指が置かれて、へその周りをなぞられたのに、 体が熱さの方へ傾いた。横の人が男になっている。背筋が震えたのは、 触れられているからだけじゃない。 髪に息がかかっている。その温かさに目を細めて、次の指の動きを待つ。 時間が過ぎる。 「先生?」 返事がない。手も動くのをやめてから大分経っている。 本当は、気付いていた。顔を上げた。聞こえている呼吸からでもはっきりしていた。 寝ていた。 先生が目を閉じている顔がうっすらと見える。おかしくて笑ってしまった。 そして安心した。 外されたボタンは記念にそのままにしよう、と思った。私の体に巻きついていた腕を そっと返すと、背を向けて、 「おやすみなさい」 と目を閉じる。 「ほら、脱げよ」 男がブラウスのボタンを次々と外していく。布地を引っ張るようにして外すので、 襟に首を絞められた格好になってしまう。 「やめてよ、自分で外すから、ちょっと」 言葉を待たずに手が入り込み、ブラの上から胸を揉んできた。入ってきたときの 乱暴さとは裏腹に、胸を包む手の動きは慎重だ。 ブラを外したいからボタンを外す。 ショーツを脱がせたいからスカートをめくり上げる。 分かりやすい男だ。 「はあ、・・・や、・・・あ、や、や、・・・やあ」 気持ちが声を出したい体勢に入っているので、頭で何を考えていても声は出る。 男は私の顔を軽蔑しきった表情で一瞥してから、ホックを外す手間もうっとうしいのだろう、 ブラをそのまま上へずらし上げ、直接、先を口に含んでくる。吸われながら、 ざらついた舌で擦られるのを感じる。髪を掴む。 「んはあ・・・」 右が終わると左を、左が終わると右を、何回となく口に含まれる。肌が火照ってきていた。 脚が触れられたいと主張している。叶えてやりたい。できれば自分の手でない方が いい。早く、と思った。 「感じてる顔になってるぞ」 馬鹿にするように、音を立てて胸を吸われてからそう吐き捨てられ、高まっていた 気持ちは四散した。目を開けると、男のにやついた顔を睨みつける。 「口の端に自分の唾をつけたままの人間に言われたくないね。いつまでも胸を しゃぶってないでよ」 「どこいじろうが、俺の勝手だろうが。大したものじゃない癖に」 「そういうことを言ってるんじゃないの、そっちがもたついていると乾くのよ、 乾いたら痛いでしょう。それよりちょっと離れてよ、脱ぐから」 男が舌打ちしながらも体を離したので、ブラのホックを外して脱ぎ、脇へ除けておく。 脱げるだけでもまだましだ。ほとんど服をつけたままで済まされたこともある。 脱がすのも面倒になってきたのだ。 それでも慣れると、投げ与えられたような行為でも気持ち良くなって、体が勝手に動く。 「分かったよ、いじればいいんだろう」 無造作にショーツの中に手を入れられる。今の今まで触って欲しかったのに、 ちっとも気持ち良くない。粘った音は出るけれど、ただそれだけだ。更に、男は 自分のズボンのファスナーを下ろし始める。後の展開は、タイミングまで想像がつく。 そうじゃない、そうじゃないのに。 再び声を張り上げようと、腹に力を込める。 感情が高まりすぎたのだろう、目が覚めた。室内は暗いままだけれど、目は もう室内の物体の位置を判別できるまでになっている。まどろんだまま寝返りを 打って、冷たいベッドの感触を楽しみながら、おかしいことに気付いた。 「先生、中里先生!?」 起き上がり、ベッドの下を覗いたものの、先生らしき落下物は見当たらない。 ではどこへ、と見回した私の目が、ソファーに座っていた先生の目と合った。 その目は闇の中で睨むように細くなっていて、でも面白そうに光っているのが分かる。 「起きるにはまだ早いよ」 そう口が動くのが見えた。カーテンの隙間から入る光によって、先生の背後に 山のような影ができている。私はその影に吸い寄せられるように、ベッドから ソファーへ移り、先生にしがみついた。 先生の肩は広いけれど、私が腕を回せないほどじゃない。頭に手を回すと、 乱れているのが分かったので、手で梳く。何度も、指で頭の形を辿る。先生が 私の体を支えるように腕を回してくれたのが、私の体が震えているから以外の 訳がなかった。 あまりにも強くしがみついたので、先生は背を仰け反らせなければならなく、 ソファーがしっかりした作りでなかったら、二人とも、ひっくり返っていたところだった。 私が落ち着いてきて床に足をつけると、ようやくお互いの腕の力が緩まった。 「私が逃げ出したと、驚かせてしまったかな」 首を横に振ると、頭を寄せられて頬骨の辺りに唇が触れた。何でもないのに 血が上り、身をよじって逃れようとしていたのを押さえられた。見ると、先生の方が 驚いた顔をしている。 「打ったか、何かしたところに触ってしまったか」 「いえ、どこも打ってないです。それより先生、眠られたいなら遠慮なくベッドを 使って下さい、もし狭いなら私の方が体が小さいからソファーで十分です」 早口になっているのに気付きながら口にすると、先生が私の顔を見上げて、 まるで私の言葉が本当か確かめるように、頬に指で触れてきた。 「眠気とは関係ないんだ、アルコール類を飲むと眠ってしまう人間でね、おかげで 気まずい思いをしただろう。眠ってしまったらもう、瀬田さんは愛想尽かせて 帰るだろうと思ったのに、実際に起きてみると横にいたからベッドを抜け出してしまって」 「ソファーに座って、どうしたら事態を避けられるか、考えていましたか」 「いや、見ていた」 頬から唇へ親指が動いた。 「起きた時に怒っていなかったら、何ができるだろうと考えていた。例えば」 舌を舐められた。私が身を引こうとするのも止め、何度も舐められる。いつも 離れて見ていた顔が目の前にあって、想像した光景が実際に行われている光景は、 興奮した。夢中で唇を返す。 先生の動きはきっとこなれているんだろうな、と思わせた。口内を探っては 離れ、喉やこめかみに触れながら唇に戻る。髪を撫でている手の平も優しい。 細いけれど私より十分に大きな体で、すがりつく私を追い払うこともできるし、 このまま床に押しつけることもできるのに、私を思いやってくれている。例え、 一時の相手としてのものだとしてもだ。 首筋や背のくぼみが弱いことを手で調べられていく。片手を取られ、指のえらや 手の平を指が這っていた。その間、私は強く吸われて先生の髪を押さえたり、 顔が離れた隙にうなじや耳たぶを噛んだりしたけれど、もっと優しくしたいのに、 何だか食らいついているようになっている。 その内に体を擦り寄せたくなって、温かくなった体を又、先生に密着させるようにして 抱きつくと、ブラウスが先生の手によって肩からはだけていく。 腕の中の先生に目が行った。今なら楽に叶えられる。 体はほとんどくっついていたのに、ボタンはすぐに外れていった。 「私、首を絞めていませんよね」 「心地いいからこのままで構わない」 脱がせる前と脱がせた後に、胸に手をあてた。筋肉は少ない代わりに贅肉も ない、骨ばかりの体は、それでも重そうで、苦しそうだ。 「一度、先生が夢に出てきたんです。笑ってしまう内容ですけれど」 「どんな夢かな」 「短いですよ。いつもゼミの時間に、私の側を通ろうとした先生が、風邪で 倒れそうになるのを、私が支え棒みたいに手と足とで支えようとするんです。 でも、夢の中の先生は身長がどんどん伸びて巨人になってしまって、私は重みで うんうんなんてうなりながら床の下へめり込んでいって、しまいに下の階の部屋に 落ちていったところで終わりです」 ズボンを脱がせるのは容易だった。先生は上着と一緒にベルトも外していたし、 こちらは慣れている。久しぶりなので手順を忘れているかと思っていたのに、 手は覚えていた。ちょっと腰を浮かしてもらうよう、手で示しながら足下へ落とす。 もう一度抱きついた。私の体の曲線が邪魔をして、もっとぴたりとくっついて いたいのにできない。素肌をつけると、お互いの心臓の鼓動が分かる。肌の熱さと 鼓動の鋭さにのぼせながら、もっと寄せる。 「ベッドに行こうか」 私が頷くと、先生は私を抱えて立ち上がった。