眠れぬ猫
-1-
シチュエーション


大地と秋穂に関連する姉の春果の話で数年遡ります

※避妊描写についての注意
不成功及びその後の受胎要素あり


クリスマスだから彼氏位作れ。
そう言われても、私はピンと来なかった。
ただ、短大に入学して初めて故郷を離れたことで、今年は家族で賑やかにその夜を過ごすというのが出来なくなる。それは、
寂しかった。
だからと言ってそこを理由に彼氏を作るというのも違う気がする。
恋は見つけるもので、探すものではない。
そう考えていた私は、まるで『白馬の王子様を待つお姫様』のようだと散々言われ続けてきたのだけれど。
それでも、我が身が震える程の感動を憶えることができるのなら、私はそれを知りたいと思うのだ。

そしてそれは突然にやってきた。

きっかけはよくある合コンでの出会い。
数合わせにと拝み倒されてしぶしぶ着いたその席で、私と同じ様に明らかに場違いな雰囲気を醸し出している男の人がいた。
何となく、余った者同士で意気投合し、気がつけばメール交換を機にしょっちゅう会うようになっていた。


それから2ヶ月余り経ってから。
いつも待ち合わせしている駅ビルの前で彼の姿を探した。
彼の通う大学はこの沿線にあり、私のアパートまでの道のりからすると一番落ち合いやすい場所だからだ。
まだ明るいこの時間帯には、中高生の数も多い。前は何度か変な男の人に声を掛けられたりして凄く困ったりもした。

「ねえか〜のじょ。良かったら僕と付き合わない?」

今のように、ひとりでポツンと立っていると物欲しそうに見えるのだろうか?

「あの、結構です。彼氏を……待ってるので」

きっぱり(のつもりで)言い放つと、肩から緊張感が抜けていく。そんな時に彼の存在を感じることができるのが、
ちょっと嬉しくて誇らしい。と同時に少し不安にもなるんだけど……。しつこい人の場合もあるし。
なんて考えてたら、

「春果ちゃん!」

という待ち望んだ声と、

「お前ふざけんなよっ」

という言葉が同じ口から続けざまに放たれた。

「やけにしつこく待ち合わせ場所聞いてくると思ったら……人の彼女ナンパするな!」
「ちぇっ、せっかくの運命の出会いを」
「何がだ!……ごめんね。春果ちゃん、こいつの事覚えてる?俺の友達なんだけど、悪い奴じゃないから」

暫く呆然とそのやり取りを眺めつつ、懸命に記憶の糸を辿ってはみるけれど、どうしても思い出す事ができないでいた。

「……ごめんなさい」
「えぇ!?ショックだなあ。まあ、お酒入ってたもんなぁ」

はい、と笑ってごまかした。本当はお酒飲んでないし。というか私未成年だ。多分、成人してもあまり飲めないかもしれない。
うちの田舎は皆酒のみなんて言われてるけど、余所からお嫁に来たお母さんは下戸だから多分。
中学生の弟と高校生の妹(!)は解禁になったら凄いかもしれないんだけど。
改めて自己紹介してくれた人を今度こそちゃんとインプットしながら、今更ながら彼のことばかり気にしていた事実に
1人で勝手に顔を赤くした。

「しかし良かったなぁ。お前、こんな可愛い娘ゲットしちゃってさ。春果ちゃんあの時一番人気だったんだから。それをみんなが
お前に譲ったんだから大事にしろよ。なんせあの飲み会はイブに向けて可哀想なおま……」
「ああもうっ!うるさい!!早く行けよもう」
「お前こそ、モウモウうるさいぞ。じゃあな海牛」
「内海(うちうみ)だ!いちいち下らないんだよお前は……春果ちゃんごめん、気にしないでね。本当調子良いんだこいつ」
「ううん。私なら大丈夫……」

騒々しく引っ掻き回して行った彼の友達が去るのを見送ると、

「じゃあ、行こうか」

とはにかみながら差し出してきた手をそっと繋ぐ。頬や鼻が赤らんで見えるのは、冷え込んできた夜の空気のせいかしら。
ぱっと点った明かりの眩しさに見上げた広場の中央のツリーは、私達を見下ろしながらきらきらと輝く。
それを見上げて目を細めながら呟いた。

「春果ちゃん……あの……」

それに続く言葉に、私はどこか迷いを残しながらも、黙って頷くことを選んだ。

***


何度か入れ替わり立ち替わり、私の側に男の人が座っては色々と質問や誘いの言葉をかけてくる。中にはメアドを聞いてくる
人もいたけれど、教える気にはなれなかった。

「それくらいいいじゃない。そんなの挨拶みたいなもんよ」

洗面所の鏡の前でメイクを直しながら、他にも彼女には

「深く考え過ぎなのよ。春果は可愛いのに、ガードが固すぎるんだな」

とあれこれとダメ出しを受けた。
確かに私は皆と比べると、真面目を通り越して面白みのない人間かもしれない。だけど簡単に人に心の中に踏み込まれるような
真似をされるのは嫌なのだ。
田舎町から出て来て短大に入学して半年。初めはなかなか新しい暮らしに馴染めなかった私を、仲良くなった同じ学校の娘達が
あれこれ世話を焼いてくれた。
地味で余所者丸出しの言葉を遣うのが恥ずかしくてお喋りもままならなかった私に、メイクや服やら一から指導を施された
お陰でやっとここでの生活にも慣れて生活を楽しむ余裕もできたけれど、それからは別の意味で頭を悩ませる事が続いた。
その頃からバイト先で、通学途中の電車の中で、友達とのお茶の途中で、知らない男の人に声を掛けられる事が多くなった。
気軽にメアドを教えていた友達の真似で何も考えず同じようにしたら、しつこく送られてきて困ってしまった(無視とか
拒否とか考えもつかなかった)。
それ以来、怖くて無闇に男の人と話すのも避けるようになってしまった。
半年前は街で声を掛けられる事なんかなかったのに、少し格好を変えただけであれこれ言われるようになったのもあって。

「あんたは元がいいんだから、少し手を加えると変わるんだよ。それだけ可愛いんだから自信もっていいんだってば」
「……でも、結局見た目だけで判断してるって事でしょう?」

実際、今回の飲み会だって、初めは愛想良く近寄ってきた男の人もすぐ話が続かなくて他に移っていく。田舎娘の私とでは
話題にも事欠き、つまらないということなのだろう。ノリが悪いって言うんだろうな。それを『ガードが固い』と皆は言う。
褒められれば確かに悪い気はしないけど。

先に戻ると友達が出て行った後のドアの閉まる音を背に、少し暑い空調に乱れた髪を直しながら、トイレの鏡の中の自分を
見て溜め息をつく。

『どうしてもあと1人足りないのよ!春果がそういうの苦手なのわかってるんだけど。いてくれるだけでいいから、ね?』

今日の昼になっていきなりこれだもの。
仲良くしているグループの1人の彼氏の友達に誰か紹介してやりたいという話らしい。数日前から声を掛けられてはいたけど、
興味がないと断っていた。

『いい人なんだよ。これから年末年始イベントづくしじゃん?春果なんかオススメなのになぁ』

心配してくれるのは有り難いけど、私は理由づけして恋人を「作る」のは違うんじゃないかって気がする。それが悪いって
わけじゃないけど、恋愛のための恋愛という気がしてどうしても気乗りがしなかった。
そんなある意味ノリの悪い白けた空気がにじみ出ているのかもしれない。それはわかってるんだけど、自分に嘘をついてまで
という変な意地が働いてしまう。
結局私はこういう事に向かない体質なんだろうなぁと、皆に悪く思いながらも早く帰ってひとりになりたいと願ってしまう。
それでもいつまでもぐずぐずできない、とトイレのドアを開けた。

「わっ!」
「きゃっ!?」

思い切り開けたドアが軽く何かにぶつかる音がして、バランスを崩した勢いでバッグを落とした。

「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「いや、こっちこそ……ああ、バッグが」

足元に落ちたバッグを慌てて拾いに屈むと、今度は彼のポケットから携帯が落ちた。

「すいません!今度から気をつけますから」
「いえ。ここ狭いし、外開きだから。ていうかこんなとこでぼうっとしてた自分が悪いから……」

携帯をポケットにしまいながらバッグを渡してくれる。

「ありがとうございます」

方々の個室から洩れて聞こえてくるカラオケの音に気が重くなりながら何となく壁にもたれると、彼も同じ様に少し離れて
壁を背に並んだ。
改めてその顔を見て、互いに少し気まずそうに苦笑いする。

「戻らなくていいんですか……?」

彼こそが、今回の主役だった筈だ。

「……まあ、そうなんだけどね。でもどうしてもこういうのに慣れなくて……だからなかなか彼女が出来なくて、みんなが色々
仕切ってはくれるんだけどさ。結局はダシになっちゃうんだよなぁ」

私と同じかも、と何となくほっとした。妙な親近感のようなものが湧いてきて、足がその場に留まろうとする気持ちに素直に
従う事にした。

「あ、愚痴っぽくなっちゃってごめん。こんなだからつまんないんだろうな、俺。だから避難してきちゃった」
「いいえ。私も似たようなもんだから。……あの、ご一緒してもいいですか?邪魔しないようにしますから」
「いいよ。ていうか似た者同士だったりする?」
「そうかも」

そこから何となく話が弾み始めて、気がついたらみんなが二次会の相談を始めるまで二人でずっと話し込んでいた。
彼も私と同じで地方から出てきたそうで、学年は友達の彼氏と同じ1歳上のハタチ。
少しお酒が入ってはいたけれど、こんなふうに女の子と気兼ねなく話せたのは初めてだと言っていた。
それまで二次会なんて行ったことなかった私だったけど、彼が行くなら……という気持ちが頭をよぎったものの、『行かない』
という言葉に正直がっかり。結局行かないと決めてみんなとは逆方向に歩いた。
最寄り駅まで一緒して、改札前で別れるものと思っていたら、

「少しだけ時間をくれませんか」

と誘われた。

「君ともっと話がしたいと思って」

後々にこれは抜け出したという事になるのではとも考えたけど。
ファミレスで互いの田舎の話や、好きな映画やバイトの話など、たわいのない内容の話ばかりで過ぎていく時間が、生まれて
初めて惜しいと思った。
そしてもっとこの人を知りたいと思えたのも初めてだった。


***

そんな僅か2ヶ月前の出来事が、遥か昔の事のように思える。

『クリスマスに1人じゃなくなるの初めてなんだ』

ツリーを見上げながらそう呟いた彼。
イブに寂しく過ごさなくて済むのは私も同じだけど。

『……一緒に過ごせて良かった』

それはもしかしたら私ではなくても?

こんな気持ちを抱えてその日を迎えることになるなんて。

***

金曜日の夜は長い。そして今夜は特に、眠りにつくのは容易ではないだろう。
買い物袋を提げて、白い息とともに浮かれた街とは裏腹な溜め息を吐く。

「どうかした?」
「ううん」

寒さにかじかんだ手を大きな両手が挟み、ぎゅっぎゅと包み込むように握った。

「綺麗だね」
「ん?……あ、うん」

視線の先を追えば、遥か高く輝くツリーが私達を見下ろしていた。
今日までに何度も目にしていた物なのに、特別な日というだけでまた違った気持ちが私の中に入り込んでくるような気がした。
現金なものだ。

「春果ちゃんだからかな」
「なにが?」
「いつも普通に見てたのに、今日は何だか凄く眩しく見えるんだ。そりゃひとりで見ても綺麗なのは一緒だけど、春果ちゃん
といると……」

誰かがいてくれるだけで、どんなものも一層輝いて見えることがある。
何でもないような日が、特別な記念日になるように、またその逆もあるのではないのだろうか。
彼が同じ気持ちでいた事を嬉しく思うに対し、その反対側にある真逆の結果を想定してしまう素直に喜べない気持ちには
苛立ちが募る。
友達から始まって彼氏彼女の関係になってから、私達はまだ何も進んではいなかった。

『イヴの日は一緒に過ごせる?』

それが一体何を意味しているのかなど改めて問うほどではないけれど、言葉に従うままに頷きながらも本心では確かめたくて
仕方がなかった。
私でいいの?
それが私でなければ意味のない事なの?
所詮はきっかけにすぎない。けれどこの日でなければならないという理由もさりとて見つからない。
遠ざかるツリーを振り返りながら眺めた。
人工的に作られた派手な彩りたちが、ここにいる皆の幸せに浮かれた気持ちを煽る度に、私の心だけがぽつんと取り残されて
置き去りにされた気がする。
そんなのは言い訳で、ただ怖いだけかもしれない。
何か得ることで何かを失う。そのために得られる物が一体どういうものなのか、もしかしたらそれとも――。

今、この手を離したくはない。それは確かな気持ち。

「春果ちゃん?」

思わずぎゅっと力をこめた手に戸惑った顔をしたけれど、次の瞬間には更に強い力で握り返される。
それが答えだと思ってしまって良いのだろうか。

***

ひとり暮らしの彼のアパートにお邪魔したことは何度かあった。
お茶を飲みながらDVDを観たり、ご飯を一緒に食べたこともある。
だから今日だってそんな感じで、特別な事をするつもりではなかった。
ただ、クリスマスだからケーキは買ったし、シャンパンも買った(但しそれは彼用で、私はお子様用のシャンメリーだけど)
から、それを考えるとご飯に肉じゃがなんていうわけにもいかず、予約してあったチキンに簡単なサラダを作り、彼が好きだと
言っていたのを思い出し、グラタンに挑戦してみた。

「あんまり洋食は得意じゃなくて……ごめんね」
「ううん。美味しいよ」

少しダマになって焦げたソースを嬉しそうにふうふうして食べてくれる。

「また作って」
「え……無理しなくていいのよ?」
「してないよ。春果ちゃんの作るものなら何でも嬉しい。だから、嫌じゃなきゃまた何か作ってほしいな」
「私は……じゃあ、何がいいか考えておいてね」
「やった。嬉しいな」

へへ、と普段よりテンションが高めに見えるのは、アルコールのせいかしら。もしかしたら、部屋の隅に置いた小さなツリー
の点滅する明かりに浮かされてるのかもしれないと思う。案外、雰囲気に呑まれやすいとこがあるのかも。
今日になって一緒にホームセンターで半額で買ってきた残り物の小さめのツリー。
多少の無理やり感は否めないものの、そうやって嬉しいなと言ってくれる人に対して悪い気は起こらないものだ。
私だってその点では、至極単純で呑まれやすいといえるのだろう。

後片付けをしている間に、先にお風呂に入って貰った。
べったりとチーズの焦げがこびり付いたグラタン皿と格闘していると、部屋の電話が鳴りだした。でも、私出られない。携帯
よりある意味重要だし。泡だらけの手じゃどのみちどうしようもないけど、無視するのは忍びない。
出られない呼び出し音は余計に耳に長く届くように感じて、結局はそれを気にする余り洗い物に集中する事は叶わず、
手を拭いて風呂場に向かう。

「あの、ごめん。電話が……」

磨り硝子の向こうに動く肌色の影にどぎまぎしながら声をかけると、じき応える気配がして慌てて台所に戻る。
流しに向かって再び作業に戻っていると、暫くして背後にほんわりと湯気が立ち、シャンプーの香りが漂う。

「もしもし。今風呂場に……うん、元気」

履歴を見てかけ直したのか、悩むことなく会話に応じているところをみると、相当親しいようだ。友達か、もしかしたら家族
からかもしれない。
背を向けているとはいえ、立ち聞きしているような状態になってしまって困ってしまったものの、傍に人の気配を悟らせる
のはまずい事もあるのでは、と気を回したつもりで一連の動きを止めてしまったので、今更閉めてしまった水道を捻るのも
躊躇われる。
所在なげにじっと息を殺していると、うんうんそれで、と会話しながら小さなメモを渡された。
それに従って、静かに風呂場へと向かった。
なるべく音を立てないようにしていたせいで、洗面所にいてもワンルームの部屋では会話が聞こえてきてしまう。

『……ん、うん。彼女?……今は……いいだろ別に。……うん』

服を脱ぎかけていた手が止まる。

『見合い?結婚か……そりゃ反対はしないけど……へえ、美人なんだ。うん……わかった。正月には帰るから。楽しみにしてるよ』

ドクン、と心臓の跳ねる音が喉元を伝わって耳に響く。
互いに地方から進学のために移り住んできた身だ。年の瀬に帰省するであろう事情はわざわざ言わなくとも想像のつくものだ。
一旦そちらへ帰ってしまえば、今あるこっちの暮らしなど忘れてしまうのではないのか。
私は少なくとも、そのつもりだった。短大進学という選択肢がなければ、住み慣れた地を離れるなど考えもしなかったかも
しれない。
あくまでも帰るのは田舎の地で、ここは仮の住処であるという意識がどこかにあった。
本当の生活はここには無いのだ。
電話が切られる前に急いで風呂に入り、湿ってきた気持ちを洗い流そうとした。

できるだけゆっくりと髪と身体を洗ったものの、いざ出ようとして気がついた。
何もない!
追い立てられる(実際は“逃げるように”だと思うけど)ようにシャワーを浴びに来て、パジャマどころか下着の替えすら
持ってこなかった。タオルすら、どこにあるのかわからない。

「あの……」

電話が終わっているのを確認した上で呼んでみる。すぐに顔を出してきた彼を見て慌てて開けかけていた扉を閉めた。

「あ!ごめん。見てないから!!」
「え……あ、ごめん。私こそ。あの……タオルを」
「ああごめんね。ここ置いとくから」

ぱたぱたと出て行く音がして、すぐに戻ってまた出て行く。
こそっと覗き見して居なくなったのを確認してから風呂場を出て、洗濯機の上のタオルで身体を拭った。
髪を拭き、暫く悩んだものの、それを巻き付けた格好で部屋に戻る。
案の定それを見て、彼は目を見開いた。それから、飲みかけていたビールの缶を落としかけて、慌てて体勢を整え背中を向けた。
まさか替えの下着を彼に取らせるわけにはいかない。かといってこんな格好でいるのも誘ってるみたいではしたない気がする。
彼が背を向けているうちにとバッグをごそごそしていると、屈んだ身体を背後から抱き締められた。

「……っ!?」

首筋にぴちゃりと濡れた柔らかいものが吸い付く。

「ひっ……」

と小さく呻いて首を竦めると、今度は肩にそれが当たる。
どうしよう、どうすれば?
素肌剥き出しの背中に当たるスウェットの擦れる感触に、腕まで包み込まれてしまって身動きが取れない。

「ごめんもう……待てない……」

耳元で囁かれる声が妙に熱くて、頬がカッと火照る。
恐る恐る振り向くと、逃げる間もなく唇が塞がれる。
――冷たくて苦い、初めて味わうキスという行為の味。
思わず目を閉じた瞬間に身体中の力という力が全て抜け落ちて、されるがままに床の上に崩れ落ちた。

「いい?」

聞かれて、「いや」とも「はい」とも言えなかった。ただ目を伏せただけの私は肯定的に見えたのだろう。彼はそのまま首筋に
顔を埋め、大きく息を吐いた。

「春果ちゃん……春……」

何かに浮かされたように呼ばれ続けて、私の中でも何かが引きずられるように行為の波に呑まれていった。
多分缶で冷たくなってしまったのだろう彼の指先が鎖骨に触れてきて、小さな悲鳴をあげる。そこにかわりに濡れた唇が
押し当てられて私の口からは今度は吐息だけが零れた。
仰向けになった躰の上にある温もりはやがて厚手の布地越しから薄いタオル越しになり、彼が腕を伸ばして見下ろしている
のを確認できた時には、肌を晒したその上半身をただぼうっと眺めているだけだった。
ごくんと唾を飲む彼の喉元の動きにはっと目が覚め、解かれかけた胸元の結び目を必死に押さえる。

「やっ……!?」

いきなり得体の知れない恐怖に襲われ、同時にそんな自分の心の揺れの中に潜む悲しみがこみ上げてきて、気づけばポロポロと
涙を流して泣いていた。

「!?……ごめん、春果ちゃん。ごめん、ごめんね!」

今まで見たことのないような表情で私の躰を押さえ込んでいたひとは、一瞬にしてよく見知った顔の男の人に戻った。

「いや、だよね、急にこんな……襲ったりするような真似……最低だ。俺」
「ちが……違うの。そんなんじゃ……ない」
「え?でも……」

本当に嫌ではなかった。思い描いた未知の行為がいきなり現実となって、頭がついて行かなかっただけ。少し時間が経てば、
ちょっとしたパニック状態に陥ってしまったのだと解る。そういう覚悟はできてるもの。でなければわざわざこんな日に、一晩中
入り浸るような無防備な真似はできないだろう。
こんな日、だからこそ。

「……なの」
「え?」

身体を起こされながら、床に座り直して体勢を整えると同時に支えてくれる彼の腕にしがみつく。

「それだけで終わるのは……嫌なの……」

溢れてきた涙を我慢する事も忘れて、目の前にある彼の胸に顔を埋め、しがみついた。

「特別な日だから、一緒にいたいって気持ちはあるし、わかるの。でも、そのために嘘をつくのは嫌なの。終わりの見える恋なんて
悲しすぎるもの……」
「へっ!?終わ……?」

彼は自身の言葉が終わらないうちに私を身体から引き剥がした。胸元に残る涙の跡が辛くて俯いた私の顎に手をかけ、
ぐいと上を向かせる。抵抗しようにも、厳しい目で見詰められて身が竦んだまま動けない。彼にしては珍しく強引な気がした。

「春果ちゃん。俺と……別れたいの?」
「わ、私……は」
「嫌なら、もう何もしないから。謝るから。だからそんな事言わないで」

厳しく見据えていた目つきが徐々に弱々しく緩み、さっきまでのピンと張り詰めた空気が、今度は違う冷たさにしんとする。

「ごめんなさい。俺、酔った勢いでとんでもない事するつもりでした。言い訳するのもアレだけど、ほんっとごめ」
「それだけなの?」
「えっ……いやあの、気が済まないなら済むまであやま」
「勢い、なんだ……」

そのつもりでいたのは自分だけだったのかと、シャワーに打たれながら必死に決めてきた筈の覚悟が空振りだった現実に
気が抜けて、また涙が出てきた。

「その、こんな事でもなきゃ、俺ヘタレだし先に進めないと思ってしまって。正直、便乗したみたいでどうかとは悩んだんだ
けど。春果ちゃんの事、本当に好きだから……だから大事にする。ごめん」
「私の事……好きなの?」
「うん。すごく、すごく好き」

赤らんだ顔は、どっちのせいかしら。それでもそのはっきりとした言葉は嬉しかった。
顎をのせていた手は私の両頬を挟み、今度は至って落ち着いたキスをした。
少しお酒臭くても、そこに何となく独特な彼の唇の味のようなものを感じるような気がして不思議な気分になる。
キスに酔っちゃったのかな?
永くながく感じた時間が終わると、離れた彼の唇から吐き出された吐息に頭がぼうっとしてくらくらする。

「イベントだからって、無理にどうこうするこたないよな……」

向かいあってぺたんと床にお尻をつけて座りながら、互いの握り合った手を眺めて呟いた。

「でも……そういうのってあるんでしょう?」
「何が?」
「だって……イヴまでに恋人がどうとかって」
「えっ!?何それ。俺そんなつもりないよ!そりゃ、春果ちゃんのお陰で今年は寂しく過ごさなくて良くなったのは確かだけど」
「でも」
「何、俺がそんなつもりでいたと思ってるの?それだけのために彼女が欲しいと思った事なんかないよ。春果ちゃんはそうだったの?」
「違う!私は……」

特別な日だからこそ、誰か大切な人と過ごしたい。
だけどそれは、その人がいるからこそ、そう思えるのだと言えるようにありたいと願った。
誰かにとって普通の何でもない日が、ある人によっては何かしらの記念日になる時があるように、皆にとって特別な日が
自分達には穏やかに流れていく当たり前の生活の一つであればいいと思っていた。
そして、共にそれを分かち合えるひとを見つけたいと、まだ見ぬ誰かを待ち続けた。
そんな私は、やっぱり夢見る女の子だ。歳を重ねたところで何ら変われないのかもしれない。

「私は、今日が終わってもあなたといたい。何でもない当たり前の事を一緒に見て、感じて、分かり合えるようになりたい」
「それは、これからも一緒にいていいって事?」
「……でも……無理なんでしょう?」
「どうして?」
「だって、お見合い……結婚って」
「はい!?」
「だからいずれは、私の事は」
「ちよ、ちょっと待っ、冷静に話そう、うん。ていうか何のこと?」
「私は大丈夫です。でも、いずれわかる事ならはっきり……ごめんなさい。聞くつもりなかったんだけど」
「……!もしかして、電話?」

頷くと、強ばっていた顔が一気に緩んで、次の瞬間には大きな口を開けて笑っていた。

「あ、あの!?」
「も〜。あれは兄貴からなんだけど、ほら、うち旅館やってるって言ったでしょ?跡取りだからそういう話もあるんだよ。
この前見合いして、うまくまとまりそうなんだって、そういう話。俺もいずれは手伝うかもしれないけど、まだ先の話だから」
「そ……うなんだ」

「でも彼女がどうとか」
「今うちにいるって言ったら絶対親まで筒抜けんなるから。早く連れてこいとか」

何だか馬鹿みたい。
そんな的外れな勘違いで、ひとりで悩んで落ち込んで。恥ずかしいったらありゃしない!
まだお腹を抱えて笑い転げてる彼に背を向けて、さっさとバッグを漁る。
我に返ったところで、自分の置かれている状況を見て一気に冷静になってしまった。とりあえず服を着よう、風邪引くし。

「!!」

パジャマを出した手を背後から掴まれて、振り返るなり強い力に包まれる。

「着ちゃうの?」
「えっ……」

握りしめたチェックの布が、はらはらと膝に落ちた。

「だって、こんな格好……」
「このままじゃ……だめ?」

まだ上半身裸のままの彼の背中の向こう側に、いつの間にかぼんやりと天井が見える。

「この日をきっかけに何とか、と思ったのは確かだけど、それが目的だったわけじゃないんだ。けど、俺、春果ちゃんと……」

私はこの人と。
背中に感じる床の冷たさは、火照り始めた肌にはひんやりと気持ちが良かった。

「合コンするって言われた時にさー、“もうすぐクリスマスもあるしっ”て話もあったのは確かだよ。でもそれっていわゆる
枕詞みたいなもんだろうし」
「私もそれ、言われた」

それに限らず、夏休みに彼氏と旅行とか、誕生日は友達より好きな人に祝って貰わなきゃ、とかとか。

「だろ?そりゃ、春果ちゃんと色々出来たら楽しいだろうなとか想像したりしたけど、俺、彼女が欲しかったんじゃないから」

その言葉をきいてはっとした。

「……狙ってどうこうしたみたいで、本当は迷ってた。けど、そういうの関係なしに、俺は……春果ちゃんと……」

私は、彼氏が欲しかったわけじゃない。
待ち望んでいたのは、誰かが言うところの王子様な存在かもしれなかったけど、それだって、手を差し伸べてくれたひとが
全く居なかったわけではなかった。
自分から近づきたいと思った。そして、この手を差し出す日を待っていた。
好きになってしまったから、もっと知りたいと願ってしまったから。
黙って彼の肩に手をかける。
答えは言葉ではなく、触れた唇によって返された。

タオル越しに大きな手のひらの重みを受け、人肌によって包まれる温もりに身震いがした。

「寒い?」

少しだけ鳥肌が立っていた胸元に鼻を押し当てられて、ううんと首を振る。

「大丈夫……けど、できたら……電気」
「あ……うん」

むっくりと起き上がると、明かりを落としにいき、暖房の温度を弄る。

「ちょっと待って……よいしょ」

布団を引っ張り出して、ぽんぽんと叩き手招きされる。

「ムードなくてごめんね」

ぷっと吹き出して、言われた通りにそこへ寝転がった。何だか今ので少し気が楽になったみたい。

「あ、お皿……」
「洗っといた」

こびり付いたグラタン皿は流しのカゴに伏せてあった。

「ありがとう……。あ、暖かい」
「ほんと?……干しといて良かった」

その言葉が彼らしくてまた笑えた。狙ってるんじゃなく、多分ほんとに思ってるんだとおもう。
まっすぐな事しか言えない人なんだもの、きっと。

「……本当にいい?」
「うん」

だから好きになったんだもの。
オレンジ色のぼんやりとした灯りの下、影を浮かび上がらせながら私の上で彼が蠢く。
今度はあっさりと取り払われたタオルは床の上に飛ばされ、剥き出しになった胸に無数の指と温かく柔らかな舌が這わされていく。
ぞわぞわとミントの香りのする髪が鎖骨を掠め、少しばかりのくすぐったさを感じるまもなく、膨らみの先にぴりぴりとした
電流が走る。
見れば、ぴんと勃ったそれを、熱い息を吹きかけつつ、半開きの唇から覗く舌がコロコロと転がしている。
それを不思議なような、でもたまらなく恥ずかしいと思いながら眺めると、反対側のそれを包んで揉みしだく手のひらの刺激に
思わず目を閉じて唸る。

「……っ」

時折、指のどこかにそちらの先にあるものがぶつかり、舌で弄られるのとは違った何かに躰が捩れてしまう。それを
押しとどめるつもりではなく、かといってどうすれば良いのか得体の知れない初めての感覚に戸惑うばかりに、やわやわと
動く手の上に自分の手を重ねた。

「やっぱり、嫌……?」
「じゃ、ないけど……なんか……わかんなくて怖い……かも」
「……大丈夫だよ」

躰を起こして、ゆっくりと唇を合わせる。
先程までの合わさるだけのものから、少しずつ角度を変え、彼の唇が私の上唇を、それから下唇を交互に挟み込むように
くわえ、隙間から覗く舌先がその中身へと入り込もうとする。
息継ぎするつもりで開いた唇は、ぬるりと収まってきたものに塞がれて、ただ翻弄されて押し開かれる。
けれどそれは嫌ではなかった。
初めて自分の身体に入り込んだ他人の一部を、逆にもっと取り込んでしまいたいとさえ思えてしまう。
自分のものか、相手のものなのかもはや区別がつかぬ程に絡み合って押し当てた唇が離れると、細く引いた糸を切って
再度胸へと降りてゆく。
今度は予測のつく動きに少しは心構えがあったものの、あれこれと弄られると喉の奥から変な声が押し出されてきて、困る。
じくじくとむず痒いような痺れの途中で、ぎゅっと鷲掴みにされる感触がするとともに軽い痛みが走った。

「たっ……!?」
「えっ!?痛かった?ごめんっ」
「あ……えっと、あの、大丈夫よ、ごめんなさい」

ぱっと引っ込めた手を眺める彼の困ったような顔を見て、悪い事をしてしまったような気がした。

「何で春果ちゃんが謝るの。……加減がわからなくて……だから言ってくれた方が良いよ」
「そうなんだ」
「そりゃ、気持ち良い方がいいじゃない」
「えぇ!?そっ……」
「あのさ……痛かったのって今だけ?」

頷くと、ヨカッタって小さく呟くのが聞こえて、立ち上がると穿いていたジャージを脱いで脇に寄せた。
一枚残っているものの真ん中につい目がいって、それを気付かれそうになって慌てて枕に顔を埋めた。
そのせいで捻れた躰を捕まえられて、また仰向けに戻され、脚の間に彼自身がねじ込まれる。

風呂上がり、裸のままタオルを巻いていただけの格好だった私は、今更ながら何も身につけていなかった事を思い出す。
剥き出しになっている私のその部分に、熱く堅い何かが押し当てられている。それがずりずりと動く度擦れて変な感じがする。
もしかして、と思っても口には出せなくて、彼が腰を押し付けて揺する度に自然とため息に似た呻き声が漏れてしまう。
ていうか、私いま凄い格好してると思う。こんなに脚を開かなきゃならないなんて……というより、まだ先があるんだよね?
どうなっちゃうんだろう?私。








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