はじめての彼(仮)
-2-
シチュエーション


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次の日。登校すると、案の定チラチラと見られた。くすくすと笑われた。
朝から好奇の目に晒され質問攻めに遭い、ほとほと疲れた。
ひとりになりたくて、昼休みは図書室に逃げ込む。
まじめでおとなしい生徒が何人かいるだけ。ここだったらほっといてくれる。
まあ、あと2日の辛抱だ。それで今週は終わる。来週になったら噂も落ち着くだろう。
ため息をつき、寝不足のあたしは机に突っ伏した。

「――繭ちゃん、繭ちゃん」

肩を叩かれて、顔を上げた。ぱっと体を起こす。

「あ、青山君! びっくりした。全然気が付かなかった」
「みたいだね。フフ、黒澤君のこと考えてた? 見たよ、昨日。やるな〜妬けちゃった」

うつむいて髪で顔を隠す。色んなことに動揺していた。
吐息がかかるほど体を寄せて囁かれたことに。
からかうような口調とは反対に目が真剣だったことに。
いまのいままで青山君のことを思い出しもしなかったことに。

「繭ちゃん、耳まっ赤」

びくっと肩が跳ねる。髪を後ろになでつけられて、耳をあらわにされた。
あたしは動けない。耳が心臓になってしまったかのように、どっくんどっくんと脈打っている。
青山君にも伝わっているだろうか。男の子にしてはほっそりした指でぐるりと輪郭をなぞり、青山君が言った。

「きれいな耳だね」
「……そ、そんなの、どこで判断するの?」

声がうわずった。

「薄くて華奢で、全体的にきりっとしてて。それにここ」

一段とひそめた声で囁き、耳たぶのすぐ上にある窪みに指先をはめ込む。

「繭ちゃんのここ、狭くて深いね。ここで名器かどうかわかるらしいよ。黒澤君に締りがいいって言われない?」
「そそそそんなこと、したことないもんっ!」

勢いよく立ち上がり、叫んだ。派手な音を立てて椅子が後ろに倒れる。
他の生徒達がいっせいに白い目を向けてくる。なかでも一際冷たい視線があたしを貫いた。

放課後。おじいさんが蒐集していたものを見に、黒澤君の家に寄ることになってしまった。
誘う黒澤君の表情は他にも話があると強制していて、とても断れる雰囲気じゃなかった。
逃げてると思われるのもいやで、ついうなずいてしまったあたし。
前を歩く彼の影を踏みながら思案に耽る。
繭子、やっぱりやめたほうがいいんじゃないの?
いっちょ黒澤君ちに行ってみるかと、気軽に考えてた昨日とは状況変わってない?
なんか嫌な予感がするんだけど。でも、あんなこと言われたら気になって仕方が無い……。

――黒澤君、いつから図書室にいたんだろう?
鋭い眼光に射すくめられて一歩も動けなかった。時間が止まったみたいだった。
視界の隅でなにかが動いて、やっと感覚が戻ってきて、黒澤君に向かって歩いていく青山君をぼんやりと追う。
立ち止まって、なにか声をかけた。青山君のあんな意地の悪い顔、はじめて見た。
無表情な黒澤君。視線はこっちに向けたまま。怖い。なにを言われたんだろう? 気になる。
青山君は図書室を出て行く前に、あたしを振り返ってにこっと笑った。いつもの天使のような笑顔。
逆に、悪魔のような冷淡な表情を浮かべた黒澤君が近づいてきて言った。

――青山のことが好きなんだろ。協力してやろうか。

協力ってなに? なに考えてんの? 黒澤君の頭の中が覗けたらいいのに。
それにしてもこのへん、立派な家が立ち並んでるなぁ。きょろきょろと周囲を見渡す。
わあ、あそこなんて女の子が夢見るようなお屋敷だなーと感嘆していたら、
黒澤君がそこにずんずん入っていくじゃないの! ってここが黒澤君ちー!?
目の前には蔦の絡まる洋館が建っていた。木が茂り、清涼な空気に包まれる。
ひゃー、世界が違う。目を白黒させて広い玄関に足を踏み入れると、お帰りなさいませというセリフが!
リアルで聞いたっ。小柄な中年の女性がにこやかに出迎えていた。
マサさん書庫に紅茶を、と告げて黒澤君は階段へ足を向ける。
あたしはマサさんと呼ばれた女性にぺこりと頭を下げて、長身のあとに付いていった。
良かった〜。他にも人いたんだ。ふたりっきりになるのはマズイんじゃないかと思ってたから安心した。
それに、もしなにかされそうになってもきっぱり拒絶すれば問題ないよね?
黒澤君は無理やり女の子をどうこうするような人じゃないだろうし。
なんだか気が楽になってトントンと階段を上っていった。

ところで書庫と書斎の違いってなに、という疑問は中に入って消し飛んだ。
うわー、床から天井までびっしりー。難しそうな本がいっぱいー。洋書がたくさんあるー。
前もって用意しておいてくれたのか、低いテーブルの上には古い映画雑誌が山積みにされていた。
黒澤君を振り返るとうなずき返されたので、さっそく手に取って読み始めた。

かちゃかちゃとポットとカップを並べる音で我に返る。
ごつい石の門柱を過ぎてからこっち、テンション上がりっぱなしだった。
自分の現金さにちょっと恥じる。訊きたいことがあるんだったっけ。
マサさんが入れてくれた薫り高い紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせた。
のんびりしてはいられない。こほんとひとつ咳払いをして、向かい側のソファに座っている黒澤君に話しかける。

「黒澤君、図書室でのことなんだけど……青山君になに言われたの? それと、協力ってなんのこと?」
「――いくつか確認したいことがある」

めずらしく即答をさける黒澤君に、あたしは先を促すようにうなずく。

「藤野は青山のことが好きなんだよな?」

しばし沈黙。真っ正面から見つめてくる黒澤君から顔をそらして、こくんとまたうなずく。
なんだろう……胸がざらざらする。

「俺と付き合ってるのは青山を忘れるためか?」

硬い声。黒澤君でも緊張することあるんだなと思ったら、込み上げてくるものがあった。
これは、なに? わかんないわかんない。わかりたくもない。
ぶんぶん頭を振っていたら、やっぱりな、という苦々しいつぶやきが耳に入る。

「そんなことだろうと思った。あいつ、人のものにしか興味持たないからな。彼氏効果が効いてきて満足してるんだろ、藤野。
けどまだ完全じゃないな。青山も言ってたぞ、まだしてなかったんだ、って。物足りなさそうだっだよ。
ふっ、ほんと人のものを奪うのが好きなんだな、あいつ。――協力してやるよ。俺も中途半端なことは嫌いなんだ」

ななななんなの!? 突然べらべらと。惚けたように見ていた。ひしひしと黒澤君の怒りが伝わってくる。 
嫌いなんだ、と吐き捨てながら立ち上がった黒澤君につられるように、あたしも立ち上がる。
かちゃんとカップが揺れた。ものすごく身の危険を感じる。逃げなくちゃ。
が、テーブルを一跨ぎした黒澤君にあっさり腕を掴まれてしまった。無言でもみ合った末、ソファに倒れ込む。
はあはあと荒い息をつきながらぶ厚いドアへ目をやるあたしに、黒澤君が言い放つ。

「手伝いに来てくれてる人はもう帰ったから、助けを呼んでも無駄。それに本が厚い壁替わりになって声も外に漏れないから」
「こ、これってレイプ!? やだッ! やめてよ。こんなの、こんなの……っ、黒澤君らしくない!」
「俺のなにを知ってるんだよ。藤野、おまえ俺の下の名前さえ知らないだろ」

ぎくっと引きつったあたしを見て、黒澤君が乾いた声で笑う。

……知ってるよ。武士みたいな名前。読めないんだって! 
訊けば簡単だけど、なんとなく自力で正解したくて奮闘中なんだよ。

「――俺の、ものにしてやる」

黒澤君は絞り出すように言って、シャツのボタンに手を伸ばしてきた。

まさかこんなことで黒澤君の赤い顔を見ることになるとは思いもしなかった。
冷たくて熱い目。こんなに怒るなんて……、バレても肩をすくめるくらいで済まされると軽く考えてた。
あたし、ひどいことしたんだ。息が苦しい。さっきも感じた、重くきりきりしたものが胸を襲う。
でも自業自得とはいえ、レイプは許せない。黒澤君もあとできっと悔やむ。苦しむ。

シャツの裾を引っ張り出されて、前をはだけられた。胸に視線が注がれる。
ほっぺたが燃えるように熱い。ブラの上から大きな手で包み込まれた。

「やっ! レイプなんてだめだめだめ。黒澤君、絶対あとで後悔するからっ。やめて!」
「さっきからレイプレイプって騒いでるけど、和姦にするつもりだから」
「はあァ? なに寝ぼけたこと言ってんのっ。あたし何度もやだって言ってるじゃないッ」
「こういう時のやめてはアテにならないだろ。だから体で判断することにした。濡れたら合意とみなすからな」

なにその傲慢な言い草ッ。そうこうしている間にも、黒澤君の手は縦横無尽に動きまわる。
髪を撫で、お腹を撫で、背中を探る指がホックを外す。無防備になった胸を下から持ち上げるように揉みしだく。

「いやああッ(なんか下のほうがもぞもぞする!)」
「乳首が硬くなってきてる。感じてるんだ?」

執拗に指でいじられ、赤く尖った先端が口に含まれようとしたその時、
あたしは思いっきり腕を突っぱねそれを阻止した。うがっと変な声がしたけれど気にしない。

「かか感じてなんかないもん! しつこく触るから、ただの条件反射だもん! 寒い時硬くなるのと一緒ッ。
濡れたら合意って、そんなの卑怯! 感じてなくても防衛本能で濡れるもんなのッ。だからだめ。そんなの認めない!」

黒澤君は体を起こして黙り込んだ。首をこきこき鳴らしている。なにやら難しい顔で思案中。
必死の抵抗が届いたのか。冷静になればわかってくれるはず、と期待したのも束の間。

「わかった。じゃあ、触らないで見てるだけにする。それで濡れたら問答無用で抱くからな。いいんだな」
「う、うん……は!?」

あまりにもストレートに抱くと断言されて、うなじの毛が逆立つ。
うそおォォ、あたしってば勢いに押されてとんでもない約束を! いまのなしなしッ。
慌てて起き上がったあたしを牽制するように、黒澤君は付け加えた。

「格好はそのままで。それと、さっきので濡れたんだったら一旦拭いておけば?」
「だからっ、感じてなんかないの! で、見てるってどのくらいよ。さっさと終わらせてよねッ」

売り言葉に買い言葉であとに引けなくなってしまった。迂闊さを呪ってももう遅い。
はたと気付くと、スカートはめくり上がりパンツが見えている。シャツもブラもずり下げられて半裸状態。
猛烈な羞恥に襲われたけれど、押し殺してソファに座り直す。
負けないもん。ぎゃふんと言わせるんだもん。その高い鼻をへし折ってやる!

「藤野の誕生日はいつ?」

意図はわからないものの、7月12日と仏頂面で答える。
足して19か、とぶつぶつ言いながら黒澤君はテーブルの上のものを片付けて、そこに座った。
テーブルとソファの間は50センチくらい。至近距離で対峙する。

「いまから19分。見てるから」

そう宣言して、馬鹿げた睨み合いがスタートした。

あたしはできるだけ卑屈に見えないようにソファの上で姿勢を正し、
まっすぐ前を向いて黒澤君の後ろの壁にかかっている時計を睨み付けていた。
あれ、壊れてるんじゃないの? ちっとも針が進まない。

――やっと1分が経った! まだ18分もあるのかと思うと気が遠くなる。
19分は長い。てか、なんで足してんのよッ。つっこむタイミングを逃してしまった。
7分、せめて12分にしてとはいまさら言えない。なんか早々に音を上げるみたいでしゃくに障る。
しゃくといえば、余裕しゃくしゃくの黒澤君が憎たらしい。腕を組み、片方の手をあごに置いて見下ろしていた。
じりじりと、視線が肌の上を這い回る。まるで脳裏に焼き付けるかのごとく丹念に。
目の動きでどこを見られているのか、だいたいわかった。
尖ったままの乳首や脚の付け根。思わず手で隠したいのをぎゅっとこらえる。
そんなことしたら余計いやらしく映ってしまいそうだ。太ももの脇で、爪が食い込むほど拳を握る。
見られた箇所が熱を帯びて、煙が立ちのぼりそうだった。黒澤君の眼鏡は虫眼鏡かッ。
無理にでも怒ってないとくじけてしまいそうな気がした。

――あと13分。沈黙に押し潰されそう……。
相変わらず黒澤君は見続けている。一言も喋らず凝視。いったいなにを考えているのやら。
って、そんなの決まってる! すすすすごい、えっちなことされてる、いっぱい。頭の中で。
下腹部がしくんと蠢いた。さりげなく内股をこすり合わせる。なんかいま、違和感が。うそッ、まさか!?
ごくりと唾を飲み下す音がやたら耳につく。意識すればするほど呼吸は乱れた。
熱い。とにかく熱い。うっすらと汗がにじんでいる。喉がカラカラ。

「……黒澤君、紅茶飲んでもいい?」
「ああ」

ポットに残っていたお茶を黒澤君はカップに注ぎ、手渡してくれた。
ばかみたい。おっぱいを晒してお茶を飲んでいる自分がみっともなくてため息が出る。
口の中が苦くて涙がこぼれそうになった。

「藤野の体はきれいだな。他の――、男にも言われたことあるだろ?」

なんだ、その妙な間は。あたしが遊んでるとでも言いたいのか。失礼なッ。

「あるわけないでしょ! いままで誰にも見せたことないんだからッ」

叩きつけるように言い返す。自慢じゃないけどあたしは一途に想うタイプだったの! あれ、過去形?
それになんだかあたし、きれいだと褒められて喜んでるみたい……。
こんなおかしな状況に追い込まれたせいで、頭までおかしくなっちゃったじゃないのーっ。
どこか満足げな黒澤君に不審を抱きつつ、ぐびぐびと紅茶をあおった。

「オナニーはどのくらいの頻度でしてるんだ?」
「ぷはあーーーッ!」

大道芸人ばりに紅茶を噴き出す。
幸い、そっぽを向いていたので黒澤君やテーブルの上の雑誌にはかからなかった。
黒澤君はやれやれといった感じで肩をすくめている。

「藤野はすぐ顔に出るからわかりやすいな。バイブを使ってるのか?」
「ばばばバイブなんか持ってるわけないでしょ! 家族と一緒に住んでるんだからッ」
「自分の手か。――青山のことを思い浮かべてしてるんだな」

それはもう質問でもなんでもなくて、断定口調だった。
最近はしてないもん! あ……ほんとだ。あたし、最後にオナニーしたのいつだったっけ?
口を開けば開くほどドツボに嵌っていくのがわかったので、黙っていることにした。
黒澤君がじっと手を見つめているのに気付き、太ももの下にさっと隠す。
動揺ばればれだけど、必要以上に意地を張るのはもうやめた。神経消耗するだけだ。
どうせ黒澤君はなんでもお見通しなんでしょっ。半ば逆ギレ気味に時計を見る。

――やった! あと7分。
黒澤君も腕時計で時間を確認していた。
顔を上げた彼と視線が絡み合う。決意漲る表情にどきりとする。
な、なによ今度は。狂ったように心臓が打ち始めた。

「途中経過見せて」

意味がわからないふりをしていると、黒澤君が膝を立てて脚を開くようにと指示してきた。
いやッ。だってさっき変な違和感があったもん。中からなんか出たような出ないような……。

黒澤君はあたしの知らない間に催眠術でもかけたんじゃないの!?
じゃなきゃ説明がつかない。いやだという意識はあるのに、あたしの体は勝手に動き出す。
そろそろと踵が持ち上がってきた。ソファがぎしっと音を立てる。
右足。続いて左足。だめだったらだめーッ。
ぴったりと合わさった膝はがくがくと震えている。なにも考えられない。
開いて、と少しかすれた低い声。あたしは魅入られたように両脚の力をほどいていった。

――見られている。吸い付くような眼差し。こめかみから汗が一筋流れた落ちた。
そんなに見ないでッ。布に隔てられてるとはいえ、恥ずかしさに変わりはない。
ましてやシミができてるかもしれないと思うと気が気じゃない。
きつく口を結んでないとうめき声が漏れてしまいそうだった。
黒澤君はなにも言わない。あ、あたしの勘違い? 取り越し苦労? う、こっち向いた。
かすかに口元を緩ませているのを見て、不安と焦燥が渦巻く。

「藤野の細い指じゃ3本入れても想像つかなかっただろ。実物に触ってみるか?」

はあァァああああああ!? じーつーぶーつーーーーッッ!? さささ触ってみるうううううう!?
心の中で絶叫するのみ。突拍子もない発言になすすべなし。止めるひまもなかった。
固まってるあたしを尻目に、てきぱきとズボンとパンツを脱ぎ出す黒澤君。
え、あ、ちょ……っ! シャツの裾から突き出たものに絶句する。うそでしょ!? 
だってあれ、指3本(てか、1本しか入れたことないって!)どころかあたしの手首くらいない?
それにあの動きはなに? わざと? 陸に上げられた魚みたいにびちびちびちびち。

「――や、来ないでッ」

ぼうっと観察しているうちに実物が目の前に迫ってきていた。
すっかり下を脱ぎ捨てた黒澤君はソファの背に両手をつき、あたしを腕の中に閉じ込める。

「触って」

熱い息がおでこにかかった。
ひやぁと情けない声を上げ、押しやるつもりで胸板に手を当てたとたん、はっとする。
黒澤君の体は硬く、やけどしそうなくらい熱かった。掌からどくどくと鼓動が伝わってくる。
その力強い響きに、なぜか落ち着きを取り戻す。優位に立った気さえした。
軽くM字に開いた膝の間にある実物に目をやる。不思議と嫌悪感は湧いてこない。
ちょ、ちょっとだけなら触ってもいい、かな。ちょっとだけなら……。

好奇心に負けたあたしは、恐る恐る手を伸ばす。
不規則に跳ねる実物の根元をそっと押さえて、先端を触ってみる。
なんでこんな形をしてるんだろう。奇妙としか言いようがない。松茸みたい……ストップストップ! 
食べ物に譬えるのはなしッ。めったに口にしないとはいえ、あとで困ったことになりそうだ。
気を取り直して、先端の割れ目や浮き出た血管を指で撫でさする。
うっと苦しげな声が頭上から聞こえて、ぱっと手を引っ込めた。い、痛かったかな?
指先がぬるぬると光っている。思うより先に行動していた。
くんくんと匂いをかぎ、あろうことかその指をぱくりと咥える。少ししょっぱ、あ、やっちゃった!? 
黒澤君の驚いた気配に正気に戻る。引かれたっ、と思った次の瞬間には押し倒されていた。

反則! とっさに浮かんだのはそれだった。
残り時間あと1分というところで黒澤君はあたしの体に触った。
見てるだけという約束を破ったんだから、抱く宣言は無効なんじゃない?
重い体をばしばし叩きながらそう訴える。黒澤君の肩が小刻みに揺れている。笑っていた。

「途中チェックした時に、もう濡れてたよ。自分でもわかってただろ。藤野こそちゃんと約束守れよ」
「そ、そんなこと……ないもん。あ、汗じゃない?」

苦しい言い訳だった。その証拠に言い返す口調は弱しく、黒澤君を正視できない。
往生際が悪いな、と黒澤君はあたしの手を掴んで股間に強く押し当てた。
そして重ねた手をゆっくりと動かしながら耳元で囁く。

「ほら、びしょびしょだろ。藤野は見られただけでこんなに濡らしたんだよ。入れて欲しくて仕方ないんだろ」
「やめ……んっ、やあぁ……きら、い……黒澤くん、なんかっ……大っ嫌い!」

手がほどけて、めちゃくちゃ振り回した拍子に黒澤君の眼鏡が飛んだ。
カシャンと落ちた場所に見向きもせず、黒澤君は足からパンツを抜き取り、顔の前にかざす。

「嫌いな相手にこんなことされて悔しいだろ。言うこと聞かない体が情けないだろ。
――たまんないな、その顔。もっと泣かせたくなる。別の意味でも、だな」

なにかのスイッチを押してしまったのか、黒澤君の様子が豹変した。眼鏡のせい? 
かけてる時とない時では全然印象が違う。さっきまでは興奮していてもからかう余裕があったようだったのに、
いまは激情が抑えられないといった感じだった。とにかく、いじわるモード全開。
着ていたものは瞬く間に剥ぎ取られて、素っ裸にされてしまった。黒澤君も全裸になってる。
見ないで、と言えば全身をじっくり舐めるように眺め回し、
触らないで、と言えば敏感なところを指で責め立て唇がそのあとを追ってくる。

「ああッ、だめえぇぇ……そんなとこ! 恥ずか、やあっ、舐めないで!」
「少しは学習しろよ」

黒澤君はがっちりと抱え込んだ脚の間から顔を覗かせ、小ばかにしたように鼻を鳴らす。
ひどいッ。なに言ってもやめないくせにーーーっ! し、ししし舌があああ!?
ぴかぴかにでも磨くつもりなのか、黒澤君はあそこを何度も何度も舐め上げてくる。
しまいには唇を密着させ、液体を吸い込む下品な音まで聞こえてきた。
やめてーッ。ほんとやめて! おかしくなっちゃううう。助けてえぇぇえええっ!
背中を大きく仰け反らせて、いやいやとすすり泣く。

「あ、あ、あ、やあぁぁあああああ!」

クンニでイかされた。悔し涙があふれる。自分の体に裏切られた気分。
茫然と天井を見上げる。もうやだ……なにも考えたくない。
ぐったり虚脱していると、黒澤君が体を重ねてきた。
入れるぞ、と怒っているような泣いているような声がして、硬いものがめり込んでくる感触が走った。

「だ、だめえええっ。ああ赤ちゃんができちゃう!」
「大丈夫。ちゃんと付けてるから」

……そうなんだ、いつの間に。や、そうじゃなくてそうじゃなくて! なんか間違ってる。あたしも黒澤君もなんか間違ってるッ。

暗い目で見下ろしてくる黒澤君がすごく悲しい。胸が張り裂けそうだ。

「はぁはぁ、黒澤く……んあっ、こんなことして……た、楽しい?」
「――ああ」
「うそッ! だったら.……はぁ、なんでそんな……つらそうな顔っ! いたぁっ」
「……出そうなんだよ、食いしばってないと。藤野のここ、熱くてぬるぬるしてて……こんなに気持ちいいとは思わなかった」

ぎゅっと黒澤君に抱きしめられたのと同時に、あたしの中がいっぱいになる。
太ももから肩までぴったり。ふたりの境目がわからないくらいくっついたまま、10秒、20秒――
繋がってる部分に意識が高まる。目を閉じると、さっき目にした魚のように跳ねていたものが脳裏に浮かび、体が打ち震えた。

「――青山のこと、思い浮かべてるのか?」

ぱちっとまぶたを開くと、黒澤君が鬼のような形相でねめつけていた。
悲鳴を飲み込む。怖いけど、どきどきする。
いつも冷静沈着な黒澤君がこんな風に激しい感情をぶつけてくるの、あたし……嫌いじゃないかも。

「……だったら、なに。やめてくれるの?」

思ってもいない言葉が口をついて出てくる。ひゃあああ、なに挑発してんのー!?
絞め殺さんばかりの憤怒の色を浮かべる黒澤君に、痺れるような快感を覚える。
いままでやられっぱなしだったから、一矢報いてほくそ笑んだ。のも一瞬で、首に腕を回され肝を冷やす。
ここ殺されるううう、と思いきや体を引き寄せられただけだった。
なななによッ。混乱するあたしに、黒澤君はいたぶるように腰を突き出して言う。

「見ろよ、ほら。しっかり咥え込んでる。好きでもない奴に処女奪われるのは、どんな気持ち?」
「――! い、いたい……よ。すっごく痛い……やぁ、抜いて……抜いてったらッ!」
「いやだ。それより力抜いて」

くうぅぅ……何度も瞬きを繰り返す。
そんなことをしても、濡れそぼった局部や抜き差しされる肉の棒は消えない。
その事実に打ちのめされる。ばかだ。ふたりともばか。
お互い相手の傷つくようなことをわざわざ口にして、取り返しのつかないことに。
痛い痛いと叫ぶ。黒澤君に突かれるたび、ぼこぼこと心に穴が空くようでたまらなかった。

どのくらい時間が経ったのか。気が付いたらすべてが終わっていた。
ずるりとあたしの体から離れた黒澤君は、背中を向けてなにかごそごそやっている。

――パンツ。とりあえずパンツが穿きたい。素っ裸は居た堪れない。
黒澤君はいったいどこへ投げ捨てたのか。よろよろと立ち上がったあたしの手首を掴む者がいる。

……なんなの。力なく振り向いて、ぎょっと目を剥く。
黒澤君は臨戦状態だった。

「誰が一回でやめるって言った?」
「はあァ〜!? いい加減にしてよッ。もう気が済んだでしょ!」
「まだだ。藤野がイクまでやめない。初体験は痛かっただけだと記憶されるのは許さない」
「……い、いいから。あたしが許すから、やめて……」

黒澤君は真顔だ。この調子ではなにがなんでもやり通すつもりなんだろうな……。
しゅるしゅると全身から抗う力が抜けていく。つつーっと粘液が内股を伝っていった。
ただ手首を強く握り締められてるだけなのに、あたしの体はソファのほうへと傾き始める。
そして黒澤君の上に座る形で、後ろから貫かれた。

どう考えても、はじめてとは思えない。
首筋に唇を這わせながら両手で胸を撫で回し、その上座った状態で腰まで動かすなんて芸当、初心者のすることォォ!?

「黒澤く……あんッ、童貞って、うそでしょ! な、慣れてるもん……ほかの、ほかの……っ、なんでもないッ!」

この、胸がぎゅーっと締め付けられる感じ。覚えがある痛み。……嫉妬?
後ろを向けていて、吐きそうな顔を見られなくて良かった。
自分でもよくわかってないのに、なにを見透かされるかわかったもんじゃない。

「――他の子としたことはないよ。藤野がはじめてだ……ずっと前から、こうしたかったんだ。
本当は鏡の前でしたかった。繋がってるところや、藤野の乱れた姿を鏡越しに眺めながらしたかった」
「ヘヘヘヘンタイ! やらしいこと言うのやめてよっ、ばか!」
「しょうがないだろ。やらしいことしてるんだし、藤野の体がやらしすぎるんだ……ここ、勃起してるな」
「いやあぁぁんっ!」

黒澤君は片方の手を下に滑らせ、充血したクリトリスを指でこすった。
信じらンない。黒澤君がこんなすけべだったなんて! むっつりすけべってやつだっ。
もっと信じらンないのは、あたしもどうやらすけべだったってこと。そんなの知りたくなんてなかった!
黒澤君のすることなすことに、いちいち反応するあたしの体。どうしてくれんのーっ!?
物欲しそうに揺れるお尻がいやッ。どっから出してんだかわかんない鼻にかかった甘ったるい声がいやッ。

「そこ、だめなのォ……触っちゃ、やぁああ……へ、へんになっちゃうのおォォ……いやあああああっ!」

月並みな表現だけど、体中に電流が走った。どこかへ飛んでいってしまいそうな感覚に襲われた。
口が裂けても自分から言うつもりはないけど、確かにあたしはイった。
自分でするより何倍もの恍惚感に包まれた。
黒澤君にそのことを指摘されるのは死ぬほどやだけど、なにか言ってくれないと動くきっかけがつかめない。
もどかしく重苦しい空気が流れるなか、突然あたしのケータイが鳴った。
びくっと鞄を見つめるものの、出る元気がない。
ほっといていると軽快な着信音は止み、それが合図になったかのように黒澤君が喋り出した。

「いまのは……だめだ」

意味不明の顔をしていると、ここでイっただろ、と指先で軽くクリトリスを弾かれた。

「きゃっ!」
「だめだ。俺ので感じないと……俺のでイクところが見たい」

黒澤君の思いつめたような切ない眼差しに、胸がつまってなにも言えなくなってしまった。

ど、どんだけ黒澤君は頑固なの……、どんだけあたしは押しに弱いの!?
みたびたくましい体を迎え入れた時、再び場違いな着信音が鳴り響いた。
誰からだろう、うちでなんかあったとか? 千明? まさか、青山君……?
わずかに見せた狼狽になにかを察知したのか、黒澤君が鞄を手元に引き寄せた。

「ち、ちょっとなに……やめてっ。人のケータイ勝手に、あっ……!」

黒澤君は着信名を一瞥するや否や、素早く開いて通信ボタンを押してしまった。
目を見開き口をつぐんでいるあたしを見据えながら、黒澤君はケータイに耳を澄ませている。
その顔がみるみるいつもの、というかいつも以上の冷淡なものに変化していくのを、かたずを呑んで見守った。
黒澤君が無言でケータイをあたしの耳に押し当ててくる。

『――あれ、おかしいな。繭ちゃん、聞こえてる? もしもーし……』

青山君の明るいのんきな声が耳朶を打つ。
最悪の事態だ。こ、こういう場合はどうすれば……電話。とにかく電話を切らなくちゃ。
かたんと横のテーブルに置かれたケータイに手を伸ばす。
が、当然のごとく黒澤君に阻まれる。
両手を頭の上に押さえつけられ、下半身は釘付けにされていて身動きが取れない。
懸命に体をよじるも、それは単に性器をこすり付ける淫らな行為なだけだと悟り、抵抗をあきらめた。

「やらしい声、聞かせてやれよ。その方があいつも燃えるだろ」

黒澤君は特に声をひそめることもなく言った。
楽になるぞと言わんばかりのやさしい声音とは反対に、表情は冷ややかそのもの。
なんでこんないじわるするのッ! 泣きわめきたい心境だった。
ケータイと黒澤君を交互に見やりながら、電話切れてますようにとひたすら願い、
やめてよばかばか光線を送り続ける。早く終わってと念じることしかあたしにはできなかった。

黒澤君がぐちゃっぐちゅっとわざと卑猥な音を立てながら腰を使い始めた。
反射的に胸を反らす。ああッ、だめ! そんなことしたら吸って欲しいとおねだりしてるようなもんじゃないっ。
果たして、黒澤君がおっぱいにむしゃぶりついてくる。腰同様に、わざと音を聞かせるように舐めたり吸ったりしている。
足の先からなんともいえない熱い痺れが這い上がってきた。

「――ッ!」

食いしばった歯の間からくぐもった声が漏れる。
声出せよ、と黒澤君が呪文のように繰り返す。あたしは目に涙をためて、首を振り続けた。

「我慢してる姿がどれだけそそるか、わかってないだろ。声出さないと、その顔撮ってあいつに送るぞ」
「や、やめてえぇぇ!」

本気でしそうな勢いに、大声を張り上げて制止する。
一声発して緊張の糸が切れてしまったのか、ぼろぼろと泣き出す。

「うっ、ぐすっ……ひどいよぉ、こんな……うう、いじわる……も、もう知らないッ……ひっく、あ、やあぁんッ」

泣き声があえぎ声に変わっていくのに、そう時間はかからなかった。
あたし……ボロ負けじゃん。完膚なきまでにやられて、逆らってたのがばからしく思えてくる。
もうどうにでもなれという気持ちで黒澤君の動きに合わせて腰を振り始めた。
黒澤君が片脚を肩に担いで、奥まで深く突き刺す。摩擦のスピードが激しくなってきた。
ああッ、えぐるようにこすり付けられるのがたまらないッ! 体がびくびくと痙攣して大きく跳ね上がる。

「あぁっ!? な、なんかくるっ……やあぁ、怖いぃ……あっ、あっ、あっ、あぁあぁぁああああああーーーっ!!」
「まゆっ、――だ!」

……なんかいま、下の名前を呼ばれたような? あとに続いた言葉もよく聞き取れなかった。
だ、だめ……部屋の景色がぐるぐる回ってる。頭が重い……複雑なことは考えらンない。
暗くなっていく視界のなかに、黒澤君の姿が浮かぶ。なんだろう……しまったって顔してる。
うっかりミスはあたしの専売特許だと思ってたけど、なにかしでかしたらしい……うろたえぶりが半端じゃない。
く、くそぉぉ……せっかく黒澤君の弱みを握れそうだったのに……意識が、薄れてきた……む、無念。








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