ベッドまでたったの二、三歩で、 運ぶ先生の腕が震えた末に自分の体ごと私の体をベッドに投げ出す形で終わっても、 令嬢の気分になれて良かった。 「悪い瀬田さん、格好つけるものじゃないな」 「気持ち良かったです、ご心配なく」 「言葉通りには受け取らないよ」 先生はベッドから一旦降り立つと、私が足を揃えて投げ出していた方へ移った。 足を手に取り、足首から踵、土踏まずから指の付け根まで指を滑らせ、その動き方に 身震いした親指の爪先に、軽く唇が触れてくる。 「はっ」 親指をそのまま含まれた。唇を軽く掴んでいる指が土踏まずをくすぐってくる。 「先生、そんな所・・・」 「いや、好きなんだ」 あっさりと言って指に戻る。 含まれている指の周りを何かが蠢いているみたいにしゃぶられている。 そんな風に足の指が全部ぬめっていく。背筋が張っていく。 「くっ、・・・うん、んっ」 今すぐ、もっと舐めて欲しい。他のことは考えられなくなる。 付け根から爪先まで、私の足の指が先生の口の中から出てくる度に、違う皮膚が 出来たかのように空気を受けとめていた。足を掴んでいる指も、土踏まずの辺りの 柔らかいところを指の腹で撫でたり、爪で線を引いたりしてくる。 どちらの動きもばらついていて、私はいつ、自分の足が勝手に動いて、先生の 口内を傷つけたりしないか、そればかりを気にしていた。 しゃぶると言うにはやや弱い口の動きが扇情を駆り立て、普段は気にも とめていない足の指の間を舌先が滑るだけで体中が火照ってくる。身を動かしたい。 動かせばいいのに、じっとそれを堪えた。 そうしていると、指から離れた先生の唇が、まるで手のそれにでもするかの ように、しびれさえ覚える足の甲に唇をあてて、すうっと足首に向かって なぞられた。 「はあっ、・・・」 ベッドを掴んでいることに気付いた。自然とそうしている。声も自然と漏れる。 それが嬉しい。 その気持ちを伝えようとして、身を起こして、先生の髪を撫でた。先生が顔を 上げたので、引き寄せてから軽く唇を合わせた。 「まだだからね」 言葉の意味はすぐに分かった。先生の口が、私のもう一方の足へ戻っていく。 けれど、今度はまず、足の裏に舌が這った。足の指には、手が一本一本、丁寧に さすってくる。その柔らかさに空中を焦点も合うことなく眺めていると、軽い 痛みが足を走った。 軽く、噛まれていた。足の裏と甲とに瞬時に去る程の痛みを与えておいて、 その埋め合わせをするかのように唇を何度も降らせる。繰り返されながら、 噛む位置が爪先の方から足首の方へと移っていき、噛む力も弱くなっていく。 そして踵から足首へ移った、その時、強く噛まれた。 「うっ!」 食われる、そう思っていた時にはあっという間に寝かされると足を大きく 上げられていて、膝の裏をむさぼられていた。勿論、本当に食べられている訳では ない。まだ、噛まれた足首の余韻を覚えながら膝の裏の窪みに舌があるのを 感じている。 「・・・痛い・・・」 舐められれば舐められるほど、痛みも感じずにはいられなかった。出血には 至っていなくても、跡ははっきりと残っていると思えた。痛いけれど不愉快ではない。 それも嬉しい。 膝の裏が交互にくすぐられる。自分の足が開き、上がっていくのを見ながら、 もう少し先生の顔が近付いてきたらもう一度キスしようと思っていた。 違和感が起こったのはすぐだった。 「せん、せ」 先生の顔を見ようとしたけれど、身をずらした先生の顔が私の肩の上へ伏せられる。 上半身は肩に腕を回されて押さえられていたけれど、下半身には何の枷もない。 ただ手だけが、ショーツの中で蠢いている。 「いきなりなんて、・・・ひどい・・・ああ・・・!」 ひどい、と言っている割には、先生の指は容易く入り込み、ぬかるんでいったのが 分かる。キスして、足を触れられただけなのに、と思うと、気恥ずかしさで 消えてしまいたくなる。 動き回っているのは中指だろう。凝り固まりを手の平でほぐすように 押し回される、その動きが生々しい。 頭の奥がひりついてくる。 「嫌・・・」 声がこぼれる。一旦出ると、まるでそれを待っていたように、言葉が指の動きに 呼応してあふれ出ていった。 「嫌、嫌だ、こんな、の、い、や、嫌!」 自分が何を言っているのかに気付かず、まるで拒絶しているような言葉に驚いて、 先生の方を見ると、顔をじっとこちらに向けていた。 嘲笑われたのか、と怯えたのも一瞬のことで、ただ、表情を見せずに、こちらに 顔を向けている。 「痛みを感じて言っているのかな」 いいえ。そう言う代わりに首を激しく振ると、 「そう」 と、又、肩の上に先生の顔が埋もれていく。 瞼を閉じていると、耳元で蠢いた何かが、頭の中で声になった。 「いきなさい」 そして、突起を撫でるのが、手の平から親指に変わる。途端、体が暴れた。 「いや、あ・・・あ・・・ああ・・・!」 腰の辺りを振り立てていたのか、振り立てられていたのか、どちらだったのだろう。 先生の指を一気に締めつけたののは確かだった。 声を出している。 「先生!」 言いたいのに言えなくて、ただ先生を何度も呼んだ。引いていく波が惜しくて ならないでいると、先生は耳を噛んできながら指をいつまでもかき回す。 「あ・・・」 指が引き抜かれた。宙に浮かんでいた体が、重みを取り戻す。決して不快では なく、どこまでも沈んでいけそうだ。 「先生、少し休ませて・・・下さい」 「分かっているよ」 「ごめんなさい」 顔のどこかに何とか唇で触れた、とは思う。 沈んでいく体に、睡魔が入り込む。 手で触れられるのが嫌だった。舌で舐められるのも、体の中に入ってくるのも 嫌だった。 何より嫌だったのは、顔を見られることだった。 「気持ちよさそうな顔をしているな」 「してない!」 男が馬鹿にしたように笑ってそう言ったので、私は頭にきてそう突き返す。 実際は達したばかりでも、そう言わなければならなかった。 この男の目的は彼自身が達することであって、私自身のそれは問題にしてはならない。 彼には資格がない。 「でもお前、声出すじゃないか」 「そっちが声出せって言うから、適当に出してるだけ」 だから私の出す声は、バリエーションがなかった。かつて二、三回ほど、 達した時もその前と同じように声を漏らしていた。自分が達するということを 経験したのだと気付いた頃から、男の手によって私が達する事もなくなった。 意味もなく触れられる日々が重なる内に、自慰を自然と覚えた。ふと思いついて、 こっそり声を出しながら達してみたけれど、虚しくなってすぐにやめた。 そんな時、いつも思っていた。 私は、何の為にこんな事をしているんだろう。 「そうか?こうしてやると」 「言われなくても、出す、か、ら」 声が途切れる。そして絶えず流れる。それを耳にしながら、やはり私は適当に 声を出しているのを感じている。 男が胸の先をいじってくるのを、どこか遠い世界のことのように受けとめている。 気持ち悪いのではないのに、ただ気持ち悪くないだけの手を受け続ける。 運が良ければ、又達することもあるかもしれなかった。でも、そうはならない事も 知っていた。男によって私が達し方を知ったのは、男が女の体を知るのに 熱心だった頃だ。穴の空いた肉塊として扱われているようになって、どうして 達することが出来るのだろうか。 男が私にのしかかる。子供が虫を弄ぶように足を適当に折られながら、 入り込んでくるのを待つ。男の体が要領を覚えたのか、よくは分からなかったけれど、 動かされるとやはり気持ちいい。そして決して達しない。 「何だよ、凄く締めつけてくるじゃないか・・・!」 「分かってる、でしょう、何、入れても、同じ、よ、そんなの!」 やがて二人とも無駄口を叩くのをやめた。揺すられながら目を開けて、窓の外へ 首を向ける。空は青く、側に生えていた木が茂っていて、葉を染めつつあった。 もうすぐだと思った。もうすぐ、あの葉が枯れ落ちて、やがて訪れる温かな 空気に満ちながら花咲く頃を待つ。 そうすれば、私はこの腰振り人形を切ることができる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |