館もん。2
-2-
シチュエーション


「…あっうううううあうううううううううううううううううううううっっ」

すいません。今、泣いてます。いや、もう1週間振りの我が家(木造アパート)
っすから。買い物帰りに拉致されてから一週間ですから。

「千佐子様、キモいです」
「えうううああああああああああああああああいああああああ」

今は、そんな伊藤の嫌味も気にならない。もうただただ感謝しか無い。けど。

「よく考えたら、平日の昼下がりにいる筈無いんだよな…」

溜息をついて、とりあえず家に入ろうとする。鍵は、郵便受けの中に…

「無いな…という事は、お父さんいるのかな?」

私はやったぁ!!と思いながら階段を上がる。ついでだから、車で待ってると
いう伊藤を引っ張ってやって来た。とりあえずお茶の一杯も出さねば。

「ただいま!お父さーん!!」

がちゃ、と戸を開ける。と。

「ハイ、ドナタデスカー?」

と、アジア系の女の人が出て来た。格好は、完全に…部屋着。一瞬部屋を間違
ったのかと思ったけど、表札はちゃんと『鳥居』だ。

「…アノ、何カ?」
「あ、あの、何かって、私は、あの、この家の人間ですけど…」

硬直してしまう。え?なに?どういう事?お互い何も言えずに相対していると、
後ろから子供が4人ほど出て来た。やっぱり、アジア系。ていうか、女の子1人
いて、その服には見覚えがあった。大事に取っておいた、お母さんが作った、も
う着古した、ちっさいきったねぇワンピース。

「っ…なんでお前がこれを着てんだよ!!」

我ながら、大人気無いと思った。見た所、小学校にも上がってないくらいの子
供。けど、それは私の大切な物なんだ。ちゃんと頼めば着せる許可は出してもい
い。やらんけど。でも、勝手に人の部屋にしまっておいた―――

そこで、気が付く。こんな安い汚い狭いと三拍子揃ったアパートに、お父さん
を抜かしたって、私の部屋があるのに5人も住める筈無い。

「ちょっ…どけ!!」

女の子を突き飛ばし、食って掛かる男の子もどけて、部屋に走る。予想通りの
状態になってない事を祈り、そしてそんな訳ないだろと頭の中でツッコミつつ、
襖を開ける。

―――私は、久々に自宅の襖を指で開ける行為をした。

「チョット、ドウシタンデ…!?」
「…呼べ」

私は、女の襟首掴んで、睨んだ。

「なんだよー!かーちゃんいじめるなよー!」
「だれだよおまえー!」

…1人、玄関先で伊藤だけがすっごいモノを見る眼でこっちを見ていた。百年
の恋も冷める勢いのツラ、してるんだろうなぁ。私はまとわりつくガキどもをつ
まみ、放って、今にも暴れ出したいのを制御して、呟いた。

「…お前でもガキでも伊藤でもいいから、とりあえず親父を連れて来いっ…!」

―――私の部屋なんて、無かった。子供4人分の荷物や布団があって、私の思
い出の物は全然無くて、あっても壊れたり汚れたりしていた。

大急ぎで女がお父さんを会社から呼び出した。待ってる間女の子から服を引っ
ぺがして、部屋の中の私の私物を回収した。なんかすっげぇ泣いてたけど、知ら
ん。悪いけど、今の自分に触る奴は、誰であろうと本気で殴る気だった。ので、
小学生くらいの男の子が服返せとか攻撃してきたんで、鼻の穴に指突っ込んで思
い切り指を上に上げたらすげぇ泣かれた。正当防衛だ。

諌めながらもけっして私に近付かない伊藤を睨んでると、親父が帰って来た。


…ぶっちゃけると、私、売られたみたいだった。

借金があって、それを藤乃原が嗅ぎ付けて、取引を持ち掛けた。それから、お
父さんは私を疎ましく思っていたらしい。

お母さん子だった私は、口には出さないものの、暗にお父さんの再婚を認めな
い素振りをしていた。人見知りをするし、第一お父さんの財力じゃ女1人と子供
4人と私でもう少し広い所に引っ越すのもちょっと無理があったみたいだし。

…私、働いたよ?お父さんが言えば、どんなバイトだってするし、朝昼夜問わ
ずに働けるよ。家にお金も入れる。

…ただ、私は別の所に暮らしたけど。

お父さんに取っては、その人は愛しい人で、子供も愛しいんだろう。けど、私
に取っては単なる他人で、私の生活に介入してくる厄介なだけの存在なんだ。

ま、こんなんだから、売られるんだろうけどさ。

私はお父さんを7、8発殴る蹴るして、家を出た。今度はちゃんと、別れを告
げて。ひとつスッとしたのは、女の人が事情を全く知らず、今回の事を知って親
父を泣きながら引っ叩いた事だ。えっらい軽蔑してたな。ざまぁ見ろ。

お母さんの作ってくれたワンピースと、誕生日に買ってくれたのに、クソガキ
のせいで綿が出ちゃった変な顔の人形を抱き締めて、私はボーっとしながら歩い
て、近所の公園まで来た。

信じてたモノが、全部壊れちゃった。帰る場所も、心の拠り所も、皆全部無く
なって、残ったのは、何も出来ない、馬鹿な自分だけ。3歩後ろには、伊藤が付
いて来てる。正直、うぜぇ。

「…千佐子様、帰りましょう」

声を掛けて来る。私は無視して歩き続ける。公園の中に入って、物凄く中途半
端な位置に来て、立ち止まる。別に意味なんか無い。歩く気が、無くなっただけ
だ。

「千佐子様、今からこっそり戻れば、なんとか…」
「帰らない」

はっきり言った。

確かに、もう脱走する理由は無くなった。けど、このまま藤乃原に戻るのも、
嫌だった。正直、もう本当に何もかも嫌になってた。

「千佐子様?」
「…お前、耳聞こえないの?帰らない。もう、戻りたくない」

そう言うと、なんか半球型のドームに穴がいっぱい開いてる、とりあえず雨露
だけは凌げるんじゃないか的建造物に入る。

…このまま、この中で消えて無くなりたいな。ワンピースと人形を抱き締めて、
縮こまる。このままぎゅーっとぎゅーっと身体を丸めて、どんどんちっちゃくな
って、私なんかこの世から消えちまえ。

呆れたのかどうかわからないけど、伊藤が中に入って来る。そして隣に座る。

「お前、気ぃ利かないな。どっか行けよ。ていうか、帰れよ」
「嫌ですよ。どうして貴方を置いていかなければならないんですか」

ぐ、と肩を抱いて引き寄せる。伊藤の割に乱暴だ。

「触んないで、やだ。今、私なにするかわかんない。さっき、近付かなかったじ
ゃんか、なんで今そんな事すんの」

…喋る度に、言葉が震える。さっき、クソ親父やあの女やガキ共の前では死ん
でも泣くもんか、と我慢して来たから、そろっとツケが回って来てる。でも、今、
ここでも伊藤には絶対見られたくない。

「もう、関わるな。今帰れば、お前完全に怪しまれないで済むだろ、私はハンバ
ーグ捨てて脱走して自爆して行方不明になるんだよ。だから、離せよ!」

伊藤の手を振り解いて、顔を覆う。もう駄目だ、来てもうた。だから、せめて
顔は見られないようにして、泣いた。でも出来るだけ声は出さずに。出来るだけ
伊藤から離れて。

…悲しい。悔しい。苦しい。色んな負の感情が頭の中でぐるぐる回って、どん
どん嫌な気持ちが増殖して行ってる。頼りになるのはワンピースと人形だけ。

ごめんね、汚くしちゃって。壊しちゃって。

全部を拒絶して泣いていると、伊藤が立ち上がる音がした。やっと諦めて帰っ
てくれるのかと思ったら…

「…嫌」

性懲りも無く、伊藤は私を抱き締めて、無理矢理顔を上げさせた。いや、もう
ぐっちゃぐちゃだから見ないで欲しいんだけど。

「…千佐子様」

また、昨日みたいに私の涙を拭う。伊藤の顔は真剣そのもので、私を見ていた。

「俺は、味方だから。絶対に、何があったって」
「……」

ずる、と鼻を啜る。伊藤はそれ以上は何も言わず、顔を近づける。私、まだ、
わかんない。けど、でも、今は―――

そっと、眼を閉じる。こんなの、良くない、駄目だってわかってる。けど、そ
んな事されたら。キスされて、抱き締められたら、縋ってしまう。

「泣いてもいいから」

ぎゅっと、手に力を込める。私は、つい伊藤の背中に手を回してしまう。眼を
閉じたまま上を見ると、二度目のキスをくれた。

「泣け」

ご主人様(仮)がコックに命令されたよ。ていうか、もう、駄目だった。キス
してもらったら、もう伊藤の腕の中で泣くしか、無かった。




「ただいま」
「お邪魔します」

…因みに、最初の言葉は伊藤で、次が私だ。

どうしても今日だけは帰りたくないとごねた私は、元・私の家のアパートから
40分くらい車を走らせた所にある、伊藤の実家に来ていた。

伊藤の家は両親共に料理人で、やっぱりどこかの家に仕えてるらしい。家は、
とりあえずたまに帰る時の為だけにあるそうだ。贅沢な。

手にはスーパーの袋を持って、伊藤はさっさと家に上がる。

「千佐子様、茶の間で待っていて下さい。私は屋敷に連絡してから、夕ごはんを
作ります」

…時刻は、もう夕方。今日一日で一杯ショックを受けて、伊藤の厚意ならぬ好
意に甘えて、こんな所まで来てしまった。罪悪感で一杯になって、呆然と立って
いたら、伊藤に押されて茶の間まで追い遣られてしまった。

伊藤が2階に行ってしまって、ぽつん、と1人になってしまった。眼が痛い。
泣きすぎて、腫れてしまった。お行儀が悪いけど、座布団を繋げて、寝転がった。

もしかしたら、疲れてしまってたのだろうか。1人になれて気が抜けたのか。
私は、あっという間に眠ってしまった。


…夢を、見てた気がする。どんなのかは忘れちゃったけど、とりあえず楽しく
はなかった。悲しくて、苦しくて、どうして現実が辛いのに、夢でも辛いんだっ
て、一応夢だと自覚していたのはわかった。

だから、伊藤が揺り起こしてくれた時は、心底助かった。結構汗をかいて、お
まけに泣いていたから。

「…いと、う…」

カラカラになった唇で、名前を呟く。心配そうにこっちを見ている伊藤の顔を
見たら安心した。

「千佐子様、お風呂にでも入って来て下さい。沸かしてあります。上がる頃には、
ごはん、出来てますから」

そう言うと、私の頭を撫でた。言う通りに、風呂場に案内して貰った。

―――正直、食欲全く無いんだけどな…

夢見もあるが、あの時から、ずっと気分が悪い。頭も痛いし、ふらふらする。

でも、伊藤が一生懸命私の為にしてくれてるし…

『着替え、ここに置いておきます。母の物ですが、新品ですから』
「…ありがと」

湯船に浸かりながら、礼を言った。正直、億劫だ。返事をするのも。ホントは、
1人になりたいんだけど…それは、ワガママも度が過ぎる。

「ねぇ、伊藤…」
『はい、なんでしょう』

優しい声。穏やかな声。伊藤に寄り掛かって、いつまでもそれでいいんだろう
か?私はただ、伊藤を利用してるだけなんじゃないか?『次期当主』でも『藤乃
原の血筋の人間』でもない、『私』を必要としてくれる人間の好意に甘えて、好き
と明確にわからずに、恋人同士がするような事を受け入れたり、ねだったりする
のって…

「私、で、いいの?」

一瞬、間が空く。そんな事を思いながら、試してしまう。

『…千佐子様が、いいんです』

ごめんね…

伊藤の言葉には応えず、湯船の中で身体を縮めた。伊藤は暫くしてから、また
出て行った。


「…うわぁ」

ちょっとサイズの大きいパジャマを着て茶の間に行くと、用意が出来ていた。

「一杯食べて下さいねー」

にこにこしてる伊藤。ちゃぶ台の上には、ハンバーグでっかいのに目玉焼きが
乗っていて、にんじんとブロッコリーが添えてある。あと、ご飯と味噌汁とお漬
物。

「デザートもありますよ。チョコムースです」
「本当?」

…マジっすか…

普段なら、大喜びする所だ。けど、今は…正直、ご飯と味噌汁だけでも辛い。
けど、駄目だ。ここはおおはしゃぎでがっつかねば。せっかく、伊藤が作ってく
れたのに。

「いっただっきま―――す!」
「はい、召し上がれ」

伊藤も気を使って、ご飯、大盛りに盛りやがって。まずはハンバーグをひと口。
でっかく。

…あれ?

非常に、ヤバイ事態となる。どうしよう、砂食ってるみたいな感覚。味が、し
ない。胸につっかえて、中々飲み込めない。

「どうしたんですか?」
「……」

何度も何度も噛んで、やっと飲み込む。飲んだ感触も、なんか、無機物を流し
込んだような、そんな、苦しい感じ。駄目だ、心配させるな、これ以上、迷惑掛
けるな…!

「っ…ごめん、あまりの美味さに、気を失いそうになった」

こういう時、普段が意地汚くて良かったと思う。伊藤が呆れて笑う。こうなっ
たら、もう意地でも食うしか無い。気合を入れて、箸を伸ばした。

―――その結果。

「うげ…っげっ…げぼ…」

ゲレゲレゲレと、吐き続ける。見たくないけど、見た感じ、これで全部か。胃
は痛いし、気持ち悪いし、鼻で逆流したし。

飛び散らないように吐いたし、そこらにあったトイレ掃除用の薬品使って床も
拭いたし、あとは顔洗って、うがいをすればOKだ。よく食べましたねー、と笑
っていた伊藤に罪悪感を覚えつつ、トイレを出た。が、その瞬間、凍り付く。

「―――なに、してるんですか千佐子様」
「っ…え、なん、な、なんだよ、食い過ぎたから出たんだよ!食・即・出だよ」

慌てて、誤魔化す。が、怒ってる。完全に怒ってる。

「…響くんだよ、吐いてる音っていうのは」

私を睨み、頭を叩く。

「無理して、食べたのか?」

尋問するかのような、おっかない視線。私はこれ以上はもう駄目だ、と思って、
頷いてしまう。馬鹿、と呟いて、がっくり頭を下げてしまった。

「ごめん、もったいない事して…せっかく作ってくれたのに」
「…あのな、そういう事じゃないだろ…」

もう寝た方がいい、と私を引っ張る伊藤を止めて、とりあえず洗顔、うがいだ
けはさせて貰う。それをしたら、また強く引っ張られて2階の寝室まで連れて行
かれた。

「……」

客間とかなのだろうか?あまり物が無い部屋に、布団が一組敷いてあった。

「ほら、入って下さい。それでは、お休みなさい」

…割と乱暴に、部屋の中に入れられる。が、襖を閉めようとする伊藤の手に触
れると、動きが止まって、こっちを見た。

「なんですか」
「あの、怒ってる?よね?」
「怒ってますよ」

うっっ…すっぱり言い切りおった。本当に、ごめんなさい。悪い事しました。
しゅーん、となって、無言で頭を下げる。

「…ごめんなさい」
「なんで貴方が謝るんですか」

え?意味がわからず、顔を上げる。やっぱり、怖い顔。

「どういう…事?」

説明を求めると、伊藤は襖を開けて、部屋に入り、襖を後ろ手で閉じる。

「とにかく、横になって下さい」

ほれほれ、と私を布団に寝かせる。おお、元・私の家のボロ布団とは違う、い
いお布団だ。ベッドよりお布団派だ。そんな私を見下ろし、伊藤は正座する。そ
して。

「え、ちょ、どっ、どど、どした!?」
「すいませんでした」

何故か、伊藤が私に謝った。すいません、意味がわかりません。呆気に取られ
ていると、10秒くらい経ってから伊藤が顔を上げた。

「ですから、気を使わせて吐くまで食べさせてしまった件です」
「あ、あーそれ?いや、だって、あの…伊藤が、私の為にしてくれた事だし…」
「…ですから、それです。優し過ぎるんですよ、千佐子様は」

ぶんぶん振ってしまった手を握られる。けど。

「優し過ぎる人間は、親父に暴行加えたり、後妻の襟首掴まないし、その子供の
服ひっぺがしたり鼻フックはしないと思うよ…」

その件に関しては、伊藤は聞かないフリをした。なんだか、気まずい空気にな
ってしまった。

「…ねぇ、伊藤」
「なんでしょうか」

やっぱり、良くないよな、こんなん。一緒にいればいる程、伊藤の良さはわか
る。今日は全然、からかいもおちょくりもしないし。だから、騙すのって、良く
ない…よなぁ。

「ごめんね」
「…もう、いいですよ」
「違う、その事じゃない。あの、本当に、黙ってれば黙ってるだけ、辛い事にな
るから」

…うわー、いてぇ。マジ胃がいてぇ。でも、言わなきゃ。こんなん、間違って
るから。こんな酷い事って、無いから。

「…どうしたんですか?」
「ごめん、伊藤、私、伊藤の事好きじゃない」

―――あれ?いや、その通りなんだけど。でも、なんか言葉、間違えた?あー、
固まってる。笑ったまま、固まってる。

「あっ、あの、違う、あの、好き。好きだけど、あの、恋愛対象には…あの、な
れないじゃなくて、わからなくて、あの…まず、ちゃんと話すようになって、2
日だし…」

なんか、言えば言う程ドツボにはまって行く。あああああ、伊藤の眼が泳ぎだ
した。どうすりゃいいんだ?これ…

「あ、あの、ホント、ごめん、伊藤…」

「…抱き締めても嫌がらなかったじゃないですか…」
「いや、あの、唐突過ぎて…」
「自分でキスしてって…」
「言葉には出してない…」
「私でいいのって…」
「…その件に関しては、本当に反省してます…」

…私、よく考えなくても、人を傷付けてばっかりのような気がする…でも、今
言わなきゃ、余計傷付けるだけだし…ていうか、よく考えたら、付き合ったまま
だとしても、私婚約者いたよなぁ…名前も忘れたけど。

しかし、私、ここでぶっちゃけちゃったけど…流石に、このまま一晩泊まるの
…迷惑だよな。歩くか。休み休み歩いて帰れば、明日の朝には着くかな?ホント
にごめん。あーあ、最低だ、私。

むく、と起き上がって、畳んであったのをこっちに持って来てくれてあった自
分の服を持つ。パジャマは…寒いし、下に着て、洗濯して返すか。

「ごめんね、さよなら」

未だがっくりしてる伊藤に声を掛け、襖に手を掛ける。その時。

「どこ、行くんだよ」

あああ、やっぱ動揺してる。ていうか、普段、どんだけ我慢して敬語使ってる
んだよ…無理は良くないぞ。

「え、いや、帰るよ。休み休み歩いて帰る」
「…それで?疲れて帰って来たお前見られたら、連絡して保護した筈の俺の立場
どうなる訳?ただでさえもう誠司の奴には俺が連れ出したのバレてんだ。余計睨
まれるだろ」

無理、良くないとは思うけど…あの、変わり過ぎじゃ。

「…あの、あの、どうしたの?キャラ、変わり過ぎだよ?
「ああ、そうだろうな、ドン引きだろうよ、どっかの推理ゲームの2の犯人くら
いの変わりっぷりだろ」

なっ…投げやりだぁあああ…嘘、もしかして、そんなにショックだったの!?

ちっ、と舌打ちをして、私を見上げる。こういう体勢は珍しいな。

「…別に、いいんだけどさ。俺だって千佐子様じゃなきゃ死ぬって訳でもないし」

まぁ、人間関係って大抵そうだけどさ。そっか、そんな切れる程酷い事しちゃ
ったんだよな…

「別に、親に裏切られてるんだったら、千佐子様でなくても良かったんだよ」

―――?なんとなく、その言葉の意味がわからず、でも、何か引っ掛かってし
まう。ていうか、今後も顔合わせるのに、そんな暴言吐いていいのか?

「伊藤、それって―――」

その時の私の顔、どんな顔してたんだろ。伊藤は私を冷ややかに見据えて、鼻
で笑った。

「…は?わかんない?俺は別にお前が欲しかったんじゃなくて、お前みたいな境
遇の奴が欲しかったんだよ。それでズタボロに傷付いて、俺に縋って、俺しか見
えなくしてやりたかったのに、あーあ、優しくしてすっげぇ損した!!」

…なんだろうか。これは、本当に恐ろしいくらいの変わりっぷりだ。普段の伊
藤の姿は微塵も無くて、どっちかと言うと、キャラ的に鈴原に近い。ていうか、
そんな事より伊藤の言い分だと、もしかして。

「あのさ、知ってたの?私が売られたの」

もしかして、今日の脱走の手伝いも、ていうか、私に近付いたのも、全部、全
部可哀相な私を手に入れたくて、仕組んでた事なのか?

「知ってるよ。ていうか、屋敷の人間、全員知ってるぞ」

…ナルホド、知らなかったの、私だけか。あー、だからか。もしかして、私の
精神衛生上、諦めるのを待っていたって事だったのか?だろうな、そうだろうな。
基本、いい奴ばっかだもんな。

「……」

私は、襖を開ける。

「は?行くの?お前、人の話聞いてなかった?そんなんだから捨てられるんじゃ
ねぇの?」

わかってる。それは、自分でもわかってた事だ。性格、すげぇ悪いもん。なん
も知らんかった女とガキに暴力振るえるもん。でも、惜しかったな。

「そっか。そうだったんだ。ごめんな。私、言わなきゃ良かったな。だって、そ
うなる所だったから」
「…?」
「伊藤が、どんな事考えて、どういう思いでそういう人求めたかは知らないけど
さ、伊藤がそうしたがった事、私は伊藤にだけ重荷を掛けると思って。好きかど
うかもわからなかったけど、でも、例え好きだったとしても、そんな関係は駄目
だって思ったから、言ったんだ」

だから。

きっと、あのまま伊藤に寄り掛かり続けていて、伊藤が自分からそれを望んだ
と言われても、耐えられなかったと思う。いずれ、駄目になっていたと思う。

―――今、はっきりわかった。私、きっと伊藤の事、好きになってたんだ。勘
違いかもしれないけど、こういう気持ちって見えなくて、確証持てないもんだか
ら、そう思っちゃったからそうなんだろう。

伊藤の考えがどうであれ、抱き締めて欲しい、キスして欲しいって思ったのは
事実なんだし、伊藤があの場にいてくれて救われたから。

でも、それでも。私だって結局あの場にいて、慰めてくれたなら、隣にいたの
が浩司だろうが誠司だろうが、もしかして名前も思い出せない婚約者だとしても、
縋っていたのかもしれないし。でも、実際そこにいたのは、連れ出してくれたの
は、話をしてて楽しいと思ったのは…伊藤だったから。

人の事言えないけど、伊藤の場合は『私』じゃなくて…

「ごめんな、そこまで言われたらお前の屋敷内立場なんてどーでもいいよ。歩い
て帰る。じゃな」

パジャマの上から服を着る。大分おかしい格好だけど、あったかいし、夜だか
ら誰も見ない。

…伊藤は、声も出さない。私を見ない。

「でも、助かった。あの時、伊藤がいてくれたからなんとかなった。それは本当
に感謝してるよ。ありがと」

それだけ言って部屋を出て、ぱとん、と襖を閉めた。

伊藤も、『私』じゃなくて、『次期当主』や『藤乃原の血筋』みたいに『親に捨
てられて傷付いた、可哀相な子』を求めてたんだな、と思うと、無性に悲しくな
った。私の事、見て欲しかったんだけどな。見てくれてたと思ったんだけどな。
きっと、好きだから、悲しいんだろうな。良かったよ、涙が出るの、部屋出てか
らで。



真っ暗な道を、とぼとぼ歩く。道、よくわかんないけど…まぁ、交番見付けた
ら道を聞くとするか。

…なんか、後ろから誰か来るな…まぁ、時刻は…夜8時半くらい。こんくらい
なら、人通りもあるだろう。うわー、この格好やっぱ後悔した。そう思った瞬間。

「いっ…いたぁっ!!」
「!?」

いきなりダッシュで近寄って来て、人の腕を掴む。まぁ、そんなん伊藤しかい
ないんだけどさ。っていうか、顔!泣きっぱなしじゃん私!!

「なっ…なに…」
「…お前、あんだけ大騒ぎしてた癖に忘れんなよ、人形とワンピース…」

顔、真っ赤にして、呟く。

「あ、ごめん…忘れてた」

と言うものの、伊藤だって何も持ってない。それを指摘すると。

「うっ…うるさい!お前、自分の物くらい自分で取りに来いよ!!」
「…ごめん、めんどいから明日、お前持って来て」

あんだけ大事にしといて、えらい発言だ。が、本気でそう思ってしまった。

「っ…却下!!」

それだけ言うと、私の腕を握ったまま、もと来た道を戻る。

「あの、あんま残りHP無いから体力使いたく無いんだけど」

伊藤の家からここまで、2キロくらいある。来る時通った道を使ったとはいえ、
よく見付かったものだ。伊藤は完全に私を無視してのしのし歩く。そして、やは
りこっちを見ないまま。

「…悪かったな」

と、呟いた。

「そう思うなら言わなきゃいいのに」

と、返してしまった。そこで伊藤がぴた、と止まる。が、またすぐ歩き出す。

どうしたんだ?実は躁鬱の気でもあるのか?

「…わかってる。俺は、考え無しで物を言う馬鹿だから。どんなにお前の事傷付
けるか、どっかでわかってたのに言って、お前が家出て、凄く後悔した」

まぁ、概ね同意する。でも。

「私も、傷付けたからさ。お前の事利用してた訳だし」
「でも、それだって俺の目論見だったんだし、そうなるようにしてたから」

…うーん、平行線。暫く無言で歩き続けて、伊藤の家に辿り着く。体力、かな
り削られた。伊藤は私を家に入れると、そのまま玄関閉めて、鍵を掛けた。

「え…?」
「よく考えなくても、お前、なんも食ってないような状態だろ。今日は、もう寝
ろ。嫌だろうけど…な。頼む」

そう言うと、また手を引いて、元の部屋に戻る。伊藤の手は、震えていた。

…必死に走って、私の事、迎えに来てくれたんだ。まぁ、自分の立場がどうこ
うとかも言ってたけど…でも、ちょっと嬉しかった。好きだってわかった訳なん
だし。

「えっと…あの…」

伊藤は、視線を泳がせる。そして、あーあー、と発声。ちょっと咳をして、呼
吸を整える。

「…今回の件は、本当に悪い事をしたと思っています」
「あ、戻った」

どうしてだろうか、伊藤は未だ緊張してビクビクしているというのに、私はも
う、完全に落ち着いていた。きっと、今なら牛丼特盛りつゆだく卵付きも余裕で
食えるだろう。

「そう。でも、別にもう気にしてないよ。私も罪悪感消えたよ。ひふちーひふち
ーって奴?でも、ひとつ聞いていい?」

伊藤が首を傾げる。ちょっとしてから『どうぞ』と呟いた。

「あのさ、私に自分の計画の事話した時、全然伊藤らしくなかった。考えなしっ
て言ったけど、普段の伊藤見てると、やっぱりあの時だけどっかおかしいよ。だ
から、まだ悪いって思ってるなら、それだけ聞かせて。それでお終いにしよう」

まぁ、普段つっても、そんなに一緒にいないけどさ。でも、屋敷でだってあの
キャラでいたんだろうし。だから、余計に。

「…ん?」

あらら?伊藤の顔が、どんどん赤くなって行く。眼を背け、挙動不審になる。
なんだ?この怪しさは。

「伊藤、おーい、伊藤さん?」

近付いて顔を覗き込む。すっげぇちっちゃい声で『言えねぇ、言えねぇよ!!』
と呟いていた。うわぁ、可愛い。てか、近付いたのに気付いてない。








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