シチュエーション
![]() 桜の花が咲き誇り、むせ返るほどに気温の上がったある春の日、彼――寺山誠一は途方に暮れていた。 彼はつい昨日入学式を終えたばかりの大学一年生である。高校を卒業後しばらく働きに出て、学費を貯めつつ勉強してやっとこさ憧れの大学に入ったが、入学式が済んで気が抜けたのかもしれない。昨晩からひどい発熱を伴う感冒に悩まされていた。 初日のオリエンテーションはなんとか気力で乗り越えたものの、昼を過ぎたあたりから熱とのどの痛みがぶり返してきた。このままでは家にたどり着けるかさえ危うい。 とりあえず解熱剤で何とかしよう、と薬と一緒に水分を服用するため自動販売機を探し出したのが3分前。 チャリン――チャリンと硬貨を投入口へ入れていくが、その途中で熱のために覚束ない指が滑って硬貨を一枚落としてしまった。 (あっ!) ころころと硬貨は自動販売機の下へと転がっていく。仕方ない、と諦めて財布を覗くが、運悪く落としてしまったのは100円玉で、財布の硬貨を全部合わせても足りそうになかった。 また、最近どたばたしていたため銀行に行くのを忘れていて、紙幣の持ち合わせもないという有様だ。 地面に這い蹲って硬貨のありかを確かめるが、そこは暗く何も見えない。 困った……。誰かに頼むべきか、そう思ったが上京したての彼には頼るべき友達など周りにいない。しかも今日は体がだるかったおかげで新しい知り合いを作ることもできなかった。 やはり自分でどうにかするしかない、ともう一度自動販売機の下を覗き込んだ時、後ろから高く儚げな声が聞こえてきた。 「あの……、何かお困りですか?」 自分に話しかけているものだと思わず、そのまま地面に頬を沿わせていると、とんとん、と背中を叩かれる。驚いて振り向くと、小柄な少女が春の風に乱れる髪を抑えながら立っていた。 髪は茶色いが荒んだ印象はしない。ひらひら揺れるミニスカートから伸びた足は驚くほど細く、目が大きく整った顔立ちはどこか高級な猫を思わせる風貌だった。 「あ……、水、買いたいんだけど……、金、落として」 そう言った自分の声はのどの腫れのせいで掠れ、やたらと聞きづらいものだった。すると女の子は100円玉を差し出して言った。 「これで足りますか?」 突然の申し出に驚いた。しかし理由もないのに見知らぬ人から貰うわけにはいかない。首を振って断ると、女の子は自分の手のひらに硬貨を持って握らせた。 「あたしもそこで拾ったんで。どうぞ、使ってください」 そう言ってにっこり笑う。いきなり体を触られてしどろもどろになっていると、遠くから男の声がした。 「ミュウー、まだかー? 行くぞー!」 女の子が焦ったように振り向く。そのまま彼が引き止めるまもなく、そちらの方に手を振りながら駆け出していってしまった。 後姿を見送る。彼女は背が高く今風の服を着た男と並ぶと、仲良く談笑しながら別の棟へと歩いていった。 残された彼は、彼女から押し付けられた硬貨で水を買い、それと共に白い錠剤を一気に流し込んだ。しばらくすると徐々に体が軽くなってきたのが自分でもわかる。おそらく彼女としては何気なく行った好意なのだろうが、こちらとしては非常にありがたかった。 ミュウ……、ミュウか。本当に猫みだいだな。そんな事を考えながら、彼はこの都会で自分はきっとやって行ける、そう漠然と思った。 ガタン、ゴトンと電車が揺れる。夜の窓に映し出される自分の姿を、あたしは不思議な気持ちで眺めていた。 息も止まりそうなくらい大切な人ができた――しかも、つい昨日までは考えもしなかった相手と。嬉しい反面、幸せすぎてどうしていいかわからないの。体も心もそれを受け止めきれてない感じ。 初めて人を好きになったときと同じくらい、もしかしたらそれ以上にどきどきしてるかも……。 (やだなー、あたし小学生みたい……) でも小学生じゃこんなことしないよね、とせいちゃんとしたことを思い出して一人で赤くなる。顔を抑えて首を振ってジタバタしてると、ポケットの中のケータイがぶるぶる震えた。 メールが来たみたい。差出人は知らないアドレスからだったけど、そのまま本文を確かめる。 『Sub:(指定なし) TEXT:今日は本当にありがとう。ミュウが来てくれて嬉しかった。お世辞抜きで元気でた。 遅くまで引き止めてごめん。危ないから寄り道しないで帰るように。』 名前もなにも書いてないけど、言ってることから察するに間違いない、これはせいちゃんからだ! 優しいくせにぶっきらぼうな文章がせいちゃんらしい。嬉しくってこのまま座席の上で転げまわりたいほど。(しないけど) 早速返信をしようとして、ふと指を止めた。一応とれが初めてのメールになるんだしだし、今の気持ちを素直に伝えて、それでも押し付けがましくならないようにしなきゃ……。 あたしは目を閉じて深呼吸すると、いつもの3倍ぐらい時間をかけて、よく考えながらメールを返した。 『Sub:大丈夫だよ!(*^ー゚)b TEXT:こっちが勝手に押しかけたんだから、謝んなくていーよー((・ω・*≡*・ω・)) またおうちにあそびに行かせてね☆ 遅くなっても、終電の時間にあわせて駅からうちの前までバスが出てるから心配しなくていいよ! それよりもどうやってメアド知ったの? もしかしてせいちゃんってエスパー!?Σヽ(゚Д゚○)ノ』 しばらくすると、返信がかえってきた。 『Sub:re:大丈夫だよ!(*^ー゚)b TEXT:そっか。バスがあるのか。それ聞いて安心した。 アドレスはサークルの名簿に載ってたから、知ってる。エスパーじゃないよ(笑)』 理由を知ってなーんだ、と思った。でもいちいち名簿にあったアドレス記録してるなんて、おっきな体してるくせに几帳面なんだなぁ……。 『Sub:そっかー(っ・з・)っ TEXT:エスパーじゃないのかー。がっかり ('・c_・`;) でもあたし、名簿なんてどこいっちゃったかわかんないよ。 ていうか、それ見ておくってきたのなんてせいちゃんが初めてだよ!(>△<)』 こんな内容のメールを送ったところでちょうど電池が切れた。と同時に、いつのまにかうちの駅に着いてたみたい。扉が開いてたから、あわてて駆け降りる。 家につくとさっそく充電器につないで、その間にお風呂に入った。湯気の中にある自分のカラダも、せいちゃんに好かれてるんだと思うと大切にしなきゃって気がして、いつもより念入りにすみずみまで洗った。 (今度遊びに行くときは……、きっと……) えっちなことを考えてる自分に恥ずかしくなって水の勢いを強くした。シャンプーとボディソープが渦になって一緒に流れていく。あっ、トリートメントもしなきゃ! 髪がごわごわになっちゃう! そんな風にあれやこれやしてやっとお風呂から上がると、まだケータイの充電は終わってなかったけど、電源を入れて新着メールをチェックした。 全部で4通。結花ちゃんとバイトの友達からと…・・・、せいちゃんからは2通来てた。 『Sub:re:そっかー(っ・з・)っ TEXT:ミュウは結構そそっかしいっぽいところがあるからな。いらないプリントとかと一緒に名簿も捨てちゃったんだろ。 それに書いてあったアドレス、”-(ハイフン)”か”_(アンダーバー)”か分からないとこがあったぞ。 だから誰も送ってこなかったんだろう。俺も一回エラーで返ってきた。』 上から目線っぽい言い方にちょっとムッとなった。でもそんな風に軽口言えるぐらい仲良くなったんだと思うと、バカにされていたとしてもなんだか嬉しい。(もしかしてあたしってM?) ニヤニヤしながらもう一通を開く。ああ、キモいなー、あたし。 2通目は、1通目からだいたい1時間後に来てた。 『Sub:ごめん TEXT:もしかして怒った? ごめん、バカにするつもりじゃなかったんだけど。 今日は本当にありがとう。多分明日は学校に行く。 遅いからもう寝るよ。おやすみ。ほんとにごめん』 読んですぐにあたしは焦った。短いメールの中に何回も「ごめん」って出てくる。どうしよう、返信しなかったのはそんな理由じゃないのに。 誤解を解きたくてすぐにメールしたくなったけど、最後に「もう寝る」ってあるから起こしちゃうかもなって思うとできなかった。 (ま、いーや、明日どーせ会えるだろうし!) あたしは髪の毛をよく乾かし、たっぷり化粧水をつけてからお布団に入ると、明日はお気に入りのワンピースを着て学校に行こう、そんなことを考えながら眠りについた。 *** 次の日、午前の授業で結花ちゃんと一緒になった。 そのまま結花ちゃんに誘われて学食でお昼を食べた。あたしは持ってきたお弁当を広げて、結花ちゃんは向かいに座ってずるずるととろろそばをすすっている。 (せいちゃん、ちゃんと学校きてるかなー) 学部が違うから授業で一緒になることはほとんどない。たまに同じ棟で講義受けてたりするみたいだけど、今までは顔見て逃げてたから、いまどこにいるかなんて想像もつかない。 食べ終わったらメールしてみようかなーと考えていると、学食の入り口あたりに、リュックサックを背負った大きな男の子がいるのが見えた。 (あ、せいちゃん!) お箸をおいてばたばたとそっちのほうに向かって手を振る。はやく気がつけー。 しばらく振ってるとせいちゃんもこっちに気づいたみたいでようやく右手を顔の高さまで挙げた。でもちらに2・3歩近づいてきたとき口元を引きつらせて、急に向きを変えてしまった。 (え、なに……?) 「どうしたの、ミュウ」 どんぶりから顔を上げて、結花ちゃんがそう聞いてきた。あたしがいきなり呆然としだしたから、気になったみたい。 「ううん、なんでも……」 「誰に手振ってたの?」 そう言ってくるっと後ろを振り返った。ちょうどそのとき、列に並んでたせいちゃんは前の人の死角になっててここからは見えなかった。 「あ、ごめん、人違いだったみたい。気にしないで」 苦笑いしながらそう言うと、結花ちゃんは「ふーん」と言ってまたそばをすすりだした。 結局せいちゃんは別のところで食べたみたいで、お昼休みにあたしのところに来て話すようなこともなかった。 *** 放課後、サークルの部室に向かう。足取りはずるずると重い。 (なによ、あの態度……) お昼にせいちゃんに会ったときのこと。まるであたしの方みて逃げ出したみたいに見えた。でも、最初はこっちみて手を振ろうとしてたし……。だけどそれも、ちょっと近づいて手を振ってるのがあたしだって気づいてやめたとも受け取れるような感じだった。 もしかして好かれてると思ったのは自意識過剰な思い込みで、ホントは違ったのかな……。おっぱい触らせてくれる子だったら誰でもよくて、それ以上付きまとわれたらウザいとか思ってるのかも……。 隠してあった写真も、アレは自分の写りがよかったから飾ってあっただけで、あたしのことなんてどうでもよかったのかもしれないし。 数時間前までの幸せ気分はどこへやら、いまは暗い気持ちしか持てなかった。 でも直接何か言われたわけじゃないし、と気を取り直して扉を押す。……誰かいるかなぁ。 「おう、ミュウか。今日は早いな」 中にいたのは畑山先輩だった。昨日、あたしをせいちゃんの家に行かせた張本人。愛のキューピッド……と言いたいところだけど、いまのところはまだなんとも言えない。 先輩は黒いピカピカの一眼レフを持ってニヤニヤとしていた。 「どうしたんですか、それ」 「おー、ちょっと聞いてくれよ。これ、苦労してやっと手に入れたんだよ。いやー、清水の舞台から飛び降りるとはこのことだね! オレ、ヨドバシの店内で心臓発作で死かと思ったもん」 そんな調子でそのカメラがいかに優れているか、どれくらい欲しかったかなどを矢継ぎ早に話し出す。 ハイテンションに早口で喋る先輩は、一緒にいるとちょっと……いや、けっこう疲れる方なんだけど、こういうときはいてくれてよかったな、と心から思う。 今度あたしも撮ってくださいね、なんて言ってると、後ろのドアが開いた。 「あ、ミュウ。ちょうどよかったー」 入ってきたのは結花ちゃんだった。ケータイを片手にあたしのほうへ近づいてくると、ドアを開けっ放しにしたまま隣にすとんと座った。 それを見て畑山先輩は奥の方へ消えていった。多分パソコンを使いたいんだと思う。 「なに? 結花ちゃん」 「あのさ、明後日ってなんか予定ある?」 マスカラをばっちり塗った強いまなざしで見られる。その目力に、ついついあたしも正直に答えてしまった。 「え、無いけど……」 すると、結花ちゃん小さくガッツポーズをした。 「よし! じゃ、その日、合コンだから。7時に駅前に集合ね」 「えっ!?」 「よかったー、急に決まったから人数足りなくてお流れになるところだったよー」 「ちょ、ちょっと待って!」 さっそくケータイでメールを打ち出した結花ちゃんを、慌てて引き止める。 「あたし、その日は行けないかも……」 途端に結花ちゃんが意外そうに顔を顰める。美人なだけにこういう表情されるとすっごく怖い。 「えー、なんで? この前の人たちとだよ。ミュウも気に入ってた人いたじゃん。あの確か……川崎さんだっけ?」 「うん、でも……」 そんなこと言ったのすっかり忘れてた。……けど、結花ちゃんがすっごい楽しみにしてるのは分った。こんなにノリノリなのにドタキャンさせるのはちょっと可哀相かも。 でもやっぱり、このことがバレたらせいちゃんがイヤな思いするかもしれない。そしたら、その方が辛い。ずーっと辛い。 「それともミュウ、最近彼氏できたとか?」 鋭い発言にぎくっとする。 せいちゃんとはまだ「彼氏」と言っていいか微妙な関係だし、結花ちゃんとはいろいろあったっぽいから、あんまり昨日のことには触れたくない。 「そういうわけじゃ、ないんだけど……」 「だったらいいっしょー。今回こそがんばっていい男捕まえようよー!」 「う、うーん」 そう言ってガクガクと体を揺らされた。と、そのとき―― 「長野」 聞き覚えのある声。恐る恐る後ろを振り返ると、ブスっとした目つきの悪い大男がいつのまにかあたしたちのすぐ近くに立っていた。 それがせいちゃん――寺山君だと解ると、結花ちゃんの顔が一瞬で歪んだ。 「立ち聞きすんなよ」 (やだ、さっきの聞かれた!?) 心臓がバクバクと言い出す。どうしよう、ものすごく気まずいよ……! せいちゃんは結花ちゃんの言ったことを無視するみたいに流して、無表情のまま聞いてきた。 「畑山先輩は」 「あっち」 結花ちゃんが本棚の奥を指差す。せいちゃんは結花ちゃんにお礼も言わず、そっちの方へのそのそと歩いていった。 しばらくして先輩とせいちゃんが一緒に出てきた。けど、あたしは顔が上げられない。 「やぁやぁこれは美女諸君おそろいで」 「さっきもいましたよ、先輩」 先輩に対しても容赦なく結花ちゃんがツッコむ。でも先輩は、大して気分を悪くした風でもなく飄々と返した。 「おや、そうだったかな。ところで長野君、ミュウ君、明後日わが畑山邸でほっかほかの鍋を囲みながら、地酒を振舞うイベントがあるのだが、参加する意思はあるかね?」 その問いかけに、結花ちゃんは速効で返した。 「先輩、あたしとミュウはその日合コンなんで行けません」 ちょっと待って、あたし、まだ行くとは全然言ってないよ! あたしが口をパクパクさせてる間にも、話はどんどん進んでいく。 「なにー、合コンだと!? つまり君は、釣りたてのアジよりも、ワインとチーズを片手に伊達男と一緒に歓談してる方がいいと言うのかね!?」 「当たり前です」 鍋がいかに素晴らしいものかを語る先輩と、それにズバズバと反論する結花ちゃん。そんな二人を横目で見ながらせいちゃんが呟いた。 「合コンか。楽しそうだな」 ……ああ、もう。最悪だ。 (やっぱり、来てないか) ビル清掃のアルバイトをたったいま終えて、鞄に入れっぱなしだった携帯電話の着信を確認する。だが、メールも着信も届いていない。ため息をつきながら携帯電話をポケットにしまった。 怒らせてしまったかもしれないあのメール以来、ミュウからの連絡はぷっつりと途絶えてしまった。 ずっと憧れていた女の子が自分の家にやってきて、しかも傷心の自分を体を使って慰めてくれた。まさに夢のような出来事は、時間がたつにつれて本当に夢だったような気さえしてくる。 あの日、別れ際に彼女は何か言っていたようだが、声が小さく、駅の雑音にまぎれてよく聞こえなかった。次の日偶然食堂で見かけたので聞いて確かめようと思ったけれど、彼女の近くに天敵とも言える長野結花が座っていたためそれは諦めた。 ――長野はしょっちゅう自分に絡んでくるくせに、「部室以外で話しかけてきたら殺す」などと無茶苦茶なことを言う。(実際、講義棟ですれ違ったとき「おはよう」とあいさつしたら、指輪をはめたままグーで殴られた。しばらく跡が残るほど強烈だった。) しかし、相変わらず恋人探しを続けているところを見ると、やはりミュウは自分とのことは無かったことにしたいと思っているのかもしれない。長野ほどではないにしろ、ミュウにも気まぐれなところが相当ある。 もう一度、彼女の気持ちを確かめたい。自分には時間が無い。メールじゃ埒が明かない。そう思った彼は、ミュウに直接聞く決心をした。 まず、名簿にあった電話番号にかけてみる。しかし短い呼び出し音の後、出たのはミュウではなく内藤という壮年の女性だった。ミュウとの関係を尋ねてみたが、「そんな人間は知らない」と言われてしまった。……おそらく、ミュウはここも書き間違えたのだろう。 次に、共通の知り合いである畑山にかけて電話番号を聞こうとした……、が、畑山は相当酔っ払っているらしく話にならない。挙句の果てに、今から宅飲みに参加しないかと誘いをかけて来た。面倒なので忙しいフリをして電話を切った。 畑山の他にミュウの番号を知ってそうな奴は……、と、登録されたメモリを探す。「な」の行に来た時、確実な人物の名前を見たが、彼女に聞くのはものすごく気が引ける。しかし他の人物は、親しさの度合いから言って番号を尋ねるのは微妙だった。 (仕方ない。これ以上どうなっても知るもんか――!) 覚悟を決めて、彼は長野結花へ電話をかけた。 「あ、寺やん? なに、どうしたの?」 結花女王様は、ほろ酔い気分なのか上機嫌で電話に出た。とりあえずは怒られなさそうなので安心した。 「あの、ミュウにちょっと聞きたいことがあるんだけど、電話番号教えてもらえないか?」 「なに、ミュウに話あんの? うーん……、ちょっと待って。いま、寺やんどこいんの?」 学校に程近い繁華街の名前を告げる。今日の仕事場はそこだったので、今は駅に向かって自転車を押しながら電話をしている。 すると長野は「ふーん」と相槌を打った。 「だったらミュウもたぶんその辺にいるよ。駅で待ってたら来ると思うよ」 「え?」 「さっきまで一緒に飲んでたんだけど、先帰っちゃったからさ。それとも電話のほうがやっぱいい?」 どうも長野は友達の電話番号を他の人物に漏らすことに抵抗があるようだ。エキセントリックなくせに、こういうところだけ妙にきっちりしている。 「あ、いい。直接ならそれのほうが。サンキュ、ありがとな」 「べつにいいよー。その代わり今度焼肉ね」 適当に笑ってごまかしながら電話を切る。駅まで猛スピードで漕ぎ出して、コンビニの前のスペースに駐輪した。 ミュウを探しながら駅前を歩いていると、ドーナツ屋に見覚えのある女の子の後姿を発見した。 (いた!) ついに見つけた。あれはミュウに間違いない。 急いで入り口に回る。ガラス戸を押して中に入り、店員に「いらっしゃいませー」と声をかけられたところで足が止まった。 ミュウは、一人ではなかった。 *** はぁ、とため息がこぼれる。『幸せが逃げる』と言われても止められそうにないみたい。 今日は結局結花ちゃんに押し切られて合コンに来てしまった。結花ちゃんは楽しそうにしてたからいいけど……、あたしはせいちゃんがなにしてるのか、そればっかりが気になって全然男の人たちの話に集中できなかった。 「暇なときにでもメールしてみよう」と思ってるんだけど、いざ送るとなると何から切り出したらいいのか分からなくて、時間ばかりが過ぎて行ってしまう。 「なんか悩み事でもあるの?」 あたしの前に座ってる男の人が聞いてきた。今日合コンで一緒になった川崎さん。二次会へは行かずに帰るとあたしが言ったら、「駅まで送る」と付いてきてくれた。 一次会ではデザートを食べそびれたと言ったら、ドーナツをおごってあげる、と言われて今ここに二人でいる。 「僕の記憶ではミュウはもっと元気な女の子なんだけど」 困った顔をしながら川崎さんが言った。川崎さんとは前の合コンでも一緒になってるから、今日あたしが暗い顔ばっかりしてるのが気になるみたい。 「……あ、そうですか? ……すみません」 あたしが謝ると、ますます川崎さんはまゆ毛を八の字にして苦笑いした。 キレイな色のシャツを着ておしゃれな柄のネクタイをした川崎さんは、たぶんあたしよりも5つぐらい上。背は大きくないけど(あたしよりは大きいけど)、話し上手で爽やかな笑顔で、きっと小さい頃からモテたんだろうな、そんなタイプ。 せいちゃんとは全然違うな、そんなことを考えてたら、テーブルの上におきっぱなしだった手の上に川崎さんの手が重ねられた。 「僕だったら彼女にそんな顔絶対させないんだけどな」 「え……?」 あわてて手を引こうとする前にぎゅっと強く握られた。これじゃ動かせない。 「だからさ、ミュウ、僕と付き合わない?」 困る、困るよ、そんなこと言われても。だってあたし――― 謝ろうとしたあたしの言葉を、川崎さんが先に遮った。 「今すぐじゃなくていいから、次会うときにでも返事聞かせて」 顔を真っ赤にして黙り込んでしまったあたしを、促すように川崎さんが席を立った。 「もう遅いからさ、今日は帰ろうか」 呆然としたまま川崎さんの後ろに付いていく。駅の改札をくぐって一人になったとき、ようやくあたしは気が付いた。 ――チョコリング、食べそこねちゃったな。 *** 合コンの日から二週間が経った。 (今日も来てない……) 部室の扉を開けてがっくりと肩を落とした。あの日から何度、こう感じたかわからない。 この二週間、せいちゃんとは一度も会っていない。 レポート提出なんかで忙しかったのもあるんだろうけど……、それでもサークルの日には必ず部室に顔を出してみても、せいちゃんは来てないみたいだった。 なにやってるのか気になって夜も眠れそうになかったから、サークル活動のある前の日に一度「明日来られる?」ってメールしてみたんだけど、結局返事はこなかった。 (せいちゃん……) 会いたいよう。会って頭なでなでしたり、優しくチューしたり、ぎゅってきつく抱きしめたり、……いちゃいちゃしたり、もう一回でいいからしたいよう……。 それとは逆に川崎さんからは2・3日に一度はメールが来る。内容は当たりさわりの無いことだったけど、せいちゃんに会えなくて寂しいあたしの持ちをいい感じで紛らわしてくれた。 川崎さんのことは断るつもりだったけど、こんな感じのことが長く続くと、正直揺れてしまうかも……。 机につっぷしてやり過ごそうとしていると、後ろの扉がガチャ、と開いた。 「どーしたのミュウ!? 泣いてるの?」 慌てて顔を上げると、結花ちゃんが心配そうにあたしの顔を覗き込んでいた。 「な、なんでもないよ? ただ寝てただけ」 笑ってごまかすと、結花ちゃんはほっと息を吐いて、あたしの横に座って来た。 「それよりもさ、ミュウ。また合コンのお誘いだよ」 「はい?」 「この前は結局なんもなかったもんねー。次こそ出会いモノにしようね!」 確かこの前の合コンでは二人ぐらい結花ちゃんのこと好きっぽい男のひとがいたはずだけど……。またワガママいって引かせたか、高望みして振っちゃったかのどっちかかなぁ……。 結花ちゃんの幸せを見届けてあげたいけど(友達だし)、ここはきっぱり言っておかないとやっぱマズいよね。 あたしは一回深呼吸をして、結花ちゃんの目をじっと見た。 「ごめんね、結花ちゃん。あたし、もう一緒に合コンに行けないよ」 「え……、なんで?」 それまで笑ってた結花ちゃんの顔が急にこわばる。 「あたし、好きな人がいるの。今はまだくわしくは言えないけど」 最初からこう言えばよかった。彼氏じゃなくったって、好きなことには変わりないんだから。 「だから、その人の気持ちを確かめるまで、もうちょっと待って」 「……誰なの、その人って」 ……やっぱそう来るよね。何も言えずに黙っていると、結花ちゃんはぐっと顔を寄せてきた。 「あたしの知ってる人?」 「えっと、それは……」 口ごもっていると、どたどたと遠くから足音がして、バン!とドアが開いた。 「おやおや、二人して深刻な顔しちゃって。もしかしてワタシ、お邪魔だったかな?」 「畑山先輩!」 よかった、いい所に来てくれた! 結花ちゃんは不満げな顔をしてるけど、あたしにとっては大助かり。座ったまま先輩の方を見上げると、先輩はからっぽのダンボールを抱えていた。 「邪魔じゃないですよー。待ってました」 「そんなこと言って。どうせオレの悪口でも言ってたんでしょー」 先輩はずかずかと中に入ってくると、ふんふーん♪と鼻歌を歌いながら戸棚にあった本とか荷物を詰めていく。……なにしてるんだろう? 「先輩、引越しですか?」 「いんやー? ただ、頼まれたからさ」 「え? でもそのマグカップとかって寺山のモンですよね?」 と、結花ちゃん。さすがよく見てるんだねー……、じゃなくて 「寺山君、どうかしたんですか?」 なんだかとっても嫌な予感がして、不安で声が裏返った。 「あー、あいつね。サークル辞めるって連絡来たから。学校ももう来ないって」 「えっ!?」 結花ちゃんが大声をあげる。 「どういうことですか!? 何があったんですか?」 結花ちゃんは先輩に詰め寄るけど、あたしは何もいえない。声が出てこない。 「うーん、詳しいことは知らんが、家庭の事情らしい。惜しい人物を亡くしたよな。働きモンだったのに……」 「でも、アイツ学校大好きだったじゃないですか!? よっぽどの事が無い限りやめないでしょ!?」 「だからよっぽどのことなんだろう。……まぁ、こんどこっち来ることがあったらお別れ会でも開こうか」 あらかた荷物を詰め終えた先輩は、「郵便局に行くから」と言って部室を出て行った。先輩に付いて結花ちゃんも行ってしまった。 ひとり残されたあたしは、がらんとした本棚を見ながら呆然と立ち尽くすことしかできなかった。 (寺山君が――、もう来ない……?) *** 「雨、また降ってきましたね」 あたしのバイト先である洋菓子屋「シトロン」は、小さいお店ながら結構な人気店で、休みの日ともなれば外に行列ができるほど。 ……だけど、駅からちょっと離れてる立地のせいか、今日みたいに平日で天気が悪い日なんかは急にがくんと売り上げが落ちてしまう。 同じ売り子の先輩と喋っていると、オーナーでパティシエの辰巳さんが厨房から出てきて、済まなそうな顔で申し出てきた。 「ミュウちゃん、あのさ、暇してるなら、ちょっと頼まれてくれない?」 従業員の中で一番年下のあたしはお遣いを頼まれることが多いし、すすんで行くようにしてる。だけどこんな雨の日に外に出るのはやっぱりちょっと乗り気じゃない。 すこしだけ眉を寄せたあたしに、辰巳さんはにやっと笑った。 「もちろんタダでとは言わないぞ。今日は好きなケーキ持って帰っていいから」 今日はそんな気分じゃないんだけどなぁ……とは思ったけど、仕方ないので用件を聞いて外にでる準備をした。 お遣い先の郵便局から出ると、雨はさっきよりだいぶ強く振っていた。まるであたしの心みたい。 せいちゃんが学校を辞めてしまうと聞いてから数日たった。もちろん彼からの音沙汰は何も無い。 捨てちゃったかと思った名簿をがんばって探し当てて、そこに乗ってた番号に電話も何回かしてみたけど、全然出ないし。 メールもこの前みたいに返事がこないかもしれないと思うと、怖くて何も送れなくなっちゃう。 ていうか、学校やめちゃうってのになにも連絡がこないこの状態が、せいちゃんの答えなのかなぁ……。 そんなことを考えてるとポケットの中のケータイが震えた。開けてみると川崎さんからのメールが着ていた。 『Sub:やっと TEXT:納期が終わったよ〜。毎日午前様で辛かった・・・。 ようやくゆっくりする時間が取れそうです。あさっての夜にでも、一緒に「サフランロード」でご飯食べませんか?』 あさっての夜は今のところ何も用事ナシ。誘われてるレストランはちょっと高いけどおいしくてあたしも大好きなお店だった。 だけど川崎さんに会うとなると告白の返事をしなきゃいけないってことで……。せいちゃんとこれ以上どうにもならないなら、彼と付き合うのもアリなのかなぁ……。 (あーっ、もうやめたやめた!) そうだよ、せいちゃんなんて無口でおっかないし、人の気持ちないがしろにするし、優しかったのもあの一日だけで、全然いい人なんかじゃないじゃん! もともと感じ悪いと思ってたぐらいだし! 誰がどこからみたって川崎さんのほうがいいよ! 良かったよふっちゃわなくて。あの日のあたし、ものすごくGJだよ! 「分かりました。楽しみです」という内容のメールを送ると、横断歩道のところまで歩き出した。 赤信号の手前で止まる。雨のせいで車はひどく渋滞していた。 その合間を、一台の自転車が軽快にすり抜けてきた。雨の日なのに大変だなーと思ってると、だんだん近づいてきて、通りの向こう側で一旦停止した。 (あっ、せいちゃん!) びしょ濡れの姿に目が釘付けになってしまう。信号が青に変わっても動けない。ドキドキする。意味もなく泣きたくなってくる。 歩行者用の信号が赤になって、せいちゃんはペダルに足をかけ直した。車がのろのろと進みだすと、せいちゃんの自転車は飛沫を立てながら走り出した。 (せいちゃん! あたしに気づいて!) 心の中で何度もそう叫んだけど、自転車はあたしのすぐ横を走り抜けると、すぐに背中は小さく遠くなった。 やっぱだめだ、あたし。こんなんじゃあきらめられない。 ちょっと見ただけでこんなに心がかき乱されるなんて、他の人じゃ絶対ないもん。 とりあえずどんな些細なことでもいいから、せいちゃんからの言葉がほしい。それだけであたし、しあわせになれる気がする。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |