シチュエーション
![]() 思えば、生まれた時から私の男運は悪かったんだろう。 親父はアレだし、初恋もアレだし、今だって。 くー、と水の如く酒を飲みながら、私は馬刺しを食べる。うん、美味しい。あ あ美味い。太るな、これは太るな。そう思いながら、料理を追加する。いつもな らそんな食えないけど、今なら食える。きっと食える。 「…うま」 馬を食いながらうま、とはこれいかに。思い切り口の中に詰め込んだ食物を、 酒で流し込んだ。 嫌な事があった。 好きな男に浮気されて、年下の母親が出来て、素っ裸見た男と再会した。 帰ろうかと思ったけど、ムシャクシャしたから、なんか食べようと思って居酒 屋に入った。でもって今に至る。 「お待たせしました、オムライスです」 ことん、と美味しそうなオムライスが置かれる。問答無用でスプーンを取った。 がつがつ食べていると、不意に大輔と付き合い始めた頃の事を思い出した。そ ういえば、大輔ケチャップ嫌いだったな。 チキンライスを凝視して、浮かぶのは大輔の事ばっか。 …好きだよ。凄く好きだ。大輔の事、好きだ。だから、余計に腹が立って来る。 黙っときゃ良かったのに。私に殴られるって、罵倒されるってわかってた筈なの に、馬鹿正直に言いやがって。それでその後どうなるかってのも、薄々どころか 厚々わかってたろうに。それで、実際そうなったのに。 あぐ、とちょっと大きすぎるくらい取ったオムライスを無理に口に運ぶ。熱い し、多いし、喉に詰まる。それをまた、酒で流し込んだ。 「…あの、もしかして」 不意に、声を掛けられる。振り向くと、男が1人。なんだ?相席か?でも席は 空いてるし、なんか、見た事あるような顔…して… 「―――っ」 酔いが、一気に覚めた。 「覚えてる?忘れちゃった…かな?俺。由貴。染井由た…」 「失せろ!」 私は思い切り睨んで、一言そう言った。そして、再びオムライスに向かう。 「…手厳しいね」 人の話、聞いてないのだろうか。そいつは私の正面に座ると、なんか辛そうな 顔をして私を見た。 …本当に、厄日だ。好きな男に浮気されて、年下の母親が出来て、素っ裸見た 男と再会して、初めて好きになって騙された男にも再会した。 染井由貴。 親戚で、桜花ちゃんを落とす為に私に近付いて来た奴。正直、気分悪いわ。 初めて、自分よりも桜花ちゃんを選んでくれて、本気で好きになって、自業自 得だけど、自分の身体までやって。それなのに。 「手厳しくもなりますね。これ以上酷い扱い受けたくなかったらとっとと帰って 下さい。私、機嫌が凄く悪いんです」 「…わかってる。叔父さんの再婚でぐげっ!?」 わかっているなら言うな。帰れつってんだから。思い切り弁慶を蹴ってやる。 本当は、こんなもんじゃ済まないんだけどね。 「いらっしゃいませ、ご注文は」 「あ、この人すぐ帰りますから」 「っ…なっ…生中と…枝豆…後、ほら、何頼んでもいいから…」 「じゃあ、この店で値段が高いものベスト3を3品ずつ」 言った瞬間、由貴の顔が引き攣る。店員は終始笑顔で。 「はい。それではアワビの酒蒸し、松坂牛の炭火焼、世界3大珍味+日本3大珍 味の素敵丼を3つずつと、生中、枝豆ですね」 爽やか〜に言い放ってくれた。由貴は泣きそうだったが、異論は無さそうだっ た。ちょっと、スッとした。 「おーいしーい!!」 「…うん、美味しいね」 物凄くがっくり来ている由貴を無視して、私は料理を食べる。お酒もどんどん 進む。ごはん奢ってくれた礼として、空気としてここに存在しないという認識で 相席している。 「ねえ、さくらちゃん」 「うわー、ナニコレ、すっごい美味しい」 素敵丼は、絶妙なまでの味のハーモニーだった。美味しい。美味しいにも程が ある。自分家で作ろうと思っても食材に手が出ないから、正にここでしか味わえ ない。 「…さくらちゃん」 「うめー!松坂牛、半端なくうめぇー!!底知れねぇー!!」 由貴は、尚も私を呼ぶ。悪いけど、返事は絶対しない。絶対、呼び掛けには答 えない。絶対に。 「さくらちゃんってば…」 「あ、すいません。芋焼酎お願いします」 「かしこまりました」 笑顔で対応してくれる店員。既に何杯目かわからない。 それでも、由貴はしぶとく私を呼び続けていた。 「おなか一杯…」 はぁ、と頼んだ物を全部2皿と半分ずつくらい残して、私はカルピスサワーを 飲む。おなか、はちきれそうです。 「…そりゃそうだろうね」 「あー、死にそう」 その残りを、死にそうな顔で食べている由貴。 「あれ?おかしいなぁ、誰もいないのに勝手にお皿の料理が減ってる」 「…勘弁してよ…ねぇ、話だけでも聞いてくれないかなぁ」 由貴は、本気で頼み込んで来る。けど、私は絶対に視線を合わせない。陰険だ って、酷い人間だって、そう思われても構わない。そうなった理由の何割かは、確実にこいつにあるから。 観念したのか、由貴は溜息をついて、下を向いた。そして、聞いているかどう かの確認もせずに、勝手に喋って来た。 「…あのさ、俺、振られたんだ」 その声は、今にも泣きそうだった。ふーん、ともへぇー、とも言ってやらない。 その対応でももういいと判断したのか、由貴はそれでも喋る。 「俺、会社で好きな人がいたんだ。それで、付き合ってて、で、今日喧嘩して… そしたら、本当は俺の事、好きじゃなかったんだって。友達がいて、そいつの事 が好きだったんだって。でも、友達は別に好きな人がいるから、仕方無いから俺 と付き合ってやってたって…」 心の中で、へぇー、と思う。どこかで聞いたような話。どこかで見たような表 情。由貴は、明らかに傷付いていた。 「…そう言われて、ああ、これは自業自得だって思った。俺はあいつを責める事 なんか出来ない。そんな資格は無いって思った。君にした事、殆どそのままの事 が、自分に跳ね返って来たからね」 自然消滅ってか、無視し出して、そのまま終わったから、あっちにしたらばれ たかー、ちっ、くらいにしか思ってないだろうなと思ってたけどな。 「それで、よく考えたら、君にろくにあやまりもしなかった事に気付いて、気が 付いたらさくらちゃんの家に行ってた。そしたら、いないんだもんなぁ…」 苦笑いする。まぁ、実家は出てるけどね。その事…ついでに桜花ちゃんと同居 してる事も知らないか。どうでもいいけど。 「…本当に、ごめん。悪いって思ってる」 私は、応えない。視線を合わせずに、ただ酒を飲む。 謝ったからってどうなるってんだ。要は自分がスッキリしたいだけだろ?そう やって謝って、こっちが同情してやりゃ、気分良くなって、それでもって明日か らは私の事なんか忘れるんだ。 …私は、7年経った今でも――― 「さく、え、え!?さくらちゃん!?」 視界がぼやける。気持ち悪い。物凄く、眠い。 「ちょっ、え!?えええっ!?さくらちゃん、どんだけ飲んだの!?」 「えーと、お客様はカルアミルク2杯、カルピスサワー3杯、芋焼酎2杯、当店 特製マムシ酒1杯、シラネケン5杯です」 「飲み過ぎだ――――――!!」 …絶叫する由貴とは対極に、終始笑顔の店員は、どこまでも爽やかなまでに冷 静だった。 その頃、俺はたった一人の人を守れるだけの力が、欲しかった。 「……」 「……」 「……」 何も、言えなかった。 転校してから暫く経ったけど、友達が出来ない。そりゃ当然だろう、全然喋ら ないのだから。喋れない訳でもない。ただ、何故か言葉が出ないだけだ。楽しく 話そうという気が無いから、何を言ったらいいのやら。 だから、こんな時もそうだった。 何か言わないと、この人、確か…あの人の弟さんだった。えっと、えっと、名 前は…あれ、えっと、岸部さん家の次男だから… 「シローさん?」 「…お前、この状況で言いたい事はそれだけか?」 3人くらいの…多分シローさんの同級生に囲まれて泥だらけになってるシロー さんは、至って冷静に突っ込んでくれた。 「別に、それだけって訳でも無いですけど…えいっ」 「っわぁああっっ!?」 俺は、掌大の石を思い切り、囲んでいる人に投げ付ける。すんでの所で、避け た。俺は、もう少し大きめの…あ、いいいものあった。 「どわああああああああああああっっ!?」 「ちょっ…こいつヤバイぞ!?」 すぐ側にあったものを手に取り、振り向いたら、囲んでいる人達は逃げていた。 「…大丈夫ですか?」 「お前、本気でヤバイな」 若干蒼褪めながら、シローさんは言った。 「とにかく、その物騒なもん…放せ」 俺の持つ錆びた鉄パイプを凝視しながら、溜息をついた。 「…大丈夫ですか?」 ごとん、と鉄パイプを放り捨てて、座り込んでいるシローさんに手を差し伸べ る。が、ぺちん、と手で弾かれる。 「なんだよ、同情でもしてんのか?言っとくけどな、誰にも言うなよ。特に、家 の馬鹿には…っお!?」 寸前で、掌で受け止められる。馬鹿、と言うのが誰を指しているのかすぐわか ったから。 …不愉快だった。初めて会った時から、自分の兄を見下しているこの人が。自 分だって弱いくせに、あんな必死な人を蔑むこの人に、正直腹が立った。 「なっ…なんだお前!?もしかしてただ暴れたいだけなのか!?」 「……」 俺は、その人を放って帰る事にした。怪我をしていたみたいだけど、知らない。 こんな人、死ねばいいんだ。あいつみたいに。 「…言われなくても、誰にも言いません。話題に出したくもありません。そうで すね、もし言ったら全財産あげるって約束してもいいですよ」 腹立ちついでにちょっとしたイヤミを。まんまと乗ったのか、シローさんは。 「っんだと!?お前…いくらだよ全財産!!」 「600円です」 ちょっとの、沈黙。ていうか、気になるのそっちなんだ。そして、絶叫。 「スケールのちっさい話だなぁああああぁあああああっっ!!」 守りたい人がいた。 けれど、俺には力が無い。何も出来ない。ただ、守られるしかない。 …そして、守りたい人を守ってくれる人間が、現れてしまった。その人は、大 人だった。俺よりも、守りたい人よりも大きくて、ちょっと…なんていうか、ア レだけど、絶対に、大切にしてくれる人。 劣等感に苛まれた。 そりゃ、俺はまだ子供だから。歳だって、やっと二桁になった程度だから。 けれど、俺は、俺があの人を―――お母さんを守りたかった。それなのに。 その人は、俺の事も守ろうとしてくれてる。大切に、優しくしてくれる。俺は、 そんな人に対して、悔しくて、無視する事しか出来ない。自分が情けなくて、ち っちゃくて、大嫌いだ。 その人みたいになりたいのに。大切な人を守りたいのに。思う理想とは、どん どん掛け離れて行くだけの自分が、そこにいた。 「…ねぇ、大ちゃん!」 「?」 お母さんは、帰って来るなり血相を変えて俺の所に来た。 「ねぇ、今聞いたんだけど、彰ちゃんの弟の孝一くんがまだ帰って来てないんだ って!大ちゃん知らない!?」 …孝一? 俺は考える。誰だろうか、孝一って。 頭を捻る俺を見て、お母さんは苦笑する。 「そのレベルの認知度なのね…いいわ。お母さん、探すの手伝って来るから、お 留守番お願いね」 そう言って、お母さんは行ってしまった。 俺は中断していたゲームを始める。ちら、と時計を見ると…7時近い。外も暗 い。近所の人が、行方不明なのか。そういえば、彰ちゃんって… 俺は、なんか引っ掛かる。彰ちゃんって、言ってた。誰だっけ、彰ちゃん…彰 ちゃん…あ。 『始めまして、大輔くん。俺の名前は岸部彰一っていうんだ』 でもって、その彰ちゃんの弟…シローさん。孝一っていうのか。で、まだ帰っ て来ない。そういえば、さっき座ったままだった。 「…もしかして、立てなかった…?」 俺は、慌ててセーブしてリセットボタンを押しながら電源を消す。そしてその まま走った。 いた。 暗い中で、その人は…泣いてた。 俺より年上の(と言ってもひとつだけど)6年生の男子が、暗い中で、さっき と同じ格好で、ランドセルを抱き締めて、泣いていた。 「…みんな、探してましたよ」 「っのぇ!?」 シローさんは、驚いてこっちを見る。 「いっ…言ったのか!?」 「いいえ、言っていません。ていうか、孝一君を探してるって言われて、後から 考えたら、ああ、孝一君ってシローさんかって思い出して、来ました」 …なんだろう、やっぱ悲しいのかな。それとも、俺が来た事への安堵感かな? シローさんは物凄く顔が引き攣っていた。 「歩けないんですよね。おぶって行きますよ。あ、ランドセルは背負って下さい ね」 そう言うと、俺は背中を差し出す。が。 「どうしたんですか?この体勢意外と辛いんですよ」 「…お前、馬鹿にしてんのか」 「してませんよ、さ、早く」 本当に馬鹿になんてしてないから、即答する。シローさんもこのままでいるの は良くないと思ったのか、割合素直におんぶ状態になってくれる。 俺は背の小さい方で、シローさんは大きい方+ランドセルだからちょっときつ いけど…まぁ、頑張ろう。 「やっぱ、馬鹿にしてるだろ」 「…くどいですね。俺はしてないって言ってるじゃないですか」 「だって、俺、さっき…」 ああ、泣いていた事だろうか。 「だって、酷い事されてたじゃないですか。動けなくなっていたじゃないですか。 シローさんスカした人ですから、クラスに友達も味方もいないの丸わかりですし。 そんな状況だったら誰だって泣きますよ」 「…うわぁああーん…」 何故か、素直に泣いてくれた。 でも、素直になる事っていい事だと思う。俺も、そうなりたい。あれだけスカ していたのに、シローさんって凄いと思う。 ―――決めた。 「シローさん」 「っ…だ…だんだよ…」 鼻声で、返事をする。 「俺、シローさんを守ったげます。俺はスカしたシローさんは死ね!って思いま すけど、今のシローさんは好きですから」 ―――誰でもいいから。 自分より弱い人を、守って見せたかった。 それは、一種の…ていうか、そのままか。単なる自己満足だった。 守りたい。ヒーローになりたい。泣いている人を守ってあげたい。その為なら、 俺は――― 「…で、なんでこんな事をしたんだ」 「言えません」 同じ遣り取りを、もう何度しただろう。 夕日が差し込む職員室。呼び出されたのは、もう何時間も前。その間、何度同 じ事を言われ、言って来ただろうか。 シローさんを守ると決めてから数日。一向に改善しない、クラスの人達のシロ ーさんへの仕打ち。俺は、手始めにボスらしき人のランドセルに、紙袋を忍ばせ た。ゴキブリで一杯の、紙袋を。 当然、疑いはシローさんにかかってしまった。糾弾されるシローさん。俺は、 責任を取って、自分が犯人である事を告げた。 …でもって、これだ。 ていうか、シローさんが虐められてて何もして来なかったのに、この先生はな んで俺を責めるんだろう。なんで、一方的に俺だけが?とはいうものの、俺は何 故こんな事をしたか、の理由を言っていない。だって、シローさんとの約束だか ら。 「なぁ、水沢。先生は怒っているんじゃないんだ。ただ、なんであんな事をした のか言ってくれないと…」 「ですから、言えません」 かち、と時計の長針が動く。5時になった。 「っ…すいません、あの、水っ沢大輔の、ほっごほ、保護者代理の者ですが」 「え?」 思い切り咽ながら、何故か、あの人が入って来た。俺は予想外の人物の出現で 思考が一時停止した。ていうか、俺の保護者って事は… 「っ、アンタ、俺のお母さんと結婚したの!?」 「えっ…え、えええ!?いや、まだ、え!?ていうか嫌なの!?」 「ていうかお前、まだ諦めてなかったのか!?」 三者三様の叫び。 「うっ…うるさいなぁ先輩!いいじゃん!!俺の将来の夢、意外と実現しそうで しょ!?」 「将来の夢が『とも子さんの旦那になる』だったな!!好きなら名前を全て漢字 で書いてやれよ!!すげぇ婆さんのイメージになるぞ!!」 …なんだろう、この戦い。俺はもんの凄―――くレベルの低い罵りあいを暫し 凝視していた。視線に気付いたのか、先生は気を取り直して咳をひとつ。 「まぁ、実現するかしないかはともかく、お前…まぁ、捕まらなかったのか…忙 しいらしいからな。未来の父親って事で…まぁ、腕の見せ所だぞ」 「…先輩、わざと嫌な言い方してない?」 「うるせぇよ、こまっしゃくれたクソガキ共の相手に疲れたんだよ。言っとくけ ど、俺は明後日からずっとやりたかった母方の実家の養豚業やるからな。知るか 知るか。教師なんかクソだクソ。豚に塗れる素晴らしい毎日に戻るんだ」 言いながら、先生は机に突っ伏してしまった。 …辛い事、一杯あったんだなぁ。 俯いたままぶつぶつ愚痴ってる先生は置いといて、彰一さんは俺をじっとみつ める。初めて会った時から変わらない、物凄く真剣な眼。大人の男の人の眼。 「…聞いたよ、大体の事は、孝一から」 俺と目線を合わせて、そう言った。 「言ったんですか、シローさん」 「シ…あ、あー。シローさんね。じゃあ俺は一徳さんになるのかな?」 「そうですね。で、言っちゃったんですか」 ギャグを思い切り流した事にちょっと不満だったのか、苦笑する一徳さん。が、 そこは大人の男の人。すぐに持ち直して立ち上がる。 「ここじゃなんだから、どっか行こうか。先輩、この子連れて帰りますよ」 「おー、帰れ帰れ。とっとと連れて帰れ」 ぱたぱた手を振る先生。一徳さんは俺の手を引いて、職員室を出た。 「…気ぃ悪くしないでね。あの人も色々あるんだ」 「はい…人生って色々ありますよね」 子供の癖に、つい知ったような事を言ってしまった俺に、一徳さんは笑ってく れた。 「大人っぽいね、大輔くんは。羨ましいよ」 …それは、無理してるからそう見えるだけで、俺に取っては、一徳さんの方が 羨ましい。早く、大人になりたいのに。 何も言えない。 てういか、知ってるんだから、別にもういいと思うんだけど。俺は謝る気は一 切無い。自分のやった事は悪い事かもしれないけど、それでも。 「はい」 近くのお店で、一徳さんはおしるこドリンクと粒入りコーンポタージュを買う。 そのチョイスになんだか泣きそうになりながら、俺はおしるこドリンクをいただ いた。 …甘い。頗る甘い。 それを飲みながら、一徳さんはじーっと俺をみつめて来た。 言われる。 きっと、何か言われる。俺は、色々な事を覚悟しながら視線を返す。 「…どういう気持ちで、君はああいう事したの?」 あれ? なんか、今までとは若干意味合いの違う質問が来る。似てるようで、なんか違 う。俺はなんだかしっくり来ない気持ちで一徳さんを見る。 「それって、どういう…」 あくまで、普通に。一徳さんは、同じ大人に問うような表情で、言った。 「そのままだよ。君はそれをやった時、どういう気分だった?」 怒ってる訳でも、悲しんでる訳でもない。本当に、質問していた。逆に、なん かすっと答えられた。 「正直、気分が晴れました」 それを聞いて、一徳さんは少し苦い表情になる。 「じゃあ、君はそれを続ける気?」 「誰かが、シローさんを傷付ける限りは」 守るって決めたから。 「…他に、解決方法は無いの?」 「だって、あの人達はシローさんに酷い事をするから」 守りたい人が傷付けられたら、それはやっぱり。 堂々と答える俺に、一徳さんは溜息をついた。 「それじゃあ、同道巡りになっちゃわない?」 「なりません」 きっぱり言い切った。 ―――その当時は、俺は自分が一番正しいと信じていたから。 お母さんを、誰かを、誰でもいいから、誰かを守りたかったから。 今は…今だってどうなんだろう。 ただ、泣きそうだったから。絶叫してるのに、凄く悲しそうに見えて、ちっさ い身体が、もっとちっさく見えて、だから、俺は… 「…ん」 「あ」 ほわよん、と何か凄く柔らかくて軽くて大きいものが掛けられる。その比類な き柔らかさを持った何かの感触がこれまたなんて言えばいいかわからなくて、起 きてしまった。 「…これ、何ですか」 「知らない」 苦笑いをして、その物体を俺から取る… 「…俺、貴方の事、どう呼べばいいんですか」 その人は、もこもことその物体(正直、掛布なのか敷布なのかの判別も付かな い)を畳みながら、俺を見る。 何も喋らない。 馬鹿みたいに、お互いをみつめ合う。その内、耐えれなくなったのか、その人 は眼を逸らし、唇を震わせて、明らかな挙動不審人物と化した。 たっぷりと間を置いて、そして、物凄く小さな声で、その人は。 「…出来れば、お父さんって」 「お父さん」 「あ、嫌なら、パピィでもダディでも…」 「…お父さん」 「あの、あ、やっぱ、いつも通りで…」 …テンパリ過ぎて、お父さんはどうやら俺の声が聞こえていないみたいだ。 「あの、だから、あの…」 「そういえば、二ノ宮先生って元気ですか?」 不意に、夢に出てきた、顔を合わせた時間は少ないけどインパクトは最上級の 先生の事を思い出す。 「え?え、あ、あー…先輩なら、元気だよ。今は二ノ宮さんでなくて松浦さんだ けど…毎日豚に塗れて…こないだ、豚肉お裾分け来たでしょ、アレ、先輩の…」 どうでもいい事を聞きながら、夢の内容をどんどん思い出してしまう。もしか して、この人…あ、そういえば訂正なんてしてなかった。 「…お父さん、もしかして、未だに俺がお母さんと結婚するの嫌がってると勘違 いしてるんですか?」 …その瞬間、お父さんの表情が変わる。 この人、本当に馬鹿なんだなぁ、と何度も思った事を、また思う。 あの日、俺の『お父さん』みたいな存在は、前のお父さんから、この人になっ たのに。 お父さんは、大切な事をわかりやすく教えてくれた。 俺がした事が問題じゃあない事。それを平気で、出来るっていう考えの事。人 を敵か味方でしか判別出来ない事の怖さ。 …俺が、お母さんやシローさんを大切に思うように、シローさんを苛めてた人 だって、他の誰かにしたら、俺にとってのお母さんと同じなんだって事。 もし、お母さんが、俺がした事を他の誰かにされたら。 想像しただけで、凄く嫌だ。物凄く、悲しい。 俺がそう思う事を、俺自身がやらかしてしまった。そしてその事に気付かず、 またやらかそうとしていた。そんな俺を、軌道修正してくれた。 嬉しかった。それなのに、俺はそれを何ひとつこの人に伝えていなかった。 一番言わなきゃいけない事だったのに、何年も。ずっと、この人は、俺のたっ た一度の『アンタ、俺のお母さんと結婚したの!?』って言葉に脅えてたのかと 思うと… 「あっ…あの、大輔…」 「なんですか、お父さん」 さっきから、気付いているだろうか。そりゃ、気付いてるだろうけど。 お父さんは、どうしたらいいかわからないといった顔のまま近付いてくる。俺 も、別段逃げようとは思わない。きっと、抱き締められるんだろう。そう思った その瞬間。 ―――とても陽気な着メロが、鳴り響いた。 「出るの!?」 どこかで聞いたようなツッコミ。まぁ、滅多に掛かって来ない人だし、今は味 方にしたい人だし。 俺は、桜花さんからの電話に出ると、畏まって返事をした。 『こんばんは。突然のお電話、すいません』 「いえ、いいんです。て言いますか、桜花さんが俺に電話を掛けるって、さくら さん関連以外無いでしょうし」 …正直、俺と桜花さんの関係って物凄くドライだ。多分、お互いにちょっと嫉 妬心みたいなものがあるからだとは思うけど。まぁ、今はどうでもいい。 「どうしたんですか?何か…また、行方不明になったとか?」 俺の言葉を聞いて、お父さんがあっ、という顔をする。え?何?なにか知って るの?聞こうとしたけど、それより早く。 『いえ、もうすぐ家に帰って来ます』 と、あっけない返事。一瞬何か大変な事が起こったかと思った。俺は溜息をつ いて胸を撫で下ろす。が。 『私、今からちょっと出掛けるんです。それで、さくらちゃんなんですけれど』 「今から出掛けるって…」 そんな、さくらさんじゃあるまいし桜花さんがこんな時間にって…て、まさか。 「ちょっと、桜花さんってばぁ、もう、やっだぁ」 物凄い気の利かせように、俺は思わず笑みが零れる。が、気のせいだろうか、 桜花さんが…ここからでは表情のわからない桜花さんが、なんか、鼻で笑ったよ うな気がした。 『男の人と、一緒に帰って来るんですよ』 「はぁ!?」 「えええっっ!?」 突然大声を出した俺に驚いて声を上げたお父さんを睨むと、すいません、と手 を合わせる。そのままそれは放って置いて、桜花さんを問い詰める。 「ちょっ、どっ、どういう、え!?」 『私達の親戚の方が、居酒屋で潰れてしまったさくらちゃんを発見して、お家ま で送り届けてくれるそうです。最後に見たのは数年前でしたが、かっこいい方で すよ』 …桜花さんって、こういう人だっけ? 俺はちょっと悪意を感じて、舌打ちする。 「それで、俺にどうしろと言うんですか」 『いいえ、ご自由にしてください。私は、明日まで近所の漫画喫茶にでもいます から』 なんだろうか。物凄く冷たい声。桜花さんは少し間を置いて。 『…私、自分がここまで嫌な人間だなんて知りませんでした』 そう、吐き捨てるように呟いて、電話を切った。そして、俺も切り。 「あ、あの、大輔、俺…」 「すいません。話は後でお願いします。お父さん…えっと、あ、もういいや、い いです。結婚でもなんでもOK牧場です。そんな事より俺、行かなきゃいけない 用があるので、行きます」 「そんな事って…え!?ちょっと、ちょっとぉおおお!!いいの!?」 半分困惑、半分嬉しいといった顔。お母さんののんきな『行ってらっしゃい』 の声に送られ、俺は家を出る。 …今日からは大手を振ってお母さんを守って下さい。俺は、俺の大切な人の所 に行って来ます。 行った所で100%死ぬ訳ないのに、そんな事を思った。 「う…」 なんか、誰かにおんぶされてる。なんだろう、うう、気持ち悪い。飲み過ぎた し食い過ぎた。 「気が付いた?」 優しく、でもって呆れたように呟く誰か。 誰だろ…大輔、かな。 「ぉう―――…」 「まだ寝てるみたいだね。いいよ、もうすぐ家だから」 …そっか。あ、なるほど。来てくれたんか。あんなに会いたくないって言った のに、あんなに罵倒したのに、あんなに攻撃したのに。 大輔は、いつだって来るなって言うのに来る。 ホントは、それが嬉しい。いや、人それぞれだろうけど、私は、嬉しい。うざ ってぇって思うけど、でも、心のどっかで来て欲しいって思う時に限って…大輔 は。いつだって、大輔は…私の事。 じわ、と涙が浮かんで来る。 今日、誕生日だったのに。 ケーキだって、料理だって、プレゼントだって用意してた。 わざとじゃないって、事故みたいなもんだって、やっぱり心のどっかで理解し てるのに、物凄くイライラして、それで。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |