帰省2
-1-
シチュエーション


──明日、明日だ。

徹志からのメールを着信した。

《雪ねえ、明日は急にダメになったとかないよな?》
「・・・・・・当たり前じゃない。・・・ばか」
《勿論行くわよ。土曜日だし、次の日までゆっくりしていこうかと思ってる》

着信。

《そっか。じゃあそん時、またなノシ》
「────」

やっとだ。やっとアイツと会える日が来たんだ・・・

四十九日当日。電車を降りるなり、徹志が出迎えてくれた。

「よう。久しぶり」

軽くポケットに手を突っ込んだ彼が、いつも通りの笑顔で私の元へ歩み寄ってきた。
──不意打ちだ。こんないきなり対面すると予想していなかったから、しどろもどろになってしまう。

なんで、私ったらこんな・・・

「──久しぶり。ほ、ほらっ、早く行くわよ!」
「お、おい・・・んな急がなくても」

一度も目を会わせずにずんずんと改札を抜ける。徹志はその後を急いで追ってくるが、どうしても顔を合わせるのが恥ずかしくってちょろちょろ逃げ回る私は、正に歩く挙動不審者。

「雪ねえ、何処行くんだよ!そっちは男子トイレだろ!」
「そ・・・そう言うことはさっさと・・・・・・────っ!!」

合った。勢いで振り返った瞬間、目がバッチリ合った。そんでもって手首を掴まれて、それは端から見ると手を繋いでいるようで。

「────っ」
「雪ねえ、俺、言ったよな?今日どうしても雪ねえに話したいことがあるって」

タンマ、タンマ、私まだ心の準備が出来てないっ!

けれどそんな私にお構いなく、徹志は真剣な表情で迫ってくる。じりじりと距離を縮めて、壁際に追いやられ、逃げ場を失った。

・・・ドキドキする。あれ程待ちこがれた時があるというのに、私の心臓はちっとも大人しくなってくれなかった。

あの夜から、私は毎晩徹志のことを思い出して、眠れなくなっていた。

──この、広い肩。
──この、通った男声。
──あの、見慣れた・・・筈、の、顔が、

「俺──────」

パッパーーーー!!!!

「おーい、雪香、徹志く〜ん。迎えに来たよ〜」
「「──────」」

突然のクラクションと呼び声に、はっと世界を取り戻した。

「な〜んちゃってもうっ、私をからかうのは一万年早いってことよ!」
「あ、・・・・・・ったく・・・」

意味不明に誤魔化して、ロータリーに待つ迎えの車の元へ向かった。徹志は何か言葉を飲み込んで後をついてきたけれど、一緒に行くのがなんとなく嫌で先に車に乗り込んでしまった。

私は母の隣、助手席。徹志は後部座席に独りで座った。

ホッと胸を撫で下ろす。これなら目が合わなくて済むから普通程度の会話が出来るだろう。

外の景色を見ながら、今日初めて自分から彼に話しかけた。

「徹志、今日はバイクじゃないの?」
「ん?ああ。丁度車検でさ、雪ねえの一本前ので来んだ」
「珍しいわね〜。確かに、徹志君はこっちに来るときはバイクと一緒なのにねぇ」

母も会話に混ざる。

「へぇ〜車検とか出してるんだ。なんかそういうイメージ無いなぁ・・・」
「なんだよ。俺はコレでもちゃ〜んと自賠責に加入しているしっかり者だぞ?」
「ふ〜ん、つまんないの〜。事故起こして慌てるところが見物なのにぃー」
「そりゃ冗談じゃすまねぇぞ。・・・・・・・・・雪ねえ、ちゃんと国民年金払ってるよな?」
「──────は、払ってる。よ」
「間が気になるぜ〜?」
「五月蠅い!徹志の分際で、優位に立つんじゃないわよ!」
「こら雪香。いい加減徹志君が可哀相でしょ?」
「な、なんでよ。何でこんな奴の肩持つのよ!?」

私は頬を膨らませて拗ねてみた。ふとサイドミラーを覗くと、徹志は私のよく知る徹志に戻っていた。

家に着いてしばらくして、叔父さんのお墓があるお寺に赴いた。

・・・なんでこんな時まで徹志の隣に座ることになってしまうんだろう。坊さんのお経をBGMに、徹志の横顔をちらりと盗み見た。

「・・・・・・」

うん。やっと普通に接せられる自信がついた。

こうやって落ち着いてみると、ここ最近の私はおかしかったのだ。あの夜を忘れられないのも、しばらくぶりに男に抱かれたから、欲求不満が決壊しただけどと冷静に判断できる。

──何?それって、徹志を程よくオカズにしてたってことになるの?

唾液をごくんと下して、改めて徹志に目をやる。

「・・・・・・」

目が虚ろで瞼を閉じかけている。──眠いのかな?それにしてはこめかみに滲む汗が気になる。──冷房あっても熱いのかな?

私はハンドタオルを取り出して、彼の額に持って行く。

「徹志、これで汗を拭きなさい」
「・・・・・・あ、サンキュ・・・」

私は口をぽかんとOに開けて、徹志が汗を拭く様子に釘付けだった。その視線に気付いたらしく、

「どうかしたか?」

横目で私を見下ろして、訊ねた。

「う、ううん・・・」

首を横に振り、私は手を膝の上に乗せてシャンとお経を聞く姿勢に整えた。

その後は墓参りだ。既に叔父さんのお骨が入れられたお墓にやたら人数の多い親族が集まり、スペースが無く、他人のお墓の前で叔父さんの名が刻まれた墓標を眺める。

「・・・・・・っ」

必死に歯を食いしばる。

此処で泣くのは場違い・・・意地でも涙を流すもんか。

「あ、あれ?」

ハンドタオルを取り出そうとして、さっき徹志に渡してしまった事を思い出す。

「雪ねえ。」
「わ、わわっ!」

いつの間に側に立っていたのよ!

私の肩を引き寄せ、顔を隠すように頭を抱かれる。徹志はそれ以上口を開かず、見られたくないのを察したのかにずっと前方に視線をやっていた。

──コイツは優しすぎる。

こんな有り触れた優しさが恋しかったのだろうか。徹志の背広の裾をぎゅっと握って、より強く歯を食いしばった。

「っつたっ・・・!」

墓場から帰る途中、私は小石か何かに躓いた。よろけるて転びそうになるが、徹志の腕がそれを遮る。(注:田舎のお墓は大方自然の中)

「──おっと。足下は気をつけろよ」
「あ、ありがとうっ」

慌てて立ち上がろうとするが、足に力を入れるとズキリと痛みが走った。徹志は私の足首をまじまじを見詰め、ふぅとため息を吐いた。

「そんな高いヒール履いてくるから、捻ったりするんだよ」
「だって、こんな事まで見越せなかったのよ!良いわよ、ヒール折って歩くわよ!」

躍起になってヒールを掴むが制止された。どういうわけか私の前にしゃがんで、

「無理すんなよ、ホラ」

負ぶってやる、と手を後ろに回す。真っ正面な彼の厚意に赤面して過剰に拒否した。

「無理してないわよ。ほら、足なんてぜーんぜん平気だから・・・痛っ!」

一歩下がると、また痛む。

・・・もう断れない。私は素直に徹志の背中から首に手を回した。

「うっし、しっかり掴まれよ」

膝の内側に手を回され、よっこらしょっと持ち上げられた。ちなみに私達は集団の最後尾なので少しくらい立ち止まっても問題はない。

「う、うん。・・・わわ、どこ触ってんのよ!」
「普通に脚だろ」
「嘘!さ、さっきお尻に手がさわった!」
「・・・あんな〜、自分の尻に自信があるのはわかったよ。だからバタバタすんな」
「生意気言うなぁー」

おでこを彼の後頭部に思いっきり突撃させる。

──いったぁ・・・・・・

ごつーんと鈍い音がして、額がヒリヒリし始める。それは徹志も同様で、

「あく・・・・・・・・・っ!」
「!!」

徹志の体制がぐらりと横に崩れた。私は咄嗟に反対方向に体重を掛け、──間一髪やらお互い倒れずにすんだ。

・・・今の、どう考えても私のせいよね?

「ご、ごめ・・・大丈夫?もう降りるわよ」
「っ────大したことないって」

意地を張ってか、歩調が早くなる。枯れ木をパキパキと踏んで、緩やかなコンクリートの階段を下りて行く。

うーん。この男、こんなにパワーマンだったっけ?

ちっちゃな頃は逆に私が徹志を負ぶって走り回ったような記憶が。・・・私ってパワーウーマンだったんだ。

「危ないからしっかりつかまれよ」
「は〜い・・・」

ぎゅっと身を寄せると、毎度ながら私の胸がくっつかざるを得なかった。

うっし。とことんサービスしちゃろ。

「雪ねえ。こんな時までサービス精神発揮しなくても・・・」
「・・・素直に喜びなさいよ。恩知らず」
「そりゃ自分のことだろ?」
「ぶーぶー。でも、今回ばっかりは不可抗力よ」

林っぽいところを抜け、やっと地に足をつける。

「ありがとう。よいしょっと・・・」

アスファルトにゆっくり降り立つ。よちよち歩き出す私の背中に徹志が話しかけた。

「気を付けろよ。片足ケンケンで歩いたりすんじゃねーぞ」
「ぎくっ」

正にしようとしていたことに図星をつかれ、ぎこちなく振り向く。

「・・・・・・ふっ。手、貸すか?」
「ううん。ゆっくり歩けば平気だから」

はぁ。一々心配性な奴だなぁ・・・。こんなんじゃ普通に女の子に接して、勘違いさせたりするんじゃないのかしら。
──徹志の女関係なんてどーでもいいけど、さ。

「ね、徹志。徹志はこれが終わったら、神奈川にトンボ帰りするの?」

お寺の食事場へ向かいながら、その場紛れに話題を振る。
・・・意味もなく隣に居られちゃ思考が変なところに飛んじゃうわ。とにかく他愛もない話をして心を落ち着けなくちゃ。

「ふーん・・・これといって予定は無いんだけどなぁ・・・」
「なら本家に一泊しなさいよ。ご飯食べて、あ、今日は『夏の珍プレー好プレーSP』あるから、一緒に見よ」
「雪ねえ、まだ・・・それ好きなのか?」
「勿論。DVDの録画予約も・・・あ・・・」

──忘れてた。徹志のメールが気になって、すっかり頭から抜けていた。

「徹志、やっぱりさっさと帰りなさい。ね?」
「録画頼もうったて、そうはいかねーぞ」
「むっ」
「おーら!むくれてっと、みんなに置いていかれるぞ」

「てつ・・・」
「ああ、醤油な」

わ、何で判ったの!?

まんま顔に出たらしく、飄々と、

「刺身もっておろおろしてれば、一目瞭然だろ。特に雪ねえは判りやすいから」
「なんですってぇー?」

食事の席で、やっぱり徹志と私は隣に座ることになった。

あ、なんかデジャヴ。向かいの席に座っている従兄弟達が私達の様子を見て笑っている。

「なぁ、徹、雪。この前から気になってることがあるんだけど」
「「は?」」

ユニゾン。どうやら葬式の時の・・・礼の一件らしい。

「で、何処に泊まったんだお前ら。まさか歓楽街とか?」

刺身が箸から醤油皿へベチャリと落ちる。

「んな、そ、ありえない、ありえないぃぃぃ!絶対、絶対、有り得ないもん!」
「おい、剛兄、雪ねえの反応を見て楽しむにしても今回ばかりはタチが悪いと思うぞ」
「あはっはっ!視線がキツイッスよ、徹志く〜ん」

え?じょ、冗談?遊ばれてた?

「剛兄、酔ってるだろ。車組のクセに」
「平気平気。・・・で、本当に何処に泊まってたんだ?」

急に表情が真剣になった。剛兄さんは意外と鋭いところがあり、はぐらかすのは容易じゃない。

・・・どうするの、徹志?

「普通に、ビジホだよ」
「嘘付け。中心市に詳しい俺ぐらいしか知らないが、あの辺は無いはずだぞ」
「何が?」
「ビジホ」

三人で息を呑む。

談笑の一角、此処だけ異常なシリアスだった。

──どうしよう。なんとか冗談で誤魔化さないと・・・

この際捨て身っ!

「あ、剛兄、今日の『夏の珍プレー好プレーSP』の録画してる?」
「「はぁ?」」

えっと・・・やっぱり怪しさバリバリだったか。

それ以上言葉を濁す様子を剛兄にじろじろと観察されるが、やがて落ち着いた笑顔で溜め息をついた。

「はぁ・・・してるぜ、録画。Youtubeにうpしといてやるよ」
「あ、わ、ありがとう!・・・ゆ、ゆーちゅーぶ?」
「剛兄、雪ねえに妙な事吹き込むなよ」
「なっはっは!おじさんが素晴らしいこと教えてやるぞ〜」

私はほっと胸を撫で下ろした。強引だったにしろ話が逸れてくれて一安心だ。
──しかし、またこのような事が訪れないとも限らない。さっさと自分の分を食べて、外の空気でも吸ってこよう。そうしよう。

お寺の庭で小鳥が囀っていた。私が芝生に踏み入れると、パタパタと屋根の上に飛んで行く。

「貴方も私も、逃げてばかりね。みっともない・・・」

段々、徹志に慣れる。そんな望んだことは、心地よさとその裏側にもどかしさを感じた。

私と徹志は従姉弟だ。幼馴染みだ。腐れ縁だ。

・・・その事実は私を安心させた。これからも、・・・死ぬまで馬鹿笑いできる素敵な仲なんだ。

・・・その事実は私を当然だと思った。だって、ただの腐れ縁だもの。

──なのに。考えるたび、あの夜が蘇るのは誰のかけた呪いだろう。

可愛い花壇を覗きながら、口ずさむ。

「てつしの、ば〜か〜・・・」
「誰が馬鹿だって?」
「んー、徹志っていう、私のダメ弟が・・・がぁ!!!!!」

呆気なく、ご本人登場。息を荒げながら私の腕を掴んでいた。

──顔が近い。

「・・・約束したよな。俺の話、聞くって」
「──────」

想いが喉でつっかえる。振りほどくことも、はぐらかすことも叶わなかった。

だから出来ることは、顔を背け、視線を逸らすだけ。

そのあからさまな拒否は直ぐ伝わった。彼は苛立ちを押さえきれず、少々ぶっきらぼうになっていた。

「なんで逃げてばっかりいるんだ。朝も。雪ねえらしくねぇぞ」

──カッと頭の中で火がつく。

「・・・・・・じゃぁ、私らしいって何よ。世話の焼ける幼馴染み?マイペースな姉?」

即答される。

「言いたいこと、飲み込んでるところ」

腹立たしい。

「何を?私は別に、いつも通り減らず口叩きだけど。アンタのよく知ってる『雪ねえ』よ。姉なの。違う?」

こうなったら詭弁が勝ちだ。出す言葉に詰まっている徹志を余所に続ける。

「そう、アンタが知ってるのは『雪ねえ』。そして私は『雪ねえ』らしくないの。ね?
簡単よ。私がちゃんと徹志の『お姉ちゃん』でいればいいの。ハイ、これで解決」

私は踵を返し、下駄箱に向かった。

徹志はまたしても腕を握って、それを止める。

「雪ねえ・・・」
「──雪ねえ雪ねえ雪ねえっっっ!!!
私のことなんて全然判ってないクセに。ただの明るくて気軽に話しかけられる女だと思ってクセに。
本物の私・・・『雪香』に触れたこともない、知らない。そんな奴がお見通しって口を利かないでよ!!」

「──── 知ってる。」

「俺は『雪香』を判っている。忘れていないだろう?あの夜は、間違いなく『雪香』だった」
「」

負けた。もう何も吐き出されない。

「俺は別に『雪香』を知ったかぶるつもりじゃない。むしろ判りたい。
俺はずっと、ずっと『雪香』のことが──────」

私は彼の手を振り払い、両耳をガッシリ押さえた。

「聞こえないっ、聞こえないわよっ!私は何も聞こえてないわよ!」
「ゆ、ゆき・・・」
「聞こえないぃぃっ!」

敗者である私は、剣幕で怒鳴り散らして徹志の一言を遮る他に手がなかった。

──壊したくない。──汚したくない。

公園を走り回っていた頃の想い出を。どつき合っていた馬鹿な日々を。二人で走った駅までの道を。

下心なんて一つも無かった。それは徹志も同じだと思っていた。

・・・なのに何この仕打ち。

要するに徹志と一緒に育った時間が大好きだったんじゃない。

掛替え無いんじゃない。だから、この関係を壊して、過去まで壊すことを恐れるんじゃない。

「徹志は全部壊したいの?大切じゃないの?それを抛ってまで、何を私に求めるっていうのよ・・・っ」

──あ、泣きそうだ。

徹志・・・。みっともない私を哀れむ?臆病な私を軽蔑する?

そんなつもりじゃなかったのに。絶対、徹志に心を奪われたりしないって自信があったから、体を委ねたのに。

結局きっかけを自ら作って、こじ広げて、するだけして逃げる。自己嫌悪もいいとこだ。

「一緒がいい。徹志とずっと同じでいたい。アンタが何より大切なの、だから変わりたくないの」
「・・・雪香」
「雪香じゃない、『雪ねえ』!」
「・・・俺だって宝石みたいに磨いている想い出はある。守りたい記憶もある。雪香の言い分も、あながち俺のどこかが同意してる。
でもな、だからこそ目を逸らさないで欲しい。・・・だって、・・・俺たちは──────────────」

彼の言葉が止まって、ふと目を開けてみた。

徹志が膝からがくりと崩れる。その軌跡が脳裡に焼き付いた。

「・・・・・・・・・徹志、徹志?ねぇ徹志?」

頭を抱きしめるように受け止め、首と首をくっつけてみる。

──熱い。

汗も半端な量じゃない。いや、そもそも流れ方がおかしい。ただ叫び疲れて出る汗とは、本質的に違うものを感じた。

「起きて。ねぇ、徹志?」
「・・・はぁっ、・・・はぁっ・・・」

──話しかけても反応がない。意識が朦朧としている。

「う、うそ・・・徹志、あ、あれ・・・?」

心がガクガクと震えだす。

その間、私は最悪の事態を想像していた。

雪ねえがモロ逃げで出て行った後、剛兄が重々しく口を開いた。

「なあ徹、俺とお前の仲だ。腹割らねぇか?」

やっぱり。雪ねえ居ないタイミングを狙ってたな。

「──割った腹から何も出ないとしても、か?」

だからってアレは他人に話す事じゃない。深い仲だからこそ、関係に気付かれてはマズイのだ。

──彼は一筋縄では納得させられない。さて、どうやって逸らそうか・・・

と思った矢先、向こうから振ってきた。

「・・・雪って、よくよく見れば可愛いよな。出るとこも出てるし、今一番の女盛り・・・奇麗な時期だよ」
「既婚者が言うセリフじゃないぞ」
「ひゅ〜、怒るなよ。事実を口にしただけだ。それにどっちかってーと、雪相手によくこぎ着けたなお前、ってカンジ」

途中、ぱくっと鉄火巻きを口に含んだ。

「人生の先輩からの助言だ。押すときはトコトン押せ。相手が泣いて嫌がっても、な」
「参考にするよ」

言って、俺は腰を上げた。剛兄は鼻を鳴らしながら、すかさず俺の手つかずの料理に箸を伸ばす。

──コレが、最後のチャンスなんだ。

雪香のくれたハンドタオルで額の汗を拭い、障子を開いた。

「あら、徹志君は食事も食べずにどうしたの?」
「はは・・・しょんべんだって」

朝起きたら、体が怠くて布団から出るのに一苦労だった。

Tシャツは汗でぺったりと肌に貼り付いて、動くと頭がぐわんぐわんと重かった。

──こりゃ完全に風引いたな。

理解と承知の上で礼服を着込み始めるから、男って愚かな生き物だと思う。

『四十九日・・・行く、よな?』
『?うん。そのつもりだけど』
『──そのとき雪ねえ話したいことがあるんだ。・・・・・・聞いてくれるよな?』
『────うん!』

《雪ねえ、明日は急にダメになったとかないよな?》
《勿論行くわよ。土曜日だし、次の日までゆっくりしていこうかと思ってる》

押すだけの念を押した。

今日が人生最大の山場だと決め込んで、頑なに体調を誤魔化す手段で行くことにした。

──薬のんどきゃ、そのうち治るさ。
──止む得ない。バイクは我慢して、電車ん中で大人しく寝てるか。

今日だけでいいんだ、この日だけで。

これが人生最後のチャンスだと確信していた。

『雪ねえが、俺を男と意識する』

この瞬間を何度見計らったことだろう。

俺だって、壊すのを散々恐れた。この関係は永遠であって欲しいし、汚す気なんてこれっぽっちもない。

でも気持ちに嘘をついて後悔するくらいなら・・・真っ正面から懸ける方を選びたい。

ずっと好きだったんだ。

彼女も俺も普通に育って、恋の相手の一人や二人も出来た。それぞれにその人を好きになっただろうし、深く関係しただろう。

それでも「この人だ」って思うのは、従姉なんてありきたりな場所に転がっていたりする。

不思議だ、ヒトって。

いつもヒトは何も知らない方が幸せだと知っているのに。

けれどヒトは求める限り、総てを貪ろうと醜い手を伸ばし続けるんだ。

「うん・・・」

徹志の唸る声が聞こえた。

起きたのかな?本にしおりを挟んで、横たわる徹志の顔を覗きこんだ。

「徹志、大丈夫?」
「ん・・・前が見えない・・・」
「あ、ゴメン。冷えピタ張りすぎた」

緩くふにょふにょになった解熱シートをめりめり剥がせば、寝起きの徹志と目が合う。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

何を話しかけようか困っていると、徹志が私の目元に触れた。

「腫れてる。何泣いてたんだよ」
「・・・アンタが悪いんでしょ。突然倒れたりするから」

ええ、泣きましたとも、思いっきり。

急いで徹志を家まで運んで貰って。氷枕とか冷えピタとか、熱を冷まそうと躍起になって・・・やりすぎたかな。私一人で看病するって言い出した為に着替えをさせられなくて、背広とネクタイと靴下を取って胸元のボタンを緩める他無かったし。

止まらない彼の汗を濡れタオルで拭いながら、ぼろぼろ・・・涙が垂れ流しだった。

「喉乾いたとか、お腹減ってたりしない?」
「え・・・今何時?」
「11時過ぎかな。まったく・・・よく眠ったわね」

置き時計に目をやる。ま、だいたいそんな時間だ。私は何か飲む物を取りに、布団から離れた。

・・・くいっと、シャツの裾を引っ張られる。

「て、徹志?」

無理につくった顔で笑いかけられる。

「格好悪いな、俺。まだ全部聞いて貰ってないのに、ダウンしてずっと側で看病させて、挙げ句の果てにこんなシュチュエーションで」
「あ、無理に起きちゃ────」

徹志が半身を起こので、私は横にさせようと隣に跪く。

「──捕まえた」
「・・・?」

寝かせようと肩に掛けた指が、いつの間にやら徹志の指にしっかり絡まれていた。

・・・手の平からドキドキが伝わってしまいそう。

・・・指の先から壊れて行きそう。

「俺、ずっと前から雪香のことが好きだ。いつ好きになったかなんて昔すぎて覚えてねぇけど、本気になったのは雪香が叔父さんを好きになったあの日だ。
雪香を助けられなかった自分が悔しくて。守ったやれる力が欲しくて。いつか絶対、自分から雪香の手を引こうと誓ったんだ」

「────っ!」

私はぎゅっと瞼を閉ざした。手を取られているせいで耳をふさげないのなら、せめて視線だけでも・・・

「俺だって怖かったよ。打ち明けて、ぎこちなくなって、距離が出来るのがとんでもなく恐ろしかった。だからずっと押し殺して来た。
でも、俺たちはもう変わり始めて、それを戻してはいけないんだ。なぜなら──」

──手をぎゅっと握られる。私は目を開ける。

「それは俺たちが、」

大人になったから。

「・・・・・・おとな・・・」
「ああ。二人で居ればいつまでも子供のまま、素直な自分でいられる。お互いその関係に甘え過ぎたんだよ」

時間には終わりが来る。

楽しかった時間。安らかな時間。

そんな儚い夢を捨てて、無限の可能性を求めに進む。

「ここだけ時が止まってた。それがやっと動き出したんだ。・・・な?」
「そんなクサいセリフ、どこから出てくるのよぉ・・・」

私の震える唇に、彼の優しい唇が重なる。

触れるだけの柔らかいキス。

私はその唇の内側で歯を食いしばった。歯に力を入れれば入れる程、涙で視界がぼやけてゆく。

「雪香。」

名前を呼ばれれば、ずっと堪えていた胸の奥の想いがどっと溢れて出てきた。

──嗚呼、胸が痛い。これが、歓喜の痛みというものなんだろうか。

何かを言おうと必死に口を開くが、喉が震えて上手く伝わらない。ついでに肩・・・否、全身が震え出す始末。

「愛してる、雪香。・・・勿論、ただ一人の大切な女性として」

頬を流れ落ちる涙。顔を上げられず、俯いて声を震わせて・・・

もう、自分ではこの感情をどうすることも出来ないの。

「てつし・・・・・・だい・・・好き・・・」

今日だけで、どれだけ涙を流しただろう。

恐いもの。怒りのもの。別れの悲しみと、始まりの喜びを。

絡めていた指を解いて、私達は抱き合った。

「ここまで、何だか遅かったな。もっと早く考えつけば、ずっと前にこうしていられたのかな・・・」
「いいのよ。私達は私達の速さで、今こうして辿り着いたんだから」

彼の胸に顔を埋めると、私を包む腕に力が入った。

密着する。服さえも邪魔に感じるくらい、距離を縮めて愛し合った。

・・・大好き。もう逃げたり嘘をついたりしないわ。

「雪香の顔が見たい。それと・・・キスがしたい」
「・・・どうぞ」

ゆっくりと顔をあげると、待ち侘びたように徹志が目と鼻の先まで迫ってくる。

瞳を吸い込まれるように覗いた。

「・・・」
「・・・」








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