シチュエーション
![]() 私、今までお父さんと一緒に生きてて幸せだった。 だから、一刻も早く帰ろうとした。だって私の大好きなお父さんが、私が突然 いなくなって、悲しんでいない筈が無いって。 けど、それは単なる私の願望だった。はっきりと、お父さんはいらないって言 った。私より、どっかの女を選んだ。 私の事なんか、いらなかった。私、何の為に頑張ってたんだろう。こんな事な ら、3階から落ちなきゃ良かった。知らないまま、諦めてれば良かったのに… 「千佐子さん…」 「……」 私は、杖を使って立ち上がる。 「どこへ行くんですか」 「…どこでも、いい…帰る所なんか無いけど、でも、ここも嫌だ…」 私の家は、無くなってしまった。あの家には、もう帰れなくなってしまった。 馬鹿みたいにまた涙が流れる。誠司を睨み付ける。きっと、今の私はとんでもな くひっどい顔をしてるんだろうな。 「ちょっ…馬鹿ですか貴方、第一、そんな身体で…」 「そりゃ馬鹿だよ、今までずっと騙されてたんだからな。お前だって、ホントは 裏で笑ってたんだろ、自分を売ったクソ親父をまだ信じてやがんのって…」 誠司が、あからさまに傷付いた顔をする。そうだろう、だってこいつホントは いい奴だもん。わかってて、私は傷付けてる。自分を含めて、周りを全部滅茶苦 茶にしたくなってる。 たかだか600万?フィリッピンパブ?邪魔?ふざけんな。 「放せ…放せよ!お前なんか大嫌いだ!!うぜぇ!!どっかいけよ!!」 暴れる私の腕を掴んで、誠司はなんとか抑えようとする。けど、本気出してキ ○ガイみたいに暴れる私に難儀している。 「っ…嫌いで、結構です!」 ぎりり、と歯を食い縛って私をなんとか無傷で押さえようとする。さっき勢い で舌噛ませた事気にしてんのかいな。 「っ―――!!」 不意に、足を引っ掛けられる。バランス崩して、床に背中をしこたま打ってし まった。痛い。その私の上に誠司が乗っかる。 「重いわ!どけよ!大体、そんなクソみたいな遺言なんぞに今時従うなよ!!」 「っ、僕だって、そんなものに従うのなんか、嫌に決まってます!!」 ほらな、こいつだって、本心じゃ私の事邪魔だと思ってたんだ。いや、最初か らわかってたけど。 きっと、叔父さんだって、浩司だって、眼の前のこいつだって、本当は、私な んかいらなくて、でも、従わなくちゃいけないから仕方なくやってるだけなんだ。 「…どけよ」 力が、入らない。元々怪我してるのに、無茶ばっかしてたから、そのツケが回 って来た。身体中が痛くて、全てのやる気が削がれて行くようだ。誠司はおっか ない顔のまま私を見下ろしている。 …怖い。それでなくたって、そんなに男の人に免疫ある訳じゃないのに。痛い のと、悲しいのと、怖いのと、全部ぐちゃぐちゃになって、また涙が出て来る。 「貴方が逃げないと―――無茶をせず、安静にしてくれると約束するなら」 怖い顔のまま、声だけ優しくなった。優しいってより、押し殺してるようにも 聞こえるけど。きっと後者だろう。 「…やだ。もうここにはいたくない。お前だって、さっき嫌だって、遺言に従う のなんか嫌だって言っただろ。望み通りにしてやるから、放せよ」 馬鹿みたい。声、震えて、泣いて。情けなくなって来る。自分がこれ以上傷付 くのが嫌で、怖くて、誠司の事、傷付けて。 「…別に、貴方に出て行って欲しいなんて、一言も言っていないでしょう」 呆れたように、呟く。私の涙を指で拭うと、抱き起こして、じっと私を見て、 言った。 「貴方は、言葉をそのまま受け取るようですから、言わせて貰います」 私が逃げないように、肩を掴んで、真剣この上ない表情で、誠司は。 「僕は、貴方がこの家で暮らす事を、望んでいます。そして、貴方の助けになり たいんです」 「嘘だぁ!!」 …つい、物凄い反射速度で返してしまった。けど、本当だった。よくよく考え て、こいつが優しいのはわかってるけど、でも、それは、嘘だと思う。だって、 そんな筈無いから。遺言に従うの嫌で、なのに、助けになりたいって、意味わか んない。 「嘘では、ないですよ。どうして貴方はそんなに疑い深いんですか。昔からそう でしたっけ?」 こめかみを押さえつつ、溜息をつく。そんな事は…無かった気がする。第一、 私、こんなに怒りっぽかったか? 「…そんなん、お前に関係無いだろ!いいから、もうどっか行きたいんだよ、1 人にさせてくれよ!!」 「……」 本当に平行線だよ…わかってる。本当にこいつは心配してるってのはわかる。 けど、心配してる奴等全員、原因じゃねぇかよ。 誠司は、うつむいたまま溜息をつく。そして、何かを決心したかのように顔を 上げる。 「…どこかへ、行きたいんですね?」 その表情は、どこか悲しそうで。私は突然の物言いに驚いて、頷いてしまった。 「1人になりたいんですね?」 また、頷く。誠司は、何を考えているんだろう?意図がわからずに、ただ私は 頷いている。 「…僕の顔なんか、見たくないと…そういう事なんですね?」 「―――え」 最後の質問は、どうしてだろう、誠司が泣きそうに見えた。まぁ、それは一瞬 の事だったから見間違いかもしれないけど。ていうかそうだろうなぁ。 「ん…今は、ちょっと、見たくは…うん、ない」 聞いてるんだから、こちらも正直に言わせて貰う。誠司は、茶箪笥の方へ向か うと、小さい箱から何かを取り出し、ポケットに突っ込む。そして。 「行きましょうか」 そう言うと、私の手を引く。杖を使ってよちよち歩こうとすると、誠司が。 「…遅」 と、嫌味ったらしく呟く。へーへー、自業自得ですよ。ていうか痛いよ。 はっきり言ってしまったのが悪かったのか、誠司は足早にドアまで向かって私 を待つ。ていうか。 「どこへ行くんだよ…」 「貴方の望み通りの所ですよ。そんなに1人でどこかへ行きたいなら行けばいい じゃないですか」 そう言うと、ドアを開ける。私も続く。出ると、誠司は鍵を掛けた。几帳面や なぁ。 「…ていうか、いいのか?」 休み休み、歩きながらふと疑問に思った事を告げる。 「いいんですよ」 冷たくつーんと、素っ気無く誠司は答える。あーあ、初めて会った時くらいに 戻ったな。一階の人通りの無い、客間も何も無い、ただの行き止まりに到着する と、誠司は辺りを見回して、大分低い位置の壁を押す。壁がへこんで、なんかス イッチみたいの出て来た。 「…うわ」 「黙ってて下さい」 不機嫌そうに呟く。パスワードかなんかを打ち込むと、壁が開いた。誠司は私 を押し込むと、自分もすぐに入って、壁を閉めた。真っ暗。 「パスワード何?8823?スハダクラブ?」 私の言葉は完全に無視して、いつの間に持参していたのか、懐中電灯を点ける。 狭い壁の中は階段で、そこを下りて行くと… 「ここから、外に出れます。それから先はお好きなように」 襖四枚くらいの板があって、一番右端に鍵付きのちっちゃい扉がある。それを 開くと、また鉄格子があって、入る所の鍵を開け、手招きした。 「…ほら、早くしないとバレる可能性がありますから」 些か乱暴に私の手を引くと、どん、と私を突き飛ばした。そして。 「―――え!?」 誠司はがしゃん、と乱暴に鉄格子を閉める。そして扉も。懐中電灯の光も無く なって、真っ暗になる。そして、私はやっと気付く。ここは――― 「せっ…誠司っっ!!」 「はい、なんですか」 木の扉はフェイクだったのか、本当に襖みたいに横開きに開いた。どうやら、 板の後ろは全て鉄格子だったみたいだ。そうだ、ここ、多分そうだ。 「お前、外だって言って…ここのどこが外だ!!地下牢だろ、ここ!!」 動く筈の無い鉄格子を握り締め、動かそうとする。誠司は涼しい顔で私に懐中 電灯の光を照らす。 「…そんな事より、暗いですよね。千佐子さんの近くにスイッチありますから、 電気点けて貰えます?」 涼しげな声が本気でむかつく。だまされた。だまされてしまった。でも、確か に暗いのでとりあえず電気は点ける。ぱっ、と明るくなり、地下牢の全貌が明ら かになる。しかしまぁ。 「ていうか、これ、本当に牢屋か…?」 鉄格子の中は8畳の畳張りで、私が元住んでたアパートの部屋よりも上等だ。 布団も置いてあって、奥には…おい、テレビあるじゃねぇかよ。あーあー、水道 もある。 「トイレ、奥の扉がそうですから」 そう言いながら、誠司はまた扉を閉めようとする。密室の上にまた密室にする 気かよ。 「ちょっ…まっ、待て、お前…」 あの、悪いけどここ、怖い。すっげぇ怖い。 「…まぁ、外だと嘘をついたのは謝りますけど、でも貴方の願いは8割方叶って いるんじゃないですか?1人になりたい、どこかに行きたい、僕の顔を見ないで 済む」 ふふん、と意地悪く微笑む。こいつ、本気で根性悪だよ!!いや、そうでもな いと思うけど、そうだよ!!ああああああ、本気でむかつくけどでも怖い!! 「それでは、良いお年を」 おと… 「っ、今、何月だと思ってやがる!!」 「さぁ」 そう言うと、ぴしゃ、と閉めてしまった。そして外からがちゃこがちゃこと音 がする。鉄格子の中から開けさせないつもりか。 『それでは、安静にしていて下さいね』 そう言うと、誠司は言ってしまった。地下室だからか、誠司が歩いて行く音が 響く。そして――― 本当に、ひとりぼっちにされてしまった。 しーんとした牢屋と言う名の大分上等なお部屋の中で、私はとりあえず出口な んかあったりしないかなー、と思いながら辺りを見回す。いや、100%無いの わかってるんだけどね。一応ね、一応。 「…てか」 とさ、と私は畳の上に崩れ落ちる。もう、実は限界だった。身体中が痛いし、 それとは別に、なんだか心臓が痛かった。きっと、まだショックから立ち直れて いないんだろう。誠司とのいざこざでワンクッション置けたけど、意外に傷は深 いみたいだ。 季節柄、ストーブが欲しい所だけど牢屋だけにそんなもんは無い。布団にテレ ビにトイレに水道にあるだけ贅沢な方だ。むしろ、住みたい。今の心境に、この 部屋はぴったりかもしれない。薄暗くて、広いのに息が詰まりそうな感じ。 「……」 畳に、涙が落ちた。 もう、帰る場所が無いんだな、と思うと、改めて悲しくなって来た。 仕方が無く、という事で手放したならまだわかる。けど、いらないって。私は、 邪魔な存在なんだって、そう思い知らされると、辛い。 ぎゅう、と自分の身体を自分で抱き締める。誰かに守って欲しい訳でも無いけ どさ、自分しかいないってのも…寂しい。畳に涙が染みて行く。心に何か真っ黒 いものが染みてくみたいに。 …寂しい。哀しい。後…怖い。 寒いけど、布団を敷く体力も気力も無い。落ちて破れたままの服だから、寒さ もひとしお。でも、このまま凍死したら楽になれるかな、と思った。 死んだら、お母さんに会えるかな。天国と地獄だったら、私どっちかな。8割 方地獄かな。性格悪いし、親不孝だったんだし。そういえば、親より先に死ぬと 賽の河原で石積みしなきゃいけないんだっけ?あれ?年齢制限あるかな? ―――おかしいの。 こんなに泣いてるのに、頭の中では馬鹿な事を考えている。それが現実逃避だ と気付いた瞬間、なんとなく哀しみが2割増しになったような気がした。 まぁ、確かに逃げたいよ。ここからも、現実からも。私の居場所なんてどこに も無いんだから。 「…さみしい」 わざわざ、わかりきっている事を呟いた。言っただけ、余計寂しくなるのに。 涙は、まだ流れたまま。 お母さん…お父さん。会いたい。会って、抱き締めて、慰めて欲しい。ずっと 一緒にいたい。叶う筈の無い夢を、見てしまう。実現する事は絶対に無いという のに。 そんなの、夢でしかないのに――― …夢? 「夢…か…」 夢は、どんなに願ったって夢でしかない。でも、見る事は出来る。眠ってしま えば。ずっとずっと眠ってれば、夢を見続ける事は、出来る。 「…見たいな、夢…」 呟く。これは、実現可能な事かもしれない。何も出来ない私の、唯一出来る事。 会いたい。私の事、ずっと愛していて欲しい。そう願って、私は眼を閉じた。 元々色んな物が限界だったから、眼さえ閉じてしまえばすぐに眠る事は出来た。 ―――おやすみ。お母さん、お父さん。 『許さない』 ―――は? 突然そんな事を言われて、私は正にそう呟くしか無かった。ここはどこだろう か。見覚えはあるけど、全然思い出せない。眼の前の人にも、見覚えはあるよう な気もするけど…でも、やっぱり思い出せない。 『―――私の一番大切なあの子に―――慎吾に手を出させたら、許さない』 やっぱり、意味はわからない。誰だ?誰の事だ?少し虚ろな瞳で、私を見下ろ す。大きな、大人の男の人。けど、ちょっと大き過ぎる。 …ああ、そうか。男の人が大き過ぎるんでなくて、私が小さいのか。 『葵には気を付けなさい』 だから、誰よ葵って―――あれ?これも、どこかで聞いたような。 違う。 私が望んだのはこんな夢じゃない。イイ年した大人に脅されるなんて、嫌だ。 どうして、夢の中でくらい幸せにしてくれないんだ。会いたいのに。お父さん とお母さんに会いたいのに。お父さん。お母さん… 「っ…」 目覚めると、なんか違った。さっきと違う。あったかい。あ、そっか布団で寝 てるんだ。なんでだろう、やっぱり夢の続きなんだろうか? 「…お父さん?」 今までの事、実は全部夢だったのかな。実はお母さんが死んだのも夢だったり して。それにしちゃあ長いような気もするけど、でも昔中学高校合わせて26巻 くらい続いたのに最終話で夢オチだったみたいな漫画あったなー…最近また中学 から始まって… 「お父さん…」 ぼやけた頭と、霞む視界。自分の部屋よりも若干広いような気がするけど、気 のせいかな。お父さんは振り向く。どこかへ行くのかな。仕事かな… 「…行かないで」 手を伸ばす。今行かれたら、何故かもう、永遠に会えなくなるような気がした。 そんなの嫌で、哀しくて、起き上がろうと思ったのに起きれなくて、だから、必 死に手を伸ばした。 「行かないで…1人にしないで」 声は、震えていた。性懲りも無く、涙が流れた。 「…お父さん」 きゅっ、と私の手を握ってくれた。安心して、また泣いてしまった。もう片方 の手で、お父さんは私の頭を撫でてくれた。 「おと…さん」 少し、不思議。略してSF。なんか、すっと心が軽くなったような気がした。 「まだ夜中ですから、寝ていて下さい」 「…うん」 そっと、お父さんが頬を撫でた。その手に触れる。もう片方の手も頬を撫でて、 どっちかというと顔を優しく掴むような形になる。 「―――おやすみなさい、千佐子さん」 そう言うと、唇に何か、触れた。あったかくて、柔らかい…あ、そっか。キス されてるのか…お父さんの挨拶はいつからアメリカ式になったんだろう? 少々の疑問も抱きつつ、安心しながらまた寝てしまった。 わかってるんだ、本当は。 ―――これは、幸せな夢って事くらい。 「おはようございます」 「…痛い」 誠司に叩き起こされる。いい夢見てたのに…てか、布団で寝てる。という事は、 昨日、誠司がわざわざ来てくれたって事だろうか…だとしたら、なんか、その事 について大変な事があったような気がするけど…なんだっけ。 「ほら、救急箱持って来てあげましたから…後、はい。早く用意して下さい」 誠司は不機嫌なまま、私にヤカンとタオルの入った洗面器と…うわ、なんかこ いつ持って来たと考えるとやだなぁ…今日も寝てろって意味か?パジャマと新し い下着を渡された。 …ちょっと嬉しいな。お風呂入りたいけどまだちょっと痛いし… 「悪いね。じゃ、ちゃっちゃと済ませるから」 そう言うと、誠司は牢屋を出て行った。お湯を洗面器に入れて、水道水でぬる くして… 『まだですか?』 「早いわ!!」 あまりに急かす誠司に舌打ちしながら、身体を拭く。着てた服とスカートの間 に下着類を挟んでパジャマに着替える。 「終わったぞー!」 「…そんな大きい声出されても困ります」 と、嫌味混じりに入って来た。そして。 「じゃ、僕も暇じゃないですからちゃっちゃと済ませます」 そう言うと、救急箱を開いて、せっかく着たパジャマのボタンを――― 「……」 「……」 誠司がぴた、と止まってしまった。ついでに、私も。昨日半裸見られてるのも あって、後、起き抜けってのもあって、まぁ、つまりなんのこっちゃというと。 「―――っ!!」 慌てて誠司から身体ごと顔を背ける。 そうです。ブラするの、完全に忘れていました。持って来て無かったってのも あるんですが。 とりあえず、昨日の着けてたブラを付けてから、治療再開。 『……………………』 お互い無言で、湿布張り替えて貰ったり包帯巻いてもらったりしていた。 恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい。私の馬鹿。視界が霞んで来る。あああ、 泣きそうだ。 「…終わりました」 その言葉を聞いて、私は会釈だけして後ろを向いてしまう。それからやっと。 「ご、ご苦労様です」 と、少し見当違いな事を言ってしまう。誠司は救急箱の蓋をぱとす、と下ろし て立ち上がる。 「すいません」 と、何故か誠司が謝る。いやいやいや、これは悪いの、私だろ? 「い、いや、あの、あ、こっちこそ、ごめん、変なもん見せて」 乳、人に晒すの初めてだ。自分の身体に自信ある訳じゃないし、胸、不二子ち ゃんより大きいのは確定事項だけど日本人で言うと標準?くらいだ。女の身体は 25歳くらいまで成長するって聞いた事あるけど、お母さんのおっぱい思い出し て、それは諦めた。 「…別に、変なものでもないでしょう」 半分呆れ気味に言う。後ろ向いてるから表情はわからないけど、予想はなんと なく出来る。 「そう…?ほら、あの、大してでかくもないし…」 …なにを言ってるんだ私も。あああああ、もうやだ。ここから別の意味で逃げ 出したい。ゆっさゆっさ頭を振ると、誠司がぽむす、と肩を叩いた。思わず振り 向いてしまう。 「あ、あのー、その、えと、あ、僕は小さいほうが個人的には…」 フォローなんだかどうだかわからない発言を。しかし誠司相手だとレアだ。 「…なんだよ、誠司、ロリコン?」 「違います!」 それは、一応即答するんだな… 「ロリコンじゃあ、ないです。僕はどちらかというと年上の方が…」 聞いてもないのに、誠司はべらべら喋る。大分どうでもいい話だ。 「そっか、下は39から上は98までか」 「なんでそうなるんですか!ていうか、そこまで行ったら100までにして下さ いよなんだかモヤモヤします!!」 なんでそんな怒るかね…こいつ、店先で掛かってる額縁、ちょっとズレてたら 直すタイプだな。 「なんだよ、そんな怒るなよ…」 「別に、怒っていません。ただ、僕はそんなに守備範囲広くありませんから」 ぷーい、と今度は誠司がそっぽを向いてしまう。愛い奴だな。 「ふーん、じゃあどんくらい?絶対ひとつ上じゃなきゃ嫌だとか?」 わかってて、からかう。守備範囲厳し過ぎだっつに。誠司が怒るのを待ってい ると…ん?いつまでも、怒らない。流石に完全に呆れられたか?でも、誠司って そこまで冷静じゃない気がするんだけど… 「怒った?」 あっち向いたままの誠司の顔を覗き込む。が、また逸らされる。 「…誠司、ごめん、ごめんってばぁーあー」 ちくしょう、まだ身体痛いのに動かさせるな。 「ですから、別に怒っていませんっ」 ヤカンに洗面器に着替えに一気に持って、牢屋を出ようとする。 『…朝食、机の上に置きましたから』 出て、鍵を掛けてから、誠司が言った。なるほど、確かに。 『それでは』 冷たい声で言うと、誠司は行ってしまった。 昨日から何も食べていないから、すぐさま机に向かう。むほほー、むほほー、 もひとつおまけにむほほー。ミルクのリゾットだ。うまそー。 「いっただっきまーす」 早速、ひと口。うめぇー。超うめぇ。伊藤バンザーイ。 ほくほく顔で朝食を楽しんでいると…誰かが、またやって来た。誰だろう? 「…食欲旺盛ですね」 嫌味を言いながらやって来たのは、またもや誠司。しかも、なんかカバン持っ て来てる。どういう事だ。 「まぁ、食べていて下さい」 そう言うと、私の布団の近くに座って、カバンから文庫本を何冊か取り出した。 「…なに?暇つぶし?」 「ええ、そうですよ、僕の」 そう言うと、私なんかそこにいないみたいな感じで本を読み出した。は? 「ちょ…なんで?なんでお前いようとしてるの?」 「いて悪いですか」 「いや、だって昨日8割方理想通りとか…」 どっか行く、1人になる、誠司の顔を見ない…自分で言っておいてよお。 「…貴方を1人にしたくないんです」 「なんでよ、どういう意味」 もぐもぐ、とそれでもリゾットを食べ続ける。 「別に、他意はありません」 本から視線を外さずに冷たく言い放つ。別に、いらんけどなぁ。 「…そ。私、食べたらすぐ寝るけど」 「寝てもいいですよ。今日は僕も暇ですからずっとここにいます」 ふーん、ご苦労なこって…って。 「はぁ!?」 「…大きな声を出さないで下さい」 「だっ…な、なんで!?悪いけど、お前それは一日完全に無駄にするって事だ ぞ!?」 自分で言って悲しいけど、本当なんだから仕方が無い。こいつだってそう暇じ ゃない筈だ。それなのに、なんで? 「別に、無駄じゃありませんよ。僕がそうしたいから、いいんです」 「い、いやいやいや、余計わかんないって、なんで?誠司、なんで…」 「ですから、貴方を1人にしたくないんですよっ」 ふん、とまたそっぽ向く。 …昨日今日で、とりあえず、納得はしてないけど心の整理は出来た。でもって、 こいつは一応味方で、いい奴なんだ。きっとこの先お飾りだろうが当主になれば 世話になるんだろうし。 …ぶっちゃけ、すっげぇ気ぃ使われてるんだなー… 泣いちゃったし、おもいっきり親に捨てられた訳だし、怪我もしたし。私は誠 司に背を向けてしまう。 「別に私、子供じゃないからいいよ、そんなん」 「…昔よりも子供っぽくなりましたけどね」 ぺら、とページを捲りつつ呟く。なんだと、この野郎。 「お前、なんだよその言いぐ…」 …今、なんか聞き逃せない事を聞いてしまったような気がする。振り向くと、 いつの間にか誠司はこっちをじっと見ていた。 「…昔…?」 どういう事?私は完全に誠司を不審者を見るような眼で見てしまった。 「はい、昔よりもです」 「嘘、まさか、お前らそんな昔から…!?」 「なんでそういう見方をするんですか…違います。あのですね、僕と母は、一度 だけですが、とある人にこっそり貴方の家に連れて行って貰った事があるんです」 は!?嘘、覚え無いぞ!?…ああ、会ってないのか? いきなりのカミングアウトでびっくりしながら、誠司を凝視する。が、誠司は 自嘲的に笑って。 「僕、貴方と会ってるんですよ。母さん達が話をしている間、相手してくれて」 はぁあ、とこめかみを押さえてぼやく。すいません、完全に覚えていません。 どんなに考えても、私の記憶の中に誠司の存在はありません。ていうか。 「浩司はその時何してたの?もう身体弱かったの?」 ちょっと、気になったので質問。が、誠司は『うわぁ』って顔をした。そして がっくり肩を落とす。 「…兄さんは、当時は身体は丈夫だったんですよ。でも、ちょうどその前日に3 階のトイレの窓から落ちて、無傷でしたが大事を取って寝ていて貰ったんです」 どこかで聞いたような、そしてさらりと凄い事を聞いた。 「そう、そうなんだ…へぇ〜」 とりあえず、そうとしか言えないよ。だって、誠司の事、本当に覚えてないか ら。あー、あーあ、誠司、なんか落ち込んじゃった。 「…そ、その時、あー、どんな事したの?」 「アパートの近くの公園で、遊んでもらいました」 完全に投げ遣り調で話す。あーあ、あーあ、今度こそ私、悪い事してもうた。 で、でも、なんで誠司が落ち込む必要あるんだ? 「僕は5歳で貴方は6歳で、貴方は歳の割に大人びていて、僕の面倒を見てくれ て、あの、僕、貴方にもう一度会えるって、楽しみにしていたんですよ」 うわぁー…がっかりしただろうねぇ、覚えていないってのはまぁ、ちっさかっ たからともかく…あーあ、憧れのお姉さんと十数年ぶりの対面が、実の兄を殴り 倒した瞬間だからなぁ。夢、壊してもうたな。 「がっっっっっっかりしたろ」 「…ええ」 憧れのお姉さんは、泣く、叫ぶ、暴れる、拗ねる、暴食、落ちるとやりたい放 題。ドリームってもんは、見た時間が長いだけ現実見るとキツイからな。 「でもですね…」 「ん?」 誠司は、笑う。少し、どきっとするような、笑顔。 「今は今で、貴方が好きですよ」 「嘘だぁ!!」 …またもや、即答。いや、だって、こればっかりはちょっと…あの、人を地下 牢ブチ込んでおいてアンタ、ちょっと…あ、でも誠司が落ち込んでる。 「…やっぱり、言わなきゃ良かった…」 はぁ、とふっかい溜息。あーあ、そりゃそうだろうな。悪いけど、誠司の事い い奴だとは思うけど、一度も恋愛対象として見た事は無いからさ。 「ていうか、なんでよ。お前、どこ見て好きと言えるんだ?ただ単に昔の私を美 化し過ぎて、ギャップあり過ぎておかしくなったんじゃないの?」 「…そりゃ、貴方と再会して、失望する事だらけでしたよ。こんな酷い女性、見 た事ありませんからね」 おうおうおう、好きだと言った割にひっでぇなぁ。やっぱ気の迷いじゃねぇか。 「…でも」 でも?なんだ?これ以上何を言いたいんだ? 「貴方がそういう行動を取る原因は、僕達にあったんですよね」 まぁ、確かにそうだけど…しかし、思えば色々やったなぁ…ちょっと遠い眼に なっちゃうよ。 「…まぁ、でも…なんかもうどーでも良くなって来たわ。もう当主でもなんでも なったらぁ。あー、婚約者もいたな。明日にでも入籍するか」 もう、投げ遣りだ。もう私に残された道なんぞ、それしかないんだ。いーよい ーよ、栄華の限りを尽くしてやる。が。 「…貴方、本当にそれでいいんですか」 誠司も、なんか私と同様疲れ切ったような顔をして言った。お前ももうどぉで も良さそうだよな。 「いいよ、もうどうでも」 「…本当ですか?言っておきますけど、その婚約者の方と入籍するという事は、 子作りにも励むんですよ。貴方、好きでも無い人と出来るんですか?」 っうっっっわ。 そ、そうだ。確かにそうだ。誠司にしては下世話な話だけど、うわあああああ ああああああああああ、嫌だ。顔も名前も覚えてないけど、嫌だ。 「それは…あの、凄く嫌だ…」 正直に、前言撤回させていただきます。切り替えの早さに誠司に笑われた。で もって。 「でも、回避する方法があるんですよ」 ―――なんだろう。今の、全然覚えてない人間と云々よりも、物凄い笑顔にな った誠司の方が4倍くらいおっかなかった。 「―――という訳で、千佐子さんは僕と結婚します」 開いた口が塞がらないって、こういう事を言うんだなー、と思った。実際口ぱ っかー、開いたまんまだし。 「…は!?」 大分遅れて、一先ず浩司がそう言った。だろうな、だろうな。私と誠司が結婚 するって、例えるならば…うーん、思い付かない。けど、とりあえずありえない 事だからなぁ。 誠司は私を抱き寄せると、浩司はともかく叔父さんに向かって、聞く。 「…異論は、ありませんよね。知らない人と結婚させるより、僕と一緒になった 方が幸せになれますから」 しかし、血が繋がっていないとはいえ、なんか誠司と叔父さんの間には何かが あるような無いような…壁みたいなものがあるような気がするんだよなぁ。 「あ…ああ…うん、そ、そう…だよね」 うっわ、叔父さんガタガタだ。ちら、と誠司を見ると…顔が怖い。もしかして、 嫌いなのかね、叔父さんの事。 浩司も、叔父さんの方も気にしつつ、こっちを凝視してる。 「……」 少し苦い顔をして、顎で部屋から出ろ、的仕草をする。誠司は素直に従って、 私を伴って浩司の部屋まで行く。戸を閉めて、浩司にしては珍しく鍵も掛けて、 そして、言った。 「…誠司、それは同情じゃないんだよな?」 普段の浩司からは、想像出来ないような―――今だったら、ちゃんと誠司の兄 に見えるような顔で、声で、そう言った。 「…はい。同情ではないです」 誠司も、真剣そのものだった。次に浩司は私の方を向き。 「お前は、結婚したくないからって、誠司を利用してる訳じゃないんだよな?」 「いいえ、仰る通りです」 あんまりにも真剣に言うもんだから、正直にぶっちゃけた。そして同時にこの 兄弟は崩れ落ちる。 「…ちょ、千佐子さん、それは言わないって…」 完全に脱力し切って、誠司はぼやく。浩司は顔面からすっこけている。 「おっ…お前はああああああああああああああああああああああああっっ…」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |